16
頑張れ。
北条 望くんは、とても不思議な男の子だ。
望くんのことを初めて知ったのは、忘れもしない……あの入学式でのこと。
体育館に集められた私達の視線は当然のように列に並ぶ男の子達に釘付けで、ありもしない妄想を近くの友達と語り合いながら、これから始まる学校生活に心を躍らせていた。
『ねぇ、玲奈はもう気になる人できた?』
『ちょっと黙ってて、今私は目の前の光景を目に焼き付けるのに忙しいから』
『あ―……和沙はどう?』
『私は前から6番目のぽっちゃりとした子が気になるかな~』
『その心は?』
『え……おいしそうだから?』
『うん、そっか』
『え、なにその反応?! そういう翠はどうなの!』
『私は別に……』
『へぇ、じゃああそこにいる男の子から告白されても断るんだ?』
『……は? そんなの即結婚するに決まってるでしょ馬鹿なの?』
隣で騒ぐ2人のことなど気にも留めず、私はただひたすらに目の前の男の子達のことを凝視する。
『チャンスは逃すな、かぁ』
今朝、お母さんが言っていたことを思い出す。
実の娘である私の目から見てもとびっきりの美人であるお母さんは、それでも男の人と結婚することはできなかった。
高校生の頃に付き合えそうだった男の子はいたらしい。
でも元々かなりの奥手な性格だったお母さんは最後までその気持ちを伝えることができずに、意中の彼は高校を卒業後すぐに結婚。
相手は国内でも有名なゲーム会社の御令嬢だったらしい。
過去にその会社のゲームを欲しいと我儘を言った時は本当に大変だった。普段は滅多にお酒を飲まないくせに、帰り道、コンビニで大量の缶ビールを買い込んで、家では真っ赤な顔で永遠とその女の人を悪口を言っていた。
そんなお母さんを見てきたから、というわけではないけれど。
もしも私が心から好きだと思える男の子に出会えた時には、絶対にその思いを伝えようと決めていた。
後悔はしたくない。
一生に一度の学校生活、私は全力で満喫してやるんだ。
『……ねえ、玲奈』 『あっちあっち』
『何?』
もう、折角いいところだったのに……
肩を叩いて体育館の一方向を見るように促す2人に従って、仕方なく視線を移すことにする。
『……あぁ、アレね』
視線を向けたその先にいたのは、同性の私でも思わず目を背けたくなるような物凄く不細工な女の子。
幼稚園でも不細工だと思う子は何人かいたけど、流石に彼女ほどではなかった。
『かわいそう』
男の子が少ないこの世界、容姿に恵まれずに生まれてしまった女の子の人生は悲惨なものだ。
男の子と付き合うことは勿論、間違っても仲が良いと思われないように周囲の女の子も距離を置いてしまうことから、どうしても周囲から孤立してしまう。
だからというか……そんな彼女達は基本的に物静かで、自己主張が苦手な子が多い傾向にある。気がする。
少なくとも、私が出会ってきた子達はそうだったから。
――でも
『何をしてるんだろう?』
『私に聞かないでよ。分かるわけないでしょ』
『ん~……何かを探しているような。いや、誰かかな?』
――あぁ、そうだ。そんな感じがする。
視界に映る彼女は列に並ぶ男の子達にも一瞥しただけで、その後もしきりに視線を動かし続けている。
自身が悪目立ちしていることなど気にも留めていないのか、会場内をうろつく彼女に周りの子達は顔を顰めるか、変に関わらないように視線を逸らすか……
そんな彼女の様子も多少気がかりではあるけれど、今は男の子達の方が圧倒的に大事だ。翠と和沙も既に興味を失っている。
せめて男の子達がいる方向へは行かないでと心の中で祈りながら、私は視線を元に戻し『―――ぁぁぁぁぁぁぁあああああああっ』
瞬間、突如として会場中に響き渡る叫び声。
『え、何……何事?』
『分かんないよ!』
突然の事態に慌てる2人の声を聞き流しながら、私の視線はある一点に固定される。
『……』
視線の先には先程見た女の子。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。それよりも、何か叫び声を上げながら走り出す彼女の先には……
『……綺麗』
思わずそう呟いてしまう程に、端正な顔立ちの男の子がそこにいた。
一目見て分かる。先ほどまで見ていた男の子達とは明らかに何かが違う。
