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第1話 それは儚く消える雪のように

雪のように、灰が舞っていた。

空から幾万もの粒子が舞い落ちてくる。

もう動かない亡骸を抱いて、俺はその灰の中、ただ呆然と空を見上げた。


帰る場所なんて、どこにもない。

戻る場所なんて、もうどこにもない。

ここから基地に帰還できるかどうかも分からない。

俺は、自嘲気味に笑って彼女にそっと呟いた。


「帰ろう……」


動かない彼女。

鼓動を止めた彼女に、俺は静かに言った。


「帰ったら……みんながいるんだ。みんな、帰りを待っててくれるんだ。だから……一緒に帰ろう。家に」

「…………」

「目を開けろ……一緒に帰るんだろう? 一緒に帰れるんじゃ、なかったのか?」


その問いに答える声はなかった。

いくら待っても、帰ってくるのは漠然とした沈黙だけだった。


この子が、何であろうと構わない。

たとえそれが、存在することが許されないものであったとしても、俺はそんなことを問題にはしない。

これからも、きっと気にはしないだろう。


それを、ただ伝えてやりたかっただけなのに。

もう、彼女は動かない。


亡骸をそっと地面に置いたところで、体中の力が抜けた。

泥水の中にうつぶせに倒れこむ。

もう、体を動かすことが出来なかった。


……ごめんな。


お前達を、十分に愛してやることができなくて、ごめんな。

ただ、守りたかっただけなんだ。

ただ、お前達と一緒に暮らしたかっただけなんだ。


でも、それは。

何よりも難しいことで。

何よりもつらいことだったんだよ。


襲ってくるのは自責の念。

狂気の感情。

そこに飛び込むことも出来た。

出来たが、それは適わないことだった。


俺はここで死ぬ。

何もかもが終わったここで、俺はもう役目を終えるんだ。

だからもう、苦しい思いはしなくていいんだよ。

もうお前達のように、つらい思いをする子はいないんだ。


だから帰ろうよ。

一緒に、戻ろう。


……手を握られた気がした。

無理矢理に顔を上げたその先に、みんなが笑っているのが見えた。

俺は彼女達に手を引かれ……。


1.雪


きずなは、大きく息を吸ってビルの下を見つめた。

何処までも広がるビル、ビル、ビル。

その中でもひときわ高い高層建築の屋上に彼は立っていた。


灰臭い風が喉と鼻腔を不快にくすぐる。

奴らだ。

あの腐敗と狂気の入り混じった無機的な臭い。


『コードD8……市街地区を灰化させながらなおも進行中!』

『当該誘導地点まであと二分三十秒。エフェッサー、準備はいいか?』


黒の上下で固めたスーツの胸ポケットに下げた小型無線機から、複数の通信が入り混じって流れてくる。


ここは、戦場だ。

それも絶望的なまでの。


人間には恐怖と、圧倒的な駆逐感が与えられる場所。

地雷や、砲弾の炸裂する爆音がまるでゲームの中の世界のように、途切れ途切れに聞こえてくる。

灰の臭いに混じって、喉を焼きそうな火薬臭がする。

その事実だけが、これが現実であることを示唆する唯一の要素だった。


息を吸って、無線機についているボタンの一つを押す。

そしてまだ若い、兵士というにはあまりにも小奇麗な顔をしている青年は声をあげた。


「こちらはこちらで死星獣を補足次第消去します。そろそろ退避してください」

『了解した。幸運を祈る』


押し殺した声の応答と共に、一方的に無線が切られる。

そして市街地の上空を飛び回っていた細身の戦闘機が六機、一斉にビルの隙間から空に向かって上昇を始めた。


しかしそのうちの一機だけが方向を変えて他とは別の場所に方向を変える。

そしてその翼に搭載されている機関砲から、次の瞬間雨あられとビルの向こうに弾丸が発射された。

突き刺さる鉄の狂気により、整ったビル群が吹き飛び、砕け散り、あたりに爆音と猛烈な砂煙が巻き起こる。


『離脱しろ! C3!』

(新兵が無茶を……)


心の奥で舌打ちをして、強く歯を噛む。

離脱して欲しいと言ったのは相手を気遣ってのことではない。

彼らの兵器は役に立たないということを遠まわしに言ったに過ぎないのだ。


おそらくそれに憤慨した兵士が独断で動いたのだろう。

無線から響く隊長と思われる人物の怒鳴り声を耳の端に受けながら、絆は砂煙から目を逸らした。


あの戦闘機は、もう駄目だ。

予測ではなく、事実。


そう思った時、霧のように砂煙が晴れた。

そして瓦礫と化したビル群の合間を滑るようにして異形の物体がゆっくりとその体躯を表す。


巨大だった。


今回の個体は異常なまでに巨大だ。

目測でも二十……いや、三十メートル近くはあるだろうか。

まるで何と言うのか、そう。

アメーバと言えば一番近いだろうか。

グロテスクすぎるその化け物は、吐き気を催す光沢を出しながら前後運動を繰り返し、前に進んでいた。


攻撃による損傷はカケラも見られない。

それにも増して異様なのは、その巨大なアメーバが七色の、虹の色をしていることだった。

頭と思われる部分から尻尾の部分まで、綺麗に水晶のように透き通りながらぬめった体躯を震わせている。


逃げろ。

そう伝える暇もなかった。


死星獣の背中に当たる部分から、アメーバ状の体が一部分だけ槍のように伸びて鋼鉄の戦闘機を易々と貫通する。

しかし突き刺されたそれは爆散するでもなく、数秒後……まるで超高熱に晒されたかのようにどろりととけた。

そして垂れ下がる端から細かい、砂色の灰となって空中に散っていく。


「離脱してください!」


殆ど叫ぶように、絆は無線に向かって怒鳴っていた。

数秒間の間をおいて、かすかな歯軋りの音と共に


『……了解』


という隊長の声が響く。

巨大アメーバは背中から突き出た槍を元に戻すと、再びこちらに向かって動き始めた。

立ち並ぶビルなんて目に留めてもいない移動だった。


それはそうだ。

化け物が触れた部分はなぎ倒されてなどいない。

踏み潰されてもいない。

ただ先ほどの戦闘機のように、静かに、ゆっくりと灰になって空気に散っていくだけだったのだから。


ナメクジが通った後はそれが分泌する粘液が残される。

本質的には全く違うが、イメージでは似たようなものだ。

通った後に何もない、ただの灰の道を広げながら怪物が向かってくる。


普通ならパニックに陥り何とか逃げ出そうとするものなのだろう。

だが絆はそれをしなかった。

彼は息を吸うと表情を引き締め、後ろを向いた。

ビルの頂上には彼しか立っている人間はいない。

しかし他に、広いそのスペースを半分以上も覆い隠す機械が設置されていた。


まるで象のような白い流線型のフォルムを太陽に光に煌かせている。

外見的には戦車に近い。

だが特徴的だったのは、砲身が中央に人間の大人大のものが一つ、そして四方八方、いたるところにつけられているということだった。


その機械の頂上にあたる部分に青いクリスタル素材で覆われた操縦席がある。

そこには絆よりも十歳以上幼そうな女の子がゆったりと腰を下ろしていた。


白い簡素な病院服を着ている彼女の腕や足、果てにはこめかみには操縦席の壁から伸びているコードの先端が、点滴の針のように無数に突き刺さっている。


絆は息を吸うと巨大な砲身を登り、少女が入っている部屋を覆うクリア素材を指先で軽く弾いた。

途端に音叉を叩いたかのような静かな音色が反響し、女の子は目を開けた。


ゆき、死星獣が来てるんだ。またやってくれるか?」


しばらくの沈黙。

そして雪と呼ばれた少女は大きい目を細めてニッコリと笑った。


『絆がそう言うんなら、いいよ』


壁面に設置されているスピーカーから細い、蚊の鳴くような声が響いてくる。


『帰ったら……』

「……ああ」


微笑む彼女に対し、俺は頷いてみせた。


「一緒に、アイス食べような」

『うん』


また、笑顔。

絆は、雪が入っている操縦席の背後に設置されているボタンを操作した。

するとその場所がシェルターのハッチのように開き、中にまた別の操縦席が現れる。

体を滑り込ませてシートに腰を下ろすと、自動的に雪のものと同じようにクリア素材が機械内部から出てきて上を覆った。


『チャンバー内、規定加圧クリア。エネルギー抽出ゲイン全てオールグリーン。バーストを開始できます』


壁のスピーカーから管理AI、つまり機械の音声が、現在二人が乗っている機動戦車の状態を告げる。

絆は飛行機の操縦席のような周りを見回し、慣れた手つきで計器類を操作しながら口を開いた。


「エネルギー抽出開始。座標点を割り出し後全てを最適化、エンクトラルラインの起動計算をマニュアルに」

『了解。エネルギー抽出、開始します』


AIの声と共に、前部に値する雪の操縦席を覆うクリア素材が段々と金色に輝き始めた。

それに応じてスピーカーから流れてくる彼女の吐息が苦しそうに荒くなる。

なるべくそれを聞かないようにして、絆は迫り来る死星獣を睨みつけた。

エネルギーを示す計器の一つに設置されているメーターが物凄い勢いで満杯になっていく。

十秒も経たずにAIの声がまた聴こえた。


『エネルギー抽出完了。最適化を開始します。冷却ジェネレーター起動。コアシステム許容量を八十七倍でオーバーしています』


引き金を握る。

照準を合わせる。

ただそれだけのこと。


両手で握ったグリップに、それだけのことなのに何故か手の平から噴出した物凄い量の汗がにじむ。


『最適化完了。撃てます』


淡白な声。

機械の声。

お前に何が分かる。

お前が何をしてくれる。


「……貴様らがいるから……」


思わず呟いていた。

目が飛び出さんばかりに見開き、迫ってくる異形のアメーバを視線で射抜く。

そして絆は、引き金を引いた。



青年は大きく息を吐いて、顔を両手で覆った。

張り詰めていた緊張が一気に抜けてしまっていた。

毎回終わった後はこんな空虚な気分になる。そして同時に、気の休まらない焦燥感を常に感じることになる。


「仕事」で市街地に出現した死星獣を撃滅した後、既に丸一日が経過していた。

物凄く疲れているはずなのに、全く眠れなかった。

それこそ彫像か何かになったかのように、ずっとここ……手術室の前に張り付いているのだ。


誰もいない白すぎる廊下。

明るすぎる照明。

全てが嫌味なくらいに、ここは軍の医療施設だ。


そんなところにスーツ姿の自分がいるのはかなり場違いに思える。

設置されている椅子に置いた、持ってきたハンドバッグ型の小型クーラーボックスを手で弄びながら、絆は白い蛍光灯を見上げた。


そういえば風呂に入っていない。

食事も、朝食を抜いている。

一つため息をついて手術室を見上げる。

電子掲示板は未だに手術中を示すランプが点灯していた。

もう一度蛍光灯を見上げる。


そこで、昨日の死星獣を破壊した……自分たちが乗っていた砲台が発射したエネルギーの玉を思い出す。

それもこんな色をしていた。


何か飲み物を買ってくるか、と立ち上がりかけた所で、こちらに近づいてくる足音を聞き、絆はまたソファーに腰を落ち着けた。

視線を向けた先にはまた、彼と同じような黒尽くめのスーツを着た男性が歩いてくる所だった。

こちらは顎に僅かなヒゲを蓄えていて、絆に比べれば少しばかり年上であるかのような印象を受ける。


そして彼の後ろには、十四、五歳ほどだと思われる金髪の少女がついてきていた。

質素な灰色のワンピースを着ている。

彼女は絆の姿を見ると表情を明るく変えて駆け寄ってきた。


「絆!」


愛しそうにそう呼ばれて、胸に飛び込んできた少女を抱き、彼は苦笑しながらその頭をくしゃくしゃと撫でた。


まな、どうしたんだ、こんなとこまで」


猫のようにスーツの胸に顔をうずめてくる少女を撫でながら、絆は近づいてきた男性を見上げた。

人のよさそうな笑みを浮かべながら、彼が肩をすくめる。


「いや、預かってたまではいいんだが。絆はどこだ、絆はどこだって五月蝿くて叶わなくてな。どうせここにいるだろうと思って連れてきた」

「よくやるよ。お前、軍じゃエフェッサーがどう思われてるか知ってるだろ。はぐれたらどうすんだ。こいつらなんて慰み者にされちまうぞ」


少しだけ眉をひそめて男性を見上げる。


「こいつらはこいつらなりにちゃんと考えてるよ」

「……能天気だよな、げんも。おい愛、いつまでくっついてるんだ?」


諦めたように息を吐いて、青年は引っ付いている少女の頭をポンポンと叩いた。

しかし、強く抱きついたまま愛は軽く頭を振っただけだった。


「寂しかったんだろうよ。愛ちゃんに限らず、他の子も相当不安定になってる。全く俺にも仕事はあるってのに」


呆れたように言われて、黙って絆は愛の小柄な体を抱え上げて自分の膝に座らせた。

そこで金髪の少女の目が潤んでいることに気づき、クーラボックスをあけて中から一つ、アイスクリームのカップとスプーンを取り出す。


「ほら泣くな。ちょっと仕事が忙しかっただけだって。別にお前のことを忘れたわけじゃないよ。アイス食うか?」


泣くな、と指摘されたことが恥ずかしかったのか、無言のまま少女がこくりと頷き、それを受け取る。

彼女を膝に乗せたまま青年は、絃といった男性の方を見た。


「悪いな。他に頼める奴がいなくてさ」

「気にしちゃいないさ。俺のバーリェも、お前さんのバーリェファミリーに会えるのを楽しみにしてるし。しかし……」


そこで言葉を止め、絃は手術室を見上げた。

しばらく二人の間を沈黙が包む。

その空気を読めないのか、愛だけは嬉しそうにアイスクリームを口に運んでいた。


「……長いな、今回は前よりも」


ポツリと絃が呟く。

絆は視線を膝の上の少女に落とし、そして軽く唇を噛んだ。


「……ああ」

「今回は、駄目かもしれないな」


淡々と彼は続けた。

その言葉の意味。

重すぎる言葉。

しかしそれはもう、聞き慣れて、慣れて、慣れすぎてしまったことだった。


「……ああ。そうだな」


口の周りをアイスクリームだらけにしている少女の頭を撫で、淡々と絆はそう呟いた。



窓から吹き込む澄んだ風を受けて、絆は大きく息をついた。

やたらと広い病室の隅に置かれたベッド。

その上に小柄な少女が、無数の点滴台に囲まれて横たわっている。

安堵の表情を浮かべている彼に、カルテを持った看護婦が近づいてきてそれを差し出した。


「エルパー指数は安定しています。少し体組織の崩壊が見られましたが、許容範囲でしょう。生体レベルも一時、七十五まで低下しましたが、現在は安定域に持ち直しました。報告しますので、ここにサインをお願いいたします」


