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やましろだったね。


「ついた」


「……」


 気分転換にと家を抜け出した矢先、とある公園のベンチに座っていた女の子「やましろみじゅき」――山城さんと行動を共にすることにした私は、それから数十分後、意外と近くにあった彼女の家の前まで来ていた。


 家、というよりアパートか。


 二階建てのアパートで、部屋数は合計で10部屋ある。


 まあ、ごく一般的なものだろう。


「……」


 ――ただ


 ギギ……ギギギィ……


 かなり年季が入っていることが伺える木造の外壁は所々が剥げており、トタンでできている屋根は長年雨にさらされている影響か、すっかり茶色く変色している。今も少し強い風が吹いただけで耳障りな音を響かせているし……大丈夫なんだろうか。


 敷地内の庭も全く管理されていないのだろう、流石にアパートへの道はそんなにでもないのだけれど、奥の方は私のお腹の辺りまで雑草が繁茂している。


「こっち」


 しかし流石に山城さんには馴染のある光景なのか、その場に立ち尽くしていた私の袖を気にせず引っ張っていく。


 案内されたのは一階の一番奥の部屋。もとから鍵なんてかかっていなかったのか、山城さんが背伸びして握ったドアはいとも簡単に開かれた。


 不用心だなぁなんて思っている私を他所に、私の袖を掴んだままの彼女はずんずん進んでいく。


「ただいまぁ」


 舌足らずな彼女の帰宅を知らせる声に応えてくれる人はいないようだ。


 玄関を開けてすぐが台所になっていて、隣の扉は洗面所かな。そして真正面、およそ8畳ほどの一室がこの部屋のすべてみたいだった。


 それにしても――


「何もない」


 部屋をぱっと見て出た私の感想がそれだった。


 驚くほどに物がない。


 いや、もともとこの限られたスペースに余計なものを置けなかったというのもあるのだろうけど。


 しかし部屋の中には丸いちゃぶ台が一つと隅の方に小さな鏡台があるだけで、後は押し入れの方にでもまとめて詰めているのだろうか。ここを一見しただけではとても人が住んでいるような雰囲気は感じられなかった。


 ()()


 ふと頭の中をよぎった言葉を直ぐに掻き消す。


 いや、私も生前にニュースや、それこそ、今まで読んできた小説でも何度か耳にすることがあったはずだ。


 どれだけ国が豊かだろうと、その国に生きる全ての国民が豊かな暮らしを送れることなどありえないのだし、どれだけ指導者が優秀だとしても、彼らの目の行き届かない場所なんてたくさんあるに決まっている。