それは周りにいる他の女の子も同じなのか、いつの間にか喧騒に満ちていた会場は嘘のように沈黙に包まれて……いや、それよりも
『う゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
そんな彼を前にして、走り出した女の子は止まらない。
止まらないままに、2人の距離は縮まって……
『……嫌』
その後に起きる最悪な想像は、恐らく数秒後には現実のものとなる。
『そんなの駄目』
あんな子に迫られたら、彼がショックで倒れてしまう。
絶対に、この日のことがトラウマとなって、彼は学校に来なくなる。
『誰か止めてよ』
誰でもいいから……早くあの子を止めないと。
それでも、私の身体は金縛りにでもあったかのように動かない。
あまりにも異常な光景を前に、会場中の誰もが、ただ口を開けて見ていることしかできない。
そうして、遂に――
『あ゛う゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
誰にも阻まれることなく彼に抱き着いた女の子の心底幸せそうな顔を目にして、私の視界は真っ黒に染まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―3ヶ月後―
「というわけで、これから私は元気なお馬鹿キャラでいくから」
「「……」」
辺りが騒がしくなる給食の時間、お箸を持ったままで固まる2人を前に私は一切の迷いもなくそう宣言した。
周りには既に固定のグループが出来上がっていて、それぞれが教室の隅で固まっている男の子達のグループをちらちらと気にしながらご飯を食べている。
女の子としてはそれが正常な反応なのだけれど、彼らのことを気にしていないのは一部の例外を除いて私くらいのものだろう。
「はぁ」
「玲奈ってほんと、時々訳が分からないよね」
目の前の友人達もその例に漏れず、けれどその耳にはしっかりと私の言ったことが聞こえていたようだった。
「何、言いたいことがあるならはっきり言えば?」
「じゃあ単刀直入に聞くけど……まだ諦めてなかったの?」
「無謀だよぉ」
2人から返ってくるのは案の定、否定の言葉。だけど別にいい、私がまだ彼のことを諦めていないと伝えることが何より重要なことだから。
「北条君は私達なんて眼中にないと思うよ。それは玲奈が一番分かってるんじゃないの」
「……ふん」
そう、あの衝撃的な入学式から一夜明け、もう二度と学校に来ることはないのだろうと思われていた望くんはしかし……翌日からも至って普通に登校してきた。
あの子が望くんに抱き着いてからのこともそう。
その場で気絶してしまった私には分からなかったけれど、聞くところによると突如として抱き着かれた望くんはその場でも一切取り乱すことはなかったそうだ。その後の受け答えもしっかりしていたと。
「いや~、驚きだよねぇ」
「まあ、北条君が今も変わらずこの学校に通ってくれていることは素直に嬉しいよね」
突如として見知らぬ女の子に抱き着かれる、それだけでも本来は発狂してしまう程の恐怖を与えてしまうというのに――加えて抱き着いた相手があの飛び切りの不細工だったというのだから、望くんは本当に凄いと思う。
凄いと思うし、私自身も飛び上がるほど嬉しいことなんだけど……
その反応の結果が示すのは、私達にとってどうしようもないほどに残酷な現実。
すなわち、望くんは、根本的に女の子に関心がない……ということ。
廊下で彼とすれ違った時のことを覚えている。
理科の授業でもあったのだろう、他の男の子達と一緒に実験室の方向へと向かっている彼は、横を通り過ぎる私のことなんて一切視界に入っていないようだった。
傍にいた男の子達は違う‥‥近くを通る私に対して警戒している様子の子や、一瞬だけ私に見惚れているような様子(あくまで個人の主観です)の子だっていて……それが普通のはずなのに。
ただただ退屈そうな様子の望くんには、それが一切ない。
本当に、興味がないのだろう。
例えばあの場で彼に抱き着いたのがこの世界で一番美人な女性であっても、逆にあの子を上回るくらいの不細工な女性であったとしても、それで彼の反応が変わったとは思えない。
彼にとっては全部が同じで、何か気持ちの悪いものが引っ付いてきたとか、そんな感情しか抱いていないのだろう。
「私が助けてあげないと」
彼がどうしてそうなってしまったのかは分からない。
