23
睡眠時間。ミーン眠眠眠……眠眠打破!!!
私の友達、三浦 愛由は昔からちょっと変わった子供だった。
『絶対おかしいよ!!!』
家に籠って勉強ばかりしている姿をおばさんに心配されて私が近くの河川敷まで連れ出した時のことだった。始めは退屈そうに小川を眺めていた愛由だったけど、突然立ち上がったかと思えばそんなことを叫び出したのだ。
『なんでこの町には男の子が1人もいないのっ?!!』
『あ、お魚見っけ!』
『聞けよ!!!』
だって、そんなことはみんな知ってる。ずっと前から分かっていたことだった。
私達が住んでいる町には男の子が1人もいない。
何でかは分からないし、周りの大人達も全然気にしてない様子だったから私も特別おかしなことだとは思わなかったけど。
それに、不思議に思ってそのことを聞いたときのお母さんが物凄く悲しそうな顔をしていた。他の友達に聞いてもみんな同じような反応をされたと言っていて……だから、私もみんなも男の子のことは聞いたらいけないことなんだって思っていた。
愛由以外は。
『駄目なわけないじゃん。きっと何か秘密があるんだよ』
『ひみつ?』
『そ、例えばそうね。今はどこの国も男の人が少ないって言うんだし……この町のどこかに男の子を集めて大人達が独占してるとか!!!』
『どくせんってなに?』
頭の良い愛由は昔から難しい言葉を使う。
愛由の言っていることはよく分からなかったけど、きっと凄いことを言ってるんだと思って取り敢えず手をぱちぱちと叩いておいた。それよりも、私は川に見えた大きな魚の方が気になっていた。
◇◆◆
『私、この町を出ていくから』
それからあっという間に高校生になった私達。気が付けばそれぞれの将来を決める大切な時期になっていた。
帰り道、返ってきたテストの点数が悪くて落ち込んでいた私の隣でそう呟く愛由の表情はいつになく真剣で、だから私もからかっちゃいけない空気だと察した。
『日向子、アンタは男の子と会ってみたいとか思わない?』
『え、どうだろー……よく分かんない?』
『ま、アンタはそうよね』
この町に男の子がいないとはいっても、テレビや漫画で見る機会はあった。
画面に映る男の人は確かに私みたいに胸が大きくないし、それに声もなんだか低い感じで……急にそんな人と会いたいかと言われても、やっぱりよく分からない。
ただ、教室にいるクラスメイト達はよく裸の男の人が描かれてる漫画を見せ合って騒いだりしていて、そんなことよりも給食に出てくる揚げパンにワクワクしていた私は周りとは少しズレてるのかなーとは思っていた。
『昨日、お母さんと喧嘩したんだ』
『いつものことじゃん』
『違うってば、今回のは本気の喧嘩! 女のプライドをかけた戦いだよ!』
『ふーん』
最近、隣から聞こえてくる愛由とおばさんの言い争いの頻度が多いなとは感じていた。
『私が出て行くって言ったら、あの人なんて言ったと思う? "この町で就職して子供作るのが一番幸せ"だって、私もう呆れて声も出なかったよ』
『……』
そうなのかな? 私も同じことをお母さんに言われたことがあるけど、特におかしなこととは思わなかった。
やっぱり愛由は変な子だ。
『女として生まれたんだから、男の人と結婚して家庭をつくるのが一番幸せに決まってんじゃん! 私はこの町で暮らす女の人みたいに一生男の人と出会わない人生なんてまっぴらごめんだね!』
『えー、一緒に漁師になろうよ!』
『絶対イヤ』
離れ離れになっちゃうのは寂しいからダメもとで誘ってみたけど、愛由はこうと決めたら考えを曲げない性格だと知っている。
きっと周りの人にどれだけ反対されても行くのだろうなと思ったので、私もそれ以上は何も言わなかった。
愛由はきっと、この町を出ていく。
『『……』』
私達にしては珍しい、その日は静かな帰り道だった。
◆◆◆
――それから数ヶ月後。
『じゃあ、もう行くね』
『うん、いってらっしゃい! 元気でね!』
寂れた駅のホームまで愛由を見送りに来たのは、私1人だけだった。
◇◇◇◇◇
お互いに離れ離れにはなったけど、私達の交流は変わらず続いていた。
『いやー、私が仕事出来過ぎるせいでもう毎日が忙しくて仕方ないわぁ……後輩の男の子も分からないことがあると直ぐに私を頼ってきちゃうし、まあそこが可愛いんだけどね!』