 しかし、今までおよそ困難とは無縁に生きてきた人生。


 本が読みたいと言えば買って貰えることがほとんどだったし、食べる物に困ったことなんて一度もなかった。


 今まではそれが当たり前に思っていて、誰に遠慮するでもなく気ままに生きてきたのだけれど。


「……」


 いつの間にか台所にあるシンク下の棚を広げて頭から豪快に突っ込んでいる女の子を見る。


 彼女にとっては生まれてからこれまで、ここでの暮らしが()()であったはずだ。


 たとえ貧困であったとて、今まで生きてきて楽しいことや幸せなこともきっとたくさんあったことだろう。


 それなのに、見ず知らずの、彼女と出会ってわずかな時間しか過ごしていない私が、そんな彼女の一側面しか見ていない中で同情するなんて、傲慢なことこの上ない。


 私は気にせず接していればいいはずだ。


「……」


 そのはず、なんだけど。


「……」


 けれど、どうにも、居心地の悪さを感じてしまう。


 普通でいればいいはずなのに、彼女に対して申し訳なさを感じてしまうのは、私がまだ心の内で彼女の事を憐れんでしまっているからに他ならない。


 ただ生まれが違うというだけで、私と彼女に差なんてあるはずもないのに。


 だめだ……このままここに居ても、思考は悪い方へと転がっていくだけだろう。


 未だ台所で何かを探している様子の彼女には申し訳ないけれど、今のうちに帰ってしまうことにした。


 もともと家まで送ってあげることが目的だったのだし、であれば私がここに居続ける理由もないだろう。


 彼女の母親もきっとそろそろ帰ってくるはず。


「……」


 後ろめたい気持ちは消えないが、私自身のリミットが迫っていることもあって、それから私は極力音を出さず足早にアパートを後にした。



◇◇◇



「はぁ、はぁ」


 公園の裏、山の方まで戻ったところで一息つく。幸い、後ろからは誰も来ている様子はない。


 ここまでくればもう大丈夫だろう。


「……」


 それにしても、道中全く人と出会わなかった。


 思えば、彼女に連れられてアパートに向かう途中もそうだったな。


 大人は仕事に出かけているとしても、もう少し人気があってもいいと思うのだけれど。


 まあおかげで誰にも気づかれずに帰ることができたのだ、気にしてもしょうがないか。




『――――』




「……む」


 一瞬、なぜか公園のベンチに1人でいた山城さんの事を思い出す。


 こんなに人気の少ない場所で、彼女はいつもあのベンチに座っていたのだろうか。


 遊具も何もない場所で――いや、それよりも、


「時間がっ……」


 帰りを急いでいる内に、いつの間にか頭に湧いた疑問は消えていた。



◆◇◇



 それからはまた、何か特別な事件が起きるでもなく、いつも通りの日常に戻っていった。


 書斎へとたどり着いたときには既に日が傾き始めていて、流石に肝が冷えたのだけれど……母に気付かれなかったのは奇跡というほかないだろう。


 その日は久々に身体を動かしたこともあって、早めに布団に潜った。


「……」


 いつになくぼんやりとする頭の中で、今日の事を振り返る。


 結果的に、気分転換にはなったのかな。


 まあ、少なくとも、もう小学校に通うことへの悲観的な気持ちはだいぶ薄らいできたことは事実だろう。


 彼女との出会いがそうさせたのか、こんな事を考えるのも失礼に違いないのだが。ただ、私も頑張ろうと思ったことは確かだ。


 今日の晩ご飯の時間に、明日から本格的に小学校への準備を進めると言われた。


 新しく通うことになるのはどんな学校なんだろうか、男女比が違うこの世界で、果たしてこれから出会う人たちはどのような――


「……」


 瞼がだいぶ重い。


 やはり今日の事で私が思っていた以上に体は疲れていたのだろう。


 気付けば私は寝息を立てていて……いつになく濃い一日は、そうして静かに過ぎていった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 母の言葉通り、翌日から本格的に小学校の説明を受けることになった。


 まず大前提として、私がこれから通うことになるのは家から車で15分程の距離にある公立桜花小学校。


 私達が住んでいる日暮市という――まあ程々に発展している(母親談)市内では一番の規模を誇る小学校らしい。


 人が多いということは当然、それだけ集まる男の子も多いということ。母的には私に沢山の同性の友達を作ってほしいようだけれど、先に謝っておきたい。ごめんなさい、無理です。


