第4話 小春色の叫び
花が咲いていた。
ピンク色の花びらが舞い散っていた。
バイオ技術で管理された自然の中、灰色の空の下。
その花は、ただひっそりと咲いていた。
排気ガス臭い空気がなびき、また花びらが散った。
それは整備されたコンクリートの地面に落ちると、静かに横たわった。
そしてひときわ強い風が吹いて、どこかに消えていってしまった。
俺は、またひらひらと落ちてきた花びらを手で掴んだ。
手の中で僅かに震えるそれをくしゃりと握りつぶし、風の中に放る。
声が、聞こえた気がした。
幸せな声が。
楽しそうな声が。
しかし、振り返った先には何もなかった。
ただ漫然としたピンク色の花びらが舞っているだけだった。
過ぎ去った日。
過ぎ去ってしまった日。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
しかし、去年と、その前と同じようにこの花だけは咲いた。
憔悴した目で、周りを見回す。
くすんだ視界に映るのは、何もない、ただ花が咲き乱れる空間。
そして一本の樹の根元に、ひっそりとたたずんでいる、一抱えほどの石だった。
そこに近づいて、俺は石に粗雑に彫られている「名前」の一つを見た。
それを指でなぞる。
自然と、涙が出た。
何故泣いているのか、何が悲しいのか。
この期に及んでも俺はまだ、良く分からなかった。
分からなかったが。
悲しかった。
苦しかった。
手を伸ばして、樹から花がついた枝を一本折り取る。
そして俺は、そっと石の前にそれを置いた。
両手で頭を抱えて、俺は泣きながら石の前に膝をついた。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
ピンク色の花びらが舞っている。
風が吹いた。
俺の苦しみなどを知らないかのように、風はただ吹いて。
そしてただ、漫然と花びらは舞っていた。
◇
絃と知り合ったのは、トレーナーになって間もない頃のことだった。
一人目のバーリェを、当時としては原因不明の病気で亡くした後、別のバーリェを受け取りに軍病院に行った時のことだった。
「やあ、新入りか。あの精神科学においた薬物論文を書いた秀才だな」
休憩室でコーヒーを飲んでいたところ、突然声を掛けられ、絆は慌てて振り返った。
その後ろで、絆よりも少し年上だと思われる男が、温かいココアをすすりながら、壁に寄りかかってまた口を開いた。
「確か……絆とか言ったか。はは、おかしな名前だ」
いきなり声を掛けられ、そして名前を馬鹿にされた。
いい気持ちはしなかったが、特にその時の絆は何を感じるわけでもなく、機械的に彼の方を向いて言った。
「何か用か? こっちは特に用はないが」
同じトレーナーだということは分かる。
このエリアを行き来できるのは、トレーナーだけだからだ。
彼はココアをまたすすると、手を伸ばしてきた。
「絃だ。君と同じ、トレーナーをしてる」
握手を求められたということが分からず、きょとんとする。
絃は絆の手を無理やりに握ると、何度か上下させて離した。
「よろしく。でも駄目だな……基本的なコミュニケーションが出来ていない。やっぱり君か。バーリェを衰弱死させたっていう新米は」
図星を突かれて、絆は返す言葉に詰まった。
そしてしばらくしてから彼に問い返す。
「どうしてそれを知っている?」
「トレーナーは、お互いの情報を知ることができる。ネットを通じてな。俺くらいしか利用はしないが。知らなかったか? 君の論文も、トレーナー権限でアクセスしたネットで読ませてもらった」
「…………」
「論文は素晴らしかったが、まぁ机上の空論だな。現に、君の書いた通りにバーリェは育たなかっただろう?」
何だこいつ、と思って絆はそこではじめて顔をしかめた。
いきなり初対面なのに、論文の批評をされて気分がいいわけがない。
それに、彼の言うとおりに、原因不明のままバーリェを亡くした直後なのだ。
からかうように言われて、面白くはなかった。
「あれは……あのバーリェが番外個体だったから……」
しかし返す言葉として出てきたのは、自信がなさそうな尻すぼみの言葉だった。
絃はココアを飲みきると、紙コップをダストシュートに投げ入れて絆の方を見た。
「番外個体? そんな記述はどこにもなかったが」
「…………」
「嘘はいけないな。君は、『健康状態が良好な普通の』バーリェを衰弱死させた。極めて稀な例だが、初めてではない。違うか?」
「…………」
「少しそれに興味があってな。どうやって殺したのかと思って、話を聞きたかった」
懐からカードを取り出して自動販売機に突っ込み、絃はまたココアのボタンを押した。
「どうやって……『殺した』?」
言葉を繰り返した絆に、絃は頷いて言った。
「ああ。殺したんだろ?」
「違う。原因は不明だが、あの子は何らかの病気にかかっていた。前例があまりない病気だ。その点では番外個体だったと言える。それが原因で……」
「いいや。あえてその感情を言葉で言い表すとすれば『愛』だ」
おかしな単語を口走って、絃は、出てきたココアの紙コップを取り出した。
「愛……?」
聞いたことはある、というだけの知識だったが繰り返して絆はそれを鼻で笑った。
「何を言うかと思えば……それは単なる感情であって、病名ではない」
「今の君じゃ分からないだけだ。トレーナーを続けてれば、嫌でも分からざるを得なくなる」
ココアをすすって壁に寄りかかり、絃は続けた。
「愛を断つことでも、バーリェは死ぬ。脆いんだ。それがたとえ感情論だったとても、感情論であの子達は死ぬ。君はそのさじ加減を間違った。だから『原因不明』のまま、君のバーリェは衰弱死したんだ」
「言っている意味が……良く分からないが」
絆はコーヒーを飲み干してカップをダストシュートに投げ入れてから立ち上がった。
「話は終わりか? 俺は帰らせてもらうとする」
「まぁ待てよ。そんなに急ぐこともないだろう。どうせラボに戻っても誰もいないんだ」
「さっきから何を言いたい? 苦情や苦言なら、上層部を通して……」
「また原因不明のままバーリェを殺したくはないだろう? 教えてやるよ。基本的なこと。知りたくはないか? どうして君のバーリェが死んだのか。俺は、その答えを知ってる」
絃はそう言って、軽く口の端を吊り上げて笑った。
「まぁ、漠然とだけどな」
◇
遠くで火柱が上がる。
ミサイルが着弾した印だ。
機関銃が乱射される音が響く。
絆は唖然としてその光景を見つめていた。
「何、だ……これ……」
悲鳴。
絶叫。
断末魔。
阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
エフェッサー本部のオペレーティングルームに通されて、絆は目の前に広がるモニターに映し出された光景に、ただひたすら唖然としていた。
逃げようとした人間を、軍用戦闘機が発射したミサイルが吹き飛ばす。
びしゃびしゃになった人間だった残骸が、地面にぶちまけられる。
カメラが汚れたのか、モニターに映し出されている映像の一部が赤く染まった。
それを淡々とした目で見つめている駈と、在中していたトレーナー達を見回し、絆はしかし言葉を発することが出来ずに、唾を飲み込んだ。
「…………」
絆を支えていた渚の手が震えていた。
「……酷い……」
渚が、絆にだけ聞こえた小さな声で呟く。
それにハッとして、絆は松葉杖を鳴らしながら、ギプスを嵌められた足を引きずって駈に詰め寄った。
「何をしてる! やめさせろ!」
突然怒声を上げた絆に、周囲の視線が集中する。
しかし駈はサングラスの奥の瞳を、特に感慨も沸かなそうに光らせながら、絆に淡々と返した。
「何をだ?」
「軍が……軍が……!」
言葉にならなかった。
現場のカメラから、そのまま無修正の映像が送られてくる。
子供と思われる人影が、機関銃の一斉発射を受けてボロキレのようになり地面に崩れ落ちるのが見えた。
「攻撃しているのは、ここから一番近いスラム街だ。問題はない。軍に対して口出しをする義理はない」
駈が静かに言う。
口元を抑えて、渚が俯いてオペレーティングルームを出て行った。
クランベの故郷はスラム街だ。
渚を初めとして、エフェッサーの本部、ここには多くのクランベがいる。
絆は足と奥歯の痛みに脂汗を流しながら、駈に食って掛かった。
「問題なくないだろう! こんなの戦闘じゃない、虐殺だ! 今すぐやめさせるべきだ!」
「……君は何を言っているのかね」
呆れた声でそう言って一つため息をつき、駈はまた視線をモニターに戻した。
「虐殺ではない。粛清だ。それに仮に攻撃をやめさせたとして、君が責任を取ってくれるのか? ……もしあの地区に死星獣が眠っていたら」
「責任……?」
絆の体から力が抜けた。
よろめいて壁に背中をつける。
こいつらは。
こいつらは、同じ人間を殺して。
粛清だとのたまって。
……何も感じないのか?
その事実に唖然として、言葉を失ったのだ。
無論、少し前の絆だったら何も感じなかったのかもしれない。
しかし絆は、その「何も感じない」ということを通り過ぎて余りありすぎてしまっていた。
「お前ら……おかしいよ……」
絆は、目の前でまた炸裂した、子供を抱いた母親だと思われる影を見て、こみあげるものを抑えきれずに、その場に胃の中のものをぶちまけた。
「医務室に戻りたまえ。君の体調は万全ではない」
それを感情を映さない瞳で見てから、駈は傍らの女性職員に清掃員を呼ぶように指示した。
絆は、自分を支えようとした別の女性職員の手を振り払って、大声を上げた。
「同じ生き物だろ! どうしてこんなことができるんだ!」
彼の声を聞いて、「その場の全員」がおかしな顔をした。
自分を宇宙人を見るような目で見つめてきた周りの人々を見て、絆は首を振って後ずさり、盛大にその場に転がった。
「くっ、来るな……」
彼は明らかに恐怖の色を顔に浮かべながら、必死に顔の前で手を振った。
「来るな! 俺に近づくな! お前らおかしいよ! お前ら狂ってるよ!」
また軍が人間を射殺した。
ほんの三グラムの弾丸で人は死ぬ。
過剰すぎるほどの執拗な攻撃に、原形をとどめない肉の塊となった人間が音を立てて倒れる。
「鎮静剤を投与しろ。錯乱してる」
駈がそう言って、興味がなさそうに絆から視線を離し、コーヒーを口にした。
絆はわらわらと集まってきた職員達に四肢を押さえつけられた。
その目は、どれも感情を宿してはおらず。
絆は強制的に首筋に小さな注射器で鎮静剤を打ち込まれ、一瞬で黒い意識の奥に落ち込んでいった。
◇
さやさやと風が吹いていた。
排気ガス臭くない、自然の風。
絆は目の前に広がる芝生に腰を下ろして、ぼんやりとそれを見つめていた。
命と、愛がいた。
二人とも同じ白いワンピースを着て、笑いながら芝生を駆け回っている。
まるで犬のようだ。
そう思って少しだけ笑う。
二人は、遊び疲れたのか絆の方に走ってくると、彼の両手を引いた。
「きずな、こっちに川があるよ」
「一緒に行きましょう」
「はは。お前らはしゃぎすぎだろう」
「もうじき雪ちゃんもここに来ますから。嬉しくて」
命がそう言った。
絆は、そこではたと停止した。
雪が……?
え……?
ここに来る?
立ち尽くして脱力した絆の腕から手を離し、命と愛は不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。
「きずな?」
「絆さん?」
「お前達は…………」
絆は、その場に膝をついた。
さやさやと風が吹いていた。
わななく手で目を覆い、彼は小さく呟いた。
「…………死んだんだ」
随分時間が経った。
顔を上げた絆の目には、もう命の顔も、愛の顔も見えなかった。
憔悴した目で周囲を見回し、絆は立ち上がろうとして失敗してよろめき、その場に転がった。
土まみれのスーツ姿で、地面を爪で掻く。
あの子達は死んだんだ。
俺は……。
帰らなければならない。
芝生の向こうが真っ赤に染まった。
炎が地面から吹き上がり、乱射される機関銃の弾丸が周囲を飛び交う。
空から無数のミサイルが落ちてくる。
いくつもの銃弾に体を貫かれ、絆はボロボロの姿になって地面をゴロゴロと転がった。
内臓のどこかが傷ついたらしく、血を吐き出して彼は、引き絞るように立ち上がった。
眼下に、地獄絵図が広がっていた。
しかし、炎の中取り残されている人間達は皆、逃げようとはしなかった。
全員ボンヤリと立ち尽くして、迫り来る軍の戦闘機や戦車のことを見つめている。
「逃げろおお!」
喉が破れるのも構わず絶叫する。
彼の声に反応して、全員が一斉にこちらを向いた。
その目は、驚くほど感情を宿していなくて。
驚くほどそれは、人形の顔をしていて。
絆は絶叫しようと体を丸めて息を吸い込み……。
◇
「マスター!」
そこで聞き知った声で呼びかけられ、絆はハッとして飛び起きた。
途端、右足と奥歯に痛みが走り、彼は小さく叫び声を上げて硬直した。
「マスター……大丈夫ですか?」
おずおずと問いかけられ、絆は荒く息をつきながら横を見た。
横に、綺麗な白髪を腰まで垂らしたバーリェ、霧が座っていた。
彼女は手に持ったタオルをそっと近づけると、絆の顔に浮いた汗を拭った。
「私のことが分かりますか? お返事をしてください……」
自信がないのか、段々と言葉が尻すぼみになって消えていく。
絆は霧からタオルを受け取ると、広げて俯き、顔をそれで覆った。
しばらくそのまま息をつく。
過呼吸のようになってしまっていた。
酷い夢だ。
リアリティが過ぎた。
痛み、苦しみ、そして恐怖。
あの何の感情も宿さない瞳を見た時の、恐怖が心の中をまだ渦巻いていた。
ぜぇぜぇと息をしてやっとのことで呼吸を整え、絆は霧が差し出した手を、汗まみれの手で握った。
「マスター……?」
「大……丈夫だ。何でもない……」
「大丈夫じゃないです……何があったんですか? マスター、様子がおかしいです……」
霧にそっと打ち消され、しかし絆はタオルで顔を拭いて、長く息を吐き、それには答えずに天井を見上げた。
作り物の明かりが目に飛び込んでくる。
嘘であればどれだけいいだろうか。
あのオペレーティングルームで見た悪夢が嘘であれば……どれだけ素晴らしいことだろうか。
軍は、絃の宣戦布告を受けてスラム街への一斉攻撃に移ったらしかった。
何故か?
