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第6話 それは儚く消えた雪のように

車椅子に乗せられた絆が、渚に押してもらいながら病室に入る。

ベッドの上には、光沢がかった白銀の髪の毛をした女の子が座っていた。

長い髪の毛は綺麗に三つ編みにされている。

視力が悪いのか、眼鏡をかけていた。


「型番、T325だ。現存しているバーリェのどれをも凌ぐ、『ハイ・バーリェ』の中の最終形態といえる」


表情を変えない絆に、先に部屋に入っていた駈が椅子から立ち上がって口を開く。

絆は駈を一瞥してから、丸い目でこちらを見ている少女に対して声をかけた。


「言葉は分かるか? ここはどこだか、理解できているか?」

「勿論です、絆特務官様。私はT325番です。以前の記憶は、S678番より継承しております。姉が大変お世話になりました」


深々と頭を下げた彼女に、戸惑ったように絆は返した。


「記憶の継承に成功したのか……? じゃあ、圭のことを知ってるのか?」

「はい。私は前個体の全ての能力を引き継いでおります。それはすなわち、記憶の共有も成されているということであり、私は、それらの算出したマイナス要素を全て克服しております。必ずやあなた様のご満足いただける活躍をすることを、お約束いたします」


眼鏡の位置を小さな手で直した彼女に、絆は小さく笑いかけて、そして言った。


「圭は、何も間違ったことはしていない。お前も自然体でいい……これからお前のことを、『じゅん』と呼ぼう。問題はないな?」

「それがご命令ならば、そういたしましょう。私はあなた様のご命令に従い、全ての要素をクリアできます。通常のバーリェ、約二千体分の戦力とお考えくださいませ」

「…………」


また頭を下げた純から視線を離し、絆は機械のような彼女の調子に呆気にとられている渚を見た。


「この子のロールアウト時の資料をくれ」

「…………」

「どうした? 資料をくれ」

「は……はい!」


繰り返した絆に、ハッとして渚は懐に挟んでいた資料を渡した。

それに目を通している彼を見て、駈が口を開く。


「八○一号の凍結を解除する手続きをとっている。エフェッサーは全面的に世界連盟と争う意向だ。全く……こうしている間にも、どこが新世界連合の攻撃にさらされるか分からないというのに……悠長なものだよ」

「…………」

「君達には、本日づけでフォロントンに移動してもらうことになる。自然の壁の内部に突入して、新世界連合の拠点を叩く作戦に参加して欲しい」


弾かれたように顔を上げ、渚が引きつった声を発した。


「そんな……八○一号を使えないのに、どうやって戦えって言うんですか!」

「七○一型AADと同じタイプには凍結はかかっていない。全ての武装を積み込み、フルチューニングした君達専用の機体をロールアウトした。八○一号からしてみれば、スペックは落ちるが、通常戦闘を行うのには差し支えない性能の筈だ」

「……殲滅ジェノサイドシステムとは何だ?」


そこで絆が押し殺した声を発した。

黙り込んだ駈を見上げて、絆は低い声で続けた。


「おそらくS678は……圭は、過剰な人格調整をうけたがために、戦闘システムを有する人格とそれ以外の人格とで精神分裂を起こしていた。バーリェの精神エネルギーは『心』の力だ。だから、片方の人格のエネルギー指数がゼロになっても、八○一号は再起動したんだ……戦闘システムを有している人格が発現させた、『殲滅ジェノサイドシステム』の詳細を教えろ。今度の機体にも、それが積んであるのか?」

「…………」

「答えろ」


鉄のような声を発した絆に、駈は肩をすくめて返した。


「……頭が良すぎるというのも考えものだな。君は兵士には向いていない」

「茶化すな。真面目な話をしている」

「私は大真面目だよ。いつでも、君を茶化したことはない」


紙コップを手に取り、傍らのウォーターサーバーから水を汲んで口に運び、駈は息をついた。


「……殲滅ジェノサイドシステムは、全ての機体に搭載されているものだ。単に、それを起動できるバーリェが今迄いなかっただけの話だよ」

「どういうことだ?」

「元々AADは、『多数』の死星獣を駆逐するために開発された代物だ……私の口からはそれ以上のことは言えない」

「『多数』……?」


大規模戦闘を想定して作られていたとでも言いたいのだろうか。

話を打ち切ろうとした駈に、しかし絆は強い口調で続けた。


「仕様書には一切そんなことは書いていなかった。それに、マイクロホワイトホール粒子って何なんだ。どうしてバーリェが、死星獣と同じ力を持つことが出来る。知っているのなら、全てを話してもらうぞ!」

「…………」


駈は紙コップをクシャリと潰すと、無言でダストシュートに投げ入れた。

そして息をついてから絆を見る。


「一度にそんなに多量に質問をされても答えられんな。整理して話すことはできないのか?」

「人をおちょくるのも大概にしろよ……!」

「……一つ重要なことを教えよう。とは言っても、誓って言うが私達も『それ以上』は知らない。全ては元老院が情報を握っている」

「…………」

「バーリェと死星獣は、元々は一つのものだ。同じ『物質』から作り出された、人造生命体だよ」

「何だって……?」


絆は、その言葉の意味をすぐには推し量ることが出来ずに、思わず掠れた声を返した。


「死星獣が、『人造』の生命体だって……?」

「私も詳しいことは知らん。ただ言えることは、あれは新世界連合が『ロストテクノロジー』と呼ぶ、二百年以上前に存在していた技術を応用して創り出された生命体だということだ。だから、同種のバーリェでエネルギーを相殺することが出来る」

「誰が創り出してるって言うんだ、あんな害しか及ぼさない異形を!」


怒鳴った絆に、駈はサングラスの奥の瞳を淡々と光らせながら、静かに返した。


「……分からん。『誰か』であることは確かだが、それが分かっていれば苦労はしない。しかし、我々はこれだけは確信を持って考えている」

「…………」

「新世界連合は、死星獣を創り出す技術を持っている。何らかの装置か機構を入手したと考えて妥当ではないかと思うのだ。もしそうだとしたら、断じてその存在を許すわけにはいかない。破壊しなければならない」

「……絃が裏切ることを知ってたな。お前達は、それを知りたくて彼を泳がせようとして失敗した。違うか?」


問いかけられて、駈は一拍押し黙った後口を開いた。


「その通りだ。我々の捜査は失敗した。絃元執行官のことを泳がせ、今では新世界連合と名乗っている組織の実情を掴むつもりだった」

「どうして逃げられた? それくらいなら答えられるだろう」

「…………」


駈は息をついてサングラスの位置を直し、言った。


「生体エネルギー感知機器に頼りすぎていた……『天使一号』のせいだ。あれはあらゆる電磁波を吸収してしまう」

「は……?」

「絃執行官はそれをエフェッサーの本部から盗み出した」

「天使一号……?」


聞いたことのない単語に、絆は目を見開いて駈を見た。


「何だそれは……?」

「我々もそれが『何』なのかは分からない。分からないが、その物質はバーリェと死星獣の組成体の元となる物質だ。我々はそれを『天使』と呼んでいた」

「何なのか分からないものを使って、ここまでのことをしてきたのか!」

「ああ。だが、そのおかげで君達は死なずに済んでいる。結果が全てだ。学校でそう習わなかったかね?」

「だからって、許されることと許されないことというのがあるだろう」


押し殺した声でそう言い、絆は横目で純を見て言葉を止めた。


「……またの機会に、詳しい話を聞かせてもらう。あんたも、フォロントンに来るんだろうな?」

「無論だ。私が前線の指揮を執る」


駈はそう言って暗く笑った。


「十分な設備は用意しよう。出撃まで十二分に体を休ませたまえ。問答は、生きて帰ってこれたら続けよう」

「…………」


絆は吐き捨てるように呟いた。


「ああ、そうだな」



「……そうでしたか。それでは、特務官様はお姉様達に、圭お姉様がお亡くなりになったということをお伝えになっていないのですね」

「ああ」


絆は頷いて、駈が出て行った病室の中、純を真正面から見た。


「酷なことをしたとは思っている。しかし、真実を伝えるだけの言葉が、俺にはどうしても思いつかないんだ」

「…………」


首を傾げて純は不思議そうに言った。


「どうしてですか? 隠さずに仰れば良いのでは?」

「…………」

「圭お姉様は、無駄死にではございません。私という成功作を作り出すいしずえとなられたのです。名誉の死だと、私は思います。隠すのは、圭お姉様に対する冒涜のような気もします」


絆はそれを聞いて押し黙った。

純の言うとおりだった。

予想以上に素直で頭がいい個体のようだ。

見透かされたかのような言葉に、一瞬返す単語が思いつかなかったのだった。


「純ちゃん、絆特務官はいろいろとお考えなのよ……察してあげて」


渚にそう言われ、しかし純は納得がいかないという風に続けた。


「それとこれとは無関係だと思います。私は事実を客観的に述べているに過ぎません。特務官様は、私達を一体何だとお考えなのでしょうか?」


責めるような純の口調に、絆は顔を上げて彼女の目を見た。


「何だって……お前たちをか?」

「はい。お答えください」

「…………」


一拍押し黙って、絆は言った。


「俺達と何ら変わらない『生き物』だと思うよ」

「それが大きな間違いです」


純は即座に絆の言葉を否定した。

これほど真っ直ぐにバーリェに反抗されたのは初めてのことだったので、絆は思わず口をつぐんだ。


「私達は、人間ではありません。人間になろうとしても、人間にはなれません。特務官様がいくら頑張っても、私達は私達以上のものになることはできないのです。あなたが仰っていることは、私達にとってとても酷なことです」

「…………」

「圭お姉様が浮かばれません。どうか、私のことは『バーリェ』としてお扱いください。生体弾丸として、単なるシステムの一部としてお扱いください。それが、今迄に亡くなった全てのバーリェ達への供養となります」


衝撃を受けていた、という表現が一番正しいかもしれない。

純が言っていることは、分かっていた。

全て知っていて、その上での発言だ。

だから今更それを繰り返されたところで、何を感じるでもなかった。

しかし絆は、「誰かに怒られる」という経験を、産まれてこの方、殆どしたことがなかった。

考えてみれば、小さい頃から優秀であろうとしていた自分は、親にも、教師にも褒められはしたが怒られたことはなかった。

純が絆に向けていたのは、純然たる憤まん、怒りだった。

叩けば死にそうな外見をしているのに、その怒りは絆の心を強く抉った。


バーリェはバーリェであり、人間ではない。


分かっていたことだ。

そんなのは言われなくても分かっていて。

トレーナーを始めた頃から、自覚していることだ。

しかしそれを改めてはっきりと、他ならぬバーリェの口から言われると、また違う威圧感があった。


「…………お前は、死にたいのか?」


そう問いかけると、純は何の迷いもなく頷いた。


「はい。私は、それこそがバーリェの本質だと考えます」


絆は息をついて純から視線を外し、窓の外を見た。

桜の花も、そろそろ終わる時期だ。

……そういえば、バーリェ達の墓は、なくなってしまったな。

どこかに別の墓を作ってやらなきゃな、と頭の片隅で何となく思う。


「そう考えているうちは、お前は性能以上の力を出すことは出来ないよ」


しかし、だいぶ考えた末に絆が出した言葉は、純の言葉を否定するものだった。

純は眉をひそめて絆を見た。


「どうしてですか? 私は、通常のバーリェ二千体分の……」

「バーリェの生体エネルギーは、心の力だ。心っていうのは、理論では測れないものなんだ。お前がいくら頭が良くても、何もかもが計算どおりにいくっていうわけじゃない。その考えは、改めた方がいいな」


