私たち、いい友達になれると思ったんだけどな
1.
いつからだろう。私にとってこの世界は、酷く退屈だった。
顔を合わせれば、勉強しろとしか言わない母親とか。今日学校で何があったんだと、やたら根掘り葉掘り聞いてくる父親とか。親と私の言い争いを、すました顔して聞き流してる妹とか。
勉強してるよと言い返し。面白くもない学校の話を聞かれるがままに話す。妹の面倒見ててと言われれば妹と一緒に遊んだり、勉強を教えたりする、そんな毎日。
成績が下がれば叱られて。時たま物が飛んできたり、力いっぱい殴られたり。そんなに勉強が嫌なら学校辞めて、今から働いたら、なんて言われたり。親の機嫌を損ねて家を追い出されて、親の機嫌が戻るまで近くの公園で、ギイギイとブランコを漕いでいたり。家を閉め出される前にと引っ掴んだウォークマンに入っている音楽を延々と聞いていたり。結局一晩許されず、家のドアにもたれかかって仮眠をとってから学校に行ったり。手近に持っているもので殴られることなんて日常茶飯事で。金属製の定規で殴られたときは、腕に消えない傷跡が残ったり。怒りのボルテージが上がれば、頭をつかんで壁や机に打ち付けられたり。
でも、そんなのは日常だった。日常なら、こなすことができる。
叱られたら殊勝な顔をして謝ればいい。今後は頑張ります。もう二度とこんなことにならないよう頑張ります。そう繰り返せばいい。お願いだから学校に行かせてください。そう、お願いすればいい。殴られたら、大人しく殴られていればいい。下手に睨んだり、抵抗すれば余分に怒らせるだけだから。気がすむまで殴らせてあげればいい。こつは、ぐったりと力を抜くこと。抵抗しようという意識を捨てること。なすがままにされること。そうすれば、あまり痛くない。意識の力も抜いてしまえるとなおいい。殴られている自分を、もう一人の自分が眺めている風にして。ぼんやりと、意識を飛ばせれば何も苦しくない。
今日誰と会って、何時頃帰るか。今月いくら使って、手持ちの現金がいくら残っているか。今週何時間勉強する予定で、実際は何時間勉強したか。その内訳はどうなっているか。親が聞くなら答えればいい。それがきっかけで怒らせることになっても。嘆かせることになっても。
それは学校においても同じこと。先生に言われたことはしっかり守って。みんながどこかに行くときにはついていって。誰かのジョークにはけらけら笑って。たまにはとぼけたことを言ってみて。誰かの悪口で盛り上がるときには同調して。大げさに頷いて、怒って見せればいい。課題だるいねと誰かが言えば、めっちゃだるいねと言い。授業さぼりてーと友達が言えばさぼっちゃう?なんておどけて見せる。文化祭では率先して出し物に参加して、体育祭でリレーの選手に推薦されたのなら、まあ任せてよと腕まくりして見せる。合唱コンでは男子真面目にやってよと揉めて見せる。誰かの恋バナで盛り上がって、誰かのうわさ話に花を咲かせて。昨日見たバラエティの話にうんうん頷いて。芸能人のニュースに憤って見せる。そうしていれば、まあ、普通のやつとみなされて生きていける。
そう、生きていける。でもそれは生きているだけ。それはとっても退屈。私が私である必要なんてどこにもなくて。ある日私の中身が私そっくりの宇宙人になっても、AIにとってかわられても、きっと何も変わらなくて。誰もそのことに気づかず世界は同じように回り続けることがわかりきっていたから。世界はとても退屈で。さっさと死んでしまいたくて。かといって死ぬ勇気も全然なくて。今日こそ電車に飛び込もうと思っても、いざホームに高速で電車が来れば足はピクリとも動かないし。歩道橋から飛び降りようにも、身体は柵すら超えようとしないし。手首を切ろうにも、薄皮一枚傷つけた痛みで手が止まる。そんな毎日。
その点、あの子は違った。あの子はクラスでも変わり種。間違っていると思えば、それがたとえ先生でも先輩でも轟然と嚙みついていく。気に食わないことは気に食わないとずけずけものを言い。やりたくないことにはやりたくないと言う。ある意味とてもまっすぐな子。流行り物には興味がなくて。誰でも知っているような芸能人のニュースにも、何それ?とあっけらかんとしていて。逆に誰がそんなこと知っているのといった無駄なうんちくばかり蓄えていた。それでいて、いつだって窓際で本を読んでいた。女の子にしては随分短めの髪をかき上げて。あの子は自由だった。羨ましくなるぐらい。
そんな子だったから、あの子には敵も多かった。何あの子。ムカつく。そんな言葉何度聞いたことか。いじめてやろうなんて動きも目にしたし、実際に何度かいじめの走りみたいなことをされているのを見たこともある。