『最近は朝6時に起きて近くにある公園を散歩してるの。新鮮な空気を身体に取り込むのって本当に気持ちがいいものよ。でも、唯一の難点は私目当てのおじさまで公園がいっぱいになっちゃうことかなぁ』
『偶然見つけたおしゃれなカフェにとっても綺麗な男の子が1人でいてね! 目が合うなり顔を赤らめてもじもじしてたの! 可愛かったなぁ……』
都会で働き始めた愛由は元気に暮らしているようだった。
この町では絶対に会えない男の子達との話をたくさん聞かせてくれて……そんな愛由の話を聞く度に、まるで私も都会にいるみたいに思えてとても楽しかった。
楽しかったんだけど、その頃から同時に、心がモヤモヤしてしまうような違和感を感じることも増えていった。
華々しい生活を送っている愛由に対して、私は漁師になってから外がまだ暗い時間に起きてお魚を捕る毎日。
周りの人は優しくて、仕事は充実していたからなんの不満もなかったんだけど。
『日向子ももう大人になったんだし、そろそろ子どものことを考えてみてもいいかもね』
晩ご飯の時間、大好きな唐揚げを食べている私に向かってお母さんからそう言われた時、私はなぜか心が針で刺されたような痛みに襲われた。
――分からない、なんでだろう。
大人になって、仕事をして、子供をつくって……そうして、幸せに暮らして。
そんな漠然と考えていた未来を、私は日に日に受け入れられなくなってしまった。
人と会う時は精一杯楽しそうに振舞っていても、家に帰って部屋に戻ると全然笑えなくなっている自分に気が付いた。
『今日はあのカフェで会った男の子からラブレター貰っちゃった! まあ私が魅力的過ぎるのが悪いんだけどね! 流石に年も離れてるし優しく断ったんだけど――』
思い出すのは電話越しに聞こえてくる愛由の楽しそうな声。
あの愛由があんなに楽しそうにしているのは、男の子と出会ったから……じゃあ、私も男の子と出会えたらこの胸のモヤモヤもなくなるのだろうか。
「……」
目を閉じ、想像してみる。
思い描くのは綺麗な服に身を包んだ私と、その隣を歩く優しい顔の男の子。
2人の間には楽し気な様子で鼻歌を唄う小さな女の子もいて。
親子3人、綺麗な桜並木を歩いて行く。
「うへへぇ」
なんだか心がポカポカしてきた。
「幸せだなぁ」
――あぁ、そうか。やっと気付いた。
愛由やみんながあんなに男の子に興味津々だったのは、このポカポカが欲しかったからなんだ。
隣を歩いて欲しいと思える男の子に出会うことを夢見て……だから愛由は遠くへ行ってしまった。
「まだ間に合うかなぁ……」
そういえば、愛由が出て行ってからおばさんがとても悲しそうにしていた。
何度か愛由の様子を聞いてくることもあったし、それを理由にして愛由の所へ行ってみるのもいいかもしれない。
「よし、決めた!」
そうと決まれば、まずは予習をしなくては。
使い道がなくて溜まっていたお金もある。まずはクラスメイト達が読んでいた漫画で予習をして、素敵な男の子と付き合う為のテクニックを調べるとしよう。
「でも、今日はもう寝なくちゃね」
時計の針は既に11時を指している。
明日から忙しくなるぞと気合を入れて、ゆっくりと瞼を閉じる。
時間は短かったけれど、その日はとてもよく眠れた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、早速男の子を探しに行こう!」
えいえいおー! と元気よく腕を掲げる日向子の姿に私は早くも今朝食べたコンビニの菓子パンを戻しそうになってしまう。
「マズいマズいマズい」
頭が空っぽだと思っていた友人が男女の色恋というものに目覚めてしまった。
他でもない私のせいで……
閉鎖的な町から出てきた解放感もあるのだろう、今すぐにでも走り出しそうな日向子の腰を抱きしめて何とか暴走を抑えようと試みるがフィジカルエリートの肉体相手では5秒しか持たなかった。
「まずはあのでっかい建物に突撃だー!!!」
そのまま私ごと引きずって行こうとする彼女を一体誰が止められるというのか……過去の自分を恨む暇すら与えられず、私の絶望的な土曜日が始まった。