 別に友達をつくることが億劫であるとか、会話が面倒であるとか、そういうことではない。全然ない。


 ただ、私は思うのだ。


 生前、弟と下校中の私はその日がまさか自分の命日になるなんて考えもしなかった。


 だってそうだろう、私はまだ高校2年生で、成人だってしていなかったのだ。


 自分のこれからの人生なんて漠然としか考えていなかったのだけれど……ただ、これからも沢山の本を読んで静かに過ごしていくのだろうなと、気楽に考えて生きていたのだ。


 しかし、ふたを開けてみればあまりにも早すぎる一生。


 まだ読みたい本も、これから世に出るであろう本も、全然読めていないのに。


 だから、私はもう二度と同じような後悔はしたくないのだ。


 神様と面識がある。前世と同様の姿形にしてもらえるくらいには便宜を図ってもらった。


 一体それが何だというのか。


 そんなことは私がこの世界で長生きできる理由にはならない。


 人生はいつだっていくつもの奇跡の上に成り立っていて、最後まで健康に生き続けることがどれほど儚く、尊いことなのか。


 その事実を身をもって知っているからこそ、私は――「また沢山本買ってあげるから」


 はい、友達100人つくります(死んだ目)。


「うん、よろしい」


「……」


 しかし、どうしてそんなに友人をつくることをすすめてくるのか――そんな疑問を抱いていることが伝わったのか…しかし続く母の言葉は、ただただ常識的なことだった。


「だって、断言できるもの。クラスに1人でいる男の子がいたら間違いなく喰われるって」


「……」


 あぁ、そういう。


「私が通っていた学校でもそうよ。男の子は基本的に固まって行動するの。誰かといればそれだけで周囲の女に対する抑止力になる。数は力よ」


 女って、相手は小学生なんだけど。


「いいえ女よ。獣、と言った方がより正確かしら。男を狙う獣に若いも老いも関係ないの、等しく畜生なのよ。肝に銘じておきなさい」


 およそ母親からは聞かないであろうありがたい教訓には、しかしどこか実体験が伴っているように聞こえたのはスルーすべきか。


「……」


 まあ、確かに母の言う通りかもしれない。


 私はまだこの世界の常識には疎い自覚がある。


 既にこの世界で何十年と生きてきた母の言葉に従わないわけにはいかないだろう。


「よし、分かってくれたみたいね。それじゃあ次は――」


 それから、他にも学校でのルールや規則、そしてこの世界特有の、とでもいうべきか、およそ前世の学校とは大きく異なる仕組みを教えられた。


 曰く、学校に通う男子は基本的に隔日休日制度というものが導入されていて、毎週火曜日と木曜日は基本的に休むことができるらしい。


 勿論その日は完全に休みというわけではなく、前日に教員から休日用の課題プリントをもらい、それをこなすのが必須ではあるのだが。また、学力的に問題のある生徒に関してはその限りではなく、普通に学校に通うことになるのだとか。


「まあそれもよほどおかしな成績じゃなければ気にしなくても大丈夫。のぞみなら問題ないでしょう?」


「……」


 なんだろうその神制度は。


 まさに私のためにあるような制度じゃないか。ひょっとしてこの世界最高か?


「まあ学校に通う女の子達にとってみれば、これも過去の先輩方がしでかした負の遺産よね」


「……?」


 どうやら今よりも男性に対する保護という概念が希薄だった頃。学校に通う女子生徒は目についた男子生徒に片っ端から告白し、振られるや否やストーカーになったり、自暴自棄なって襲ってしまったりと、まあ随分と好き放題していたらしい。


 そうなると当然、その学校に通う男子生徒も心労が祟ってしまうわけで。


 学校がある日は部屋から出られなくなったり、玄関を出る途中で身体が動かなくなったりして、最終的に学校に登校する男子生徒が一時期大幅に減少したと……


 結果として女子生徒側に注意するのはもちろんの事、ふさぎ込んでしまった多数の男子生徒になんとか学校へ通ってもらえるように国や学校が苦心した結果生まれた制度が、隔日休日制度。


「ばかよねぇ」


「……」


 ばかだねぇ。


 そんなことをしたら余計に怖がらせてしまうと分からないものなのか。


「でも、まあそうなってしまう気持ちも分からなくはないのよ。だって合法的に同年代の男の子と関わりを持てる貴重な期間だもの。社会に出たら出会いなんて全くないんだし……」


 ふむ。


 母だったらそこそこいけそうな気もするけど。


「ふふ、私の過去の戦績……聞きたい?」


 ごめんなさい。


「無視――だけならまだいいのよ。同性にもよくされるから」


 ごめんなさいって言いました。


「でも話しかけただけで吐くのは流石に失礼だと思わない? 分かる? 勇気を振り絞って話しかけた相手が半狂乱になりながら全力で逃げていくさまを呆然と見ていることしかできないこの気持ちが!」


「……」


 ドンッと力強くテーブルに拳をぶつける母に、かける言葉が見つからない。


 ……そうか。母でもそうなるのならその男子生徒が抱えていた傷も相当なものだったのだろう。


 私が言うことでもないのだろうけど、どうか強く生きてほしい。




 その後全身から黒い怨嗟を吹き出し始めた母はそっとしておくことにして、私は自室へと戻った。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 早いもので、それからいつも通り本を読む日々を過ごしていたら、いつの間にか入学式だ。