簡単なことだ。
自分達の脅威になるからだ。
死星獣一体だけで四苦八苦しているような状況下で、あの数の死星獣を見せられるのは、人間の僅かに残った理性の箍を外すのに十分すぎる理由をはらんでいた。
スラム街の人間には、基本的に人権はない。
市民権がないのだ、当然だ。
ゆえに。
エフェッサーや軍などは、スラム街に住む人間のことを、「人間」だとは思っていない。
少し前の絆もそうだった。
時折スラム街の人間が暴動を起こし、軍に粛清されているのを見たことはあるが、特に感慨も沸かなかった。
だが、今は違った。
何故か……あの映像を見せられて絆は激しく、今までにないくらいに動揺した。
殺されていくスラム街の人間達が、バーリェに重なって見えたのだった。
夢の中で、人形のように無表情で撃ち殺されていく人々を見たことを思い出す。
バーリェを殺すのも。
スラム街の人間を殺すのも。
もしかしたら、同じことなのかもしれなくて。
そしてそれは、自分達が死ぬことと、同じ意味を持つのかもしれなくて。
絆は目を閉じて頭を振り、悪夢の幻影を無理やりに意識の外に振り飛ばした。
そして手を伸ばし、心配そうに顔をゆがめている霧の頭を撫でる。
「霧……」
「マスター……」
そこではじめて霧が安心したようにふっ、と笑った。
「私の名前……もう一度呼んでいただけませんか?」
「……どうして?」
「もう一度お聞きしたいからです」
「霧……これでいいか?」
静かに呼びかけると、霧は嬉しそうに顔を紅潮させて俯いた。
「帰ろうか……雪を見に行って、それからラボに帰ろう……」
自分に言い聞かせるように呟いて、絆は視線を霧から離した。
霧は
「はい!」
と元気に言って、また笑った。
今この瞬間にも。
沢山のスラム街の人達が虐殺されている。
世界中で。
絃のたかだか二分三十秒の演説のせいで。
何の罪もない人達が。
特に何も考えていない人間達の手で。
自分さえ良ければいいと考えていて、それが当たり前の社会のせいで。
殺されている。
虐殺されているのだ。
そんなの「粛清」じゃない。
そんなの……許されるべきじゃない。
絆は血が出るほど強く唇を噛み締めていた。
その感情も、恐怖も何もかも、トレーナーとしての本能のようなものが押し殺してしまっていた。
バーリェの前で、もう狼狽はしない。
彼女達の前では、俺はもう二度と取り乱さない。
心に決めたことを無理やりに自分に言い聞かせ、手の震えや嘔吐感を押し殺す。
帰りたい。
家に、ラボに帰りたい。
全員揃って。
そのかなわぬ願いが頭をグルグルと回っている。
愛も、命も死んだ。
その前にもバーリェは死んでいる。
そして絆が管理しているバーリェ以外の子達も、死んでいっている。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
だが。
だからこそ。
だからこそ、俺は……。
この子達を笑って過ごさせてやりたい。
だから、俺の「感情」達……。
押し殺されてくれ……。
霧の手を握ろうとした手が震える。
しかし絆は無理やりに、ぎこちなく笑うと。
静かにそっと、小さなバーリェの手を握った。
◇
「雪を受け取れない……? どういうことですか?」
松葉杖をついた絆が、語気を荒くして医師に詰め寄る。
先ほど散々、まだ入院しているべきだと渚に止められたのだが、無理矢理に病室を抜け出してきて、タクシーを拾い、雪のいる軍病院に来てから既に数時間が経過していた。
エフェッサーと一緒にいたくなかった。
いや……正確には、絆は大量虐殺の事実から目をそむけようとしていた。
「散々待たせてそれか。あなた達の管理体制はどうなっているんですかね」
思わず言葉を荒げた絆を、隣で椅子に腰を下ろしていた霧が不安そうに見た。
その視線に気がついて口をつぐむ。
嫌味を言われた医師は、しかしそれに反応するでもなく眼鏡の位置を指で直し、カルテに視線を落とした。
「D77(雪のこと)はまだ安定していません。正確には意識さえ戻っていない。それは先ほどご説明した通りです。交換した臓器が、今そこにいるS93(霧のこと)のように即適応というわけにもいかず、まだ様子を見ている段階です。とてもお渡しできる状態ではありません」
「後の調整は私のラボで行います。即搬入を要求します」
「お断りします。不完全な状態の個体を、勲一等授与者に対してお渡ししたとなっては、逆にこちらの管理責任を問われかねません。その辺りの兼ね合いも考慮していただけるとありがたいのですが……」
断固とした口調でそう言って、医師は立ち上がった。
「少なくともあと五日は無菌室から出すことはできません。死期を早めることになりますが、それでもよろしいのですか?」
そう言われると、返す言葉がなかった。
こいつらに雪を任せておきたくなかった。
軍病院は、その名前の通り当然軍の管轄だ。
直接この医師が関与しているわけではないが、軍はいまや人殺し……大量虐殺集団だ。
いい気分ではなかった。
それに、あと何日生きられるか分からない雪を、五日も放っておくのは嫌だったのだ。
……だが。
意識がないのならば、連れ帰ったとしてもどうしようもないのが現状ではあった。
それに、無菌室で管理していると言っていた。
外に出して手術痕が化膿でもしたら、それこそ取り返しのつかないことになる。
医師の言うことは、もっともではあった。
……軍関係者の前なので、流石に霧は口をつぐんでいる。
彼女自身、臓器の交換手術を行った直後だ。
彼らの淡白さは、身にしみて分かっているはずだ。
バーリェは脳に麻酔が行き届きにくいため、普通、体のみを麻痺させた状態で手術を行う。
つまり、意識ははっきりしているのに痛みを感じないのだ。
それがどれだけの恐怖なのかは、想像するにあまりあった。
「……分かりました。様子だけでも見せていただけますか?」
「かしこまりました。こちらです」
医師に先導されて、霧の手を引きながら歩き出す。
そして一面白で覆われた、ガラス張りの無菌室の外に出た。
中を覗き込んで、絆と霧は息を呑んだ。
雪……の筈だった。
一瞬別人に見えたのだ。
意識はないようで、目をつぶって静かに病院服の胸を上下させている。
させているが……か細い。
それに、顔色が血を吐く前から更に悪くなっていた。
目の下には落ち窪んだクマが浮いており、肌は老婆のようにガサガサだ。
白髪も、霧のように艶がかかっておらず、完全にパサついてしまっている。
体は異常なほどに痩せ細り、生きているのが不思議なくらいの状態だった。
「お姉様……?」
霧が、ポツリと言葉を発した。
それを聞いてハッとし、絆はそっと霧を片手で抱き寄せた。
彼女が、僅かに震えながら絆にしがみつく。
それは恐怖から来るものだったのか。
それとも、悲しみからくるものだったのか。
絆には想像が出来なかった。
だが、震えている霧がどこか雪と重なって見えたのだった。
「……バイタルは安定しています。しかしバンダグラフが依然異常値を示したままです。自然覚醒を待つ以外ないと思われます」
淡々と医師はそう言って、カルテを脇に挟んだ。
そして話は終わりだと言わんばかりに、絆に向かって頭を下げた。
「定時連絡は間違いなくさせていただきます。今日のところは、お帰りを」
◇
タクシーでラボに戻る前に、別の軍病院の病棟に寄る。
残してきた優と文が保護されていると言う話を聞いていたからだった。
静かに松葉杖の音を立てて歩いている絆の脇で、彼の手を握りながら霧が言った。
「マスター……車椅子をお使いになりますか? 私、押します」
「いや……いいよ。歩ける。心配するな」
「でも……」
霧はそう言って目を伏せた。
そして唇を噛んで、小さく呟く。
「ごめんなさい……私がどん臭いから、マスターに怪我をさせてしまいました……」
「別にお前のせいじゃない。怪我をするのは初めてのことじゃないし、気にすることはない」
静かにそれに返す。
霧はしかし、また唇を噛んで俯いてしまった。
「ごめんなさい……」
軍病院に入ったところで、霧はそう呟いた。
絆はそれを聞かなかったふりをして、わざと明るく言った。
「でもまぁ……雪が無事でよかった。あの調子じゃ、五日後には退院できるだろう」
「…………」
霧が、「この人は何を言っているんだろう」といった目で、一瞬絆を見た。
しかし絆は、それをまた気付かないふりをして、小さく笑った。
「雪は毎回なんだ。でもいつも、結局あいつは生きる。それが雪の力だ。雪は強いんだ」
自分に言い聞かせるように、絆は一つ一つ力を込めて、しっかりと言った。
霧は、伺うように絆の顔を見上げて、小さな声で聞いた。
「マスター、気にされていないんですか?」
「雪のことか?」
「いいえ……それもありますが……G67(命)のことです」
そう言われて、絆は、はたと言葉を止めた。
一瞬、声を返そうとして失敗して、おかしな音が喉から出る。
当然だ、その疑問は。
霧の目の前で、命は絆を庇って消滅したのだ。
わざと言わないようにしていたのだが、聡い彼女は敏感に察知していたらしい。
絆は、しかし唾を飲み込んでから霧の頭を撫でた。
「命はな……役目を全うしたんだ」
「お役目を……?」
「ああ。立派なことだと俺は思う。どうせ誰も褒めてやらないんだ。俺達だけでも、あいつを褒めてやらなきゃな」
「…………」
霧は口をつぐんでから、そしてぎこちない笑みを絆に向けた。
「……はい!」
「いい子だ」
頷いて、また霧の手を引いて歩き出す。
受付の職員に聞くと、担当官が現れて急いで遊戯室に通された。
他のトレーナーが預けているバーリェ達と、何かブロックのようなものを積み上げて遊んでいる優と文の姿が目に入った。
「優、文、帰るぞ!」
呼びかけると、途端に二人は顔を上げて、ブロックを蹴散らして嬉しそうに走ってきた。
「絆遅いよ! ってどうしたの?」
素っ頓狂な声で優が喚く。
彼女に折れた右足を指差されて、絆は軽く笑って答えた。
「何、折っただけだ。処置はされてるからすぐ治る」
『戦闘があったんですか? 命ちゃんと雪ちゃんはどうしたんですか?』
手話で文がそう伝える。
絆は、作り物の笑顔を無理矢理に顔に貼り付けたまま……それを「無視」した。
「よぉし帰るぞ。今日はみんなでレストランに寄って行こう。美味しいロブスターの店を見つけたんだ」
「絆、それより命達は……」
言いにくそうに優がそう聞く。
絆はクルリと背を向けて、担当職員に言った。
「それじゃ、二人を連れて帰ります。保護、感謝します」
「いいえ、お気になさらず。絆特務官」
「とくむかん?」
怪訝そうに優がその単語を拾って口に出した。
絆は笑って彼女の頭を撫でると、言った。
「勲章もらったんだ。偉くなった」
「また? どこまで偉くなれば気が済むの?」
優が呆れたように言う。
そのまま絆と職員が話し出す。
姉の肩を叩いて自分の方を向かせ、文が手話で言葉を発した。
『ねえ、絆さんの様子がおかしいよ』
早すぎて絆と霧には見ても分からない手話だった。
それに同等の速度で優が、同じ手話を返す。
『何が? 怪我してるけど別に普通だよ』
『……命ちゃん……死んだんじゃないかな……?』
優が、口をポカンと開けて停止した。
文が畳み掛けるように手を動かした。
『愛ちゃんが死んだ時も、絆さんおかしかったよ。こんな感じだった。もしかしたら雪ちゃんも……』
『そんなわけないよ! 命なんて、トップファイブのAAD一機動かすこともできないんだよ? それに雪は強いもん。大丈夫だよ』
『でも……』
言いよどんだ文の目に、振り返った絆が映る。
一瞬、絆を見上げた優と文の目に、彼が何かに怯えるような、そんな苦しそうな顔をしてこちらを見たのが飛び込む。
生きていることを確認するかのような、すがるような瞳だった。