スーツの胸ポケットから万年筆を出し、慣れた手つきで彼はカルテにサインを書き込んだ。

小さく頷いて看護婦が絆の顔を見つめる。


「あの子の名前、何と言いましたか?」


聞かれたことに、意外そうに青年は視線を彼女に向けた。


「型番ですか?」

「いえ、少々気になったもので……」

「雪、です」


区切るように言ってから、彼は大きく息を吸い込んで、吐いた。


「変ですか? バーリェに名前つけるなんて。俺、こいつらは型番では呼ばないことにしてるんスよ」


自嘲気味に笑って、絆は小さく付け加えた。


「それくらいしか、してやれないんで」

「変だとは思いませんよ。あなたみたいに、バーリェに対して一生懸命なトレーナーさんは久しぶりに見るもので」


微笑して、看護婦は眠っている少女の方を向いた。


「あの子、手術中に麻酔が効いているはずなのに『絆、絆……』って。あなたの名前でしょう? よほど、トレーナーさんのことが好きなんだなって思ったんです」


カルテのサインを指されて、彼は肩をすくめて見せた。


「ただの深層意識への刷り込みです。工場出るときに、トレーナーへの好意感情を脳の奥にインプラントされるんですよ。全く……クローンに人権はないって言っても……」


そこで言葉をとめて、絆は少女のベッドへと近づいた。

看護婦は僅かに表情を落としたが、少しして彼の背中に声をかけた。


「おかしな話をしてしまいましたね。この子、検査が終わり次第連れて帰っていただいて大丈夫らしいので、今日の午後中にはそちらのラボに送れると思います」

「色々とどうも」

「気にしないでください。仕事ですから」


端的に言葉を交わして、彼女は黙って部屋を出ていった。

扉の閉まる音でそれを確認して、絆はベッド脇の椅子に腰を下ろした。


そして眠っている少女……雪の、パサついた白髪を撫でる。

少し見ない間に、少女の肌は乾燥してささくれ立ってしまっていた。

迷ったが、やがて青年はトン、と彼女の額を指先でつついた。


「おい、雪。起きてるか?」


静かに問いかけても答えはない。

もう一度額をつつくと、僅かに呻き声をあげて少女が目を開けた。

彼女の瞳は、白濁して焦点が合わなかった。


盲目。


そう、このバーリェには視力がない。

工場での生産過程でミスが生じた……いわゆる「不良品」だ。

それを譲り受け、自分の保護対象としたのは既に二年以上前のことだった。


見えない目を青年の方に向け、点滴のチューブがそこかしこに刺さっている腕を上げ、彼女は絆の頬に触れた。

そしてやつれた顔をパッと嬉しそうに輝かせる。


「あ……おはよう絆」

「おはよう。どこか痛い所はあるか?」


小さく咳き込んだ後に、少女が首を振る。


「……ここは? 私、どうして寝てるの?」


覚えていない。

生体エネルギー抽出の副作用。

使用されたバーリェは、その前後数時間の記憶をなくしてしまう。


「あぁ。検査だ。俺はそろそろラボに戻るけど、もう少ししたらお医者さんが送ってくれる」

「検査? 私、悪いところなんてどこもないよ」


きょとんとしながら問いかけられて、絆の胸が痛んだ。

まるで誰かに握り締められているかのように、声が詰まる。

毎回のことだ。

どう声をかけたらいいのかが分からずに、ごまかしのために手を上げて彼女の髪を撫でる。

不安げだった瞳の色が、それで安心したのかとろんとしてきた。


「……一応、な。とりあえず何処も具合悪くないんならいいんだ」


慌てて立ち上がろうとして、膝の上に乗せていた小型のクーラーボックスが床に軽い音を立てて落ちた。

それを耳ざとく聞き置いて、雪が嬉しそうに笑う。


「あ……」

「……忘れてた。アイス持ってきたんだ。食うか?」

「うん」


息をついて気を取り直し、絆は中からバニラの小カップを取り出して少女に握らせた。

そしてなるべく点滴が負担にならないようにそっと上半身を起こしてやる。

触った少女の体は不自然なほどに白く、細く、そして軽かった。

器用に蓋を取ってひと掬いする彼女。

そして雪はそれを口に運ぼうとして止めた。


「はい、絆」


囁くように呼びかけられて、アイスの欠片が乗ったスプーンを差し出される。


「口開けて」


青年は僅かに息を呑んで、数秒間だけ視線を逸らした。だが軽く笑ってそれを口に含む。


「うん、旨い」

「じゃ、私も食べよう」


嬉しそうに笑って、少女は自分の分を掬って口に入れた。



それから病室を出たのは二時間ほど後のことだった。

取りとめのない話をして、ここまで。

正直肉体的にではなく精神的に疲れた。

待っているより、無事を確認して話をしてからが疲れるというのは、この仕事の不思議な所だ。


担当医に雪を自分のラボまで送ってくれるように頼んで外に出たときには、既に日は沈みかけていた所だった。

ずっと待っていてくれたらしい弦と、自分の手を引っ張っている金髪の少女、愛。

三人で軍病院の外に出たときに、絆は自分たちに突き刺さる視線を感じ、絃と自分の間に愛を挟み込む位置に移動した。


それとなく周囲を見回してみると、軍服を着た警備の兵士が、三人。

不快そうな顔でこちらを見ている。

自分たちではない。

幼い少女のことをだ。

その視線に全く気づいていないのか、手を引きながらはしゃいでいる愛を視線から守るようにして早足で敷地内を出る。


彼女たちは人間ではない。

家畜に近い。

それか、無機的な消費物。

死星獣を破壊するための生体燃料だ。

そんな人間以下の存在に、軍は劣る。

面白いはずがない。

僅かに肩を落としながら夕日を背に公道に出る。

そこでタクシーを一台つかまえ、絆は絃に向かって口を開いた。


「悪かったな。わざわざ来てもらって」

「いやいいんだ。俺も雪ちゃんの顔をちょっと見たくなってな」


あごひげをいじりながら彼が返す。

苦笑して絆は、愛の手を彼に握らせた。


「愛、おじさんにラボまで連れてってもらえ。俺はもう少し帰りが遅くなるから、皆にもそう伝えておいてくれよ」

「えー……絆、一緒に帰らないの?」


あからさまにガッカリした表情になった少女の頭をポンポンと撫で、絃が豪快に笑った。


「そう膨れるな。帰りにラボの皆にも、俺とおみやげを買っていってやろう」


宥めながらタクシーに少女を乗せ、絃は一瞬だけ真面目な表情に戻り絆に耳打ちした。


「元老院は新型の実戦投入を考えているようだ。雪ちゃんを遠ざけるなら今しかないぞ」


少しだけ沈黙し、青年は静かにそれに返した。


「……相当な変わりモノだよ」

「お前さんほどじゃない」


小さく笑ってタクシーに乗り込むスーツの男。

自動で窓が開き、彼は軽く手を振った。


「じゃ、お前さんのファミリーはラボに全員送っとくよ。できるだけ早く帰ってくれ」

「絆、早くだよー」


奥から愛の声が聴こえてくる。苦笑してタクシーを見送り、絆は大きくため息をついた。


「ああ……早く帰れればいいんだがな」


空が燃える色に輝く。軽く首を振って。

彼は夕焼けの空気の中、もう一台タクシーを呼び止めた。



元老院。

それはこの世界が統合政府により支配されてから存在している組織だった。

政府全般に渡っての強力な発言力を持つ機関。

絆たちトレーナーが所属するエフェッサーも、直轄的に元老院支配の組織だった。


死星獣を倒したら、報告をする義務がトレーナーにはある。

それは組織に雇われている身としてはいたし方のないことだし、仕事だと割り切ってしまえば当たり前のことだ。

だが元老院に向かう廊下を歩く絆の足は重かった。

周囲は過剰すぎるほどの豪華な、白い壁面に壁画や彫像品の並んでいる所だ。

この国の中央政府別館に存在している、エフェッサーの上層元老院。

壁の脇に、所々銃で武装した兵士が警護で立っている。


彼はオペラステージのように開けた場所に出た。

自分が立っているのは、ステージ側。

観客席にはおびただしい数の……テレビモニターが並んでいた。

絆がステージ中央に到着したのを感知したのか、それらに、一斉に軽い電子音を立てて電源が入る。

見回しただけでも二百……三百。

気がおかしくなりそうな非現実の光景に囲まれ、絆は頭を一回、軽く下げた。


電源がついたモニターには砂画面のままのものもあったが、半分以上に人間の顔が映し出されていた。

画像通信のようにそれらは思い思いに動いている。

そのうちの一つ、白髪を短く刈り込んだ老人が移っているモニターが赤く明滅した。

そしてそこからしわがれた声が流れ出す。


『エフェッサー第七課、ナンバー九十。遅かったではないか』

「申し訳ありません。バーリェの調整に少々時間を有しておりました」

『よい。西アンシェラン地区に出現した死星獣、コード七十七撃破の報は既に入っておる。我々は貴殿の働きを非常に高く評価しているが故、そのようにかしこまる必要はない』


今度は別のモニターが赤く光り、そこにうつった老人から言葉が流れ出す。

絆はこみ上げてくる不快感をなるだけ前に出さないようにそちらを見上げた。

モニターに移っている顔は、全て老人のものだった。自分と同じくらいの歳の者は一人もいない。

次に発するべき言葉を捜していると、少し離れた場所の老女が口を開いた。


『して、今回の貴殿の働きを受け、元老院は勲三等を授与することに決定しました。今回撃破した死星獣のランク的分析と、貴殿の調整したAADアタックエンジュランスデバイスの攻撃力には目を見張るものがあります。この調子で、これからも励んでください』


それを聞いた途端、また青年の心がえもいえぬ不快感に覆われた。


理由はない。


理由はないが……思わず否定の言葉を発しようとした自分を、手を握りこむことで無理矢理に止める。

数秒間沈黙した後、絆は頭を下げて一言だけ答えた。


「ありがとうございます」

『勲三等授与の正式な書類は後日、エフェッサー第十四本部から通達が行くはずです。それに伴い、貴殿のラボラトリーへの資金援助、新たなバーリェの補給も検討されています。詳細は決まり次第、下のものを通じて連絡させましょう』

『時に。トレーナーとしての貴殿に新たな任務がある』


今度は別の老人が口を開き、絆は顔を上げてそちらを見た。


「はい、どのような内容でしょうか」

『AAD、D七〇一タイプの製造が終了した。モニターとして貴殿のバーリェを一体使用してもらいたい』


それを聞いて絆の息が一瞬止まった。

気づかれないように額に浮いてきた汗を拭う。

数年前の自分なら、そんなことを特に苦にも思わなかっただろう。

しかし今は違った。


自分はなんというのだろう……そう、おかしくなってしまっていた。

普通ではない。

下を向いて、手を握り締める。


『次の実戦で新型の使用をする。それまでに準備をしておいてくれ。以上だ』


先ほどの老人がそういったと同時に、数百のモニターが一斉にブツリと音を立てて切れた。

野球場のように明るかったステージは、たちまち暗がりに覆われる。

少しの間、絆は下を向いて考え込んでいた。

やがてポケットに手を突っ込んで観客席に背を向ける。

歩き出した足は、とても重かった。



ラボラトリー、通称『ラボ』という場所は、トレーナー一人一人に支給される、バーリェ育成用の施設だ。

とは言っても施設内容にある程度トレーナー自身が口を出すことができる。


絆のそれは、都心から少し離れた山の下腹に鎮座していた。

今ではめっきり少なくなってしまった自然の緑。

絆は幼い頃からそれが好きだった。


自然は静かだ。

何も言わない。

しかしそこに存在している。

触れても押しても、何の反応もない淡白なこの世界とは違う。

だからこのラボをエフェッサー協会に製造してもらう時には、特にバーリェの少女達のことを考えたたのではなかった。


自分のためだ。

ここが一番落ち着くからだ。

たった、それだけのことだった。

すっかり落ちてしまった日の中、山道をタクシーで運んでもらう。

協会のカードで金を払い、降りた体にひんやりとした空気が刺さってきた。

このあたりにはあまり四季による温度の変化は見られないと言っても、今は冬だ。

夜になるとやはり冷え込む。足元の砂利を踏みしめ、絆は自分のラボを見上げた。


外見的にはただの小型なマンションに見えた。

しかし電気も水も、その他必要なものは全て地下から引いてもらっている。

ただの住居に見えるとはいえ、政府の最重要生体兵器を隔離管理するための

『研究施設』なのだ。

一つ、大きくため息をついて歩き出す。

この沈んだ気持ちはどうにもならなかった。

絃が別れ際に言った言葉が脳裏を掠める。


「……新型、か」


呟きながら彼は明るい蛍光灯が点灯している玄関に立った。

そしてドア脇の電卓のようなパネルのキーをパターンに分けて叩く。

そして口を開いた。


「ドアを開けろ」

『声紋照合完了、ドアを開きます』


壁に取り付けられているスピーカーから機械音声が流れ出し、自動で静かにドアが開く。

外敵からバーリェを守るために、開いている時間はきっかり五秒。

体を滑り込ませると、また自動でドアが閉まった。

ちなみに内部からは、絆以外開けることは出来ない。


広い廊下を見回した彼の耳に、休む間もなくこちらに向けて走ってくる複数の足音が聞こえてきた。

そして避けよう、と考えた途端、猛烈なタックルを喰らって玄関に尻餅をつく。

頭から飛び込んできたのは、愛だった。


「おかえり!」


嬉しそうに抱きつかれて苦笑しながら立ち上がる。


「おう、皆元気にしてたか?」


そう言って周りを見回すと、愛と同じように十四、五歳ほどの外見をした少女が三人、ニコニコしながらこっちを見ていた。


「絆さん遅いですよ。雪ちゃんはとっくに到着してるんですよ?」


その中でもひときわ背が高い、長い黒髪を何個かの束に分けている少女が静かに口を開いた。

咎めるように見上げた彼女の頭を撫でて歩き出す。


「まぁそう言うな、みこと。俺が出かけてる間、何か大変なこととかあったか?」

「あったよー。ねぇ?」


ちょこちょこと背後からついてきた残りの二人のうち、茶色の髪をショートに切っている、ボーイッシュな少女がいたずらっぽく笑って見せた。

そして一番後ろから控えめについてきている、赤髪の、最も背が低い少女と目配せする。


反応を求められた赤髪の子は、ただニッコリと笑っただけだった。

立ち止まって二人の頭を交互に撫でて、絆は首を傾げた。


「あったって……何がだ、ゆう?」

「えーとね……」


突然真正面から見つめられて、分かりやすいほど正直に、優と呼ばれたボーイッシュな少女の顔が赤くなった。

そして言おうとしていたことを忘れたのか視線を宙に泳がせる。

そこで赤髪の子が足を踏み出して、小さな手を細かく、胸の前で動かした。

名前は、ふみ

彼女は生まれつき口がきけない。


『ゲンさんのところで、マナちゃんが外に出ちゃって。偶然通りかかった人がいい人で助かりました』


苦笑の顔で彼女が手を通して意思を伝えると、絆はそれを難なく読み取って、自分にコアラの子供のように抱きついている愛の頭を小さく小突いた。


「出ちゃダメだって言っただろ?」

「あー……うー……文がバラした……」


頬を膨らませて赤髪の子を軽く睨む愛。

そこで命と呼ばれた大人びた少女が軽く肩をすくめて、愛を絆から引き離した。

そして手を繋ぐ。

歩き出した二人について廊下の奥へと移動を始めた所で、命は口を開いた。


「まぁまぁ。絆さんも。本当は三日って言ってたのに一週間も留守にして」


優しく諭すように笑われて、絆も息を吐いて表情を崩した。

おそらく、愛は自分を探しに出たのだろう。

一歩間違えば大変なことになっていたかもしれない。

だが、この調子だとたっぷりと絃に怒られていたようだ。


もしかしたら自分には内緒にしようと全員で決めていたのかもしれない。

口が軽い優を横目で見て心の中で軽く苦笑する。


絆のラボには、現在雪を入れて五人のバーリェが同居していた。

普通、トレーナーは一人一体しか持たない。

それはなぜかというと、第一の理由は非常に管理に手間がかかるということだった。

外見上は年頃の子供の姿をしていても、この世に出された彼女たちは、全く世間一般の常識を持ち合わせていない。


知識はコンピュータでプログラムされても、中身は殆ど赤ん坊と一緒だ。

その中には当然他の個体とは違い、精神的に成長が遅いものもいる。

愛は、その例だった。

思っていることを上手く口に出すことが出来ず、自分の行動として出してしまう。


彼女のように、それぞれが別々の成長をするバーリェを複数体所持するということは非常に困難なことであり、トレーナーは誰もやりたがらないことだ。

だが絆は違った。

そもそもは、単体で暮らさせるよりも複数で同居させた方が彼女たちの安定に繋がるということを発見したことが発端だった。

それに伴っての苦労も多くあるが……今の絆にはこっちの方が気に入っていた。


また、バーリェはそれぞれ、固有の生体エネルギーを持っている。

彼女たちの特性によっては死星獣に全く損傷を与えられないこともある。

その敵の特性に合わせて使い分けることができる……というのも、協会に説明している一つの理由だった。

それは実際事実であったし、その工夫により他のトレーナーに大きく差をつけて絆が評価されている理由でもある。


ラボの中は、まるでホテルの高級室のようになっていた。

食堂、遊戯室、寝室、客間と分かれている。

二階建てで、上階部分は絆の仕事部屋になっていた。寝室は全員共同。

絆も彼女たちと同じ部屋で眠る。


少し歩くと、客間に当たる場所のドアを命が開け、五人はそのまま中に入った。

と、そこで絆の足は止まった。ポカンとして部屋の中を見回す。


「うっわ……」


数秒間沈黙してやっと出てきた言葉がそれだった。まぶしくて目がチカチカするほどだ。


「あ、絆。お帰りなさい」


嬉しそうな声に顔を上げると、部屋のソファーに雪が座っていた。

手を小さく振っている。

客間は、今や金や銀の飾り物で一杯になっていた。

ところ構わず壁にピンやテープでくっつけられている。

一応は規則性があるらしく、十字架模様を描いているものもあれば、サークル形式のものもあった。


「雪と絆が帰ってくるっていうから、皆でやったんだー」


嬉しそうに優が言う。

そこで初めて、絆はこれが「クリスマス」のための飾り物だということに気がついてハッとした。

十二月の二十五日を祝う行事だったはずだ。

今日は十二月二十三日。

明後日に備えているのだろう。


(……後でどんな行事なのか調べておかなきゃな)


心の中で考えをまとめ、困ったような嬉しいような顔を作る。

おそらく彼女たちに教えたのは絃だ。

彼はそういった宗教上の取り計らいについて詳しい。

お祝い事があると聞いて、彼女たちに色々吹聴したのだろう。


「そうか。凄いな……これ皆お前たちでやったのか」


部屋の中を埋め尽くすほどの飾り。

よく見れば手作りだ。

一週間、ずっと作っていたのだろう。

自然に笑みがこぼれる。

四人の頭を順繰りに撫でて、絆は座っている雪に近づいた。


「ただいま。気分はどうだ?」

「凄くいいよ。絆こそ疲れてない?」

「俺は大丈夫。よし! 帰り道で色々お菓子買ってきたから、みんなで食うか」


ポン、と雪の頭も撫でて彼はにこやかにそう言った。



自室に戻ってひと息をつく。

もう夜も更け、真夜中になってしまっていた。

壁にかけられた時計を見上げると、既に夜の十二時を回ろうとしている。


本来ならばバーリェは十時前に寝かせることにしているのだが、久しぶりにな少女達のテンションは高く、全員にバーリェの体調維持のために必要な、膨大な量の薬を飲ませてやっと寝かせたのが今から三十分ほど前。