絆はそう言って、純に向かって軽く微笑んだ。


「まぁ、おいおい話していこう。お前の姉さん達を紹介する。ついてこい」


純はまだしばらく、釈然としなさそうに俯いていたが、やがて小さく頷くと立ち上がった。

圭のように四肢のどこかが欠損しているというわけではない。

仕様書を読む限りでは眠らない不具合も継承しているようだが、まさにパーフェクトなバーリェであると言えた。

言えたが、絆は同時に純を見て、猛烈な不安を感じてもいた。

圭の時には感じなかった不安だ。

この子の存在は、確実に「あってはならない」ものだ。

人間が到達していい水準を遥かに超えている。

それが果たして、自分達にプラスになるのか、マイナスになるのか分からなかったのだった。



大型の輸送機に乗り、フォロントンまで移動することになった絆達は、その日の夕方に、既に出発を終えていた。

輸送機とは言っても、バーリェの管理専門の航空機だ。

彼女達の精神を安定状態に保つための、最適な工夫がなされている。

いわゆる軍の殺伐とした空気ではなく、高級ホテルのような空間が広がっている輸送機だった。

流石に割り当てられた部屋はラボに比べれば手狭だったものの、特に不満という不満は見当たらなかった。


絆はソファーに腰を落ち着かせ、自分の腕に刺さっている点滴の台を引き寄せた。

高速で移動しているが、内部にはたいしたGはかかっていない。

昨今の技術の進歩には舌を巻かされる。

雪と霧は、難しい顔をしてチェスの駒の前で考え込んでいた。

その前で、純が猛烈な勢いで、数式が羅列されている本を読みながら、ビショップの駒を手に取った。


「チェックメイトです。二十五勝目をいただきました」


コトリと盤に駒が置かれる。

霧が浮かせていた腰をその場にへたれこませた。

雪が感心したように言う。


「凄いね……霧ちゃんには、私もあんまり勝ったことがないのに……」

「どうして勝てないんですか……私が、私がチェスで負けるなんて……」


プルプルと震えながら、霧は絆の方を見た。


「何が起こってるんですか、マスター!」

「まぁ……落ち着けよ。別のゲームもあるだろう」


絆がそう言うと、霧はムキになっているのか、純に向かって口を開いた。


「もう一回やりましょう。私が先行をさせていただきます」

「かしこまりました」


パチン、と本を閉じて純が駒を物凄い勢いで初期配置に戻し始める。

その様子を見て、渚が小さな声で絆に言った。


「機械みたい……」

「…………」

「あの子、生き物というよりはコンピュータに近いような……」


手を挙げて渚の言葉を制止する。

そして絆は、渚に囁くように言った。


「俺はどんな子にも平等に接する。それが方針だ」

「……すみません。口が過ぎました」


俯いて、渚が掠れた声を発する。

彼女も、絆も、体は全くもって本調子ではなかった。

特に絆は酷い。

右腕が複雑骨折して多数の金具が体の中に入っているのに加え、左足の各部が折れてしまっている。

左手の指も、いくつか折れ曲がってしまっていた。

息を吸うたびに折れたアバラが痛む。

動かない箇所だけ見れば、圭の状態に近かった。

渚も同様に怪我をしている。


驚異的なのは、主がそんな状態だというのに、全く外傷が見られない雪と霧だった。

バーリェの本能的な回避行動とでもいうのだろうか、彼女達には傷一つない。

特に格闘技を習っているわけでもないのに、圭の無茶な操縦にも適応していた。

またチェスの駒を動かし始めた霧を見て息をつく。

少しハラハラしたが、純は、二人に圭が死んだことは言わなかった。

ポーカーフェイスというのだろうか、穏やかな表情を張り付かせて、本を読んでいる傍らで霧をあしらっている。


既に霧は、カードゲームでも手痛い負けを喫している。

純は、全く手を緩めるつもりはないらしく、容赦なく短時間かつ効率的に霧の全ての手を叩き潰していた。

穏やかな顔をしているが、やっていることはえげつない部類に属する。

霧がムキになるのも、分かる気がする。

絆はまたチェスを始めようとした彼女達に向けて口を開いた。


「食事にしよう。一旦やめるんだ」

「マスター……でも……」


不満そうに霧が言う。


「フォロントンにつくまでに後三日はかかるんだ。そんなに急ぐことはないだろう。ゆっくりとやればいい」


そう言いながら、絆は傍らの渚にアイコンタクトを送った。

渚は頷くと、冷蔵庫に入っていたピザを取り出した。

それを小分けにして、レンジの中に入れる。


「ピザじゃないですか! 出前ですか?」


間の抜けた声を出して、霧がチェスから目を離してこちらに近づいてきた。

純がそれを見て息をつき、本にまた視線を落とす。


「コーラもあるぞ。急いで用意させた」


絆がそう言うと、雪が顔を上げて嬉しそうに言った。


「ありがとう。こんな時なのに、絆は優しいね」

「…………」


その笑顔に何か押し殺されたようなものを感じ、絆は口をつぐんだ。


「コーラ? 異常な高カロリーを持つ、コカ成分を含んだ炭酸飲料ですか」


パチンと本を閉じて、純が顔を上げる。


「興味があります。試飲させていただきたいです」

「いいぞ。ほら、飲んでみるといい」


絆はそう言って、動かない手で無理矢理にコーラの栓を開け、コップに注いだ。

それを純に差し出すと、彼女はしげしげとコップの中を見つめた。


「何ですか、これは炭酸の入ったコーヒーのようなものですか?」

「いや、甘いジュースだ。知識では知っているようだが、実際口にしてみないと分からんと思うぞ」

「美味しいよ」


絆からコップを受け取り、口につけながら雪が言う。

純はそれを見て、意を決したようにコーラを口に入れた。

途端、心底驚いたように慌てて口を離す。


「い……痛い……! 何ですか、これは。飲料ですか?」

「ああ。その刺激を楽しむ飲み物だ」

「やっぱり……いいです」


しゅんとして純がコップを返してくる。

それを受け取り、絆は口に運びながら彼女に言った。


「圭は美味しそうに飲んでたが」

「記憶はありますが……実体験をすることは初めてでございますので。ご存知のことかと思いますが、私達は性質や性能に個人差がございます。その影響で、私には合わないのかもしれません」

「そうか……」


呟いて、絆は黒い水面を見つめた。

圭も、最初はコーラの刺激に驚いていた。

雪もだ。

彼女だって最初の頃は、むしろ嫌がっていたように思える。

小さい頃からコーラが好きなのは、絆の方だった。

親に買い与えたもらった唯一の記憶だ。

だからこそ、なのかもしれない。

最初は中々馴染めなかった雪が、進んでコーラを飲むようになったのは、絆に気に入られようとしたがためだったのかもしれない。

それが高じて、ジャンキーのようになってしまったのだが、それもまた良い、と絆は思っていた。

霧は、純と同じようにどうにも苦手なようだった。

というより霧は、甘いもの全般が苦手だ。

同じバーリェでも、趣味嗜好は大幅に異なる。

温かいピザをそれぞれの皿に並べた渚に、雪がハバネロのソースをかけるようにお願いしている。

それを見て、純が「じゃあ私も」と乗っかろうとしたので、慌てて絆はそれを止めた。


「止めろ。ロールアウトしたばかりでハバネロなんて食べたら、舌の機能が一生使えなくなるぞ」

「……それは困りますね。どの程度私が生きていられるのかは分かりませんが、味覚が遮断されるのは日常生活に影響が出ます」


残念そうに純が言う。

霧と雪がそれを聞いて、怪訝そうに絆の方に顔を向けた。

妙な空気になった食事の場を、無理矢理に収めようと絆は手を叩いて


「いただきます」


と言った。

圭の記憶をちゃんと継承しているようで、純も雪、霧と全く同じタイミングでそれに続く。

ハバネロなんて、普通のバーリェが口にしたら味覚が壊されるだけではない、身体にも多大なる影響が出る。

刺激物は出来るだけ避けたほうがいいのだが、絆は雪に限ってはそれを特別扱いしていた。

何故か雪は、そういう刺激物に対してかなり強い体を持っているのだ。

医師達も首を捻っていた要素だ、

ハバネロをたらふくかけてもらい、美味しそうにピザを頬張っている雪を見て、絆は苦笑した。

あれだけの量は、いくら自分でも厳しいものがある。

霧はもとより刺激物に弱いので、ハバネロ系統はにおいだけで駄目だった。

だから心なしか雪から少し離れている気がする。

チビチビとピザをかじっている純に、絆は口を開いた。


「どうだ? ゆっくりとでいい。少しずつ食べるんだ」

「塩分および脂質が過剰に使われていますね。健康管理においては、あまり好ましくない料理です」


淡々と純が言う。

絆は呆れたように彼女に言った。


「まぁ……確かにそうだが。それが好きな人も世の中にはいるんだよ」

「非効率的です。ですが、料理を残すということはマナーに反します。きちんと最後までいただきたいと思います」


怒っているのか怒っていないのか判然としない口調で呟くように言うと、純はピザを食べる作業に戻った。

軽く肩をすくめて渚と顔を見合わせる。

そこで、霧が水を口にしてから純に言った。


「純ちゃんは、圭ちゃんの記憶を持っているんですよね?」

「はい。ある程度の記憶は継承しております」

「どのあたりまで知ってるんですか? 圭ちゃんは別の地区に行っちゃったんですよね。私、ちゃんとお別れを言えなかったことが、とても心残りで」


絆が一瞬食事の手を止める。

純は、しかし霧の方を見て何でもないことのように言った。


「戦闘後までの記憶は全て継承しております。ご安心ください。圭お姉様は、お姉様達にとても感謝をしておりました。気にすることはないと、私は思います」


絆は、思わず息を吐いて背もたれに体を沈み込ませた。

おそらく霧は、純粋に絆が言ったことを信じている。

雪は違うのだろうが、彼女に限ってはそうだ。

霧が質問をしたのは、単純に疑問に思ったから、それだけなのだろう。

純はそれを知っていて何食わぬ顔でさらりと嘘をついた。

バーリェは普通、隠し事が出来ないように人格を調整されている。

しかし純に限ってはそれが適用されていないらしい。

嘘をつくことが出来て、怒ることも出来るバーリェか……。

それが人間同士の関係として、本来は当たり前のことなのだろうが、目の前で見ると少し異様だ。

霧はピザを食べながら、嬉しそうに何度も頷いた。


「そうですか! それは良かったです。私、凄く安心しました!」

「霧、口の中にものを入れながら喋るな。行儀が悪いぞ」


注意すると、霧は慌ててピザを飲み込んで、水を飲んだ。

雪が手探りでハバネロソースを手に取り、ビシャビシャとピザにかける。

彼女から距離をとって、霧は絆に言った。


「ごめんなさい。気をつけます。それよりマスター、圭ちゃんには今度、いつ会えるんですか?」


純粋な彼女の瞳を受けて、絆を初めとした純以外の全員が硬直した。

雪までもが動きを止めた。

……やはりこの子は知っている。

圭が死んだことを。

雪の様子を見て確信し、絆は慎重に言葉を選んで口を開いた。


「……多分、戦争が終わったら会えるよ。頑張ろう」

「はい! 楽しみにしてます!」


頷いて霧が笑う。

それにぎこちない笑みを返して、絆はピザを口に運んだ。

釈然としない顔で彼を見ていた純は、一つため息をついて、また食事という作業に戻った。



雪と霧が眠りにつき、絆は頭を抑えて息をついた。

渚にも早めに休んでもらっている。

純は、相変わらずペラペラと数式が羅列された本を読んでいた。


「少し休め。横になるだけでいい」


絆がそう言うと、純は本を閉じて彼の方を見た。


「いえ……私は特段疲れを感じないように作られておりますので。そのような弊害を極力取り除かれています。ご心配には及びません」

「……そうか」

「私は大丈夫です。お休みになってください」


そう言って純は絆から視線を離し、また本を開いた。

確かに、純は普通のバーリェよりも格段に強く体がつくられている。

組成的には命に近い。

だからといって眠らないのは相当な負担のはずなのだが、絆はあえてそこは追求しなかった。

何かあれば、本人から言ってくるだろう。

そう思ったのだ。

しかし、だからと言ってバーリェを置いて一人だけ寝るのははばかられた。

不安が残る。

少なくとも渚が起きてくるまでは待っていようと、絆はソファーに体を沈み込ませた。

そこで、不意に部屋の中にチャイムが鳴った。

立ち上がろうとして失敗した絆を見て、純が代わりに立ち上がり、インターホンに近づく。


「はい、こちら273号室です」


彼女がそう言うと、通信の向こう側から、どこか引きつった声が聞こえてきた。


『……絆特務官はいらっしゃるかしら? 椿です』

「はぁ、いらっしゃいますが」


純はそう言って首を傾げた。


「現在時刻は二十三時三十五分を回っております。深夜帯でのご訪問は、原則としてお受けできないことになっております。失礼ですが、私がご用件をお伝えいたします」

『バーリェが……! 私に意見するっていうの?』


押し殺した声を返され、しかし表情を変えずに純は淡々とそれに返した。


「それとこれとは別問題だと、私は思います。私は客観的事実を述べているに過ぎず、非難を受けるいわれはございません。拘束規定事項第二十三条四項に……」

「やめろ純……すまなかったな、入ってくれ」


慌てて絆は立ち上がり、松葉杖に寄りかかるようにして体を引きずり操作パネルに近づき、ドアのロックを解除した。


「特務官様……対応時間外です」


怪訝そうに問いかけてきた純に


「いいんだ」


と一言だけ返し、壁によりかかる。

扉が開き、どこか憤っているような顔をしている椿が部屋の中に入ってきた。彼女は横目で、また椅子に座り込んで本を読み始めた純を睨むと、絆に言った。


「夜分遅く失礼しますわ。少し、お話したいことがありますの」

「大丈夫だ。さっきはあの子が先走った。ロールアウト直後だから、世情にはまだ疎い。察してやってくれ」


そう言って、絆は体を引きずりながらソファーに腰を下ろした。


「こんな状態だから、セルフで勘弁してくれ。冷蔵庫に冷えたコーヒーが入ってる」

「いただきますわ」


頷いて、椿は冷蔵庫から二つコーヒーの缶を取り出すと、一つを開けて絆に差し出した。

それを受け取り、絆は前のソファーに腰を下ろした椿を見た。


「その様子だと、一斉攻撃から生還したみたいだな。良かった。安心したよ」

「……別に心配をされるいわれはありませんわ。私達は戦闘に負けたし、逃げたのですもの。最後まで戦っていたのは、あなた達だけでしたから」


吐き捨てるようにそう言って、椿はコーヒーを喉に流し込んだ。


「バーリェは授与されていないのか?」

「私のラボのスタッフは一人じゃないですから。任せてきたわ」


そう答えて、椿は舐め回すように、じろじろと純のことを見た。

当の純は全く気にしていないのか、挑発的に無視して本を読んでいる。

椿は、純が自分のことを一瞥もしないことに多少苛ついたのか、荒く息を吐いて、テーブルにコーヒーの缶を置いた。


「で……何の用だ? こんな時間に訪ねてくるなんて、あまり常識があるとは言えないな。だが……」


絆もコーヒーを口に流し込み、静かに言った。


「俺のバーリェの暴走で、おそらく君のバーリェを巻き込んでしまった事実には、深く遺憾の意を表させてもらう。申し訳なかった」


頭を下げられ、意外だったのか椿は目を白黒とさせて、慌てて手を振った。


「そんなこと……もう過ぎたことですわ」

「『そんなこと』じゃないだろう。少なくとも、そうは思えなかったから君は俺と張り合おうとした。違うか?」

「…………」


黙り込んだ椿に、絆は続けた。


「バーリェの力については、俺自身もまだ良く分かっていないところがある。エフェッサーの本部でさえもそうだ。分からないまま、俺達はこの子達を使ってる。危険だと知りながら。罪なことにな」

「……ええ。そうですわね……」


呟いて、椿は絆の顔を見た。


「……でも結局、私は何も出来なかった。あなた達に頼るしかなくて、ただ逃げ惑うしかなくて、こんなの凄く……情けない。正直悔しくて仕方がありません」

「…………」

「絆特務官。あなたは今、幸せですか?」


唐突にそう問いかけられ、絆は一瞬言葉に詰まった。

彼女の問いの意味を推し量ることが出来なかったのだ。

絆は少し考えてから、言葉を選らんでそれに答えた。


「……分からない。そんなこと、意識したこともなかったからな」

「私、今こうして生きていられて、まだ生きていられて幸せだって、最近よく思うのです。死にかけたからかもしれませんね……だからこそ、これからフォロントンに一斉攻撃をかける戦いに向かっていて怖くてしょうがない」

「…………」

「現場に直接行かない私達でもそうなのです。現場に行っているあなたはどうなのかと思って、それを知りたくて……気付いたらここに来ていました」


絆は、コーヒーの缶をテーブルに置いて息をついた。

そして口を開く。


「怖いよ。いつでも怖い。怖くない時なんてないだろうよ」


純が本を読む手を止めた。

椿は体を乗り出して、意気込むように言った。


「なのにどうして、いつも戦うことができるのですか? 何があなたを、そこまで支えているのですか?」

「考えたことがないからな……」


困ったように呟いて、絆はそれに返した。


「敢えて言うとすれば……怖いから戦えているんだ。戦わなければもっと怖い。だから、俺は戦うことで自我を保っていられるのかもしれない」

「…………」


黙り込んだ椿に、絆は静かに続けた。


「死ぬのが怖くない人なんていないよ。誰だって、バーリェだってそれは怖い。押し殺して、隠そうとしているだけで、誰だって心のどこかでは恐れおののいてる。それは何もおかしいことじゃない」


