氷河の夜2
「なるほど。その[氷河の夜]というオカルト話を耳にしてあなた達は夜の学校に忍び込んだと。」
「そうですね。」
「はい!」
詠の言葉と芥丸の馬鹿正直な答えが響く。
「っていうか二降先輩もオカルト好きとは知らなかったなー。」
「…まあそうね。私だって気になっていたもの。あんなばかげた話。1時間くらい前から待っているけれどまだ特に変化はない。だから直接自分の目で確かめないと気が済まないわ。」
「やっぱり二降先輩って近くで見ると綺麗…スタイルいいし髪もサラサラ…あたしと全然違うなあ。」
「私としても気を使っているところだから、素直にありがとうと言っておくわ。豊花ひのりさん、だったかしら。」
「あたしのこと知ってるんですか!?」
「あなただけね。あなた以外の2人は知らないけれど。下級生でもなんとなく目立つ人しか知らないわ。」
「うっ!まあ流石に認知はされてないか…俺、芥丸太我って言います!好きです!付き合ってください!」
「嫌。」
「…がはっ!」
気持ちが入りすぎて初対面で告白するという暴挙に出た芥丸は、吐血でもせんばかりの勢いで床に転がりながら悶絶していた。意中の人間に二文字で振られると人間はこうなるらしい。
「あれ?ちょっと待ってみんな!
「どうした豊花?」
ひのりが話の流れを断ち切ってカットインしてきた。
「もう22時8分!もう22時過ぎてるよ![氷河の夜]はやっぱりウソだったのかな?」
「本当ね。もう夜も遅いし貴方たちは帰った方がいいわ。所詮[氷河の夜]なんてただの与太話だったってことよ。」
「うーん…そうですね。明日も普通に学校あるし、ほら天札君も芥丸君も帰」
「二降先輩も一緒に帰りましょうよ。」
ひのりの言葉を遮りつつ口を開いたのは詠だった。
「先輩と言えど女性です。こんな夜中に一人で帰るなんて不用心ですよ。」
「気持ちだけ受け取っておくわ。私は別校舎の裏口から入ってきたから靴は向こうにあるのよ。」
「じゃあオレも行きますよ。」
「別にいいわ。」
「まあまあそう言わずに」
「いいって言ってるじゃない。」
「あ、天札君!私が代わりに二降先輩と帰るよ!同性だしいざとなったら天札君か芥丸君の携帯に連絡するしさ![氷河の夜]も噓だったし危ないことは多分起こらないって。」
「いや、豊花。違うよ。」
「え?[氷河の夜]は噓だったし、何も起こらなかったよ?あたしたちも早く帰らなきゃ。」
「いや、そっちじゃない。」
そして詠は確信を持って答えた。
「噓をついているのは二降先輩だよ。」
三章
「ど、どういうことだよヨム⁉二降先輩が噓をついてるって!」
正気を取り戻した芥丸が声を荒げた。そして詠は人差し指と中指と薬指を立ててゆっくりと話し始めた。
「3点.二降先輩の挙動と言動で気になることがある。一つは1時間くらい前から待っているっていう発言。芥丸、僕たちが本校舎を回り始めたのはいつくらいだ?」
「え?あー多分40分くらい前か。」
「そのくらいだよな。なのに、オレたちが見回り続けている間に一度も二降先輩と遭遇しないのは少しおかしくないか?しかも二降先輩が第六感で捉えられるような奴がいて、だ。」
「あ、確かに!俺の近くに二降先輩がいれば気配でなんとなく分かるのに、今回は何も感じなかった!」
「姿も見えないのに感じるの?あたし、芥丸君がちょっと怖いよ…」
「そんなもの彼の個人的な劣情でしょう。頼りにはならないわね。私が噓をついていると立証する材料にはできないでしょう。」
「劣情…。」
芥丸がみるみるしぼんでいくが詠は話を続けていく。
「確かにこれだけじゃ到底立証できないですよね。でもまだ二つあります。」
「…。」
「二つ、二降先輩は別校舎の裏口から入ってきたって言いましたよね。[氷河の夜]が起こるのは本校舎の2階ですよ。なぜ本校舎の玄関から入らなかったんですか?
