第二話:社交界デビュー、二つの魂の「偵察開始」
「フローラ様、こちらのオフホワイトのドレスはいかがでございましょう? 柔らかなシルクに、繊細なレース刺繍が施されており、フローラ様の純粋な美しさをより際立たせてくれるかと」
エマが差し出すドレスは、まさに子供の頃に絵本で見たお姫様のドレスそのものだった。オフホワイトの生地は光を受けてきらめき、胸元には小粒の真珠が散りばめられている。ため息が出るほど精巧な刺繍は、熟練の職人の手仕事を感じさせた。
(彩奈のモノローグ)「うわっ、すごい……これ、いくらするの? これならローン組んでも買えない……いや、ローンって何? もう、そういうの考えるのやめよう!」
頭の中で彩奈の思考が駆け巡る。前世の金銭感覚が、この世界の豪華絢爛なドレスを前に、悲鳴を上げている。
しかし、その瞬間、心の奥から、もう一つの声が聞こえた。
(フローラのモノローグ)「……彩奈、落ち着いて。このドレスは、ヴェルデール侯爵家の品格を示すもの。それに、この刺繍の繊細さは、王都でも五本の指に入る工房の品質保証よ」
(彩奈のモノローグ)「へ? フローラ……? ああ、そうだった、私、あんたと共存してるんだった……って、品質保証って、なんだか私みたいな言い方じゃん!」
(フローラのモノローグ)「貴女の知識は、この世界の評価基準に変換すれば、とても役立つわ。今、貴女が感じたドレスの『価値』は、私が知っている『知識』と一致する。これは、シナジー効果というものでしょう?」
(彩奈のモノローグ)「うっ、図星かよ……」
彩奈とフローラの魂は、目覚めてからずっと、この奇妙な共同生活を送っていた。フローラの知識と身体能力に、彩奈のビジネススキルと度胸が加わることで、病弱だったフローラの体は驚くほど健康になっていたのだ。
私は、内なる対話を繰り広げながら、冷静にドレスを評価した。
(彩奈のモノローグ)「……なるほど。このデザインなら、会場で埋もれることもないし、品格も保てるわね。うん、これにしましょう」
私は冷静にドレスを評価した。これは、社交界という名のビジネスの場で、私が身につけるべきユニフォームだ。ドレスの素材、色、装飾品に至るまで、全てが私の「商品価値」を高めるための要素となる。
「かしこまりました! フローラ様にお似合いになるかと存じます」
エマは嬉しそうに微笑んだが、私の内心は既に次のステップへ移行していた。
「エマ、今夜の夜会に参加される方々のリストは?」
「はい、こちらに。ヴェルデール侯爵家がお声がけした方々でございます」
エマが恭しく差し出した分厚い資料を手に取ると、私は自室の机に広げた。そこには、貴族の家系図と、それぞれの当主や子息たちの簡単な紹介が記されていた。蝋燭の炎が資料を淡く照らし、その膨大な情報量に私の目は真剣な光を宿す。
(彩奈の独り言)「よし、**プロジェクト開始**ね」
私は資料を前に、彩奈として前世で培ったデータ分析スキルをフル稼働させた。
貴族家系図は「物件情報」、独身男性は「見込み客」
リストに目を通しながら、私は手元のメモ帳に情報を書き出していく。ペンの走る音だけが静かな部屋に響く。
* 各貴族の領地、経済力、爵位、政治的影響力: これは「物件の資産価値」ね。安定した基盤があるか、将来的な成長が見込めるか。
* 婚姻状況、性格: これは「物件の現状と利用規約」。既婚者は論外。独身男性については、性格が重要だ。前世で痛い目を見たから、外面の良さだけで判断はしない。
* 親族間の力関係、派閥、過去の揉め事: これは「潜在的リスク」だわ。どんなに優良物件に見えても、内情が複雑だと後々厄介になる。
(彩奈のモノローグ)「ふむ、この〇〇公爵家の御曹司は、領地が広く経済力は申し分ないけれど、どうも放蕩癖があるらしいわね……ハイリスク・ハイリターン案件は御免よ」
鉛筆で小さく「要警戒」と書き込む。前世の同僚が「高額契約はだいたい裏がある」と言っていたのを思い出す。
