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眠いんジャー……



 胃に多大なダメージを受けることとなった休日から一夜明け、水曜日。


 いつも通りの時間に登校した私が最初に目にしたのは、なぜか教室の床に頭を擦り付けている松下さんの後頭部だった。



「すみませんでしたあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」



「……」


 それはもう、見事な土下座だった。


「この度のことぉぉお!! 謝って済むなどとは微塵も考えておらずぅぅうう!!!!!!! せめてもの誠意を示すためえぇぇぇぇぇえっ、この松下千沙ァ! 腹を切って詫びる所存でありますぅぅう!!!」


 彼女に女としてのプライドはないのか、周りのクラスメイト達が遠巻きにその姿を見守る中、口を開けずにいる私の前でとても小学2年生とは思えない覚悟の籠った謝罪を口にしてきた。


「本っっっ当に、申し訳ありませんでしたぁぁぁあ!!!!」


 彼女がこんなにも必死な様子で謝っているのは、月曜日に起きた告白騒動の件で間違いないだろう。


 あの時、確かに彼女はいつもと違った様子で私を無理矢理どこかへ連れて行こうとした。


 その時掴まれた腕は本当に痛かったし、そんな彼女に対して私もかなりの恐怖を覚えたものだけど。


「……」


 結論から言うと、月曜日の件は誰もお咎め無し……ということで決着した。


 いきなり結婚の申し込みをした女の子はじめ、あの場にいた一部の女生徒が暴走気味であったことは否定しようのない事実だが、彼女達は突如乱入してきた黒服さんによって皆等しく粛清されてしまったし(物理的に)。


 結果的にそれで騒動は収まり、そして学校側もそれ以上罰するのはやり過ぎだと判断してのものだったらしいが……


「私は自分が許せませんっ! もはや殴って下さい!!!」


 彼女はそれに納得できず、こうして朝から個人的な謝罪を行っている――と、彼女の友達のさっちゃんさんが隣で教えてくれた。


「……」


 いつも通り、頭のおかしい松下さんに戻ってくれたことは嬉しいのだけれど、私に対して申し訳なく思うのならこんな派手な謝罪なんてせずに、むしろ大人しくしていてほしかった。


 今だってそう、朝からこんなに注目を浴びてしまって……ちらちら見られるのはいつものことか。


 とにかく、このままだと非常に面倒だ。


 松下さんの姿に感化された一部のクラスメイトが彼女を真似て土下座を繰り出そうとしている。


 かといって本当に殴るわけにもいかないし。



「じゃあ、デコピンで」


「はいっ、どうぞ!!!」



 少しも躊躇しないのか、そう言って自ら前髪をかきあげておでこを差し出してくる松下さん。


 私も言ってしまった手前、やらないと引き下がれなくなってしまった。


 本当に、朝から私は何をやっているのだろう。


「さあ早く! お願いします!!」


 お願いしますって、そこは嘘でも嫌がる素振りをみせるべきだろうに……


 まあいいや、手っ取り早くやってしまおう。


「じゃあ、いくよ」


 ――ぺチンっ


「はうぁ!!! あ゛あ゛あぁぁぁぁぁあああああ(咆哮)!!!!!」


 お母さん、クラスメイトが怖いです。


「もっとぉ! もっとくださいぃぃぃいいいいいい!!!!」



 その後は暴れ出そうとする松下さんをたまたま近くにいた黒服さんに再度粛清してもらい、なぜかおでこを丸出しにして列を作っていたクラスメイト達を完全に無視して、ようやく席に着くことができたのだった。


