29
天然最強
一夜が明けて、再び深夜。
閑静な住宅街の片隅で、小さな明かりが静かに灯る。
「ふ~ん♪ ふふふ~ん♬」
私の目の前で鼻歌を歌いながら器用に屋台を組み立てていくのは、凪という名前の不思議な女性。森の中で出会った彼女と私のお気に入りの作家が友人関係だというきっかけから、今回の『特別な料理店』計画に協力することになっている。
なんでも、子供の頃からの夢だったらしい。
私以外には誰にも話した事がないらしく、それこそ今も1人だけいるという娘さんや屋敷の使用人さん達にも黙って外出しているのだと。
まあ、本人が楽しそうにしているのならそれでいいと思うのだけれど。
「もうちょっとで完成ね! 楽しみだわ!!」
ちなみに凪さん。料理が出来ない。
自分で料理店をやりたいと言ったくせに……少し目を離した隙に食材の1割を無駄にした彼女はいつか断罪されるべきだと思う。
まあ、昨日は怒っている暇もなく次々と来店するお客さん達に気を取られてしまったのだけれど……あれ、思い返したら私の負担が半端ない事になっているのではないだろうか。
「……」
そういえば、意外な事に昨日は一柳さんと出会った。
聞けば昨日屋台を開いた場所は彼女の住んでいるアパートの近くだったらしい。何という偶然、出来ればもう会いたくはなかったのだけれど。
それでも、節度よく列に並んでいた彼女に対しておでんを振舞えなかったのは些か申し訳なかったな。まさかカウンターに並んでいた女性達にあそこまで食い尽くされるとは思わなかった。
もう食材がないですと小さく呟いた私の前で白く崩れ落ちる一柳さんは見ていられなかった。
一柳さんだけではない、彼女の前に並んでいた女性達もいい歳した大人のくせに号泣していた。本当に、滅茶苦茶泣いていた。ちょっと引いた。
「よし! それじゃあ今日も張り切っていこー!」
「はぁ」
――と、そんな事を思い出している内に、どうやら準備が終わったらしい。
昨日とは違う寒々しい場所で、凪さんの元気な掛け声と共に始まる『特別な料理店』
場所が場所なだけに、見渡せる範囲で人は誰1人としていなさそうではあるのだけれど。
さて、今日は無事に終われるのだろうか。
■▢▢■■
夜の帳はとうに下り、階下から物音ひとつしなくなった静かな時間。
ようやく人心地付けるという安堵と共に、それまで感じていた緊張感から解放され、思わず小さく息を吐く。
窓の外に視線を向けると、そこにあるのは視界一杯に広がる真っ暗な世界。
ベッドや勉強机以外には何もない無機質な部屋の中央で、まるで世界に1人取り残されてしまったかのような錯覚に陥る。
まあ、私のような爪弾き者など、いなくなってしまった方が世界の為だと思うのだけれど。
「……」
そのまま沈んでいきそうになる気持ちを持ち直すために、いつものように手元のスマートフォンから最近やり込んでいるゲームのアプリを開く。
学校に行っていない引きこもりの分際で――なんて、罪悪感を感じることはない。
私がどんな努力をしたところで何の意味もないなんて事は、自分が一番よく分かっているから。
スマホゲームの代わりに勉強をしようが、この部屋から飛び出して学校へ行くことになろうが……私が飛び切りの不細工である以上、結果はどうせ変わらない。
それならいっそ、潔く怠惰に生きて引きこもっていた方が周りの為にもなるだろう。
私を醜い存在だと思って無視するのなら、私がどうあろうと誰にも文句は言わせない。
"頑張れ"なんて空っぽな言葉に期待はしない。"生きてさえいれば"なんて自分に言い聞かせて不自由な環境で生きていたくはない。寂しく死んでいくことは分かりきっているから、これ以上傷つくことが嫌だと駄々をこねることを誰にも否定されたくはない。
「あ、死んだ」
息を殺して、静かに生きて。希望に縋らず、孤独に生きて。
そうして、これからもずっと……生きて、生きて、生きていくんだ。
それが私の人生だから。
――――――――――――
――――――――
――――
「……?」
画面に映るgame overの表記を恨めし気に見つめていた時、視界の隅に眩しさを感じた気がした。
今は真夜中。部屋の明かりも点けずにいるこの空間で、スマホの画面以外に明かりなんてあるはずがないのに……
「なんで……」
いや、やっぱり明るい。窓の向こう側、外が明るい?
