第五話:潜入調査、そして予期せぬ出会い
アルフレッドとの面談を終え、二人の完璧な「地雷物件」を分析した私は、次なる一手を探っていた。完璧な笑顔の裏に冷たい洞察力を隠すレオンハルト殿下。計算ずくな振る舞いで損得勘定を探るアルフレッド侯爵令息。二人の完璧すぎる男たちが、なぜ私に興味を持つのか。そして、なぜ殿下は私のことを「評価できない」と評したのか。
(彩奈のモノローグ)「この二人は、ただの婚活相手じゃない。間違いなく、私の前世と、この世界の何かが複雑に絡み合っている……。これは、会社を揺るがす重大なインサイダー情報が隠された、最高難度の案件だわ。まるで、底の見えない沼に足を踏み入れたみたい……」
私は自室でメモ帳を握りしめ、眉間に深いシワを寄せた。仕事漬けだった前世の癖が、ここでも抜けない。情報が足りない。この感覚は、かつてビッグクライアントの裏に隠された複雑な利権構造を読み解こうとしていた時と同じだ。
「エマ、何か変わったことはない? 屋敷の周辺や、最近の社交界で、奇妙な噂でもいいから」
私は日課となった情報収集をエマに促した。エマは少し首を傾げ、記憶の糸をたぐるように話し始めた。
「そういえば、少し前、王宮の庭園で、レオンハルト殿下が誰かと密会していたという噂が、ごく一部で囁かれております。お忍びだったようで、王宮の衛兵すら近寄るなと命じられたとか……」
「密会? 誰と?」
「それが、誰なのかはわからなくて……。ただ、その人物は、顔の左半分に大きな火傷の痕があり、いつも深くフードを被っている、謎の人物だそうです」
「火傷の痕……」
私は、エマの言葉にピントが合った。夜会でアルフレッドが私に近づいた時、殿下が僅かに私を見ていたという記憶。その視線は、まるで何かを確認する、あるいは査定するような冷たさを帯びていた。
そして、エマはさらに続けた。
「それから、最近、王都の郊外に、とても美しい廃墟の館があるという噂が流れております。庭園には見事な薔薇が咲いているそうですが、何年も前に主がいなくなり、**『館に入った者は二度と出てこない』**という不気味な噂が囁かれ、誰も近づきません。魔物の棲家になった、とも……その噂には、どこか悲しい子守唄のような旋律が、いつもついて回るのです」
「廃墟の館……そして、子守唄?」
その言葉に、私の脳裏に子供の頃に読んだ絵本の一節が、霧が晴れるように鮮やかに蘇った。それは、この世界の古い神話に登場する、忘れ去られた物語だった。
「森の奥には、美しい薔薇に囲まれた廃墟の館がある。そこには、忘れ去られた王子様が住んでいる。その王子様は、月の光の下で、哀しみの歌を歌い続けている……」
(彩奈のモノローグ)「まさか……。でも、レオンハルト殿下の密会の相手……。そして、誰も手入れをしていないはずの、美しく咲き乱れる薔薇……。そして、子守唄の噂。これは偶然じゃない。すべてが繋がっている。これは、フィールドワークの絶好のチャンス! 秘匿情報へのアクセスキーは、きっとあそこにある!」
私は居ても立ってもいられなくなった。居室の窓から差し込む陽光が、私の決意を後押ししているようだった。
廃墟の館への潜入調査
翌日、私はエマに無理を言って、郊外への外出の許可を得た。華美なドレスではなく、目立たない濃紺のマントとフードを深く被り、護衛を一人だけ連れて、馬車で王都の郊外へと向かった。
馬車に揺られながら、私はこの行動のリスクとリターンを冷静に計算していた。前世のコンサルタントとしての冷静な思考回路がフル稼働する。
* リスク: 貴族令嬢の身分がばれる。不審者と間違われて捕まる。変な人物に絡まれる。そして……館から戻って来られなくなる可能性。最悪の場合、私の人生再建計画が頓挫する。
* リターン: 王宮の謎の人物の正体、レオンハルト殿下の真意、そしてこの世界の隠された真実に関する手がかりを得られるかもしれない。それは、私の今後の人生設計を根底から覆す、ブレイクスルーとなる可能性を秘めている。
「リターンの方が圧倒的に大きいわ。この案件は、リスクを冒す価値がある」