けれど、もしもどこかの変質者に彼のことが知れてしまったらすぐに襲われてしまう程に危険な状態だということは断言できる。
泣き声を上げることもなく、ただ無感情に身体を貪られてしまう望くん。そんな最悪の未来を想像すると、心が引き裂かれるような痛みに襲われる。
「大丈夫、大丈夫」
まだ間に合うのだ。濁流のように押し寄せる様々な激情を何とか押し殺す。
「大丈夫、貴方の隣には私がいるから」
――――――――――――
――――――――
――――
「それで、最初に言ってたキャラって結局なんのことだったのよ?」
「――へ?」
「あぁ、言ってたねぇ……元気なお馬鹿とかなんとか」
あぁ、なんだそのことか。
「昨日のお昼休みにね、図書館でとても為になる本を見つけたの」
「図書館って、またストーキングしてたんじゃ「和沙ストップ」」
「棚の隅の方にあった恋愛本なんだけどね、その本には男の子と付き合うための重要なテクニックが書いてあったの」
「それはちょっと気になるかも……ちなみに、どんな?」
「どんなどんな?」
「ふふ。曰く、"男性は自分と対照的な女性を好む傾向にある"。これは性格がまさにそうで、実際に大人しい男性は活発な女性と、家事の得意な男性は少しズボラな女性と結婚したっていうデータがあるみたい」
「なるほど、それで元気なお馬鹿になるのね」
「でも、玲奈には合わないんじゃ……」
「そんなことはどうでもいいの。それで望くんの関心が少しでも引けるなら十分に価値があることなんだから」
「へぇ、そこまで言うならいいんじゃない?なんだか面白そうだし」
「う~ん、やっぱりイメージできないなぁ」
全く、2人には私の本気が全く伝わっていないようだ。折角貴重な情報を教えてあげたというのに……これが結婚できる人とそうじゃない人との違いということなのだろう。ご愁傷様。
それに、性格を取り繕うこと自体はそれほど大変ではない。
頭でイメージしたキャラをそのまま演じるだけのこと。
ただそれだけのことだから。
「2人共、改めてよろしくね!」
「「違和感が凄い」」
◇◇◇◇◇
―1年後―
季節は廻り、気付けば私も小学校2年生。
昨年と同様、またしても望くんと一緒のクラスになることは叶わなかった。
同じクラスでないということは、それだけ彼との接点も少なくなるということ。
これは望くんに関わらず、ほとんどの男の子に共通して言えることでもある。
彼らは授業がある時以外は基本的に集まって行動し、放課後になれば教室までお迎えが来てくれるのを静かに待っているのが普通だ。
だから私達は同じクラスだろうと容易に異性と話すことなど出来ないし、ましてそれが他のクラスの男子ともなれば難易度は桁違いに高くなる。
けれど、チャンスがないわけではない。
これは望くんに限ったことだけど、まず彼は給食後のお昼休みの時間に1人で図書館にいることが稀にある。
滞在時間は決して長くない。本棚にある本を一通り一瞥した後に、なぜかため息を吐いて渋々一冊の小説を引き抜き、そのまま静かにページをめくりだす。
この時の図書館は大変だ。身の程知らずのクソ共が彼目当てにわらわらと集まり、望くんが短時間で読み終えた小説を醜く奪い合う。その争いには上級生の先輩まで参加しているというのだから本当に救いようがない。
そして、放課後。
男の子は普通その場でお母さんの迎えを待っていることが普通だと言ったが、望くんは普通に帰る。本当になんでもないことのように颯爽と帰宅する彼の姿に思わず教卓にいた先生も啞然と口を開いていたというのだから、その異常さも分かるというものだろう。
けれど、その情報は私達にとっては朗報だ。
私もその時を狙って放課後直ぐに彼のいる教室へ向かったことがあるのだが、結果は虚しく……
『北条くんならもう帰ったよ?』
望くんは帰るのが本っっっ当に早い。恐らく学校1早いのではないだろうか。
私がどれだけ急いで教室に向かおうとも、終ぞ彼の姿を見ることさえ出来なかった。それは私の後ろで荒く息を吐いている他のゴミ共も同じ。望くんの担任があの話の短いことで有名な小林先生というのもあるのだろうが、それにしたってもう少しゆっくりしてもいいと思う。
まあ、私にみたいに考える女子に捕まりたくないというのがあるのだろうけど……でも、それならどうして教室で待たずに帰るのだろう?