◆◆■


「……?」


 終礼が終わってすぐ、席を立とうとした私の右ポケットが軽く振動していたことに気が付いた。


 スマホを確認してみると、相手は古書店カフェの常連である姫宮さんの使用人、柊と名乗る女性。


 メッセージアプリに書かれていた要件は、やはり杉浦姉妹のことだった。


 どうやら昨日の晩、無事に姉妹を保護することができたらしい。


 現在は新しい環境に戸惑っているのか、屋敷に着いてからは与えられた部屋の中に閉じ籠っているようで――けれど、扉の前に置いていたご飯は綺麗に食べられていたと。


 最後にある小熊のスタンプが鬱陶しいが、それ以外に問題はないようだった。


 まあ、新しい環境にストレスを感じてしまうなんてことは誰もが経験すること。今感じている戸惑いも時間が解決してくれることだろう。


「……」


 取り敢えずは、これで良かったかな。


 古書店カフェで姫宮さんからのお願いを聞いた時はこの人に任せて本当に大丈夫なのかと不安に感じたりもしたのだが、柊さんが定期的に状況を教えてくれることになっている。


 マスターも大丈夫だと言っていたのだし、この件はもう解決したと思っていてもいいだろう。


 心残りが1つ減ったと安堵して、私は母の待つ駐車場へと足早に向かうことにした。


 明日は休みで、今週はあと金曜日を残すのみ。



 せめて何事もなく過ぎてくれるといいのだけれど。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「あぁ、終わった」


「大丈夫ですか?」


「駄目かも」


 折角の休日、行きつけのカフェでゆったりと読書を楽しんでいる時のことだった。


 久しく鳴ることのなかった私のスマホがテーブルの上で軽快なメロディを奏で始め、訝しみながらも通話ボタンを押した私の耳元には懐かしい友人の声が聞こえてきたのだ。


『あっ、もしもし愛由(あゆ)? 久しぶり! 元気してた?! いやー! 愛由がここを出ていったきり全然戻ってこないもんだからおばさんがずっと落ち込んでてね! 気にしてないような素振りで私に何度も愛由の様子を聞いてくるもんだからもう困っちゃって困っちゃって……でも私も個人的に愛由が都会でどんな生活してるのか気になってたし? ちょうどいいから様子見がてらそっちに観光しに行こうかなーって思ってて(以下略)――』


 友人の話を要約すると、どうやらここで暮らす私の近況を母に伝えるという名目で土曜日に遊びに来るつもりらしい。


 うん。故郷を離れた友人を心配して様子を見に来る。そういう話はたまーに聞くので不思議じゃない。不思議じゃない……のだけれど。


「………すぅー……」


 だが、それはマズい。


 非常にマズい。


 なぜなら私は都会に憧れ故郷を捨てた女。その後ろめたさから今の惨めな暮らしを友人に知られるわけにはいかず、電話越しではありもしない妄想話を語って聞かせ、隙あらば都会はいいぞと上から目線で見下していたのだから。


 つまり、今の友人が想像する私とは都会の超有名企業でバリバリ働くスーパーウーマン。両手に男を侍らせて、休日にはお洒落なカフェで優雅に読書……言ってて悲しくなってきた。


 そんなわけで、折角の穏やかな気分が台無しとなった私は今更読書を再開する気にもなれず、先程から呻き声を上げテーブルに突っ伏しているのであった。


 正面の席に座り、こんな私を気にかけてくれているのは同じく常連の女子中学生。


 彼女の妹さんのことで一悶着あった時、今はいないもう1人の常連さんと一緒に何となく話をするような仲になった縁をもつ。


 元々、全員が飛び切りの不細工という悲しい共通点もある。お互いの苦労話で話が盛り上がることも多く、そんな話を笑いながらできる彼女達との関係を私はとても心地良く思っていた。


「はぁ、どうしよう」


「お友達が来たらどうせすぐにバレるんですし、正直に言って謝るのが一番なんじゃ……」


「大人にはね、色々あるのよ」


「そうなんですか?」


 私の適当な返答に対して真面目に首を傾げる彼女を見て、少しだけほっこりとした気持ちになる。


 初対面の時の彼女は基本無表情で何を考えているのか分からないような子供だったのに。子供の成長は早いなー……なんて、おばさんみたいなことを考えてしまう。


「そういえば、あれから唯ちゃんはどう? 元気にしてる?」


「あぁ! 聞いてくれますかっ!」


 ――あ、この子は妹さんの話になると露骨に饒舌になることを忘れていた。


「最近の唯は本当に可愛くて可愛くて……ここだけの話なんですが、朝は洗面所にある鏡の前で色んな髪型の練習をしていたり、母が持っている美容系の雑誌をこっそりと盗み見たりして――」