(フローラのモノローグ)「待って、彩奈。彼の一族は、王家に古くから仕える名門よ。彼を警戒するのは当然だけど、正面から切り捨てるべきではないわ。名誉を重んじる一族だから、下手な対応は信用問題に関わる」
(彩奈のモノローグ)「ちっ、面倒くせぇな……でも、あんたの言う通りだね。郷に入っては郷に従え、か。リスクヘッジは大事っと」
二つの魂は、互いの知識と経験を共有することで、より最適な選択を導き出していた。
私は、前世の失敗から学んでいた。「幸せな結婚」とは、単に豪華な生活を送ることではない。精神的な安定、互いを尊重し合える関係、そして共に未来を築ける「将来性」が最も重要だ。私の求める「優良物件」は、地位や財力だけでなく、何より「私を一個人として尊重してくれるか」という点を重視する。
(彩奈のモノローグ)「今度こそ、幸せになりたい。そのためには、徹底した情報収集と分析が不可欠よ。今回の婚活は、まさに人生を賭けた事業提携。絶対に失敗できないわ」
私はメモ帳を閉じ、ドレスルームへと向かった。
社交界デビュー、そして「偵察開始」
夜会の会場である王都の大規模な貴族邸宅は、煌びやかなシャンデリアの光で満たされていた。天井から吊るされた巨大なシャンデリアは、無数のクリスタルをきらめかせ、会場全体を幻想的な光で包み込んでいる。無数の貴族たちが談笑し、豪華なドレスがひらめく。その中心に、私はヴェルデール侯爵夫妻に連れられ、足を踏み入れた。足元を滑るように進むたび、シルクのドレスが優雅に揺れる。
一瞬、会場のざわめきが止まったように感じた。
「あれが……ヴェルデール侯爵令嬢、フローラ様……」
「まさしく、天使のような美しさだ……」
周囲から向けられる、熱い視線と囁き。幼い頃から「美貌」は自覚していたけれど、これほどまでとは。まるでスポットライトを浴びたかのように、すべての視線が私に集まる。
(彩奈のモノローグ)「うわっ、眩しっ! なんか、気分は上場企業の新社長だな! 完璧なプレゼンで、皆の度肝を抜いてやる!」
(フローラのモノローグ)「……彩奈、調子に乗らないで。貴族の視線は、評価と同時に品定めでもあるわ。軽率な行動は、侯爵家全体のブランド価値を損なう」
私は内なるもう一人の自分にたしなめられ、背筋を伸ばし、完璧な淑女の微笑みを浮かべた。これも、私の営業戦略の一部だ。
早速、様々な貴族の子息たちが挨拶に訪れた。
「フローラ様、今宵は一段と輝いていらっしゃいますな。まるで、夜空に咲く一輪の花のようだ」
甘い香水と、整えられた髪から漂うポマードの匂い。彼らの自信に満ちた笑顔の裏に、私は警戒心を抱く。
(彩奈のモノローグ)「あー、その手の甘い言葉、前世で腐るほど聞いたわ。とりあえず、この人は言葉のパフォーマンスが上手いタイプね。中身は空っぽかも」
(フローラのモノローグ)「軽々に判断しては駄目。彼が身につけている装飾品は、名家を示すものよ。ただの言葉ではないわ」
彼らの言葉は、どれもこれも「お美しい」「天使のようだ」といったお決まりの賛辞ばかり。私は前世で培った「営業スマイル」と「曖昧な返答」でそれらを受け流した。
「ありがとうございます。過分なお言葉、恐縮でございますわ」
私は彼らの言葉の裏にある「探り」や「下心」を冷静に見抜こうとしていた。それぞれの話し方、目の動き、姿勢、身につけている装飾品……そこから、性格や育ち、財力を読み取る。まるで、顧客の微細なサインを見逃さないよう、神経を研ぎ澄ます営業マンのようだ。
その中で、ひときわ目を引く人物が現れた。アルカディア王国第一王子、レオンハルト殿下だ。彼の周りには常に人垣ができており、その完璧な笑顔と優雅な物腰は、まさに理想の王子様そのものだった。光り輝く金髪は、まるで陽光を浴びた糸のよう。
(彩奈のモノローグ)「来た! 最大のターゲット! 王子様かー。やっぱり桁が違うわね。まるでCGみたいに完璧だ……」
しかし、私の脳裏には、事前にエマから聞いた「完璧すぎて不気味」という情報が蘇る。