「まあ、それはもういいか」
この一年間、私が調べた中で最も接点を持てるのが彼と隣の席になることだった。
一見すると近づきがたい雰囲気を出す彼にも何らかのポリシーがあるのか、望くんは隣の席になった女の子とは普通に会話をしてくれる。本当に、滅茶苦茶受け答えをしてくれるのだ。
加えて、望くんは相手も選ばない。
隣にいるのがあの悪い意味で有名な篠田さんだろうと彼は普通に会話をしていたと聞いた。
その事実に容姿に自信のある子は絶望の声をあげ、また不細工な子達は自分にもチャンスがあるのだと静かに沸き立ち……けれど、その誰もが私にとっては滑稽に見えてしまう。
望くんはそもそも私達に興味を抱いていない。その前提を知らないことには、彼と結婚に至るまでのスタートラインにも立てていないのと同じだ。それに気づけている子が私以外に一体何人いるのか。
まあ、それでも望くんと話せる事実は喉から手が出るほど羨ましいことに変わりはないのだけれど。
「でも、現状は行き詰まり」
と、ここまで偉そうに語ってはみたものの、現状の私はどうにも打つ手のない現状にやきもきしていた。
「そもそも、望くんに女の子として意識してもらうって無理じゃん!」
彼を意識してからこれまで、分かるのはどう考えても望くんとは結ばれることがないという事実。
「私より可愛い子とすれ違っても無反応って! それは嬉しいけどなんか違う!!!」
何をどうしたって、攻略法が見つからない。
そうして私が悩んでいる内に、いずれ痺れを切らした誰かが彼に告白をするのかもしれない。
告白、それは本当に最後の手段だ。
やってしまえば意識をしてもらうことはできるだろう。じゃなきゃ泣く。
それでもここまで誰も望くんに告白してこなかった理由は至って単純。
もしも思いを伝えて、その結果彼にひどい振られ方をしてしまったら、間違いなく心が死ぬからだ。
私達に興味のない彼がどんな言葉を返すのか想像もつかない。
ひょっとしたらあっさりと振られるのかもしれないし、冷めた表情で罵ってくるのかもしれない。奇跡的にOKの返事をもらえる可能性もちょっとはあったりして――うん、その可能性も捨てきれない。
どちらにせよ、1番に告白することは相当にリスクを伴うもので、勇気がいること。
「……」
幸いにして、私にはまだ時間がある。
これから3年生、4年生と学年が上がるごとに彼と同じクラスになることを気長に待つこともできる。
「……」
――でも、正直もう限界なのだ。
「結婚じだい゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃぃぃいいい!!!!!」
それはもう、切実に。
「結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい結婚したい」
初めて会った時から、この人しかいないと確信していた。
どれだけ単純なんだと言われようとも、彼の綺麗な顔が好きだと思った。
つまらなそうに本を読んでいるのに、時折少しだけ頬が緩む彼の横顔を見るのが大好きだった。
叶うのならば、この先も一緒に。
私の事も同じくらい好きになってほしいなんて我儘は言わないから……傍にいてほしい。
家に帰った私を迎えてくれる貴方の姿を想像したら、私はいくらでも頑張れる気がするから。
だから、私は……
――ガチャ
「玲奈? もう、いくら呼んでも返事をしないんだから」
「お母さん」
「もうとっくにごはんができて――って、本当にどうしたの…そんなに真面目な顔して」
「私、頑張るからね」
「……?」