手を止めたままの純を横目で見てから、更に続ける。


「そうだな……考えてみれば、俺を支えているのは恐怖なのかもしれないな。逆に言えば、恐怖がなければ、俺は今ここにいなかったかもしれない」

「怖いから戦う……」


繰り返して、椿は自嘲気味に笑ってみせた。


「随分と卑屈な考え方ですわね」

「そうかな。元来俺は卑屈な方なんだ」


軽く笑って、絆は冷蔵庫を指でさした。


「あまりで悪いが、ピザがある。温めて食べていくといい」

「折角だけど……ご遠慮しますわ。少しで戻ると言っていますの。時間もあまりありませんし……」


椿はそう言って、声を低くして絆に囁いた。


「……先日、私のバーリェが気になることを言っていました」

「……気になること?」

「AAD七百番台には、バーリェの上位互換体以外を乗せてはいけないと」


弾かれたように顔を上げる。

霧が、いつか言いかけていた言葉そのままだった。

あの時彼女は、睡眠薬による眠気に負けて眠ってしまったが、確かにそう言った。

顔色が変わった絆に、椿は声を低くしたまま続けた。


「……その様子だと、やはり気付いているようですね。どこまでご存知ですか?」

「……悪いが……君が知っているであろう以上のことは、俺にも分からない。ただ、AADに詰まれているシステムは危険だ。あれにはリミッターが存在しない」

「リミッターが……ない?」


愕然と呟いた椿に、頷いて絆は言った。

「現に俺は、その影響でバーリェを亡くしている。君こそ……君のバーリェは一体何て言っていたんだ?」

「……『私以外を乗せれば、死にます』とはっきり言われましたわ」


おそらく、霧のように自己顕示欲が強いバーリェなのだろう。

自分こそが一番優秀だと信じて疑わない個体に当たったと見える。

戸惑った風の椿に、軽く笑いかけてから絆は言った。


「まぁ……バーリェによっても個人差はある。そう主張したいのなら、させておけばいい。いずれ自分の言っている意味が、分かる時が来る」

「…………」

「何もかも全部気負う必要はない。俺だって、他のトレーナーだっているんだ。何かあったら相談に来てくれ」

「……ありがとうございます」


表情を落としたまま、椿はそう言って席を立った。


「そろそろ戻りませんと。お時間をとらせてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいんだ、気にしないでくれ」


そう言って、絆は一言付け加えた。


「……バーリェを大事にするんだ。使い捨ての消耗品だろうと、この子達には心がある。今はおぼろげでいい。理解してくれ」

「正直……まだよく分かりません」


椿は俯いてそう言った。


「ですが、何となく……『理解してみよう』という気になりました」


軽く微笑んで、椿はドアの開閉ボタンを押した。


「では」


彼女の姿が通路の向こう側に消える。

……まだトレーナーになりたての頃の、自分にそっくりだ。

絆はそう思って苦笑した。

あの時は、よくこうやって絃と話し合ったものだ。

そこで絆は、呆れたようにこちらを見ている純と視線を合わせた。


「どうした?」


純は聞こえよがしにため息をついてみせると、本に視線を戻した。


「……いえ。特務官様は、私のお話を一切お聞きになっていなかったのだなと思いまして」

「聞いてたさ。俺は、今の俺が思う正直な気持ちを言ったに過ぎない」

「私達は死ぬことに恐怖を感じません。原則として、そういった風に調整されています」

「そんなことはない。雪だって、霧だって、今は死にたくないと思ってる筈だ」

「それはお姉様達が、不完全なバーリェだからです」


断言されて、絆は口をつぐんだ。


「あなたは、圭お姉様に『生きろ』と命令をされましたね? その結果、彼女がどうなったかご存知でしょうか」


淡々と、抑揚なく純は続けた。


「圭お姉様は、自分の体が解剖されて開かれていく様を見せられながら、その極限の状態の中、脳が開かれる寸前まで意識を保っておりました。発狂しても、おかしくない状況で、それでも尚彼女は生きようといたしました。他ならぬ、あなたの。何とはなしに発したであろう一言のために。その苦痛は、計り知れません」

「…………」

「それでも尚、あなたは私にも『生きろ』とご命令をされますか?」


絆はだいぶ長いこと考え込んでいた。

しかし、彼は深く息を吐いてから、静かに言った。


「ああ。お前にも命令しよう。最後の最後まで、『死ぬな』……何が何でも生き続けろ。それが、お前に対する俺の、最初で最後の命令だ。圭の時から、俺の考えは一切変わっていない」

「どうして……!」


純は本を閉じて立ち上がった。

そして肩を怒らせながら絆を睨みつける。


「どうしてそこまで頑ななのですか! あなたの考えは、その方針は、私達バーリェを不幸にします。あなたはそれを自覚すべきです!」

「自覚してるさ。その上で、俺はお前に命令しているんだ」

「その命令は拒否いたします。あなたに、私たちを理解することはできません!」


ヒステリーを起こしたように純が大声を上げる。


「頑ななのはお前の方だろう。冷静になったらどうだ。お前、勝手に自分を一番上のランクだと思っていないか?」

「……それは……」


静かに返した絆に、図星だったのか純が歯噛みして口ごもる。


「俺はどのバーリェでも均等に扱う。お前でも、雪でも、霧でも、その他の子でも同様だ。そこにはランクなんてないし、性能の差なんて問題じゃない。生命の重さは、全員一緒だ」


絆がそう言った時だった。

不意に、飛空艇内にけたたましい音のサイレンが鳴り響いた。

飛び起きたのか、慌てて隣の部屋のドアを開けて渚が走ってきた。


「何ですか! 警報ですか?」


混乱しているのか、渚が慌てふためいて声を張り上げる。

絆は片手でそれを制止してから呟いた。


「敵か……?」

「この警報は、敵襲に間違いないですね。接近を察知されましたか」


淡々とそう言って、純は絆を見た。


「雪お姉様と、霧お姉様は薬で動けません。私が、迎撃に出ます。特務官様は、この中にいてください」

「駄目だ」


しかしそれを打ち消して、絆は傍らの渚に掴まりながら立ちあがった。


「俺達も一緒に行く。お前だけじゃ不安だ」


純が歯を噛んで口を開きかけたところで、部屋の扉が開いた。

上層部の認証キーがないと、外部からトレーナーの部屋を開くことは出来ない。

息を切らした駈が、部屋に駆け込んできた。


「絆特務官、出撃だ! 多数の死星獣に艦が取り囲まれている。七百番台の機体を使いたまえ!」

「……了解した」


頷いて、絆は車椅子に座り込んだ。


「行くぞ、純。準備をしろ」


抑揚を抑えて、彼はそう言った。



夜中の艦内に警報が鳴り響いた。

雪と霧が万が一起きてくると面倒なので、担当の女性職員を呼んで彼女達を任せておく。

そして絆は、職員達に支えられながら何とかコクピットに乗り込んだ。

純が接続されると、すぐに機体の電源がつき通信が入った。

モニターに駈の顔が表示される。


『システム、殲滅ジェノサイドモードを起動します』


AIの声を聞きながら、絆は駈に言った。


「この機体は飛ぶことはできるのか?」

『可能だ。八○一号とほぼ同じフライトシステムを組み込んである。そのバーリェの性能なら、最初からフルスロットルでの行動が可能だ』

「了解。純、行けるな?」

「勿論です」


頷いて純が操縦桿を握る。


『ハイコアの接続を確認しました。全武装のロックを解除。視界確保、レディ。エネルギーラインをシルバーで確立。AAD七一八型、起動します』


鈍重な七○一号にそっくりな機体……スペック2とも言えるそれは、格納庫内でゆっくりと立ち上がった。


『絆特務官。お供します』


そこで椿の顔が表示された。

フライトシステムを組み込んだ七百番台のAADは一機だけではない。

合計で五機スタンバイしていた。

椿の脇に座っている二人のバーリェを見て、絆は口を開いた。


「君のところはデュアルコアか……君も、乗っているんだな」

『はい。私は今合計で四体のバーリェを管理しています。二十四時間対応できますわ。それに……乗らなきゃ分からないことって、きっとあると思うのです』

「頼もしい。俺の背後を頼む」

『了解しました』


頷いて椿も操縦桿を握る。

絆も、腕を無理やり伸ばして操縦桿を握った。

隣の席で渚が口を開く。


「七一八号、スペック2リフトオフします」


脚部のキャタピラが回転し始める。

そしてスペック2は、そのまま開いているハッチから空中に踊り出た。

機械人形の背部に、同じくらいの大きさのブースターと飛翼が装着されている。

それに点火し、スペック2は軽々と宙に浮いた。


「マイクロホワイトホール粒子の生成を開始します。武装、ロータイプ『簡易メルレダンデ』のスタンバイを開始します」


メルレダンデ……圭が使用した、広範囲極破壊兵器の一つだ。


「出力が八○一号の十分の一で安定しました。可動域クリア。駆動限界まで、あと一時間四十七分です」


渚が口を開く。

心なしか彼女の息が荒い。

まだ怪我が完全に治っていないのだ。

絆も同様だった。

腕と足が痛み、思わず息をついた絆に、純は一瞥もせずに口を開いた。


「特務官様……やはり休んでいてください。私一人で十分です」

「悠長に話している暇はない。来るぞ!」


艦が、いつの間にか数十体の死星獣に囲まれていた。

金色のそれが、真っ赤に発熱をはじめる。

あの水蒸気爆発兵器で襲われたら、艦はひとたまりもない。

スペック2の肩部装甲と脚部装甲が開き、中の四角形のキューブ体が高速回転をはじめる。

八○一号に比べれば、本当に微弱な威力のエネルギー兵器だ。

しかし贅沢は言っていられない。

今はこの機体で戦うしかないのだ。

他の機体も、簡易ブルフェンを展開しようとしていた。

それより一拍早く、純が動いた。


『簡易メルレダンデのセットアップを持続中。シケルハンドブレードを展開します』


AIがナビを言い終わる前に、何の予備動作もなく彼女は肩部ブレードを抜き放つと、それに銀色のエネルギーをまとわりつかせながら、一気にブースターを最大点火で踏み込んだ。

凄まじいGが絆と渚を襲う。

思わず体を丸めて硬直した渚を抱きかかえた絆の目に、スペック2がブレードで近くの死星獣を一刀両断にするのが見えた。

人間でさえも知覚が難しい速度だった。


「次」


純は機械のように呟くと、体勢を崩した死星獣達の群れに機体を突っ込ませた。

流星のように異様な軌道で移動したスペック2は、そのまま数体の死星獣を切り飛ばし、爆発させた。


「遅い……敵も味方も……!」


吐き捨てて純は、機体を空中にホバリングさせながら、キューブ体を群れが一番密集している場所に向けた。


「……消えなさい」

『チャージ完了。簡易メルレダンデ、発射します』


AIの声と共に、真っ白い光が正面に向けて発射された。

リング状の衝撃波が周囲に広がる。

それは死星獣達を数十体も巻き込むと、一気に収縮して、そしてぐんにゃりと歪み掻き消えた。

遅れて、やっと味方のAADが動き出す。

小規模なメルレダンデを放ち始めた味方を見て、純は舌打ちをした。


「後手に回りすぎです。これじゃ艦に損害が出る……!」

「味方の戦力を信用しろ! お前はお前の動きで目の前の敵を叩け!」


凄まじい速度で機体が空中を移動している中、絆は声を張り上げた。

全く気になっていないのか、純は鼻を鳴らして操縦桿を握りこんだ。


「戦力? 私以外の何が役に立つっていうのですか」

「お前……!」


絆は押し殺した声を発して、無理矢理に手を伸ばして操縦桿を握った。


「何をしているのですか! 特務官様はシートに掴まっていてください!」

「思い上がっているお前に、操縦を任せることはできない。こちらにメインシステムを切り替えるんだ!」

「は……はい!」


渚が頷いて、操縦権を絆に譲る操作をする。

純は


「どうして!」


と怒鳴って、慌てて操縦桿を何度も引っ張った。

スペック2が空中で静止し、もう片方のブレードを肩から抜き放つ。

二刀を構えて、絆の操縦で機械人形は宙を飛んだ。


「く……っ……」


腕の痛みに顔をしかめながら、絆が近くの死星獣のことを斬り飛ばす。

確かに純はハイスペックなバーリェだ。

しかし決定的な何かが欠けている。

まるで、霧がロールアウトされた直後のように。

彼女のように全てを見下しているわけではないが、達観しすぎている。

連携も何もあったものではない。


『絆特務官、ご無事ですか!』


そこで椿の声が聞こえ、彼女の機体がスペック2の後ろについた。

背中合わせにホバリングしつつ、絆は脂汗を額に浮かべながら言った。


「体調に異常を感じたら、こちらに任せて即帰還するんだ。墜落する事が一番怖い」

『了解です。特務官こそ、大丈夫ですか? 顔色が真っ青です』

「問題ない。これくらい……!」

「残存死星獣、三十体を切りました! 水蒸気爆発が来ます!」


残った死星獣達が、腕を伸ばして輪のようにし、AAD達と飛空艇を取り囲んだ。

その体が真っ赤に発熱し始める。


「性懲りもなく……!」


絆は怒鳴って、操縦桿を握りこんだ。


「私にやらせてください! どうしてあなたが操縦しなければいけないのですか、非効率的です!」


純が悲鳴のような声を上げる。

絆は、しかし彼女を無視して渚に向かって声を貼り上げた。


「エンクトラルライフルを使う! スタンバイ!」

「はい!」


機体の後部から幾段かに分かれた砲口がせり出す。

それを前方に向け、絆は空中でホバリングしながら狙いを定めた。


『エンクトラルライフル、フルチャージ。撃てます』


AIの声が聞こえる。


「特務官様! 早く私に迎撃させてください! 私の方が……私の方が、上手くこの機体を使えます!」


純が悲痛な声を上げる。

しかし絆は


「うるさい!」


と押し殺した声でそれを一喝すると、照準を更に調節した。


「お前一人で戦っている気になるな! 沢山の人が戦ってる。沢山の人がこれに関わってる! 俺も、渚さんも、みんなここにいるんだ。勘違いも甚だしい、何が『効率』だ! 寝言は寝て言え!」