しかし瞬きする間にそれは掻き消え、どこか「変」な笑顔で絆は優と文の背中を押した。
「さぁ行くぞ。お前ら、悪さはしてなかっただろうな」
「な……何もしてないよ」
どもりながら優がそう言って歩き出す。
その隣を歩きながら、文が伺うような視線を絆に向けた。
絆は反対側の手で霧を引きながら、松葉杖を鳴らして歩き出した。
◇
カチャリ、と停止した優が、皿の上にフォークを落とした。
文は、口の中にロブスターの切り身を入れようとして固まっている。
絆はワインを喉に流し込んでから、息をついて彼女達を見た。
「どうした? 辛気臭い顔をするな。命が悲しむぞ」
「命……死んだの?」
優が小さな声で呟く。
絆はナイフとフォークを持って、皿の上のロブスターをそれで小さく切り分けながら答えた。
「ああ。死んだ」
「どっ……どうして? 何があったの?」
優が大声を上げる。
周囲がざわついて、立ち上がりかけた優の方を見る。
周囲の視線など意に介さず、優は絆から霧に視線を向けて、そして彼女を指差した。
「……こんなの連れてくから! だから私言ったじゃない、こいつ死星獣に似てるって!」
「バカ……お前!」
周囲のざわめきが大きくなる。
優と文は知らないようだったが、現在もスラム市民の大量虐殺は続いている。
その大義名分が、死星獣の破壊だ。
無関係とはいえ、一般市民がその単語に敏感になったとしても不思議ではない。
「どうして? どうして命死んだの? どうして!」
優が喚きながら立ち上がった。
絆の隣でチビチビと食事をしていた霧が小さくなって萎縮し、下を向く。
そこでウェイターが近づいてきて腰を曲げ、絆に言った。
「お客様……他のお客様のご迷惑となりますので……」
静かにしろと言われた。
絆は頷いて彼の胸ポケットに紙幣を突っ込んで下がらせ、静かに優に言った。
「座れ、優。ここは公共の場所だぞ。俺に恥をかかせたいのか?」
優はまだ何かを言いたそうな顔をしていたが、無理矢理に飲み込んだのか、椅子を蹴立てて座った。
その隣で、文がボトリとロブスターの切り身を皿に落とした。
そしてフォークを取り落として、両手で顔を覆う。
声もなく泣き出した彼女を見て、絆は息をついた。
慌ててウェイトレスが走って来て、泣いている文の服についたソースをナプキンで拭く。
そして落ちたフォークを拾い上げて、代わりのフォークをテーブルに置いた。
「おかしいよ……絆。命、死んだんでしょ……?」
優がそこで呟いた。
絆は声音を低くして彼女に言った。
「何がおかしい。俺は、あいつを弔ってやろうって言ったんだ。いつまでも悲しんでるのは、あいつだって望まないことだろう」
「そんなこと絆言ったことないじゃない。どうしたの、急に? 何か怖い」」
優は正直な子だ。
嘘はつかないし、気を利かせるということもない。
つまり優がそう言ったということは、バーリェが絆に対して抱いた率直な感想であり。
それは図らずも、絆がエフェッサーに対して言った台詞と酷似していた。
しかし。
負けるか。
正体もない見えない敵と戦いながら、絆は葛藤の中、努めて冷静を装って彼女に返した。
「じゃあどうすれば普通なんだ? お前の言ってることは良く分からんな」
「普通って……命が死んだんだよ? 愛が死んだ時は、絆もっと悲しそうだった。どうして……そんなに笑っていられるの?」
「…………」
「それ普通じゃないよ……」
優の両目からボロボロと涙が流れ落ちる。
「普通じゃ……ないよ………………」
やがて優は両手で顔を覆うと、声を殺して泣きじゃくり始めてしまった。
泣いている双子を見て、絆は深いため息をついた。
黙れ、と怒鳴りつけることはできた。
静かにしろと怒ることも出来た。
しかしその気がなくなってしまったのだった。
フォークとナイフを休ませて、天井を見上げる。
奥歯がじんじんと痛む。
右足にも鈍痛が走っていた。
悲しそうにしていた?
俺が……?
そう、見えたのか。
意識などしていなかった。
「笑ってなんかいないさ……」
絆は、聞こえるか聞こえないかの声でそう呟いた。
「本当、笑えない冗談だよ……」
こみ上げてくるものを押し殺し、彼はまた料理にナイフとフォークを立てた。
カチャ、カチャと音を立てて食事を再開した絆に、優が泣き顔を向ける。
「……戦闘で死んだの? 命……」
「ああ。俺を庇って、死星獣の攻撃を受けて死んだ」
絆の隣で、霧が完全に動きを止めた。
彼女を貫かんばかりに睨みつけて、優が引き絞るように言った。
「何してたの、あなた……」
「…………ごめんなさい」
「謝られたって分かんないよ。どうして絆が怪我をして、命が死ななきゃならないの? あなた優秀なんでしょ? 私達よりも強いんでしょ? どうして守れなかったの? 何であなただけ無傷なの!」
優に怒鳴られて、ますます霧が萎縮する。
絆が、そこで静かに優に言った。
「霧はよくやった。俺のことを助けてくれたんだ。こいつを責めることは許さない」
「でも……!」
「命は役目を全うしたんだ。立派なことじゃないか。褒めてやろうよ……な?」
やるせない気持ちになった。
絆の言葉が尻すぼみになって消えるのを聞いて、優は口をつぐんだ。
彼女は俯いたまま小さく震えている霧を見て、歯を噛むと乱暴にフォークとナイフをテーブルに置いた。
「……いらない。食べてる気分じゃない」
そこでやっと、文が顔を上げた。
そして彼女は涙でズルズルの顔で、絆に向かって緩慢に手を動かした。
『雪ちゃんは……どうしたんですか?』
「まだ安定しなくて、あと五日は病院を出れない。でもまだ大丈夫だ。安心しろ」
『戦闘には出れなかったんですか? どうして命ちゃんが死ななきゃいけなかったんですか?』
……絆の方が、その答えを知りたかった。
どうして命が死ななきゃいけなかった。
どうして、俺は何も出来なかった?
ただコクピットの中で震えているだけで。
駈の言葉に、何を言い返すことも出来なかった。
ただ、俺は。
従っていただけだった。
「…………」
しばらく沈黙してから、絆は手を止めて、料理に視線を落としてから言った。
「さぁな…………俺もよく分からん」
正直な、絆の今の気持ちだった。
それを察してか、それとも別のことを考えてか、文が動かしかけていた手を止める。
絆はナイフとフォークを置いて、手を止めているバーリェ達を見回した。
そして手を上げてウェイターを呼ぶ。
「……帰ろうか。何だか俺も、もういいや」
◇
すっかりラボも広くなった気がする。
一番手がかかる雪は今、入院中でいない。
ラボの家事を担当していた命は死んだ。
騒がしかった愛も、もう相当前にいなくなっている。
霧はいまだに優、文とは馴染むことが出来ないようで、絆の部屋で一人で眠っていた。
戦闘を終えて一人だけ無傷で帰ってきたことに対する、優の反応が全てだ。
霧が悪いのではない。
……悪いのではないのだが、そのような「理屈」で片付けられない感情論が存在していることも、絆は理解していた。
優と文は、帰ってから薬を飲み、すぐに寝室に入っていってしまった。
泣いたことで、だいぶ体力を消耗したらしい。
そうでなくてもバーリェは、力がない。
精神的負担がモロに体に出る顕著な例だった。
霧にも薬を飲ませて、絆の部屋に連れて行く。
しかし霧は、ベッドに腰掛けたまま、俯いてじっとしていた。
横になろうとしない。
……正確に言うと、バーリェの薬の中に入っている睡眠誘発剤には即効性はない。
効くまでに若干のタイムラグがあるのだ。
「どうした? 寝ないのか?」
絆に聞かれ、霧はしばらく言い淀んだ後、意を決したように彼に言った。
「マスター……お話があります」
「ん? 何だ?」
椅子に腰掛けて、彼女と同じ目線になる。
霧は自分の胸を手でさして、続けた。
「私のことについてです。マスターが、おそらくご存知ないことを、お話しようと思うんです」
「……俺が知らないこと? お前が、死星獣と雪のハーフだってことか?」
さらりと口に出すと、霧は途端に苦しそうな顔になった。
絆から視線をそらして、彼女は呟くように言った。
「……それもあります。ご存知だったんですね……」
「戦闘でお前のエネルギーを発射したが、あれにはブラックホール粒子が含まれていた。本部は隠そうとしていることだ。だが俺でもそれくらいは分かる」
「…………」
「……で、それがどうかしたのか?」
問いかけられて、霧は
「え……」
と言って顔を上げた。
「お前の中に死星獣と同じ血……かどうかは分からないが、それが流れているとして、だからどうした? そんなことで、お前を俺が嫌いになると思うのか」
「マスター……でも、私はバーリェではありません。正確には死星獣でもありません……全く別の個体です。私は、化け物なんです」
そう言って霧は、唇を噛んでしばらく押し黙った。
そして息を吐いて、続ける。
「笑えますよね……自分の半分と同じモノを、殺すために創られたなんて。何が『優秀』だって、何が『効率的』だって、そんな感じですよね……」
自嘲的に小さく笑い、霧は呟いた。
「蓋を開けてみれば、私はただの化け物でした……」
「…………」
絆は少し沈黙した後、霧に向かって言った。
「霧、俺は思うんだ」
「…………」
「化け物っていうのは、そいつの『定義』で決まるんじゃない。そいつの『力』で決まるんじゃない。そいつが何をしたか、何を成したか、それによって化け物かそうでないかが決まるんじゃないかって、そう思う」
「何を……したか?」
「ああ」
頷いて絆は続けた。
「力を持っているからって化け物かどうかが決まるんじゃないよ。問題なのは、その力を何のために使ったかじゃないか? お前は、俺を守ってくれた。俺はお前に感謝してる。少なくとも……この世界中の皆が、お前のことを化け物だと言ったとしても、俺一人だけは、お前のことを化け物ではないと言ってやることが出来る」
「…………」
「それじゃ、いけないのかな」
絆の声は、どこか寂しそうな、廃退的な響きを含んでいた。
霧は顔を上げて絆を見ると、小さな声で聞いた。
「マスターにとって、私は化け物ではないのですか?」
「ああ。他の子と同じだよ」
絆は、軽く微笑むと手を伸ばし、霧の頭を撫でた。
「……言ったろ? 俺はお前のことは、大好きだって。嘘はないよ。俺が口に出すことに、嘘はない」
繰り返して、絆は続けた。
「だから安心して、お前は『生きて』いればいいんだ……」
「…………」
霧がしゃっくりを上げて涙を零す。
両手で顔を覆った彼女の頭を撫でてやりながら、絆は息をついた。
しばらくして霧が泣き止み、彼女は、薬が効いてきたのか目をとろんとさせながら、緩慢にベッドに横になった。
そして絆が毛布をかけてやろうとした手をそっと止める。
「どうした?」
「もう……一つだけ……」
霧は眠気と戦っているのか、ゆっくりとした口調で続けた。
「AAD七○一型は、危険です……私以外を、使わない方がいいです……」
「危険? どういうことだ?
「あ……れは……ブラックボック……ス…………ひ、と…………」
霧が目を閉じて首を垂れた。
眠りに落ちてしまたのだ。
言葉の途中で話を切られ、絆は首を傾げながら霧に毛布をかけた。
……七○一号が、危険?
確かにブラックボックスは多いが、操縦しているのはバーリェと自分だ。
危険なのは、日に日に凶悪さを増している死星獣の方ではないのか?
そう考えて、針のようになって飛んできた、あの死星獣のコアを思い出す。
……怖気がした。
小さく震え出した手を無理矢理にズボンのポケットに突っ込んで、絆は立ち上がった。
そして霧が眠っていることを確認して、部屋の扉を閉めて、松葉杖を鳴らしながら階段を降りる。
優と文が、同じベッドで抱き合うようにして眠っていることを確認する。
次はこの子達の番だ。
そしてその次は。
その更に次は。
俺は、いつまでこの子達を殺せばいい?