「ちょっ、落ち着いて。そうじゃなくて、学校の事よ」


 そのまま永遠に語り出しそうな彼女を慌てて止めて、なんとか話を軌道修正させる。


「へ、学校ですか?」


「そ、辛いのは分かるけど……将来のことを考えると今のままじゃだめでしょ? 私はほら、知っての通り周りが皆こんな顔だったわけだし、あまり気の利いたアドバイスはできないかもだけど」


「いえ、大丈夫です。徐々に、ではありますけど。今は保健室登校という形で通うことができていますから」


「そっか、それならよかった」


「はい。いずれは周りの子と同じように教室で授業を受けられるようになるのが一番ですが……私も母も、これからはゆっくりと見守っていくつもりです」


 (貴方も同じでしょうに)


 彼女だってその容姿のせいで相当に苦労したはずだ。


 私もこの町に来てから嫌という程経験している。


 露骨に嫌われることよりも、無関心でいられることは思いのほか応えるのだ。


「お待たせ致しました。カフェラテです」


 ――と、そんなことを考えていた私達の前に甘い匂いを漂わせた飲み物が置かれる。


 彼目当てで通い始めたこのお店だけど、店主さんの腕は本物だ。


 辛いことがあってもまだ何とかこの町で頑張っていられるのは、彼とこのお店の存在があるからだと断言しても過言ではない。


「あれ、そういえば今日は唯ちゃんを連れて来てないんだね?」


 気紛れにこのお店を訪れる彼と出会う為に目の前のお姉さんと手を繋いで付いてくる妹さんの姿は最早見慣れた光景となってしまった。


 キョロキョロと店内を見回し彼の姿を探す妹さんの姿は見ていてともて微笑ましいものだが、身近に同年代のあんなに綺麗な男の子がいる彼女にほんの少しだけ嫉妬してしまう。


 いや、彼が年上好きという可能性が残されている以上、私も年齢を理由に諦めるつもりは微塵もないんだけどね。


「唯ならまだ学校ですよ。今日は私の通っている中学校の創立記念日で……だから抜け駆けしないでって釘を刺されているんですが……今日私がここに来たことはくれぐれも内密に」


「ふふ、分かったわ」


 彼女も彼女で、彼と特別な関係になることを諦めたわけではないらしい。


 それもそうか、容姿に頓着せずに接してくれる男の子なんてこれから先の人生で他に会えるはずもないのだし。


 彼を逃したら私達は一生独り身か……いや、人工授精で子供と暮すのも選択肢としてあるんだけども。


「あ、そういえば知っていますか? 昨日あの白百合大学に妖精みたいな男の子が現れたって噂が――」


 そうして、再び始まるガールズトーク。


 この町に来てからは久しく忘れていた友人との馬鹿話に花を咲かせながら、気付けば私は故郷にいる方の友人のことなどすっかり忘れてしまっていたのだった。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






