右手の小指
「ごめんなさい。とりま、インタビュー受けます」
結局いくら考えてもアサトの心は分からないので、今は僕のやるべきことをやろうと思い直した。二人ともインタビューしたくてしたくてたまらないはずなのに、僕がこういうと「本当に大丈夫なの?」「無理しなくていいんだよ?」とあたふたしてた。
都会の高いビルの一つ。ここがテレビ局か、と僕は辺りをキョロキョロと田舎者らしく見ながら、呆気にとられていた。
「見て見て、女優の赤池 ニイナさんだよ!」
この川野さんもここの職場で働いているのだろうに、ユキさんの我が物顔で堂々と歩いている雰囲気とは違い、僕と同年代の子のように女優さんを見てはしゃいでいる。
「僕、俳優さんにしか興味ない」
「んん"っ、今は男女問わず俳優さんよ。川野、教えたでしょ?」
とユキさんが先輩らしく川野さんを窘める。
「赤池さん、俺の中では永遠に助演女優賞ですっ!」
それを聞いてないのか、聞いた上で無視しているのか、川野さんは赤池さんに向かって、テンション高めでそのように小声で言っていた。
「貴方からの安っぽい賞に誰も喜ばないわよ」
そんな彼にキャリアウーマンの言葉が冷たく刺さる。「鬼だと思わね?」と僕に彼は共感を求めてきたが、彼女にも返答が聞こえる範囲内だったので、シカトしといた。
「それじゃ、カメラ回しまーす。3、2、」
「何で1言わな」「本日はインタビューを受けて下さりありがとうございます」
ユキさんが、仕事モードに入った。さっきまでの和気あいあいとした雰囲気はガラッと変わって、真剣なインタビュー映像を撮るために、現場に緊張感が走っている。
「いや、約束、だから……」
「早速ですが、春原 容疑者と初めて出会ったのは何時、何処でですか?」
「九月の終わり頃、友達と猫探しをすることになって、通学路にある裏山に入ってったら、その奥の方で襲われました」
「襲われた、とは?」
「よく分かんないけど、ハンマーみたいなのでガンッと」
「殴られたんですか?」
「あっ、いや、んー、僕は小指を殴られて、そっからスタンガンでビリッとなって、最終的に麻酔で、おやすみ……」
僕は敬語がうまく使えないタイプの人間だから、こういうのには不適任だとこの時になって気が付いた。緊張しちゃうとそれを紛らわせようと、普通に友達同士の感覚で喋っちゃって、でもそれを直そうとすると、正しい日本語を考え込んじゃうから、黙り込んでるように思われてしまう。親から叱られる分には余裕なんだけどなぁ。「ごめんなさい」を連呼してればいいし。
「……待って、小指!?」
ユキさんがメモしながら、何か異変に気付いたようで、驚いた口調とともに僕と顔を合わせてきた。
「コレ、右手の小指、ちょっと曲がってるでしょ」
と僕は何故か得意げに見せ付けてしまって、カメラでズームされたのが分かった。だから、川野さんの方にもちゃんと向けた。美容系ユーチューバーのように、後ろに左手をかざしたが、指の後ろに手なので見ずらかったのか、腕でバツってされた。
「スマホの持ちすぎ、ではないですよね?」
とユキさんにその指をちょんちょんと触られる。
「僕も、始めはそう思ったんだけど、そういやスマホ没収されてたぁ、って思って」
と僕のボケエピソードを披露したけど、笑ってくれなかった。から、一人で愛想笑いした。
「誰に?」
「アサト」
「ああ」
ああ、そこ言わなきゃか。アサトに誘拐されて、アサトにスマホ没収まで。
「それで、誘拐されて目が覚めたら、ラボにいて、アサトの顔をはっきりと見たのは麻酔の前なんだけど、ここで改めて初対面で、何だかイライラしてる人だなぁ、って第一印象」
「待って、整理させて。貴方は裏山で春原 容疑者と出会い、小指を殴られ、スタンガンを使われ、麻酔を打たれたと」
「うん」
「この時の春原 容疑者の服装などは覚えていますか?」
「サングラスに黒マスクで全身黒ずくめ、圧倒的不審者!!」
初対面を思い出すと笑えてきた。アサトに襲われるって時なのに、彼の顔を見た瞬間、格好良いって見惚れてしまったから。麻酔にも簡単に酔ったんだろう。
