禍《マガ》1
序章・前 蒼い傷跡/誰よりもやさしい君へ
「(グラト…オレはやっと決心が着いたよ。遅すぎるくらいだけど…皆にならオレの全てを話せる。)」
天札詠と尸良咲絆奈。
この二人に何があったのかを。
彼らの顛末を。
― 約1年前 ―
「おはよーきぃちゃん。」
「あ!おはよう美穂ちゃん」
4月、今日から二人は新しく中学三年生になる。中学校生活最後の一年になる特別な年だ。新しいクラスになるので、間違えないように3年の下駄箱に移動し上履きに履き替えた。
「きぃちゃんごめんなんだけど、また国語教えてくれない?新学期になるから遅れたくないんだ。」
「全然!私も勉強になるからさ。美穂ちゃんは相変わらず真面目に勉強しててすごいなぁ私も見習わなきゃ。」
「ふふっ。きぃちゃんは本当に優しいんだから。」
少し気の強そうな見た目で、髪の毛を頭の上でお団子頭にした少女、美穂は思う。これだけ人に愛される子がいるだろうか。と。
透き通った長い茶髪で愛想も良く、先生と生徒関わらず信用されている清楚系女子。おまけにスタイルが良くて胸もある。少し童顔なのも拍車をかけていた。
美穂が知っているだけで4回は告白されているのを見た。そして全て断っているという話も知っている。
理由は美穂も知らない。
「そろそろ新しい教室へ行こうよ美穂ちゃん。…あれ?」
「どうしたのきぃちゃん。」
右手をおでこに当てて目を凝らしている長い茶髪の少女が見たのは
一階から二階へ上がる階段の近くで黒髪の男子が坊主頭の男子に殴られているところだった。
「てめぇ…人の彼女に色目つかってんじゃねぇぞ…」
「天札ァ!」
天札と呼ばれた男子が倒れて、口の端から血を流している。坊主頭の男子の友人らしき男が羽交い締めにし、すぐに立ち去ったが連れていかれる最後まで怨嗟の言葉を吐いていた。
そして殴られた方の男子も起きあがる。
「チッ…うっざ。」
怨嗟の言葉を吐き捨て、血を手の甲で拭って階段を上っていった。
それを見ていた美穂が口を開く。
「うっわ。進級初日から流血沙汰とかやば…朝から野蛮だね。」
「誰なんだろあの子…大丈夫かな。」
「あー…きぃちゃんって噂とかしないし、噂事態も知らないもんね。」
「?」
「あいつは天札詠。あたしたちと同じ3年ね。顔で騙されちゃダメだよ。あいつ人と全く関わらないから。いつもつまらなさそうにしてるし、笑ったところなんて見たことない。悪い大人と絡みがあるとか、二股かけて女の子にひどいことしてるとか悪い噂ばっかりなんだから。きぃちゃんも気を付けてね。」
♢
教室に着くと指定の席に自分の名前が書かれていて、早速そこに何人か座っていた。
残念ながら美穂は教室の窓側の真ん中の席。透き通った長い茶髪の少女は扉側の一番後ろの席だった。隣の席はもう埋まっているようだったがその顔を見て驚いた。
隣の席の男子は今しがた、殴られていた天札詠だったからだ。
「あーっ!」
透き通った長い茶髪の少女が目を丸くしながら指を指す。
「今朝殴られてた子だよね!初めまして!私は尸良咲絆奈っていうんだ。よろしふぁ~~ぁ…」
最悪だ。
まだ朝とはいえ、絆奈は自己紹介を言い終える前に特大の欠伸をしてしまった。
ただ、それは絆奈だけではなかった。
その天札詠という男子もつられてシンクロし、小さく欠伸をした。そしてつられてしまったのだと気づくと表情を消して、すぐさま教室から出て行ってしまった。
「ぷっ…あははははっ!あーお腹痛い。あの子面白いなぁ。」
それが天札詠と尸良咲絆奈の、出会いだった。
♢
それから、隣の席になってからは(一方通行ではあるが)二人の交流(?)は増え、授業中にこそこそ話すことも多い。
「ねぇねぇ、ヨミ君は得意な教科とかあるの?」
「…」
「おーい。ヨミ君?」
「…」
「…どんな女の子がタイプ?」
「…」
「私はねー。」
「…返ってこないからって一人で喋り出すな。」
「わっ、喋った。」
返ってきたらきたで驚く絆奈。
「…というかなんでいきなり下の名前なんだよ。」
嫌そうな顔で呟き、詠は机に突っ伏してしまう。一切人を寄せ付けない振る舞いでそこそこ学力は高めなのは何故なのだろう。
梃子でも動かないと踏んだ絆奈はちょっとした策を思いついた。空想の電球が絆奈の斜め上に出てくる。
「ごめんごめん。ヨミ君。もうしないからさ。」
「…」
「…」
「…」
「ふーっ…」
「!?□!△?◇??」
ガタガタガタンッ!!
