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迷子の迷子の子猫ちゃん、貴方のお家はどこですか?
我が家に不憫な犯罪者姉妹を泊めた日の翌日。
朝6時に目を覚ました私は床に敷いた布団の上で縛られたまま熟睡している2人の姿を確認した後、すぐに母がいる仕事部屋へと向かった。
「むにゃぁ……のじょみぃ」
「……」
昨日と変わらず机に突っ伏したまま気色の悪い寝言を呟いて寝ていた母を見て、最悪の事態は免れたと安堵する。
まさか私が寝ている間に母と姉妹が対面してしまうなんて事件を起こすわけにはいかないからな。
取り敢えず3人に先んじて起きることができて良かった。
いや、安心している場合じゃないな。
そうと分かれば早く行動しなければ。
自室に戻り、寝ている姉妹のロープをほどいて声をかける。
「起きて」
「ん゛、んにゃぁ」
「……」
「起きて」
「ふみ゛ぃぃ」
「んぇ?」
「起きて」
「ふしゃあぁぁ!」
「ね゛む゛ぅぃ」
「………」
「……」
「……」
「起きないと朝ごはん抜きだから」
「「おきた(よぉ)」」
まだ眠たそうに頭を揺らしている2人には申し訳ないが、このくらいが限界だ。
基本的に家で仕事をしている母がいる以上、このまま2人を家に留めておくことはできない。
母に見つからない内に手早く身支度だけ整えて、一刻も早くこの家から出て行ってもらわないと。
「「……」」
悲しそうな顔で沈黙していても駄目なものは駄目。
君達がとても苦労していることは十分に分かっているつもりだけれど、こちらにだって事情はあるのだ。
それに、追い出すとはいっても2人のことを完全に見捨てるわけではない。今日1日は誰か他に頼れる大人がいないか探してみるつもりだから、それまではあのアパートに戻っていてほしい。
「……」
「……」
「……」
「……」
「みーちゃん、このいえがいい」
「わ、私もぉ……」
意地でもこの場から動かないつもりなのか、不貞腐れた様子で布団の中に潜ってしまった杉浦妹。姉の方はそこまで意固地にはなっていないようだが、同じようにこの家からは出ていきたくないと弱々しく抵抗してくる。
「……はぁ」
事情が事情とはいえ、折角泊めてあげた恩を仇で返されたような気分だ。
2人を保護してくれる人を見つけるために私は少しでも自由に動ける時間を確保しようと頑張っているというのに。
「起きて、朝ごはん作ってあげるから」
「いらないもん」
「わ、私も」
きゅぅぅ――×2
「お腹鳴ってるけど」
「へってないもん」
「わ、私だってぇ……」
「……」
「……」
「……」
「それ以上我儘を言うのなら、2人の事嫌いになるから」
「「――っ」」
子供相手に大人げないが、それでも優しく言ってきかないのなら私もそう言うしかない。
予想通り、効果は劇的だった。
「う゛う゛ぅ゛ぅぅ……」
「ごべんな゛さ゛ぃぃぃ!」
泣きながら嫌いにならないでと謝る2人には良心が痛むが、それでも私の考えは変わらない。
その後は亀のような動きで外に出ることを拒む2人の身支度を整え、最後にラップで包んだおにぎりを持たせて何とか帰らせることができた。
「……」
足を引きずる姉と未練がましく何度もこちらを振り返る姉妹の様子から、放っておいたらまたここに来てしまうのだろう。
そうならないためにも、一刻も早く助けてくれる人を探さなければ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
杉浦姉妹の家庭問題を解決する鍵は意外な人物が握っていた。
「わ、わわわわわわ私の家で良ければっ! ちょうど新しい使用人を探しておりまして!」
「……」
姉妹を見送った後、いつもなら起きている時間になっても一向に目を覚まさない母にしびれを切らして私が向かった先は毎度おなじみ古書店カフェ。
元々私1人が頑張ったところで解決するような問題だとは思っておらず、しかし誰かに話すにはあの姉妹の家庭事情はデリケート過ぎる。
口が堅く、何より頼れる大人に相談しようと考えた私がマスターを尋ねてここへ向かったというのも、何らおかしな話ではないだろう。
因みに、そういった事情にとても詳しそうな人物にはもう1人心当たりがあったものの、そちらは相談しに行ってもその後すんなりと帰れるビジョンが見れなかったため断念した。
◇◇◇
「っは、今あの子が私の事を噂してた気がする!」
「ふーちゃんもお外に行きたい!」
「会いたいなぁ」
「行きたい行きたい行きたい行きたい!!!」
◇◇◇
というわけで、何か問題解決のヒントでも得られないかとマスターに事情を相談していた矢先の事。
突然扉が開かれたと思うと、冒頭のセリフを吐いて現れたのはこのお店の常連さん。私が密かに読書仲間認定している整った容姿の女性だった。
「す、すみません。つい話が聞こえてしまったものですから」
肩まで伸ばした長髪に、色白な肌、鼻筋の通った高くて細い鼻に、パッチリとしたアーモンド形の瞳。
私が見ても分かるくらいに高くて質の良さそうなワンピースに身を包み、一見すると何処かの国の令嬢みたいな印象を抱かせる人だった。
大学生くらいかな?