しかりつけて、さっさと寝かせることも出来た。

事実、絆は二日間、全く寝ていない。

死星獣の出現反応が確認された地域に雪を連れて向かってから、肝心の敵が出現する時間が大幅に遅れ、予定よりもはるかにかかってしまったのだ。

その間もろくに睡眠はとっていないし、終わったら終わったで雪の安否確認、上に報告するための資料作成などで追われていた。


死星獣が出ない頃は本当に仕事なんてないが、出たら出たでアンバランスな忙しさ。

それがこの仕事だ。

スーツを脱いで床に放り出し、だらしなく彼は椅子に腰を下ろした。

そこでまた一つ息をつく。だが考えてみれば、彼女達がそれだけ喜んでいるという事実がそこにあるということは、確認するまでもなく心の奥で自覚できていた。


自分にとっては、たったの七日だった。

だが彼女達にとっては、七日ではない。

そのあたりの感覚は未だに詳しくはつかめていないが、人間の一生を見る価値観と、動物の一生を見る価値観がその間の関連性に酷似していると言えばいいだろうか。


バーリェの寿命は、長くても三年。

五、六年生きたという例も聞いたことはなくもないが、殆ど例外に漏れずに、それだけだ。

期間、つまり商品としての使用期限が来れば……それでなくとも、体内の生体エネルギーを残らず戦闘で使いきってしまえば、どんなに優秀なバーリェでも簡単に死んでしまう。

犬猫のペットよりも、彼女達の寿命なんて儚く、そしてはるかに脆い。


一度大学でバーリェの感じている時間間隔と、自分たち人間の感じている時間の流れは似て非なるものだと教えられたことがある。

短い時間を生きる者の感覚では……想像することは出来ないが、絆が感じている一日の流れを五日、六日以上と感じることもあるらしい。

そのような時間の倒錯の中で彼女達は生きている。

だから自分にしてみればただ一週間留守にしただけのつもりだったが、彼女達にしてみれば……絆にとっての一ヶ月ほどの時間感覚に相当するのかもしれない。

その間、預けていた絃も大変だっただろうなと苦笑して天井を見上げる。


そこで彼は、そんなことを思っている自分が不思議になって少しだけ目を瞑った。

誰かに会えて嬉しい。

誰かがいなければ寂しい。

そんなこと、小さい頃から考えたこともなかった感情だった。

小学校に入る前から、普通子供は親の元を離れて一人暮らしを始める。

親とは言っても、資金提供をする存在だ。

ただそれだけのこと。

国が定めている法律により、人間は生涯最低一回はDNAを購入し、子供を六歳まで養わなければならない。

無論優秀な遺伝子が含まれているDNAは価格も高く、裕福な人間の子供は総じて知能的にも優秀な人材が多い。

だから、絆は自分が……彼女達のように誰かがいなくて『寂しい』と感じたことなんてなかった。


そう、バーリェを管理し始めるまでは。


この仕事を始めて最も戸惑った所はそれだった。

少しでも自分がいなくなると、彼女達は大騒ぎをする。

不安になって、時には泣き叫び出す子もいる。

今でも完全に理解をすることはできないが……なんとなく、それが「寂しい」という不安感情であるということは分かっていた。


トレーナーに求められる最優先事項は、彼女達バーリェの精神安定だ。

薬でいくらでも制御することは出来るが、そもそも不完全なクローン体である彼女達は、身体維持以外の薬物投与に非常に弱い。

故に物理的ではなく、精神的に安定させる必要があるのだ。


無理矢理に成長を促進され、出荷されるためにどこか体や内面的に障害を持っている子が多いのもそのためだ。


絆が管理しているバーリェは現在、五人。

全員ほぼ一年前からここに住んでいる。

最年長はつい先日に戦闘をしてきた雪という白髪の少女。

既にラボに来てから二年と一ヶ月ほどになる。

最も付き合いが長いのは、この子だ。

普段はあまり喋らないが、他のバーリェに対しての面倒見が非常にいい。

年の割に落ち着いているというのが、彼女の特徴だった。

時には絆よりもはるかに大人びた意見を出すこともある。

そして五人の中で……いや、現在この国で管理されているバーリェの中でも確実にトップの性能を持っているのも、盲目のこの少女だった。


正直に言ってしまえば、他の普通のバーリェが彼女がこなしている戦闘に関わったら、ほぼ半分の期間で使用不能になっているだろう。

それだけ体内に含有している生体エネルギーの純度が高く、総量が多いのだ。

外見的には一番儚く、弱そうに見えるのにそれは不思議なことだった。

バーリェの持つ生体エネルギーとは心の力だと、非現実的で意味不明なことを言う学者もいるが……頭から否定することは出来ないと思う時がある。


次に、年齢で言えば命という黒髪の少女が二番目に当たる。

よく留守にする雪と絆に代わって、バーリェしかいないときには残りの子の世話をするのがこの子だ。

能力的には砲撃戦用の機体操作に適している。

おしゃべりだが、あまり自分の感情を口にしない。

性格が謙虚なのだ、と絆は認識していた。


そして最も幼く見えるが、三番目は愛だった。

この子は精神的に発達が少々遅れているために、自分の感情を抑えることが苦手。

白兵戦に特化しているタイプなので、特に危険な状況で使用されるバーリェゆえあまり戦闘には出していなかった。


残りの二人は、双子だ。

優というボーイッシュな少女と、口がきけない文という子。

二人とも、ここに来てから半年ほどしかたっていない。

まだ戦闘に参加したことはなかった。

工場の話によると、二人とも中距離戦の汎用タイプに適しているらしい。


思い返して、きっかり能力で引き取って管理している自分に僅かに自嘲する。

特に意識をしていないことだったが、能力が重なっていないのを見るとそれは明白だった。

疲れでぼんやりしてきた頭を振り、椅子を降りて寝巻きに着替え始める。

特に愛あたりは夜中に起き出した時に、近くに絆がいないと大騒ぎをする場合がある。

寝ぼけて、どう行動してそうなったのかは未だに分からないが、階段から転げ落ちたことさえあった。

だらしなくスーツを床に投げ、ふらふらしながら階下に降りようと振りかえる。


そこで彼は階段をゆっくりと上がってくる足音を聞いて歩みを止めた。

コンコン、としばらくして扉を叩く音が聞こえる。

歩いていってドアを開けると、そこには壁の手すりに掴まっている雪の姿があった。

このラボは、彼女のようなケースを想定して不自由なく歩けるように工夫がしてある。

壁のいたるところに手すりがつけてあったり、寝室以外は一日中、必要以上に明るいのもその配慮だ。


「どうした、雪?」


少女の顔を見て、一瞬だけ絆の心臓が凍りついた。

彼女達が飲む薬の中には、睡眠を促すものも入っている。

しかし、繰り返し服用していると効かなくなってくることもある。

段々と適応してきてしまうのだ。

そうなったら、更に強い薬を飲ませるしかなくなってしまう。

そしてそれは寿命の短化に直結する問題だった。

だが雪は聞かれると苦笑して首を振った。


「私、今日は手術の後だから薬は飲まないようにって先生に言われたって、教えてくれたのは絆だよ?」

「あ……そ、そうだったか?」


自分で言ったことを忘れてしまうほど疲れているらしい。

家に返ってきた安堵感もあるのだろうか。

流れてきた冷や汗をぬぐって、小さく笑う。

そして彼は少女の小さく細い体を軽々と抱え上げ、ソファーに座らせた。


「そっか。薬飲んでないからな。うん……どっか具合が悪いか?」

「うぅん。何だか今日は凄く気分がいいの。でも寝れなくて、絆が降りてこないから来てみたの。邪魔だった?」

「そんなことはない。何か飲むか?」


何故か、彼女のその言葉が嬉しかった。

理由は自分でもよく分からない。

だが、この小さい少女が自分のところに来たという事実が、何処となく嬉しかったのだ。

眠気をなるべく出さないようにして、自室に設置されている大型冷蔵庫に足を向ける。


「じゃあ私、コーラ飲みたいな」

「おいおいまたコーラか? 炭酸ばっか飲んでると骨溶けるぞ」

「嘘ばっかり。酸味料の燐酸で多少の酸化はするけど、コーラで骨は溶けません」


クスクス笑いながら白濁した瞳を向けられ、絆は肩をすくめて冷蔵庫の扉を開けた。

そしてコーラのボトルからコップに注ぐ。

それを少女に握らせ、彼は隣に腰を下ろした。

雪の頭を軽く撫でると、彼女のお気に入りのシャンプーの匂いが漂ってきた。

コーラを口に含む彼女を見下ろし、何処となく先日に駆除した死星獣のことを思い出す。


事実的に言えば、この脆く、突き飛ばしただけで壊れそうな女の子一人に、アレは吹き飛ばされた。

この小さな女の子に。

こうして見ていると、とてもじゃないが今でも信じることが出来ない。

視線を感じたのか、雪は首を捻って絆のことを見上げてきた。そして小首をかしげる。


「どうしたの?」

「ン……ああ、いや」


言葉を濁らせると、少女は大きな目を更に大きく開いて青年の顔を見つめた。


「ね、私覚えてないんだけど、また死星獣を倒したんだよね?」


唐突にそう聞かれ、心の準備をしていなかった絆は息を詰まらせた。

出来ることならその話題には触れずにおきたかったのだ。

今回使用したAADという、バーリェのエネルギーを攻撃に変換する兵器は、トップファイブという超高性能機だった。

逆に言うと、半端な能力を持つバーリェでは起動すら出来ない。

それだけ、あの死星獣は強く、駆除に困難を極めていたのだった。


事実、絆と雪はほぼ最終的な切り札として招致されていた。

できることなら前に控えていた他のトレーナーが駆除してくれることを祈っていたのだが……その祈りは無駄に終わってしまった。

二組待機していたトレーナーとバーリェは、一組は飲み込まれて、消滅。

もう一組は有効打撃を与えることが出来ずに撤退。


自分たちは、その上で攻撃を仕掛けた。

それだけ、雪の力は強大だった。

だがそれが示唆する事実はたった一つ。

数値では分からないが……彼女の寿命は、あとどれくらいなんだろう。

今は平気そうにしているが、明日には、いや今すぐにでも呼吸を止めて目を閉じるかもしれない。

その言いようのない、逃げ場のない焦燥感。

会ったばかりの頃には感じたこともなかった呪縛を感じているのが、今の自分だった。


しばらく沈黙して、無理矢理明るい声を作って答える。

この少女は非常に聡く、隠し事をするとかえって傷つけてしまう恐れがあった。


「ああ。よく頑張ったな」


そう答えてやってぐりぐりと髪を撫で付ける。

嬉しいらしく猫のように目を閉じて、彼女は絆の胸に擦り寄ってきた。


「今回のはどれくらい凄かったの?」

「かなりな。お前じゃなきゃ駆除できないだろうって協会から要請を受けてな」

「ふふ……頑張ったもんね」


軽く笑って少女が目を閉じる。


「でも無事に駆除できてよかったぁ……」


そして安心したかのように大きく息を吐く。絆も微笑んでそれに答えた。


「ああ。お前は強いからな。協会も褒めてたよ」


だがコーラのカップを持ったまま、少女が首を振る。


「私、あの人たち嫌い」

「そう言うな。まぁ分からなくもないけど」


少しだけ口ごもって言葉を続ける。


「もうしばらくは仕事はないと思うから、お前はゆっくりしてろ。今回凄く頑張ったからな。当分の間戦闘はいいだろ」

「え……?」


絆の言葉に対してきょとんとして雪は目を開けた。

数秒沈黙して控えめに……と言った感じで口を開く。


「私、まだ大丈夫だよ……?」

「無理するな。十分すぎる程だって」


また頭を撫で付けると、しばらく納得いかないような顔をしていたが、やがてまた目を閉じてコップを胸に抱く。


「もうすぐクリスマスだね」


何分か、そのまま沈黙していたので寝たのかと勘違いしていた絆は立ち上がろうとした腰を無理矢理落ち着かせた。

そして彼女の顔を覗き込む。


「なぁ、その『クリスマス』ってのは何をする行事なんだ?」

「私も……よくは分からないけど」


戸惑ったように目を開け、視線を宙に彷徨わせた後、雪は言った。


「命ちゃんがね、絃さんから教えてもらったって。十二月二十五日は……えーと……とにかくお祝いするんだって」

「随分アバウトな行事だな……まぁ明後日だし、どんなことするのか調べておくよ」

「うん。だけど絆はそんなに気合入れなくてもいいみたいだよ?」

「何で?」


問い返すと、雪は自分でもまだ把握し切れていないのか自信がなさそうにかすれるような声で続けた。


「何だかね、靴下の中に……その、欲しいものを書いたカードを入れておくと、起きたらそれがもらえる行事なんだって。お祝いちゃんとすると、サンタって人が来てくれるんだって」

「何だそれは」

「わ、私もよくわかんないけど……でも、命ちゃんは絃さんからそう聞いたって言うし」


言っていることの滅茶苦茶加減に気づいたのか、パッと彼女の頬が赤くなる。

どんな都市伝説を湾曲して誤解しているのか……心の中でため息をつきながら、絆は少し考えて言った。


「まぁ俺もよく分かってないから、明日起きたら調べてみる。そのサンタ? っていう奴が誰なのかも判然としないしな」

「お願いだよ? 皆も実はよく分かってないみたいだから……」


そこで絆は、やっと彼女がそのことを言いにきたのだということを理解した。

雪に比べれば、比較的残りの中では大人びている命も結構精神的には幼い。

だからよく分からない行事に対してノリだけではしゃいでいる子達を見て不安になったのだろう。


「ああ。約束だ」


何気なく自分と彼女の小指を絡ませ、何度か上下させた後に絆は雪の手から空になったコップを受け取った。

それをテーブルに置いて、少女を抱えながら立ち上がる。


「よし、そろそろ眠くなっただろ。寝るぞ」

「うん」


歩き出した青年にしがみつくようにして、寝巻き姿の少女は微笑んだ。


「絆」

「うん?」


小さく呼びかけられ、階段を降りながら答える。


「何だか怖い」


何げなく発せられた一言だった。

だがその言葉を聞いた途端、思わず足が止まった。

おそらく、この時間まで起きているのはこの子にとって生まれてから初めてのこと。

いつもの戦闘後には、普通に薬物の投与は許されている。

だが今回に限って許されなかったというのは、手術で使用した麻酔が強力なものに変えられたということ。

それがまだ体内に残っているからだ。


どう言葉をかけていいのか分からない。


だが……ここで、自分が沈黙しては、この子は何も出来なくなってしまうだろう。

バーリェにとって、トレーナーは絶対であり、そして神に近い存在なのだ。

自分がしゃんとしなければこの子達は生きる指針を失ってしまう。

絆は大きく息を吸って、吐いた。

そして数秒鼓動を整えてからニカッ、と笑う。


「じゃあ今日は俺と一緒に寝るか」


そう言ってまた階段を降り出す。

視線の端で雪の顔がパッと明るくなったのがはっきりと分かった。

答えずに少女が目を閉じる。

絆は、彼女に気づかれないように軽く……思っていることを振り払うように首を振った。



ベッドに倒れこむように転がり、抱きついてきた雪を潰さないように胸の上に引き寄せた所から、唐突に記憶は途切れた。

今まで耐えていた疲れが、自分のシーツの感触を感じた瞬間、一気に倒壊した感じだ。


雪が寝付くのを確認もせずに、落ちるように眠ってしまっていたらしい。

目が覚めた時には完全に朝になってしまっていた。


一瞬、目に飛び込んできた……開け放しの窓から中天まで昇った太陽の光を理解することが出来ずにポカンと口を開ける。

数秒間窓の外を見つめ、そこでやっと絆は自分が昼近くまで眠っていたのだと気づき、慌てて起き上がった。


隣で眠っていたはずの雪の姿はなかった。

他のバーリェのベッドの、全員一様に綺麗にシーツが畳まれている。

彼女達の起床時間は朝の七時。

食事は七時半から。

そう決めていたのは他ならぬ絆自身だ。

軽く頭を抱えながら、まだ疲れでふらふらする目を押さえ、彼は裸足のままベッドから降りた。

壁の時計を見上げると、丁度九時半をさしている。

日の光を見て昼当たりだと思ったが、そんなには寝過ごしていなかったらしい。


一週間、死星獣退治のために気を張っていた反動だ。

今は仕事も何もないフリーな状態だということに気がついて、青年は欠伸をしながら息をついた。

食堂の方に向かうと、流しの方から洗い物をしている音がする。

このラボでは、客間と食堂がほぼ一体になっている。

誰か来客があったときに、手っ取り早くまかないを出せるようにという絆の考案によるものだった。


接近を感知して自動で開いたドアをくぐると、壁のいたるところに取り付けられた金銀の飾りの光が目に付き刺さった。

昨日のことを忘れかけていて、それで無理矢理に思い出させられる。


(そういえば調べなきゃな……)