でも、あの子はくじけなくて。むしろやられたらやり返す、倍返しだの精神で報復を企てて。いつの間にか打ち解けていた周りの人を巻き込んで、壮大な復讐戦を挑んで。あっちこっち焼け野原にした。あの子もそれなり以上に傷まるけだけど、あの子に喧嘩を売った子はもっと傷まるけ。
そんな事を数度繰り返せば、気づけば変わっているけれど、面白いやつ。あるいは、変わっている分、下手に刺激したらやばいやつ。そういうアンタッチャブルな地位を築いて。楽しそうに学校生活を送っていた。
私は、あの子に関わらなかった。何となくやばいやつ。そんな気はしてたから。敵にも味方にもならなかった。関わりたくもなかったから。理由。それをうまく言語化するのは難しい。
ただ、あの子を見ているともやもやした。胸のあたりがむかむかして、積極的にかかわろうという気をなくした。そういう子と付き合いはあってもいいのだろうと思うけれど、ただ別段関わり合いにならなくてもいいかという気持ちのほうが大きかった。面倒くさい、ともまた違う。何となく億劫な気持ち。強いてあげるなら、うざったかったのかもしれない。あの自由奔放な振る舞いが。何者にも囚われない物言いが。
だからそんな気持ちから、私はあの子を避けていた。積極的に関わり合いになることを避けていた。そしてそのまま高校3年間は終わり、私たちは離れ離れの大学へ進んだ。そしてもう二度とあの子とは会うことも、何の縁を持つこともなく生きていくのだろうと思っていた。数年後、帰省した際あの子が自殺した、という話を聞くまでは。
2.
丁度命日が近いというので、開かれていた法事に参加することになった。本当は参加するつもりなんてなかったのだけれども、家が近いのでご近所付き合いの一環ということだった。私はそもそもあの子がご近所だったこと自体知らなかったのだけれど。
法事自体は、黙々と進んだ。あの子の中学や高校、大学時代の友達と思しき子たちが鼻をすすり上げ。黒い布に覆われたあの子の遺影を見上げる。線香の煙に覆われたあの子は、どこまでも輝かんばかりの笑顔で。愛されていたんだな、と煙の向こうで揺れるあの子を眺めながら、ぼんやり思う。それと同時に、そんな子でも自ら死を選ぶんだなと思った。
そして法事の後の食事会。これまた参加するつもりはなかったのだけれど、母親の代理として来ている以上でないという選択肢はなかった。
そこで、私は知らなかったあの子のことを知った。例えば、あの子もまた親と物凄く仲が悪かったこと。毎日のように父親には殴られ、母親には嫌味を言われ。時には食事すら与えられなかったこと。事業の独立に半ば失敗した父親からは、都合のいいサンドバックのように扱われていたこと。母親は何度か家族を捨て家を出ていこうとしたこと。あの子自体、自殺未遂を繰り返していた事。見るに見かねた祖父母が強制的に介入し、祖父母宅に引き取られたこと。祖父母の死とともに、学費の振り込みが止まり。それ以上の進学が難しくなったこと。学費払い込みの再開の条件に、卒業後家に戻り、父の事業を手伝うことというのがあったこと。あの子はそれを苦にして自ら命を絶ったこと。色んなことを知った。
あの子も私と一緒だったんだ。私はふと思った。あの子も家族に縛られていた。あの子も家族に囚われて生きていたんだ。囚われながら、どう生きるかが違っただけで。私は流されるままに生きて。あの子は抗える限りあらがった。ただそれだけの事。ベクトルが違う、向いている向きが違う。でも根幹は同じだった。
なあんだ。そう思った。あの子も私と同じだったのか。その時の気持ちを何といったらいいのだろうか。まるで私と違う類の人種だと思っていたら、実は同じ類の人間だった。そう気づいた時の私の気持ちを。どこにも仲間なんていないと思っていたのに、やっと仲間を見つけたというような心地。それは安心感ともまた違う。砂漠でオアシスを見つけたかのような、私は独りぼっちじゃなかったんだと気づいたかのような心地。でもその仲間は、もう二度と手の届かないところに行ってしまったという喪失感。この気持ちをなんと言い表せばいいのだろう。そこまで考え私は首を振る。少なくとも、今の私の言語能力では、うまく言い表せられないことは確かだったから。
私はぼそりと呟く。
「私たち、結構いい友達になれたと思うんだけどな」
私はあの子が好んで読んでいたという小説をパラパラめくる。読み返されすぎて、草臥れた感の出ている、米澤穂信のボトルネック。少なくとも小説のセンスは、合いそうだったから。