黙って居間に入り、ソファーに腰を下ろす。
テレビのリモコンのスイッチを入れると、今まさに、夜中だというのに軍が少し離れたスラム地区に攻撃をかけているところだった。
『アルカンスト地方に対して、軍の攻撃が展開された模様です。現場から十キロ離れた首都バルカントにて中継をお送りしています』
……おおっぴらな放送で、人殺しの現場を中継している。
気分が悪くなり、絆はすぐにテレビの電源を切った。
リモコンを隣のソファーに放り投げ、だらしなく横になる。
足が痛い。
奥歯が痛い。
それ以前に、心が痛かった。
……絃はこれに耐え切れなくなったのかもな。
いまや世界中の反逆者となった元同僚のことを、何となく思う。
彼がとった行動に賛同はできないが、理解は出来た。
そして理解が出来てしまう自分の、本能的な悪意に、同時に唖然としたりもする。
絃のように思い切ることが出来たら、どれだけ楽だろうか。
いや……思い切っても。
ひょっとしたら、楽な未来なんてどこにもないのかもしれない。
だとしたら……俺は。
俺は、どうすればいい。
何を考え、何を成して、そして何とどう戦っていけばいい。
考えても、誰も答えてくれるわけではなかった。
そこで、突然テレビの電源が勝手についた。
衛星電波を高感度で受信するテレビだ。
電波ジャック。
そう考えるより先に、絆の目に記者会見のような演説台に両肘を突いて、組んだ指先を顔の前に持ってきている絃の姿が映った。
隣には、やはり不鮮明な映像だが桜の姿が映っている。
「絃……!」
思わず身を乗り出してテレビを凝視する。
絃と桜は、白と赤を基調にした軍服のようなものを着ていた。
彼の周りに、白い三角帽子のような覆面を被った同じ軍服を着た人達が整列し、腕を組んで背筋を伸ばしている。
絃の後ろには、見たことがない国旗が掲げてあった。
白い背景に血飛沫のような紋様がついたものだ。
『……我らが新世界連合は、愚かにも虐殺を始めた軍を、本日二十二〇三十に、第一の目標とすることに決めた。闇雲にスラムを攻撃している軍。貴様らの行動は愚の骨頂であり、侮蔑に値する。貴様らのような蛆虫共は、我らの築く新世界には不要な代物と判断する』
手元のプロジェクターを操作し、絃は壁に映像を投影した。
『ついては、現在攻撃が行われているアルカンスト地方に死星獣を送り込むことが決定された。これは可決された事項であり、人間諸君、および愚かなる軍、エフェッサー諸君が異議を唱えることが出来る範囲外のことである。攻撃をしている者、攻撃を受けている者、生きている者、死んでいる者、今生きようとしている者、死のうとしている者、子供、老人、男、女、全てに関係なく、アルカンスト地方の残存人類には塵になっていただく。どうか、当該地区にいる人間諸君は、速やかに死ぬ覚悟を決めていただきたく、この声明を発表することを決めた所存である』
「何だと……?」
絆は、思わず耳を疑った。
そして目を疑った。
絃が投影した映像には、格納庫のような場所で、今まさに「立ち上がろう」としている、三体のヒトガタ死星獣……命が殺したモノと同じモノ……が映し出されていた。
そして……三体が立ち上がった瞬間に、消えた。
陽炎のように揺らめき、その場からいなくなったのだ。
『繰り返すが、死星獣は我らの戦力であり、保有している数は、先日お見せしたものに留まらない限りである。そして軍諸君にもう一度告ぐ。愚かなる虐殺をすることは勝手だが、諸君らの行動は愚の骨頂である。その証拠を今からお見せしよう』
絃はプロジェクターの電源を切って、また指を顔の前で組んだ。
『今回攻撃するのは、アルカンスト地方のみとする。これは我々の諸君らに対する威嚇も含まれている。無駄な抵抗と思索は速やかに最小限に留め、静かに死の時を待つがいい。以上だ』
ドン、と周囲の人間達が足を踏み鳴らし、右手を天に向かって掲げた。
『我らの新世界のために』
絃が最後にそう言って、右手を同様に掲げる。
そこで、ブツリと音を立ててテレビの電源が消えた。
絆は慌ててテレビの電源をつけ直した。
途端、絶叫が耳をついた。
『死星獣です! 先日サナカンダに出現したものと同一と思われる死星獣が、目で確認できます!』
アナウンサーの悲鳴のような声と、スタッフの絶叫が響き渡る。
『こっちにくるぞ!』
『逃げろ……! 逃げ』
カメラを向けられた死星獣が、唾のようなものを吐いた。
それがカメラの方に飛んできて……。
爆炎が上がった、と思ったら、テレビが砂画面になった。
急いで別のチャンネルに回すと、遠目にアルカンスト地方を映していた。
『首都バルカンドが……死星獣の一斉攻撃を受けて今、壊滅しました! こちらかでも確認が出来ます。ぐ、軍が撤退を開始しています!』
上ずったアナウンサーの声を背景に、三体のヒトガタ死星獣がのろりと体を持ち上げる。
一面、火の海だった。
軍の戦車や戦闘機が、それと見て分かるほど迅速に撤退を始めるのが見える。
しかし。
死星獣三体は、体を海老ぞりに曲げると、空に向かって唾を同時に吹いた。
それらが空中で衝突して、凄まじい爆炎が空中に広がった。
映像にノイズが走る。
炎は瞬く間に周囲に球形に広がると、死星獣達をもろとも飲み込んで、周囲半径二十キロほどの範囲を、綺麗に「消滅」させた。
絆も、テレビの前のアナウンサーでさえ言葉を発することが出来なかった。
……玉砕した。
つまり、自爆。
もくもくと土煙が晴れて、真っ暗な「何もない」空間が映し出される。
すり鉢型に地面が抉れていることは分かるが、月明かりに照らされたそこには、何もなかった。
明かりも、建物も。
逃げ始めていた軍でさえも。
絆はガクガクと震えながら、テレビを消そうとして床にリモコンを取り落とした。
……怖い。
はっきりとそれを感じていた。
恐ろしかった。
死星獣が、
そして、絃が。
あの男は敵だ。
……俺達。
いや…………俺の。
絆は、本能的な部分で、それを自覚してしまったのだ。
汗が止まるところなく溢れ出す。
やがて絆は、阿鼻叫喚の声を上げ始めたテレビの前で、自分の指を噛み千切るほどの勢いで噛んだ。
そして痛みで無理矢理に自分を覚醒させ、携帯電話を手に取る。
着信を示すバイブが振動していた。
「……絆です」
ボタンを押して応答すると、渚の上ずった声が飛び込んできた。
「絆特務官、出撃です。行動可能なバーリェはいますか?」
「残念ながら今は保有している全てのバーリェが行動不能です。投薬を行っているため、ご了承願いたい」
押し殺した声でそう返す。
渚は一瞬押し黙った後、息を呑んでから言った。
「……分かりました。緊急事態です。エマージェンシーコールレッドが解禁されました。迎えが既に出発しています。特務官は、急ぎ単独で本部に出頭してください」
「了解しました」
端的に言って、電話を切る。
絆はそして、床に携帯電話も取り落とした。
震える手を握り、息を整える。
……あいつは敵だ。
俺の。
なら、やってやろうじゃないか。
戦ってやろうじゃないか。
たとえそれが言いなりで。
エフェッサーの思う通りだったとしても。
俺は、あいつと。
戦ってやろうじゃないか。
奥歯からまた血が滲み出してきていた。
絆は塩気のあるその吐き気を催す味を、無理矢理に胸の奥に飲み込み、そしてラボの屋上に着地するヘリの振動を感じ、松葉杖を手に取った。
◇
松葉杖を鳴らし、隣を渚に支えられながらエフェッサーのオペレーティングルームに入った絆は、周囲の視線が全て自分の方を向くのを感じた。
人形のような瞳。
感情を宿していない瞳。
唯一、トレーナー達に連れてこられたであろうバーリェ達が狼狽したような顔をしている。
深夜帯のトレーナー達は、それぞれ自分の管理しているバーリェを脇に連れていた。
深夜帯担当というものが存在していて、彼らの管理するバーリェは昼夜逆転の生活をさせられ、絆のような「日中帯」担当のバーリェが行動不能の際に使用される。
駈は絆がよろめきながら椅子に腰を下ろしたのを確認して、手元の資料に視線を落とし、口を開いた。
「……既に全員知ってのことと思うが、エフェッサーの中から『新世界連合』へと裏切り者が出た」
……絃のことだ。
それを聞いて歯噛みした絆を一瞥してから、駈は静かに続けた。
「先ほど、絃『元』執行官と思われる人物により二回目の電波ジャックが行われた。それからの経過は、君達が知っての通りだ。死星獣がアルカンスト地方に出現し、バルカントを含め、首都一帯ごと玉砕した。被害状況は確認中だが、死者はおよそ三十万人に及ぶろうと推察される」
流石にトレーナー達も唾を飲み込んだ。
駈は全員の顔を見回して、そして言った。
「軍の詳しい決定はまだ通達されていないが、エフェッサー、および元老院は一連の事態を鑑みて、当該死星獣、タイプγ(ガンマ)と名付ける個体を、新世界連合が『操作』しているという見解を強めた。だとしたら由々しき事態だ。それに至るまでの詳細は分からないが、出現方法や生態が一切不明な死星獣が、まだ複数体『保管』されているとなると、人類の大きな脅威となる。軍の管轄を逸脱しているという見方をせざるを得ない状況に、陥ったとも言える」
つまり。
遠まわしに軍は役に立たないということを言っている。
エフェッサーとはそういう組織だ。
軍を捨て石にし、役に立たないと見ればすぐに切り捨てる。
それが、自分達なのだ。
「元老院はエフェッサーに対し、一連の事態を受け、エマージェンシーコールレッドを解禁することとした。君達には速やかに当該死星獣を全て発見、破壊してもらうことになる。その際に及ぶであろう損害、犠牲は一切厭わない。その意味を各人理解して欲しい」
絆は血が滲む奥歯を噛んだ。
……軍と同じようなことをやれというわけだ。
大量虐殺を。
バーリェを使って。
エマージェンシーコールレッドとは、国家それ自体への脅威が出現した時に発令されるものだ。
バーリェはそれが発令された時、守るべき「人間」の損害も見過ごすよう、トレーナーから指示される。
無論、自分の命もだ。
「死星獣の反応はまだ感知できないのですか?」
隣に不安そうな顔をしたバーリェを携えた、まだ若いトレーナーが手を挙げて口を開く。
駈はサングラスを指先で元の位置に戻し、それに答えた。
「死星獣はおそらく、ブラックホールを利用した空間圧縮による転移……つまり、ワープのような現象を利用して出現する。それにより、死星獣の出現パターンから新世界連合の拠点を割り出すことは出来ないが、軍の粛清攻撃により、まだ攻撃されていない地区で有効と思われる場所をいくつかピックアップした。速やかに、君達にはその地区の掃討作戦に移ってもらいたい」
「それは……どこですか?」
女性のトレーナーが口を開く。
駈は静かに言った。
「イルルセン、バラングロー、フォロンクロンだ」
フォロンクロン?
