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心に秘めたるは――



 私と彼が初めて出会ったのは、家から歩いて15分程の距離にある心療内科の談話室。



 幼い頃から心が弱く、極度の人見知りだった私が実質占有していたその場所に、彼は突然現れた。


 部屋の隅で積み木遊びをしていた私を一瞥するだけで、部屋からは一向に出ていく気配がない。


 この見た目のせいで人から避けられることが当たり前だった私にとって、それはとても新鮮な反応だった。


 私が近くにいても迷惑ではないのだろうか……そう思って様子を窺ってみても、彼は手元に開いた小説に目を落としていて、もう私の方を向いてはくれない。


 結局、その日彼はすぐに病院の先生に呼ばれて出て行ってしまうことになるのだけれど……この時感じた胸の高鳴りを、私は今でも鮮明に覚えている。


 2回目は、それから1週間後の同じ時間。


 いつもと同じように談話室で積み木遊びをしていた私の前に、彼はその日も小説を持って現れた。


 相変わらず私の方を一瞥するだけで、嫌そうな顔をすることもない。

 

 そのまま静かに読書をし始める彼の態度に、なんだか私も一緒にこの空間にいてもいいんだよって言われたような気持になって……それがとっても嬉しくて。


 嫌われることが怖かったけど、ほんの少しだけ彼の方へと近づいてみることにした。


 彼にはすぐにばれてしまったけれど……それでも、不思議そうな表情で私のことを見るだけで、そのまま読書に戻ってしまった。


 あぁ、この時は嬉しかったのと同時に、なんだかもやもやとした気持ちにもなったんだっけ。


 それに味を占めた、わけではないのだけれど


 それからは……3回目、4回目と、彼と会う度に少しづつ距離を近づけていって


 ――ある時


『それ、おもしろい?』


 思い切って、そう聞いた。


 顔から火が出そうなくらいに赤面している私の問いかけに、彼はそれでも優しく応えてくれて。


 難しそうな顔で活字を眺める私の為に、彼があらすじを朗読してくれるようになったのはその時からだった。


 会うたびにお話をねだる私に少しだけ困った表情を浮かべながらも、いつだって色んな話を聞かせてくれた。


 雨の日も、風の日も、雪が降っても。


 そうして、私は。


 気が付けば、そんな彼の事が大好きになっていて


 そうだと自覚してからは‥‥会えない時間が、寂しくて


 幼い頃からずっと、1人でいることが当たり前だったはずなのに


 こんな気持ちは、初めてで


 彼の事を思えば思うほど


 会えない時間が増えれば、増えるほど


 胸が締め付けられるようなどうしようもない感情が、募るばかりで……


 


 ――だから




『桜花中学校、私も行くから』




 貴方に弱いところを見せたくなくて


 つい強気にそう言ってしまった私の事を、どうか嫌いにならないで


 貴方に拒絶されてしまったら、私はきっと


 その時は、きっと




 ――壊れてしまうと思うから






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 暖房の効いた図書室から窓の外を眺めると、肌を刺すような風が吹き荒ぶ寒空が見える。


 灰色の雲で覆われた世界にはどんよりとした空気が漂い、ただその景色を眺めているだけでも不思議と虚脱感を感じてしまう。

 

 国内全体で風邪が流行っているということもあって、放課後の図書室はまるで誰もいないかのような静寂に包まれている。


 こんな天気の日はすぐに家に帰って休みたいと思うのが大半の生徒の総意だと思うのだけれど、生憎と今日に限って会社に行く必要のあった母の仕事が未だに終わらず、私、北条 望はここで暇をつぶしていた。


 手元に開いている本の題名は『レオの旅(5)』


 察しのいい人なら5という数字で勘づいたかもしれないが……そう、私待望のこの小説。3年の時を経て、ようやく続編が出版されたのである。


 完全に未完のままで終わると思われたこのシリーズの続編に、私含む一部の界隈は大いに盛り上がった。それはもう本当に嬉しくて嬉しくて、私なんて今読んでいるので既に6周目だ。