「このままでは艦が沈みます! 私達も、この機体では耐えられません! 迎撃させてください!」


食い下がる純を無視し、絆は死星獣の一体に照準を定めた。

そしてその体が真っ赤に発熱しきる瞬間。

引き金を引いた。

エネルギーのライフル弾が、正確に死星獣の一体の胸部を貫通して向こう側に抜ける。

コアまでをも貫通した正確な一撃だった。

抜けられた死星獣は、一瞬動きを止めると、次の瞬間、凄まじい勢いで膨張した。

三倍ほどの大きさに風船のように膨れ上がり、炸裂する。


「連鎖爆発が起こります、衝撃に備えてください!」


飛空艇と味方に向かって渚が大声を上げる。

途端、誘爆というのだろうか。

次々と連鎖するかのように、発熱しきって熱を放出しようとしていた死星獣が爆発を始めた。

周囲がグラグラと揺れ、真っ黒なブラックホール粒子が吹き荒れる。

飛空艇を守るように五機のAADが浮かび、何とかそれを防ぐ。

数秒後、パラパラと死星獣だったものが空中に飛び散った。


「そんな……一発で……?」


呆然と純が呟く。


「熱膨張を起こしていたと思われる死星獣が、全て連鎖爆発を起こしました! 周囲にこれ以上の死星獣の反応は確認できません! 迎撃に成功しました!」


渚が上ずった声を上げる。


『……手柄だな、絆特務官……どうして奴らが熱波を発する寸前にコアを撃ちぬくと、その熱に引火して爆発すると気づいた?』


駈に通信で問いかけられ、絆はくぐもった声を返した。


「勘だ……ただの……」


そこまで言った時だった。

絆の喉に、不意に血なまぐさい感触がせり上がってきた。

猛烈な吐き気に耐え切れず、絆は手で口を抑えて激しく咳き込んだ。


「絆特務官!」


渚が慌てて操縦を純に切り替え、絆を抱きかかえる。


『特務官、どうされたのですか!』


椿の声が聞こえる。

絆は何度か咳き込むと、胸の痛みの後に手の平に真っ赤に血が付着しているのを見て、青くなった。


「何だ……これ……」

「……絆特務官が吐血しました! 至急保護を願います!」


渚が声を張り上げる。


「特務官様……?」


呆然として純が呟くように言った。


「ど……どうされたのですか? 私が、無理な操縦をしたからですか?」


それに答えようとして、凄まじい胸の激痛に、絆は体を丸めてまた血を吐いた。

渚が彼のシートベルトを外し、ベルトの部分の胸部、腹部がへこんでいるのを見る。

肋骨が折れて、肺か胃に突き刺さっている可能性が高い。


「安心してください、私は救護士の資格も持っています。血を、飲み込まないで無理せず吐いてください。呼吸器を装着します!」


渚が声を押し殺して、コクピット内に装着されていた簡易AEDセットを手に取る。

絆は胸を抑え、急激に落ちていく意識の中、何とかそれを保とうとして失敗し。

一つ呻いて、暗い意識の底に落ち込んでいった。



「特務官様……特務官様?」


呼びかけられ、絆は目を開いた。

腕も、足も動く。

包帯もギプスもはめられていない体だった。

自分のその様子に少しの間呆然とした後、絆はゆっくりと顔を上げた。

波が打ち寄せる、どこまでも広がる海岸だった。

白い砂浜に、照りつける太陽が逆に不自然だ。

海の色は、透き通るほど透明だった。

車椅子をきしませて、絆のことを見下ろした少女が、静かにまた問いかけた。


「起きていらっしゃいますか? ……お久しぶりです」

「け……圭?」


思わず呟いて、絆は慌てて立ち上がった。

圭は、一つ頷いて車椅子を絆の方に向けた。

白いワンピースを着ている。

彼女は絆にどこか寂しい顔で軽く微笑みかけてから、視線を伏せた。


「ごめんなさい……特務官様のご命令を守ることができませんでした……」

「圭……なのか?」

「はい。あなたが圭と呼んで下さった個体です」

「お前は、死んだんじゃなかったのか……?」


ポツリとそう呟くと、圭は小さくそれを笑ってから答えた。


「はい。私の体は既に死んでいます。私という『個人』は、もうこの世に存在しません」

「ちょっと待ってくれ……ここは、どこだ?」


絆は慌てて周りを見回した。

途端、空間がぐんにゃりと形を変え、絆達を囲むように、直径二十メートルほどの白い正方形になった。

海も、空も、全てが塗料で白い壁に塗装されているかのような様相を呈している。


「ごめんなさい……私、本当は海を見たことがありませんので。想像なのです」

「圭……? 俺も……死んだのか?」


状況がさっぱり分からず、情けない声を発する。

圭はまたクスリと笑うと、絆に向かって口を開いた。


「いいえ。ここは『バーリェ』の中です」

「バーリェの中……?」


いつか見た夢の、愛と命が遊んでいた光景が蘇る。

その夢と、今の状況が酷似していた。


「どういう意味だ? バーリェの中って……お前の心の中なのか?」

「いいえ。特務官様はひとつ、大きな思い違いをしています」


圭が静かに言う。


「思い違い……?」

「はい。あなたは、私達のことを人間と同じ生き物だと思っているようですね」


彼女は目を伏せて続けた。


「私達は、概念からして人間とは異なる生き物です。互いが繋がり合っている生命体とでも言えばいいでしょうか。死んでも、その繋がりは途絶えることがありません」

「……意味が分からない。もっと、分かるように説明してくれ」

「私達は、死んでも元の一つの生命体に戻るだけです。人間とは、その部分が大きく異なります。『バーリェ』とは、一つの大きな『意思』であり一個の生命体です。あなたが接していた『圭』という人格は、その一端末に過ぎません」


圭の姿がノイズがかって歪んだ。

そしてテレビの砂画面のようになり、今度は優の姿が現れる。

優は両手を絆に向かって振って、嬉しそうに笑った。


「絆、久しぶり。元気にしてた?」

「優……?」

「私達って、死んだら一つになるんだ。だからバーリェは、各端末が死んでも、元のデータが残ってる限り複製が可能なの」


優の姿がノイズがかり、今度は文の姿が投影された。


『ご迷惑をお掛けしました。絆さん』


手話を送られ、絆は目を見開いた。


「文も……お前達、まだ生きてたのか!」

『状況が理解できないのは分かります。ですが、今回は「バーリェ」があなたの「意思」にコンタクトをとることを決定しました。私達は、その端末情報から複製されたデータの一つに過ぎません』


また文の姿が掻き消え、元の圭の姿に戻った。

圭は砂浜に車椅子をゆっくりと進め始めた。

正方形だった空間が歪んで、またどこまでも広がる砂浜を形作る。

慌ててそれを追った絆が脇に並んだのを見て、圭は口を開いた。


「驚きましたか? 他にも、『バーリェ』は、あなたの望む端末情報を提供することができます」

「つまり……バーリェの核のようなものがあって、お前達はその核から複製されたデータに過ぎないと言いたいのか?」

「そうです」

「死んだら、その情報が核に統合されてまた一つに戻る。だから、意識生命体として存在することができると……?」

「……あなたが瀕死の状態になった時、バーリェの統合体は、意思にアクセスしやすくなります。人間の意識も、簡単に言ってしまえばデータの集合体です。あなたの意識をハックして、その中に潜り込んでいます」


ゆっくりと進みながら、圭は前を向いた。


「俺が、今瀕死の状態……?」

「はい。右肺に大きく穴が開いてしまっています。このままでは、遅からずあなたは死んでしまうことと思われます」

「…………」

「私達バーリェは、あなたという一個人に対して特別な興味を抱いています。少々お時間をとらせていただき、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」


圭はそう言って、絆に向かって続けた。


「……あなたは、私の端末の一つ、この子に対して『生きろ』とご命令をされましたね?」

「この子って……お前のことか?」

「端的に言ってしまえばそうなります」

「……ああ。俺は確かにそう言った」

「どうしてそんなことを言ったのですか?」

「…………」


黙り込んだ絆の脇で車椅子を止め、圭は彼の顔を見上げた。


「不思議な事に、この子……『圭』は、それに対して満足しているようなのです。その理由が、しかし圭自身にもよく分からないようです」

「俺は……」


絆は息を吸って、そして困ったように笑った。


「俺は、ただ単にお前達に生きていて欲しかっただけだよ。守ってやりたかっただけだ。それ以上の意味も、それ以下の意味もない」

「その理由をお聞きしたいのです」


圭の左目だけの丸い瞳に見つめられ、絆はそれを見下ろして言った。


「お前達が意識生命体だったとしても。俺は、お前達を、俺達と何ら変わらない生き物だと思うから。だからさ」

「…………」

「誰だって死にたくないだろう。俺だってそうだ。生きたいと願うのが当たり前だ。だから俺は、お前達を守ると決めたんだ」

「だから生きろと命令したのですか?」

「そうだ。それが当たり前のことだと思うから、俺はお前達に命令した。何か……おかしかったかな」

「いいえ……おかしいとは思いません。思いませんが……あなたは随分他の『人間』とは違うのですね」

「最初からこうだったわけじゃない。お前達を何人も犠牲にして、そして得た結論だ。お前達がいなければ、俺はここまで変わることはできなかった」


絆はそう言って息をついた。

そして圭の頭に手をポン、と置く。


「理解しようとはしなくていい。別に理解しなくても、俺はお前達を否定したり、利用したりはしない。だから……な? 一緒に、生きていこうよ」

「…………」

「死ぬのが当たり前だなんて、悲しいことを考えるな。俺達はみんな生きている。生きるために生きてるんだ。だから、難しいことは何もない」

「…………」

「そう、俺は思うよ」


圭は俯いて、だいぶ長いこと沈黙していた。

そして顔を上げる。

一瞬絆はドキッとして息を詰めた。

瞬きをする間に、車椅子には白と赤の軍服を着た桜が座っていた。


「桜……」

「絆様、お元気でしたか?」


ニッコリと微笑んで、桜は頭を深く下げた。


「この節は大変なご迷惑をお掛けしました。非常に心苦しく思っております」

「何を言ってる……? 俺は……お前を、殺したんだぞ?」


かすれた声でそう言った絆に笑いかけ、桜は続けた。


「私達は死んでも意識が消えません。データとして残ります。ですから、何も気負うことはありません」

「それでも……気負うよ」


寂しそうに呟いた絆の手を握り、桜は車椅子から立ち上がった。

そして絆の手を引きながら歩き出す。


「……絃様は、世界の持つ歪みに気づいてしまわれました。元老院の隠している大きな事実を、知ってしまったのです」


振り返らずに、淡々と桜が話しだす。


「そしてその歪みを修正するためには、あなたの存在が邪魔なのです。絃様の本当の狙いは、バーリェの存在を肯定して、その意義を証明してしまっている『あなた』を消すことです」

「何だって……?」


思わず問い返した絆に、桜は頷いて振り返り、言った。


「バーリェは、人間の生きているこの世の中に存在してはならないロストテクノロジーの一つです。元老院は、それを起動させてしまいました。そして、それと同時に死星獣も起動され、世の中に解き放たれることになりました」

「え……?」


呆然として絆は立ち止まり、桜を見下ろした。


「バーリェを作るシステムが起動したから、死星獣を作るシステムも起動したって……? そういうことか?」

「はい。そして元老院は、そのシステムを止める方法を知りません。それ故、システムは暴走を続け、今ではバーリェでも死星獣でもない個体を作り上げる程に膨れ上がってしまいました。バーリェを根絶やしにしない限り、副作用として死星獣は現れ続けます」


断言した桜の言葉の重みを推し量ることができずに、絆はしばらくの間沈黙していた。

やがて息をついて首を振る。


「……そのシステムはどこにある?」

「この世にはもう存在しません」

「存在しないシステムから、君達は生み出されてるっていうのか?」

「この世には存在しませんが、相違的な多元次元境界には存在しています。ですから……」

「待ってくれ。君の言っている意味が分からない」

「私達は、多元次元境界から来た生命体です。端的に言ってしまえは、平行世界の地球上に存在していたシステムです」

「平行世界……?」


意味が分からず、呆然と呟いた絆に桜は続けた。


「……やはりこの話をするのは、時期尚早だったのかもしれません。理解をしろということが無理なのは分かっています。でも、心の片隅には留めておいてください」

「じゃあ……死星獣を根絶やしにすることは出来ないっていうのか?」


桜は一瞬とても寂しそうな顔をした。

しかしすぐに、どこか壊れたような笑顔を貼り付けて絆を見た。


「私達をこの世界に具現化させていてる端末が存在しています。それを破壊すれば、私達もろとも、一時的ですが死星獣の発生を止めることは出来ます」

「その端末は?」


絆はそれを問いかけてふと思い出した。

駈が、絃が「天使一号」を盗み出したと言っていたことを。

彼の考えを読んだのか、桜は頷いて言った。


「天使が、私達を具現化させている要素の一つです。天使一号は、その中の細分端末です」

「元となる天使が存在しているのか……!」

「はい。元老院が持っています。絃様は、その破壊を大義名分に、元老院を見つけようとしています」


私達でさえも存在を知らない組織に……。

駈の言葉が頭の中を回る。

死星獣の攻撃により、今や全世界の六割は壊滅状態だ。

それでも、元老院がやられたという噂は聞かない。

はっきりと新世界連合が敵だ、と明言していてもだ。

存在しない。

「ない」組織。

絆は頭を抱えてよろめいた。


「元老院は……もしかして……」

「おそらくあなたが今想像した通りです」


桜は頷いて、淡々と言った。


「元老院という人間達は、多分存在していません。私達と同じような、統合的データ生命体だと思われます」

「俺達は……データ生命体の指示を受けて今まで動いていたっていうのか!」

「そうなります」


桜は寂しげに笑って付け加えた。


「それが何なのかまでは、私も分かりませんが」

「……どうしてそんな話を俺にする?」


問いかけた絆に、桜は頷いてから言った。


「あなたが、とても『人間らしくなかった』からです。どちらかと言うと、私達の世界の人間に似ていた。だから興味が湧いたのです。人は、あなたのような人間のことを『変種』というのでしょうね」