頭の中で反芻しながら広い部屋を見回すと、少女達ほどもある、巨大なテレビは今日はついていなかった。

いつも絆が寝過ごすと、これ見よがしといわんばかりに優や文たちがテレビゲームをやっているのだが。

不思議に思って視線をスライドさせると、彼女達は大きなソファーにひとまとまりになって何かに取り掛かっているところだった。

少しばかりその作業が気になって、足音を殺して近づく。


「あ、絆だ」


しかし途中で目ざとく優に気づかれ、彼は苦笑しながら頭を掻いた。

彼女の言葉に誘発されるかのように、他の少女達も一斉に振り返る。

丁度円を作るように座っていて、真ん中に雪がいる状態だった。


「おはよう、絆」

「おはよー」


元気に飛び出してきた愛のタックルを軽く受け止め、片手で彼女の小さい体を、軽々と肩に担ぎ上げる。

そのまま器用に愛は絆の額に手を回した。


「遅いよ絆、お寝坊ダメって言ってるのに」


抗議するように愛に髪をくしゃくしゃにされながら彼女の頭を撫でる。


「悪いな。お前ら今日は目覚まし鳴らさなかっただろ。電池が切れたか?」

「違うよ? 絆が疲れてるみたいだからって、雪が止めたんだよ?」


きょとんとしながら優がそう返してきて、慌ててそれをさえぎろうとして失敗した雪が顔を赤らめた。


「ご、ごめんね。しばらくお仕事はないって聞いてたから……」


どもりながら謝ってきた少女の隣に座って、しかし絆はニッと笑って見せた。


「気ィ使わせちまったみたいだな。まぁもう元気だから心配するな。お前ら何やってたんだ?」


そう聞いて、雪が手に持っていた金色の折り紙を摘み上げる。所々いびつに折られていた。

怪訝そうにそれを見ている絆の膝をつついて視線を引き寄せ、文が素早く手を動かして文字を作った。


『クリスマスの飾り。雪ちゃんは作り方知らないから、教えてあげてたんです』

「ああ、そういうことだったのか」

「私、こういうの苦手で……」


上手く出来ていないことを自覚しているのか、もごもごと雪が言うと、彼女の太ももを軽く叩いて優が元気に言った。


「大丈夫大丈夫。簡単だから。雪でも出来るよ」

「優でも出来るしね」


絆の肩の上で愛がそう言うと、優はジト目で彼女を睨んだ。


「どーゆうことそれ?」

『大雑把なお姉ちゃんでも出来てるんだから、丁寧な雪ちゃんに出来ないことはないっていうことだよ』


膨れた彼女の肩を引いて、手話で文が言うと、優は更に膨れながら床に散らばっていた金紙を手に取った。


「さーどんどん折るよ~」

「ま、適度に頑張れよ。それよりお前らメシはきちんと食ったのか?」


そう言うと流しの方から足音が近づいてきて、頭の上から静かな声が投げかけられた。


「あ、おはようございます絆さん。朝食になさいます?」


エプロン姿の命が、洗い物は終わったのか手を布巾で拭いながらこちらを見ていた。

視線を少し横にずらすと、食堂の大きなテーブルの上には彼女達の薬入れが出しっぱなしになっていた。

どうやら自分たちで用意して、既に済ませた後らしい。

この命という少女は、絆よりも料理が上手かった。

おそらく全員分の食事を作って、そして片付けていたところだったのだろう。


「おはよう。すまないな」

「いえいえ。今スープを温め直しますね」


キッチンに逆戻りした彼女を追う様に、ソファーを離れて食卓に向かう。

椅子に座ると、驚くほど手際よく、トーストやスクランブルエッグが並べられていく。

コンソメのスープを口につけながらトーストをかじると、命が近くの椅子に腰を下ろしてきた。


「うん、旨いぞ」


褒めてやり、頭を撫でると嬉しそうに頬を赤らめる。

そして彼女は青年の顔を見上げて言った。


「雪ちゃんから大筋は聞きましたけど……今回の死星獣は規格外の大きさだったんですね。軍にも被害が出たって、昨日のニュースでやってました」

「ああ。この所、都心付近の出現する死星獣がますます凶暴化してるような気がする……協会も、新型のAADを実戦投入する気だしな……」


何気なく言ってしまって、そこで初めて絆は『しまった』と息を詰まらせた。

案の定、新型の兵器と聞いて命は一瞬きょとんとした後顔色を変えた。

目をキラキラさせながら、身を乗り出して、彼女は声のトーンを落とした。


「新型機が絆さんに配属されるんですか?」


隠しておくつもりだったが……食事による気の緩みでつい出てしまった言葉はもう戻らない。

大きくため息をついて、トーストを皿に置き額を抑える。

実の所、全員のバーリェの中でこの少女の口は一番軽い。

真面目そうな物腰だがそれとは対照的に隠し事というものが出来ない子なのだ。

おそらく黙っていろと言っても一時間後には全員が聞いた内容を全て知っているだろう。

無駄に予測を一人歩きさせないほうがいいか、と頭の中で自分を納得させ、絆は言った。


「まだ詳しくは聞いてないがな。今度のAADは、自動式二足歩行タイプの甲殻戦車らしい。配属されるとすれば、多分それだろう」

「誰が乗れるんですか?」


間髪をいれずに、命は息を詰まらせて聞いてきた。

他の子たちには聞こえないように。

彼女の見つめる目は真剣だった。

そこには、ドス黒い感情も何もない。

ただ純粋な思いそれだけだった。

答えるべきか否か口ごもった彼に、少女は僅かに表情を落として呟くように聞いた。


「また……雪ちゃんですか?」


すがるような視線。

絆は口の中に残ったトーストのカスを舌で転がしながら、心の中で大きくため息をついた。

複数体、バーリェを管理しているものの宿命とでも言うのだろうか。

最も難しく、そして最も辛い作業。


それがバーリェの選択だった。


当然強い能力を持つバーリェは高性能な機体を動かすことができる。

だが、使用されれば使用されるほど寿命は減っていく。

しかし、彼女達はそれを……少なくとも絆の認識している限りでは……全く苦に思っていない。

それは未だに絆は理解が出来ないし、理解をしようとしてもそれは不可能なことだった。


工場を出荷される時にコンピュータにより意識の下に植え付けられた感情なのか。

彼女達は自分を……とにかく使ってもらいたがる傾向がある。

そう、他の誰よりも。

世界中のどのバーリェよりも。

自分が優れていることを証明したがる。


バーリェの特性の一つとして、生命維持よりもその自己顕示の感情が優先されるというものがある。

つまり。

使用してもらうこと、それが彼女達の存在意義なのだ。

使えないバーリェは、存在している意味がない。

彼女達は生まれながらにしてそれを、心の深く奥の場所に刻み付けられて生まれてくる。


「私、乗りた……」


……乗りたいです。

そう言いかけた命の言葉を、手でやんわりとさえぎる。

そして極めて何でもない風を装って絆は答えた。


「まだどんなのかも分かってないし。ひょっとしたらお前ら五人全員に配布されるのかもしれない。ちゃんと詳細が聞かされたら教えてやるから。そんなに焦るな」


言われて、紅潮していた彼女の頬が緩やかにもとの色に戻っていく。

少し沈黙して、命は黙ってテーブルに目を落とした。


「そ、そうですね……ごめんなさい……」

「それより、お前はクリスマスの飾りとか作らなくてもいいのか? みんなあっちで必死こいてやってるが」


絆が話題を変えようと親指で雪たちの方を指すと、命は顔を上げて微笑んだ。


「ええ。私は昨日までに随分沢山作りましたから」

「しかし、今まではそんな行事知らなかったのにやたらと一生懸命だな。サンタとかいう奴がプレゼントをくれるんだろう?」


多分、空想上の神か何かなんだろう。

信じる純粋な人間には幸福をくれるとか言う、宗教関連の迷信だと思われる。

だが命が返してきた反応は意外なものだった。きょとんとしてこちらを見た後、彼女は口を開いた。


「絆さんは欲しくないんですか? プレゼント」


唐突に聞かれて頭が対応せず、青年はスープにスプーンを突っ込んだ。

そして軽くかき回しながら、言葉を選んでそれに返す。


「お前ら、何か欲しいものがあるのか? そんなの俺に言えばある程度なら買ってやれるけど……」

「わかってないですねぇ、絆さん。プレゼントだから意味があるんじゃないですか。何でも願いが叶うんですよ?」


わくわくしているのを隠そうともせずに、彼女は絆の顔を下から覗きあげた。


「それってすごく、すごく素敵なことだと思いませんか?」


その目は、自分がプレゼントをもらえるということを信じて疑っていない目だった。

おそらく彼女自身もクリスマスが何であるかを全く理解していない。

絃に何を言われたのだかはわからないが……自分の知らない所で厄介なことになっている雰囲気を感じて小さくため息をつく。

何処となくこの行事の趣旨が読めてきた。

昨日、確か寝る前に靴下の中に欲しいものを書いておくと雪が言っていた気がする。

サンタというのが何かは分からないが、おそらく保護者がそれを見て、欲しいものを用意して置いておくんだろう。

……常識で考えればそうなる。


何のためかはよく分からないが。


「じゃ、俺も何かお願いしとこうかな」


苦笑しながらそう返すと、命は顔を輝かせて頷いた。


「そうですよ。こんなお得なことはあんまりないです」

「お得って……お前の観点はそれか」


大人のような振る舞いをしていても、やはり中身は子供だ。

だが……来年の十二月二十五日が彼女達に訪れるのだろうか。

ふとそう思って言葉を止める。

視線をスライドさせ、黄色い声をあげながら工作に取り組んでいるバーリェたちを見る。


(……欲しいものか)


出来るだけ叶えてやりたい。

絆はそう思って息を吐いた。



しばらく彼女達の相手をして二階の自室に上がった頃には、既に昼に差し掛かっていた。

自分が朝食をとった時間は遅かったので、昼も命に任せてとりあえず雑務を片付けることにしたのだ。

基本的にラボの中にいる間、バーリェの行動に規制は設けていない。

暴飲暴食以外は好きにテレビを見ていてもいいし、ゲームをしていても構わない。


絆のその管理性を異常だというトレーナーも数多くいたが、絆にしてみれば彼らの方が異常だった。

酷いところだと、檻のような場所に管理しているものさえいる。

根本的に……バーリェに人権はないのだ。


だから絆や絃のような、彼女達を人間扱いするトレーナーはこの世界では異質な存在だし、珍しいものだ。

それが成り立っているのは彼らが成果を残し、優秀なトレーナーだと認められているゆえのことだった。


デスク一杯に並べられたPCのモニターを眺めつつ、彼はネットワークにアクセスしてクリスマスに関してのことを調べていた。

どうやら自分の考えているとおりの行事で間違いはないらしい。

二百年ほど前までは活発に行われていたというが……どうにも上手く想像が出来なかった。

親という存在にプレゼントという贈り物をもらったことがないということが原因かもしれない。


クリスマスが栄えていた頃の世界は、まだDNA管理が十分ではないところで、今よりも親と子供の関係が密接だったと聞く。

息をついて、背中を伸ばす。

とりあえずは今日……情報によるとケーキなどを食べてお祝いをするらしい。


一体何を祝うのかはよく分からない。

宗教関連の行事にはあまり興味がないのだ。

ネットからの通信販売で取り寄せるか…と、政府関連の組織であるエフェッサー職員の特権を使って、ウェブサイトから適当な料理を色々注文しておく。

自分達トレーナーはラボを離れるわけにはいかないため、殆どの生活に必要なものは組織代行で買うことが出来る。

こうして、ここに座ったまま。

非常に楽だ。


だが、彼女達が靴下の中に欲しいものを書いて寝るのが、今日の夜十時ごろ。

明日の朝七時までにはそれを用意しなくてはならない。

オンラインで発注しても、それが都合よく朝まで届くとは限らないだろう。


(もしかして町まで降りて探さなきゃならんこともあるのか……?)


意外と自分の役割が大変なことに気がついて視線を宙に泳がせる。

基本的に、放任的な絆の管理のせいか、彼のバーリェは我侭に育つ。

あまり怒られないことをいいことに、常日頃遠慮なくアレが欲しい、コレが欲しいと言ってくる。

全部という訳にはいかないが、買い与えているのも事実だ。


それを今更……という感もあったが一応彼女達が何を欲しがるのか考えてみる。

優と文は、まず間違いなくゲーム機やゲームソフトだろう。

テレビを占領してやっているほどだ。

命は漫画本が欲しいとこの前に言っていた気がする。

彼女のベッド脇には物凄い量の本が並べられている。

まぁ……買ってやったのは全部絆なのだが。

愛はおそらく、食べ物だろう。

あまり彼女に世間一般の知識はないため、喜びそうな大きいお菓子でも買ってやればいいかもしれない。


雪は……。

何だろう。そこで絆は考えを止めた。

二年近くあの少女と一緒にいるが、彼女はこれまでに、絆に高額なものを要求したことは一度もなかった。

あえて言うとすれば、アイスクリームが好きだ。

それか、炭酸飲料。

そんな安価な誰にでも自動販売機で買ってこれるようなものしか要求したことはない。


普段何をしているかというと、命の持っている本の話を聞いたり、優達のやっていることを珍しげに聞いていたり。

愛とよく分からない遊びをしていたり。

それだけだ。

それ以外で彼女が我侭を言ったことなんて一度もなかった。

どんなものを欲しいと言ってくるのか……想像できない分かなり興味がある。

苦笑してデスクに置いておいたコーヒーを口に運ぶ。

そこで彼は、モニター画面の一部にメール着信を告げるウィンドウが点滅しているのに気がついた。

そちらに目をやって開こうとした手が止まる。


『高国際防衛庁第三科エフェッサー東中央支部』


政府の上層からだった。

何十かにパスワードがかかっている。

それを数分かかって解除すると、唐突にメールの内容が画面いっぱいに広がった。

次いで、上司である支部長の低い声が、音声メールで流れ出す。


『伝達だ。明日、二三〇四時にターミナルDに来られたし。貴殿へのAAD授与が執り行われる。以上』


簡潔にメッセージは直ぐ途切れた、だが、絆はそれよりも画面に広がっている画像に目がひきつけられていた。

その唇が、まるで忌々しいものを見たかのように歪む。

歯を重くきしらせながら、青年は画面に映った設計図を見つめた。

それは、電文によると明日自分に渡される予定の新型兵器の設計図だった。

バーリェのエネルギーを受けて動く、対死星獣用の駆除兵装。


それは、人の形をしていた。


今まで使用していたものは戦車や、戦闘機型などどれも死星獣のタイプによって変えていた。

しかしこれからは違う。

どんな状況にも対応できるように、人型の機動兵器を開発しているという噂は聞いていたが……こんなにも早く、しかも自分がその試用第一号に選ばれるとは思ってもいなかった。

黙って、その駆除兵器の詳細を読む。


……雪は乗せられない。


それだけはこの瞬間はっきりした。

恐れていたことが現実になったという感じだ。おそらく元老院は、ほぼ最高の能力を持つ彼女を核として使わせたいんだろう。

だが……そんなことはできない。

その機動兵器に有するエネルギーは、先日使用したものの約二倍。


雪を使ったら、彼女は死ぬ。。



クリスマスと言っても、実際のところは絆を始めとした、言いだしっぺの少女達でさえ何をするのかはよく分かっていないようだった。

とりあえず古い文献に載っていた、ケーキとチキン類、それと相当量の菓子が夕方に届いたので、それを開封させ、食堂に並べさせる。

適当に選んだので相当な量だ。


ダンボール、およそ五箱分……おそらく食べきることなんて度台不可能なその量を見て、絆は心の中で困ったため息をついた。

はしゃぐにははしゃぐが、この子達はあまりものを食べない。

それ以前にバーリェは、薬と点滴で体調維持が出来る存在だ。

無理して人間のように食事を摂らなくてもいい。


余った分はエフェッサーの、比較的付き合いのある人に分けるか……と思いながら、ひとまずは少女達を手伝いつつも用意をしていく。

とりあえずは豪華な風情を出したいらしい。

食べる食べないには関わらず、手当たり次第に引っ張り出して並べていく彼女達を見ながら、別段自分が手伝わなくても良いことに気づき、絆は少し距離を置いた。


いずれにせよ、どんな行事なのかは最後まで完全には理解できなかったが。

楽しめればそれでいい。

こんなことは自分が子供の時にはなかったものだ。

いや、今の社会にとってもごくごく少数の人間だろう、『お祝い事』なんてものをするのは。

人と人との関わりが希薄になっているこの世界で、こんな感情を知ることになるなんて不思議なものだ。


結局は単なる豪華な食事……のようになってしまったが、いつもの夕食の時間に全員が揃って座った時には、もう夜の七時を回っていた。

バーリェにアルコール類は禁物なので、ひとまずは炭酸系統のビール色をしたものを数点、グラスについでやる。

自分もこれから出かけるかもしれないので、アルコールはやめておく。

いつもは菓子類を食事の時に食べるのは硬くとめているが、今回は大目に見ることにした。

隣に座った雪の食事介助をしながら、絆は結局の所いつものような食事の様子になっている少女達を苦笑しながら見回した。


おとなしく食べろとはいっているが、いつも途中で優や愛が騒ぎ出す。

他のものの皿から料理を取ったり、逆に絆の皿に乗せてきたり。

その少し豪華な食事が終わったのは、全員がはしゃいでいたせいもあっていつもの倍近くの時間がかかった。

想像以上にちらばったテーブルを見つめ、片付けようとした命を止める。


「それはいいから、お前ら早く風呂に入ってこい」


軽く手を振りながら、片付け始めた絆を戸惑ったように命は見返してきた。


「いいんですか? 片づけなら私が……」

「気にするな。今日はサンタって言うのが来るんだろ? おまえらも早く寝ないと、そいつは来ないらしいぞ」


我ながら言っていることが滅茶苦茶だと思うが、とりあえずそれで五人を風呂場に追い払い、絆は寝室に目をやった。

全員、ベッドの脇に思い思いの靴下を紐やら何やらでぶら下げている。

まだカードは入っていないようだ。

軽く息をついて、絆は食べかけのケーキを口に押し込んだ。

実の所、昼に来たメールの内容が頭を回っていて食事のことなど殆ど頭の隅に追いやられてしまっていた。


誰を使うか。


それは即急に答えを出さなければならない問題だし、今にでも新しい死星獣が現れれば直ぐに出撃の命令がかかるかもしれない。

ジュースをあおって、テーブルを見回す。

食事中は嬉しそうに命の話す漫画や小説の話に聞きいっていたが、雪の皿に乗った料理は殆ど減っていなかった。

この所尚更、彼女の食欲が落ちてきている気がする。


絆にとって、バーリェの死に直面するのは無論初めてのことではない。

五年前に始めたこの仕事の中で、既に八人のバーリェがこの世を去っている。


最初の頃は全く苦にも感じなかった。


一番最初のバーリェも、自分が道具として使用されることに不平を漏らしたことはなかったし、彼女はそれで満足しているように絆には思えた。

だが、三人目のバーリェが死んだ時、何かが彼の中で変わった。

今の雪よりももっと小さい、そして更に体の弱い女の子だった。

バーリェも人間のクローン体である為に、無論性別がある。

単に好意感情を誘発するには男性のトレーナーには女性型のバーリェ、女性のトレーナーには男性型のバーリェを合わせる規則になっているだけだ。


不思議なバーリェだった。


その頃仕事で一緒に組んでいた、女性のトレーナーが管理していた男性バーリェに……上手く表現することは出来ないが、ありがちな古い文献の中から引用すると「恋」してしまったらしかった。