 あとがきには既に作者から次の6巻に関しての情報も示唆されており、また同じように期間が空いてしまう心配もない。


 あぁ、今からその日が待ち遠しい。


 他にも気に入った物語はたくさんあるとはいえ、この本の完成度は別格だ。作者が元気ということも分かった今、これからも変わらず愛読出来ることが本当に嬉しい。




 ――パタリ


 本を閉じ、6度目の読後感に浸る為に静かに目を閉じる。


 そうして思い出すのは、今から遡る事4ヵ月前の事。


 ――貴方ならいつでも大歓迎だって! やっぱり幸ちゃんも女の子なのね!


 あの日、森の中で出会った凪さんは私との約束をきちんと果たしてくれた。5日間という短い期間とはいえ、共に『特別な料理店(おでん屋)』を経営した悪友とでも言うべき天然酩酊女。


 彼女の家の敷地で別れてから数日後、いつの間にか登録されていた連絡先から上記の文面と共に添付された一つの住所。


 誰の、なんて聞き返すことはしない。それは間違いなく『レオの旅』の著者の――


「あ、あのぉ」


 と、そんな私の思考を遮って……すぐ傍から聞こえてきた弱々しい声に、閉じていた目を開ける。


 振り返った先にいたのは前髪の長い幽霊のような女子生徒。


 少し触れたら折れてしまいそうな程に細い手足に、暖かいはずの室内でなぜか小刻みに震えている身体。手には淡い色の文庫本を持っており、大事そうに胸に抱えている。


 覚えている人は少ないと思うので一応説明しておくと、彼女は初対面の時に気色の悪い笑顔でライトノベルを読んでいた「そ、そそそれは言わないで下さいぃ!」――光藤(みつふじ) (ひとみ)。ここ桜花中学校の2年生で、私の先輩になる。


「はぁ、はぁ」


 少し大声を出した程度で激しく息切れを起こす彼女との接点は少し特殊で――というか先程の話に戻ることになるのだけれど……


「そ、それ……お、()()()()()()。また読んでたんですね」


「……」


 そう。


 驚くべきことに、私のお気に入りの作家――光藤 (こう)さんの一人娘が、まさかの彼女その人だったのである。


 住所を知って、意気揚々と自宅へ向かった先で出迎えてくれた彼女を見た時はお互いに固まってしまった。まさか図書室で出会った変態が私の好きな作家の娘だとは思いたくなかったし、彼女も自身の黒歴史を想起させる私とは会いたくなかっただろう。


 ちなみに本来私を出迎えるはずだった幸さんはこの時仕事関係の電話に対応しており、であるから私も思わず踵を返して帰ろうとしたのだけれど……


「お母さんが、6巻も楽しみにしててって……い、言ってました」


 今もおどおどとした様子で話しかけてくるこの少女。一体どんな気持ちでそうしたのかは分からないが、背を向ける私の服を掴んで引っ張ってきたのだ。


 女性としてはかなり非力な部類に入る光藤さん。恐らく振り切って逃げることは可能だったはずだ。……のだけれど、今にも泣き出しそうな顔に折れてしまって。


 そこからの出来事は割愛させてもらうが。あの日、気弱な彼女のイメージが少しだけ変わったことは確かだ。


「あ、あと……また、いつでも家に来てって」


 この子。変な所で頑固というか、物怖じしないというか。


「あ、あとこれ……面白かったです」


 私が無視し続けても一方的に話し続ける根性は、今現在近隣の高校に通っているあの3人を彷彿とさせる。加えて光藤さんの場合、私が彼女の親のファンということもあって、こうして無下にし続けるのも心苦しいものがあって。


