密かな恋心の顛末
ニサップ王国王都にある、モレネス侯爵家の王都の屋敷にて。
「ロレナお嬢様……。ご婚約者であられるホアキン様はいらっしゃいませんね」
「ええ、そうね……」
心配そうな侍女の言葉に、ロレナはため息をついた。
ロレナ・ファビオラ・デ・モレネスは、モレネス侯爵家の長女である。今年十五歳を迎え、社交界デビューしたばかりだ。
ロレナはふわふわとしたアッシュブロンドの髪にサファイアのような青い目で、どこか儚げな印象の令嬢である。
そんなロレナは幼い頃からカリージョ公爵家長男ホアキンと婚約している。この婚約は家同士の政略的なものだ。ロレナの婚約者であるホアキンはロレナより三つ年上の十八歳である。
以前はホアキンとよく交流していたが、ホアキンがロレナよりも先に社交界デビューしてからはあまり交流がなくなっていた。
この日も王家主催の夜会が王宮で開催され、ロレナはホアキンにエスコートされる予定だった。
しかしホアキンは一向に迎えに来る気配がない。
「きっとまだ子供な私よりも素敵な方がいるのでしょうね。今日もリャウリ男爵家のモデスタ様と一緒だと思うわ」
ロレナは再びため息をついた。ロレナのサファイアの目は、諦めの色に染まっている。
ホアキンが社交界デビューして以降、彼はリャウリ男爵令嬢モデスタと懇ろな関係であることはロレナの耳にも入っていた。
ようやく十五歳になり社交界デビューしたロレナと、現在十八歳のモデスタ。
ホアキンにとってモデスタの方が年も近く魅力的に映ったのだろう。
ロレナはモデスタと知り合いではないが、夜会で一度だけ彼女の姿を見たことがあった。
自分とは違い、モデスタは豊満な体型で独特の色香をまとっていたのだ。
「そんな、ロレナお嬢様はとても魅力的でございます。モデスタ様は独特の色香があると評判ですが、私から言わせるとあんなのは娼婦と同じでございますよ。ロレナお嬢様の方が何倍も、何百倍も素敵です」
「ありがとう」
侍女からの励ましに、ロレナはふわりと微笑んだ。
その時、ロレナと侍女がいる部屋の扉がノックされた。
「ロレナお嬢様、カリージョ公爵家から迎えの馬車が来たようです」
扉の向こう側から聞こえた使用人の声に、ロレナはサファイアの目を丸くする。
「まあ、カリージョ公爵家から……。ホアキン様かしら?」
まさか自分を迎えに来るとはと意外に思った。
しかし、馬車の中にいたのは別の人物だった。
「ロレナ嬢」
「まあ、アルマンド様……!」
「やはり兄上は迎えに来なかったのか。ロレナ嬢、兄が本当にすまない」
ロレナを迎えに来た令息は、心底申し訳なさそうな表情だった。
アルマンド・イグナシオ・デ・カリージョ。今年十六歳になるカリージョ公爵家次男で、ロレナの婚約者であるホアキンの弟だ。
黒褐色の髪にエメラルドのような緑の目、穏やかな顔立ちの令息である。
「兄の代わりに僕が君をエスコートしても良いだろうか?」
アルマンドの手はロレナに差し出される。エメラルドの目は、真っ直ぐロレナに向けられていた。
「アルマンド様……」
ロレナの胸はトクンと高鳴った。
ロレナはアルマンドとも幼い頃から交流があった。彼は昔からこうしてロレナのことを優しく気遣ってくれているのだ。
「よろしくお願いしますわ」
ロレナはアルマンドの手を取り馬車に乗り込んだ。
こうして、ロレナはアルマンドにエスコートされて王宮の夜会会場入りしたのである。
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「やはり兄上はモデスタ嬢といるか……」
「そのようですわね」
ロレナは会場中央でモデスタとダンスをするホアキンを見つけてため息をついた。
アルマンドと同じ黒褐色の髪にエメラルドのような緑の目。しかし、顔立ちはアルマンドと違い凛々しい。ホアキンは父であるカリージョ公爵家当主に、アルマンドは母であるカリージョ公爵夫人に似ているのだ。
そしてホアキンとダンスをしているリャウリ男爵令嬢モデスタ。豊満な体付きに独特の色香をまとい、ホアキンだけでなく周囲の令息達の視線も奪っている。
「ロレナさん、アルマンド」
不意に、上品な声に呼びかけられた。
そこにいたのは黒褐色の髪にエメラルドのような緑の目の、優しげな顔立ちの女性。
「ドローレス様……」
「母上……」
ロレナとアルマンドの声が被った。
二人に声をかけたのは、カリージョ公爵夫人ドローレス。ホアキンとアルマンドの母である。