 学校への送り迎えは母が嬉々として担当することになっており、今も隣で鼻歌を歌いながら運転している。


 対する私は少し憂鬱。まあ今更うだうだいっても仕方がないのだけれど。


 前方には既に目的の場所が見えている。


 この日のために学校側は広大なグラウンドを駐車場としており、既に周りからは仲のよさそうな親子が手を繋ぎながら手続きのために第二体育館の方へと向かっている。


 ちなみに入学式は第一体育館で行われる予定だ。


 私も出遅れないようにと母と車を出る。



 ザワッ



「……む」


 車から降りてすぐ、私を迎えたのは周囲にいる人々の視線、視線、視線……だった。


 なるほど、こういう感じなのか。


 ここにきて、私は本当に違う世界に来たのだと正しく実感する。


 あの時見たニュースから、何度か耳にした言葉。


 男女比が1:3の世界。


 前世とは大きく違う。


 男女の貞操観念が逆転した世界。


 今日まで伝聞でしか知らなかった知識を、今。小学校入学を迎えて、ようやく……ようやく肌で感じることができた。


「少し、舐めてたかも」


 私に向けられる視線にはおよそ好意的なものが多いのだろうが、中には思わず背筋がゾッとするような粘着質な視線も感じる。


 小学生だけではない、どちらかというとその母親の方が割合的には多いようだ。


 全く、小学生相手に何を欲情しているのか……母親の子宮から是非やり直してほしい。


 少し辺りを見回すと、どうやら私以外の男の子もそうした視線を敏感に感じているようで、どの子も母親らしき人に抱き着いて震えている。


「の、のぞみも怖くない?」


 うちの母もものすごく抱きしめられたそうにしているが、問題ない。


「なんでぇぇぇぇ」


 あいにくと、伊達に彼らより長く生きてはいない。


 確かに周囲からの視線にはしり込みしてしまうが、まだ許容の範囲内だ。


 落ち込んでいる母を伴って、受付へと移動する。


 私たちは既に最後の方だったみたいで、受付の後ろではたくさんの子供が列になって並んでいるのがみえる。


 素早く受付を済ませて、私もそちらへ向かうことにする。


「……」


 さて、ここからは私一人だ。


 受付を過ぎると一旦母とは別れることになる。


 ここからは決められた列に並んで、合図があれば第一体育館へと向かうことになっている。


 私は当然男子生徒が列になっている所――あそこだな。


 ………ざわっ…


 親がいなくなった分、子供からの遠慮のない視線が鬱陶しい。


 しかし、これからは毎日この視線を受けることになるのだ――早く慣れなければ。


 まあ今日はまだ入学式。


 流石にこんなに衆目がある場所で話しかけてくるような子もいないだろう。



「―――――!」



 ほら、今だって私めがけて一人の子が――



「……?」



 ――え?



 女の子が……突っ込んでくるんだけど…



「――――ぁぁぁ!」



 ざわっ……ざわ……


 私の他にも、異常に気付いた他の生徒が正気を疑うような目で彼女を見ている。


 というか、女の子は何か叫んでないか?



「――――――ぁぁぁぁぁああ」



「……」



 いや、違う。



「―――ぁぁぁぁぁぁぁあああああああっ」



 そこでようやく気が付いた。



「あの時の」



 そう、あの時の子だ。名前は確か――



「山城さん」




「う゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」




 彼女、山城瑞稀は泣いていた。




 嬉しいのか、悲しいのか……感情の向かう先は分からないけれど…とにかく、全力で泣いていた。


 泣きながらこちらへと、必死に走ってきていた。


 初めて出会った時のような無表情が嘘のように、顔は真っ赤に染まっていて、その目からはぽろぽろと大粒の涙が溢れている。


「……」


 彼女は、こんなに大きな声で泣けたのか。


 呆然としている私と同じように、事態を正しく把握できていない他の生徒も、そして教員らしき女性達も、皆が皆、目の前の事態を、ただ口を開けて見ていることしかできない。


「……」



 そうして、とうとう私の目の前まで来た彼女は、そのまま足を止めることもなく、なんの遠慮もなく、豪快に私に抱き着いてきた。




「あ゛う゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」




 気付けば、周りの喧騒は嘘みたいに止んでいて。




 その場にいる誰もが、私達の方を向いていて。






 シンと静まった体育館には、場違いなくらいに大きな彼女の泣き声が響いていた。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「――と、その時のことを思い出してた」