「それは、まだ他の生徒や先生が残っていたら、まず見つかってしまうからよ。」
「条件は一緒じゃないですか?裏口から入ったって鉢合わせでもしたらそれは同じなはず。」
「より見つかる確率の低い方を選んだまでの事よ。」
「ね、ねえ天札君。もういいでしょ?二降先輩だって女の子なんだから、こんな夜に学校に居続けるのは怖いはずだよ。」
「ああ。それもそうだな。じゃあ最後に一つ。聞きたいことがあります二降先輩。」
詠はついに3つ目、最後の根拠を言おうとする。
はずだった。
詠は制服のズボンの右のポケットからハサミを取り出した。
「ふっ!」
そして自らの首にそれを刺した。
が、実際にそうはならなかった。
詠の腕と隣の壁をくっつけるようにそれは凍っていたのだ。
「…えっ。ヨム?…って氷!?」
「嘘…。今、二降先輩の腕から冷気が…これってまさか!」
「…ッ。自分が何をしたか分かっているの…。天札君ッ!!」
詠は冷気によって白く凍り付いた右腕を押さえながら答えた。
「すいません。でもオレ、知りたいって思っちゃったら、止められないんです。あなたが本当に[氷河の夜]の発生元だったらオレを凍結させてでも止めるんじゃないかっていう確信がありました。」
「異常よ!正気の沙汰じゃない…。私が能力を使用しなかったらあなたはケガじゃすまなかった!私が血の通わない、ただ自分の能力を振りかざすだけの人間だったらどうするの!?」
「でも止めてくれて、オレを助けてくれたじゃないですか。二降先輩は普通に命の恩人ですよ。」
「それは結果論でしょう!!他人に身勝手に命を預けないで!」
「ッ!二降先輩!後ろッ!」」
突如、二降澪奈の頭上から落ちてきたものは廊下の板を軽く粉砕し、大きくひしゃげていた。
そこにいたのは巨大な黒い影。暗がりで見えた赤い二つの発行体はその大きな血走った両眼。それは見た者に、生命の危機を感じさせていた。そしてそれがゆっくり月明りに照らされると、筋肉質な黒毛が見え、それは動物のような姿をしていることが分かった。
芥丸とその後ろに隠れたひのりが悲鳴を上げる。
「は…?何なんだよ…。何なんだよあれぇぇ⁉」
「お、お、狼?が二本足で立ってる…。」
詠を含め、この異常な状況に困惑する中、二降は口を開いた。
「ついに来たわね。目的は私でしょう。生憎だけれど異能持ちは私一人よ。他の三人は何の関係もないわ。」
そして口を開いたのは二降澪奈一人ではなかった。
「あぁ?関係なんてどうでもいいんだよ。確かにお前は多少でも痛めつけて回収するが、一部始終を見られたからにはそこのガキ共は消す。俺は猟犬として狩りをするだけだ。」
その巨大な狼が流暢に唸りを上げながら答えた。
「狼が喋った…。まさかあれの中身は人間なのか?」
「天札君。今すぐに二人を連れてそこの階段から外へ逃げなさい。私がそれまで時間を作るから。」
二降澪奈は右腕から冷気を発生させながら、視線も向けずに言った。
「確かにお前一人なら俺の異能、[吠える暴狼]から逃げられるかもなぁ。だがその3人を逃がしながらここから出られるとでも?ずいぶんと想定が甘ぇんじゃねぇかぁ!?」
そう言うと、巨大な狼男が二降に勢いよく飛び掛かった。
「吹雪く花弁!」
二降から放たれた超低温の空気が、一瞬にして数十本もの氷柱となり横の壁、床、天井を埋め尽くし、狼男の侵入を防ぐ。
「がっ!…ちっ!やはりシンプルな事象操作系の異能は強力だな。」
詠、芥丸、ひのりの三人は階段を下りて走って玄関へ向かっていた。
「くそっ!二降先輩があの狼の怪物と戦っているっていうのにここから離れることしかできないのかよ!」
「でも私たちにできることは何もないよ!二降先輩を信じて、逃げるしかない!そうしたら外で助けを呼ぼう!」
「(豊花の言う通り、確かに俺たちが外に出て安全を確保してから助けを呼んだ方がいい。でもこの脳裏にチラつく違和感はなんだ?何か重要なことを見落としているような…)」
そこまで考えて詠はこの状況に致命的な欠陥があることに気が付いた。
「悪い!芥丸、ひのり!オレは二降先輩の元へ行く!二人は外に出ずにどこかで身を隠してくれ!」
「え?天札君それってどういうこと!?」
「説明する時間が惜しい!今この瞬間だけはオレを信じてくれ!」
「っ!いいぜヨム!お前とはダチだけどそんな余裕のない顔のお前は初めて見た。っていうことは何かやべぇことになるんだろ?ひのりは俺が何とか守る!」
「芥丸…」
「その代わり二降先輩を頼んだぜ!」
「あぁ!俺に一任させてくれ!」
そういうと詠は踵を返して二降の元へ走り出した。
「間に合え…!そして俺より先に気づいていてくれ!」
「(校舎に入ってきたのはあの狼男だけじゃない!)」
「そろそろ脱出はできたかしら…。」
二降と狼男の戦いは二降が優勢だった。狼男の体は氷柱があちこちに刺さっていて足の指先などは凍結していた。二降の体には傷はなく、動きも特に万全そのものだった。
「これで分かったでしょう。無力化できるところまではやらせてもらうけれど、大人しくしていれば命までは奪わないわ。」
