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酒場

ファンタジーですが、剣や魔法は微妙にしか出て来ません。

お家騒動(?)中心の少し重い話です。

 女は、踊りながら歌う。

 金の長い髪を激しく振り、朗々と声を出す。妖しく美しい唇から放たれる、その声の、何という音量!

 騒ぐ男達の中にあっても彼女の声は群を抜き、そして魅了するのだ。すべての男達と、そして女達すらも。

 しなやかに荒れる肌は汗で光り、真っ白な脚がまるで別の生き物のように見えた。酒場の薄暗いランプの明かりが作る彼女の影は、さながら獣のようでもあった。

 流れる彼女の視線が、男達を誘う。

 彼女はよくある誘い歌を、自作のステップで披露する。

「私を愛せるのは、100カイン持つ男の中の、男だけ」


      ◇


 労働の基準は様々である。詩人、狩人、騎士など、職種により受けとる賃金も当然変わるわけだが、例えば土木系の日雇い労働だと、最も地道かつ確実に、1日20カインは手に入る。……だが、そのうち半分は嫌でも食費に飛んでいく。それほど、この国の食料状況は厳しい。

 酒ともなればなおさらで、下手に酔っぱらって、一夜のうちに3日分の賃金を使い果たしてしまうというのも、珍しくない。

 そんなわけで、踊り子が歌う「100カイン」とは、随分な大金なのである。

 サプサの町の大通りから少し奥に入ったその酒場へは、酒代以外として大金を手に、踊り子に会いに行く者もいる。

 酒場の名は“シェラ・ベルネ”――意味を「光の踊り」と言う。

 その日も、店は盛況だった。

 顔を赤く染めた男達が、各自のテーブルで笑いながら、酒を持ってこいと騒いでいた。女中がめまぐるしく働いている。露出度の高いドレスを身にまとった踊り子達が2・3人、今は歌を止めて男達の相手をしていた。

 そんな中を、他の誰とも違う姿をした1人の娘が、およそ酒場の雰囲気に不似合いなほどの気品を持って、テーブルの間を縫うように歩いていた。当然、皆がふり返るのだが、彼女の美貌にそぐわない厚手のシャツにスパッツを着けた姿を確認すると、すぐに目を逸らすのだった。残念そうに。

 大股で歩く彼女は1人の男の横で止まり、ブーツの踵を鋭くカツン、と鳴らした。

「お父様ったら! またこんなところで!」

 寝ていた。

 娘は腰に手を当てて、どうしたものかとため息を吐いた。茶色い髪の踊り子が、そんな彼女の肩に、くいと手をかけた。

「ハイ、ルイサ。子守りならぬ、親守りね」

「ハイ。まったくよ。いい加減、歳を考えて欲しいわ」

「このまま寝かせておいてあげても良くてよ。空き部屋あるから」

「100カインで、でしょ?」

 ルイサは肩を竦め、振り向いた。その動きに、女は彼女の肩からぱっと手を離した。

「良く分かってるじゃない」

 茶毛の女は笑った。“シェラ・ベルネ”に勤めている女達は皆気さくで、ルイサのことも友人として振る舞ってくれる。

 ルイサの父は常連客であるし、ルイサ自身も踊りが好きで、昼間レストランとしての“シェラ・ベルネ”には、よく遊びに来たりする。日が落ちて、酒場となってからの店で踊る事は絶対にしないのだが、それは彼女らの夜の仕事を軽蔑しているからではない。むしろ、軽んじてはいけないからこそ、冷やかしの様に首を突っ込まないと、ルイサはわきまえているのだ。

 だが、そんな彼女の態度を高慢と取り、快く思わない輩もあった。

「一曲、踊って行かない?」

 茶毛の女、エスティが舞台を指した。ルイサは、軽く首を振った。

「ルイサ、折角綺麗なんだから、髪を伸ばせば絶対ドレスが似合うのに、いつも男の子みたいにして」

「こうしてれば、ドレスが似合わないでしょ?」

 肩を竦め笑い掛けて、ルイサは止まった。エスティの向こうから歩いて来る者に気付いたからである。

 その女は長く美しい金の巻き毛を揺らし、多くの美しい金の飾りを鳴らして歩いていた。が、ルイサに目を止めると、飾りの音を静める為に立ち止まり、きちんと聞こえる様に、

「ふん」

 と言った。

「うるさいわねぇ。邪魔よ」

「アディ」

 咎める様なエスティの言葉。アディと呼ばれた金の女は臆した風もなく、ゆっくり視線をルイサからエスティに移したのだった。ルイサは、アディを見つめていた瞳から力を抜いて、安堵した。

「ルイサは、お客よ」

「客なのは、ネイアスだわ」

 アディは鼻で笑いながら、泥酔している老人を見下ろした。

 だがその、ネイアス=エヴェンに注がれる瞳は、ルイサに向けられるものと全く違い、熱く憂いを帯びた眼差しである。

 ルイサは彼女の視線を塞ぐ様に、父親の腕に手を掛けた。

「コーディ!」

 ルイサの呼ぶ声に反応して、大柄な男が姿を見せた。筋肉質な肢体に不似合いな、無駄のない動きで、ルイサの後ろに控える。彼女の用心棒であった。

「はい」

「お父様を連れて帰るわ。馬車に乗せて」

「はい」

 命令には「はい」「いいえ」で済ませる、この国ロマラールの絶対服従主義の生んだ礼儀とも言えた。ここでは、未だに王制主従関係は、崩してはならない秩序なのである。それを変だとは思ってはいけないのだ。いや、思い付く事すら、この時代の人間にはなかっただろう。