「なのに、逃げなかったんですか?」
「んーーー、あっ、その前に前足を見つけて……」
「どういうこと??」
「猫の前足を見つけて、足がすくんだの」
「猫の前足……それは春原 容疑者が事前に用意していたものなんでしょうか?」
「わかんない、違うと思う」
「そうですか。それでは、春原 容疑者がイライラしてたのは?」
「えー?そうだなぁ……あっ、僕のファーストキスの話に『笑えねぇ』って言ってたから、僕の話がつまんなかったんだと思う。『うるせぇモルモット』みたいなことも言ってたし」
僕は国語のこのときの主人公の気持ちは?的な設問がとても苦手なんだけど、今回のこの解答はよく読み取れていると思う。花丸を欲しいくらいだ。
「もし宜しければ、ファーストキスの話もお聞かせいただけますか?」
「ふふっ、大した話じゃないよ。僕は誘拐された日……これ本名言っちゃマズイよね?……まあ、外国人の子に初対面なのに凄い懐かれちゃって、それでファーストキスを奪われたってだけの話」
「初対面で、唇に……?」
「そうだよ!吃驚しちゃった♡」
その時は、『ルイくんのことが好き』しかなくて、幸せだったんだと思う。もしアサトに出会ってなかったら、僕はもっとルイくんと親密になってただろうし、恋人にだって……いや、ルイくんは僕が男だとわかって、若干引いてた。
「その話に、春原 容疑者は、『笑えねぇ』と」
「僕の幸せが憎いんだよ。だって、殺しにくくなるじゃん?だから、その後はちゃんと不幸話もしたんだ。僕の人生は、最悪だ。なんてね」
「嘘をついた、ってことですか?」
「嘘じゃない。産まれた瞬間から、最悪なんだ……」
他人はみんな幸福そうで狡い。僕は俯いて、自分の人生を悲観した。もういい加減慣れたけど。小さい頃からずっと思っていたから。幼稚園時代、僕のことをうまく取り扱ってくれるのは、先生しかいなかった。なので、同年代の子とは仲良くなれなかった。今も、担任に構ってもらってる。僕は、鬼ごっこや隠れんぼの楽しさが分からない。
「……詳しく教えてもらってもいいですか?」
覚悟を決めたようにユキさんが重い口調で話した。
「……」
僕は両親にぶん殴られるのが恐ろしくて、何も答えれなかった。アサトのことなら何でも言って、こんなに凄い人なんだと自慢したいのだけれど、それ以外となると、言葉を発するのに慎重になる。
「言いたくない?」
ユキさんの口調が優しく変わる。僕は叱られている子供の気分で、
「言いたくない……」
と顔を歪めた。
「そう。一旦、カメラ止めて。はぁ、少し休憩にでもしましょうか。美味しいお菓子でも食べて」
そう僕の方を向いて言うと、ユキさんは立ち上がって背伸びをして、ふらふらとお菓子を探しに行った。僕はまだアサトの話を100分の1もしていないので、このペースだと徹夜だと確信した。
「どう?初インタビューの感想は?」
川野さんはユキさんが座っていたところに座って、インタビューの続きを行う。
「うまく、喋れない……」
「そう?」
そんなことない、って否定されるより、こうやって、君はそう思うんだろうけど、俺はそうは思わないよって、小首傾げてくれた方が僕は嬉しい。
「緊張しちゃって。だって、カメラあるし……」
「ふふっ、そんな緊張しないで。気持ちってのは言えば言うほど伝わるんだから、的確で端的な言葉もいいけど、曖昧で長ったらしい言葉でもいいんだよ」
「それ、とにかく何でも喋れ、って言ってるの?」
と僕は懐疑的に悪戯的に彼を問いただした。
「うまく喋ろうとしなくていい、って言いたかったんだけど」
そう言うと彼は僕に横顔を見せたまま、唇を尖らせた。そういうことだったんだ、と僕はこの時点でやっと理解が追い付いて、少し申し訳ない気分になった。
「じゃあ、赤ちゃん言葉でもいいの?」
「何で?赤ちゃん言葉??」
それはもしアサトがこの映像で赤ちゃん言葉の僕を見たら、僕のこと無条件に「可愛い♡♡」ってなって、また会いたいって思わせることができたら最高だから。