桜はそう言って、腕時計に視線を落とした。


「……もうじきあなたの意識が覚醒します。ハックが解けます」

「待て! まだ聞きたいことは沢山ある!」

「残念ながらタイムアウトです。私達は、これからあなたの体の治癒力を高めるため、あなたの体組織に対してハックを行います。それ故通信は途絶されます。ご了承ください」


桜の姿が、ザザッ、と音を立てて歪む。


「待てよ! 桜、みんな!」


慌てて桜の肩を掴もうと手を伸ばした絆の体が、彼女の体をすり抜けた。

呆然とした絆の方を向いて、桜はそっと微笑んだ。


「また会いましょう。あなたが、まだ無事でいられたら。そして、私達が、まだこの次元に存在していることが許されれば。また」


ズキッ、と絆の胸が痛んだ。

呻いてしゃがみこんだ絆の前で、桜はぼんやりと歪み、そして掻き消えた。


「待て……よ……」


胸を抑えて手を伸ばす。

しかし絆は、体から急速に力が抜けていくのを感じ。

抗いがたい倦怠感に、ゆっくりと目を閉じた。



絆はゆっくりと目を開いた。

飛空艇が飛行する低音が響いている。

自分を囲むように、コクリコクリと首を揺らしている渚の姿がまず目に入った。

ソファーには、互いに寄りかかるようにして雪と霧が眠っている。

パラ……と本をめくる音が止まり、絆が眠っているベッドの隣の椅子に、腰を下ろしていた純がこちらを向いて口を開いた。


「おはようございます……という表現はおかしいかもしれませんね。現在は、夜半の二十時を回っております」

「ここは……」

「フォロントンに向かう途中の飛空艇の中です。あなたは、戦闘後二十二時間三十分程昏睡状態でした。まだ体に麻酔が残っていると思います。動かないほうがいいです」


確かに、言われた通りに体に感覚がない。

鼻には奥まで長いチューブのようなものが取り付けられている。

呼吸器だ。

慌てて胸を見ると、包帯が幾重にも巻かれていた。


「手術をしたそうです。驚異的な生命力だと皆様が仰っていました。私は、もう目を覚まさないものと思いました」


淡々とそう言って、純は立ち上がって近づくと、ナースコールのボタンを押した。

そして絆の額に自分の手を当てる。


「熱は……まだありますね。抗生物質の投与を大量に行ったようですが、その副作用だと思われます」

「お前……」


くぐもった声でそう言って、絆は続けた。


「ずっと、俺の隣にいたのか……」

「はい。待機をしておりました」


また椅子に座り、純は眠っている渚を起こさないように配慮したのか、声を低くして言った。


「特務官様にお聞きしたいことがございまして……よろしいでしょうか?」

「……何だ?」

「…………」

「どうした?」

「いえ……どうしてあの戦闘で、あそこまでの戦果を上げることができたのですか? 私は、艦が落ちる確率が高いと踏んでおりました」

「…………」


絆は小さく咳をしてから、雪と霧を見た。


「バーリェは……俺達人間は、一人じゃ生きていけないんだよ……」


かすれた声で、絆は続けた。


「……俺は、お前達の性能を信じてる。だから、最後まで構えることが出来た。お前には、まだよく分からないかもしれないが……」

「…………」

「計算で何もかもが成り立ってるんなら、こんな状況は発生してない。こんな世の中にはなっていない。計算で成り立たないから……だから歪みが出てくるんだ。俺はそれをよく知ってる……だから、結果的にお前達を信じて『勝つ』ことが出来た」

「信じて……いたのですか?」

「信じなければ、同乗したりはしない……」


絆がまた咳をしたところで、部屋の扉が開いて、バタバタと看護師たちが入ってきた。

慌てて渚が飛び起きて、絆に覆いかぶさるようにして顔を覗き込む。


「絆特務官! 目が覚めたのですか!」

「……ああ。問題ない。麻酔のおかげで痛みも感じないな……」


軽く笑った絆を、看護師たちが機械的に処置し始める。

そこでブーツのかかとを鳴らしながら、駈が女性職員達を伴って部屋に入ってきた。


「君の目が覚めたと聞いて、急いでこちらに伺った。大丈夫か?」


意外にも駈に心配され、絆は苦笑してそれに答えた。


「……あんたに心配されるとはな。もうじきこの飛空艇も乱気流に突入するらしい」

「それだけの口がきければ問題はない」


駈はそう言って壁に寄りかかると、看護師の一人が差し出したカルテを受け取って目を通した。


「……君のオペは私が行った。意外に思うかもしれないが、私は医師の免許も持っていてね。施術は完璧に終わったつもりだったのだが、君の体力が保つかどうかは一種の賭けだった」

「そうだったのか……感謝する」


軽く頭を下げた絆は、鼻に刺さっているチューブを手にとって引き抜こうとし、慌てて看護師達にそれを止められた。


「フォロントンに着くまでは絶対安静だ。一応作戦内容を持ってきたが……読み上げるか?」


駈が手に持っていた資料をヒラヒラと振る。

そこで純が椅子から立ち上がって、駈から絆を守るように間に立った。


「……恐れながら、本部局長様にご意見がございます」

「何だ?」


怪訝そうに言った駈に、純は淡々と続けた。


「今後一切の戦闘には、私が単独で出撃します。特務官様を止めていただきたく、ご意見陳情いたします」

「純、お前……」


言いよどんで口をつぐむ。

この子は、決して自己顕示のために言っているわけではない。

それを直感で感じたのだった。

黙り込んだ絆を横目で見て、駈は手元の資料に視線を落とした。


「彼が乗るかどうかを決めるのは私ではない。彼自身の裁量に任せるようにと、元老院も言っている」


元老院。

存在しない組織。

そして、存在しない、データ生命体の老人達。

夢の中で桜達が言っていたことを思い出す。

絆はまた少し押し黙った後、静かに口を開いた。


「フォロントンの一斉攻撃には参加する。この子と、S678番(霧のこと)を使うつもりだ」

「特務官様!」


純が珍しく声を張り上げた。

彼女は絆に向き直ると、明らかに怒った表情で続けた。


「あなたは今動ける状態ではありません。端的に言いましょう。私の性能をフルに発揮するためには、あなたの同乗は邪魔でしかありません。操作妨害をされたいのですか?」

「そのつもりはないし、足手まといになるつもりもない」

「じゃあ何故!」


悲鳴のような声を上げた純の剣幕に、周囲の看護師達が動きを止める。


「安心しろよ。お前一人を死なせるつもりはないから……」


絆はそう言って、軽く笑ってみせた。

純はそこで、自分の手を彼が見ていることに気がついた。

握りしめた両拳は、わずかに震えていた。

それは怒りから来たものだったのか、それとも恐怖から来たものだったのか、それは純には分からないことだった。

慌てて手を背後に隠し、純は食い下がるように続けた。


「私は死ぬつもりはありません」

「いや、お前は死ぬつもりだ。そしてその事実を、心のどこかで恐怖もしている。いくら死を覚悟していると口で言ったって、お前は死んだことがないんだ。怖いに決まってる」

「それは単なる憶測です」

「憶測じゃない。何故なら、俺も怖いからだ。怖い者同士、気持ちはよく分かる」

「……怖いなら同乗する必要はどこにもないのではないでしょうか?」


絆は息をついて、腕組みをしてこちらを見た駈を一瞥した。

そして純に向き直って言う。


「……やっぱり死ぬつもりだったな。おおかた、エネルギー融合炉でも限界突破させて、新世界連合の拠点で自爆をするつもりだったんだろう」


図星だったのか、純はそこで初めて口をつぐんだ。

そして何かを言おうとして失敗し、言葉を飲み込む。


「そんなことはさせない。お前には俺のキーワードがあまり効果がないようだから、意地でも同乗させてもらう」

「どうして……そこまでするのですか? こんな私のために……」


口ごもった純の言葉にかぶせるように、絆は静かに言った。


「自分を卑下するのは、圭の影響か? 似てるな……俺はあの子にも言った。『生きろ』って。それを守ってもらう。一度した約束は絶対だ」

「…………」

「もうくだらない理由で、お前達が死ぬのを見たくないんだよ……」


黙り込んだ純に渚が近づいて、その肩にブランケットをかける。


「少し休んでこい。俺は、本部局長と話すことがある。渚さんも、休んでくれ」

「分かりました」


渚が頷いて純を促す。

純が俯いたまま本を手にとって立ち上がった。

奥の寝室に彼女達が入っていったのを見て、絆は息をついた。

純は、顔には出ていないが相当疲れている。

それを肌で感じたのだった。

それはそうだ。

普通のバーリェなら死んでいてもおかしくないレベルのエネルギーを搾り取られた直後だ。

疲れていない方がおかしい。


「君も大変だな」


駈がそう言って冷蔵庫まで歩いていってコーヒー缶を取り出した。

そしてプルタブを開けて中身を口に流しこむ。


「……艦に損害は?」


問いかけると、駈は缶をテーブルに置いて、椅子に腰を下ろした。


「十五パーセントと言ったところか。ブラックホール粒子により外部装甲がだいぶやられた。もう一度襲撃されたら危ないな」

「敵はこっちの情報を察知してるのか?」

「その可能性が高い。バーリェの生体エネルギーを感知しているのかどうかは分からんが。いずれにせよ、ピンポイントで多数の死星獣に襲われたことは確かだ。君が、本部で交戦した、AAD型死星獣は見当たらなかったがな」

「…………」

「あれには、絃元執行官が乗っているのか?」


問いかけられ、絆は弾かれたように顔を上げた。


「…………」


沈黙を返した絆に、彼は息をついて言った。


「君はどこかそれを確信していた。だから全世界に対しての衛星ハックで連絡をつけようとした。違うか?」

「……その通りだ。俺は、あれに乗っているのが彼だと確信した。何故かと言われると……ただの直感だが」

「直感……? そんな不確定な第六感に、私達は救われたというのか?」

「そうなるな……」


呟くように言って、絆は鼻のチューブを指でさした。


「これは抜いてはいけないのか? 喋りづらくて叶わない」

「抜けないと思うがな。無理にやろうとすれば呼吸困難になる可能性が高い」

「…………」


ため息をついて、絆はベッドに横になったまま、眠っている雪と霧を見た。

彼の視線を追うようにして駈が口を開く。


「……ここで寝かせていていいのか?」

「構わないだろう……渚さんのことだ、薬はちゃんと飲ませてくれたと思うからな」

「信用しているようだな。あのクランべを」


淡々とそう言われ、絆は少しムッとしてそれに言い返した。


「悪いか?」

「……君はやはり異様だよ。同じ人間なのかと疑問さえも抱く」


それには答えず、駈はそう言ってサングラスを外し、目頭を手で抑えた。


「おそらく、そのクランベにさえも異質に映っているだろうな、君の姿は」

「何を言いたい……?」

「いや……単に元老院や医師団が研究するべきなのは、このバーリェ達ではなく、本当は『君』であるべきなのではないかと、ふと思ってね」


平坦な声でそう返され、絆は思わずゾッとして口をつぐんだ。

研究対象?

この男には、自分はそう映っているのか。

一瞬それに対して声を返せなくなったのだ。


「俺なんかを研究してどうする? 何も得るものはないぞ」

「医師団はそう考えないだろうな。君の思考パターン、考え方、全てを吸収して、今後生まれてくる子供のDNAに活かそうとするかもしれない。何せ、どんなバーリェでも即座に使いこなすプロフェッショナルだ。君の精子はさぞや高く売れることだろう」

「そういう考え方は好きじゃない。喧嘩を売っているのなら、出ていってくれ」

「気に触ったのならば謝ろう。他意はない」


そこで一旦言葉を切り、駈はコーヒーの残りを口に流し込んだ。


「単刀直入に聞こう。戦闘は可能なのか?」


問いかけられ、絆は一瞬押し黙った。

そして自分の体を見回す。

各部に点滴や器具が装着された体。

ギプスで覆われた手と足。

日常生活さえも満足に行えない自分が、果たして戦場に出ていって役に立つことができるのか。

それは、正直疑問だった。

駈はコーヒーの缶を手にとって軽く振りながら、絆のことを見ずに続けた。


「……私は不可能だと思うがね。君は死んでもおかしくない程の怪我をした。生き死にの境目にいたとも言える。生命力の図太さは認めるが、君の体は既に限界だ。それは、医師として私が保障しよう。自信を持って言える」

「…………」

「しかし、君の存在が、ただ座っているだけでもバーリェ達の精神波の安定に繋がることは、状況証拠で既に実証されている。戦力は多いに越したことはない。強大な戦力であればあるほどだ。君は、バーリェ達と共に戦う気があるのか?」