「じゃあね、エスティ。迷惑を掛けたわ」

 言って、エスティの左手に、ルイサは20カイン銅貨を2枚乗せた。老体の中に注がれた酒量を計算すると、釣りの来る額である。エスティは、ちらりとアディに目をやってから、ルイサに向き直った。

「気を使わなくて良いのよ」

「ううん」

 ルイサは微笑んだが、アディを見る目は、どうしても厳しくなってしまう。逆にアディは、いつでも涼しげな目つきのままで、ルイサを罵るのだ。スマートに雑言を受け流せない事に自己嫌悪を感じつつ、ルイサは次にここの扉を開ける時には、もっとさり気なく振る舞える様になろう、と自分に言い聞かせるのだった。

「もうあんたは来ないでね」

 けらけらと笑いながらの言葉に、つい眉を吊り上げてしまい、ルイサは更に自己嫌悪に陥った。エスティが、そんなルイサに口の端を少し上げた。

「ま、エヴェン家を追い出されたら、来なさいよ。あんたなら何千カインでも稼げるわ」

「ありがと。誉められたと思っておくわ」

「誉めてんのよ」

 苦笑してルイサは、店を出た。扉の向こうからは、艶のあるアディの歌声が響きだす所だった。


      ◇


 ルイサが苦笑したのは、エスティの言葉が馬鹿馬鹿しかったのではなく、その可能性がないとは言い切れなかったからだった。

 ルイサの父親ネイアス=エヴェンは、息子がいない事を残念がっていた。ルイサと言う娘1人しか生まれて来なかった事を口惜しがっていた。そして、妻の亡き後、誰も娶らずに老いた自分自身に後悔し――それでも尚、妻を欲しいと思わない自分を、情けなく思っていた。

 ルイサは、歯がゆかった。

 自分が男なら良かったのに、と。

 せっかく、仮にも王家直属の騎士エヴェン家の十代目に当たると言うのに。

「ねぇ、コーディ」

「はい」

 ルイサは、自分の馬をコーディが操る馬車の横に着けた。お互い話し易い様、速度を落とす。ルイサの耳に気持ち良さそうないびきが聞こえて来た。起きる気配など全くないネイアスは、時折、寝言の様な唸り声を上げて、娘を微笑ませるのだった。

 ルイサは、空を見上げた。満天の星が、輝いていた。

「お前は、私の事をどう思う?」

「とてもお美しいと思います」

「違うわよ、騎士の子として」

「ご立派であらせられます」

 ルイサは棒読みのコーディの言葉に、肩を落とした。これが彼の地なのだとは、分かっていても、時々――特にこう言う場合に、感情表現をして欲しくなる。だが真に感情を露わにしてくれる程、心の通じた友も、ルイサにはない。

 とは言え、コーディの言葉は、嘘ではなかった。

 16歳と言う若さにありながら、毅然とした態度を取る事が出来る彼女の、そんな姿に惹かれる者は少なくない。いくら彼女が、男でありたいと願い髪を短くしても、白いうなじと大きな瞳が憂いを漂わせるし――剣技を磨きたい、とシャツにスパッツを着込んでも、肢体は女性の美しさを放出する。

 祭典の為仕方なく装う、1年に10度もないルイサのドレス姿が王宮で披露される度、求婚の書状も毎回増える。

 ましてや、彼女が日常の中でほんの一時見せる、自由であどけない笑顔を知っている者が、彼女に惹かれない訳がない。

 コーディは、そんな彼女を4年間ずっと見て来た。

「ルイサ様は、今迄通り、お思いになられた道をお進みになれば宜しいかと」

 コーディは、言った。

 ルイサが自分の位置に不安を持っている事を、コーディは知っていた。エヴェンの名を担い、その称号を受け継ぐだけの才量を、ルイサは持たない。どんなに足腰を鍛えても、それはダンスが上手く踊れる足しにしかならず、彼女の美しく朗々たる声も、襲撃の合図より歌を歌う方がお似合いなのだ。それは誰が言うより、本人が一番、痛い程に分かっている事なのである。

 騎士団長エヴェンの名を持つに相応しい男を養子に迎えるか、又は、エヴェンの名を捨てるに惜しくない程の者の下へ、ルイサはルイサの義務として、嫁がなければならないのだ。

 未だ結婚どころか、自分が女である事さえ、考えたくないのに、だ。

 ルイサには、コーディの言う“思う通りの道”が何かさえ、見えないでいる。もう少し、色々な人間と色々な話をすれば見えて来るのだろうか、ルイサは思うのだった。

「今迄、私は思った通りの道を進んで来たのかしら?」

「少なくともネイアス様は、あなたに何も強いていらっしゃらないかと思います」

「そうかもね。ありがとう、コーディ」

 ルイサ近付く屋敷に顔を向けて、馬の足を速めた。コーディも、車輪を取られそうな石に気を付けつつ、馬を軽く即した。

「いえ」

「それから、美しいと言ってくれた事にも、感謝するわ」

 感謝など。本当の事を言っただけだ、とコーディは内心、首をうなだれるのだった。だが彼がその内心を動作にする事は、決してない。

 ルイサは美しい。

 誰よりも、きっとコーディが一番彼女を見ている。一番彼女を理解している。一番彼女を気遣っている。だが、その想いを彼が口にする事は、決してない。

 彼女とコーディとでは、釣り合わないのだから。

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