「ロレナさん、ホアキンが本当に申し訳ないわ」
ドローレスもホアキンとモデスタの様子も見てため息をついていた。その表情には若干の呆れが見られる。
「いえ……。私にもっと魅力があれば」
「ロレナ嬢は十分魅力的だ!」
ロレナの言葉はアルマンドに遮られた。
彼のエメラルドの目は真剣だった。
アルマンドの言葉に、ロレナは頬を赤く染める。
「ええ。確かに、ロレナさんは魅力的よ。私もそう思うわ」
ドローレスは二人の様子にクスクスと楽しそうに笑っている。
「それにね、ロレナさんには是非カリージョ公爵家に嫁いで来てもらいたいのよ。私自身、貴女を気に入っているの」
ドローレスはそっとロレナの手を握る。その表情は非常に穏やかで優しいものだった。
ロレナは表情を綻ばせる。
「ドローレス様……ありがとうございます」
嫁ぎ先予定の女主人からそう言われることはロレナにとって非常に光栄である。
ホアキンとの仲に不安なところはあるが、ドローレスとの関係は良好なのだ。
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そんなある日、モレネス侯爵家の王都の屋敷に連絡もなしにホアキンが押しかけて来た。
おまけに彼の隣にはモデスタがいる。
ロレナは嫌な予感がした。
「ロレナ、君との婚約は破棄させてもらう。俺に似合うのは君じゃなくてここにいるモデスタだ。悪く思うなよ。昔から俺の婚約者が三つも年下の君であることに耐えられなかったんだ」
あまりにも一方的な物言いである。
その隣でモデスタはロレナを小馬鹿にしたように笑う。
「ごめんなさいね。でも、大人の色気を持たない貴女にも原因がありますのよ」
「本当にその通りだ。もう王家の方に俺達の婚約破棄に関する書類を提出している」
ホアキンの言葉にロレナはサファイアの目を大きく見開いた。
王家に提出する婚約破棄に関する書類には、ロレナとホアキンの署名が必要なのだ。しかし、ロレナはそのような書類に署名をした記憶がない。
「あの、ホアキン様、私署名をしておりませんわ」
困惑し、ロレナの声は震える。
「そんなの、君はごねると思ったから代わりにモデスタが君の名前を書いただけだ」
それを聞いたロレナは顔を真っ青にする。
婚約破棄の書類は代理人による署名が禁止されているのだ。
署名の偽装に関わった者は処罰される。
その後のホアキンからの言葉は頭に入らなかった。
ホアキンとモデスタが帰った後、ロレナは急いで両親に相談に向かった。
「何だって……!? 署名偽装により勝手に婚約破棄……!? 大切な我が娘に何てことを……!?」
「でも、ロレナが罪に問われることはないわ。悪いのは全面的にホアキンとモデスタよ」
父も母も、ロレナの為に怒ってくれた。
そして両親はカリージョ公爵家に一連の出来事を伝えると、すぐにカリージョ公爵家当主、ドローレス、アルマンドがロレナの元へ謝罪にやって来た。
「ロレナ嬢、この度は愚息が本当に申し訳ない! 私が育て方を間違えたせいだ!」
「ロレナさん、本当にごめんなさいね。貴女に不安な思いや大変な思いをさせたわ。貴女は何も悪くない。罪に問われるのは愚息ホアキンとモデスタだけよ。あれの親である私にも、罪はあるわね」
「ロレナ嬢、兄が本当にすまない。家で何度も注意をしてみたが、こんなことになるとは……。僕に出来ることがあれば、何でもする」
これでもかというくらい真摯に謝罪され、逆にロレナはたじろいでしまう。
「いえ、その、私は何ともありませんでしたし、大丈夫ですわ」
ホアキンとモデスタによる署名の偽造はすぐに告発され、二人は逮捕されたのだ。
ロレナへの被害は特にない。
「それで、これからのことですが……」
ロレナの父はそう切り出した。
ホアキンの逮捕によりロレナの婚約はなくなった。
そしてホアキンは廃嫡となり、新たにアルマンドがカリージョ公爵家を継ぐことになったのだ。
モレネス侯爵家としてはカリージョ公爵家との繋がりは欲しいものの、ロレナの幸せが最優先というスタンスだ。
そこへ、アルマンドが「あの」と控えめに手を挙げる。
「日を改めて申し上げた方が良いことは承知しています。ですが……ロレナ嬢を、僕の妻として迎えることをお許しいただけるでしょうか」
「え……!?」
アルマンドの言葉に、ロレナは驚きを隠せなかった。
それと同時に、心臓が跳ねる。
「アルマンドくん……!」
