7話:奇跡と異変の兆し
奇跡は、起こるよ……!
砂漠の昼は容赦なく太陽が照りつけ、夜には冷たい風が吹きすさぶ。
そんな厳しい自然の中でも、カリムとナディールはなんとか日々の生活を送っていた。
ナディールの力を知る者はほとんどおらず、奴隷商人でさえも彼の正体を知らなかった。
だが、ナディール自身の優しさとカリムへの思いから、彼は少しずつ自らの力を使い始めていた。
その日は特に厳しい乾季で、商人の一行が立ち寄るオアシスの水は限界に近づいていた。
奴隷商人は機嫌を損ね、苛立った様子でカリムに当たり散らしていた。
「おいカリム! さっさと水を汲んでこい!」
カリムはその命令に従い、干上がりかけたオアシスへと向かった。
彼が水汲みをしている姿を見て、ナディールが静かに近づいてきた。
カリムはその視線に気づき、優しく微笑んだ。
「ナディール、今日は特に水が少ないな。
これ以上ここで待っていても、もうどうしようもないかもしれない」
カリムの言葉にしばらく考え込んだ後、ナディールは小さな手を水面に伸ばした。
「僕、少しだけ力を使うよ。
オアシスの水を少し増やせるかもしれない」
「そんなことができるのか?」
「僕、一応精霊ですから」
ナディールの嘘っぽい拗ねたフリに、カリムは思わず吹いてしまった。
ナディールが静かに目を閉じると、かすかな風が彼の周りに巻き起こった。
そして……オアシスの水がゆっくりと湧き出し、徐々に満ちていった。
ほんの一瞬前まで干上がりかけていた水辺が再び潤いを取り戻していく様子に、カリムは目を見張った。
「すごい……こんなことができるんだな!」
ナディールは少し照れたように笑い、手を離した。
「ほんの少しだけどね。
でも、君が困っているときには、僕が助けてあげたいんだ」
「ありがとう、ナディール。
君のおかげで皆が助かる」
カリムはナディールの肩に手を置き、心から感謝した。
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その後、ナディールはカリムのために幾度となく力を貸し続けた。
彼の心優しい性格と、カリムへの深い友情から、精霊としての能力を惜しみなく使うようになったのだ。
カリムもまた、ナディールの力を借りることで色々なことがうまくいき、徐々に自信を取り戻していった。
ある日、カリムとナディールは市場での商売に出かけた。
オアシスの一件で奴隷商人が機嫌を良くし、二人に認める自由の範囲を大きく広げたのだ。
カリムは貴重な宝石を扱う商人の一団に近づき、その品物を手に入れようと交渉を始めた。
しかし、彼が持っていたわずかな財産では、高価な宝石を手に入れることは難しかった。
「やはり、これでは足りないか……」
カリムが肩を落としたその時、ナディールがこっそりとカリムの手を握り、静かに囁いた。
「僕が助けてあげるよ、少しだけね」
ナディールは再び力を使い、商人の目の前に光の粒子を漂わせた。
それはほんの一瞬のことで、商人は不思議そうに目を瞬かせた。
しかしすぐに笑顔を見せると、カリムに対して予想外に良い取引を持ちかけた。
「君は運がいいな。
今日だけ特別に、この宝石を少し安く譲ってやろう」
驚いたカリムはその場で取引をまとめ、見事に宝石を手に入れることができた。
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「すごいぞ、ナディール!
君のおかげで本当に成功した!」
カリムは歓喜の声を上げたが、ナディールは少し疲れた表情を見せた。
「ん……? どうした、ナディール。
具合が悪いのか?」
「そんなことないよ。
少し、疲れちゃっただけさ」
「そうか? でも……」
「大丈夫、僕は君のために力を使いたいんだ」
ナディールは微笑みながらそう言い、カリムに寄り添った。
僅かに違和感を憶えつつも、カリムはナディールの頭を撫でる。
なんだか家族を思い出すようだった。
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一方で、砂漠の風景には次第に異変が起こり始めていた。
オアシスの水は再び枯れ始め、周囲の植物は干からびていった。
また、盗賊たちの問題も頻発するようになり、各地では次々と事件が起こっていた。
襲撃や盗難が増え、人々の間には不安が広がってゆく……。
「最近また物騒な噂話がやたらと流れてくるなぁ……。
ナディール、カリム。お前らも気をつけろよ」
そう声をかける奴隷商人は、機嫌良さそうに金品を数えていた。
カリムとナディールの商売で成功させてきた売上ばかりだ。
「物騒な噂ね……。
盗賊騒ぎは前からだが、オアシスの件は確かに気になるな」
気になる……簡単に口にするが、しかしカリムは真剣に考えようとはしていなかった。
そういうこともあるのか、くらいの思考である。
それは彼が薄情だからでも、自然に対して無関心だからでもない。
今の彼の最大の関心事が他にあるからだった。
「ナディール。
なあ、ナディール!」
「……え?
な、何? カリム」
一方で、ナディールはオアシスの件に最大限の関心を払っていた。
心当たりがあったのだ。
だから今、カリムと次の商売の話をしているのに、彼と違ってぼうっとしてしまっている。
「ナディール、もう少しだけ力を貸してくれないか?
次の取引を成功させれば、俺たちの生活はもっと良くなるんだ」
「……うん、わかった」
ナディールは少し戸惑った表情を見せたが、彼を失望させたくない一心で再び力を使った。
彼の手から発せられるかすかな輝きはカリムの身に宿り、次の商売の成功を約束する。
「ありがとう、ナディール。
これで俺たちはもっと豊かになる!」
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後日、カリムは市場で再び成功を手にし、喜びに満ち溢れた。
だがその帰り道、ふとオアシスに目を向けると、そこにはかつての豊かな水源などほとんど残っていなかった。
干上がった窪地の底が露わになり、周囲の草木は茶色に変色していた。
「おかしいな……こんなに早く水が枯れるなんて」
カリムは眉をひそめたが、それだけだった。
オアシスのために寄り道しようともしない。
ナディールもまた、自分の力が砂漠に与える影響に気づき始めていたが、カリムのために力を使うことをやめられずにいた。
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夜、二人は再び焚き火の前で語り合っていた。
カリムはこれまでの成功に感謝し、さらに未来への希望を語った。
しかしナディールの表情はどこか浮かないものだった。
「……カリム。
僕が力を使うと、砂漠に異変が起こっている気がするんだ。
オアシスの水も枯れてきたし、盗賊も増えている……」
ナディールの言葉にカリムは一瞬驚いたが、すぐに笑って言った。
「そんなことはないさ、ナディール。
君のおかげで俺たちは成功しているんだ。
砂漠の異変は、たまたま……自然の摂理だろう」
「……うん……そうだといいけど……」
ナディールの不安は消えなかった。
彼はカリムを助けたい一心で力を使っていたが、その力が周囲に悪影響を及ぼしている可能性に気づいてしまったのだ。
それでも、カリムのために何も言えず、ただ静かに彼の隣に座っていた。
夜空には星が輝き、冷たい風が砂漠を吹き抜けていった。
その風に乗って、どこか遠くから……不吉な予感が、二人のもとへと近づいていた。
【続く】
不吉も、起こるよ……!