エピローグ
楽しかった。
「山城さん」
途方に暮れて、流れる雲をぼんやりと見つめていた私の耳元に、直前まで必死になって探していた男の子からの声がかけられる。
その優しい声音に、思わず衝動的に抱き着きに行きたくなるのだけれど……そうしてしまったら最後、もう二度と彼と触れ合うことが出来なくなってしまうような気がして、思い留まる。
「……すごく、探した」
その代わり、折角の大切な日に私になんにも言わないで忽然と姿を消してしまった彼にどれだけ焦ったのかを知ってほしくて、そう、恨みがましく言葉を伝える。
「……」
言われた彼は、けれど、いつもとは違う。ほんの僅か、なぜか優しそうな表情を浮かべるだけで……言い訳も否定も、返してくれることはなかった。
「……」
「……」
橙色の明かりに照らされる私達2人の距離が、今日はやけに遠く感じる。
私の目の前にいるのは紛れもなく彼なのに、その身に纏う儚げな雰囲気が私を不安にさせて止まない。
今目を離したら最後。また急にどこかへ行ってしまうような気がして――それがとても怖くてたまらない。
「チョコ欲しい、頂戴」
そんな不安感を感じ続けるのが嫌で、胸に湧くジクジクとした痛みが気のせいだと信じていたくて、茶化すように言葉を続ける。
彼の手には何もないなんてことは、見ればすぐに分かるはずなのに。
「……ごめん、持ってない」
案の定、当然のように断られてしまった。
それでも、言葉を返してもらえたのが嬉しくて。少しでもいつもの雰囲気に戻したくて、また話が途切れてしまわないようにと、言葉を重ねようとする私に向かって、彼は――
「これで、最後だから」
「……」
「お別れを言いに来たんだ」
「……」
今までにない、とても真剣な表情で。
私が今、一番言われたくない言葉を、なんでもない風に、まるで悲しさを感じさせずに、あまりにも一方的に……伝えてきて。
そんな言葉を聞いて、私が素直に納得すると、少しでも思われている事が心外だった。
私がどれほど貴方の事を愛していて、一緒にいたくて……離れてしまえば絶対に壊れてしまうなんて事、誰よりも一番、分かっているはずなのに。
「……嫌」
「……」
「絶対に嫌」
「……」
どうしてか、分からない。……間髪入れずに否定の言葉を伝える私の事を、溜め息もつかないで、心配そうに見つめていて。
――それがとっても悔しくて。
「一緒がいい」
「……」
「ずっと、一緒にいたい」
幼い頃に、何度も伝えた。その言葉。
この世界で唯一、私から離れずにいてくれた男の子が、またいつものように"しょうがない"って言ってくれる事を期待して。
「……」
面倒臭そうにしながらも、悲しさで顔を歪める私の事を、誰よりも放って置けない存在なんだと知ってほしくて。
「……山城さん」
続く言葉を、聞きたくない……それ以上は、言わないで。
それを聞いてしまったらもう、戻れない気がするから。
「……」
また、死にたくなるような地獄の日々に、戻ってしまうことになるから。
「……」
生きる希望を失って。誰もいない。真っ暗闇の中。
「……」
だから、のぞみくん。
お願いだから。
「ずっと、君の事が苦手だった」
――私をもう、1人にしないで。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
視線の先で、1人の女の子が泣いている。
小さく嗚咽を漏らしながら、目の端からはとめどなく涙が溢れていて――
その姿に幼い頃の弟を重ねてしまい、思わず駆け寄ってしまいそうになるのだけれど。
生憎と、私に残された時間は少ない。
ちゃんと向き合うと決めたのだから、中途半端はもう止めよう。
「ずっと、君の事が苦手だった」
「……」
最後の最後だというのに、不吉な話の切り出し方。けれど幸いなことに、少女は俯かせていた顔を上げ、真っ赤な瞳で私の事を見つめていた。
今はそれで十分だった。
「まず、何度言っても少しの躊躇いもなく家まで来られた事……本当に迷惑してた」
