わたしをみて ※微妙にホラー、R15要素あり
通知音が鳴ったのは、午前二時過ぎだった。
花音は、うっすらと目を開ける。
隣では、彼氏が規則正しい寝息を立てていた。暗闇の中、スマホの画面だけがぼんやりと光る。
――この時間に?
胸の奥が、わずかにざわつく。
手探りでスマホを掴み、画面を開く。
『今日は、いつもより近くに感じました』
"ゲストさん"
名前のないアカウントに、花音の喉が、ひくりと動いた。
◆
最初は、ただの遊びだった。
顔は出さない。部屋も特定されない。
どこにでもいる女子大生の、どこにでもある身体の一部。
切り取って、ネットに上げるだけ。
親指でボタンをクリックする。
それだけで、誰かが反応する。
“いいね”の数が増えると、それが最高に気持ちよかった。
現実の花音は、少し地味で、どこにでもいる存在だったから。
――わたしをみて
つまらない人生に、絵の具でぐちゃぐちゃに色を付けてほしかった。
メッセージは、無数に来た。
軽いものもあれば、目を背けたくなるような露骨なもの。
その中で、あのアカウントだけが異質だった。
『無理はしないでください』
『寒いので、体調に気をつけて』
踏み込まない。
でも、見ている。
その距離感が、妙に心地よかった。
いつからか、花音はその相手にだけ返信するようになっていた。
◆
違和感に気づいたのは、ほんの些細なことだった。
『そのカーテン、柔らかい色ですね』
送られてきたその一文に、花音の指が止まる。
写真には、カーテンなんてほとんど写っていない。
背景の、ほんの端。
意識しなければ気づかない程度の色味。
(……よく見てるだけ、だよね)
そう思おうとした。
けれど、その後も。
『今日は床、冷たそうですね』
『少し疲れてませんか』
まるで、同じ空間にいるかのような言葉が続く。花音は、投稿した写真を見返した。
床材や、光の入り方。自分の影。
――確かに、読み取れなくはない。
そう、自分に言い聞かせる。
また父と母が言い争う声がする。
家のことを考えると、頭が重くなる。
父は相変わらず金を入れず、母は疲れた顔をしている。
「ちゃんとしなさいね」という言葉が、耳の奥に残る。
ちゃんとしているつもりだった。
大学にも行っているし、彼氏もいる。
普通の人生。
――違うのは
夜になると、別の自分が浮かび上がる。
見られる自分には価値がある。
評価する人が、光に群がる醜悪な蛾だとしても。
花音はぼふっとベットに背中を預ける。
「ううん、汚い蛾は私の方だ」
自分を傷つける言葉。
なのに、言ってしまってからうっとりしている自分に気づいた。
◆
『一度、会いませんか』
そのメッセージが届いたとき、花音はすぐに断れなかった。
怖い、という感情はあった。
でもそれ以上に、どんな人なのか知りたいという好奇心が勝った。
待ち合わせ場所に着いたとき、花音は一度だけ、帰ろうかと思った。
人通りの多い駅前を指定したから、逃げることもできる。
それでも、その場に留まったのは、“生の私を見てほしい”という衝動だった。
「花音さん」
背後から声をかけられる。
振り返って呼吸が止まった。
スーツ姿の男。
落ち着いた風貌だが、年は父と変わらなく見えた。
(……こんな普通の人が、あんなサイトで私の身体を見てるんだ)
視線が合うと、男は穏やかに微笑んだ。
「来てくれて、ありがとうございます」
その声に、既視感がある。
文章の向こうで感じていた温度と同じだった。
花音の背筋に、冷たいものが走る。
カフェに入り、向かい合う。
男は丁寧で、無理に距離を詰めてこない。
会話も下品ではなく、自然だった。
なのにどこかで、測られている気がする。
「緊張してますか?」
やわらかな問い。
「……少し」
「大丈夫ですよ。無理はさせませんから」
その言葉に、ぞくりとする。
――この言い方。
メッセージと、同じだ。
店を出たあと男が言う。
「少し、歩きませんか」
断る理由は、いくらでもあったのに花音は付いていこうと思った。
そのとき、男の視線が、花音の肩口に落ちた。
ほんの一瞬。
「その服、似合ってますね。前に似た色、着てましたよね」
心臓が、強く跳ねた。
そんな写真は、上げていないはずだ。
なのに、男はにこやかに言い切っていた。
(……なんで、知ってるの?)
頭の奥で、何かが噛み合う。
カーテン。
床。
光。
“写真から読み取れる範囲”だと思っていたもの。
その線が、一気に崩れる。
「ごめんなさい……今日は、帰ります」
震えた声に、男は一瞬だけ目を細めたが、すぐに笑みを戻す。
「そうですか。また、機会があれば」
引き止めない。
いつでも会えると言っているようで逃げ場がない。
それが逆に怖かった。
駅までの道を、ほとんど走るようにして戻る。
振り返らずに。
振り返ったら、何かが終わる気がした。
部屋に戻り、かじかむ手で鍵を閉める。
カーテンもちぎるようにかたく閉める。
それでも、落ち着かない。
スマホを手に取り、あのアプリを開く。
通知が、一件。
恐る恐る開く。
『今日は、会えてよかったです』
息が止まった。
汗ばむ指先でそっとスクロールした。
その下に、続く一文。
『あの部屋、やっぱり落ち着きますね』
――違う。
違う違う違う。
ちがうちがうちがうちがうちがう
「いやあぁぁっ!!」
スマホが、床に落ちた衝撃で割れた。
部屋を見回す。
何も変わらない。
いつもの自分の部屋。
なのに、どこかから、“視線”が残っている気がする。
震える手で、アプリを削除する。
アカウントも履歴も、すべて消した。
それでも消えない。
あのねっとり絡みつくような男の視線だけが、確かに残っている。
ベッドに座り込むと、
彼氏、友達の声、母の疲れた背中など現実がつぎつぎに頭の中をよぎっていく。
さっきまでの自分の場所。
ほんの少し踏み外しただけで、簡単に別の場所に繋がってしまう。
花音は、震える手でスマホを取り直す。
割れた画面で指が切れた。
血は気にならなかった。
カメラを起動する。
前を引きちぎるようにはだけて、シャッターボタンを押した。
カシャッという音に背筋が震える。
写真に写っている姿は、いつもの自分だけれど、少しだけ違う。
その違いに気づけるのは花音だけ。
見せるための、見られる顔。
恍惚とした。
お願いします。
――わた し を み
て