そう結論付けて、私は馬車を降りた。目の前には、絵本で読んだ通り、古の物語から抜け出してきたかのような、蔦に覆われ、廃墟と化した美しい館があった。館全体が、古い時代の悲しみと静けさをまとっている。しかし、その廃墟の周りには、まるで生きているかのように、生命力に満ちた真紅の薔薇が、不自然なほどに完璧な美しさで咲き乱れていた。その鮮やかさは、不気味な噂とは裏腹に、人を惹きつける魔力すら感じさせた。
私は護衛に待機を命じ、一人で館の敷地へと足を踏み入れた。薔薇の甘く、そしてどこか哀愁を帯びた香りが、あたりに満ちている。その香りには、微かな、しかし確かな魔力の気配が含まれているような気がした。
庭園を進んでいくと、奥の方から、誰かが何かを歌っているような、静かで優しい歌声が聞こえてきた。それは、まるで忘れ去られた子守唄のような、切なくも美しい旋律だった。その声に引き寄せられるように、私は廃墟の温室へと足を踏み入れた。
予期せぬ出会い
温室の中は、ガラスが割れ、草木が茂り、荒れ果てていた。しかし、その中心にある一角だけは、まるで時間の流れから切り離されたかのように、手入れが行き届いていた。そこで、一人の青年が、たった一輪の薔薇を、慈しむように見つめていた。その薔薇は、周りの花々とは異なる、淡い銀色に輝いていた。まるで、月の光だけを吸い込んで咲いたかのようだ。
彼の背中は、どこか寂しげだった。長い間、この場所に一人でいるのだろうか。
「誰……?」
私が思わず呟くと、彼は歌うのを止め、ゆっくりと振り返った。
その瞬間、私は息をのんだ。
顔の左半分には、見るも無残な火傷の痕があった。深く刻まれた痕は、彼の過去の痛みを物語っていた。しかし、その右半分は、驚くほど完璧に整った顔立ちをしていた。太陽の光を吸い込んだような金色の髪は、乱れ、顔に影を落としている。そして、なにより、その瞳。深く、澄んだ、吸い込まれるようなアメジスト色の瞳。その瞳の奥には、夜空の星々が閉じ込められているかのようだった。
「フローラ……?」
彼は、私の顔を見て、なぜか私の名前を呟いた。驚きに、私はフードがずり落ちていることに気づいた。
「どうして、私の名前を……? 貴方は、私のことをご存知なのですか?」
彼の顔の半分は醜い傷で覆われている。しかし、その瞳には、レオンハルト殿下のような鋭さも、アルフレッドのような打算もなかった。そこにあったのは、ただ純粋な戸惑いと、深い孤独、そして、かすかな優しさだった。それは、まるで凍てついた湖の底で、唯一揺らめいている温かな光のようだった。
彼は、私の問いには答えず、ただ静かに私を見つめていた。その視線に、私はなぜか、懐かしさと、安堵のようなものを感じていた。それは、前世で、疲弊しきった私が唯一求めていた、無条件の優しさのようなものだった。
「貴女は、一体……」
彼の言葉が途切れた時、私の脳裏に、かつてフローラとしての記憶にあった、ごく一部の貴族しか知らない、ある噂が蘇った。
(フローラのモノローグ)「ヴェルデール侯爵家の隣に、かつてアルカディア公爵家があった。しかし、その一人息子は、幼い頃に館の火事にあい、顔に大怪我を負った。その火事は、**『館に眠る禁断の魔術書』**を狙った者による放火だったという噂もある。それ以来、公爵家は没落し、彼は社交界から姿を消した。王宮からも、その存在は抹消された……」
その噂と、目の前の青年の姿が、私の頭の中で一つに繋がった。
「もしかして、あなたは、ジル・アルカディア公爵……?」
私が言葉を続けようとした時、青年の表情が、すっと冷たいものに変わった。その瞳に、一瞬、深い絶望の影が宿ったように見えた。それは、かつて自分が閉ざした扉の鍵穴に、誰かが触れた時の反応だった。
「お帰りください。ここは、貴女のようなお方が来るべき場所ではありません」
彼はそう言うと、私に背を向け、再び銀色の薔薇に目を向けた。その背中は、この世のすべてから見捨てられたかのような、絶対的な孤独をまとっていた。
(彩奈のモノローグ)「この人だ……。この人こそが、私が探していた**『最優良物件』**かもしれない……! 絶望している。でも、その瞳の奥には、確かな輝きが残っている……! それは、まるで、廃墟の中にひっそりと咲く銀色の薔薇のよう……」
彼の言葉に突き放されながらも、私のOL脳は、彼の奥に隠された**「本質」を見抜こうとしていた。これは、私の人生再建プロジェクトにおける、最大のM&A(合併・買収)**案件になるかもしれない。
第六話へ続く