なぜか詠が授業中にも関わらず、真っ赤な顔をしてものすごい勢いで立ち上がった。
「あ、天札さん…どうしたのですか!?」
「い、いや別に…すみません。ただのこむら返りです…はい。」
先生の指摘に咄嗟に謎の言い訳をしてしまった。なぜか《《左耳を押さえた》》詠が隣の席の絆奈を睨むと、絆奈は小刻みに震えながら
「こむら返り…って…ふふっ…こむら返り…っ!」などと小さく呟きながら、なにやら机に突っ伏したままツボに入っていた。
「てめェ…マジで覚えとけよ…」
♢
「尸良咲さん。大丈夫?天札に何かされてない?」
詠と知り合って一か月が経ったころ、そんなことをクラスメイトに言われることが多くなった。その中にはお団子頭の美穂もいた。
「全然?ヨミ君は別に悪い子じゃないよ。」
「ヨミ君って…そんなに仲良くなったんだ。」
数日前、詠になぜ坊主頭の男子に殴られていたのかも聞いてみた。
詠が嫌々話してくれた内容によると、ある日の放課後に坊主頭の男子の彼女が、詠に言い寄っているのを見られたのが発端らしい。別に詠はその彼女と面識はないが、弁明しようともしないため殴られた。とのこと。
絆奈がそれをクラスメイトに話すと、その日から少しだけ詠の噂は減った。
♢
四か月が過ぎて夏休みも終わった。夏休み中は夏期講習などもあって会う機会はなかったが、席が隣で席替えもないため、ここまでかなり話す機会は多かった。それにあたって詠の方から絆奈に話しかけることも少しずつ増えてきた。
放課後、誰もいない教室で二人は席に座っていて話している。
「あのさ。これまで何度も何度も言ったけどオレなんかに構っていいのか?」
「え?なんで?ヨミ君と居るとすごく楽しいよ!」
詠には自分に悪い噂が流れていることを知っている。この目の前に居る少女がそれに巻き込まれるなんてことがあったら目も当てられない。なぜかは分からないがそれは避けたい。
「他に友達なんて腐るほどいるだろ。隣の席だからってここまでオレに干渉する理由は何なわけ?」
「うーん、友達は野菜や果物じゃないから腐ったりはしないと思うけど。」
「そういうことじゃねぇよ。オレに構うなって言ってんだよ。」
「だったらなんで」
「そんな泣きそうな顔、してるの?」
「ッ!」
泣きそうになってた‥?
オレが?
絆奈のその目は目の前で転んでしまった幼児を見るような目だった。
昔から詠は人に興味を持つことができない人間だった。足並みを揃えるなんて以ての外。
巻き込む、巻き込まれる、迷惑をかける、かけられる。それらを経験し人との縁すら、ある時煩わしくなってしまったのだ。
そこからは早かった。一切の交流を断った詠は、人がますます分からなくなり孤立した。人が何に喜び、怒り、哀しみ、楽しいと感じるのか。分からなくなった。
クラスメイトの名前は一人も覚えていない。
それなのに絆奈と話す時間が、少しでも居心地がいいと思う自分が、許せなかった。
自ら不要だと捨てたものを自分で拾いに戻るなど、あってはならない。
「…黙れよ。」
「黙らない。」
「ッ!お前ッ!」
詠は逆上して座っていた絆奈を掴んで地面に押し倒した。
椅子が音を立ててひっくり返り、絆奈が倒れる。
「痛っ…!」
そして詠は絆奈に馬乗りになり
残暑で汗ばんだ絆奈のブラウスのボタンに手を伸ばす。
が、そこで詠の手は止まる。
「…できないよ君には。私にはわかる。」
「…」
「私をわざと傷つけて、距離を取ろうとしたんでしょ。」
「違う…」
顔を見られないように目を逸らす詠を、絆奈はじっと見つめる。
「オレと居たら…ダメなんだよ。自分が、君みたいな子、オレには眩しすぎるから…だから傷つけたくなくて…傷つけて…っ」
やっとの思いで振り絞った言葉はもうめちゃくちゃだった。人間の感情はとても聞き分けが悪い。
【離れてほしい】
【離れないでほしい】
この二つが同居する感情の渦中に詠はいた。
伝わらないのを覚悟で、馬乗りになったまま絆奈にぽつりぽつりと話す。
「ふふっ…いいよ。ゆっくりで。」
ダメだ。
今、絆奈を見たら感情が溢れてしまう。詠は極力見ないようにしているが、同時に心の中では絆奈にもう喋らないでくれと祈っていた。
「私は知ってるよ。人が通らないところに置いてある花壇に水をあげてるのも見た。人が落としていったゴミに気づいて何も言わずに捨てるのも見た。体育の授業で怪我をした子の机の上にこっそり絆創膏を置いてるのも見た。だから」
「分かりづらいけど、ヨミ君は誰よりもやさしい人だよ。」
もう限界だった。声を押し殺して手で覆い、見られないようにして
いつぶりかも分からない涙を流した。
嬉しかった。自分で捨てたはずなのに、欲しかった言葉を絆奈はくれた。
心が、熱かった。言葉の温度というものはこんなにも暖かい。それを知った日だった。
涙する詠を下ってきた西日が穏やかに照らしている。
「‥あの~ごめん、そろそろどいてもらえないかな?」
「え?」
「こんなところ、誰かに見られたら流石にまずいかな~。この態勢はちょっと‥」
女の子に馬乗りになったまま泣きはらす男。冷静に考えなくても、この構図は非常にまずかった。
「っ!?ごめん!すぐ退くから…!」
「ふふっ。そういうところも、ね。」
詠はその翌日から少し雰囲気が柔らかくなったと噂されていた。
詠の心に芽生えたのは、確かな熱と絆奈への
純然たる愛だった。
だが
この世界にはこんな言葉が存在する。
【人間はそう簡単に変われない。】




