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1ヵ月くらい経っていた……


 連日に渡る大雨の影響で、心なしか町の住民の表情にも陰りが見えてきた6月の終わり。


 じめじめとした梅雨の空気を肌に感じながら、シンと静まる早朝の教室で1人。自席に着くなり机に寝そべったままの状態であった私はというと、窓の外に広がる久しぶりの晴天をなんとなしに眺めていた。


「……」


 眠気の残る頭で思い出すのは今朝の事。


『……ううぅぅぅぅぅぅ』


『……』


 朝食時、珍しく午前中から対面での会議が入ってしまったと嘆いていた母。


 それは本来ならオンライン上でも済ませられるような内容らしいのだが……母と同期入社だという女性の1人がいらぬ横槍を入れてきたらしく、その説明のためにわざわざ会社に行かなくてはならなくなったと。


『あのクソ女絶対〇す。ふふっ……形も残らないくらいぐちゃぐちゃに(聞くに堪えないので以下省略)』


『……』


 よほど会社に行きたくないのか、ちまちまとご飯を口に運ぶ母を哀れに思いながらも、次いで申し訳なさそうに私を早く学校へ送ることになると告げられて、今に至る。


 それにしても。


「暇だ」


 私自身、今日が金曜日ということもあって特に渋ることもなく了承したのだけれど……悲しいかな、慌てて支度をしたせいでテーブルに置いたままになっていた読みかけの本を持ってくるのを忘れてしまった。


 母もいない今、まさか家に取りに帰るわけにもいかず、かといって学校の図書館もこの時間には開いていない。


「……」


 まあ、あと数十分もしたら他の生徒も登校してくる時間になる。ここは諦めて、大人しく天気を眺める作業を再開しようと―――――――ガラ……ん?


「――ぇ」


 聞こえてきたのは扉の開く音。


 次いで、背後から呟かれた戸惑いの声に不意を突かれ、反射的に振り返る。


 それにしても驚いた。まさかこんな早朝に登校してくる生徒がいるとは。一体誰が……


「……え」


 しかし


「……うそ」


 視線の先にいたのは意外な人物。


「のぞみくん?」


「……」


 振り返った先、私の瞳に映るのは1人の女の子。


 なんてことはない。後ろにいたのは私の元クラスメイト、篠田さんだった。


 最後に会った時からあまり背は伸びていないのか、相変わらず小柄な体躯で、前髪には少し色褪せたいちごのヘアピン。何度か見たことのあるカーディガンに身を包み、驚きの表情で固まっている。