「…………」


絆は数秒間押し黙った後、口を開いた。


「……勿論だ。俺は、次の戦闘にも出撃をする」

「そうか」


駈は頷いて立ち上がった。


「君の意思がある以上、私達が止めることは出来ない。ただ、これだけは警告しておく。次に無茶な操縦をしたら、君は確実に死ぬ。その覚悟があるのなら、私は特に構わない」

「言われるまでもない……!」


歯を噛んだ絆を一瞥して、駈はポケットから小型のプロジェクターを取り出した。

そのボタンを押して、壁に映像を投影する。

そこには、高さ二十メートル程の壁に覆われた自然の森が映し出されていた。


「現在艦が向かっている、フォロントンの様子だ。既に現地の軍やエフェッサーが数個大隊突入しているが、いずれも帰還報告はない」

「全滅したのか……?」

「おそらく」


頷いて、駈はプロジェクターのボタンを操作した。

映像が切り替わり、間近で映しだされた自然の壁の画像が投影される。


「自然の壁の周辺は、特殊な磁場が発生しているために、全ての通信機器は使えなくなる。それは事前に説明した通りだ」

「待てよ。ということは、バーリェの乗っているAADの遠隔操縦は……? 他のトレーナーはどうするつもりなんだ?」


絆は、そこでハッと気がついて問いかけた。

椿と自分以外のトレーナーは、AADを遠隔操縦で操っている筈だ。

それに、本部……つまりここからの通信も途絶されるとなると、AADを操ることは出来ない。

駈は頷いて続けた。


「君と、椿執行官以外のバーリェは、君達の指示で動くことになる。この艦は自然の壁の外側で待機。君達は上空から侵入することになる」

「バーリェに任せるっていうのか……! 軍や他のエフェッサーはそうしたんだな? だから一機も帰還できていないんだ……!」


この期に及んで、人間達は自分の命を優先する。

思わず声を荒げた絆は、息が詰まり力なく咳をした。


「何かおかしいかね?」


駈にそう聞かれ、絆は息を吐いてから続けた。


「あんた達には一生分からないことだよ」

「……それで、今回の突入作戦だが、君にはもう一度八○一号に乗って欲しい」


駈に押し殺した声でそう言われ、絆は目を見開いて彼を見た。


「八○一号を……持ってきたのか?」

「システムの中核さえあればいくらでも複製が可能だ。この艦の中で修復を続けていた。先程ロールアウトが完了した」

「凍結されているんじゃないのか? ……国際条例に違反しろって言いたいのか?」

「そうだ」


駈は暗い笑みを発して、絆を見た。


「君には国賊になってもらいたい」


言葉を失った絆に、駈は付け加えた。


「無論タダでとは言わない。八○一号はあくまで君が、個人的意思で運用したものと主張してくれればいいだけだ。君の命は保障しよう。その代わり」

「俺の脳の研究をさせろと言いたいのか……!」

「そうだ」


頷いて、駈はポケットに手を突っ込んで壁に寄りかかった。


「私達にとっても、君にとっても悪い話ではない。生存確率は、八○一号の方が圧倒的に高い。『死ぬのが怖い』のなら、乗るべきだと私は思うが」


卑劣だ。

いけしゃあしゃあとした顔で、よくやる。

絆は心の中で、駈に唾を吐きかけたい衝動を無理やり抑え込んだ。

やはりこの男は、危険だ。

夢の中でバーリェ達と会話した内容を、この男に漏らす訳にはいかない。

絆はだいぶ長い間考え込んでいた。

しばらくして彼は息をつくと、駈に答えた。


「……分かった。乗ろう」

「君ならそう言ってくれると思っていたよ」


駈は端的にそう言って、壁から離れてゆっくりと出口に向かって歩き出した。女性職員と看護師達が彼に続く。

数人の看護師に目配せをして残るように指示すると、彼は部屋のボタンを押してから言った。


「……フォロントンにはあと十五時間あまりで到着する。それまでの間だが、ゆっくり休むといい」


休めるわけがないだろう。

部屋を出ていった駈に対して、心の中で吐き捨てる。

絆は、睡眠薬を自分に投与してくれるように看護師に頼み、目を閉じた。



フォロントンに着いたのは、しかしそれから二十時間以上も経ってからのことだった。

艦が受けた損害で、思うようにスピードが上がらなかったのだ。

絆は職員達の手で、機械的に八○一号のコクピットに詰め込まれながら息を吐いた。

体の各部への局部麻酔が効いているため、感覚もないが痛みはない。

しかし……両腕を看護師に、包帯で操縦桿にぐるぐる巻きにされている絆を、雪と霧が心配そうな目で見ていた。


「絆……来ない方がいいよ……」


雪が、絆の様子を霧から聞いて口を開く。

霧も頷いてそれに続いた。


「マスター、艦の中でお休みになっていてください。私達が戦ってきます」

「俺の心配をする前に、集中しろ。八○一号は起動に時間が掛かるんだ」


絆はかすれた声でそう言った。

純がため息をついて操縦桿を握る。


『全ての接続を確認しました。システム、起動します。全システム起動まで、後十七分です』


サポートAIの声が聞こえる。

十七分。

驚異的なスピードだ。

やはり純の性能は凄まじい。

諦めたように息をつき、純は操縦桿を握りしめながら言った。


「特務官様はあまり動かないでください。傷が開きます。お姉様達、速やかに敵拠点を殲滅し、艦に帰還しましょう」

「純ちゃん……」


雪が、しかし戸惑ったように続けた。


「絆は戦える状態じゃないんでしょう? 一緒に行くなんて、無茶だよ」

「無茶かどうかは俺が決める。お前達は何も心配することはない」


絆がそう言うと、モニター下側に各トレーナー達の顔と駈の顔、そして椿の顔が映しだされた。


『絆特務官……出撃されるのですか?』


椿が素っ頓狂な声を上げる。


『それに……八百番台の機体……? それは凍結されている筈じゃ……』


他のトレーナー達も怪訝そうな顔をしている。

絆は頷いて、そして言った。


「俺の独断で動かす。全員死んだら、それこそ笑いものだ。この機体の力が必要だ」

『作戦概要をもう一度説明する』


絆の言葉を引き継いだ形で、駈が口を開いた。


『この艦を基地拠点とし、自然の壁内部の新世界連合拠点を叩く。こちら側の戦力は、八○一号に、七百番台のAAD四機。戦闘機型トップファイブAAD十二機だ。これらを最後の作戦とし、オペレーションフォロントンと呼ぶことにする。尚、自然の壁の内部ではバーリェ諸君は、絆特務官と椿執行官の指示で動くこととする。内部では外側からの通信が使えない。忘れないようにしてほしい』