その整った顔立ちには僅かな幼さが残っていて、それでも、その佇まいからは確かな気品と育ちの良さを感じられる。
一番最近の記憶だと、ひょっとこお面の宮越さんをここまで送り届けた際にひまわり園のふーさんにボコボコにされていた様子が印象に残っているが、それまでは物静かで近寄りがたそうな人だなぁと思ったりしていて……
――まあ、そんなことはどうでもいいか。
それよりも、先程使用人がどうとか言っていたように聞こえたのだけれど。
「……」
「……?」
「あぁっ、いえ。すみませんジロジロと見てしまって――」
「……」
「こほんっ。実は私、それなりに大きな屋敷に住んでおりまして」
自分の家のことを屋敷という人に遭遇する機会があるとは思わなかった。
この古書店カフェから徒歩で15分。背後に森林が広がる住宅街の端の方に件の屋敷はあるらしい。何やら昔に彼女の祖先が建てたものだそうで、先祖代々その屋敷で何不自由なく暮らしてきたのだと。
「なのですが、諸事情があって現在使用人の数が1人しかおらず――だから是非、その姉妹を我が家の使用人見習いとして来てもらってはいかがかなと」
「……」
「当然、2人を不当に働かせることはしませんし。部屋も沢山余っているので今よりもいい暮らしをさせてあげられると思っています」
「……」
「心配になるのならいつでも我が家に来て様子を確認してくださっても結構ですし……いえむしろその方が――」
「……」
まあ、悪い話ではない。
ない、のだけれど――
問題なのは、なぜこんな面倒な話を引き受けてくれるのかということと、目的は何なのかということ。
「えぇっ?!」
彼女は私を子供だと思って甘く見ているのだろうが、人生経験なら負けていない。
絶対に何か裏がある。私の直感がそう言っている。
「……うぅっ」
そもそもが男女比1:3のこの世界。姉妹の面倒を見る見返りとして何かよからぬことでも企んでいるのでは――
「うぅぅぅ……」
「……」
「――そ」
……そ?
「そうですよ! ありますよ! 裏!」
バっと俯いていた顔を上げたかと思うと、完全に開き直ってしまった目の前の女性。
羞恥のせいか、既に顔は真っ赤に染まっていて、明らかに正常な様子ではない。
「引き取る代わりに、貴方にお願いしたいことがあるのです!」
先程から無言でいるマスターは特に動こうとする気配はない。
大丈夫、ということなのだろうか。
マスターがそう判断している以上、おかしなことをされる心配はないと思いたいのだけれど。
「お願いというのはっ――」
「……」
結果として、彼女の口から発せられたお願いの内容を理解するまでにおよそ10分ほどの時間を要してしまったことを、ここに報告したいと思う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
主人公、北条 望が転生することになったこの国には、前世日本には存在しない特有の歴史がいくつも存在する。
それはそうだろう。
深刻な男性不足による女性同士の争い、人工授精技術の革新、年齢に関係なく頻発する男性への性被害。
技術レベルは同じと言うが、しかし男女比の差異がもたらす社会の仕組みには、未だ主人公が知らないものも数多く存在する。
例えば、大学に対する認識の違いもその1つ。
将来の仕事に役立つ専門分野を学べる大学に入りたい。
誰もが羨むような偏差値の高い大学に入りたい。
高卒で直ぐに働くのは嫌だから適当な4年制大学に入りたい。
仮にこの世界の女子高生にそんな動機を話したら、貴方は即刻変人扱いを受けること間違い無しだろう。
将来の仕事に役立てるため?