 彼女が私に見せてきた小説も適当に本棚から抜いて手渡しただけのものなのに、律儀に読破したらしい。こんなやり取りももう50回以上繰り返している。


「……」


 私が好きなのは彼女の親の書く本であって、彼女ではない。


 いい加減に拒絶の意志を強く示すべきだろうかと思案して、その時


「よ、よければ次の本も「あ、いた。のぞみくん!」」


 ――選んで、と、続けようとする彼女の言葉が遮られる。


 声を発したのは私ではない、聞こえてきたのは図書室の入り口近く。


「篠田さん」


 思わずそう呟いてしまった私の声が聞こえたのか、嬉しそうな顔でこちらへと駆け寄ってくる少女。すぐ近くにいる光藤さんのことが見えていないのか、物凄い顔で睨まれているけど……


「のぞみくんっ! 今名前で呼んでくれたの?! 絶対呼んでくれたよね?!!」


「……」


 彼女が犬なら間違いなく尻尾がブンブン振られているのだろうなと、そう思うくらいには興奮した様子の篠田さん。また厄介なのが増えたなと辟易しつつ、やって来た彼女の後方。入口の方で佇む人物を見て、さらに辟易する。


「……すごい邪魔。すごい気持ち悪い」


 反吐が出る……を体現したような表情で篠田さんを見つめるのは、私の天敵、山城さん。


 折角綺麗な顔をしているのに、そのプラス要素を全て台無しにする彼女の残念な性格には何度泣かされてきたのか分からない。少し態度を軟化させればすぐにでも学校の人気者になれそうなのに、世界は残酷だ。


 ――と、そんな事を考えている間に2人の争いの火蓋が切られ


「また貴方ですか」


「うるさい、ストーカー女」


「ストーカーは貴方の方です! いつもいつも、本っ当に最低!」


「だからうるさい。消えて」


「そっちが消えればいいじゃないですか!」


 毎度のことながら、顔を合わせる度に喧嘩を始める彼女達。


 聞くに堪えない暴言の応酬を繰り返しながら、それでも両者一歩も譲る気配はない。


「……」


 そんな2人の様子を眺めながら‥‥あ、やっと母から連絡が来た。それなら話は早い。早速帰り支度を始める。


「……え、いいんですか?」


 隣で完全に空気と化していた光藤さんが驚いた声を上げる。そうか、彼女は2人の喧嘩を見るのは初めてだったか。あれはいつもの事だから、気にしなくても大丈夫だと頷く。


「そ、そうなんですか……」


 納得のいかない顔をしながらも、なぜか一緒に帰り支度を始める光藤さん。なぜなのか。


「昇降口まで一緒に、と、思って……」


「……」


 なぜ普段の気弱な性格がここでは発揮されないのかと、そんな事を考えるのすらもう面倒だ。期待のこもった視線を向けてくる彼女の事は気にせず、さっさと図書室を後にする。彼女も自身が邪険にされていることを気にする素振りもなく、私の半歩後ろを付いてくる。



 ――そうして、図書室からある程度離れた廊下付近。


「……」


 最短ルートで昇降口へと向かっていた私は、視界の先にある人物を発見し、瞬時に身を隠した。


「え、え……」


 後ろを付いてきていた光藤さんの手を一応引っ張って、同じように隠れさせる。


「おぴゃぁ」


 変な声が聞こえた気がしたが、気にせず注意を前方へ向ける。



「……?」



 薄暗い廊下の中で件の人物は視線をキョロキョロと彷徨わせているが、()()が誰を探しているのかは想像したくもない。


 早く何処かへ行ってくれと、そのまま静かに身を潜ませる。


 ――そうして


 ようやくその場から居なくなったのを見届けて、私も小さく安堵の吐息を漏らす。


 どうやら、何とか気付かれずに済んだらしい。


 まさかこんなタイミングで新たな面倒事に遭遇するわけにもいかない。咄嗟に隠れることが出来て本当に良かった。


「……?」


 ――と、そういえば先程からやけに手が温かいような


「あ」


「―――」


 光藤さんの手を引っ張ったまま、繋ぎっぱなしだったらしい。大人しいとは思っていたが、まさか気絶しているとは思わなかった。……どれだけ男に免疫がないんだ。


「……」


 まあ、いいか。死んではいないのだから、このまま放置しておこう。


 起こすとまた面倒臭いだろうし。


「帰ろ」




 あぁ、疲れた。


 