その名前を聞いて、絆は思わず顔を上げた。
地球の裏側に、フォロントンというバイオ技術で管理された「最後の自然」が残っている土地が存在している。
無論そこではない。
第一、姿を消した絃が数日で移動できる距離にあるものではない。
フォロンクロンとは、この地方が管理している自然区域の一つだった。
フォロントンにちなんだ名前をつけられていることから、類似した名称というわけだ。
全ての敷地面積は十平方キロメートルを越え、そこにはバイオ技術で管理された、絆のラボを覆うものと同種の「創られた」ある程度の自然が存在していた。
しかし、そこは一部の政府関係者以外は立ち入り禁止区域に指定されている筈だった。
それ以前に、フォロンクロンに人が住んでいるなど、聞いたことがなかったのだ。
電気もない、水道もない、ガスもない。
そんな場所で人間が生活できるとは、絆をはじめ他のトレーナーにも考えがたいことだったらしく、周囲にざわめきが広がった。
駈はまたサングラスの位置を直すと、淡々とした口調で続けた。
「……その中でも最も有力視されているのがフォロンクロンだ。早朝〇七〇〇に一斉攻撃に移る」
「国立指定の立ち入り禁止区域を……攻撃するのですか?」
流石に戸惑いの色を隠せない様子の、声を発したトレーナーを一瞥して、駈は静かに聞いた。
「不服かね?」
「い……いえ、決してそのようなことは……」
慌てて声を発したトレーナーが小さくなる。
そこで絆は手を挙げて、駈に向けて口を開いた。
「絃元執行官と、彼のバーリェの生体データの残り香を追跡できる筈だ。スラム街か自然区域か分からなくても、方向くらいは定めることが出来るだろう。フォロンクロンとイルルセンは、真逆の方角だ」
「…………」
駈は一瞬押し黙ると、絆の方を向いて言った。
「既にその検証は軍によって数日前に行われている。絃元執行官の生体データは感知できていないが、彼のバーリェ、H36のデータは確認された。その行き着く先が、今話した三つの地域だ」
「何……?」
意味が分からずに聞き返す。
絃はバーリェを一体、桜しか管理していない。
三つ、それぞれバラけた地域にその反応が散らばっているとはどういうことなのだろうか。
駈はその問いの意味を知ってのことか、絆から視線を離して手元の資料に視線を落とした。
「君の疑問はもっともだ。しかし、反応されたH36の生体データの残り香は、三つ。三方向に分かれて進んでいる。これは事実であり、間違いないことだ」
「まさか……」
絆は押し殺した声で彼に聞いた。
「H36のクローンを創っていたと言っていたな。それを盗まれたのか!」
「…………」
駈はそれに答えずに、手元の資料から視線を離し、全員の顔を見回した。
「大まかな話は以上だ……急を要するため、これから引き続いて詳細の説明に移る」
◇
絆は、一番有力視されているというフォロンクロンに派遣されることになった。
詳細な「粛清攻撃」のプロットを頭に叩き込まれ、三十分ほどで解放される。
行動目的は簡単だ。
当該地区の破壊。
禍根も残さないほどの、完全破壊だ。
まずはミサイル群による空からの攻撃。
戦闘機型AADによる爆雷の投下。
そして廃墟となった場所を、陸戦型AADで叩く。
完結に言ってしまえばそれだけだ。
今回の作戦には、他の上級トレーナーが使用するトップファイブAADの他に、七○一号と同系機の人型AADが投入されていた。
デュアルコアシステムで、雪や霧のように極端にエネルギーラインが高い個体以外でも、二体組み合わせることで何とか動かすことが可能になっている。
それゆえの投入策だった。
フォロンクロンに、七○一号の他に三体。
他の都市に二体ずつ。
今まで絃以外の複数のトレーナーと協力して案件に当たったことがないため、絆はそれを懸念してもいた。
バラバラと散っていくトレーナー達を尻目に、椅子に座って腰を丸めたまま考え込む。
霧を、双子の優と文が拒絶しているのが気になっていた。
デュアルコアシステムで乗せることが出来るバーリェの数は二体。
普通に考えれば、エネルギーラインが圧倒的に高い霧をコアにするべきなのだが、おそらくそれでは七○一号は動かない。
バーリェの生体エネルギーは心の力だ。
双子を離してしまうことも生体エネルギーの発散を阻害することに繋がるし、何より拒絶している霧と共に戦うことは、彼女たちは心の中で許容できないだろう。
その場合、不思議なことに相乗効果で、霧のエネルギーまで圧倒的に下がってしまう。
こればかりはやってみなければ分からないが……霧と組み合わせることは難しいだろう、というのが絆の見解だった。
かといって優と文を七○一号のコアシステムとして同時運用するのか? と考えれば、それも疑問が残った。
あの二人は、まだ戦闘に出したことがない。
能力の確認が未知数だ。
それに……。
二人共、生き物が「死ぬ」瞬間を目撃したことが、まだない。
ゲームの中では化け物を腐るほど殺しているのだろうが、それはバーチャルの世界の話だ。
生き物を……ましてや、「人間」を殺せるのか?
そして殺してしまったとして。
彼女達はそれに耐えられるのか?
疑問だった。
霧を動作担当にして、コアを他のトレーナーのバーリェにするかとも考えたが、エフェッサー自体がどうも信用できない。
協力を仰ぐ気にはならなかった。
人殺しの道具に使うのか。
バーリェを。
ため息をついて、衛星からの中継映像を流しているモニターに視線を移す。
フォロンクロンの自然区域には、夜なので当然のことながら電気はついていない。
もし隠れているとすれば、地下。
あの規模の死星獣を数十体だ。
生半可な規模ではないだろう。
もしここに絃が隠れていたとして。
殺せるのか、俺に。
あいつが。
息を吐いて、手を握る。
そこで駈がブーツのかかとを鳴らしながらこちらに歩いてきた。
「何をしている、絆特務官。君のバーリェは三体とも、既に本部に搬送済みだ。覚醒次第、AAD七○一型を動かすことになる。行動を開始しろ。どのバーリェを乗せるつもりだ?」
静かに聞かれ、絆は息を殺して彼に言った。
「……俺のバーリェは、人殺しをさせるために育てたんじゃない」
隣でそれを聞いていた渚が息を呑む。
駈は、しかし「何を言われているのか分からない」という顔をしてそれに答えた。
「人殺しではない。これは『粛清』だ」
「同じことだ。『俺達』から見れば、粛清も、人殺しも同じことなんだよ。あんた達は、元老院は、沢山のスラムの人を殺して、そのせいで都市一つ、何十万人って命を失ったって、何も感じてないだろう。それって、人殺しってことなんだよ。『俺達』の間じゃ」
数人のトレーナーが唾を飲み込む。
この事態に疑問を感じているトレーナーも存在していたらしい。
駈はしかしそれを鼻で笑うと、軽く肩をすくめて絆に聞いた。
「君達の常識を押し付けられても困るな。それとも何だ? 君は、私や元老院が『人殺し』だからって、報いを受けるべきだとそう言うのかね。私達は、死星獣の脅威から全世界の『人間』を守るために『善意』の行動をしているというのに」
「善意……?」
今度は絆がそれを鼻で笑った。
「とんだ善意もあったもんだよ」
「……無駄な問答をしている時間はない。君のバーリェはまだ睡眠中だが、急ぎ七○一号に搭載する。選びたまえ」
断固とした口調だった。
絆は少し迷った後、彼に言った。
「V277(優)と、V278(文)を使う」
「……正気か?」
駈がそこで初めて眉をひそめた。
「S93(霧のこと)を使いたまえ。新世界連合の戦力と鉢合わせをしたら、死星獣と激しい戦闘が展開されることが予測される。V系はまだ戦闘に出したことさえないではないか」
「それこそ『俺達のやり方』に口を出さないでもらおう。戦闘の意思はある。V277とV278をデュアルコアとして七○一号に搭載してくれ」
「……分かった」
駈は頷くと、傍らの女性職員に一言二言指示をした。
足早にオペレーティングルームを出て行く彼女を目で追ってから、駈は絆に視線を落とした。
「さて、今回も君は戦場に出向いてくれるんだろうな? 七○一号のシートは三人乗りのまま改装してある。ありがたく思いたまえ」
周囲の視線が全てこちらを向いていた。
人形のような視線。
それにほんの少しの「不安」が入り混じった、複雑な視線。
それを振り払うように、絆は松葉杖を掴んで立ち上がった。
「……勿論だ。格納庫に案内してくれ」
……一瞬、霧が
七○一号は、危険です
と言いかけたことを思い出す。
彼女は、何を言いたかったのだろうか。
自分以外のバーリェを乗せるなとも言っていた。
それは、七○一号の持つブラックボックスによるものなのだろうか。
だとしたら、俺は。
それを確かめなければいけない。
絆は手が白くなる程松葉杖を握り締め、渚に先導されて部屋を出た。
渚は、しばらくの間俯いて歩いていたが、やがて長距離移動用のエスカレーターに乗ると、絆の方を振り向いた。
泣いていた。
クランベの故郷はスラム街だ。
世界中でそれが攻撃されている。
おそらく、彼女の故郷は、もうない。
渚は袖で涙を拭うと、絆に向けて小さく、呟くように言った。
「……バーリェ、H36型の複製クローンが、二体盗まれました。絃執行官が、行方をくらます寸前……本部に出頭した時に、持ち出されたと思われます。絆特務官、あなたの仰る通りです」
絆は軽く鼻を鳴らすと、それに返した。
「どうしてそれを俺に言う? 黙っていればいいじゃないか」
自嘲的なその問いに、渚は俯いて呟きを返した。
「……とめて欲しいんです。あなたに」
「何を?」
「エフェッサーを……軍を。全ての、虐殺を行う人間達を……そして虐殺をさせられそうになっている、バーリェ達を……」
言い淀んで、渚は服の裾を強く握り締めた。
「……とめて、欲しいんです……」
繰り返して、彼女は口をつぐんだ。
絆は松葉杖を鳴らして彼女に近づくと、言った。
「俺はそんなに器用じゃない。虐殺をとめたいなら、自分で何とかするんだな」
「そんな……」
すがるような瞳で渚が言う。
「そんな、あんまりです! あなたは特務官なんでしょう? トレーナーなんでしょう! バーリェが人殺しの道具にさせられて、沢山のスラム街の人が殺されて、何も感じていないんですか!」
絆がエフェッサーに対して言ったことと同じことを口走って、渚は彼に詰め寄った。
「あなたはクランベじゃない。だから愛なんて理解できないと思っていました。だけど、今なら……今のあなたなら理解できるんじゃないかと思ったのに……それなのに……!」
「いいか、よく聞けよ」
絆はしかし、しっかりした声でゆっくりと渚に言った。
「俺は……スラム街の人間も、エフェッサーも、軍も、その他の人間達も、そいつらを守る気なんてどこにもない」
「…………」
「俺は、俺のバーリェを守るために戦う。俺のバーリェ達が、ほんの少しだけでも笑って暮らせるために、ほんの少しだけでも、幸せになれるためだけに、俺は戦う」
「……バーリェを殺すことになってもですか?」
渚の問いに、絆は頷いた。
「それが、トレーナーとしての俺のカルマだ」
◇
フォロンクロンはエフェッサーの本部から、高速エアラインで三時間ほどの場所にある。
七○一号のシートに職員の補助をもらって乗り込み、体を固定してもらう。
事前に指定したとおり、コアに優、副操作に文がセットアップされていた。
二人とも眠っているが、体中に点滴やチューブ類が突き刺さっている。
起きたら驚くだろうな、と思うが、同時に絆は大きな罪悪感を感じてもいた。
優も文も、まだ戦闘に出すには早い。
事前訓練も何も施していない。
いくらバーリェの本能に賭けるとはいっても、不安が残るのは事実だし、何より彼女達を本人が「望まない」まま、強制的にセットアップしてしまったのだ。
果たして、それは許されることなのだろうか。
……いや。
そんなことを今考えても仕方がない。
絃を見つける。
見つけ出して、殺す。
そう心に決める。
あいつは敵だ。
世界中の、そして俺の敵だ。
あいつを殺さなければ、俺は……俺のバーリェ達は、笑って暮らせない。
そして死んでしまったバーリェも、浮かばれない。
だから、戦うんだ。
ガコン、と音がして七○一号が浮き上がり、トレーラーボックスに詰め込まれる。
次いで空中に浮き上がる感覚があって、絆は唾を飲み込んだ。
そしてシートからずり落ちそうになった文の体を、隣のシートに支えて戻す。
……ずっとゲームをして過ごさせてやりたかった。
愛とは、もっと一緒に遊んでやりたかった。
命の料理を、もっと食べてやりたかった。
雪は……もう一緒にアイスクリームを食べることはないのだろうか。
霧には、もっと優しくしてやればよかった。
もう、あの子達の、この子達の笑顔を見ることはないのだろうか。
…………違う。
血が出るほどに唇を噛み締めて、絆は沸きあがって来た感情を無理矢理に飲み込んだ。
「俺達は、帰るんだ」
手を伸ばして、優と文の力がない手を握る。
「一緒に……」
呟いて、震えを押し殺す。
そう、帰るんだ。
俺達のラボに。
ささやかな幸せのために。
だから、戦うんだ。
二人の手を離して操縦桿を握る。
不思議なことに。
もう、震えは収まっていた。
フォロンクロンに到着してから、〇七〇〇時まで待機していた。
途中、一時間ほど前に優と文が目を覚まし、きょとんとした顔を見合わせる。
絆は軽く笑って彼女達に向けて手を挙げた。
「目が覚めたか」
「絆……?」
『絆さん?』
優が言葉で、文が手話で疑問符を口に出す。
絆は周囲のモニターを見回して、彼女たちに言った。
「見ろよ。お前達が見たがってた、自然があるよ」
朝の光に包まれた、広大な森が広がっていた。
さやさやと風が吹いていて、緑色の木々が揺らいでいる。
どれも青々としていて、生命力に満ち溢れていた。
バイオ技術で整備された土地。
これも人間の産物なのだが、優と文は、口をポカンと開けて、自分達の置かれている状況を確認するよりも先に、広がる森に見入った。
「フォロントンだ! 絆、ここフォロントンだよね!」
優が大声を上げる。
絆は軽く笑って首を振った。
「いや……良く似たところだけど、フォロンクロンっていう自然区域だ」
『凄い……こんなに木が沢山……』
文が緩慢に手を動かしながらモニターを覗き込む。
彼女の動きに連動して、七○一号の首が動き、カメラアイから周囲の状況が切り替わる。
「ていうか、これ何……? 私達、どうしちゃったの?」
優が操縦桿を握ったり離したりを繰り返しながら、不思議そうに言う。
エネルギーラインは安定していた。
優と文の体から微量ずつエネルギーを抽出しながら、最低ラインで機体を動かしている。