そんなはずはないのにと……けれど確かにカーテン越しに見える外の世界には先程まであったような真っ暗闇がなくなっていて。
「幽霊? いや、そんなわけ……」
こんな真夜中に、一体誰が。
私が住んでいるこの辺りは、スーパーどころか近くにコンビニもない利便性の悪い場所だ。当然、公園や図書館など、人が集まりそうな施設があるわけでもない。
ない――のだから、必然、今見える明かりもそこにあるのは絶対におかしいはずで。
「……」
意味不明。理解不能。頭に浮かぶ疑問だけが増えて――いや、でも、今はそんなことより。
「私の時間」
そんなことよりも、折角の私の自由時間。邪魔されたって気持ちが芽生えて。
「だったのに……」
誰にも迷惑をかけないよう、私は配慮してこんな時間に過ごしているというのに。
そんな私の自由まで、誰かの身勝手で奪われるというのか。
「……う゛ぅ゛ぅ」
ふつふつと怒りが湧き上がってくる。これが理不尽な感情だと分かっていても、それでも物凄くムカムカするのは止められない。
あれ、私ってこんなに感情的な人間だったっけ?
さっきのモノローグ、ダウナーなク―ル系女子の感じを上手く出せていたと思ったんだけど。
今朝から何も食べていないせいで、思考が上手く働いていないのかもしれない。
それでも、こんな真夜中に、それもこんな人気のない住宅街近くで明かりを灯すのは非常識極まりない行為であることに変わりはないわけで。
「文句、言ってやる」
既に及び腰になりながらも、手には護身用の定規を持って、主犯格である人物相手に一言言ってやることにした。
「……ふぅ、ふぅ」
こんなことで引きこもりの娘が部屋を出る決意をするなんて、お母さんが知ったらきっと情けなくて号泣するに違いない。
「よし、やってやる」
扉を開けて、階段を下りて……相手と遭遇したら真っ先に怒鳴ってやろうと鼻息荒く拳を握る。
それでも相手が怖そうな見た目だったらどうしようとか、拳銃とか持ってたら死んじゃうかもしれないとか、途中中学生特有の妄想力を遺憾なく発揮して……亀もかくやという程にものすごーく時間をかけて玄関まで辿り着いて――
「………ふぅ……はぁ、はぁ」
あぁ、緊張で心臓がバクバクする。まるで私が私じゃないみたいだ。
本当に、なんで今日に限ってこんなに衝動的になってしまっているのだろう。
普段なら面倒事には絶対に関わりたくないと……存在を知られないよう、息を殺しているはずなのに。
「分かんない、けど……」
それでも、この時扉を開けたのは、きっと――
▢▢▢◇◇
「あ、ああああああああのっ!!!!」
屋台を開いてから半刻程が過ぎた頃。
昨夜とは違い、一向に人の来る気配のない状況。夜空に広がる満天の星々をぼんやりと眺めていた時の事だった。
突如として聞こえてきた声。
ようやく1人目のお客さんが来たのかと、視線を戻した先にいたのは――
「めめめ、迷惑、ですっ! 明るいのっ、や、やや、やめっ!!!」
「……」
あぁ、また変なのがやって来たなぁ……と、思わず嘆息してしまう程に奇怪な姿の女の子。
人を見た目で判断するのは良くないことと思いつつ、それでも最近会った図書館の奇人を彷彿とさせるような長髪に、老婆のような猫背、そしてよれよれのパジャマ姿に、手に持っているのはなぜか定規。
これはもう、見た目でヤバい人だと判断してしまうのも仕方がないことだと思う。
「き、聞いてるんですかっ?! あ、あああ、でも暴力は駄目ですっ!!」
定規を突きつけ強気な発言を続けるも、しかし視線は一向に下を向いたまま。足はがくがくと震えていて、よく見れば頬の横を透明な汗が伝っている。
明らかに正常な様子ではない女の子。しかし明かりが迷惑だという主張は至極真面な事なので、私も返す言葉に困ってしまう。
「……」
さて、どうしようか。
押し黙ったままの私に対して、言いたいことを言い終えた目の前の女の子も荒く息を吐き続けるだけになっている。早々に酔いつぶれてカウンターの端に突っ伏している凪さんは頼りにならない。この人ほんと捨てて帰ろうかな。
「あ、あの?」
流石に時間をかけ過ぎたのか、一向に反応を返さない事を不審に思った女の子の方から声がかけられる。
あぁ、考えるのが面倒になってきた。これはもう店仕舞いにした方がよさそうか「ぐぎゅるるるるるるるるr」……なぁ、と。