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 そろそろ本格的に胃薬を常備すべきだろうかと思案する10月の終わり。



 やたらと騒がしい声で溢れかえる教室の端っこの席で1人、私は本格的に家に引きこもるべきかどうかを検討していた。


「はいはい、みんな落ち着いて。()()()()()()()が近づいて浮かれる気持ちも分かるけど、どうせ悲しい結果に終わるだけなんだから!」


 そう注意する先生に対しクラスの女子生徒からは罵詈雑言の非難が飛び交うが、当の先生は気にせず授業をし始める。


 私含む男子生徒はそんな様子を冷ややかに見つめ、ある者は嘆息し、またある者はその日は欠席にしようと目論む。


 "ヴァレンタイン"


 前世日本でも聞き馴染のあるそれは、しかし()()()()()()()()()()


 そもそもバレンタインとは2月14日。その起源はキリスト教の司祭である聖ヴァレンティヌスの――と、まあそんなことはどうでもよくて。


 この世界でいう所のヴァレンタイン、毎年11月1日に数多の女性の夢を打ち砕くその最悪な行事の始まりは、今から100年以上も過去に遡る。




 『ヴァレンタイン物語』


 ――その昔、とある小さな雪国にアレンという名の少年がいた。


 貴重な男ということに加えて整った顔立ちであった彼は生まれた頃から多くの異性を虜にし、そんな彼と結ばれたいという女性は後を絶たなかった。


 母親が菓子職人ということもあり、そのお店の看板息子としてすくすくと成長していったアレン。


 成人を迎える頃にはその国のお姫様にまで目をつけられていたアレンは、けれど、その頃には既に心に決めた人がいて……


 毎年11月1日になると、決まってアレンのお店にチョコレートを買いに来る少女。


 貴重な男性(アレン)相手にも色欲の籠った瞳を向けることがなく、アレンの事を1人の菓子職人として尊敬していると言ってくれた彼女のことが、アレンはずっと忘れられずにいた。


 けれど相手の少女は病弱な母親と暮す貧しい家庭の生まれ。


 加えて、男性から女性へ告白するなんてことは当時でも異例中の異例。そんな事をすれば少女に嫉妬した誰かが良からぬ事を考えるかもしれない。


 ――それでも、結婚するなら彼女が良かった。


 悩み抜いた末にアレンが取った行動は、11月1日。少女が買いに来るチョコレートに自身の想いを綴ること。


 言葉で直接伝えるのは恥ずかしい。それでも思いを届けたい。


 限られた文字でしか伝えられない中で、アレンはチョコレートに『好きです』とだけ書いて――そうして


 


 「……はぁ」


 ――そうして、家に帰ってチョコレートを見た少女はアレンの想いに感激し……結局、事の顛末は国中の人にバレてしまうことになるのだが、アレンの奥ゆかしさと少女の清廉さに最後は祝福でもって受け入れられて、この物語は幕を閉じるのである。



 11月1日は少女の誕生日。少女の名前は、ヴァレンタインという。



 この一連のドラマのような出来事は世界中を駆け巡り、この国でも11月1日は男性が好きな異性にチョコレートを渡す日として定着していったのである。




 はい、説明終わり。


 






















 さて、この行事の事を知った時、私は今は亡きアレン君にどうしても伝えたいことがあった。


















 どうしても、面と向かって言ってやりたかった。



















 ――拝啓























 遠い遠い空の彼方にいる、アレン君へ





























 「一生恨む」





次回から聖戦になります。

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