「ひ、久しぶりだね」


 篠田香織。私がこの学校に入学して間もなく、唐突に始まった席替えの際に、紆余曲折を経て私と最初に隣の席になったというだけの……まあ、少しだけ縁のある子である。


 お互いに進級してから、実に4ヵ月くらいになるのか。そう言ってぎこちなく私の様子を窺う彼女は、どこか落ち着きがない様子だ。


「……」


 というか、ここは2-2組。篠田さんは確か4組だったはず。こんなに朝早くからこの教室に何か用事でもあったのだろうか。


 そんな訝し気な視線を向ける私にも気付いていないのか、後ろ手で静かに扉を閉めた彼女は、一向にこの場から離れる様子をみせない。


 どうやら教室を間違えたわけでもないらしい。


「ふぅ」


 そして、何やら深く深呼吸をし始めたかと思うと、少しの沈黙の後、やがて呟くような声で私に問いかけてきた。


「こんな早くに教室にいたから驚いちゃった。何か用事でもあったの?」


「……」


 ――それはこちらのセリフなのだけれど


 けれど、今朝の事を一から説明するのはメンドクサイ。小さく首を横に振る。


「それならもしかして、怖い夢でもみちゃった……とか」


「……」


「――って、あはは。のぞみくんに限って、そんなことないよね……」


「……」


「えぇっと、あの……」


 黙ったままでいる私に対して、彼女の言葉は次第に弱々しくなっていく。


「……うぅぅ」


 泣きはしない。けれど、顔を俯かせ、落ち込んでいる様子の篠田さん。できればそのまま、もとのクラスに帰ってはくれないだろうか。


「やっぱり、今日も……」


「……?」


「今日も……私とは話してくれない、のかな」


「……」


 穏やかな日常のひと時から一変。


 なんだか、一瞬にして物凄くシリアスな雰囲気になってきたな。私のせいか。


「なんで……なのかなぁ」


「……」


 このまま項垂れる彼女を見ていても居心地が悪いので、ここで、なんで私が言葉を返さないのか説明しておこうか。


 といっても、そんなに難しい話ではない。


 まず大前提知っておいてほしいのは、こうして私が篠田さんの問いかけに無言でいるのは、何も彼女を嫌っているからだとか、まして単に意地悪をしているからだとか――断じて、そういうことではない。


 簡単に答えると……そうだな。これは、私なりの処世術の一環といえるのかもしれない。


 というか、ただ去年と変わらぬ対応を続けているだけだ。どちらかというと、彼女のために。


 なぜならば、ここは男女比が1:3の歪な世界。草食系、もとい小鹿系男子が大多数を占める教室内で下手に気安さをみせてしまえば、その後しつこく執着されてしまうことなど容易に想像できる。


 だから私は入学当初から一貫して、異性のクラスメイトとは一歩引いた態度で接してきた……そのつもりだ。


 視界に映る篠田さんなどがいい例で、席が隣であった時には会話をすることも多々あったのだけれど、放課後になるとすぐに帰宅していたし、月初めの席替えで距離が離れてからは一切会話をしなかった。話しかけられも当然、今みたいに軽く反応するだけで、基本は無言でいた。


 程度の差こそあれ、他の小鹿君たちも大抵はこんな感じでいたから。


 個人的には、そうすることで私が誰かに好意を抱いているなどという憶測も立たないだろうし、席が隣であった子も、自ずと察してくれるだろうと思っていたのだ。


「私は……また、話がしたいよ」


 思っていた、のだけれど――


「ねぇ、のぞみくん」


「……」


 けれど、その認識も些か楽観的であったのかもしれないと、今ではそう思う。


 だって、篠田さんは絶対に諦めてなどいない。


 一見すると気弱な性格のように見える彼女だが、その本質は相当な頑固者だろう。こうして私が突き放すような態度でいようとも、その視線は未練がましく、言葉は止まない。


「また、隣の席になれたらいいのかな」


「……」


「そうなれば、また……私と話してくれるの?」


「……」


「私は―――」


 続く彼女の言葉は、しかし、廊下の外から聞こえてくる複数の女子生徒の笑い声に止まってしまった。


「もうこんな時間」


 いつの間にか、かなりの時間が過ぎてしまったらしい。窓の外からも元気な子供達の声が聞こえてきて――この教室に誰かが入ってくるのも、もうすぐのことだろう。


「うぅぅぅ、せっかく……」


「……」


 それまでの真剣な表情からは一変。いつもの気弱な様子に戻った篠田さん。迷っている暇もないのか、慌てて教室を出ようとする彼女はその直前、最後に一瞬だけこちらの方へと向き直り……



「私は、絶対に諦めないからね」



 それだけ言い残して、ようやく扉を閉めたのだった。




◇◇◇◇◇




「なるほど、それはとんだ災難でしたね」


「私に手伝えることがあるなら何でも言ってくださいっ! 力になりますよ!」


「――っえ、え? 急にどうしたの2人共?」



「……はぁ」



 時は流れて、その日の放課後。


 朝から篠田さんに絡まれてくたくたの私は、最早お馴染と化したひまわり園の3人組に捕まっていた。


 下駄箱の前。優雅に腕を組み、したり顔で頷いているのは大槻 雫。


 この変な習慣を根付かせた張本人であり、私が塩対応でいようとも、気にせず会話を続けてくる厄介な子でもある。今もこちらが何も言葉を発していないのにも関わらず、なぜか事情を察したようなそぶりを見せている奇人っぷりだ。