―ショッピングモール―
「あ、いた! いたよ愛由! あそこっ!!!」
「おぇぇ……」
興奮気味に身体を震わす日向子が指し示す先には50代くらいの小太りな男性がフードコートの一席で静かにうどんを食べている姿が見えた。
近くに家族でもいるのだろうか、対面の席には大きなバッグや子供が好きそうな猫のイラストが描かれた小さなリュックが置かれている。
間違いなく既婚者。手を出すのはタブーだというのに。
「ちょっと声をかけてくるね! 愛由はそこで待ってて!」
「ちょっ、嘘でしょ?!」
止める間もなく駆け出した日向子は一直線に男性の元へ向かって行く。
「あぁ、もう知らん」
私はその後の展開が容易に想像できたため、努めて冷静にその場を後にすることを決めた。
せめて日向子の骨くらいは持ち帰ってあげよう。
……背後では男性の断末魔のような悲鳴が聞こえた気がした。
―ファミリーレストラン―
「なんで逃げられちゃったんだろう」
「アンタが馬鹿だからよ」
あの後、男性の叫び声を聞いた家族に警察を呼ばれてしまいその場を逃亡することになった日向子。
そこで素直に捕まってくれれば良かったのに、この子は持ち前の運動神経を生かして見事に逃げおおせてみせた。ほんとに意味が分からない。
「確かにちょっと強引だったかも……次はもっと慎重にいってみるよ!」
「なんてポジティブなんだろう」
既婚者とはいえ、男性に拒絶された直後にこの態度。こういう失敗を引きずらないところはこの子の長所と言えるのかもしれない。
「む、むむ」
「――って、どこ見てるのよ?」
「っし! あそこ見て」
突然静かになった日向子を不思議に思って、言われるがまま後ろの方を振り向く。
「あぁ、なるほど」
恐らく親子で昼食を食べに来ていたのだろう。
40代くらいと思われる女性と、その女性によく似ている20代くらいの無精ひげを生やしたぼさぼさ頭の青年が4人掛けのテーブル席に座っていた。
そして、そんな彼らを取り囲んでいるのはこの辺りでよく見かける制服を着ている可愛らしい女の子達。
人数は5人程か、それぞれが私達なんかとは比べ物にならないくらいの容姿を兼ね備えていて、そんな彼女達は小鹿のようにぷるぷると震えている男性をなんとかものにしようと躍起になっているようだった。
ただ、昔とは違い現代は男性に対する保護も厳しくなっている。彼女達もそれは分かっているのか、あくまで紳士的にナンパしている(……紳士的なナンパってなんだろう)。
「あ、これはもしかして!」
「日向子?」
あれはそのうち拳を握りしめている母親に粛清されるか、そうでなくても近くの席で携帯を耳に当てている他のお客さんに通報されるんだろうなー……なんて静観していた私の前で、日向子が突然立ち上がった。
「これ、漫画で見たことあるやつだ! 絶対にそうだ!! これは運命だよ!!!」
「ちょっと、何を言って……」
「こうしちゃいられない! じゃあ、私は行ってくるね! 愛由はそこで待ってて!!」
「いや待て待て待て!!!!」
先程と同様に私の制止を振り切って駆け出していく日向子。
直ぐに青年の席へとたどりついた彼女は突然の闖入者に呆然としている女子高生達の前でこう言い放った。
「私の男に手を出すな!」
「「「「「「「「「………」」」」」」」」」」」
――時が止まる、という表現はこういった時に使うのだろう。
まさしく誰もが動けなくなった店内で、私は1人帰り支度を始める。
お皿に残ったカルボナーラがもったいないが、私の命には替えられない。
テーブルの上に私の分の代金だけ置いて、直ぐにその場を後にした。
扉を閉めた瞬間に店内からおびただしい数の悲鳴が聞こえてきたが、私の耳が疲れているだけだと思いたい。
◇◇◇▢▢
「……」
「ほら、これ飲んで元気出して」
時刻は15時を過ぎる頃、公園のベンチに座って黄昏れたまま動かない友人に冷たい缶コーヒーを手渡す。
「……苦い」
「ブラックだからね」
今日一日私を振り回してくれたお礼だ。少しくらい意地悪をしても許されるだろう。
「ねぇ、愛由」
「ん?」
「私達って、不細工なんだね」
「……」
その場を直ぐに退散した私には分からなかったが、あの後日向子は女子高生を始めとする店内の人達に容姿に関して暴言を吐かれ続けたらしい。