そんな暇があるのなら少しでも男に好かれるために女を磨け。
偏差値の高い大学に入りたい?
頭が良くて異性にモテるなら喜んで勉強するわ馬鹿野郎。
遊びたいから大学に?
男っ気の全くないキャンパスライフで生を実感できるのなら勝手にすればいい。
根本的に違うのだ、欲望の向かう先が。
この世界の女性達は切実に結婚したいのだ、男性と。
一生遊んで暮らせるお金か男性と結婚できる権利、どちらが欲しいかと問われたらノータイムで後者を選ぶ馬鹿ばかりなのだ。
だから、彼女達は望むのだ。
この国有数の規模を誇る、婚活3大学。いわゆる御三家へと進学することを。
最高の婚活をするならそこしかないと、人は言う。
華の高校生活で夢破れた女達の、最後の砦。
"白百合" "竜胆" "鳳仙花"
こと男性への配慮という1点においては他の追随を許さないこの3つの大学は、高校を卒業後大学へと進学する男子高校生の進学先率、驚異の99%以上を占めている。
高校を卒業して自宅に引きこもってしまう男性が多い中で、それでも進学を選ぶということは、すなわちその程度には活発さを有している男性だという証明。
そんな男性との出会いを求めて、全国の女子高校生はこの3つの大学へ通うことを夢見ている。
入学に必要なのは資格と教養、そして整った容姿。
――ではなく資金力。
男性を繋ぎとめるための数々の設備を維持するための莫大な費用を賄う為に、彼女達に求められるのはお金だった。みんな馬鹿だった。
「素敵な殿方と出会うためですから、当然のことだと思っています」
前置きが長くなったが、ここで、伝えておかなければならないことがある。
先程挙げた3つの大学、そのうちの1つである白百合大学で今日、とある事件が起きた。
その大学に通う生徒で知らない者はいない、ある意味で学年1の有名人である姫宮 京。
その容姿の醜さから同性異性に避けられるのは当たり前。間違っても仲が良いと思われないために、講義で彼女が座る席の周りには誰も寄り付くことはない。
昼食も当然1人。一度だけ大学の敷地を歩いていた男子学生に話しかけようと近づいた所、発狂した男に通報されて大事になってしまったという武勇伝は誰の記憶にも新しい。
そんな、この大学に通っている学生ならば絶対に関わりたくないと思う彼女が。
とにかく醜く、彼女に触れることの出来る異性が現れたのなら、それはきっと別の星から来た宇宙人だねとまで言われていた彼女が。
「ありゃがとおととお、きょこよまででででで(※ありがとう、ここまでで大丈夫よ)」
「……」
「ひりゃりゃぎ、まちゅちゅがててにゅもらぬねよいやめ、ていねにょそおうぎょぎょごね(※柊、間違っても車酔いになんてさせないように、くれぐれも丁重に送迎しなさい)」
「度し難いですね」
「あちゃらあ、にゃににゃやかしぇ?(※あら、何か言ったかしら?)」
「いえ」
ずいっ
「おうおおおおおおおおおお(※あ、ごめんなさい。お弁当を忘れるところだったわ)」
「手作り」
「うりゃうほほほほ(※ありがとう、嬉しいわ)」
「……」
「そりゃのごごごごごごいってってててて(※それじゃあ、行ってくるわね)」
「……」
「お嬢様、お願いですから言葉を話してください」
目の前の光景を信じられる者などいるはずもない。
自分達よりも圧倒的に格下な彼女が、まさか物語から出てきたような綺麗な少年と共に登校し、あまつさえ手作りのお弁当を渡されているなんて。
「冗談でしょ……」
そんなこと、信じられるわけないだろう。
目を擦り過ぎて失明しかけた者202人。
幻影が見えると頭の異常を訴えた者378人。
吐き気が止まらないと口を押さえる者119人。
今すぐ死にたいと自殺願望を口にする者724人。