彼女達にも負担はあまりないようだ。
それを確認してから、絆は言った。
「お前達のしたがってた戦闘だ。これが、前話したことがある人型AAD七○一号。ロボットの中だよ」
「本当?」
優と文が目を丸くして、互いの顔を見合わせる。
そして双子は同時に手を伸ばして、パン、と手の平を叩き合った。
「どうした?」
不思議そうに聞いた絆に、文が手話を返した。
『ずっと戦闘に出たかったんです! それに、お姉ちゃんと一緒だなんて、一緒に絆さんの役に立てるなんて、嬉しい!』
グン、と七○一号が動いて前傾姿勢からいきなり立ち上がった。
「ま、待て文! まだ作戦は開始されてないんだ。座ってろ!」
慌てて絆が言うと、文は首を傾げて操縦桿を握った。
本能的に操縦感覚が分かるらしい。
またしゃがみこんだ七○一号の中で、優がワクワクした顔を押し殺そうともせずに、絆に言った。
「で、どれ? どの死星獣を倒せばいいの?」
「…………」
「絆?」
『絆さん? どうしました?』
黙り込んだ絆に、双子が怪訝そうに聞く。
「今回のターゲットは、この森と人間だ」
絆は、二人から視線を離して操縦桿を握った。
「え……?」
優がきょとんとして絆にまた聞いた。
「どういうこと? 死星獣はいないの?」
「出てきたら迎撃する。だが、まずはこの森を焼き払う。そしてもし『人間』がいたら、片っ端から殺す」
「…………」
『…………』
「安心しろ。操作は俺がやる。お前達は、死星獣が出てきたらゲームと同じように倒せばいい」
「嘘……だよね、絆」
優が狼狽しているのか、ポツリポツリと言う。
「この森焼くの? どうして? こんなに綺麗なのに……」
『それに人って……敵は死星獣じゃないんですか?』
「エマージェンシーコールレッドだ。理解してくれ」
呟くように早口で言う。
その単語は、バーリェの脳の中に刷り込まれた記憶を制御する「キーワード」だ。
途端に優と文が顔を見合わせ、頷いた。
「分かった。絆に任せるよ」
『分かりました。何をすればいいですか?』
「合図が出たら、索敵しながらゆっくり進む。文、武装のロックを解除しろ。機関砲だけでいい」
頷いて文が集中する。
『頭部マシンガンのロックを解除しました』
ガチャン、とカバーが開いて何かがせり出す音がして、機械音声が流れる。
これでいい。
これでいいんだ。
生きて、帰る。
この子達を守るために。
それがどんなに狂っていて、どんなに間違ったことだとしても。
俺は、そのために戦いたいんだ。
それがたとえエゴだとしても。
そうするしか、ないんだ。
操縦桿を手の甲に骨が浮く程強く握り締める。
やがてポンという気の抜けた時報と共に、渚の声が流れた。
『〇七〇〇時になりました。ミサイル攻撃、爆撃を開始します。特務官、衝撃に備えてください』
「了解」
優と文が不安そうに顔を見合わせる。
「大丈夫だ。俺の言う通りにしていれば、すぐにラボに帰れる」
絆がそう言った途端、七○一号の少し後ろに設置されていたミサイル砲台から、数本のミサイルが空中に向かって発射された。
七○一号と同系機の人型AAD三機が、同様に木の陰に前傾姿勢で待機している。
それらの頭の上を飛び越えて、ミサイルは数百メートル離れた地面に次々に突き刺さると、天まで届く火柱を吹き上げた。
地面が振動する。
その轟音と衝撃に、優と文は悲鳴を上げて硬直した。
「口を閉じろ、舌を噛むぞ!」
絆が怒鳴る。
次いで、高速で戦闘機型AADが空中を飛び越え、バラバラと機雷を投下した。
一瞬後、また地面が揺れ、木々や土を吹き飛ばしながらそれらが炸裂した。
機雷には誘炎剤が使われている。
離れた木々に爆炎が引火し、たちまちに周囲が火の海になった。
「……き……絆……! 絆!」
優がそこで大声を上げた。
「絆、森が燃えてるよ! 森が……!」
ショックを受けたのか、ガクンと七○一号に供給されるエネルギーラインが落ちた。
『グリーンラインに安定させます。活動臨界まで、後千八百秒です』
霧の時には表示されなかったタイマーがモニターに表示される。
あと三十分。
グリーンラインで優と文を使い続けて、彼女達の一時的な限界が訪れるまでのタイムリミットだ。
それまでに勝負を決めなければいけない。
いや、決める。
ここに絃がいるとは限らないが、自分は与えられた役割を完璧にこなして、そしてラボに戻る。
笑って、雪を迎えてやるんだ。
『特務官、前進してください』
渚のオペレーティングが聞こえる。
絆は狼狽している優と文から視線を離し、七○一号の操縦桿を握った。
絆の操縦により、七○一号が立ち上がり、脚部のキャタピラを回転させる。
そして低速で進み始めた。
他の人型AADもゆっくりと前進を始めている。
「ちょっと待って絆、エマージェンシーコールレッドでも、いくら何でもおかしいよ! 森は何も悪くないよ!」
想像と現実は、えてして違う。
頭の中では「緊急事態」と認識していても、目に入った現実に脳がついてこないのだろう。
優が怒鳴る。
絆は、同様に首を振った文と優を交互に見てから、静かに言った。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
「……なら……!」
「でも、お前達が笑って暮らすためには、この森が邪魔なんだ。ここに敵が隠れてる可能性が高い。だから壊す。これは決定事項なんだ」
「そんなの……そんなのおかしいよ!」
優が、しかし絆の言葉を打ち消した。
思わず黙った絆に、優は燃え盛る周囲と、少し離れた場所にまた爆雷が投下された現実を見て、声を張り上げた。
「こんなことして笑って暮らせない! 酷すぎるよ、おかしすぎるよ絆!」
「……俺に任せるんじゃなかったのか?」
「そういう問題じゃないよ、絆は何も感じないの? そんな訳ないよね、だって絆だもん……!」
すがるように優が言う。
隣を見ると、文も操縦桿から手を離して絆を真っ直ぐ見ていた。
言葉に詰まった。
こんなことをして、笑って暮らすことは出来ないと彼女達は言った。
なら。
何が、正解なんだろう。
それが一瞬分からなくなったのだ。
しかし絆は、また爆雷が投下されて優が悲鳴を上げたのにハッとして、急いで文に指示をした。
「操縦するんだ、文! 巻き込まれたら俺達も死ぬぞ!」
彼の切羽詰った声を受けて、文が慌てて操縦桿を握り、意識を集中させる。
そして七○一号は、燃え盛る木に突撃しかけていたのをすんでのところで回避し、横にスライドしながら前進を始めた。
「……駄目だ、やるんだ」
しかし絆は、少し考えてから押し殺した声でそう言った。
「どうして……!」
また怒鳴った優に、絆は静かに返した。
「終わらせるんだ、こんな戦い。終わらせなきゃならない。だから俺達は、俺達が笑って暮らせるために、小さな幸せを守るために、戦わなきゃいけない。お前達も戦うんだ。それが、バーリェとして生まれてきたお前達の宿命だ」
「…………」
『…………』
「そして同時に、それが俺のカルマなんだよ……」
また機雷が爆発した。
「言ってる意味が、よく分からないよ……」
優が呟く。
そこで渚が張り上げた声が、スピーカーから飛び込んできた。
『重力子指数急激に増大! 死星獣の反応です! 特務官、迎撃体制をとってください!』
「死星獣だ……!」
数百メートル離れた前方の空間それ自体、空中にまるで水面のように波紋が広がる。
そしてそこから蜃気楼のように、白いヒトガタ死星獣が出現した。
一、二、三……。
合計。
十五体。
「え……?」
唖然として、情けない声を上げる。
ヒトガタ死星獣……タイプγ(ガンマ)達は、七○一号をはじめとする人型AAD四機を包囲するように次々に出現していた。
『た……多数のタイプγを感知! 戦闘に移行してください!』
渚がモニターの奥で悲鳴のような声を上げる。
「何、これ……」
白い巨人に包囲されている状況を見て、優がポカンとして静止する。
絆も言葉を失っていた。
先日倒した一体どころの話ではない。
十五体もの死星獣を、どうしたらいいのか。
一瞬、分からなくなった。
……もしかして。
嵌められたのか?
絃に。
「戦闘プログラムを起動! 文、優、敵を倒せ、『命令』だ!」
しかし絆は、考える間もなく怒鳴っていた。
バルカントを消滅させたような玉砕攻撃をかけられたら、ひとたまりもない。
『命令』というキーワードを聞いて、二人が一気に緊張する。
文が操縦桿を握り、瞬時に七○一号の戦闘プログラムを起動させた。
『戦闘システム、起動。全ての設定をニュートラルへ。エネルギーゲイン、ブルーラインで安定。迫撃刀を使用します』
機械音声が無機質にそう言い、七○一号は文の本能的な操作によって、背負っていた全長十メートルはあろうかという長大な幅広のブレードを抜き放った。
優も意識を集中する。
ブレードにオレンジ色の光がまとわりついた。
二人とも、「兵器」の顔をしていた。
途端、七○一号は背部ブースターが点火させ、凄まじい衝撃と共に横に吹き飛んだ。
「コアを狙え、胸部だ!」
絆が凄まじいGに耐えながら声を張り上げる。
文は、Gが全く気にならないのか機械的に操縦桿を動かした。
ゲームと同じ。
普段彼女達がやっていたのは、擬似的な戦闘プログラムだ。
操縦法は、あまり変わらない。
次の瞬間、正確に一体、タイプγが胸から両断されて崩れ落ちた。
内部は空洞になっていて、キューブ型のコアも半ばから二つに割れている。
遅れて、そのタイプγが大爆発を起こした。
それに煽られて、周囲の他のタイプγ達がよろめく。
「文、一気にやるよ!」
優が操縦桿を握って大声を張り上げる。
文は力強く頷いて、なんの躊躇いもなく操縦桿を高速に動かし始めた。
ブラックホール粒子の四散と爆発に巻き込まれそうになったところを、キャタピラを高速回転させて避ける。
そして倒れこんだ別のタイプγの首をブレードで凪ぐ。
簡単に死星獣の首が宙に舞った。
そして文は、七○一号のブレードを首を切り飛ばしたタイプγのコアに突き立てた。
音を立ててブレードを回転させ、またキャタピラを動かしてその場を離脱する。
絆の認識が追いつかないほどの、機械的な動きだった。
「私達、やれる! こいつら全部殺せる!」
優が叫ぶ。
文が口の端を吊り上げて笑う。
「エネルギーライン上昇。活動臨界まで、後六百秒です」
度重なる「キーワード」の連発と、恐怖による彼女たちの極度の興奮状態で、エネルギーがダダ漏れになっている。
「落ち着け……! 周りと連携しろ!」
舌を噛みそうになりながら絆が大声を上げる。
あと十分で七○一号は停止するほどに、エネルギーラインが上がっていた。
バーリェの生体エネルギー融合炉が、真っ赤に発熱しているのが危険値として表示されている。
そこでやっと、他の人型AAD達が七○一号のものと同じ迫撃戦用ブレードを抜き放った。
タイプγとの戦闘データは、命のもので既に対策が立てられている。
コアは胸部であることが判明している。
頭部から発射される高密度のブラックホール粒子爆弾さえどうにかしてしまえば、どうにかなる。
迫撃戦用の強力な武装で、短期決戦を狙うのが一番早いのだ。
しかし次の瞬間、近くのタイプγに斬りかかろうとした人型AADが、別の個体に唾を吐きかけられ、大爆発を起こした。
「あ……」
絆は思わず、呟いていた。
情けない声で。
吹き飛び四散する人型AADの一機が、自分達と重なって見えて。
そこにも、同じようにバーリェが乗っていたんだと気づいて。
呟いて、しまった。
次の瞬間、補助操作が止まった七○一号が絆の制御を離れ、完全なる暴走状態に陥った。
『全ての設定をパーンクテンション。全武装のロックを解除。エネルギーラインを百三十五倍でオーバー。武装チェック、レディ。視界確保、レディ。ブレードのエネルギーシステムを展開します』
七○一号のエネルギーコーティングが炎のように吹き上がり、同時にブレードが、音を立てて上下左右に展開した。
その隙間から、オレンジ色の光……優の生体エネルギーが滝のように吹き上がる。
『活動臨界まで、後百五十秒です』
「やめろ! 何をしてる、俺のナビを聞け!」
青くなって絆が怒鳴る。
「あははははは!」
優が笑った。
壊れてしまった命のように。
楽しそうに。
面白そうに。
大きな声で彼女は笑うと、操縦桿を力の限り握り締めた。
その目は、既に正気を失ってしまっていた。
「殺すよ! 全員殺す!」
怒鳴った優の激情を代弁するかのように、文が七○一号を動かした。
腕を振り、オレンジ色の光を噴出させているブレードを凪ぐ。
既に三十メートル近く伸びているエネルギーの刃は、タイプγを同時に四体、胸から斬り飛ばした。
絆が目を開くことも出来ない速度で七○一号が舞う。
地面を滑りながら鈍重な筈の機体が動き、長いブレードで地面を、森を斬り飛ばしながら手近なタイプγのことを頭から両断した。
そこで、もう一体の人型AADがタイプγの唾を正面から受けて四散した。
その爆発を踏み超えて、優と文が同時に雄たけびを上げた。
『全エネルギーを解放します』
AIの声と共に、一瞬で、エネルギーの刃が天を突く程数百メートルも伸びた。
「避けろ!」
かろうじて絆が、味方に向かって怒鳴る。
しかしそれさえも許さない速度で、文は数百メートルの刃を横凪に振り回した。
射線上にいた味方のAADもろとも、残りの、唾を同時発射して玉砕しようとしていたタイプγ達を吹き飛ばす。
次いでエネルギーの塊が収束して、大爆発を起こした。
それに煽られる形で、七○一号が地面に転がる。
次の瞬間、優が凄まじい勢いで吐血した。
「え……」
ブルブルと震える血まみれの手を見つめ、優はポカンと呟いた。
『エネルギーシステムのラインが切断されました。蓄電源に移行します』
「優!」
絆が我に返って、這いずるようにして優に近づこうとする。
そこで、前傾姿勢になっているコクピットの中、優がぐんにゃりと体を曲げ、力なく絆の方に倒れこんだ。
「優、おい、しっかりしろ! 優!」
優はもう、呼吸をしていなかった。
半開きになった口元から、血液が後から後からと垂れている。
事態に頭がついていかないのか、文が呆然とそれを見つめていた。
絆は痛む足を庇うこともせずに、優の体からチューブをむしりとると、彼女の止まっている心臓の上に手を当てて、何度も押し込み始めた。
「おい! おい、返事しろ! …………帰るんだ! 一緒に帰るんだよ! 違う! 俺は……俺はお前達にこんなことをさせたかったんじゃない! 違うんだ、優! 違うんだ! 目を開けろ! 優、優!」
必死に呼びかける。
絶叫する。
しかし、もう事切れたバーリェに反応はなかった。
マイクの奥で渚が絶句している。