(フローラのモノローグ)「……彩奈、気をつけて。彼の完璧さは、私たちには到底理解できない領域にあるわ。幼い頃から、誰も彼の内面を読み解くことはできなかった」
(彩奈のモノローグ)「大口案件は、見た目がどんなに良くても、裏にとんでもないリスクを抱えていることがある。特に、完璧すぎる人は何か隠していることが多い。例えば、病弱だったフローラ様の体調が急に回復したことだって……。どうやって殿下は手に入れたのかしら? この世界では、個人情報保護法なんてないだろうし、気になるわね……」
OLスキル炸裂!貴族社会の裏を読む
夜会の賑わいの合間、私はエマや他の侍女たちの会話に耳を傾けた。断片的な情報を収集し、自身の分析と照合する。
「〇〇伯爵令息、フローラ様のこと、しきりに王族の方に話していらしたわね」
「ええ、△△公爵令嬢がフローラ様のドレスを褒めながらも、なぜか視線が冷たかったわ」
(彩奈のモノローグ)「ふむ。〇〇伯爵令息の行動は、私のライバルを牽制しようとしているのか。それは、『ライバル潰し』の典型的な手法だ。△△公爵令嬢からの嫉妬や牽制の視線も感じ取っていた。彼女の目には、獲物を品定めするような冷たさが宿っていた」
(フローラのモノローグ)「前世の『社内政治』や『業界内の競争』と何ら変わりないわね。要は人間関係。そして、情報の非対称性をいかに有利に働くか、か」
(彩奈のモノローグ)「あ、今、私とフローラちゃんの思考がシンクロした……! これがシナジーってやつか!」
私は、営業部長だった頃に身につけた「情報戦」のスキルを、この社交界で存分に活かしていた。誰が誰と組んでいるのか、どの派閥が力を持っているのか、そして、誰が私にとって「優良案件」になり得るのか。まるで、市場調査を行うかのように、私は五感をフル稼働させる。
夜会の終盤、一見すると完璧な求婚者に見える、とある侯爵令息が私に近づいてきた。彼は、流れるような美しい言葉で私を褒め称え、その瞳には真剣な光が宿っているように見えた。その立ち居振る舞いは完璧で、非の打ち所がない。しかし、私には微かな違和感があった。
彼の言葉は完璧に計算され、振る舞いも非の打ち所がない。まるで、完璧に作られたプレゼンテーション資料のようだ。前世で「地雷案件」をいくつも踏んできたOLの「嫌な予感」が、私の脳内で警報を鳴らす。
(彩奈のモノローグ)「何か、裏があるな……。完璧すぎるものは、必ずどこかに歪みを抱えているものよ。特に、人を感動させるために完璧に作られたものは、その裏に意図がある」
私はその侯爵令息を、改めて「マーク対象」に設定した。
夜会後の反省会と、新たな決意
屋敷に戻り、豪華なドレスを脱ぎ捨てた私は、自室で夜会の出来事を一人反芻した。鏡台に置かれた蝋燭の炎が、私の疲れた顔を映し出す。
(彩奈の独り言)「今日のKPIは達成できたかしら? 主要なターゲット層との接触はできたし、リスク要因の抽出も順調ね」
リストの中から、興味を持った数名の候補と、警戒すべき「地雷物件」に分類する。特に、レオンハルト殿下と、あの完璧すぎる侯爵令息は、より詳細な**デューデリジェンス(適正評価)**が必要だ。
社交界に潜む陰謀や、見えない駆け引きの存在を改めて認識した。単に結婚するだけでなく、その後も貴族として生きていくことの難しさ、複雑さを予感する。
(彩奈のモノローグ)「前世みたいに、騙されたり、後悔したりしない。今度こそ、自分で幸せを掴んでみせる!」
(フローラのモノローグ)「……ええ、彩奈。今度こそ、私たち、本当に幸せになりましょうね」
(彩奈のモノローグ)「お、フローラちゃん、珍しく意見が合ったね! よし、業務提携だ!」
私は心の中で強く誓った。この異世界で、神谷彩奈として培った度胸と、フローラ・ヴェルデールとしての美貌を武器に、私はこの新たな人生に、そして、これから始まる「婚活」に、真正面から挑むことを決意した。
アルカディア王国の夜空には、今夜も満月が輝いている。
(モノローグ)「この世界で、私は本当の愛を見つけられるだろうか?――いや、見つけてみせる!」
第三話へ続く