第三話:二人の王子と二つの顔
社交界デビューの夜会から数日後。ヴェルデール侯爵家には、ひっきりなしに貴族からの訪問者が続いた。日中は優雅なティータイム、夕方からはディナーに招かれ、私は連日、社交の場へと繰り出していた。
(彩奈のモノローグ)「うわー、これぞまさにフル稼働。前世のクライアント接待みたいだ……しかも、全員が私を査定してくる。こっちも全力でデューデリジェンス返してやるけどね」
この数日、内なる対話はますます活発になっていた。
(フローラのモノローグ)「彩奈、紅茶の淹れ方はプロトコル通りに。湯温は八十度が望ましいわ。そして、カップを持つ手はもう少し淑やかに……そう、その角度よ」
(彩奈のモノローグ)「わかってるって! あーもう、こういう細かいとこ、前世じゃ気にしなかったのに! でも、体が勝手に動くんだから不思議だよね……」
フローラの魂が持つ貴族としての知識と身体の記憶は、私のプロジェクト遂行を完璧にサポートしてくれていた。そのおかげで、私は貴族としての立ち居振る舞いを難なくこなし、周囲の貴族たちから「天性の気品」と称賛されるまでになっていた。
そんな中、エマが恭しく一枚の招待状を差し出した。
「フローラ様、本日は王宮よりお招き状が届いております」
その差出人の名を見て、私の背筋はピンと伸びた。
「レオンハルト殿下……」
そう、アルカディア王国第一王子、レオンハルト殿下からの個別のお茶会への招待状だ。夜会での初顔合わせから、早々に個別のアポイントメント。殿下からの直接の誘いに、侯爵家内は祝いのムードに包まれた。
「さすがフローラ様! 殿下から直々にお声がかかるとは、将来が楽しみでございます!」
「これぞ、ヴェルデール侯爵家の栄誉でございます!」
エマをはじめ、侍女たちは興奮を隠せない様子で囁き合っている。父上と母上も、誇らしげな表情で私を見つめた。しかし、私の内心は冷静だった。
(彩奈のモノローグ)「来たわね、トップアプローチ。これは直接、殿下のデューデリジェンスをする絶好の機会だわ。エマ、情報収集よ」
「エマ、殿下の趣味や嗜好、最近の動向について、もう少し詳しく調べてちょうだい。特に、最近お気に入りの書物や、関心のある政策などがあれば」
「かしこまりました! 王宮の噂話や、殿下のお気に入りの侍従に賄賂を渡すなどして、あらゆる情報を集めさせていただきます!」
エマは私の指示に、てきぱきと動き出した。私が知りたいのは、世間一般で噂されている「完璧な王子」という表の顔ではない。彼の「人となり」、そして、その完璧さの裏に隠された「本質」だ。
王宮での個別面談、そしてプロファイリング
翌日、私は王宮の離宮にある、王子専用の応接室へと足を踏み入れた。部屋は上品な調度品で統一され、窓からは手入れの行き届いた庭園が見える。静謐な空気の中、壁に飾られた絵画や精巧な彫刻が、王族の威厳を静かに物語っていた。
「フローラ嬢、ようこそ。今日はゆっくり話がしたいと思ってね」
レオンハルト殿下は、夜会で見た時と同じ、完璧な笑顔で私を迎え入れた。その輝く金髪と、吸い込まれそうな青い瞳は、まさに絵本から飛び出してきた王子様だ。
「レオンハルト殿下にお目にかかれて光栄に存じます」
私は完璧なカーテシーで挨拶を返した。殿下との二人きりのティータイムが始まった。
会話は、穏やかに始まった。殿下は、夜会の感想や、最近読んだ書物の話題を振る。流暢で知的な会話は、私が事前に調べた「完璧な王子」像と寸分違わない。
「フローラ嬢は、どのような書物を好んで読まれるのですか?」
「……最近は、歴史書を読み返しております。特に、アルカディア王国の建国史に興味がありまして」
私がそう答えると、殿下の表情がわずかに動いた。
「ほう、歴史書ですか。それは意外ですね。貴族の令嬢は、詩集や恋愛小説を好むものだと思っておりました」
その言葉に、私の脳内に警報が鳴った。
(彩奈のモノローグ)「『貴族の令嬢は~するものだ』……この言い回し、要注意だわ。相手を『レッテル貼り』している。自分の先入観で物事を判断する傾向がある。それに、なぜ『意外』だと? 私が病弱で書物とは無縁だったという噂を、彼は知っているのだろうか……」
(フローラのモノローグ)「彩奈、気を付けて。彼の質問は、こちらの知識量を試している可能性が高いわ。下手な受け答えは、侯爵家全体の評価を下げる」