 そして、その大槻さんの隣。向かって右側にいるのが才原 茜。


 遡ること一年前、学校が臨時休校になった日のこと。山城さんと山を歩いている時に遭遇した野生動物である。トレードマークはサイズの合っていない黒縁眼鏡で、猪突猛進を地でいくタイプ。大槻さんと同じく勝手に話を進めているが、恐らく本人は何も分かっていない。


 最後に、倉知 奏。


 正直、この子のことは出会ってから1年ほど経過した今でもよく分かっていない。一見すると大人しそうな印象なのに……妙な存在感というか、只者ではない感じがあるのだ。


 私と出会った当初は訳あって学校を休学していたらしく……今も1人だけおどおどとした様子を見せているが、果たして彼女の本質はどこにあるのか――


「そういえば、双葉がまた貴方に会いたがっていましたよ。先生もあれ以来ずっとおかしな様子ですし……どうです? また家に遊びに来ませんか?」


「そうですよ! みんなのぞみくんに会いたがってます!」


「……」


 あくまで無言を貫く私に対して、大槻さん達からひまわり園への誘いの言葉がかけられる。


 このやり取りもいつもの事。私が断ることも含めて。


「うぅぅぅぅぅ。やっぱり、あの時の事が原因……ですよね」


「私は本当に知らなかったんです! それに、悪いのは茜でっ――」


「はぁっ? なんでそうなるの! 私も知らなかったんだよ?!」


「ですが、そもそもあの本の事を言い出したのは茜じゃないですか! まったく、貴方はいつも余計なことばかり――」


「意味わかんないっ! それなら雫の方こそっ――」



「……」


 2人の言い争いから、一日の終わりを感じてしまう。


 認めたくはないが、私もかなり毒されているな。


 因みに、才原さんの言うあの時の事について――


 話は今からおよそ半年前、私がひまわり園へ2度目の訪問をすることになった時にまで遡る。


 きっかけは単純。才原さんからようやく地下への鍵を見つけたと報告を受けたことだった。


 それまでも定期的に才原さんから鍵探しの進捗を受けていたのだが……流石に半年経っても見つからないというので、いい加減私も興味が薄れてきた直後の出来事だった。


 律儀に鍵を探し続けてくれた才原さんに捜索の打ち切りを伝えて、その翌日に見つかったと言われた時には、かなり拍子抜けしたことを覚えている。


 やけにタイミングが良いのが気になる所だが。


 まあ、何はともあれ鍵が見つかったこと自体は素直に喜ばしい。


 まだ見ぬ書物。半年分の期待を胸に、その週の土曜日には再びひまわり園を訪れることになった。


 ――事件はそこで起きたのだ。


『……』


『なんですかこれはっ?!』


『あわわわわ』


『あぁ、終わった。これはもう終わったよ』


『ふーちゃんもみたい!』


 地下室にあったのは私の想像を超える膨大な数の書籍。そこまでは良かった。



『これ全部()()()()本じゃないですかっ!!!』



『はぁ』


 それらが全て()()()()でなければ、もっと良かった。


 そう、私が半年間も期待を寄せた地下室は、過去にいたのであろうどうしようもない大人の、どうしようもないほどに拗らせた趣味の巣窟であったのだ。


 全ての表紙を真面目な哲学書のカバーに変えている所が余計に憎たらしい。


 一体どこに労力を割いているのだろうか。


『……』


 まあ、そういうわけで


 その事実に気が付いた当時の私は、その場で灰になっていたらしい(※倉知さん談)。あまりその時のことは記憶にないが、相当にショックを受けたことは間違いない。


 今でこそこうして気軽に振り返ることができるが、その時の衝撃は風化することなく、今でも私の足をひまわり園から遠ざけている。