そうして、話し出すと止まらない。
「書斎に並ぶ小説に興味があるのは分かるけど、勝手に持ち帰らないで。ちゃんと許可を取ってからにしてほしかった」
矢沢さんの時とは比較にならないくらい、たくさん。
「あと、ホットケーキを作らせるために無言で裏庭に材料を置いて帰られた時には本気で殺意が湧いた。腐った卵の匂い、嗅いだことある?」
思えば、彼女とは本当に濃い思い出を共有してきたものだな。
「他にも――」
最早、泣いている事すら忘れ、ただ茫然と口を開けたままでいる山城さんに向けて。今までずっと言っても聞いてもらえなかった恨みつらみを、全部吐き出す。
学校のトイレで出待ちされて、それを見ていた女子生徒達と一触即発になりそうな所を嫌々取りなしてあげたこと。
母親の誕生日を一緒に祝うことを手伝ってと言われ山城宅に向かったら、実は山城さん本人の誕生日で騙されたこと。
うだるような夏のある日に、一緒にザリガニ取りをしようとしようと強引に外に連れ出されて、そのせいで軽い熱中症になってしまったこと。
「……」
そうして、いよいよ別の意味で泣き出しそうになっている彼女を見てこれまでの溜飲を下げることに成功した私は、今度こそまっさらな気持ちで、続く言葉を口にする。
「それでも、ほんの少しだけ……楽しくもあったよ」
「……っ!」
少し褒められたことが分かったら、すぐに調子づく。そんな様子も、今は微笑ましいと思える。あれだけ苦労させられたのに、本当に不思議だ。
「直情的で、我儘で、離れるとすぐに癇癪を起こして――そういう一挙手一投足が、もしもこの世界に妹がいたらきっとこんな感じになったのかなって、想像したり……」
山城さんとは性格も性別も、何もかもが違うはずなのに。なぜか彼女に前世の弟の姿を重ねてしまうことがあった。今思えば……そう考えることで、無自覚的に寂しさを紛らわせている部分もあったのかもしれない。
「今から妹になる」
そうしたら結婚できなくなると思うけど。
「……じゃあならない」
心底悔しそうに、奥歯を噛み締めている。
もうすっかり、いつもの山城さんに戻ったみたいだった。
そんな彼女を見て安心したのも束の間、身体が淡く光り出す。
あぁ、とうとうきてしまったようだ。
「……ッ!」
既に別れた3人と同様、これがタイムリミットだと本能的に感じ取ったのだろう。
覚束ない足取りで、私の方へと近づいてくる。
そんな様子にやっぱり心は痛んでしまって、けれど、彼女はもうあの時のような幼子ではない。私がいなくても、生きていける。
だからせめて、目の前から消えてしまう事への罪滅ぼしとして、最後にその背中を押してあげようと思う。それくらいはいいだろう。
「最後に1つ、誰にも言ってなかった秘密を教えてあげる」
直前までは私自身、全然気が付いていなかった事実。こちらの世界へ戻される話になった時、自称神様からそういえばと切り出されて教えてもらった事。
――曰く
「女性限定で、美醜の見え方が逆転しているらしい」
まあ、なんともマヌケな話だと思う。
思い返せば、確かにそうだと感じ取れる違和感に、私は何度も遭遇していた。
興味はなかったので、全然気にして考えたことはなかったのだけれど。
「だから、一応、伝えておく」
「……」
想定外のカミングアウトをする私を前に、ピシッと固まった状態で驚きを表現する山城さんへ。
「初めて会った時からずっと――」
これが私の、最初で最後の意趣返し。
「山城さんのこと、綺麗だって思ってたよ」
◇◇◇◇◇
淡い光に包まれて、満足そうに消えていく。
言われたことが衝撃的過ぎて、ただ呆然とその場に立っていることしかできなかった。
「……」
これから先もずっと続いていく、私の人生。
きっと、誰に言っても信じてはくれないのだろう。
幼い頃、私の傍にはいつだって――とびっきりかっこいい幼馴染がいたんだってこと。
美醜がおかしい世界のただの日常。
これにて閉幕です。