普段は私達なんて眼中にない彼女達も、流石に目の前であんなことを言われてしまったせいで頭に血が上ったのだろう。
まあ、日向子にとってはそんな有象無象の暴言よりも、助けた(?)はずの青年から言われた言葉の方が一番応えたようだけど。
「気持ち悪いって、泣きながら言われちゃったよ……」
「……」
「誰がお前みたいなブスなんかとって、食べてたものまで吐いちゃってさ」
「……」
流石の日向子も、それだけのことを言われて立ち直る気力はなかったらしい。
私だったら死んでるな。
残った缶コーヒーを勢いよく飲み干した日向子は、それでもその場から立ち上がろうとしない。
しょうがないので私も隣の席に腰を下ろした。
「「……」」
そのまま、お互いに無言でいる時間が続く。
こういう時、いつもなら永遠と喋り続けるはずの日向子が静かだからか、なんだか少し落ち着かない。
「むぅ」
友人として何か言葉をかけてあげるべきだろうが、一体なんて言ったら……
そうして私が必死に頭を悩ませている隣で、やがてポツリと呟いたのは日向子の方だった。
「愛由が言ってたことってさ、全部嘘だったんでしょ」
「……え、いや」
「流石の私も気付いたよ……あんなに可愛い子がたくさんいるのに、私達みたいなのがモテるわけないじゃんって」
「……」
「別に怒ってるわけじゃないんだよ。なんていうか、現実を思い知ったというか……」
「日向子」
「あぁ、夢から覚めちゃった気分」
「……」
故郷から離れて、立ち塞がったのはどうしようもない程に辛く悲しい現実。
テレビに映る女性タレントの顔なんて、まるで眼中になかったから。
だから、私達は可愛いを知らずに育ってしまった。
「私、やっぱりもう帰ることにするよ」
「うん」
故郷に帰れば、少なくとも容姿のことでこれ以上傷つくことはない。
友人がそう決めた選択を、私は逃げだと思わない。
あの時とは真逆になってしまったけれど、今度は私が友人を送り出してあげよう。
「ねぇ、愛由も一緒に帰ろうよ!」
「え」
唐突に言われた言葉を咀嚼することができずに、その場で少し固まってしまう。
いやまあ、考えてみれば当然か。
日向子と同じくらいの容姿の私がここにいたって男性と付き合える可能性なんてないことは証明されている。
……でも、それはちょっと困るというか
「こんな町に居たって傷つくだけだよ! 男の人がいたって私達が付き合えるわけもないんだし、だから帰ろう!」
「いや、その……」
言えない。
私達の容姿を気にせず接してくれる奇跡みたいな少年がいるだなんて、口が裂けても言えない。
「なんでっ?! もしかしてまだ何か私に隠してることでもあるの?!!!」
「ソンナコトナイデスヨ」
言ったら最後、この子がどうなるかなんて火を見るよりも明らかだから。
――ガシッ
「愛由」
「……はい」
「言わないんなら、分かってるよね?」
「…………はい」
私は決して脅しに屈したりはしない!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「私やっぱりこの町に住む! 故郷捨てる!」
「あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」
「……」
窓から差し込む光がオレンジ色に染まってきた頃。
そろそろ帰ろうかと考えていた私の視線の先にはゴールデンレトリバーを思わせる大柄な女性と、そんな彼女の近くで絶望の雄叫びを上げている常連のお姉さんが映っていた。
2人共、急に来店してきたかと思えば取っ組み合いの喧嘩を始めるし、常連のお姉さんが秒殺されてからはゴールデンレトリバーが鬱陶しいしで本当に迷惑だった。
店内にいる客が久しぶりに私1人だけの穏やかな空間だったというのに……
「そろそろ帰られますか?」
「うん」
結局その後は店内で騒ぐ2人をマスターに掃除してもらい、私は粛々と帰路に着いたのだった。
ちゃんちゃん
「あ、お母さん!私もうそっちには戻らないから!!!」
「う゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!!」