 まあ、元々地下室の小説に興味があっただけ……その地下室があんな汚物だと認識できた今、もはや私がひまわり園へ遊びに行く理由もない。


 3人には申し訳ないが、今後私が首を縦に振ることはもうないだろう。


「そういえば」


 帰り際、リビングの方がやけに綺麗な装飾で飾り付けられていた気がする。


 その時は地下室の衝撃が大き過ぎて、さして気にもしなかったのだけれど……ひょっとしてあの日は誰かの誕生日だったのだろうか。


 ひまわり園にも3人とふーさんしかいないようだったし。


 まぁ、今となってはどうでもいいことだが。


『――――――っ!!』『―――!! ――――?!』


「……」


 さて、そろそろ。苦い記憶には蓋をして――


 背後で騒ぐ2人の罵倒の応酬を聞きながら、いつものように母の待つ駐車場へと向かう。


 幸い、この面倒な習慣もあと一年で終わる。


 今年で才原さん達が無事卒業してくれれば、私の心労も多少は減ることだろう。


 ただ一つ、懸念があるとするのなら


「あの、また難しい顔になってます」


「……」


「のぞみくん?」


「……はぁ」


 心配そうな顔をして、いつの間にか私の隣にいる倉知さん。


「やっぱり、あの2人が迷惑をかけてますよね? ごめんなさい」


 悩まし気な表情を浮かべながら、その言葉に嘘はないようで……


「2人共、根は優しい子なんですけど……私がいくら注意しても意味はないですし」


「……」


 大切な幼馴染を思うその姿勢は素直に素晴らしいと思うのだが、些か距離が近すぎではないだろうか。


「――っあ、すみません! つい」


 私が指摘すれば離れてくれるが、このやり取りも何回目のことだろう。


 それに、駐車場も近くなってきた‥‥そろそろあの2人の所へ戻ってほしい。


「うっ、分かってます。分かってますから、そんな目で見ないでください……」


「……」


「うぅぅぅぅ、それじゃあ……また」


「……」


 心底残念そうな顔を浮かべる彼女を見送って、私もようやく気を抜くことができる。


 後に残るのは、朝から感じる疲労感と、明日から休みだという少しの解放感。


 今週も頑張って学校へ行った自分を労わりながら、改めて母の待つ駐車場へと足を向ける。


「さて」


 頭の中にあるのは、朝に置いてきた本のこと。


 私の心の安定剤。


 いつからか感じるようになった、私を覆う閉塞感には気付かない振りをして。



 今日も一日、お疲れ様でした。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「ふーちゃんもいく!」


「……」



 明けて翌日。昨日に引き続き、天候は晴れ。


 山城さん他、ひまわり園の野蛮児共に突撃される前に家を出ることにした私は、久しぶりに古書店カフェへ行けるということもあって、いつもよりやや早い時間帯に家を出ることに決めた。


 あぁ、母のことなら問題ない。朝食を食べた後、呪詛を吐きながら仕事部屋へと向かって行ったのを確認している。あれなら当分は出てこないだろう(合掌)。


 というわけで、いつものように玄関先から靴を持ち出し、静かに書斎の窓から飛び出したのだけれど。



『きたよ!』



 裏庭を抜け出し、目の前に見える山を登ろうとする直前……横から聞こえてきた幼い声に、全てが台無しになってしまったことを悟った。


「ふーちゃんたくさんごはんあるよ!」


「……」


 一体どうやってここまで来たというのか――


 私の目の前でぱんぱんに膨らんだリュックの中からラップに包まれたおにぎりを取り出しドヤ顔をかましているのは、ひまわり園の聞かん坊こと朝原 双葉。園内では密かに"バーサーカー"の異名で知られている、あのふーさんである。