 そうして迎えた土曜日。


「結局、何も思い浮かばなかった」


「あ、愛由!」


 広々とした駅の改札口を通り抜け、ベンチに座る私の方へ懐かしい顔が向かってくる。


 スッキリとした短髪に、日に焼けた褐色の肌。


 パツパツに張った胸元は、あれからまた大きくなったのか……私よりも男好きのしない体格に育ってしまった友人を哀れに思いながら、私も小さく手を上げる。


「久しぶりだね、日向子」


「ほんとに! 何年振りかって話だよ!」


 立花(たちばな) 日向子(ひなこ)。互いの親が親友同士な上に家が隣近所ということもあって、物心ついたときには当たり前のように傍にいた。


 日向子の性格はとにかく活発、そしてよく喋る。


 授業中は静かに座っていることができないタチで、よく隣の席になった子に話しかけまくっては先生に拳骨を食らっていた。


 当然成績は壊滅的で、彼女の母親から何かと勉強の面倒を見てあげてほしいと頼まれたことも数えきれないほどある。


 けれど情には厚く、友達思いの憎めない子という一面も持っていて……


 同級生の中で1人都会に出ようとする私をのけ者にすることなく、最後の日には1人だけ見送りに来てくれたいい奴でもあるのだ。


「いやー、愛由は相っ変わらずのしかめっ面だね! そんなんじゃ私以外の友達できないよ!」


 訂正する。この子との間に友情は存在しない。


「あはは、冗談冗談!」


「……日向子も全然変わらないね。その馬鹿みたいにデカい胸とか」


「ん? 羨ましいかっ?!」


「皮肉で言ったんだよ」


「ひき肉って……なんで急に肉の話になったの?」


「はぁ」


 もういいや、話が全然進まない。


 それに、この子が大きな声を出すから変に目立ってしまった。


 私達を遠巻きに見つめる周りの女性達の視線に好意的なものは1つもない。当然日向子は気付いていないようだから、話し続ける彼女の背中を押して急いでその場を後にする。


◇◆◆


 土曜日の昼間ということもあって、町は綺麗な服装に身を包んだ女性達で溢れかえっていた。


 中には学校に行かないくせに可愛い制服に身を包んだ高校生らしき集団もいたりして、そんな彼女達と芋臭い自分達とを比較して、普通に歩いているだけなのになぜか恥ずかしくなってしまう。


 隣を歩く友人は先程から町を見渡しては「すごい!」としか言わないし。


「……ねぇ、日向子はいつまでここにいるつもりなの?」


「ん? んーとね、3日間くらいかな!」


「そんなに?! アンタ仕事は大丈夫なの?」


「うん、クビになっちゃったから大丈夫だよ!」


「はぁっ?!!!」


 あっけからんとそう伝えてきた彼女だが、当然私は初耳だ。


 私が知っている限りだと、確か日向子は同級生の子の親の紹介で高校を卒業後は漁師をやっていたはず。


 体力仕事は天職だろうし、釣りを趣味としていた彼女にはぴったりの職業だと思っていたのに。


「仕事はもちろん楽しかったよ! 周りの人も良い人ばっかりだったし!」


「じゃあなんで……」


 すると彼女は待ってましたとばかりに渾身のキメ顔(不細工だから全然似合ってない)を作ってこう言い放った。



「それは当然、将来の結婚相手を探すためだよ!」




 ――――――――――――――――




 ――――――――




 ――――




 ………は?




 固まる私に気付いていないのか、日向子はそのまま語りだす。


「ほら、私達の故郷ってめっっっっっちゃ田舎じゃん?」


「それは、うん」


「周りに男の子なんて1人もいないし!」


「そうだね」


 そんなことは言われなくても知っている。私はそれが嫌で故郷を捨てたのだから。


「でもさー……私は結婚したいんだよね!」


「……?」


「人工授精なんてせずにさ、ちゃんと男の人と結婚して……それでたくさん子供をつくって幸せに暮らしたいんだ!」


「………??」


 ――正直、意外だ。


 この子の頭の中は基本的に空っぽで、学生時代は同級生がテレビに出てくる男性芸能人の話題で盛り上がる中、1人今朝の朝食にウインナーが出たと騒いでいるような子だったのに。


 半裸の男性のイラストが載っているエッチな雑誌にも興味を示さないで、消しカスで巨大な練り消しをつくることに全力を出していたはずなのに。


「あれ、それで結局なんで仕事をクビになったの?」


「一度結婚したいって考え出すと止まらなくなっちゃって、それで全然集中できなくて船から海に落ちまくってたらクビにされた!」


「馬鹿じゃん」


 ほんとうに、何をやっているのだろうかこの子は。


 それにしても、あれほどまでに男の子に興味のなかった日向子が一体どうして結婚だなんて……




「それもこれも、全部愛由のおかげだよ!」













 ――――why?






「愛由が聞かせてくれたこっちでの話。最初は私もいいなぁって思いながら聞いてただけだったんだけどね」


 ――え、もしかして


「愛由が教えてくれる男の子ってどんな顔してるんだろうとか、どんな匂いがするんだろうとか、一緒に暮らせたら楽しそうだなぁ……とか、そんなことを考えてるうちにね!」


 ――もしかして


「気付いたらいっつも頭の中で男の子のことばっかり考えるようになっちゃって……だからたくさん勉強もしたんだよ! 子供をつくる方法とか!!!」


 日向子がこうなっちゃったのって、ひょっとして――


「だから私もね、私だけの男の子が欲しくなったんだ! 今すぐに!」






 ひょっとして、私のせいですか?






 A.そうです。



「じゃあ、お母さんに私の近況を伝えるって話は」


「それは本当!」


「……」

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