いつでも、何処でもその男性型バーリェの傍にいようとし、それは絆への好意感情をはるかに越える意思だった。


昔の文献では、男性と女性が一緒になり恋に落ち、そして結婚するという記録が残っている。

今の社会ではそんなことは不必要な、非効率的なものだ。

子孫を残したいなら科学技術でいくらでも制御できる。

故に、その異常な行動を当時の絆は理解することが出来なかった。


だから離した。

仕事に支障が出るから。


その結果。

少女は段々と衰弱していき……最後には自分で立つことも出来なくなってしまった。

どんな薬剤投与も効果がなかった。

そしてバーリェとしての使用が不能になった二日後、眠るようにその子は死んだ。

それから、絆は女性のトレーナーと仕事で接近することはしていない。


段々と少女達の心を感じて理解することが出来るようになってきた今考えると、自分は残酷なことをしたんだと覚ろげに思うことが出来る。

一番大切で、守りたいものは絆ではなく別の対象だったのだ。

そう、今ここに存在している五人のバーリェが絆に対して向けている感情のように。

今でも……その男性型バーリェに会わせてくださいと懇願してくる少女の目が、頭から離れない。

何故か、忘れることが出来ないのだった。



絆のラボの風呂は非常に広い。

それは絆自身が入浴好きであるということからもきているし、何より五人の少女達を一度に入れるには狭くては話にならないのだ。


目の見えない雪は、常に誰かと一緒に入らせるようにしている。

来たばかりの頃は絆が入れていたのだったが、この頃は嫌がるようになり、今では命に殆どを任せていた。

とは言っても、何か他の子が別のことに熱中していない限りは五人全員で入るのが定番になっている。


体の大きさで言うと、やはり命が一番大人に近い。

自分よりも一回り小さな雪の背中を流しながら、彼女は浴槽で水をかけ合って遊んでいる三人に向かって声をあげた。


「ちょっと皆。また転んで頭打つわよ?」

「実際お風呂で転んだことがあるのは命だけだけどね」


すかさず優に返されて、少女の頬が火のついたように赤くなった。


「わ、私は転んだら痛いよってことを……」

「大丈夫だよ~私たち命よりも反射神経あるしー」


愛がのんびりと湯に浸かりながら返すと、命は疲れたように肩を落として、雪の背中をシャワーで流した。


「……雪ちゃんまた痩せた? 何だか一週間前よりもちっちゃくなったみたい」

「そんなことないよ。命ちゃんが大きくなっただけよ」


苦笑しながら返し、雪は目を瞑ったまま近くのシャワーのグリップを掴んだ。


「ほら、背中向いて。今度は私が流してあげる」

「うん」


素直に後ろを向いた彼女の背中を、もう片方の手で掴んだ泡がついたスポンジでたどたどしく擦り始める雪。

しばらくして命が声を落として口を開いた。


「あのね、絆さんから聞いたんだけど……」

「ん? 何を?」


きょとんとして返した彼女に、段々小さくなる声で命は続けた。


「新型……あの、何ていうか……二足歩行の人型戦車なんだって……」


一瞬、雪の手が止まった。

だが直ぐに彼女は命の背中をシャワーで流し、微笑みながら見えない目で彼女の顔を覗き込んだ。


「凄いね。今までは戦車とかばっかりだったから。お人形みたいなのかな?」

「うん。多分漫画とかに出てくるロボットみたいなものだと思うよ? 今まで乗ってきたのよりずっとずっと強いんだと思う」


何が言いたいのか要領を得ない彼女の言葉に、しかし雪は敏感に反応して慌ててシャワーのグリップを床に置いた。

そして極めて明るい声で、いきなり話題を転換させる。


「次は髪洗おう? 私が最初にやってあげる。命ちゃんのはどれだっけ?」


聞かれて、少女はバスチェアーに座ったまま体を振り向かせた。

そして壁につけられている風呂用のクローゼットから二、三本のシャンプー類をとって雪の脇に置く。


「ゴメンね、お願い。あ、左からだよ」

「分かってるよ。大丈夫」


受け答えて言われたとおりに中身を手に出した雪に、慌てて命は付け加えた。


「忘れてた、ちょっと待って。シャンプーハット被るから」


大真面目にクローゼットをあさり始める彼女の方を苦笑して顔を向ける雪。

その表情が一瞬沈んで、またすぐに元に戻った。

目に洗剤が入らないようにキッチリスチロール製のカバーを被った命の髪を、慣れているのか丁寧に洗っていく。

そこで命はぼんやりと口を開いた。


「雪ちゃんは、サンタさんに何をお願いするの?」


聞かれて、困ったように考え込んだあと、雪は答えた。


「まだ考えてないの。結構急なことだったから。私まだ帰ってきてから少ししか経ってないし」

「ダメだよ、早く考えなきゃ。靴下の中に入れれば何でも長いが叶うって絃さんが言ってたの。でも今日限定なんだよ?」

「でも私、別に欲しいものないし……」


嘘を言っているわけではなかった。

事実、昨日寝る前からずっと考えていたのだが、少女にとって欲しいものは特になかったのだ。


「ここにいられるだけでいいし……」

「雪ちゃんは人一倍頑張ってるんだから、もっと我侭になってもいいと、私は思うけどなぁ」


何となく呟かれて、そこで雪は不思議そうに彼女の後頭部を見つめた。


「我侭……?」


反芻するように呟いて、静かに少女の髪をシャワーでゆすぎ始める。


「一年に一回しかこういう機会はないんだから。ちゃんと考えておいた方がいいよ」

「うん……そうだね」


生返事を返して、雪は別のシャンプーの中身を手の平にあけた。



風呂から上がった彼女達に薬を飲ませ、寝室に送ってから絆は大きく息をついた。

食事後の片付けはいつも命がやっている分、いざ自分が取り掛かるとなると結構疲れるものがある。

何でも、他の人にカードに書いた内容を見られると願い事が無効になるらしい。

どういうまじないか知らないが、それぞれ用意していたカードとペンを持って自分のベッドに潜り込んでいった。


ソファーに両足を投げ出して、絆は客間から電気を消した寝室を見つめた。

寝る前に、自分も靴下に何かを書いて入れるようにと、命に渡されたものが座っている隣に置いてある。

それを手にとって彼は黙って見つめた。

書けば、願い事が叶う。

どれだけ非現実的で、短絡思考の行事なんだろう。


だが彼女達がそれを本気で信じているのは見ても明らかなことだった。

おそらく絃以外の人間から教えてもらったらそうはいかなかっただろう。

それほどバーリェにとって、トレーナーは、はるか上の存在なのだ。

もしも願い事が叶うなら、自分は何を願うだろうか。

そのサンタとかいう謎の人物に何をもらいたいのだろうか。


そこで絆は、自分には特に願うものがないことに気がついた。

願望や、望みはある。

だがそれは全て叶わないことだった。

決して叶わないことを、誰とも分からないものに願う。

そんなばかばかしいことがあってたまるか。

息を一つ吐いて、ペンとカードをポケットに突っ込む。


壁を見上げると夜の十時半を回った所だった。

大体彼女達は薬を飲んでから十五分以内に深い眠りにつく。

念のため三十分待っていたのだ。

もうそろそろいいだろうと考えて、彼は寝室に足を向けた。

そして電気は消したまま、寝息を立てている少女達を一人一人確認する。


昨日の雪は薬を飲んでいなかったために眠れなかったようだが、今日はきちんと寝息を立てていた。

安堵の息をついて、絆はそれぞれの子たちが枕元に下げている靴下から、そっとカードを抜き取ってポケットに入れた。

そして食堂に戻って、中身を見ようとソファーに腰を下ろす。


そこで突然、彼の服の胸ポケットに入れてあった携帯端末が細かく振動した。


(こんな時間に電話……?)


怪訝に思いながらも小水晶板を見ると、絃の名前表示があった。

少女達をなるべく起こさないように廊下に出てから着信スイッチを入れる。

そして耳に近づけると、彼の低い声が流れ出した。


『夜遅くにすまない』

「いや、今日はあんたが親切に俺の子たちに教えてくれた『クリスマス』とやらのせいでまだ寝るわけにはいかないみたいだ」


苦笑しながら返すと、意外そうに少し沈黙してから絃は慌てて答えてきた。


『何だあいつら本気にしてたのか……』

「無責任なこと言うなよな……お前のおかげでこれからプレゼントを買いに行かなきゃいけないぞ、俺は」

『まぁ、そのへんはお前さんの自己責任でやってくれ』


いきなり議論を投げ出され、肩の力が抜ける気がして絆は息を吐いた。


「よく分からんが……で、何の用だ?」

『お前さんこれから出かけるなら丁度いい。街の中央モール、アーダンガーっていう店で少し話さないか?』


唐突に言われて、絆は言葉を止めた。彼の声音の中に何か重い含みを感じたのだ。少し考え、簡潔に答える。


「分かった。二十分ほどかかるが」

『構わない。じゃ、待ってるからな』


一方的に言われて、通話が切れる。

絆は携帯端末をポケットに戻して歩き出した。

そしてそのままラボの玄関を通って外に出る。

先ほど建物内の全てのセキュリティ装置は稼動させてきたが、やはり夜中彼女達を単独で残すのは気がひけた。

一応食堂のテーブルに出かけるという旨は書き置きしてきたが……出来ることなら早く帰りたい。

絃と話をするなら尚更だ。

車庫を開け、中の車に乗り込む。

そこで一応確認はしておかなきゃな、と思いなおし、絆は少女達のカードを出した。


一番上は命のものだった。今彼女が集めている少女漫画の名前が綺麗な字で書いてある。

だがこれは確か……全てで八十巻超出ているものだ。

無茶な要求にため息をつきながら、必要経費としてエフェッサー支部のカードで払おうと決める。


愛は予想通りにケーキとかそういったお菓子類の名前がギッシリと書いてあった。

字がとてもじゃないが読めたレベルではないので、おおよそ欲しいものを意訳してからポケットにしまう。

優と文は双子よろしく、同じものが書いてあった。

二人で相談して決めたらしい。

そもそも他の人に教えたら無効だと言っていたのは彼女達なんだが、それを根本から忘れている所からもその浮かれ気味が伺える。

詳しくは分からないが、新型のゲーム機とゲームソフト数本の名前が書いてあった。

随分と具体的だ。


だが、口の端をほころばせながら雪のカードを見たときに、エンジンをかけようとしていた絆の手が止まった。

緩んでいた気分が、ハンマーでたたき起こされた感じだった。しばらく呆然として、点字で表されたそれを見つめる。


『絆が次の戦闘でも私を使ってくれますように』


整った点字は、ただそれだけの意味を表していた。

気づいた時には、絆はカードを持っている手がかすかに震えていることに気がついた。

全く、考えていなかったことだった。予想もしていなかったことだった。

もう、彼女は使わないと決めていた矢先のことだった。


恐怖というのだろうか。狼狽というのだろうか。


何か分からない、胸の奥がざわめく感覚が絆を包む。

エンジンキーを膝の上に置いて、もう一度雪のカードを見つめる。

彼女の願い。

それは、『死にたい』ということと同義だった。

どうしたらいいのか分からずに、自然に体が震えてくる。

たっぷり十分間はそれを見つめていただろうか。

やがて絆は、震える手で雪のカードをくしゃりと握りつぶした。

そしてそのまま、ポケットに乱暴に突っ込む。

車庫から飛び出した車は、僅かにタイヤをスリップさせながら猛スピードでラボを後にした。



絃が指定した店についたのは、予想以上に時間がかかって、それから三十分も経ってからのことだった。

もう直ぐ十一時半を回る。

しかし街中はいまだ明るく、この中心街の店は営業している場所も多い。

近くの立体駐車場に車を預け、重く考え込みながら、指定された店に入る。

普通夜中の話し合いだとバーなどを利用しそうな所だが、絃の場合に限ってそういうことはなかった。


店に入ってその理由がはっきりと目に付く。

奥の方の席に、他の客に気兼ねすることなく絃と、そして彼のバーリェである少女が一緒に腰を下ろしていた。

二人でにこやかに談笑している。

彼は外出の時にバーリェを大体は連れて歩くのだ。

アルコール厳禁中の彼女たちに、酒の匂いはかがせられない。


「待たせたな」


店員の案内を手で断って、彼らの前に腰を下ろす。絃は軽く肩をすくめて言った。


「いや俺が無理に呼び出したんだから気にするな」

「こんばんは、絆様」


礼儀正しく絃の隣に座っていた少女が頭を下げる。


「元気だったか、さくら

「はい、絆様もお元気そうで何よりです」

「お前、この時間まで起きてていいのか?」


純粋に疑問に思ったことを口に出すと、絃は大きく笑い声を立てて、隣の桜と呼ばれた少女の肩を引き寄せた。


「桜はもう大人だもんな?」

「はい。全然大丈夫ですよ」


ニコリと笑われ、絆は困ったように鼻を掻いた。

トレーナーによってバーリェの管理は大きく異なる。

絃には絃のやり方があるのだろう。

店員に温かいコーヒーを注文し、絆は口を開いた。


「それで、どういった用件だ?」

「メールは見ただろう。新型の件だ」


唐突に話を切り出され、絆は運ばれてきたコーヒーを受け取りつつも、周りに目を走らせた。

それでなくとも、明らかにバーリェと分かる常識がなさそうな少女がいるのだ。

周りの視線が知らずにこっちに向いているのを肌で感じる。


「お前の所にも届いてたのか」

「今回運用される新型は一機じゃない。俺のところとお前の所、二機だ。知らなかったか?」

「用件伝達書の詳しい所までは読まないんだよ。スペックには全て目を通したんだがな」

「読めよな……結構重要なことだぞ」


呆れたように返し、絃は手元にあるスープカップを取り上げて口をつけた。


「俺のところからは当然桜が出ることになっているが……お前さんはどうするのかと思ってな」


何気なく言われた言葉だが、それは相応の含みをはらんでいた。

絃のバーリェは桜というこの少女、一人しかいない。

本来この社会では他人のことに口を出すのは無作法だという一般常識があるが、絃は変わっていた。

何かと周りの世話を焼きたがるのだ。

そんな彼に管理されているバーリェたちは、皆いつ見ても彼とは友達感覚で接しているように見える。

簡単に言うと非常に仲がよさそうなのだ。

絃の言葉を受けて、控えめにその桜が口を開いた。


「今回の新型機の話は絃様からお聞きしましたが……少々気になることがございまして」

「ちょっと来てもらったのは、実は俺が言い出したことじゃないんだ。桜がな、どうしてもお前に会って直接話をしたいと」


それを聞いて絆は意外そうに少女の事を見返した。

バーリェが普通の人間のように、対等に対話を希望してくるなんて前代未聞のことだ。

これが絃だから成り立っているんだろうが……他のトレーナーだったらバーリェの精神状態をまず疑うだろう。

だが見返された桜は少しだけ表情を落としながら続けた。


「雪さんのことなんですが。彼女はやめたほうがいいと私は思うんです」


言われて、絆は思わずドキリとした胸を押さえた。考えていたことを見事に見透かされた気分だった。


「……どうして?」


そう聞くと、彼女はテーブルに目を落としながら言った。


「……本来私の立場で絆様にこのようなことを申し上げるのは、非常に無礼なことだとは自覚しているのですが……この前戦闘に出られる前に会った、雪さんに触れて感じたんです」


バーリェは、バーリェに触れることで相手の精神状態や生体エネルギーの様子などを感覚で感じることができるらしい。

絆は五体の少女を管理しているが、彼女達は滅多にそういうことを言わないので忘れかけていた。

その事実を思い出して息をつく。


「雪が、どうかしたのかい?」


ゆっくりと噛み締めるように言う。桜は一つ頷いて答えた。


「雪さんは、病気にかかっています」


断言されたその言葉の意味を理解することが出来ずに、数秒間ポカンとする。

そしてやっとコーヒーの香りで意識を持ち直し、絆は息を突っ返させながら口を開いた。


「何だって?」

「本当ならもっと早くお伝えするべきだったのですが……雪さんから絆さんには言わないようにと止められていたもので……申し訳ございません」


深々と頭を下げられ、逆に慌てて青年は言った。


「止められてた? 病気って……診断では何もない正常状態だって」

「はっきり言ってやろう。エフェッサー本部と、元老院のお偉方は次の戦闘で新型の起動テストをする。これからのバーリェを使用した戦いが一変するかもしれない貴重なテストだ。失敗は許されない。だから『最大』の能力を発揮させることが出来るバーリェを使用したいんだ」


冷静な絃の言葉に、首の底まで蒼くなるのを絆は感じた。


「上の連中は、雪ちゃんを新型機実験のために使い捨てるつもりだ。大方お前さんにそれを言ったら出さないで隔離するだろうと思って、伝達をカットしている」


目の前が、真っ暗になった。


「私は他のバーリェと違って、生まれつき生体エネルギーの流動率を詳しく感知することが出来ます。ですから、絆様の他の子たちは多分気づいてないと思うけれど……転向的なサジェスゲントレベルが心肺機能の低下に伴って著しくダウンしてるみたいなんです。雪さんはちゃんと把握してるみたいなんですけど……」


しばらくの間、呆然とコーヒーカップを見つめる。次いで何処からか対象不明の怒りがわいてきて、絆は歯を軽く食いしばった。


「何て奴らだ……」


小声で毒づいた青年を淡白な目で見つめ、重い声で絃は返した。


「だが、それが常識だ。バーリェは人間のために使用される運命にある。不本意なところだがな。所詮誰しも、自分が生き残れればそれでいいのさ」


いつものように、いつもの笑顔で笑う雪の顔が脳裏に浮かぶ。

ポケットに手を突っ込んで、絆はくしゃくしゃに丸まった彼女のカードをもう一度強く握りつぶした。


「……わざわざ済まないな。そんなことに気づかないなんて俺はトレーナー失格かもしれん」

「い、いえ! そんなことは……申し訳ございません。差し出がましいことをいたしました!」


店中に響き渡るほどの大声で謝りながら、桜が勢いよく立ち上がって頭を下げる。

彼女の背中を宥めるようにポンポンと叩きながら、絃がそれを座らせた。

少し考え込んだ後、絆は言った。


「だが今回の試用では雪は使わない。それは決めていたことだし、心配しなくても大丈夫だ」


その言葉を待っていたらしく、絃と桜の顔が同時にパッと明るくなった。

詰めていた息を吐き出し、まるで自分のバーリェのことのように絃は笑いながら少女の頭を撫でた。


「だとよ。良かったな、桜」

「はい!」


何回も自分が留守の時に、絃にはバーリェを預けている。他人事ではないのだろう。

少しして嬉しそうな顔で桜が言った。


「バーリェの死因のおよそ八割が、その年齢による心肺機能の低下なんです。これはよほど詳しい検査をしないと分からないことらしいんですが……でも、理論的にいくと、人工心肺臓器の移植手術で延命することも出来るはずです。もちろん、かなり長い間、バーリェとしての使用は出来なくなってしまいますけど……」

