11話:葛藤と決意
難しい漢字は、読めない……!
砂漠の夜は冷たく、星々が遠くから地上を見下ろしていた。
カリムとナディールは静かな時間を共有していたが、二人の間に流れる空気には微妙な違和感があった。
カリムは成功に満ちた心で満足感を抱えていたが、ナディールの心には重い影が差していた。
精霊としてのナディールの本質は、自然と共存し、調和を保つことにある。
人間に力を貸すことはその本質からかけ離れた行為であり、彼自身もそれを理解していた。
しかし、カリムの願いを聞き入れて彼を助け続けるうちに、その境界線が曖昧になりつつあった。
「カリム、本当にこのままでいいのかな?」
砂の上を歩きながら、ナディールはカリムに静かに問いかけた。
彼の声には、深い不安と戸惑いが込められていた。
カリムは一瞬だけ足を止め、ナディールの顔を見つめた。
「どういう意味だ?」
ナディールは小さな手で自分の胸を押さえ、言葉を探した。
「僕は、精霊としてここにいるけれど……
本当は、人間に力を貸すことは僕の使命じゃないんだ。
自然を守り、調和を保つのが精霊の役割なんだよ。
だから……」
ナディールの言葉の続きは、カリムの笑い声で止められた。
「ナディール、君は俺にとって大切な存在だ。
それに、君の力があったからこそ、俺たちはここまで来れたんだ。
王に認められて、国も守れている。
君が感じていることは、きっと一時的な不安だよ。
俺たちがやっていることは正しい。
だから、心配しないでくれ」
「……うん……」
カリムの言葉は力強く、ナディールに安心感を与えようとしていた。
しかしナディールの心の中には、まだ揺れ動く感情が残っていた。
彼は、カリムが悪意なく国を守ろうとしていることを理解していたし、彼の純粋な善良さを信じていた。
それでも、精霊としての使命に反していることへの葛藤は消えなかった。
****
数日後、カリムは再び王宮に呼ばれた。
今回の招集はさらに重要なもので、国全体を守るためにカリムの力を借りたいという内容だった。
「カリム、お前の力はもはや我が国にとって不可欠だ。
盗賊の脅威は確かに減ったが、今度は砂漠の他の部族が我々に牙を剥こうとしている。
お前が彼らを抑え、国の安全を確保できるのならば、さらに多くの褒美を与えよう」
王の提案に、カリムは内心で大きく喜びながら、外見は冷静に対応した。
「王よ、私は国のために尽力いたします。
しかし、そのためにはさらなる準備が必要です。
私とナディールは、全力でこの問題に取り組む所存です」
カリムは頭を下げ、王に忠誠を誓った。
そして王宮を後にする際、再びナディールの力が必要になると心の中で確信していた。
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王宮を出た後、カリムはナディールを呼び寄せた。
以前のカリムであれば、ナディールの表情の変化に気付けただろう。
隠しきれない疲労と不安の色があることに。
「ナディール、今度はもっと大きな仕事だ。
砂漠の他の部族を抑えるために、君の力が必要なんだ」
カリムの声には期待が込められていた。
ナディールはすぐには答えなかった。
彼は自分の中に渦巻く感情と、カリムへの信頼の間で揺れ動いていた。
「カリム、僕は……」
ナディールは言葉を切った。
彼は、カリムを失望させたくなかった。
カリムは自分を家族同然に扱ってくれて、自分の生に光をもたらした存在だった。
カリムの善意が歪んでいるわけではなく、ただ彼が力に依存しすぎているだけなのだと、ナディールは信じようとした。
「……わかった、カリム。
僕、君のためにまた力を貸すよ。
でも、その代わり、終わったら少し休ませてほしいんだ」
「もちろんだ、ナディール。
君のことはいつも大切に思っている。
これが終われば、俺たちはさらに自由になれる」
カリムはナディールの頭を優しく撫でた。
その手のぬくもりを感じながら、ナディールは胸の中に湧き上がる不安を押し殺す。
そして、もう一度カリムに力を貸す決意を固めた。
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その夜、カリムとナディールは砂漠の外れにある部族の領地へ向かった。
部族は荒々しい戦士たちで知られており、王国にとって大きな脅威となっていた。
カリムは、彼らを力で抑え込む必要があると感じていた。
「ナディール、あの部族を抑えるために君の力を使ってくれ。
彼らがこちらに攻め込むのを防ぐんだ」
ナディールは深呼吸をし、小さな体に宿る精霊の力を解放した。
砂嵐が再び巻き起こり、部族の兵士たちは前に進めなくなった。
視界を奪われて混乱する彼らに対し、カリムは冷静に指示を飛ばして部族の進行を阻止した。
決着は呆気なかった。
土台、精霊が力を行使すれば人間に勝ち目などないのだ。
一瞬のうちに状況は決定し、部族の兵士たちは撤退を余儀なくされた。
カリムは勝利の笑みを浮かべ、ナディールの力に感謝した。
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その夜、ナディールは夢の中で奇妙な光景を見た。
砂漠の風景が変わり果て、オアシスの水は枯れ、動植物はすべて死に絶えていた。
異国の部族が、盗賊団が、奴隷商人が、物言わぬ骸と化して砂に埋もれていた。
その中には、カリムも……。
「はっ……はぁっ、はぁ……!」
目を覚ましたナディールは、汗ばむ体を起こし、カリムの寝顔を見つめた。
生きている。
生気に溢れた顔つきだ。
それも当然か……肉にパンに酒、最近は飲み食いに全く不自由しない。
砂漠で初めて会ったときに比べると、その印象もだいぶ違う。
今日生きるのにも必死なハイエナと、遠い未来まで夢見る獅子ほどに、はっきりと異なる。
それが喜ぶべきことかどうかまでは、今のナディールにはわからなかった。
「僕は本当に、このままでいいのかな……」
自分に問いかける。
答えは出ない。
カリムの善良な心に惹かれ、彼を助け続けることを決意したのは自分だ。
しかし精霊としての存在意義を揺るがす感情もまた、日に日に強まっていくのを感じていた。
【続く】
変わりゆく、カリム……!