その日、白百合大学に備えられた保健室は過去に類を見ないほどの患者で溢れかえったという。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「みぃ、どこにいくの?」
「……」
「おにぃさんはここで"待ってて"って言ったんだよ。勝手な事したらダメだよぉ」
「……」
「ほらぁ、拗ねないで」
「……」
「もぅ……」
おにぃさんの家を離れてから、妹のみぃがずっと大人しい。
いつもはもっと元気なのに……まあ、私だってお外が暗くなってからも迎えに来てくれないおにぃさんに、ほんとは見捨てられたんじゃないかって不安になってるんだけど。
「もらったおにぎりも、なくなっちゃったねぇ」
お家を出る時、おにぃさんが作って渡してくれた。
あったかくて、とっても美味しかった。
「まだかなぁ」
昨日のことを思い出す。
大きなお家に、綺麗なお風呂。
良い匂いのするお部屋に、美味しいごはん――それと、私達にも優しくしてくれるおにぃさん。
本当に、全てが夢のようだった。
だから、今日の朝アパートに帰ってきた時は、部屋の中からするゴミの匂いにびっくりした。
ずっとここに住んでいたから、自分のお家が凄く汚いんだってことにも気付かなかった。
お外が明るいときはカーテンを開けるのが普通で、ずっと暗いお部屋にいると落ち込んだ気持ちになってしまうんだって。
明るいお部屋で眩しそうにしている私達を見て、おにぃさんが教えてくれた。
「こないなぁ……」
2人でいることには慣れていたはずなのに。
今はとっても落ち着かない。
「……」
やっぱり、我儘を言ったせいで嫌われちゃったのかな。
おにぃさんは優しくしてくれたのに、結局ごはんも全部食べちゃったし。
「「………」」
「みぃ」
「……」
「お外で待たない?」
「うん」
◆◆◆◆◆
星の綺麗な夜だった。
扉を背にして小さく座る私とみぃを、優しい明かりで照らしてくれて。
風に揺れる雑草の音に、夜を奏でる虫の寂しげな歌声が聞こえてくる。
――あぁ、そういえば。
いつの日だったか……こうして2人、お母さんが帰ってくるのを待っていたことがある。
いつも体からお酒の匂いを漂わせ、たまに大きな声で怒鳴ってくるような……そんな、怖い人だったけど。
機嫌がいい時には、気紛れに頭を撫でてくれることもあったりして。
その日も同じ。
親子3人、空に浮かぶ満天の星空を、ただぼんやりと眺めていたんだ。
「ねぇちゃ、まだかな?」
「まだだねぇ」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「ねぇちゃ、まだこない?」
「もう少しだよ」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「ねぇちゃ」
「うん?」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「みーちゃん、いい子じゃなかった?」
「みぃはずっといい子だよ」
――ほら、覚えてる?
お母さんが帰ってこなくて、不安で眠れない私の手を握ってくれたこと。
おばあさんが死んだとき、落ち込む私を励まそうとしてくれたこと。
ふとした時に泣き出してしまう私の頭を何度も撫でてくれたこと。
全部覚えてる。
――わかんない。そんなにたくさん、おぼえてないよ。
それでもいいよ。
私はずっと忘れない。
………。
みぃがいるから、私は頑張ろうって思えるんだ。
みぃが助けてくれるから、私は今日まで生きてみようって思えたんだよ。
――1人ぼっちは怖いから
「……ほんとう?」
「うん、本当に」
遅くなってしまい申し訳ありません。
貴方達が杉浦芽衣さん、そして美衣さんですか?
その日、2人の少女は救われた。
私の名前は姫宮 京。
これからは、私が2人を保護します。
姉妹の未来は救われました。
心に傷を負ったとしても。
それだけは確かです。