「それは本当のことかい?」


思わず聞き返すと、代わりに絃が頷いた。


「ああ。本来バーリェの移植手術なんて、生命維持の身体機能が弱いこいつらにはできんのだが、今回みたいに桜がエネルギーの流れで感じ取った内容を元に、病巣の位置を特定できてれば別だ。あまり負担をかけずに取り組めるはずだ」


だが僅かに表情を落とし、絃は付け加えた。


「元老院が承認すればの話だがな」


その事実を忘れていた。

基本的にバーリェを管理するのはトレーナーだが、その所有権は、エフェッサーの本部、そしてその上に位置する元老院に有する。

それゆえに彼女達をどうするかは、最終決定は彼らが降ろさなければどんな機関であれ使用許可は下りない。

答えるべきセリフを思いつけずに、またしばらく沈黙が流れる。


「……しかしどうして、雪ちゃんを使わないことにしたんだ? あのマシンスペックだと彼女しか動かすことのできるバーリェはいないと思ったんだが……」


少しして、絃が不思議そうに口を開いた。

それに対して絆は肩をすくめて言った。


「何のために俺が五人も管理してると思ってんだ。こういう時のためになんだ……元老院は何とか納得させるよ」

「もし、無理であれば今回は参加するな。俺もいることだし、無理しなくてもなんとかなる。授与を棄権すればそれで済む」


頷きのあとに、小声で囁かれて絆は目を見開いた。

そして息を吐いて立ち上がる。


「……わざわざありがとう。とりあえず、雪の様子は俺から見ててもあまりいいもんじゃない。もう少し考えてみるよ」

「引き止めちまって悪かったな」


そこで絆は、桜の足元に……何か巨大な贈り物用に包装された箱がおいてあるのに気がついた。

おそらく……プレゼント。

何だかんだ言って、絃もクリスマスを実施していたらしい。

贈り物が欲しいという対象と買いに来ているのはどうかと思うが……。


テーブルにコーヒー代を置いて、背中を向ける。

ポケットに手を突っ込んで歩き出すと、少女達の書いたカードが手にあたった。


病気、だと言った。

正確に言うと病気とは違う、寿命による衰退なんだろうが、桜から見るとそのような認識になるのだろう。

それは分かっていた。

実は、雪を手術すれば助かるという事実も知っていた。

だが先ほど絃が言ったとおりに、バーリェの臓器交換手術は、一歩間違えば紙一重で死なせてしまう諸刃の剣になる。

それでなくとも……絃はあえて触れなかったが、重大な問題があったのだ。


バーリェは人ではない。


人ではないものを『修理』するには、理由が要る。

理由がなければ、壊れるまで使う義務が、自分たちにはある。

だから医療機関が自分に雪の不良を伝えていない状況で、それを敢行するのは非常に難しいことだった。


最初は怒りを覚えたが、既に元老院や本部が、その事実を自分に伏せていたということに対するわだかまりはなかった。

所詮この世界はそんなものだ。

他人の心配より、自分の心配。

そのためには他がどうなろうと知ったことではない。

それは当たり前のことだし、人間が動物としての生存本能を持ち続ける限りなくならない真実だ。


そのなんともないただの事実が、しかし今はやけに心に重かった。

雪を修理し、延命したとしても結局は兵器に乗せることになってしまう。

手術を敢行させるとしたら、その目的を設定しなければならないからだ。

そしてそれを達成するために行わせる。

物凄い労力とコストをかけて。


真夜中になって冷え込んできた空間に、店のドアを開けて出る。

そして絆は駐車場に向かった。

雪は、自分に対しては言わないようにと桜に言った……らしい。

優しさ。

おそらくそれが、そういう感情なんだろう。

心配させないように。自分に、余計な気苦労をかけないように。

辛さを押し殺しているんだろう。

そして限界まで自分に使用されて、死ぬ。

それが彼女の幸せなんだろう。


そんなことは、幸せなんだろうか?

考えても、考えてもそれはわからないことだった。

バーリェの管理を始めてから必ず打ち当たる命題。

分からない、問い。

死ぬことが幸せなら、今生きている彼女達は一体何なんだろうか?

人間ではないのなら、一体何なんだろうか?

考えても、考えてもそれはわからないことだった。



結局それからラボに戻ったのは、夜中の二時を回ってのことだった。

主に時間をとらせたのは命の要求だった。

意外と八十巻ほどのマンガ本は多くはなかったが、それでもダンボールに二箱はある。

大体は二十四時間営業の百貨店で揃ったものだ。


よろよろしながらダンボールをラボに運び込み、他の子たちへのプレゼントも何とか玄関に入れる。

時間制限で自動で閉まってしまうドアに四苦八苦しながら作業が終わった時には汗だくになっていた。


玄関の床に座り込んで、全員分のプレゼントを見回す。

雪に対しては、小さなドレス風のワンピースを何着か買ってきてやっていた。

そういえば彼女は殆ど同じ服しか着ていない。

それか病院服だ。

目が見えないせいか、そういうものにはてんで無頓着なのだ。


彼女の要求は、聞くわけにいかない。

何とかこの新型機テストをやり過ごし、延命手術にこぎつけなければならない。

こんな風にバーリェを生き延びさせたいと思ったのは初めてのことだった。

今までは死んでいく彼女達を、ただ空虚な目で見つめていただけだった。


だが、雪は違った。

彼女の笑顔を見ると胸が痛いのだった。

それが、自分が殺したバーリェたちへの贖罪の気持ちから来るのかどうかは分からない。

ただ……絆は、雪に死んで欲しくなかった。

それだけだった。


寝室に入って、眠っているバーリェたちを確認する。

そしてそっとそれぞれのプレゼントをベッド脇に置いてやる。

だが、雪のベッド脇に大きな衣類の包みを置こうとした時だった。


「お帰り」


突然囁くように呼びかけられて、絆の動きが止まった。

あまりに驚いたため、叫び声はあげなかったものの手に持っていた服を床に落としてしまう。

クスクスと笑いながら、雪は上半身を起こして小さく細い体を伸ばした。

起きてたのか、と言おうとした彼の様子を察したのか、僅かにふらつきながらベッドの上に腰掛け、少女はまた口を開いた。


「……こんな時間にどうしたの? いきなり出てくからびっくりしちゃった」


寝息を立ててはいたが、実際は眠っていなかったらしい。

薬はきちんと区分して渡した。

その事実を電光のように頭の中で確認し、絆は唾を飲み込んだ。

そして勤めて平静を装いながら、いきなり雪の体を抱き上げる。


「あ、あれ? 絆……?」


不安げに小声で呼びかけた彼女をベッドに寝かせ、寝巻きの胸元を黙ってめくる。

軽く声をあげて隠そうとした手を押さえ、絆は白い肌に手の平をつけた。

不快感をあらわにしながら、雪が顔を歪める。

手をつけた彼女の胸は、驚くほど熱かった。


黙ってもう一度雪を抱き上げて寝室を出る。

そして彼女をソファーに座らせてから、絆は居間と寝室の間の扉を閉めた。

そこで初めて、彼はもぞもぞと寝巻きを直している雪に近づいた。

そして思わず声を荒げた。


「お前……何やってるんだ!」


いきなり怒鳴りつけられ、雪は小動物のように体を萎縮させた。

一言だけ声を投げつけ、急いで膨大な量の薬が並んでいる棚に向かう。

睡眠作用がある心肺機能制御用の錠剤。

おそらく、それを飲んでいない。

雪は最近具合が悪そうだったために、特に念入りに薬を確認して渡した。

だが、飲み込んだ所を見ていたわけではない。

何しろ五人も管理対象がいるのだ。

気を抜けばボロボロ床に落とす愛のほうにかかりきりになっていた。


他の袋入りのものなどは飲んだ形跡があったから安心だが……最も重要な薬を抜いているというのは明らかなことだった。

他の錠剤と比べてかなり大きいために目が見えない彼女でも容易に区別がついたのだろう。

そのような場合を想定しての、速攻作用があるものを棚から出し、水を汲んだ

コップと一緒に雪のところに戻る。


「口を開けろ」


問答無用で言いつけ、半ば強制的にそれを飲ませる。

数回えづいた後何とか薬を飲み込んだ雪の手からコップを取り上げ、絆はそれをテーブルの上に乱暴に置いた。


「バカかお前! もし俺の帰りがもっと遅かったらどうするつもりだった!」


また怒鳴られて、ますます小さくなり雪は肩を縮こまらせた。

かすかに震えている。

考えてみれば、彼女のことをこんな風に怒ったのは初めてのことだった。

頭に昇ってきた血を、呼吸して無理矢理下に降ろす。

何とか気分を落ち着かせると、少女は消え入るかと思われる声で呟いた。


「い、一回くらいなら、抜いてもいいかなと思って……」


その一言で、絆の怒りがまた沸点した。自分がこんなに悩んでいるというのに、この娘は何を考えているんだ。

歯を噛みながら息を吐く。


「いいわけないだろ! 直ぐに分かる症例だったから良かったものの……」


大声が夜のリビングに響く。

あまりの絆の剣幕を全く予想していなかったのか、雪は数回しゃっくりをあげた後、見えない目を大きく歪ませて手で顔を覆った。

そして体を小さく丸めながら声をあげて泣き出す。

よほどいつもと違う絆の様子が怖かったのか、小さな子供のように小声でえづきながら体を震わし始めた彼女に、逆に戸惑ったのは青年の方だった。

怒りの矛先を向ける対象を一気に失くしてしまったかのように、言おうとしていた言葉を飲み込む。


結局雪が泣き止むまで、相応の時間がかかった。

数分間はそのまま放置していたのだが、段々と泣き声が大きくなってきたのでなだめつけ、何とか落ち着かせたのだ。

これではどちらがどちらを怒っているのか分かったものではない。

おそらく、産まれて初めて怒鳴りつけられた。

その衝撃が相当のものだったのか、泣き止んでも雪はビクビクと小さくなっていた。

頭を撫でようと手をおくと、ビクンと大きく体が震える。

ため息をついて絆は疲れた口を開いた。


「落ち着いたか?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


震えながら繰り返す彼女に、絆は初めて相当な恐怖を与えたことに気がついた。

目が見えないことに加え、薬を切らしていたことによる前後不覚の状態で大声を投げつけられ、なれていない彼女はパニックに陥ってしまったのだろう。

仕方ない……と彼女を抱き上げ、膝の上に座らせた後、青年は強く小さな体を抱きしめて言った。


「いいか? あの薬は今のお前にとって絶対に必要なものだったんだ。黙ってても俺が分かるくらいヤバかったんだぞ? いきなりお前に死なれたら、俺、何か凄く嫌だよ」


段々と少女の荒い呼吸が元に戻ってくる。

しばらくして大きく息をついて、雪は囁くように口を開いた。


「ごめん……ごめんなさい……」

「どうしてこんなバカなことをした? 偶然俺が見つけたからよかったが」

「サンタさんが来るっていうから……来年、私いないかも、しれないし」


俯いて、雪はそう呟いた。


「会ってみたくて……」


言葉を返そうとして失敗する。

絆は息を飲み込んで、しばらく止めた後に大きく吐き出した。


「……でもサンタさんが絆だったなんて思ってなかったからびっくりしたけど……ごめんなさい」


皮肉ではない。

基本的に、バーリェはトレーナーの言うことは例えどんなことであれ、疑うということはしない。

生まれた時からそう意識の底に刷り込まれているのだ。

雪が、サンタという迷信上の人物に会ってみたくて薬を飲まなかったというのは本当のことだろう。

そして彼女は、おそらくそんな人物は存在しないということは露とも思っていない。

絆は小さくなっている雪を強く抱いて、彼女の耳に囁きかけた。


「サンタは玄関まで来て、俺にプレゼントを渡して帰っていったよ。俺じゃない」


物凄く意外そうな顔で、少女は絆の顔を見上げた。


「絆……会ったの?」

「ああ。俺にはお前の願いが何だったのかは分からないが、こう言ってた。『代わりにもっといいものをプレゼントする』ってな。そっちの方がよほど素敵だと。今は分からなくても、後になったらきっと分かるって、サンタは言ってたよ」


そこで雪の見えない瞳が一段と大きくなった。

彼女はしばらく言葉を発さずに青年の方向を凝視していたが、やがて俯いて少しだけ頷いて見せた。

完全に少女が落ち着いたのを確認し、その小さな頭を撫で付けて絆は続けた。


「お前にはとりあえず、サンタが選んだプレゼントを渡してくれってよ。その他にも、きちんと用意してるってあいつは言ってた。だから、来年もちゃんと会わなきゃな……」


言っていて、段々と胸の奥が苦しくなってくる。

言葉を止めて雪の胸に手を当てると、先ほどと比べて急速に冷たくなっていた。

即効性のため、泣いたこともあってか、薬が効いてきた兆候通りに頭をふらふらさせ始めた彼女を寝室まで抱いていく。


「ごめんなさい……」


寝かせられて、蚊の鳴くような声で少女はもう一度謝った。


「私を嫌いにならないで……」

「もう怒ってないから、そんなに気にするな。それより、ちゃんと寝て明日早く起きるんだ。プレゼントは明日しか開けられないからな」


言って、雪を見下ろすと彼女は既に目を閉じて寝息を立てていた。

相当強い薬を飲ませたので、強烈に深い眠りに落ちたはずだ。

ふらつきながら居間に戻り、ソファーに腰掛け、そこで初めて絆は深い、大きなため息をついた。


(……疲れた……)


少しは考えてみるべきだった。

この中で一番生きているのは雪。

一年に一度の行事だというなら、死んでしまう前に見てみたいというのは誰しもが思うことだろう。

それを頭ごなしに怒鳴りつけられて相当なショックを受けたはずだ。


しかし、怒らなければならない。


あのまま放置していたら脳の中枢神経系がやられ、完全に意識野が『故障』してしまっていたかもしれないのだ。

だが……。

彼女は、とっさに言った自分の陳腐な嘘を信じてくれたのだろうか。


妙にあのバーリェは、聡い所がある。

眠気に襲われる直前に見せたポカンとした顔は、何処となく絆の裏に気づいている風な感じだった。

額を押さえて、またため息をつく。

その頭の中で、クリスマスというものは何の利点もない、疲れるだけの行事だな……と冷めた頭で絆は軽く思った。



どうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。朝、少女達の黄色い歓声に起こされ、口元の涎を拭いて絆は体を伸ばした。

途端、それを目ざとく見つけた愛が、自分の上半身ほどもある洋菓子が詰まっている袋を抱えたまま走ってくる。


「おはよう絆! すごいよこれ!」


無邪気な嬌声を受けて、苦笑しながら彼は愛の頭を撫でた。


「ああ。大事に食えよ」

「うん!」


寝起きでぼんやりしている視点を寝室に向ける。

雪はもう起きていて、ベッドの上で本にまみれた命に、プレゼントの内容を説明されているところのようだった。

優と文も嬉しそうに言ってきたが、既にゲーム機はテレビにつながれて稼動している状態だ。


……何だかしたい放題だな。


呆れながらも、まぁ年に一度だし……と思いなおして命たちに近づく。

彼の接近に気づいて、命は顔を輝かせながらパタパタと手を振ってきた。

この少女は興奮すると意味もなく手を振る癖がある。


「おはようございます! 絆さん、サンタさんてお金持ちなんですね!」

「いきなりお前は……」


苦笑しつつ聞こえないように返す。

雪は絆の方を向くと、僅かに表情を落としてワンピースドレスの束を胸に抱きながら俯いた。


「あ……絆」

「おはよう。気にするな」


さりげなく囁いて背筋を伸ばし、パンパンと手を叩く。


「とりあえずお前らメシを食え。薬を飲め。話はそれからだ」



その電話が来たのは、まだ夜になる前のことだった。

日も落ちていない、夕方。

バーリェ全員に夕食の支度を手伝わせている時、不意に絆の携帯端末が振動した。

廊下に出てからそれをとる。

発信源は、エフェッサーの本部からだった。

このように直接コンタクトを彼らが取ってくるのは、いつもロクなことではない。

自然と不機嫌な気分を前面に出して応答したが、向こうの相手はそれを特に気にした風もなかった。


『出撃要請です。絆第二執行官』


女性のオペレーターが端的に告げる。瞬間、絆の表情が変わった。


「……死星獣ですか?」

『はい。現在南端リアクトン地方のD三十八エリアに停滞しています。既に付近の住民の避難は完了。報道陣も抑えていましたが、直に流れ出すはずです』

「分かりました。即急に向かいます」


自分の本業はトレーナー。

バーリェを使い、死星獣を撃退するのが仕事だ。

おそらく自分以外にも呼ばれるトレーナーはいるだろうが、死星獣が規格外だった場合は高確率でこっちにまで仕事が回ってくる。

そしてそれでも止められなかった場合は……その土地は御仕舞いだ。

全てが灰になって消えて、散る。

自分たちが生きているのはそんな瀬戸際な空間なのだ。

携帯端末を切ろうとした時、オペレーターは冷静に言葉を付け加えてきた。


『新型の起動テストをかねて実施するようにとの、元老院からの指示がありました。既に本部には搬入が終了してあります。起動用のコアバーリェの持参を忘れないよう』

(……戦闘で起動実験を兼ねるだって?)


一瞬耳を疑ったが、言い争っている時間ではないので、短くそれを肯定して端末を切る。

いきなりの戦闘で、いきなりの起動実験……そして下手をすれば実戦?