不思議そうに私を見つめるお母さんにそれ以上は何も伝えず、ご飯を食べるために階段を下りることにする。
行動できないままに青春時代を終えてしまったお母さん。
ほんのわずかな奇跡を信じて覚悟を決めた私。
未来の私が今の自分を見たならば、私は私を止めようとするのかな。それとも、何も言わずに背中を押してくれるのだろうか。
「緊張してきた」
どちらにせよ、もう決めた。
これから先、私を待ち受ける未来がどれだけ悲惨なことになろうとも、彼に思いを伝えたい。
これまで一度も話したことはないけれど、私がどれだけ貴方を好きなのかを知ってほしい。
私の噓偽りないこの気持ちを。
「よし、頑張ろう」
◆◆◆◆◆
―決戦の日―
週が明けて、月曜日。
いつもより少し遅めの時間に家を出た私は1人、1年前から変わらない通学路を歩く。
翠と和沙はいない、今日は1人で登校したいと私が頼んだから。
「……」
この2日間、どうやって望くんに思いを伝えようかと…そればかりを考えていた。
理想は彼と2人きりの状況で思いを伝えることだけど、それは現実的に不可能。
下駄箱にラブレターを入れて呼び出したとしても彼は無視して帰ってしまうだろうし、スマホか携帯を持っているのなら通話やメールで伝えることもできるのだけれど、そもそも連絡先を知らないし。
いや、それ以前に彼が私のことを認識しているのかどうかも怪しいわけで……
『―――』『――――っ!』『―――』『――』
そうして頭を悩ませている内に、結局なんの解決策も思いつかないまま学校へと到着してしまう始末。
「どうしよう」
金曜日にあんな宣言をしてしまった手前、今更告白をしないなんて選択肢を取ることは出来ない。
亀のような足取りで階段を上っていく私を後ろから次々と女の子達が通り過ぎていく。
対する私の足取りはさらに重くなるばかり。
「やっぱり、今日はやめちゃおっかなぁ~……なんて」
ふざけた様子で独り言を呟いてみても、返事を返してくれる友人はいない。
「実際、私だって本気で付き合えると思ってるほど馬鹿じゃないし」
無理に決まっていると、望くんを知る女の子達はそう言うだろう。
余計なことをして彼が不登校にでもなったらどうするのだと、先生達が怒るのかもしれない。
――それでも、やっぱり望くんのことが大好きなわけで。
「はは、本当に何してるんだろう私」
滅茶苦茶に時間をかけて私がたどり着いたのは2-2と書かれたプレートの教室。
私のクラスはその先、ここは違う。
ここは、望くんのいる……
「いるかどうか確認したいだけだから……うん、それだけ」
誰に言い訳をしているのか私にも分からないけれど、一応訂正しておく。
扉の先からは女の子の声しか聞こえてこないが、それはどこの教室も同じ。
慎重に扉を開けて、中の様子を確認する。
「……あ」
僅かに開かれた扉の先には騒がしい教室の中でも静かに本を読んでいる男の子の姿が見える。
幸いなことに、彼の周りには誰もいない。
いや、話したそうに見つめている男の子達の集団と、ちらちらと彼の様子を窺っている小蠅共ならいるんだけど。
「あぁ、やっぱり綺麗だな」
2日ぶりに会う望くんは、やっぱり綺麗だった。
私も自分の容姿には多少の自信はあるけれど、望くんと釣り合うとは間違っても思えない。
「……」
望くんはどんな女の子が好きなんだろう。
「……」
昔からどの国にとっても貴重な男の子。
あまり考えたくはないけれど、きっと彼には同じくらいに綺麗な女の子が隣にいる方が自然で、その方が彼にとっても良いのだろう。
「……」