ロレナの父も驚いていた。
「モレネス侯爵閣下、モレネス侯爵夫人、そしてロレナ嬢は、兄がしでかしたことにより我がカリージョ公爵家へ不信感があるでしょう。一度失った信頼を取り戻すことがどれ程難しいか承知しております。ですが……僕は、ロレナ嬢と人生を共にしたいと思うのです。ロレナ嬢の幸せの為なら……この命を賭けても構いません」
アルマンドは覚悟を決めた表情である。エメラルドの目は力強かった。
「アルマンド様……!」
アルマンドの真剣な想いに、ロレナの胸は戸惑いと幸福感でいっぱいになる。
ロレナの両親は少し戸惑っていた。
アルマンドの両親は、どんな結果でも受け入れるスタンスである。
「アルマンドくん、君の覚悟は分かった。後はロレナ次第だ。ロレナ、お前はどうしたい?」
「私は……」
ロレナはゆっくりとアルマンドの方を向く。
「アルマンド様と人生を共にしますわ」
最初からロレナの答えは決まっていた。
幼い頃から優しく、ロレナのことを考えてくれていたアルマンド。ホアキンと婚約していたとはいえ、そんなアルマンドを好きにならないはずがなかった。今まで蓋をしていた想いに、ロレナは素直になることが出来たのだ。
「ロレナ嬢……! ありがとう……! この先もずっと君を愛すると誓うよ」
「私も、ずっとアルマンド様を愛すると誓いますわ」
こうして、ロレナは新たにアルマンドと婚約した。
アルマンドの父であるカリージョ公爵家当主も、アルマンドの母であるドローレスもロレナに良くしてくれている。
ロレナは幸せいっぱいだった。
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数ヶ月後、ロレナとアルマンドの結婚式にて。
純白のドレスに身を包んだロレナと、純白のタキシードをまとったアルマンドを見て、ドローレスは満足そうに微笑んでいた。
(カリージョ公爵家の血を引かないアルマンドが次期当主になる。私の計画通りだわ)
ドローレスはカリージョ公爵家に嫁ぐ前、生家の使用人の息子パベルと恋仲だった。
パベルは兄の遊び相手としてドローレスの生家に連れて来られたのだ。
ドローレスは兄を通してパベルとも交流し、二人は惹かれ合った。
しかし、貴族であるドローレスと平民のパベルは決して結ばれることは許されない。
ドローレスはパベルを想ったままカリージョ公爵家に嫁ぐことになった。
現在の夫との間にホアキンが生まれるが、ドローレスはホアキンを息子として愛することが出来なかった。
おまけにドローレスは結婚後もパベルへの想いが色褪せることはなかったのだ。
そんなある日、カリージョ公爵家が新たな使用人を募集していた。ドローレスはすぐに使用人としてカリージョ公爵家にパベルを呼び寄せたのだ。
パベルもずっとドローレスを想っていたようで、二人が深い仲になるのに時間はかからなかった。
こうして生まれたのがアルマンドである。
これはドローレスの墓場まで持っていく秘密である。
ドローレスの夫や他の使用人達は彼女とパベルの関係に全く気付いていないのだ。
自分に似て、更に愛する男性の血を引くアルマンド。
ドローレスはアルマンドが可愛くて仕方なかった。そしていつしかアルマンドにカリージョ公爵家を継がせたいと思うようになったのだ。
完全なるお家乗っ取り計画である。
おまけにホアキンの婚約者になったロレナも気に入り、アルマンドの婚約者にしたいと思うドローレス。
ロレナとアルマンドを幼い頃から交流させ、お互いが惹かれ合い始めたのを確認したドローレスはほくそ笑んだ。
おまけにホアキンと婚約しているから気持ちを隠そうとするロレナが可愛いとすら思ってしまう。
そして、ホアキンが社交界デビューした頃、ドローレスは彼にリャウリ男爵令嬢モデスタを接触させた。
ドローレスの思惑通りホアキンはモデスタに夢中になり、ついには署名を偽装してまでロレナと婚約破棄をした。
こうしてドローレスはカリージョ公爵家の血を引くホアキンを排除し、アルマンドを次期当主にすることが出来たのだ。
現在、アルマンドはロレナと共に幸せそうに微笑んでいる。
「私は幸せ者だわ。パベル、紅茶を入れてくれるかしら?」
「承知いたしました。ドローレス様。貴女の為なら」
ドローレスはパベルと共に微笑み合っていた。
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