 因みに、私と目が合うなり引っ付いてこようとするふーさんとは既に数分にも及ぶ死闘を繰り広げ、今は休戦中。


 その後の話の中で、どうやってこの場所を特定したのかは定かではないが、ひまわり園からここまで一人で辿り着いたという事実は、恐らく確かなもののようである。


 とても4歳児のバイタリティとは思えないが……改めてここが異世界だということを痛感させられた気分だ。


「これもおにぎり、こっちもおにぎり」


「……」


 というか、先程から私の目の前に並べられるおにぎりは、明らかに子供一人分の量ではないように思うのだけれど――才原さん達、怒り狂ってはいないだろうか。


「おやつもあるよ!」


 いや、そんなことよりも。


 このまま黙っ見ていても埒が明かないと思い、リュックの底から以前にも見たクッキー缶を取り出そうとしていたふーさんを止める。


「おなかすいた?」


 違う、そうじゃない。


「……?」


「……ふぅ」


 一先ず、話を整理しよう。


 まず、今の時点で分かっていること。


 一つ目。ふーさんは勝手に施設を抜け出して来た、ということだ。ふーさんのリュックに詰められていた、たくさんのおにぎり。施設の誰か一人にでもバレていたら、ここまで来ることは叶わなかっただろう。


 二つ目。既にここで私と出会ってしまった以上、ふーさんが満足するまで相手をしてあげなければならなくなった、ということ。今でこそご機嫌な様子のふーさんだが、前回、前々回と、私が施設から帰るときにはかなりの癇癪を起こしていた。その時の経験から、ここで追い返すのは悪手だと分かる。


 最後に、3つ目。このままここに居たら余計に面倒くさいことになる、ということ。これはもう言わなくても分かるだろう(ヒントは猪)。


「仕方ない」


 と、まあ、そういうわけなので――


「もぐもぐ」


 いつの間にかおにぎりを食べ始めていたふーさん。そのあまりにも呑気な様子に、私も一言いってやりたい気持ちはあるのだけれど。


「……はぁ」


「もぐもぐ?」


「取り敢えず、行こう」


「むぐ!」



 山城さん然り、ふーさん然り、出会った時点で詰んでいる。




◇◇◇◇◇




「……う?」



 最初にその視線に気が付いたのは、私の隣を歩いていたふーさんだった。



 唯一の癒しである古書店カフェを目指し、急遽同行することになったふーさんと山へ入ること20分。


光が差し込み、どこか幻想的な森の中。


 それまで陽気に鼻歌を歌っていた彼女は、唐突に静かになったかと思うと、首を傾げながら辺りをキョロキョロと見渡しはじめた。


「……?」


 突然どうしたというのか。私には訳が分からなかったが、ふーさんはやがて、とある一点を見つめて動きを止める。


「……」


 そこにあるのはただの巨木。


 この辺りでは一番大きな木のようで、ただそこにあるだけなのに、妙な存在感を感じてしまう。まあ、私の身長が小さいから、余計にそう見えてしまうだけなのかもしれないけれど。


 でも、特におかしな所はない。


「……む」


 それでも隣の幼女には、やはり何か確信があるようで。


 そのまま、ズンズンと巨木の方へとを向かって行くふーさんをその場で見守ることにする。












「……ん?」


 違った、巨木の方ではなかった。


 ふーさんが向かったのはさらにその奥、巨木の裏側――あ、なんか出てきた。


 巨木の背後へ回り込んだふーさんと入れ違いに、まるで野生のウサギのようなスピードでこちらへと走ってくるこどm……いや、()()()()()


「なんでだよ」


 いけない、意味不明な状況に思わず素でツッコんでしまった。


 けれど、私の瞳に映るのは確かにひょっとこ。正確には、ひょっとこのお面を被っているちびっこ。後ろから追走してくるふーさんを振り返りながら必死に足を動かしているが、その動きは徐々に鈍くなっていく。