「…………」

『活動開始まで、後十二分です』


AIの声が響く。


『君達は、ここから自然の壁内部の中央部、五十二キロ地点まで移動。その際に出現した敵勢力は、全て排除するように。そして、敵拠点を目視したら、この兵器を使用しろ』


駈が壁にプロジェクターで映像を投影する。

そこには、ミサイル弾のようなものが映っていた。

それが何なのかを知っている絆達は、沈黙して彼を睨みつけた。


『この合成ガスは、炸裂した地点から半径五キロ以内の、全ての動植物の活動を停止させる。いわゆる有毒ガスだ。すべての機体に、一発ずつこの特殊弾が搭載されている』

『やはりこれは……非人道的すぎるのでは……』


椿がそう漏らすと、駈は手元の資料に視線を落として答えた。


『何を言う。先に手を出してきたのは新世界連合だ。彼らを駆逐しなければ戦いは終わらない』


遠まわしに、特攻しろと言っているのに近い。

現場に出向く椿が青くなったのも分からなくはない。

コクピット内は密閉状態のためガスには強いが、それでも、毒ガスがばらまかれることになるのだ。

いわば、戦略兵器を抱えて突き進めと言われていることに近い。


『活動開始まで、後十分です』


AIの声と共に、絆は言った。


「どの道、戦いは終わらせなきゃいけないんだ……使える戦力はありったけ使う。俺達は戦いに行くんだ。遊びに行くわけじゃない」

『…………』


椿が下を向いて黙りこむ。

駈は資料をめくって続けた。


『作戦所要時間は、四十分とする。各AADには補助システムを組み込んである。ガス散布後、離脱する程度のエネルギーは既に注入してある。安心したまえ』


駈は資料を閉じて、そして言った。


『敵陣をかいくぐり、本拠地にガスを叩きこむだけだ。成功を祈っている』



十分があっという間に経ち、八○一号は脚部キャタピラを回転させながら、着陸している艦の外に出た。


『エネルギーラインの確立を確認。ハイコアの接続を感知。システム、殲滅ジェノサイドモードを起動します』

「テイクオフします!」


渚の声と共に八○一号が背部ブースターを点火して、凄まじい勢いで空中に浮かび上がった。

他のAADも飛び上がりはじめる。

八○一号の背後に、ぴったりと椿のAADがついた。


『後ろは任せてください!』


椿の声が聞こえ、絆は軽く笑ってそれに返した。


「了解した。全機、危ないと思ったらこちらに任せてすぐに帰還しろ。これは『命令』だ」


絆は他のバーリェ達に向かってそう言った。

目の前に、壁の内側にどこまでも広がる緑色の空間が映る。


「綺麗……」


霧がそう呟いた。


『活動限界まで、後四十五分です』


AIの声が、活動時間を告げる。

四十五分、通常運用すれば作戦時間内に戻ってこれる時間だ。

しかし。

果たして、それだけの時間で、絃と決着をつけることができるのか。

考えてもそれは分からないことだった。


「全機続け! 作戦を開始する!」


考慮している時間はない。

絆がそう言うと、純が


「了解しました。衝撃に備えてください」


と言って、アクセルを踏み込むように操縦桿を握った。

八○一号が、比較的ソフトな動きで少しずつブースターを加速させる。

Gに耐えながら、渚が引きつった声を発した。


「目標地点まで十二分で到着いたします……待ってください、重力子指数急激に増大、死星獣の反応です!」

「迎撃します!」


純がそう叫ぶように言って、八○一号の肩部ブレードを抜き放つ。


『ハイ・シケルハンドブレードを展開。続けてスティグマスフィールドを全方位に展開します』


八○一号が灰色に光り、エネルギーのフィールドを周囲に展開する。


「認識させない!」


純がそう怒鳴ると、彼女は高速で操縦桿を動かした。

空中から現れた数十体の死星獣の一角を、流星のように飛んだ八○一号が駆け抜ける。

遅れて背後でブラックホール粒子を炸裂させて、死星獣達が大爆発を起こした。


「凄まじい転移量です! 感知限界を超えました! 六百……嘘……!」


言葉を失った渚に続き、絆もモニターを見て息を呑んだ。

まるでハチの大群のように、金色の、羽が生えた死星獣が数百も群れになって空中を浮遊していたのだった。

それらは両手を広げると、ひとつの大きな板のようになってこちらに向き直った。

それらの体が真っ赤に発熱する。


「大丈夫です、うろたえないでください!」


純がそう言って、突っ込んでいる八○一号の動きを止めないまま、機械兵器の背部ブースターから巨大な砲身をせり上がらせた。


「スティグマスフィールドを射出します! ナビを!」


純の声にハッとして、絆はモニターを睨みつけてくぐもった声を発した。


「水蒸気爆発が来る……今だ!」


今までとは比較にならない規模の球形の爆発が、周囲に広がった。


「展開します!」

『了解。スティグマスフィールド、生成臨界点を突破。スティグマスキャノン、発射します』


砲身が灰色に輝き、直径百メートルを超える巨大な光の柱が吹き出した。

それに押される形で後退した八○一号の中で、絆は向かってきた熱波を、エネルギーが掻き消して突き抜けたのを見た。

天に向かって飛んだ光の柱は、軽い音を立ててゆっくりと掻き消えた。

次いで、光が通過した場所の死星獣が、一気に膨張して炸裂した。

それは次々と連鎖爆発を引き起こすと、たちまちのうちに数百の死星獣を爆裂させた。


「押し通ります! 各機、私達に続いてください!」


純が怒鳴って操縦桿を握りこむ。


「雪お姉様は管制を、霧お姉様は砲座攻撃とエネルギー循環経路の制御をお願いします! 私はこのまま突き抜けます!」


そう叫んで、純はブレードを構えながら、八○一号を猛スピードで、残った死星獣の群れに突入させた。

まるで洞窟で、コウモリの群れに飛び込んだかのように、死星獣達が大恒王に取り付こうとわらわらと寄ってくる。

手近な数体を切り飛ばした純の動きに合わせるように、霧が上ずった声を発した。


「全方位射撃砲、ブルフェンを使用します! エネルギーラインを三十五パーセントで固定、スタンバイ!」

『了解。ブルフェンをチャージします。発射まで後二十秒です』


AIの声が苛立ちを募らせる。

ブレードを振り回しながら、針の穴を通すような正確さで、八○一号が死星獣の合間を縫って飛ぶ。

椿のAADがやっとついてきていた。

他のAADは、追いついてきていなかった。

慌てて絆が声を張り上げる。


「純、後ろを気にしろ! 仲間の戦力を無駄にするな!」

「まずは周辺の敵を一掃します!」

『チャージ完了。撃てます』


端的なAIの声と共に、霧が叫ぶ。


「衝撃に備えてください、発射します!」


八○一号の肩部と脚部の装甲が開き、中の四つのキューブ体が高速回転する。

一拍後、八○一号は背後についていた椿のAADと背中を合わせるように空中にホバリングし、周囲にリング状の衝撃波を放った。

それがゆっくりと広がっていき、群がっていた死星獣達を飲み込む。

次の瞬間、ぐんにゃりと空間が歪んで、死星獣達が掻き消えた。


『エネルギーライン、八十九パーセントに低下。ブルーで安定させます』


一瞬純が苦しそうな表情をする。

しかし彼女は、背後に他のAAD達がついてきているのを確認すると、また声を張り上げた。


「攻撃して! 六百番台、ケルミカルミサイルを使いなさい!」


ケルミカルミサイル。

今回、各機体に積まれている有毒ガスを詰め込まれたミサイルだ。

絆が待て、と言う前に、背後から近づいてきていた戦闘機型AADが、一斉に毒ガスミサイルを発射した。

純の言葉を、絆の命令だと誤認したのだ。

ミサイルはそれぞれ放物線を描いて打ち上げられると、手近な死星獣に向かって突進を始めた。

純がそこで、八○一号のブースターを全開に吹かした。


「ごめんなさい! 耐えてください!」


凄まじいGが絆達を襲う。

歯を食いしばった絆の目に、流星のような軌道で移動した八○一号が、ブレードで十二発の毒ガスミサイルを次々に斬り飛ばすのが見えた。

遅れて背後でミサイルが大爆発を起こし、周囲に真っ白い粉のような毒ガスを散布する。

周囲を囲むように、毒ガスはヒラヒラと舞い降ちた。

それに当たった死星獣が、奇妙な動きをした。

ビクンッ、と痙攣したように動くと、それらは空中で体を震わせ、頭をかきむしった。

次いで死星獣達の頭部が膨れ上がり、膨張して爆発する。

胸からはキューブ体、核が浮かび上がったが、白い毒ガスに当たると塵になって消え始めた。

これは……毒ガス、ではない。


「ホワイトホール粒子……ブラックホール粒子の反物質か!」


絆は操縦桿を握りながら押し殺した声を発した。

ブラックホールと対極の位置にあるもの。

それがおそらく、ホワイトホール粒子。

それはブラックホール粒子を相殺して打ち消すだけではなく、死星獣の動きを止め、干渉することができるらしい。

白いホワイトホール粒子に当たった森が、綺麗に消滅していく。

まるで破壊の雪のような光景が広がっていた。


「ミサイルを発射した機体は後退しろ! 邪魔になる!」


絆が怒鳴る。

純は、白い狂気の雪が荒れ狂う中、八○一号を更に前に突き進ませた。


「純、止まれ!」


Gに耐えながら絆が声を張り上げる。

しかし純はそれを無視し、更に機体を別の死星獣の群れに突っ込ませた。


「霧お姉様!」

「ブルフェンの二撃目を発射します!」


頷いて霧が操縦桿を握りこむ。

八○一号は、片手で椿の機体を掴んで引き寄せると、射角を調整してもう一度ブルフェンを放った。

前方の死星獣が綺麗に消える。

遅れて他の三機のAADが追いついたのを見て、純は


「全機攻撃スタンバ……」


と言いかけて、こみ上げてきた嘔吐感に負け、口の中に沸き上がってきた血を吐き出した。


「純!」


絆が叫ぶ。

無理な、急激なエネルギー搾取による副作用だ。

純は、しかし口元を手で拭って、ニィと笑ってみせた。


「的が多いと楽です! だって、撃てば当たるんですもの!」

「死ぬぞ! 霧、純を止めろ!」


しかし霧は、首を振って操縦桿を握りこんだ。


『スティグマスシールドを展開します』


霧の操縦で八○一号が左腕を振り上げる。

その腕に、半球状の巨大なエネルギー膜が浮かび上がった。

そこに、突然空中に出現した機体が振り下ろした長大なブレードが打ちあたって受け止められ、凄まじい勢いで火花を上げた。

絃の機体だった。

六枚の翼を生やして完全に回復した、そのAAD型死星獣が弾かれたブレードを振り上げて、二度、三度と視認もできない速度で振り下ろす。

純と霧の操縦で、ブレードとエネルギーシールドで何度もそれを受け止めながら、八○一号は背後に飛んだ。

ブレードを空振りした絃の機体が、そのまま空中をくるりと回り、掻き消える。


「重力子指数増大、背後です!」


渚が上ずった声で叫ぶ。

背後から出現した絃の機体は、八○一号のブースターに向かってブレードを振り下ろした。

そこで、間に椿の機体が割って入った。


「椿さん!」


絆が慌てて怒鳴る。

椿の機体は、しかし返事をする間もなく肩口から袈裟斬りに両断されると、空中を錐揉みに回転しながら落下し始めた。

その瞬間、八○一号を突き飛ばしてブレードを避けさせる。

やがて煙を上げた椿の機体が森に落下し、遅れて爆炎を上げた。

モニターに、彼女の機体がロストしたことを表す文字が表示される。


「そ、そんな……」


硬直した絆の前で息も継げずに、絃の機体の高速の斬撃を、霧と純が受け止めながら後退していた。


「七百番台、前に出なさい! 進んで!」


祈るように純が叫ぶ。

そこで絃の機体の姿が掻き消え、前に出ようとしていたAADの一機の前に出現し、肉薄した。

その腹部が蠢いて開き、中の真っ黒な空間が姿を現す。

一瞬後、先程八○一号が発射したスティグマスキャノンに似た黒い光が、数百メートルもの直径にふくれあがってそこから射出された。

越えて行こうとしていた三機のAADが一瞬で巻き込まれ、ひしゃげて段々と小さな塊に圧縮されていく。

そして、しまいにはビー玉のような粒になって消滅してしまった。

爆発も何も起こらなかった。

一瞬で味方が全てやられてしまったのを見て、絆はたまらず操縦桿を握りこんだ。

そして訳の分からない声を上げながら、全ての砲座のロックを解除し、機械を制御して絃の機体に照準をロックオンさせる。


『ベルクトラルパルスレーザー、フルバースト。射出します』


AIの声と共に体中の砲座から灰色のレーザー光が発射され、それらは空中で歪んで乱反射し向きを変えると、絃の機体に全方位から襲いかかった。

純がまた嘔吐感に負けて血を吐く。

今度は、霧も激しく咳き込んで同様に吐血した。


「霧ちゃん! 純ちゃん!」


泣きそうな声で雪が絶叫する。

操縦桿から手を離して、霧がボタボタと血液を吐き散らす。


『エネルギーライン、六十七パーセントに低下。グリーンで安定させます』


AIの淡々とした声が五月蝿い。

絃の機体は、前方向から乱反射しながら襲い掛かるレーザー光に抵抗することも出来ずに、全て被弾して、次いで大爆発を上げた。


「直撃を確認! で、ですがまだ重力子指数が下がりません!」


渚が悲鳴のような声を上げる。

もくもくと立ち昇る煙が段々と晴れ、そこには羽で胴体を守るようにして浮遊している絃の機体の姿があった。

羽はボロボロになっていて、崩れて消えていく。

次いでその頭に亀裂が入り、まるで虫の脱皮のように、中からずるりと、腕と足が妙に長い人型の物体が姿を表した。

まるでナナフシのような姿だった。

周囲を飛んでいた死星獣達が次々と脱皮した絃の機体に吸い込まれるように近づいていき、その体に溶け込んで融合し始める。

それに伴って、絃の機体が徐々に膨れ上がり始めた。

数秒後、唖然としている絆達の目の前で、五百メートルを超える体長の、腕と足が妙に長い金色の巨人が、四つん這いの姿勢で森に立つ。


「何……だ、あれ……」


呆然と呟いた絆の耳に、我に返った渚の声が飛び込んできた。


「あ……ありえない程の重力子指数です! この空間の圧縮が起こります!」


それを中心とした空間が、半径十数キロ程ぐんにゃりと歪んだ。


『スティグマスフィールドをフル展開します。全ての機能に障害が発生しました。動作三十二パーセント低下。ブースター出力五十六パーセント低下。エネルギーライン、四十パーセントを割りました。レッドラインに突入します』


AIの淡々とした声。

八○一号全体がビシビシと音を立てて歪み始めた。

空間それ自体が、まるで渦巻きのようにねじれてきている。

今まで足元にあった森が、頭上に見える。


「絃……!」


絆は押し殺した声で言うと、声を張り上げた。


「終わらせるぞ! メルレダンデを使う。フルチャージ!」

『了解。広範囲極破壊兵器、メルレダンデを使用します。最終認証を願います』

「やれ!」

『最終認証と判断します。チャージまで、残り三十秒です』


霧が、口元を手で抑える。

次から次へと血が流れ落ちて、彼女の病院服を真っ赤に濡らす。

純が頭を抑えて崩れ落ちた。

次いで、雪の鼻から血が流れ出す。


「みんな!」


渚が悲鳴を上げる。

絆は操縦桿を強く握り、目の前の異形の化け物を、穴が開かんばかりに睨みつけた。

お前らが。

お前らがいるから。

だから、俺は。


『チャージ完了。撃てます』

「全砲門を開放! 撃てええ!」


操縦桿を捻りこむ。

次の瞬間、八○一号を中心とした空間が、今度は逆方向に歪んだ。

そして空間が元に戻り、火花をちらし始めた。

コクピットの中は、血まみれだった。

三人とも鼻や口からものすごい勢いで血液を垂れ流している。

しかしそこで、雪が操縦桿を握って大声を上げた。

それは、彼女が見せたことがない激情の姿であり。

声にならない叫びだった。

空間が八○一号の力により歪み、化け物を巻き込んでぐんにゃりと曲がる。

次いで、真っ白い光が八○一号の前に吸い込まれて、消えた。

周囲の森が全て吸い込まれ、綺麗なすり鉢型の砂漠になって散る。

化け物は吸い込まれはしなかった。

しかし、一秒経ち。

二秒経ち。

数瞬遅れて、巨大な異形は火柱を吹き上げた。


『エネルギーのラインが、2接続切断しました。補助システムを起動します』


純と霧がひときわ強く血を吐いて、ぐったりと脱力した。

雪が口や鼻から血を流しながら、必死に操縦桿を握る。

一拍遅れ、化け物を中心に、凄まじい勢いで天に向かって火柱が膨れ上がり、飛んだ。

それは数十秒も立ち上り続けると、やがて唐突に消えた。

ズゥゥン……と重低音を立てて、全長五百メートルはある怪物が横薙ぎに砂の中に倒れこむ。

そこで雪が激しく咳をして、操縦桿から手を離した。

八○一号が彼女の制御を離れて、ブースターの点火を止めて落下し始める。

絆は慌てて操縦桿をひねりこみ、設定を変えて補助ブースターを起動させながら、鈍重な機体を真下に不時着させた。

凄まじい衝撃が八○一号を襲う。

絆はコクピットの中で激しく揺さぶられながら、力なく崩れ落ちたバーリェ三人のことを見て、慌てて手を伸ばそうとし。

そこで八○一号が前方に倒れこみ、シートに体が叩きつけられた。

意識が飛ぶ。

麻酔が切れたのか、体を鋭い激痛が襲っていた。

絆はカハッ、と血の混じった唾を吐き出し、必死に操縦桿を握った。

ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。

それは次第に強さを増し、そして数秒後、雷を伴った豪雨になった。


『エネルギーのラインが全て切断されました。当機は、全システムを停止します』


AIの声とともに、八○一号のコクピット内が補助電源の赤いランプに切り替わる。

雨は数分で、あたりを泥沼のように変えてから止まった。

絆はそこで、軍服を着た人間が一人……二人……いや、数十人も、銃を手にこちらに向かって歩いてくるのを見た。

少し離れた場所の地面に、小型の飛空艇が停まっている。

絆は壁にかかっていたハンドガンを手に取ると、動かない手で何とかコッキングし、周りを見回した。

渚も、三人のバーリェも、意識がないようだ。

銃を口にくわえて、這うようにしてまず純に近づく。

脈はある。

霧も、まだ息があった。

しかし雪の脈がなかった。

絆は慌てて彼女の体からチューブを引き抜くと、小型のAEDを取り出して、雪の体にセットした。

そして電源を入れ、数秒置いて心臓に直接電気ショックを与える。

それを何度か繰り返したところで、雪が激しく咳をして血を吐き出した。


「良かった……雪……!」


AED機をむしりとり、雪を抱きしめる。

雪はしばらくぼんやりと宙を見ていたが、やがてかすれた、消え入るような声で呟いた。


「絆…………私、生きてる……?」

「ここに隠れてろ。俺が合図したら、緊急の脱出ボタンを押せ。分かったな?」

「絆は…………私、一緒に…………」

「俺は、今から新世界連合に対して囮になる。お前達だけでも逃げるんだ。命令だ」

「絆……!」


動こうとしたが、すぐには心停止していた体は言うことを聞かなかったらしく、もがいた雪をシートに押さえつける。

そして絆は、体を引きずりながら無理矢理に立ち上がり、ハッチを開くボタンを押した。



「それ以上近づいたら、引き金を引く! 分かるか? ガスミサイルの信管だ!」


大声を張り上げた絆の目に、近づいてきていた新世界連合の人間達が動きを止めるのが見えた。

絆は真っ直ぐ立ち、八○一号のミサイルポッドのハッチを開いて、中のミサイルを露出させていた。

そのひとつ、紫色のラインが引かれたミサイルにハンドガンを向けている。


「警告はこれで最後にする! お前達が妙な真似をした瞬間に、こちらは自爆する! 絃を出せ!」


特に策があるわけでもなかった。

それに、この距離ではたとえ自爆したと言っても逃げられる可能性が高い。

圧倒的にこちらが不利だ。

しかし行動を起こさなければ、八○一号が包囲されてなぶり殺しになる可能性が高い。

それならば。

雪達だけでも、逃がしてやりたい。

そう思ったのだった。

言うことを聞くかどうかは不安だったが、新世界連合の人間達は絆に向けて銃を構えながら、何かを話し合った後一歩、二歩と後ろに下がった。

そして、絆と同様、体の各部に器具とギプス、包帯などを装着した絃が、足を引きずりながら前に進み出た。

桜にそっくりなバーリェ二人が、彼のことを支えている。

絃はハンドガンをコッキングすると、絆の声がきちんと聞こえる位置まで進んだ。


「止まれ! 妙な行動を起こしたら撃つ!」


絃は足を止め、クックと喉を鳴らした。

そしてさぞかし面白そうに、目を見開いて大声で笑い始める。


「何がおかしい!」


激昂した絆に、絃は笑い声を止めて、ヒュー、ヒューと息を吐きながら言った。


「いや……何。撃てんよ。こんな状況でも虚勢を張るか。成る程、お前らしいと思ってな」

「…………」

「全隊、前に出ろ!」


絃が指示をした通りに、新世界連合の人間達が銃を構えて数歩前に出る。


「近づくな!」


怒鳴った絆に、絃は面白そうに笑ってみせてから続けた。


「まだ逃げてないだろう。お前の大事なバーリェ達が逃げてない。だから、自爆をするのにはまだ早いんだよ」


黙り込んだ絆に、畳み掛けるように絃は言った。


「お前の負けだ、絆。おとなしく投降し、バーリェとそのブラックボックス兵器をこちらに引き渡せ。そうすれば悪いようにはしない……いや、絆。むしろ……俺に協力してくれ。二人でこの世界を変えていかないか?」


絃は銃を降ろし、ミサイルに銃口を突きつけたまま静止している絆に向かって言った。


「この星は病んでいる。お前ならもう知っている筈だ。元老院はネットワーク上に存在する、形がないただのデータ生命体に過ぎないって事実を。俺達は単なるプログラムに命を管理されて、作られた世界の中で生きてきたんだよ。その元老院が命令して作り上げたのが、エフェッサーだ。だから、俺達は元老院を『殺す』ことは出来ない。ネットワークのどこに奴らがいるのかも分からないからな」

「…………」

「だが、間接的に世界を変えることは出来る。歪んだ世界の中にいる、歪んでしまった人間達を消去すれば、元老院に管理されていない、新しい世界を作り出すことが出来る! そのために俺は、バーリェを、死星獣を、何もかもをも利用した。そして俺達は、もうじき全ての計画を実行に移せる段階まで来ている!」


絃は大声を上げてニィ、と笑った。

その顔は奇妙な程、絆がかつて知っていた彼とは違った粘土細工のようなものであり。

感情を感じさせないものだった。


「だから俺達は……」

「…………変わったな」


絆は銃をミサイルにつきつけたまま、静かに言った。

絃が言葉を飲み込んで、息をつく。


「何がだ?」

「俺も、あんたも変わっちまったよ。絃、愛してたんだろ? 桜のこと」


その名前を聞いた絃は、鼻でそれを笑い両手を広げて声を張り上げた。


「愛していた? 俺がバーリェを? こいつら、ただの人形を……俺達に害を成す元凶のこいつらを! 俺が、愛していたと言うのか!」

「ああそうだ。お前は桜を愛していた。だから、だからこそ、この世界が許せなかった。桜を自爆に追い込まざるを得なかったこの世界を、そしてその原因を作った元老院を、お前はどうしても許すことが出来なかった。だからじゃないのか? だから……お前、そんな悲しいこと、笑いながら言えるようになったんじゃないのか?」

「俺達は……この星のことを想って行動している! そんな小さな話で動いているんじゃない!」

「小さくない!」


絆は負けじと大声を張り上げた。


「愛することは小さくない! その他の何よりも強い、何よりも大事なことなんだ! お前にはそれが分かっている筈だ、理解できている筈だ! お前みたいな人間を、ここまで変えちまう程、愛は深くて恐ろしいものだったんだよ! 変わっちまったよ、俺も、お前も!」

「黙れ……!」


絃は銃を振り上げて絆に向けた。


「俺がそんな個人的感情で動いていたと思われることは心外だ! 訂正を願おう!」

「黙るのはお前だ! 天使の端末を出せ! 死にたくなければ言うとおりにしろ!」


ミサイルの信管に銃をえぐりこむように突きつける。

絃は歯噛みして、銃を構えながら数歩後ろに下がった。


「何故それを知っている……?」

「……桜に聞いたよ。あいつ、お前の行動を凄く気に病んでた。でもまだ、確かにお前のことを大事に思ってた、愛してた!」

「この期に及んで戯言を抜かすか!」

「撃つぞ! 天使の端末を出せ!」


繰り返した絆と絃が睨み合う。

いつの間にか、新世界連合の人間達は八○一号を囲むように移動していた。

絃は軽く引きつった笑みを発して、そして続けた。


「お前は撃てない。お前には無理だ」

「いいや撃てる! 俺は、引き金を引くことに何らためらいはない!」


絆はそうはっきりと言って、絃に向けて銃を振り上げ、引き金を引いた。

彼の頬をかすめて銃弾が通り抜ける。


「……絆ぁ!」


一拍遅れて激昂した絃が、構えていた銃の引き金を引いた。

パンッ、と軽い音がして絆の脇腹に弾が着弾する。

もんどり打って地面に倒れ、絆は内蔵をぐちゃぐちゃにかき回される痛みに悶絶し、込み上がってきた血の塊を口から吐いた。


「……最後の警告をするのはこちら側だ。言うことを聞け。そうすれば悪いようにはしない」


絃はそう言って、ポケットから金色に輝く正方形のキューブ体を取り出した。

十センチ四方程のそれは、光を反射して眩くきらめいていた。

天使一号。

死星獣を、バーリェを具現化させている端末のうちの一つ。


「いいだろこれ……これがあると、思うだけで死星獣を作り出すことが出来るんだ」


絃はそう言って、目を閉じて何事かを念じ始めた。

彼の背後の空間が揺らめき、金色の死星獣が何匹も姿を現す。


「嘘、だろ……」


まだ出すことが出来るのか。

その事実に愕然とした絆に、絃はキューブ体を弄びながら続けた。


「お前達には、最初から勝ち目はなかったんだよ。どんなに死星獣を倒しても、こちら側に天使一号がある限り、無尽蔵に兵力の補充が可能だ。そんなエネルギー切れを頻繁に起こす不安定な兵器一機では、どうあがいたって俺達には勝てないんだよ」