そんなバカな話があるか、と歯噛みしかけたが、息を吸ってそれを飲み込む。


バーリェは、生まれつきエフェッサーの開発、運用するほとんどの兵器の基本理念を意識化に埋め込まれている。

つまり兵器の基本構造さえ同じであれば、直感的に何でも操作が出来るのだ。

とは言っても重火器の類を扱うには彼女達の体はひ弱すぎたし、直接の生身戦闘をこなすなんてもってのほかだ。


数日前に使用した巨大戦車のような完全に体を覆い隠すタイプなら、バーリェであれば生まれたての子でさえも操縦できる。

おそらく、今回の人型兵器もその類なのだ。

元老院はあわよくば実戦データをとろうとしている。

しばらく立ち止まって考え込んだ後、絆は黙って食堂のドアを開けた。

そして静かに口を開く。


「帰って来たばかりな気がするが、死星獣が現れた。リアクトン地方が襲撃されてるらしい。俺たちにも出撃要請がかかった」


食事前ではしゃいでいた彼女達の表情が一瞬で生体兵器のそれに変化したのを、絆は肌で感じていた。

バーリェにとって、意識の底で必ず反応するようにセットされている単語がいくつかある。

その一つは『出撃』だ。

どんな子でも、この言葉を聞かせればだらけていても気が引き締まり、自然に緊張するように調整されている。

一瞬で静まり返った食堂内で、絆は息をついて静かに言った。


「今回連れて行くのは命、お前だ。直ぐにここを出るから、支度をしてくれ」

「わかりました」


名前を呼ばれて命が嬉しそうに微笑む。

その隣で、雪が表情を落として下を向いた。

他の子たちに応援の言葉をかけられながら身支度をしに寝室に命が戻った時、彼女は控えめに手を上げてから口を開いた。


「あの……私は?」


意外なことだった。

今までに、どんなに無理なことを言われても文句一つ言ったことのない少女が、明らかに戸惑いと抗議の意思を表情に出していたのだ。

絆は少し息を詰め、しかし冷淡に言い放った。


「家で、みんなの面倒を見ていてくれ。今回は休んでろ」

「でも……」

「命令だ」


反射的に、絆はもう一つの単語を口に出した。

『出撃』の他に、バーリェは『命令』という言葉を聞くとまるで貝のように言葉を止める。

唇を噛んで俯いた彼女をなるべく見ないようにしながら、支度を終えて出てきた命の手を引く。


「あまり遅くなるようだったら、連絡する。それじゃ、おとなしくしてろよ」


そのまま絆は早足でラボの玄関に向けて歩き出した。

見えない目でそれを見送る雪。

彼女は、大事そうに抱えていた洋服を強く握り締めていた。



本部は、丁度絆たちが住んでいる地区の中央に頓座している。

車を出し、その正面玄関に横付けすると同時に十数人の職員が駆け寄ってきて、そのうちの一人が彼の車のキーを受け取り、車に乗り込んだ。

駐車場まで運んでくれるのだ。

小型のノートPCを操作しながら、先ほど電話で話をした女性オペレーターが近づいてくる。

命の手を引き、歩きながら絆は彼女の話に耳を傾けた。


「死星獣はいまだに移動をせずに停滞しています。東部支部のトレーナーが三人、警戒に当たっていますが……絆様はまず新型機の調整に入られてください」


奇しくも、今日の夜に授与されるはずだった機体を授与の前に使うことになるとは……思ってもいなかったといえば嘘になる。

このところ、ますます死星獣の出現頻度が上昇していて、ひっきりなしに現れている地方さえあるのだ。

彼女の案内を受け、絆は命の手を引き寄せながらエフェッサーの本部に入った。

急を要するので、そのまま地下の兵器格納庫へと移動を始める。

数分で目的の場所に着くと、絆は新型のために新設されたらしい倉庫へと案内された。


やたらと天井が高く、おびただしい数の作業員が動いている。

まるで住宅の建設現場だ。

その中央部に、異常に巨大な……『人形』が鎮座していた。

まるで四つんばいになっているかのような前傾姿勢で床に手をついている。

事前に送られていた内容どおりの外見だった。

しかし、実際にこの目で見てみるとやはり大幅にその異様さは違うものがあった。

人の形をしている、機械の人形。

物凄く大きい……五、いや、立ち上がると十メートルはあるだろうか。


ただ横から見ると戦闘機に近いそのフォルムは、白みがかった銀色に輝いている。

股間部にバーリェが乗り込む挿入口があり、そこに簡易の階段がかけられていた。

これからの、人間と化け物の戦いを一変させるかもしれない、開発途中の人型戦闘機。

本当ならこれの詳しい説明を受け、きちんと調整、そして訓練を経てからの戦闘だ。

だが元老院はその必要はないと判断しているらしい。


「……私、これ知ってます……」


絆はあまりにも急ぎすぎている展開に対する疑念を、命の一言で払拭した。

小さなバーリェの目は、ぼんやりと焦点を失ったかのように異常な機械人形を凝視している。

複座型……つまり二人乗りになっていた。

通常、トレーナーはバーリェの乗っている兵器に同乗したりはしない。

細かいところを動かすのは、機械のように彼女達が行えるからだ。

そして肝心の砲撃などは、安全な場所から遠隔操作で行うのが常になっていた。

バーリェは壊れても再生産がきくが、貴重な人材であるトレーナーは死んでしまえば補充に時間がかかる。

冷淡なことだが、それがこの世界の認識事実だ。


だが、雪の戦闘にだけは絆は同乗することにしていた。

他のバーリェには言っていないが、盲目の雪は、戦闘になると非常に落ち着かなくなる。

それはそうだ。

いくら機械音声のサポートがあるとはいえ、自分には見ることも確認することも出来ない異形の怪物が接近してきているのだ。

一人で戦えと言う方が無理だ。

だから、彼女とだけは同乗して戦うようにしていた。

バーリェ格納装置を見た時に、絆はこの人型兵器は雪と自分のために作られたものだと言うことを確信した。

唇を噛んで、しかしそのことには触れずに黙って命の背中を押す。


「頑張れ」


一言だけ言うと、黒髪のバーリェは小さく頷いて、近づいてきた職員に誘導されて機械兵器へと向かった。

これから彼女はあの中に入り、起動実験を行うことになる。

そう、生命エネルギーを吸い取られて。

自然に気分が重くなるのを感じながら、絆は格納庫を後にした。

そして数人の職員と共に、官制室と呼ばれている、トレーナーが遠隔でバーリェの乗る機械兵器を操作する場所へと移動する。

まるで、優と文が好きなテレビゲームのようだ。

今までは戦闘機や戦車など、全時代的な兵装ばかりだった。

それが、いまや完全に人型の巨大鎧を遠隔操作し、化け物を倒す。

嘘みたいな話だが、これが現実だ。

そしてその巨大兵器に自分の大切な少女が乗っているのも、また事実。


変えようのない現実。


あまりに非現実的な事実のため、頭の中がまだ受け入れるのを拒否している中、彼は巨大な映画館のスクリーンを周囲全てに張り合わせたかのようなドーム型の部屋に入った。

まるでプラネタリウムのように、そこには無数の枠に区分された、死星獣に襲われている市街地が映されていた。


「到着しました」


短く言って席に着く。周りを見ると、既に数人のトレーナーがスクリーンを睨みつけている所だった。

絃の姿もある。

絆の方を見たが、また重苦しい顔を正面に戻した彼につられて視線を前に向ける。

そこで絆の思考は一旦停止した。


醜悪だった。

いや、邪悪と言ったほうがいいだろうか。


この前駆除した死星獣の方がまだマシだ。

ついさっき見てきたものを巨大な巨人だとすると、今回現れた死星獣は巨大な『蜂』だった。

しかし空を飛んでいるでもない。

巨大すぎる体を支えるには、羽が小さすぎるのだ。


その蜂には、頭部と尻部に、あわせて二つの顔がついていた。

不気味な複眼が時折カメラのように収縮を繰り替えしている。

ミミズのごとき、どちらが前でどちらが後ろか分からない歪んだ巨大生物は、全長三十メートルはあろうかと言う体躯を小刻みに震わせながら少しずつ、横向きに前進していた。


巨蟲が通った場所は、砕けるでも、爆裂するでもなくただ灰のクズになり空中に散っていく。

しばらくそれを見つめた後、絆は女性職員が差し出したマイクつきのヘッドホンを受け取った。

そしてそれを頭にかける。

途端に軽いコール音と共に、先ほどの機械兵器が格納されているドックから通信が入った。

そして、目の前のテーブル型タッチパネルについているスクリーンに、命の顔が映し出される。


『絆さん、セッティングが終了しました』

『HT6号のセット完了、全てのチャンバーをストラグルスラインにエンゲージ。起動条件、赤クリア。エネルギー抽出率安定』


AIが、順調に人型兵器が起動していることを機械音声で告げる。


『絆様。AAD七〇一号を戦闘区域に搬入開始します』


オペレーターの声と共に、もう一つの画像がスクリーンに開いて、七○一号が乗っている床が自動で動き始めて、隣に停泊していた輸送用の戦闘機に格納されていくのが映った。

僅かに不安な顔をしている命に小さく笑いかける。

タッチパネルには小型カメラもついていて、彼女には絆の顔が見えているはずだ。


「安心しろ。多分今回、お前の出番はないから」

『何だか……凄く変な感じです……』


不快感を前面に出した顔で、命が荒く息をつく。

そこで絆は僅かに人型兵器のエネルギー抽出率が低下し始めているのを計器で確認した。

やはり命の内用しているエネルギー総量では、雪用に調整されている新型のエネルギーをまかなうことは無理があったらしい。

口に出しかけたが、いたずらに彼女のプライドを刺激するのは避けたほうが無難かと思いなおし、口をつぐむ。

とにかく今回は、自分たちに戦闘が回ってこないことを祈るしかない。

脇目で絃の方向を向くと、彼も絆と同じように険しい表情をしていた。

ここからでは聞こえないが、やはり何かを押し殺しているかのような表情で画面の向こうの桜に向かって言葉を発している。


死星獣の動きは、相当ゆっくりだ。

時速十キロも出ていないだろう。

おそらくまだ移動中らしい桜と、そして命の乗る人型兵器が到着するより先に、他に待機していたトレーナーたちが死星獣に攻撃を開始した。


配置されているのは戦闘機タイプのAADが二機、そして戦車タイプのものが八機だ。

いずれもが、遠隔操作と現地のバーリェの操作によって機敏に動いている。

トレーナーには特別な操作技能など必要ない。

いや、むしろゲームが得意な人間なら誰でも操作できるだろう。

危ない攻撃はバーリェの判断によってある程度は避けられる。

まるでゲームだ。

この戦闘に参加するたびに、そう思う。

コンティニューの存在しないゲーム。

バーリェたちにとっては。

そんなところに、彼女達は嬉々として出て行く。


使ってもらいたいからと。

それが存在価値なんだからと。


言いようのないやるせなさを感じながら、絆は戦闘中の様子を映しているスクリーンを見つめた。

今回の死星獣は巨大だからと、かなりの数のトレーナーが招集されていたが、別段反撃してくる風も見せていない化け物に、着実に損傷を与えられていることは明白だった。

十分ほど攻撃が続いた後に、唐突に通信が入って絆の意思は現実に引き戻された。


『七○一号、七○二号、指定エリアに配置完了しました』


おそらくもう一機は桜が乗っている機体だ。

スクリーンの端に、二機の巨大な巨人のシルエットが映り、管制室に驚愕の声が広がった。

まだ二つとも立ち上がってはいないが、しゃがみ込んでいる状態で相当巨大だと言うことは分かる。

まるで、ロボット兵士だ。


『起動シークエンスを持続します』


AIの声と共に、また動作が開始される。

二機が配置されている場所は、死星獣との戦闘エリアから二十キロ離れた場所。

相当遠い。

実戦でいきなり稼動訓練……との命令だったが、この分では戦闘が起こらずに無事に終了できそうだ。

だが、そこで絆は命の声に青くなった。


『絆さん……ちょっと苦しいです……』


彼女は狭いコクピットの中で体を折り曲げ、小さくえづいている最中だった。

体が小刻みに痙攣している。

それは、生体エネルギー抽出の限界量を越えかけている際の、バーリェの身体反応のひとつだった。

もう少し我慢しろ、と言いかけて言葉を止める。

そこで彼は、耳元のヘッドホンに内線から絃の通信が入ったことに気がついた。

繋ぐと、応答するより先に低く、囁くような声が彼の耳を打った。


『離脱させろ。命ちゃんじゃ無理だ』


気づいていたらしい。

唇を噛んで数秒間停止する。

そして絆は、息を吐いて緊急離脱のボタンを押した。



その命令が下ったのは、それから三時間後のことだった。

攻撃はいまだに続いているが、低速で移動する死星獣が完全に破壊されるには至っていない。

いや、それにも増して奇妙なことがあった。

双頭の蜂型をして巨大蟲は、損傷を受けるごとに、徐々にその体を風船のように膨らませていっていることが判明したのだ。

死星獣の体内は、一般的に虚数空間と言われる。

自分たちが今生きているこの世界とは思念も何もかもが違う、空虚で原子さえも存在しない世界だ。


つまり、ブラックホール。

小さなビーズ状のそれが詰まっていると考えれば一番近い。

移動のたびに死星獣は、それを……まるで芳香剤のように、周りに撒き散らしながら動くのだ。

故に、原子レベルのブラックホールに触れたものは灰にまで砕け散ってなくなってしまう。

そして、膨らんでいると言うことは死星獣内部の虚数空間が……無が増えると言うのはおかしな話だが、膨張し始めているということに他ならなかった。

バーリェの生体エネルギーにより、どこかが損傷したことで、いわばガス栓を開け離しにした時の状況になっているらしい。

つまり、下手に攻撃して風船に穴が開けば中身が飛び散ってしまう。

それで攻撃が停止されたのは一時間半前。

その後、絆は元老院に呼び出されていた。


反論しようとして、そんな場合ではないと考え直して口をつぐむ。

タッチパネルのスクリーンに映し出された、元老院の老人の一人はもう一度、青年に対して繰り返した。


『G77の使用を命ずる。お前に拒否権はない。準備に取り掛かりたまえ』


唇を噛んで通信を切る。

そして絆は、黙ってエフェッサー支部の中でも比較的信用を置いている職員に通信を繋いだ。

要請の内容は、雪を使用するようにと言うことだった。


今回の死星獣を、元老院はレベルトリプルAと判断したらしい。

それを見越して絆と絃を召集したような感じだ。

タイミングが合いすぎている。

心の中に浮かんできた疑念を無理矢理振り払い、彼は通信先の職員に、ラボへ雪を『回収』に向かってくれるようにと要請する。

そして青年は大きく息をつき、席を立ち上がった。

この機会に……という表現は楽観的過ぎるが、七○一号と七○二号で試作段階のエネルギー兵器をあの死星獣に使用するらしい。

どうにも、現実感が沸かない。

今だけは、だ。

実際に戦闘現場にいるわけではなく、バーリェが戦闘兵器で戦っているのはここよりずっと遠くの場所だ。


しかし……。


立ち上がって、医療室へと足を向ける。

自分は、雪が到着するまで行動しようがない。

命の不良により、二機の人型兵器は再び本部へと回収されていた。

絃の側にも不良が見つかり、急遽メンテナンスを行うことになったのだ。


現実感が沸かない……だが、それほど事態は切迫していると言うことに他ならなかった。

いまだに他のトレーナー、バーリェによる死星獣への威嚇攻撃は小規模だが続いている。

しかし、今回の化け物のようなケースは今までに経験したパターンの中でも特に厄介なものだった。

まだトレーナーになりたての頃、膨張し続ける死星獣を相手にしたことがある。

結局、その時は止められなかった。

攻撃できないのだ。

止めようがない。

自分はバーリェを一人、死星獣に飲み込まれて亡くしている。

それが一人目の少女だった。

その時の死星獣は、結局百二十キロほど前進した後、三つの都市を静かに灰に変え、そしてしぼんで消えた。

いまだにその原因は分かっていない。


死星獣は、モノを壊さない。

ただ灰にして消し去るだけだ。

その静かな狂気ゆえに、人間は恐怖を恐怖として上手く認識することが出来ないのかもしれない。

前回のことを思い出しながら、絆は自分があまり恐怖していないことに気がつき、その無頓着さに自然と吐き気を催した。

戦闘している、中核の自分たちでさえこうなのだ。

誰が心の底からあの化け物を恐怖し、恐れ、必死に生き延びようとしているだろうか。


誰もそんなことはしていない。


人造で作り出したバーリェを戦闘兵器に乗せて送り出し、自分たちは高みの見物。

壊れたらまた作ればいい。

それが世界。

自分さえよければいい。

他がどうなろうと、自分さえ生きていればそれでいい。

自分がいればどうにかなる。

そのためには他をどう利用しても生き延びなければならない。

それが、生きているこの世界の常識。

人間の本質的な本能ともいえるものだ。


だが、本当にそれは正しいのだろうか?

本当に自分たちは望んでいるのだろうか?