「……はぁ…はぁ」


 あまり運動をしていないのか、荒く息を吐きながらも、しかし後ろの化け物には死んでも捕まりたくないようで――


「けほっ……はぁ、はぁ」


 気付けば私のほど近く、あと数十メートルほどの距離まで迫って来たちびっこは、そのへんてこなお面を私に向けると――盛大にすっ転んだ。


「だから、なんでだよ」


 意識的に私の方へと向かってきていたのではないのか、ただのバカなのか……


「まてぇ―――――――!!!!」


「……」


 後ろからはふーさんも追いついてきた。個人的にはこのままこの珍獣同士の邂逅を眺めているのもいいのだが、それでは事態の収拾がつかなくなる。


「はぁ」


 仕方がないので、ひょっとこは私が回収することにした。


  本人も既に力尽きたような状態で、転んでからはその場に蹲っている。


 この子が何者なのかは知らないが、状況から察するに、今まで私達を尾けていたことは間違いない。


 大人しくお縄についてもらおうか。


「――――っ?!!!???!」


 私が肩を掴むと、突然身体を痙攣させるひょっとこ……怖い。


「……ん?」


 というか、よく見たらその服はだいぶ汚れていて――それ以前に寝巻では?


 髪もべたついているし、掴んだ肩も若干骨ばっていて……何というか、全体的に汚い。


「むぅ」


 あまり長くは触っていたくはない、取り敢えずこの子の素性だけでも聞いて「あ゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


「……」


「あ゛あぁぁぁぁぁぁ―――」


「……」


 あぁ、どうしてこう、事態はいつも面倒な方へと転がっていくのだろう。


 私に捕まり痙攣したかと思えば、今度は耳をつんざくような大声で泣き始めたひょっとこ。


 捕まったら食べられるとでも思っているのか、その様子は尋常ではなくて。


「う゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


「……」


 これでは、まるで山城さんのようではないか。


 であれば当然、会話をすることもできない。


「あぁぁぁぁぁぁっ―――」


「……はぁ」


 今日こそはリラックスできると思っていたのに。


「……」


 思えば……この世界に転生してからというもの、誰かの泣き顔を見ることが極端に増えた気がする。


 今回泣いているのは、ひょっとこだけど。



「むぅ」



 一体、何がそんなに悲しいのだろう。



「分からない」



 何がそこまで、悲しくさせる?



「……」



 どれだけ考えても



「……」



 どうして君は泣くのだろう。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇











 『いしょ』




 おかあさんと、おねえちゃんへ。




 わたしは今日、てんごくにいってこようとおもいます。




 それは、2人にめいわくをかけたくないからです。




 わたしのせいでかなしそうなおかおになるのはいやです。




 あと、わたしだけよわくてごめんなさい。




 わたしも、おかあさんとおねえちゃんみたいにつよくなりたかったです。




 ほんとうに、ごめんなさい。




 でも、てんごくには、たくさんのたのしいがまっていると、えほんでよみました。




 だから、わたしはだいじょうぶです。




 しんぱいしないでください。




 てんごくで、大きなおうちをかって、2人をまっています。




 きっと、きれいなおとこの人ともけっこんしているので、しょうかいしたいです。




 おねえちゃんよりも、さきにけっこんしてしまったらごめんなさい。




 ほかにもたくさんいいたいことはあるけど、じかんがきてしまいました。




 おそとがあかるいうちに、おねえちゃんとたんけんしたときにみつけた、大きな木のしたにいってきます。




 そこにあるどくきのこをたべて、くるしんでしんだら、きっとそのぶんだけ、てんごくではきれいなおかおになっているとしっているからです。




 ほんとうは、すこしだけこわいけど。




 いちねんかんも、おへやにとじこもっていたわたしへのばつだとおもって、がんばってたべます。




 もう、わたしはなきません。




 それじゃあ、さいごに、2人へおわかれのことばをつたえて、おわりにしたいとおもいます。




 まず、おかあさんへ。




 わたしをうんでくれてありがとう。




 わたしのおかあさんが、おかあさんでよかったです。おかあさんがつくってくれるたまごやきが、せかいでいちばんだいすきです。




 おねえちゃんへ。




 つよくてかっこいいおねえちゃんは、わたしのあこがれです。おねえちゃんはめったにわらわないけど、わたしにたくさんやさしくしてくれたことはわすれません。




 わたしのかぞくが2人なことが、わたしのいちばんのじまんです。




 ほんとうに、大大大すきです。



             ―――ゆい














死にたくないから

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