しかししばらくの沈黙の後、彼女は絆の声を掻き消すように大音量で声を張り上げた。
『新しい死星獣の反応です! 未確認の個体です、迎撃してください!』
「優が……優が……!」
渚に向かって絆は悲鳴を上げた。
「優が死んだ!」
『特務官、死星獣の撃破を!』
絆の声に被せて渚が大声を上げた。
『先ほどの爆発と死星獣の攻撃により、エフェッサーの残存戦力が五十パーセントを切りました! 迎撃してください!』
絆達の少し前の空間がゆらめいて、今度は、タイプγのように白くはなく、「金色の」ヒトガタ死星獣が浮かび上がる。
それは、胸の前に手の平を上にして、長い髪を垂らした女の子を乗せていた。
女の子は白と赤を基調とした軍服のようなものを着ていた。
金色の死星獣の顔面にあたる場所には穴が開いておらず、完全なのっぺらぼうだ。
全長は少しサイズが小さく、十五メートル前後だろうか。
死星獣の体に触れても死なないということは。
体から生体エネルギーを発しているということに他ならず。
それは、つまり。
人間ではないということを指していた。
女の子は背を伸ばして両腕を胸の前で組んでいた。
ズンッ、と金色の死星獣が足を踏み出した。
それの体から発生られるブラックホール粒子が、周囲の地面をすり鉢型に塵にして消滅させていく。
そこで、モニターにザザッ、と音がして聞き知った声が割り込んできた。
『お久しぶりです。絆様』
「さ……桜……?」
呆然として優の心臓マッサージをしていた手を止め、絆はモニターを見つめた。
桜だった。
絃と共に消えた、彼のバーリェ。
半死半生の状態のはずの彼女が、腕組みをして仁王立ちになり、こちらを睨みつけている。
文の無意識の操作で、カメラアイが収縮し、死星獣の手の平の桜が拡大される。
彼女は口の端を歪めて小さく笑うと、どこかからか通信素子で割り込みをかけているのか、静かに服の胸元に取り付けられたマイクに向かって口を開いた。
『乗っているのは雪ちゃんではありませんね? 新しい複製体でもないようです……無茶をしましたね。死にましたか? 大暴れをしてくれたものです……これだけの被害を出すとは、正直思っていませんでした』
彼女らしくない淡々とした喋り方だった。
どこか達観したかのような、緩やかな口調だ。
顔色は悪い。
良く見ると、腕に携帯型の点滴が取り付けられていた。
心なしか、風に吹かれて仁王立ちの姿が揺らめいているようにも見える。
そこで七○一号が立ち上がり、死星獣に近づいた。
絆が止める間もなく、文がハッチを開いた。
絆と文の姿が、外気にさらされる。
周囲に四散しているブラックホール粒子、それは、文による七○一号のエネルギーコーティングのフィールドで防がれてはいる。
しかし、絆は青くなってハッチを閉じようと計器を操作した。
……動かない。
頑として文が操縦している七○一号は、動こうとしなかった。
「くそっ……何でだ……! 動け! くそ!」
ガチャガチャと操縦桿を動かしている絆を見ることもせずに、文は大きな身振りで桜に手話を送った。
『桜ちゃん! 何? 何があったの? どうしてそっちにいるの!』
「…………」
死星獣の手の上の桜は、しかしそれには答えなかった。
それ以前に、距離が遠くて手話が見えていないようだ。
声を発することが出来ない文が、歯を強く噛んで腕を動かす。
『お姉ちゃんが……お姉ちゃんが死んじゃった! 愛ちゃんも、命ちゃんも死んじゃったよ! 雪ちゃんも死にそうなの! なのに……なのにどうしてそっちにいるの!』
文の声にならない叫びを受けて、桜は鼻を鳴らしてそれを一蹴した。
『何だ……やっぱり雪ちゃんではないのですか』
スピーカーから淡々とした声が流れてくる。
死星獣が腕を動かし、胸の前に持っていく。
そして、桜はまるで水面のように揺らめいたその胸部に体を沈み込ませた。
『その兵器を破壊します。ブラックボックスシステムをいただいていきます。絆様、文ちゃん。さようなら。速やかに死んでください』
死星獣の体が、次の瞬間、更に濃い金色に変色した。
『桜ちゃん!』
文が手を握り締めて、口を動かす。
そこで残存していたらしい、残り一機の人型AADが、金色の死星獣に向かって斬りかかってきた。
しかし桜を取り込んだ死星獣は、タイプγのものとは比べ物にならない速度でそれを回避すると、地面を滑るように浮遊し始めた。
そして一瞬で人型AADの背後に回り、それを羽交い絞めにする。
『まずは一つ』
桜の呟きが、割り込んできた通信から流れる。
死星獣の背中から別の腕が競り出すように生えてきて、人型AADのコクピットを貫通する。
それをハッチごと握りつぶして地面に投げ捨てる。
『この機体とシステムは、流用させていただきます』
金色の死星獣は、次の瞬間アメーバのように薄い膜状になって広がると、コクピットを除いた人型AADに覆いかぶさった。
そしてたちまちのうちに全身を覆い隠し、七○一号と寸分違わない姿になる。
違うといえば、表面が光沢を発していて、全身金色に光り輝いていることくらいだ。
迫撃戦用ブレードを構える、金色の七○一号。
そのブレードが、先程優がやったように展開し、一瞬で全長五十メートルは超える桜色のエネルギー波を発し始めた。
「ど……どういうことだ……?」
呆然と絆が呟く。
頭がついていかなかった。
そこで文が強く歯を噛み、操縦席に腰を下ろした。
絆の操縦を無視していた七○一号が、コクピットハッチを空けたまま動き出す。
文が七○一号にも迫撃戦用ブレードを構えさせる。
「文、ハッチを締めろ!」
絆が声を張り上げるが、文はそれを無視した。
自分の両目で、金色の七○一号を睨みつけた文の目から、一筋涙が垂れる。
『ブレード、ロック解除。エネルギーシステムを展開します。活動限界まで、後百二十秒です』
次の瞬間、七○一号の背部ブースターが全開に点火し、絆は叩きつける風に目を開けることも出来ずに、必死に優の亡骸を抱き寄せて、シートの上に体を丸め、ベルトで固定した。
次の瞬間、薄いオレンジ色の文のエネルギーと、ピンク色の桜のエネルギーが衝突して、辺りに真っ赤な熱波を飛び散らせた。
『……文ちゃん、あなたの気持ちは分かります。悲しいよね。苦しいよね』
金色の七○一号が七○一号と全く同じ動きをして、何度も高速の斬撃を受け止める。
まるで鏡の中の自分と戦っているかのようだった。
『でもね、それ以上にこの星は病んでるの。私達の悲しみも、苦しみも、元はといえばこの星が病んでいるせいなのよ』
淡々と桜が語る声が、金色の七○一号の中から聞こえる。
『そして星を病ませているのは、人間なの。だから人間は殺さなきゃならない。皆殺しにしなきゃならない。でも……新世界連合は、生き残らなきゃいけないの』
同時に斬撃をかわして、キャタピラを回して横にスライドする。
そしてやはり同時に、エネルギーブレードが長く伸び、相手の左肩を吹き飛ばした。
七○一号の左肩が半ばから抉れて飛び散り、破材が小規模な爆発を起こす。
文と金色の七○一号……桜は、ブレードを投げ捨てると、残った右手でお互い相手の頭部を掴んだ。
ギリギリと締め上げられて、カメラアイからのモニター映像が次々と消えていく。
異常値を示すランプがところかしこで点滅した。
次の瞬間、二機の右腕の装甲が、愛が死星獣を吹き飛ばした時のように開いた。
そしてお互いのエネルギーを噴出させ始める。
「やめろ文……! こいつはダミーシステムだ! お前の行動をなぞっているに過ぎない!」
絆がやっとの思いで怒鳴る。
しかし文は、絆の声が聞こえていないのか、声が出ない口を大きく開き、正気を失った目で声を出さずに絶叫した。
桜の声が、聞こえる。
『だってそうでしょう? 新世界連合までいなくなったら、誰がこの世界の秩序を守るの? あなた達、害獣を駆除した後、誰がこの腐った世界を元に戻すの? だから私達は、あなた達が抱く戦力を全て吸収した後に破壊することにしたわ。残念ながら、今の死星獣に、マーキングがない詳細なピンポイントワープを行う技術はない。正確には……「その技術を解明できていない」のだけれど……』
同時に七○一号と、桜の機体の頭部が爆発した。
優の亡骸を熱波から庇うように、それに覆いかぶさった絆の背中を、火が舐める。
よろめいて頭部を失った相互が、光り輝く右手を振りかぶった。
『だから元老院の居場所をみつけることもできない……でも、情報はいただいていくわ。このブラックボックスは、持ち帰らせてもらう!』
桜が吼えた。
絆達を囲むように、死星獣のタイプγが新たに五体出現する。
そして一体が、桜の機体の背中に手を突っ込んで、一辺一メートル四方ほどの、黒いキューブ体を取り出した。
それは。
死星獣の核に、酷似していた。
それを持ってまた消えた死星獣を確認して、絆は操縦桿を押した。
七○一号がブースターを点火して、相手から跳びすさって離れる。
地面に転がっていた迫撃戦用ブレードを拾い上げ、転がるようにして金色の七○一号に飛び掛る。
相手も同様にブレードを構えて突撃してきた。
「離脱するぞ、文!」
絆は怒鳴って、新たに七○一号に搭載されていた、緊急離脱用のシートポッドのボタンを、ガラスを叩き割って露出させた。
愛が死んでから、七○一号に搭載させていた機能だ。
コクピットが小型の戦闘機型脱出用ポッドとなって、緊急離脱することが出来る。
しかし、それを叩きつけるように押した途端。
絆は、文に突き飛ばされて、競りあがってきたシャッターの中に、優の亡骸を置いて押し込められた。
「文! 何やってんだお前!」
七○一号と桜の機体のブレードが衝突し、また熱波が吹き荒れる。
周囲を、残ったタイプγが囲み始めていた。
文は優の血まみれの亡骸を抱いていた。
そして絆に向けて、ゆっくりと手を振る。
『……さよなら絆さん。今までありがとう。でも、私はお姉ちゃんの所に行きます。お姉ちゃんには私がいて、私にはお姉ちゃんがいて、そうじゃなきゃいけないから。だから、ごめんなさい……本当に、ごめんなさい』
意味を理解して絆は青くなった。
この子は。
死ぬつもりだ。
「やめろ文! め」
「命令だ」と言おうとしたところで、シャッターが閉まった。
次いで、絆を乗せた脱出用ポッドがものすごい勢いで後ろに向けて射出される。
『あなた達を生かしてはおかない……! 危険すぎる! そしてあの人は絶対に殺させない! 私の、世界で一番大切な、何にもまして大事な、大事な人……! 絶対に殺させるものか! 絶対に、あなた達をあの人に近づけない!』
桜が通信の外で声を張り上げる。
そこで、文が立ち上がったままの七○一号が背部ブースターを点火させて、頭から桜の機体にぶつかった。
『そのためだったら、私は死んでも構わない!』
桜の機体も頭からぶつかってくる。
『我らの新世界のために!』
正面衝突した二つの機体は、同時に。
桜の絶叫と共に、一瞬だけ膨らんだと思ったら。
まわりの死星獣を巻き込んで、大爆発を起こした。
自爆したのだ。
人型AAD二機が、同時に。
半球状のエネルギーの塊が吹き荒れ、次の瞬間、天高く光の柱が吹き上がった。
それは光化学スモッグの雲を吹き飛ばし、その上の「青空」を一瞬だけ投影した。
絆の脱出用ポッドが突風に煽られて地面に叩きつけられる。
衝撃でハッチが開き、中途半端に締めていたベルトが外れ、絆は焼け野原になったフォロンクロンの地面に投げ出され、叩きつけられた。
土と血まみれになりながら、絆は綺麗なすり鉢型に消滅した、数百メートル先の地面を見た。
タイプγも、金色の七○一号も。
他ならぬ、先ほどまで乗っていた七○一号でさえも。
そこには、何もなくなってしまっていた。
◇
数時間後、病院のベッドに絆は固定されていた。
その隣で、渚が俯いて座っている。
彼女は持っていたファイルを開いて、ボンヤリと空中を見つめている絆に、重い口を開いた。
「フォロンクロン、他二拠点で多数の死星獣の出現は感知されましたが、絃元執行官をはじめとした、新世界連合の『人間』は確認されませんでした。おそらく三拠点に攻撃する前に、拠点が移されたと思われます。フォロンクロンの地下に、もぬけの殻になった拠点跡が発見されました。攻撃で半壊していましたが、おそらく新世界連合が使っていたものと考えられます。他二拠点では、AADは全滅。エフェッサーの戦力が残ったのは、フォロンクロンだけでした」
「…………」
絆は外を見た。
……絃に嵌められた、と考えるのが一番妥当なのだろう。
彼が、桜と、桜のクローンを連れ出した時から、既に彼の策は始まっていたのだ。
おそらく狙いは元老院。
絆や、エフェッサーの本部役員でさえもその所在を知らない、モニターの向こうの数百人の老人達。
彼らの情報を、新世界連合は欲しがっていたのだ。
そして同時に。
彼らは、エフェッサーの有するAADの情報も欲しがっていた。
あの黒いコアを思い出す。
死星獣のコアに酷似していた。
もしかしたら……と思っていたが、どうやら、間違いないようだった。
死星獣とバーリェは類似した存在なのだ。
だから雪の細胞と死星獣の細胞は、融合して霧を創りだすことが出来た。
適合したのだ。
それが偶然とは思えない。
そして、AADに使われている技術も、死星獣のデータを応用したものなのではないのか。
そう考えると、絃が他ならぬ桜を犠牲にしてまでも逃げて、人型AADのブラックボックスを、死星獣を使って回収させたことも納得がいく。
AADのブラックボックスは、死星獣にもそのまま応用できるのではないか。
……死星獣がAADを取り込んだ瞬間を目の当たりにした。
多少なりとも同一要素を含んでいることで、同一な機体を作り上げることができたのではないのか。
桜は、その捨て石にされた。
絃は、桜を守るために裏切ったのではない。
桜を使ってでも、本当に「人類を抹殺するため」だけに裏切ったのだ。
おそらく絃は、新世界連合は、桜達が三方向に分かれた時点で、既に拠点を移している。
そしてのうのうとエフェッサーが残り香を追跡してきたところを、大量のタイプγ死星獣で襲ってきたのだ。
つまり。
「……犬死にかよ」
小さな絆の呟きを聞いて、渚が口をつぐんだ。
優も、文も。
犬死ににだ。
桜を道連れにしたとはいえ、ブラックボックスも回収されている。
文の自爆で、全体の半分のAADが残存したとはいえ、残りの半分を破壊したのは、優と文のようなものだ。
一概に、彼女達の活躍だとは言えないのが事実だった。
最初から間違っていたのだ。
決められたことを、決められた通りに、決められた分だけやれば幸せになれるなんて、そんな楽な考えはなかったのだ。
そうしようとして結局どうなった?