「えへへ」


「笑い事じゃない」



 午前の授業が終わって昼休み、朝一番に学校へ来ていたらしい彼女は、遅れて登校してきた私の目の前まで来ると、昨日の強情な態度とは打って変わって、頻繁に家に来たことを謝りたいと言ってきた。


 お詫びなんていらないといったのだが、どうにも引き下がりそうにない彼女にお昼ご飯を奢ってもらう約束をさせられて……あれ、なんだかいいように行動させられてないか? 気のせいか。


 購買で買ってもらったパンを片手に、私と山城さんは図書室のとある一角(もちろん飲食可能なスペース)に来ていた。


 彼女とたまに一緒にいると周りが妙にうるさくなるので、こういった人気のない場所は重宝している。


「でも、確かにあの後は大変だった」


「……」


 そう、あの強烈な入学式。


 私に抱き着いたままの山城さんは当然、その後我に返った教員の方々と、なぜか多数の女子生徒に取り押さえられ、私もまったく取り乱しているようには見られなかったことから、事態は一旦の落ち着きを取り戻した。


 それよりも、血相を変えて私の方へと向かってきた母や、その周りの大人になぜか病院に連れていかれ、結局私は入学式を欠席することになった。


「一緒」


「やかましいわ」


 私に抱き着いた山城さんも当然欠席。


 途中、私が弁明したおかげで警察を呼ぶ事態にはならなかったのだけれど、その日から1週間の自宅謹慎をくらっていた。


 そんなにしなくてもと思ったのだが、これでもだいぶ優しい方らしい。


 ――いや、それよりも。


 そう、まあそのことは百歩譲っていいとして、だ。


 問題はその後に起きたことだった。


「あだ名のこと?」


「……」


 そう、あの事件の後、翌日から普通に学校に登校していった私は、なぜか不名誉なあだ名で呼ばれることになるのだ。


 それは今日まで変わらずに、いや、今ではもはや定着してしまっているのだが……


「ふふ」


 ふふじゃないが。


 変な方向に注目を浴びてしまって、当時は本当に大変だったのだ。


 思い出すのも億劫なほどに。


「……はぁ」


 思わずため息が漏れてしまう。



 本当に、どうしてあんなあだ名で呼ばれることになったのだろう。






とある団地に、とても醜い女の子がいました。


女の子は物心がつく頃からその顔のせいで周囲の人々からは避けられていました。


ついには、誰も寄り付かないような小さな公園の、小さなベンチで1人、お母さんが帰ってくるのをじっと待っている日々を過ごすことが日常になってしまうほどに。


けれど‥‥


ある日、とうとう女の子は出会ったのです。


自分の顔を見ても嫌な顔をしないで、逃げずに、そばにいてくれる男の子と。


彼は女の子の家まで付いてきてくれて、女の子はとても嬉しくなりました。


嬉して嬉しくて、彼女はとっておきのアメをプレゼントしようと決めました。


それは女の子のお母さんが彼女の誕生日に買ってくれた特別なアメです。


けれど、気付けば男の子はいなくなっていて。


すべては夢の中の出来事だったのかと、悲しくなった女の子は泣いてしまいました。


お母さんが帰ってきてからも、涙は止んではくれなくて。


そうして泣いているうちに、なぜかお母さんまで泣いてしまって、もっと悲しくなりました。


遂には、涙はとうとう枯れてしまって、その日はいつの間にか眠ってしまっていて‥‥


絶望ばかりの日々の中で、それでも、全てが夢だとは思えなかった女の子は、それから男の子を探す日々を過ごしました。


男の子はきっといる、女の子は諦めませんでした。


雨の日も、風の日も。


いつかきっと、出会えると信じて。




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