――起死回生の一手を思いつく音が鳴ったのは、そんな時の事だった。
「あ、あああっ……」
先程までの態度は何だったのか、突如として全然可愛らしくもない地鳴りのような音を響かせた張本人はお腹を押さえてうずくまっている。
「うぁ、あああああぁぁぁ……」
あぁ、これは誰だって恥ずかしい。聞こえなかった振りをするのが大人の対応なのだろうけど、流石に音が響き過ぎた。あまりにも豪快な音に少しだけ笑いそうになってしまったが、彼女の名誉の為にそれは耐えた。
今はそれよりも
「おでん、あります」
「えっ」
このチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。今の私はおでん屋の店主(仮)。どうせ凪さんのポケットマネーで買ったおでんなのだ。無料で提供して怒りを抑えてもらうとしよう。
そう思い、早速勝手に具材を選んでいく。
定番の大根に餅巾着、糸こんにゃくにはんぺん、ウインナーに……気付けば山のように積み上がってしまったが、空腹ならきっと食べきれるだろう。
「はい、どうぞ」
「……」
あれ、反応がない。
「……?」
「……」
「……」
「……」
顔はこちらに固定されたまま。いつの間にかピクリとも動かなくなってしまった女の子。
長い前髪のせいで表情は良く分からないけれど、これはもしかして放心状態というやつだろうか。死んでいないのなら取り敢えず大丈夫だとは思うけど、折角出した熱々のおでんが冷めてしまう。
「……」
そういえばこの場面、なんだかデジャブを感じてしまうな。
あぁ、多分図書館で出会った少女ととても似た反応だからだろうか。あの子も私を見てこんな風に固まってしまって――
「……あ」
そうか。
そういえばそうだった。最近よく一緒にいる凪さんが平気そうにしているから失念していた。
男女比1:4のこの世界。こんなド深夜におでん屋を開いている男子中学生なんてものに遭遇したら驚くに決まっているか。
「はぁ」
思い返せば……何やってるんだろう、本当。
一応、それからの事を追記しておく。
あの後、ようやく放心状態から戻って来た女の子は、名前を永見 志穂というらしい。
驚いたことに私と同じ公立桜花中学校在籍で、しかも2年生の先輩だった。
一回痴態を晒したことで逆に吹っ切れたのか、一度口を開いた彼女の話は店仕舞いまで止まることが無く……自身が引きこもり状態であるとの話をし始めた時はどう反応すればいいのか分からなかったのだけれど。
まあ、私の方もまた怒られるのは嫌だと愛想よく相槌を打っていたせいもあるのかもしれない。ただ、自分も桜花中学校に通っているという情報は言うべきじゃなかったと今でも反省している。それからの彼女は明らかに鼻息荒く、興奮している感じだった。とても気持ち悪かった。
あぁ、結局最後まで呑気に寝ていた凪さんには昨夜と同様に熱々のおしぼりを投擲しておいた。本人はひどいひどいと文句を言っていたが、2投目を準備すると流石に大人しくなった。
酔いを覚ました凪さんがお店を畳んでいる最中、なぜかまだいた永見さんから今後もここでお店をやるのかと聞かれたが、取り敢えず曖昧な返事を返しておいた。屋台を開く場所は毎回凪さんの気分によって決めていたし、なによりもう屋台を続けることが億劫になっていたから。
そうして、ようやく帰り支度を終える頃には私も眠気が限界に近づいていて。
いつものように鼻歌を歌う凪さんの横で、静かに欠伸をこぼしてしまって。
背後に感じる永見さんの視線に気づかない振りをして、ようやく2回目の営業が終わったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それからの日々は、面倒臭いのでダイジェストで語っていこうと思う。
流石に疲れが溜まってきたので次週に再開されることになった『特別な料理店』(もう素直におでん屋でいいと思うのだけれど、凪さんが呼び方にこだわるので仕方なくこのままにしている)
3回目の営業場所はこれまた閑散とした場所。近くに少しだけ大きな何かの施設があるだけで、他には何もない殺風景な風景が広がっている。
こんな所に人なんて来るのかと思っていた私の前には、しかしなぜかわらわらと小さいのが集まって来て。