優はブラックボックスにエネルギーを全て吸い取られて死んだ。
文はそれに絶望して、本来バーリェがとるはずのない行動に出た。
自殺だ。
そう、自殺だった。
五大原則にもある意識に抗って尚余りあるほど、彼女は絶望したのだ。
それは絆への愛を、インプットされた好意感情を上まっていることであり。
いわば、文の優に対する「愛」だったとも言えた。
目を閉じて、息をつく。
骨折五箇所。
肋骨には所々ひびが入っていて、背中には広範囲で火傷が広がっている。
重症だ。
そして結果が。
これだ。
……絃が、桜を捨て石にしたことに対する衝撃も大きかった。
あくまで彼は、「トレーナー」であると心のどこかで勝手に定義づけていたのだ。
そう、思いたかっただけなのかもしれない。
「……元老院およびエフェッサーは、あなたに新しいバーリェの支給を検討しています……検討しているのですが……」
言い淀んでから、渚は呟くように言った。
「……どう、されますか?」
絆は緩慢に彼女の方を向くと、自嘲気味に笑った。
「どうするも何も……受け取らざるを得ないんだろ。状況は、切迫しているからな」
「私は、あなたの監査を担当しています。結果だけを重視している本部の判断とは異なり、あなたのことを客観的に、行動全てを見て判断することが出来ます。私は、あなたはトレーナー職から遠ざかるべきだと考えます。全てが通るとは限りませんが、多少なりとも、発言の効果はあると思います」
渚が小さな声で言う。
「…………」
絆はしかし、渚から視線を離して、掠れた声で関係のないことを呟いた。
「……みんな死んだなぁ」
「…………」
「その前にも、沢山殺してるけど……今回のはちょっときついな……五人もいたのに、今は同期は雪だけだ。雪だって、あと何日生きられるか分からない」
「…………」
「いい子達だったんだ。今回は、特に」
「……分かります」
「あんたに何が分かるって言うんだ」
絆は呟いた渚の言葉を鼻で笑った。
しかし渚は、俯いたまま続けた。
「何となくですが……分かります。あなたのバーリェ達は、みんなあなたを守るために死にました。どの子も、自分が死ぬことに対して躊躇がありませんでした。あなたは、愛されていたんだなって私は思います」
「…………」
「その事実だけじゃ……いけないんでしょうか?」
絆は、ギプスが嵌められた腕で頭を抑えて、息をついた。
そしてだいぶ沈黙してから呟く。
「それじゃ、多分いけないんだな……」
「…………」
「愛されるだけじゃ、多分駄目なんだよな。俺はそれに値する愛を、返してやれたのかって疑問なんだ」
「…………」
「多分俺は、返せてない。あいつらに、あいつらの与えてくれた愛を、それに値する愛を返せていない。だから……だからこんなに苦しいんだ。だからこんなに……」
絆は顔を上げて、渚に言った。
「連れて行って欲しいところがある。手続きをとって欲しい」
◇
絆が希望したのは、軍病院からさして離れていない小さな自然公園だった。
渚に支えられながらタクシーを降りて、松葉杖をついて歩き出す。
桜の花が、咲いていた。
花が咲いていた。
ピンク色の花びらが舞い散っていた。
バイオ技術で管理された自然の中、灰色の空の下。
その花は、ただひっそりと咲いていた。
排気ガス臭い空気がなびき、また花びらが散った。
それは整備されたコンクリートの地面に落ちると、静かに横たわった。
そしてひときわ強い風が吹いて、どこかに消えていってしまった。
絆は、またひらひらと落ちてきた花びらを手で掴んだ。
手の中で僅かに震えるそれをくしゃりと握りつぶし、風の中に放る。
声が、聞こえた気がした。
幸せな声が。
楽しそうな声が。
しかし、振り返った先には何もなかった。
ただ漫然としたピンク色の花びらが舞っているだけだった。
過ぎ去った日。
過ぎ去ってしまった日。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
しかし、去年と、その前と同じようにこの花だけは咲いた。
憔悴した目で、周りを見回す。
くすんだ視界に映るのは、何もない、ただ花が咲き乱れる空間。
そして一本の樹の根元に、ひっそりとたたずんでいる、一抱えほどの石だった。
バーリェの墓、と絃は呼んでいた。
バーリェ達は死んだら火葬されるでもなく、大概は検体として分解された後、リサイクルに回される。
優秀な個体であればあるほど、そうなる。
それに、今回のように自爆してしまった優と文には、亡骸が存在しない。
その火葬されるわけでもない、骨が埋まっているわけでもないバーリェ達の「墓」、と絃は勝手に呼んで、死んだバーリェの名前を彫っていた。
いつしか、絆もその石に死んだバーリェの名前を彫るようになっていた。
絃から話を聞いた、他の上級トレーナー達も、時折訪れているらしい。
名前が、増えていた。
持ってきた彫刻刀を握り締めて、ゆっくりとその石に近づく。
命が死んでから、ここには来ていない。
彼女の名前も彫ってやらなければならなかった。
絆達人間も、死んだら大概は火葬されて灰は埋め立て処分をされる。
墓、という概念がいまだによく分からなかったがそれが「弔い」の気持ちから来るものであるということは、今の絆にはよく分かっていた。
体中の痛みで霞む視界を無理矢理定め、名前達を手でなぞる。
沢山、死んだなぁ。
そう思う。
ふと、その手が一番新しい場所で止まった。
桜の名前が、掘ってあった。
乱雑な字で。
しかし、深く。
いつ掘られたものなのかは分からない。
絃が掘ったのだろう。
おそらく、桜を連れて本部に出頭した最後の日に。
桜を安楽死させてやろうと思うんだ。
絃の言葉が脳裏に蘇る。
安楽死、と絃は言っていた。
もしかしたら。
桜は、それを拒んだのではないか。
自分の意思で、玉砕する事を選んだのではないか。
乱雑に彫られた字を指でなぞり、絆は沈黙したまま、右手で命、優、文の名前を、愛の名前の隣に加えていった。
涙が流れた。
最後に文の名前を彫り終わって、絆は彫刻刀を取り落とした。
何故泣いているのか、何が悲しいのか。
この期に及んでも絆はまだ、良く分からなかった。
分からなかったが。
悲しかった。
苦しかった。
手を伸ばして、樹から花がついた枝を一本折り取る。
そして絆は、そっと石の前にそれを置いた。
両手で頭を抱えて、泣きながら石の前に膝をつく。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
ピンク色の花びらが舞っている。
風が吹いた。
絆の苦しみなどを知らないかのように、風はただ吹いて。
そしてただ、漫然と花びらは舞っていた。
◇
雪の目が覚めたと聞いたのは、それから二日経ってのことだった。
霧と一緒に、彼女に手を引かれながら絆は、雪の病室を訪れた。
扉を開けると、ベッドの上に上半身を起こした雪の姿が映った。
彼女は見えない目を二人に向けると、嬉しそうに掠れた声を発した。
「絆、霧ちゃん……」
「お姉様!」
霧が駆け足で彼女に近づき、手を握る。
痩せていた。
やつれていた。
窓が開いていて、排気ガス臭い空気が部屋に充満している。
絆は雪の頭を撫でて、それを締めようと窓に近づいた。
「あ……しめないで」
雪はそう言って、小さく付け加えた。
「花の匂いがするんだよ」
「花の?」
絆はそう言って、笑った。
「そうだな。花の匂いがするな」
「みんなは? 私が病気の間、みんなはどうしたの?」
雪がそう問いかけた。
霧が俯いて、唇を噛む。
絆は雪の隣の椅子に腰を下ろして、そして言った。
「みんな、天国にいるよ」
雪は一瞬停止した後、絆にそっと、微かな笑顔を向けた。
「……そうなんだ」
「ああ」
「みんな、ちゃんと頑張った?」
「頑張ったよ。凄く頑張った」
絆はそう言って、雪の頭を抱き寄せた。
そして軽く撫でてやりながら、呟いた。
「また会ったら、伝えてやってくれ。俺が、褒めてたって。みんなに。絶対に、伝えてやってくれ……」
「うん、分かった。伝える」
雪が小さく頷く。
彼女の白濁した瞳から一筋涙が流れて落ちる。
さやさやと、排気ガス臭い風が吹いていた。
作られた町。
作られて整備された人々。
その中で、変わらず花だけは今年も咲いた。
その匂いは正直よく分からなかった。
分からなかったが、花は咲いている。
その事実だけで、いいのではないだろうか。
何とはなく思う。
俺は……負けない。
負けるものか。
折れそうな心の中で、一つだけそう思う。
何に負けないのか。
自分自身にだ。
ともすれば折れてしまいそうなこの心を折らないように、俺は前に進んでいくんだ。
トレーナーとして。
この子達が愛する対象として。
この子達を、愛してやれる存在として。
それが、俺のカルマであり。
俺の、存在の証明なんだ。
たとえどんなに世界が混乱していようと。
明日終わってしまうようなか細い世界だったとしても。
生きていこう。
この子達と一緒に、今を。
生きていこう。
明日に繋がる今を。
そして、戦うんだ。
自分に負けることなく、強い心で。
先に、先に進んでいくんだ。
絆は雪の頭をそっと離すと、霧と彼女に向かって笑顔を向けた。
「さぁ、帰ろうか……俺達のラボに」