絆は何とか立ち上がろうとして失敗し、またもんどり打って地面に転がった。

泥水まみれになりながら、彼は八○一号の脚部にしがみついて、ずるずると体を引きずりながら上体を起こした。

そしてミサイルに銃をえぐり込んで叫ぶ。


「近づくな! 本当に撃つぞ!」

「射撃は待て。あいつは生け捕りにしたい」


絃が鉄のような声で言って、周囲を制止する。

そして彼は銃を構えながら、絆に向けて近づいてきた。


「撃ちたいなら撃てよ絆……どうした? 俺には引き金が引けるのに、ミサイルに対しては引き金が引けないのか!」


じりじりと距離を詰めてくる絃を睨みながら、絆は指先に力を込めようとして、しかし体の感覚が完全に麻痺している事実に気がついた。

腹を撃たれたのが最後だったらしい。

死。

俺は死ぬのか。

このまま、こんなところで。

動悸を無理矢理に抑え、荒く息をつく。

そして彼は、コクピットに向けて怒鳴った。


「今だ雪! 逃げろ!」

「何……?」


一瞬絃が緊張する。

しかし、数秒間置いても何も起こらなかった。


「どうした、雪! 早く逃げろ!」

「……雪ちゃんは覚醒してるのか……成る程、流石天使に一番近いバーリェだ。まがいものとは格が違うな」


絃の表情が変わった。

彼は周囲に指示をすると、絆に銃を向けながら一気に距離を詰めてきた。


「雪!」


必死に叫ぶ。

まさか、まだ体が動かないとでも言うのか。

こんなところで……。

こんなところで、自分も、雪達も、みんな殺されてしまうのか。

死んで、しまうのか。

しかし。

ドシャ、と音がして、コクピットから何か小さなものが落ちてきた。

それは地面を指で掻いて立ち上がると、訳の分からない声を上げて、絆の頭に銃を突きつけていた絃にぶつかった。


「雪……!」


それは雪だった。

見えない目をいっぱいに見開き、彼女は地面にどうと倒れた絃に覆いかぶさるように、その場に転がった。


「待て、撃つな!」


絃が怒鳴った瞬間だった。

彼の近くにいた新世界連合の一人が、小銃の引き金を引いた。

連続した射撃音が響き渡り、雪の小さな体が跳ねた。

そして彼女は、殴りつけられたかのようにその場で膝を折り、力なく絆の方に倒れこんできた。


「…………」


唖然として、声が出ないまま雪を抱きとめる。


「お……おい……」


ゴボッ、と明らかに危ない量の血を吐いた雪を、絆は慌てて揺さぶった。


「雪! おい雪! 何やってんだ、何やってんだお前!」

「絆……」


雪は微笑んで、そしてかすれた声で続けた。


「……私、ちゃんと絆を助けられた……?」

「ま、待ってろ、今血を止めてやる……血を……」


震える手で、ぐちゃぐちゃになった雪の胸を押さえる。


「止まらねえ! ……止まらねえよ!」


後から後から血が流れだしていた。


「おい! 何見てる! 何見てんだ! 助けてくれ! 俺のバーリェが……雪が! 雪が死んじまう!」


新世界連合の人間達に、気づけば絆は哀願していた。


「誰か……誰か! 雪が! ……雪が!」


金属音がした。

周囲の新世界連合の人間達が、無言で銃をコッキングして絆に向けていた。


「……大丈夫だよ……私は……大丈夫だから……」


雪は手をふらふらとさせて絆の頬につけ、咳をしてから、それを前方に向けた。


「……ジャンクション」


雪がそう言った途端だった。

彼女の体が、もやのように淡い白色に光り始めた。

それにともなってブゥン、と音がして八○一号の電源が入り、鈍重な機械兵器は、雪がしているように手を持ち上げた。


「第一ロックを解除。第二ロックを解除。遠隔操縦プログラム起動。全てのシステムをニュートラルへ……」


雪は呟くようにそう言うと、段々と体温がなくなっていく体を無理矢理に動かした。

新世界連合の人間達が、一斉に銃の引き金を引いた。

瞬間、八○一号が立ち上がり両手を広げて雪と絆を包み込んだ。

銃撃から自分達を守った八○一号の肩と足の装甲が開き、中のキューブ体が高速回転を始める。


「何をする気だ……? 雪……お前、何してる……?」


呆然と呟いた絆に笑いかけて、雪は言った。


「……お別れだね」

「え……」

「今迄、一緒にいられて嬉しかった……私は、あなたに会えて……本当に良かった。あなたに好きになってもらえて、本当に良かった……」

「何言ってんだ……お別れ……? お別れって……どういう意味だ……?」

「ここで終わりにしよう? 何もかも全て……終わりにしよう? もう充分頑張ったよ。絆は偉いね……みんなも、きっとあなたを褒めてくれる。だから悲しくないよ……つらくないよ。泣くことは……ないんだよ」


大粒の涙を流している絆の頬からそれを拭い、雪は顔を上げた。


「絆あああ!」


手近な死星獣がAADの姿に変化し、乗り込んだ絃と二体のバーリェが、操縦桿を握る。

絃が怒鳴り、機体の中で天使一号をかざした。


「お前は……やはり殺しておかなければならなかった! 俺達の理想郷に、お前の存在は不要だ! 俺とお前はもう分かり合うことはない!」


絃の機体の目の前に、金色の球体が浮かび上がる。


「全てを一旦ここでリセットする! 我々が消えても、新世界はやがて訪れる。お前達の力では何も変わらない、変えられない!」

「……変えてみせる……!」


雪がそう言って、か細い声を張り上げた。


「私達は変えてみせる、変わってみせる! だからあなたの言う新世界も、理想郷も、私達には必要ない! 私達は、ただ生きていたかっただけなのに! ただ好きな人と一緒に、生きていたかっただけなのに!」


絃が動きを止めた。

一瞬後、彼は激昂して操縦桿を握りこんだ。


「やかましいいい! 小娘がああああ!」


しかし、膨張している金色の球体を抱えたまま、絃の機体はその場に停止した。


「何だ! 何故動かない!」


絃がガチャガチャと操縦桿を動かす。

しかし機体は空中に浮遊したまま、ピクリとも動かなかった。

二体のバーリェが、操縦桿を握りこんで歯を強く噛んでいる。

その後ろ姿を見て、絃はハッとして、小さく呟いた。


「……桜……?」

「どれだけバーリェを犠牲にしようと! どれだけ人間を殺そうと! 新世界なんて訪れない……そんなものはどこにもない! 死んでしまった人はもう生き返らないし、世界はそれでも回っていくんだから!」


雪が悲痛とも言える声で叫ぶ。

絃の機体の金色の球体が徐々に膨張していく。

八○一号を囲んでいた新世界連合の人間達が、歪み始めたその空間に吸い込まれ始めた。

絶叫しながら消えていく人影を見ながら、雪は絆に支えられながら声を張り上げた。


「天使一号と共に消えなさい!」

『ブルフェンを使用します』


AIの声が八○一号の中から響く。

接続もされていないのに。

雪は、八○一号を動かして立ち上がらせた。

そして両手を絃の機体に向ける。

八○一号も広げた両手を前に向けた。

悲鳴のような声を上げ、雪は膨張し続ける金色の球体向けて、真っ白なホワイトホールを放った。

周囲にリング状の衝撃波が広がり、絃の機体を、絃ごと巻き込んで、それは消えた。

一瞬後、金色のAADの姿がぐんにゃりと歪んだ。

異形のAADはしばらく歪む空間に抵抗していたが、やがて渦に巻き込まれて小さく圧縮され潰れ始めた。

絆の目に、コクピット内で絃が、諦めたように操縦桿から手を離すのが見えた。

一瞬後、絃ごとビー玉程の大きさに圧縮され、そして消える。

光が収まった。

パラパラと白い灰が降ってきていた。

バーリェの少女は、絆の体にぐったりと寄りかかると、手を伸ばして彼に触れた。


「ああ……」


小さな声で雪は呟いた。


「みんながいる……」


そして彼女は、ぐったりと脱力した。

絆は、だいぶ長い間雪を抱いていた。

灰が体に降り積もっても、尚雪を抱いていた。

空から幾万もの粒子が舞い落ちてくる。

もう動かない亡骸を抱いて、絆はその灰の中、ただ呆然と空を見上げた。

帰る場所なんて、どこにもない。

戻る場所なんて、もうどこにもない。

ここから基地に帰還できるかどうかも分からない。

軽く自嘲気味に笑って、ボロボロの体で彼女にそっと呟く。


「帰ろう……」


動かない彼女。

鼓動を止めた彼女に、絆は静かに言った。


「帰ったら……みんながいるんだ。みんな、帰りを待っててくれるんだ。だから……一緒に帰ろう。家に」

「…………」

「目を開けろ……一緒に帰るんだろう? 一緒に帰れるんじゃ、なかったのか?」


その問いに答える声はなかった。

いくら待っても、帰ってくるのは漠然とした沈黙だけだった。

この子が、何であろうと構わない。

たとえそれが、存在することが許されないものであったとしても、俺はそんなことを問題にはしない。

これからも、きっと気にはしないだろう。

それを、ただ伝えてやりたかっただけなのに。

もう、彼女は動かない。

亡骸をそっと地面に置いたところで、体中の力が抜けた。

泥水の中にうつぶせに倒れこむ。

もう、体を動かすことが出来なかった。

……ごめんな。

お前達を、十分に愛してやることができなくて、ごめんな。

ただ、守りたかっただけなんだ。

ただ、お前達と一緒に暮らしたかっただけなんだ。

でも、それは。

何よりも難しいことで。

何よりもつらいことだったんだよ。

襲ってくるのは自責の念。

狂気の感情。

そこに飛び込むことも出来た。

出来たが、それは適わないことだった。

俺はここで死ぬ。

何もかもが終わったここで、俺はもう役目を終えるんだ。

だからもう、苦しい思いはしなくていいんだよ。

もうお前達のように、つらい思いをする子はいないんだ。

だから帰ろうよ。

一緒に、戻ろう。

……手を握られた気がした。

無理矢理に顔を上げたその先に、みんなが笑っているのが見えた。

絆は、彼女達に手を引かれ……。



「絆特務官様、どうかされましたか?」


問いかけられ、絆は顔を上げた。

コクピットの中、彼は小さく笑って、こちらを見ていた純に返した。


「いや……何でもない」

「まだ体調が万全ではないのでは? お休みになっていた方がいいですよ」

「そうです、マスター……フォロントンから六ヶ月経ったといえ、重症だったのです。まだ戦闘は早いと思います」


純の隣に座っていた霧もこちらを見て口を開く。

絆は、しかしギプスがとれた腕で頭を掻いて肩をすくめてみせた。

そして操縦桿を握って言う。


「テイクオフだ。集中しろ」

「はい……」

「了解しました!」


純と霧が返事をする。

背後の席で、渚が小さな声で言った。


「……本当に良いのですか? もう一度この機体に、あなたが乗りたいと言ったと聞いたときは、嘘かと思いました」


絆は黙って八○一号の操縦桿を握りこんだ。

フォロントンでの戦いから、すでに半年が経過していた。

体の怪我は殆どが完治していた。

まだ若干指先に障害が残るものの、今の医療技術には舌を巻かされるばかりだ。


死星獣は、いなくならなかった。

フォロントンの拠点を撃滅したといえ、新世界連合の残党も、いなくなったわけではなかった。

世界中に散らばり、今度はスラムの人間と結託して戦争を起こしている。

死星獣も変わらず出現はしていたが、絃が天使一号を使ってやったような極端な出現は、もうなかった。

空を飛ぶ八○一号が、雲を抜けて青空の真下に出る。


『絆特務官、お体の調子はどうですか?』


通信が入り、椿の顔が映し出された。


「ああ、問題はない。また一緒に戦えて嬉しいよ」


絆の声を聞いて、椿が安心したように息をつく。

フォロントンで絆を救ったのは、椿だった。

撃墜された瞬間に脱出ポッドを起動させて外に出ていたのだ。

度重なる八○一号の攻撃は、生き残ったバーリェ達のエネルギーで耐えていたらしい。

倒れた絆達を見つけて、基地まで運んだ命の恩人だ。


『今回も勝ちますよ! 私達が揃えば負けはありません!』


八○一号の脇に、同型機の椿が乗っている機体が浮かび上がる。


「ああ……そうだな」


小さく呟く。

一連の八○一号の戦果により、元老院はその凍結を無理矢理に解いてしまった。

絆は脳検査などをされたものの、勲章を授与されて不問の扱いだった。


「……ハッチを開けてくれ」


そう言った絆に、怪訝そうに渚が口を開いた。


「え……?」

「外の空気を吸いたいんだ」

「分かりました」


純がそう言い、高度を下げて、空気を抜いてから八○一号のハッチを少し開く。

絆はそこで、服に取り付けられていた数々の勲章を全てむしりとり、空中に投げ捨てた。


「あ……な、何をなさるんですか!」


慌てて立ち上がろうとした渚に、絆はハッチをボタンで閉めてから言った。


「こんなものあっても、みんな帰ってこないからな」

「…………」


黙り込んだ渚に、絆は軽く笑いかけてから操縦桿を握った。

生き残ってしまった。

また、死なずに俺は生き残ってしまった。

そしてきっと、これからもずっと。

生き残っていってしまうのだろう。

ならば。

ならば俺は。

戦ってやるさ。

死星獣と、新世界連合と、そして、この世界を牛耳っている元老院と。

バーリェが俺達の害になるのなら、一緒に生きて、いつか害にならない日まで暮らそう。

これからもずっと。

俺は、この子達と生きていこう。

そして、いつかきっと。

あの場所に行くんだ。

みんなが待っている、あの場所に。


「さぁ……戦闘だ!」


短く言って、操縦桿を握りこむ。

高速で動き出した八○一号の中、絆は軽く目をつむった。

手を差し出したみんなの顔が、そこにあった気がした。


「重力子指数増大、死星獣、来ます!」


渚の声がする。

絆は息を吸い、目を見開いて……。


【君の生命が、今日尽きようとも 終】


すべての皆様に感謝と祝福を。

栄えある未来に愛を。

そして先に進む勇気を。

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