よく見たらその施設、ひまわり園とは違う児童養護施設だった。
真夜中にも関わらず物珍しそうに屋台と私を眺める小さいのには無料でおでんを振舞ってあげた。
カウンターに並んでリスのようにおでんを頬張る姿は微笑ましいもので、座れなかった子達は近くで立ちながら食べていてたくましいなと思った。
凪さんは近くで缶ビール片手に酔っぱらっていたので、取り敢えずおしぼりを投擲しておいた。真似した幼女達に次々とおしぼりを投げられる姿はとても面白かった。
4回目、場所はどこだか分からない高校の校門付近。
どこだか分からないと言ったのは、表札や壁にたくさん落書きがあったから。前世のヤンキー映画でこういうのを見たことがある。
気付いた時点でここは流石に危ないと凪さんに伝えたのだが、例によって彼女は既に酔っぱらっていた。これではもうどうしようもないと思い、取り敢えずおしぼりを投げておいた。
ただ、彼女1人を置いて逃げることは流石に出来ず、屋台も開いてしまっている以上、私も途中からはなるようになるだろうと諦めにも近い感情で営業を続けることを決めて……
そうして、いつの間にか近くでこちらを眺めていた女子高生と出会った。
女子高生と断定したのは単純に彼女が着ていたのが制服だったから。この学校の生徒だろうか? 身だしなみはきっちりとしているくせに、その目はやけに鋭く細められている。
これは流石に殺られるかと緊張で動けずにいる私と、同じくなぜか動かない彼女。
お互いに見つめ合ったまま数十分……先に動いたのは彼女の方だった。
じりじりとこちらに近づいて来たかと思うと、大人しくカウンターに着席。
拍子抜けした私が物は試しと適当におでんを提供してみると、あっという間にたいらげてしまった。
それからも空いた皿に次々と具材を投入し、投入しては食べられて。
全ての具材がなくなった頃には「絶対また来る」とだけ言って立ち去っていった女子高生。完全に無銭飲食だった。
まあ、そういう私もこの場所ではもう営業しないと伝えることはせず適当に頷いておいた。だって面倒臭かったから。
そうして迎えた5回目。凪さんに頼み込んで今日が最終日ということにしてもらった。
精神的に限界だったし、この頃にはもう当初の約束とかどうでもいいと思えるくらいには疲弊していた。
そんなこんなで辿り着いたのは凪さんの屋敷の敷地内。
「夢が叶ってとっても満足よ! だから最後は1人で堪能したいって思ったの!」
――らしい。
辺りは綺麗に整地されていて、懸念していた虫の類も近くには全然いない。
今日の為にと凪さんがとっても頑張ったと言っていたのだが、ひょっとして彼女はかなりのお金持ちなのではないだろうか。
まあ、どうせ今日で最後になるのだ。
気にせずいつものようにおでんを用意する。
凪さんも楽しそうに鼻歌を歌うだけで、特に会話らしい会話はない。
結局、そのまま何事もなく営業は終了した。
帰り際、約束通り作家さんには伝えておくとだけ言って屋敷の方へ消えていった彼女。
「……」
あまりにもあっさりとした別れに少しの間呆然として、私もそのまま背を向けた。
彼女と過ごした短い期間、なんだか不思議な気分だった。
こういう人もいるのかと、勉強になった。
彼女は最初から最後まで、本当に理解不能な人物だった。
「たっだいま!」
家の扉を豪快に開けて、私の帰宅をみんなに伝える。
さっそく奥から怒った表情でこっちに来るのは娘の京ちゃん。そのすぐ後ろには使用人の3人の姿が見える。
どうやら最近私が夜中に家を空けることが多くて、みんなで問い詰めようと起きていたらしい。
あら、私ってとっても愛されてるのね!
違うって京ちゃんは言うけれど、それが照れ隠しだってことは勿論私も分かっているわ。
それでも、私が今日どこで誰と会っていたのかを言うつもりはないんだけどね。
だって、その方が素敵な思い出になると思わない?
私の無茶なお願いにも、最後まで付き合ってくれた可愛い男の子。
これ以上一緒にいたら、本当に惚れちゃう所だったわ。
でもでも、私にはもう京ちゃんがいるし、大人な女性として節度は守らないといけないもんね。
「あぁ、なんだかとってもいい気分」
今はただ、この胸に残る余韻を楽しんでいましょう。
「みぃ、どうしたの?」
「分かんない」