私よりもお金持ちで、性格も良くて、誰からも愛されるような……そんな女の子と。
「……」
あぁ、本当に自分の馬鹿さ加減が嫌になる。
勝手に舞い上がって、自分の欲望のままに行動をしようとして――
「やーめた」
扉を閉めて踵を返す。
どうせ叶わぬ恋なのだ。彼に迷惑をかけたくない。
「やめたやめた」
もうすぐ朝礼も始まる。教室に着いたら翠と和沙にはやっぱり今日の告白は止めにしたと伝えることにしよう。
「絶対に馬鹿にされるなぁ」
あれだけの啖呵を切ったのだ、今後1ヵ月はそのネタで笑われるに違いない。
「だっさいなぁー、私」
告白しようと意気込んで、勝手に悲観的になって……挙句の果てには諦めて。
「……」
自分の教室に辿り着き、扉に手をかける。
「お母さんも、こんな気持ちだったのかな」
思いを伝えることができずに、大好きな人は遠くに行ってしまって。
―――その時、予感がした。
今日ここで諦めてしまったら、私はきっとお母さんと同じ運命を辿ることになる。
このまま高校を卒業するまで思いを伝えることができずに、大学へ行って、適当な会社に就職していく未来が見える。
20代の後半を迎える頃に子供を産んで、そこそこの幸せを謳歌して、おばさんになって……おばあさんになって――そうして、後悔を抱えて生きていく。
あの時告白していればどうなっていたのだろうかと想像を膨らませ、自分に都合のいい妄想に自己嫌悪して。
なんにも行動しなかったくせに……もしもだとかあの時だとか、一丁前に後悔する人生。
「馬鹿じゃないの」
それが嫌だから決断したというのに。
「……」
他の誰かじゃない、望くんの隣には私がいたいから。
「……」
いつの間にか、迷いは消えていた。
――――――――――――
――――――――
――――
ガラッ
教室の扉を開けると、途端に複数の訝し気な視線が私を見つめてくる。
それもそうだろう、あと5分で朝礼が始まる。
既に席に着いている子が大半で、欠席しているような子もいない。
つまり私はこの教室にとって完全な異分子で、イレギュラーな存在になるわけで。
「……」
それでも私はそんな有象無象を気にすることなく、目的の場所まで一直線に進んでいく。
途中、私の目的を察してか険しい目つきで立ち上がろうとする女の子もいたが、逆に睨んで黙らせる。
彼の下まで、その距離は僅かだ。
誰にも私の邪魔はさせない。
「……?」
ざわざわと騒がしくなる教室の様子を不思議に思ったのか、それまでは静かに本を読んでいた望くんも顔を上げて周囲の様子を窺っている。
――っあ、目が合った。
「……」
あぁ……まつげ長い目が綺麗ほっぺさわりたい髪の毛クンカクンカしたい抱きしめたいキスしたい名前で呼ばれたい手を繋いで一緒に帰りたい結婚したい2人で幸せな家庭を築きたい――
「……」
私の目的が自分だと分かっても、望くんは微塵も逃げる様子をみせない。
彼は本当に不思議な男の子だ、でもそんな無警戒な所も大好きだ。
「「……」」
そうして、遂にはあと数歩の距離まで近づいたところで、私も止まる。
既に教室は異様な静けさに包まれて、誰も言葉を発せない。
ただただ、私と彼の様子を窺うことしかできない。
「ねぇ、望くん」
「……」
「初めまして、だね。私は君の事をとってもよく知ってるんだけど」
「……」
「――って、まあそんなことはどうでもいいか」
「……」
「つまりね、えーと」
「……」
「えっとね」
「……」
「私、貴方のことが大好きなんだ」
「……」
「だからね、望くん」
「……」
「私と結婚してください」
修羅場です(断言)