私は内なるフローラの助言に従い、さりげなく、話題を歴史書から現在の社会情勢へとシフトさせた。すると、殿下の表情がさらに興味を引かれたように変わる。
「では、最近の他国との貿易摩擦について、フローラ嬢はどうお考えですか?」
彼は、私の「意外な一面」に興味を示しているようだった。私は、前世で得たビジネスの知識を、この世界の社会情勢に当てはめて、持論を語った。
「他国との関係を鑑みれば、短絡的な制裁は避けるべきかと存じます。むしろ、互いの強みを生かした『ウィン・ウィン』の関係を築くべく、長期的な視点での外交戦略が必要かと……」
私の言葉を聞きながら、殿下の目は真剣な光を帯びていく。その時、私は、彼の「完璧な笑顔」が、まるで一枚の仮面のように剥がれ落ちていくのを感じた。
「……なるほど。フローラ嬢は、驚くほど冷静に物事を分析されるのですね」
その声には、夜会での甘い賛辞とは異なる、純粋な「評価」が込められていた。
「ですが、それは貴族の令嬢には珍しい考え方です。一体、どこでそのような知見を?」
(彩奈のモノローグ)「来た、核心に迫る質問……!」
「父上の書斎で、様々な書物を読ませていただいておりますの。侯爵家の一員として、アルカディア王国の未来に少しでも貢献できれば、と」
私は当たり障りのない、そして貴族令嬢として模範的な答えを返した。しかし、殿下は私の言葉に満足していないようだった。
「そうですか……。ですが、貴女のような美貌と知性を兼ね備えた女性は、アルカディア王国には存在しません。……いいえ、今まで出会ったことがない。貴女のその落ち着きは、年齢不相応に思えるほどです。まるで、人生を何周も経験したかのようだ……」
彼の言葉には、探るような、そして何かを見透かそうとするような強い視線が宿っていた。その視線に、私は一瞬、背筋が凍りつくのを感じた。
(彩奈のモノローグ)「この王子、もしかして、私の**過去(前世)**に気づいている……?」
その時、応接室の扉がノックされ、侍従が殿下を次の公務へと促しにきた。
殿下は、名残惜しそうに立ち上がると、最後に私の手を取り、優しく微笑んだ。
「今日のことは、非常に興味深かったです。また、近いうちに、ゆっくりとお話しできる機会を設けましょう」
その手は、夜会での挨拶の時よりも、わずかに力が入っていた。
二人の「完璧」な地雷
王宮からの帰り道、私は馬車の中で今日の出来事を反芻していた。レオンハルト殿下は、噂通りの完璧な王子様だった。しかし、その裏に、彼は恐ろしいほどの洞察力と、相手の心理を鋭く見抜く能力を隠しているように感じた。
(彩奈のモノローグ)「完璧すぎる……。まるで、どこかで私の情報を事前に手に入れていたみたいだわ。私が病弱だったのは事実だけど、その急激な快復を彼はどう見ているのだろう。ただの奇跡? それとも、何か別の原因を探っている?」
前世の私なら、完璧な王子様に心を奪われ、彼の言葉に酔いしれていただろう。しかし、今の私は違う。
(フローラのモノローグ)「完璧すぎる人間は、何かを隠している。貴女の言葉は、まさにこの世界の真理よ、彩奈」
これは、前世のビジネスで身につけた鉄則だ。殿下は、私の「美貌」だけでなく、「知性」にも興味を持っている。だが、その興味は、純粋な好奇心なのか、それとも、何か別の目的があるのか。
彼を「優良案件」と判断するには、まだ情報が足りない。むしろ、最大の「地雷物件」である可能性すらある。
その時、私の頭に、夜会で出会ったもう一人の人物の顔が浮かんだ。あの、完璧な侯爵令息、アルフレッドだ。
(彩奈のモノローグ)「殿下と、あの侯爵令息……。二人は対照的すぎる。この二人の間に、何か共通点や繋がりはないか……」
私は、頭の中で夜会の出席者リストと、家系図を照合し始めた。前世のOL脳は、休むことなく次の「課題」を分析し始めていた。
アルカディア王国の夜空には、今夜も満月が輝いている。しかし、その光は、私の心を照らすどころか、見えない闇をより一層深く感じさせた。
(フローラの独り言)「見つけ出してみせる。あなたたちの、本当の顔を……」
(彩奈の独り言)「そう、これが私の人生を賭けた、プロジェクトなんだから」
私は、静かに呟いた。この婚活は、もうただの「幸せ探し」ではない。それは、知的なサバイバルゲームへと、その様相を変え始めていた。
第四話へ続く