「けっ!慈悲深いことだな。だが流石にこれ以上やってもお前は狩れそうにない。それは素直に認めるぜ。」
「異能に目覚めた人間の典型例ね。これに懲りたら二度と自分の力に溺れることのないことね。上には上が必ずいるものよ。」
「ただ」
「?」
「俺一人だったら、の話だがな。」
狼男がそう言い終わった瞬間、二降の背中から衝撃が走った。
「なっ…!?」
「どうもー。いやー刺しちゃってすみませんねー」
「な…にが…。」
二降はその場にうずくまり、苦悶の表情で自分の異能で傷を冷やしていく。
「グッジョブですウォルフー。やっぱりパワー系の身体操作系は隠れ蓑としては100点ですねー。」
「本当に陰湿な異能だなイレーザ。根暗気質が透けて見えるぜ。」
「あー僕の、見えざる黒套あ、僕の異能ですね。夜17時以降にしか使えないんですけど、風景に同化できる能力なんですよー。でも危なかったですよ。ずっと隠れてはいたものの、あなたのド派手な冷気で巻き込まれそうになりましたし。」
「」
「いた!二降先輩!」
そこに階段を駆け上がってきた詠が現れた。
「やっぱり…!あの狼男だけじゃなかった…。もう一人別の奴がいたんだ。」
狼男の隣には小柄な黒いフードを着た眼鏡の30代前半くらいの男が立っていた。痩せ型でどこか不気味な雰囲気を醸し出している。
「天札君…⁉あなた…まだ逃げてなかったの?早く逃げ…なさい…。」
ただ事ではない様子に、詠は立ち上がれない二降に駆け寄りながら答えた。
「すみません。気づいたんです。校内に侵入したのは狼男だけじゃないって。その傷…あのフードの男にやられたんですか?」
「えぇ。なんとか…傷口を冷却したおかげで致命傷にはなっていないけれど。」
「僕の存在に気づいていたと?素人に気づかれるほどの凡ミスはしていないはずですがねー。大したものです。あなたは異能持ちではないはずですが。」
「ミステル。二降先輩とかあんた達みたいな能力の事か。第三者がいるって気づいたのは単純な推測だよ。あんたの横の狼男は、二降先輩を始末ではなく回収するってあのとき言ってた。確かにその図体なら運ぶことは楽勝だろうけど、22時をまわっていると言ってもまだ人の目もないわけじゃない。そして学校の駐車場にも車は置いていなかった。だとすると他にも仲間がいて、なにかしら運ぶ段取りは用意しているんじゃないかってね。まさかそれが透明人間とは思わなかったけど。」
「俺のミスだな。どいてろイレーザ。このガキは俺が文字通り始末してやる。」
「あぁそうだ。そこの狼男さんに聞きたいんだけど」
「あ?」
「その異能っていうのはどうやったら使えるようになるんだ?」
「ふん。仕方ねえ。死ぬ前に教えてやるか。」
「天札君…?何を…。」
「異能はな。ある日突然偶発的に目覚める超能力みたいなもんじゃねえ。自らの命が揺れ動く体験をしたとき、自分の本質と世界の意思がリンクすることでその身に現れる力の事だ。どんな異能が宿るかどうかは、その人間の本質に深く影響を受けると聞くぜ。」
「…?異能っていうのはアドレナリンみたいなものなのか?危機的状況になったときにその世界の意思っていうのはどう働くんだ?」
「はっ。んなもん知るかよ。ただ俺たちは…この世の中をぶち壊したかっただけだ。だからあの人に…。」
「…?」
詠はこのウォルフという狼男に一瞬恍惚が見えたような気がした。
「さぁてもうヒントも出し終わったしそろそろいいだろ。はぁっ!」
「(一階には芥丸と豊花がいる…。)くそっ!とりあえず二降先輩からこいつだけでも離さないとヤバいな!」
階段を上がって詠は3階にたどり着いた。だが狼男もとてつもない速度で追いかけてくる。詠との差は10mもなかった。
「おらっ!」
詠は設置されていた消火器を狼男に向けて発射した。
「ぬおっ!前が見えねえ!このクソガキが!」
そして後ろに滑り込んだ詠は、ここに来るときに調理室から拝借した包丁を思い切り横に振り被った。
「(よし!これで!)」
すると消火器の煙幕の中から大きく黒い腕が這い出て、詠の包丁を掴んだ。
「なっ…。」
「視界さえ封じれば先手を取れるとでも思ったか?俺は狼の能力を持ってるんだぜ?狼の嗅覚は人間の100倍。噛み砕く力は約1000㎏相当。捕食者の頂点の存在だ。どうやって生身の人間が一対一で勝てるんだよ?」
詠から包丁を奪い、勢いよく窓に投げつけると窓ガラスが割れ下に落ちていった。
そして凄まじい力で詠を窓に投げ飛ばす。
「っっっっ!がっ…。」
勢いよく窓ガラスが破れその破片が背中に刺さる。狼男は詠を掴んで叩きつけ、そのまま跳ねて外に飛び出しそうになる詠の首を掴んだ。
「せめてもの温情だ。縊り殺すのはやめてこのまま突き落としてやるよ。」
「…に…る……せ。」
「ふん。つってももう背骨も折れて呼吸すらも危うい。まともに声も出ねえか。じゃあな。あの女とあとのネズミ2匹は俺がちゃんと殺して、お前んところに送ってやるよ。」
そして詠は夜の虚空に放り投げだされた。
人間が命を落とすには十分な条件がそろっていた。