生きていたいと。

死にたくないと。

時々分からなくなるのだった。

どうして、自分は生きているんだと。

バーリェたちのように、明確な意思と理由を……それが例え与えられた後付のものだったとしても……それを持っているわけでもない。

ただ、生きる。

他を犠牲にして。ゲーム感覚で。



医務室に入り、運び込まれた命に駆け寄る。

完全に意識を失っている彼女の脇に立ち、係りつきの医師を睨むように見る。

初老の医師は軽く息をついて肩をすくめた。


「過剰な生体搾取による一時的な混濁状態なだけだ。特にメンタルバランスに影響も見られんが……コレではあの機体は動かんな。あなたともあろう方が、判断を見誤るとは驚きました。私から見ても、このバーリェはまだ発展途上だ。若すぎる」


冷静に分析され、分かりきっていることを聞かされている……という自覚が脳に駆け巡る。

声を荒げたい衝動を無理矢理押さえつけながら、絆は黙って命の額を撫でた。

あの新型機械兵器にこの子を乗せただけでも、寿命は当然の如く減る。

それを……役立たず扱いされたくはなかった。


おそらく命は自分が上手く出来なかったことにより絆の方の心配をするだろう。

彼女の、存在価値としてのプライドは傷つかない。

傷つくのは、管理している自分だ。

だが……遠方からただ楽観しているだけの存在に、役立たず扱いだけはされたくなかった。

そのまま頭を下げ、医務室を後にする。

頭に昇った血を降ろそうと、待合室のソファーに乱暴に腰を下ろし、絆は頭を抱えこんだ。


時間がなさ過ぎた。

いや、自分がこの状況を楽観視しすぎていたと言ったほうがいいかもしれない。

いずれにせよ、雪を使うしかない。

やるしかない。

あの死星獣の進行方向にはアルマという巨大な街が存在していた。

あそこを消しされられては、避難している大勢の人間が難民となってしまう。


そのまま五分ほどが過ぎた時、疲れた足取りで絃が歩みよってくるのが視線の端に見えた。

彼は座り込んでいる絆の隣に腰を下ろすと、手に持っていた缶コーヒーを差し出した。

黙ってそれを受け取り、プルトブを開け、絆は一気に中身を口に流し込んだ。


「……まぁ、いずれこういう時は来るさ」


思いの他、淡々と抑揚なく絃は言った。


「昨日までは、いつも通り元気だったんだぞ」


ポツリと呟く。

絃は視線を天井に向けて、また呟くように言った。


「みんな、そういうもんさ」

「……みんな?」

「オレ達人間だって、いつ死ぬかわかんねぇんだ。ある日突然交通事故に遭ってコロリと逝く人間だって大勢いるし、逆にいつの間にか病院で、孤独に息を引き取ってる人だっている。いつ死ぬか分からんっていうのが生きてるってことだし、だからそういうものだ」


青年はしばらく床を見つめていたが、やがて大きく息をついて口を開いた。


「そういうものか」

「ああ」


そのまま二人は沈黙し、やがて同時に立ち上がった。

絃は絆の肩を軽く叩くと、それだけでまた通路を戻り始めた。

何度目だろう。

こんな風に、彼に言われるのは。



『実戦を兼ねた新型機起動テストを開始します。再調整シークエンス、スタンバイ』


AIの無機質なアナウンスを空虚に聞きながら、絆は格納庫内の七○一号のコクピットに乗り込んだ。

雪は視力がない。

故に、戦闘では絆が傍にいてやらないと、彼女は不安感に押しつぶされて能力を発揮することが出来ない。


隣のシートに黙って座り込んでいる雪とは、彼女がここに来てから話を一切していなかった。

黙って乗り込ませ、そして彼女の体に点滴のコードを無数に取り付けている職員をぼんやりと眺める。

雪と一緒に戦闘に出始めたのは、彼女を引き取り、半年が経ってからのことだった。

初めて戦闘に出した時……操作は完全にこちらで行っていたのだが、雪はあまりの恐怖のために半狂乱になってコクピットで暴れたのだ。

そのことにより、元老院が下した決定は、彼女の処分だった。

無理もない。

雪が暴れたせいで死星獣への攻撃体系が乱れ、あやうく一つの街を消し去らせる所だったのだ。


絆は必死になってそれを止めた。

何故だかは今でも分からない。

ただ、コクピットの中で助けを求めて泣き叫んだ、このバーリェの声がどうしても頭から離れなかったのだ。

そして、自分がバーリェと共に戦場に出ると言う前代未聞の方式をとることで、絆は一つの「道具」の命を救った。


七○一号のコクピットが閉まり、搬送用の戦闘機に積み込まれる。

システム周りは以前まで操作していた、戦車型AADと大差ない。

その他はバーリェの意思を生体エネルギーとして感知し、彼女たちの思うようにイメージを反映して動くようになっている。

まるで、3D映画の撮影に使われているモーションキャプチャーのようだ。

役者の動きをトレースし、コンピューターに取り込むあの技法のことである。


しばらくすると、足元がふらついて浮かび上がる感触。

轟音と共に輸送機が離陸したのが分かる。

そのまま、数分間黙って計器を見つめる。

しばらくすると、雪が見えない目を絆の方に向けて口を開いた。


「あの……」


黙って彼女の方に目を向ける。

少女は、不安げに視線を揺らして言った。


「命ちゃんは……?」

「心配ない。ちょっと不具合が起きて寝てるだけだ」


短く答えると、雪は安心したかのようにため息をついた。

そのまましばらく沈黙が続いたが、やがて耐え切れなくなったのか控えめに雪がまた口を開いた。


「絆」

「……何だ?」


数秒押し黙った後、彼女は小さく微笑んで言った。


「あのね、私。何だか結局乗ることになってホッとしてるんだ」


その言葉に、バーリェの基本理念を思い出して絆は心の中で大きなため息をついた。

だが、次の彼女のセリフは、予想もしていなかったことだった。


「私、絆を守るために行きたい。だから、命ちゃんが少しだけ、羨ましかった」

「……守る? 俺を……?」


聞いた言葉の、意味がわからなかった。

そんなことは今まで、どのバーリェからも聞いたことのないセリフだった。


「私が乗れば、悪いのが全部いなくなって、そしたら絆を守れる。だから、私戦いたい。だって、私絆と一緒にいたいから」


バーリェが、人間を守る。

使われて、ボロボロにされて。

それでもなお使用されることに悦びを感じる生き物、バーリェが人を「守る」、そう言った。


一緒にいたいと彼女は確かに言った。

それが、自分が彼女に対して抱いていたおぼろげな感情の正体だと気づいた時、丁度輸送機が着陸し、七○一号全体が激しく揺れた。

雪に対して言葉を発する間もなく、自動的に動くカタパルトに押し出される形で、前傾姿勢の人型兵器が配置場所にスタンバイされる。

遠目に少し離れた場所で桜の七○二号が同様にしゃがみ込んでいるのが見えた。


やはり、本調子ではないといえ雪は他のバーリェと格が違う。

ほとんど苦痛の表情を浮かべてさえいないのに、巨大な機械人形は全く問題なく動いていた。

計器類を確認し、雪の方を見る。

口を開きかけたところで、エフェッサーの本部からオペレーターの無情な通信が入った。


『死星獣が距離四千まで接近しています。これよりAAD七〇一、七〇二号に対し試作型のDインパルスキャノンを装着いたします』


長大口径の、エネルギー砲。

今まで戦車で使用していたそれの、およそ三倍の大きさを持つ大砲だ。

無論、バーリェのエネルギーを吸収して変換、発射する。

今回の実験で、元老院は雪を使い尽くすつもりだ。


もう自分にはどうしようもない。

いや……むしろ、自分は雪を使用するのが正しい道であり、道理だ。

だが……心の奥に溜まったしこりは流れることなくうごめき続けていた。

しばらくして、桜の機体がゆっくりと前進し、こちらの脇に並ぶ。

何だかビルほどの大きさがある人型機械が人間のように機敏に移動するのは異常な光景だった

まさに神話に出てくる巨人だ。

確かにこれが量産されれば人間と死星獣の戦いは一変するかもしれない。


だが……。


絆は、実際に七○一号のコクピットから外をみて、息を呑んだ。

死星獣はいまや肉眼で確認できるほどに近づいていた。

まるで山だ。巨大な、忌まわしい蟲の山。

悪魔……いや、生物の成りそこないと言ったほうがいい。

聳え立つそれが、ゆっくりとこちらに向けて前進してきている。


風船のように当初の五倍以上に膨らんでいた。

全長四十メートルはある、超巨大な砲身の前部を支え、桜の機体が後部を支える。

遠隔操作でそれぞれの機体各部に、チューブでエネルギー供給ラインが繋がれていく。


人型兵器の中は、想像以上に揺れた。

船の上なんて比ではない。

シートに座っていなかったら倒れこんでいたことだろう。

そして、間近で見る死星獣は……なんと言うのだろう。

そう、ただ『恐ろし』かった。


見つめていると、自然に足が震えてくる。

何故かは分からない。

毎回こうなのだ。

虚無空間を内包する化け物。

触れたら消える。

そんな瀬戸際の悪魔を前にすると、足が震えだす。


スクリーン越しに見る死星獣は、何も感じない。

だが、肉眼で見るものは明らかにそれとは違った。

桜と雪、二人分の生体エネルギーを吸い、巨大エネルギー砲の発射承認ラインが急速に近づいてくる。


撃つのは、絆の役目だ。

段々と顔が蒼白になってくる雪の顔を見る。視線を感じて少女はこちらを向き、ニコリと笑った。


「ごめんなさい」


唐突に謝られて、青年は直ぐに返すことが出来ずに息を詰まらせた。


「……何が?」


そう聞くのがやっとだった。

少女は、いつもと変わらない笑顔で、ゆっくりと返した。


「薬、昨日飲まなかった」

「そんなの……もうどうでもいいよ」


言葉が詰まった。


「絆は、私のこと嫌いになっていない?」


伺うように声を殺して彼女が聞いてくる。

青年は息を吸い、そして止めた。

真っ直ぐに死星獣を睨みつける。

こいつらが。

こいつらさえいなければ。

胸の奥に沸き起こる、怒り……それは確かにドス黒い怒りの感情だった。

しばらくして詰めていた息を吐き出し、表情を緩める。

そして絆は手を伸ばして雪の頬に触れた。

彼女の頬は、冷たかった。


「オレは、お前のことは大好きだよ」


考えて言ったわけではなかった。

自然に言葉が口を付いて出たのだった。

雪が本当に嬉しそうに笑う。

蒼白な顔を精一杯咲かせて、笑う。


「私選ばれなかったから……サンタさんにお願いしたのに、選ばれなかったから。凄く不安だった……でも、良かった」


彼女は見えない目を開いて絆の顔を凝視した。


「私、死なない」


そして、雪は一言だけ。

蚊の鳴くような小さな声で。

しかし響き渡る、心に沈み込む声で呟いた。


「帰りたい」


絆は目を見開いた。

その時だった。


『第一射を開始してください』


冷淡なオペレーターの声に全てを掻き消され、絆は言葉を飲み込んでキャノン砲発射トリガーを握り締めた。


「ああ」


唾を飲み込み、目を見開いて死星獣を穴が開くほどに凝視する。


「帰ろう」

「うん」

「一緒に、な」

「うん」


おそらく、これが初めて。

バーリェとこんな話をしたのは……いや、他人とこんな話をしたのは初めてのことだった。

だが胸の奥に生まれたどこか熱い、温かい気持ちは確かにそこにあった。

息を吸って、吐く。

そして絆は、引鉄を引いた。


とてつもない衝撃が、二人が乗る機体全てを吹き飛ばさんばかりに包む。

砲身から噴出したエネルギー光は、白。

そしてほんの少しの桜色。

それが渦を巻きながら向かってくる数キロ先の死星獣に向かって矢のように吹き飛んだ。

雪が、爪が食い込んで血が噴出すくらいに強く、絆の手の甲を握り締める。

段々と少女の手からは力がなくなっていく。

そして光は、おぞましい怪物の胴体に突き刺さると、易々と貫通して向こう側に抜けた。

それでも止まらずにはるか上空まで伸び、雲を掻き消して空の上に消える。


胴体に長大な風穴を開けた死星獣は、数秒間そのまま前進を進めた後、唐突に停止した。

そして激しく痙攣を始める。

次の瞬間、二つの蜂の頭型の頭部が、付け根からスライムのようにドロドロにとけ、地面に流れ落ち始めた。

それが触れた部分が凄まじい白煙を上げて灰に散り始める。


次いで開いた胴体の穴からは真っ黒い水蒸気が煙突の煙のように噴出を始めた。

そして頭部と同じようにスライム状に溶解して流れ落ちていく。

しばらくして、小山状に溜まったヘドロ色のスライムの中から、真っ白な正方体のキューブが浮かび上がった。

何に支えられているわけでもないのにゆったりと回転しながら上空に静止している。


「……何だ、アレ……」


呟き終える間もなく、危険を示すアラートの警告音がコクピットに反響した。

それにいち早く反応し、グッタリと脱力しかけていた雪の手に力が入る。

そして彼女の意思を受け、巨大な機械の人形は砲身を投げ捨て、地面を蹴った。


アスファルトを鋼鉄の脚部で砕き、十メートル近い体躯が軽々と宙に舞う。

飛んだと同時に、雪は後方の七○二号を突き飛ばしていたらしく、七○一号の手に弾かれてビルをなぎ倒しながらもう一機の機械人形は地面に転がっていた。


その、今まで二機が重なっていた直線上を一本の白い線となってキューブ体が通り過ぎた。

何の予兆もない、戦闘機並みの加速だった。


「まさかアレが核なのか……」


歯を噛み締めて、空中を本当の蜂のように飛び回っているキューブ体を睨みつける。

それは後方のビルに突撃すると、何の抵抗もなく触れた部分を灰にして消し飛ばした。

砂山に作った城を蹴り壊すかのように、高層ビルの一つが中ほどから灰色の煙になって霧散する。


後ろを振り返る。

もう一機の人型AADは倒れたままピクリとも動いていなかった。

先ほどのエネルギーキャノン斉射で、桜の意識は飛んでしまったらしい。

バーリェの中でもトップランクに入る絃の少女でさえこうなのだ。

反射的にとはいえ莫大なエネルギーの抽出後に動ける、雪が異常なのだ。

脳が揺さぶられる衝撃と共に七○一号が着地し、目が見えてない雪は大きくよろめいた。

彼女の精神に感応し、機械の巨人が上体をふらつかせて地面に片手をつく。


「……絆、私避けたっ?」


押し殺した声で雪が叫ぶ。

そこにはいつものゆったりとした柔らかい調子は存在していなかった。

戦闘兵器の冷たい眼光を白濁した瞳に揺らめかせながら、少女が顔を上げる。


『絆様、一時退却命令が出ました。死星獣殲滅の優先順位を下げ、七○二号を回収ゲートに誘導してください』


オペレーターの声が聞こえる。

どうやら、元老院は死星獣の撃滅よりも新型兵器安全を優先したらしい。


だが。

そうはいかない。

逃げる?

そんなこと、するわけがない。

そんなこと、今ここでできる筈はなかった。


「雪、ブッ殺せ!」


情緒も、気品も何もない。

感情のまま叫ぶ。

瞳を見開き。

こちらに向けて方向転換する白色のキューブ体を、少女の分まで睨みつける。

完全にオペレーターを無視して、絆は敵が向かってくる方向に機体を向けた。

彼の操作に方向を任せ、少女は殆ど本能的に、七○一号の肩装甲に取り付けられていた全長五メートルはある長大な両刃の剣を、機械人形に鞘から抜き放たせた。


柄の部分にエネルギー供給用のパイプが幾本も、機体の胸に繋がっている。

少女が見えない瞳で、死星獣を噛み付かんばかりに睨みつける。

途端、短剣の刀身が真っ白な純白の色に光り輝いた。


キューブ体が半ばから両断されたのと、七○一号の右肩が、崩れて飛び散った死星獣の破片を浴びて灰になり破裂したのはほぼ同時だった。

ナイフにより、バターのように空中で二つに分かれた核がそのまま地面に落下する。

そしてアスファルトの地面にぶつかる……と思った瞬間、地雷のように乾いた音を立てて破裂した。

右肩を失った機械兵器が肩膝をつく。

吹き荒れる、化け物の破片。

それはまるで雪のようにクリスマスの空に昇っていった。



いつものように、医務室前で絆はただ待っていた。

戦闘から八時間が経過していた。

元老院や、エフェッサーの本部からの呼び出しも無視していた。

ただ、雪が入っている手術室のランプが消えるのをぼんやりと待っていた。

いつものように、何時間経ったか分からなくなった頃。

絃が疲れた顔で歩いてくるのが見えた。

点滴台を引きずっている命を連れてきていた。


「絆さん……!」


黒髪のバーリェは泣き出しそうな顔を作ったかと思うと、よろめきながら走ってきて青年に抱きついた。

軽く苦笑して、胸に顔をうずめた彼女の頭を撫でる。


失敗しても、成功しても。

バーリェは何も言わない。

トレーナーは何も言わない。

それは暗黙のルールだったし、いつからだったかは分からないが絆はそう決めていた。

ただ、黙って命のことを抱きしめる。

絃は軽く息をつくと絆の隣に腰掛けた。

そして囁くようにかすれた声を発した。


「元老院は、お前さんの今回の命令違反は大目に見るってよ。死星獣の反応は消滅。新型兵器の実戦テストはこれ以上ないほど成功らしい」


黙っている青年の肩を叩き、絃は乾いた笑い声を上げた。


「桜も無事だ。また借りを作っちまったな」

「……気にするな」


ボソリと答えて息をつく。

いつものような、沈黙。

そのまま数時間が過ぎる。

暗くなりかけてきた空。

絆は絃に命を預けて手術室を見上げた。


それから何時間経っただろうか。

不思議と、眠る気にはならなかった。

ラボに帰る気にもならなかった。

汗でべとついて、気持ち悪いスーツを着がえる気にもならなかった。

わけが分からないまま戦闘に徴収されて。

日常と非現実の間に揺れている脳は、半ば停止しているようだった。

ぼんやりした視線の端。

待ち続けて、半日以上経った部屋のドアが開く。

そして憔悴しきった顔の執刀医達がぞろぞろと出てくる。

立ち上がり、彼らを見上げる。

そこで絆は担当医が頷いたのを見て、目を見開いた。



雪が降っていた。

二日後の軍病院の外は、この地方では珍しく身を切るような寒さに襲われていた。

靴の踝が埋まるほど、真っ白い、純白のウェハースが積もっている。

用意してきたコートを、隣に立つ盲目の少女の肩にかける。

やせ細った顔をにっこりと微笑ませて、雪は笑った。


元老院は一連の彼女の戦闘を見て、現在のエフェッサーに必要なバーリェだと判断したらしい。

特例的に、臓器の交換手術が執り行われたと聞いたのは、今日の朝のことだった。

少し前に慣れ親しんでいた感触とは違う、生気のない小さな手を握り締める。

ふらつく雪の体を支えながら絆は歩き出した。

白い息、白い髪。

白い粉が空から降ってくる。

まるで、あの死星獣の残骸のような曇り空。


だが雪は手を伸ばし、空から落ちてきた欠片を掌で受けた。

直ぐに解けて、小さな水の破片に変わる。

軽くそれを握り締め、少女は隣を歩く青年の腕を強く掴んだ。

その見えない目から一筋だけ涙が流れて、積もった白い絨毯の上に落ちる。

絆はそれを見ていないふりをして……そして、雪の頭をただ優しく撫でた。

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