11
ひとりぼっち
突然だが、ふと湧いた私の疑問を聞いて欲しい。
というのも、そう難しいことではない。
疑問とはすなわち、前世の世界において異性を家に招いたことがある人は一体どれほどいたのだろうか……ということだ。
期間は――そうだな、小学校を卒業する時点までにしておこう。
まず私が思うに、確かそれくらいの歳の頃だと、異性に対する気恥ずかしさみたいなものは、まだだいぶ少なかったのではないだろうか。人によっては小学校高学年くらいから意識し出す子もいたのかもしれないが。
ただ、私の場合は同年代の友人が私に対して……何というのか、なんだか寒気を覚えるような視線を向けてきたのが中学校に上がった頃だったので、余計にそう思っているのかもしれない。
そして、そんな小学校時代においても、私は異性を家に招いて遊んだことがあると言う友人を、見たことも、聞いたこともない。
それは私の限りなくせまい交友関係のせいもあるのだろうが……ただ、それが珍しいことだった、ということは間違いではないだろう。
あの頃は、大抵の男の子なら外で鬼ごっこやサッカー、女の子は教室に残って雑談に興じていたからな。誘う以前に、そこまで仲が良くなかったのかもしれない。
そして、その頃の私の場合はというと――
そもそも、私は前世においても、今世においても、ただ本を生きがいとする日々を送ってきた。そんな私は当然、家に友人を招いたことも、誘われた際に了承の返事を返したこともない。
それは常日頃から私と一緒にいた弟も同じで、だから前世を含めても我が家に招待した異性というのは今までで一人も……いや、山城さんがいたか(微塵も招いていないが)。
まあ、そういった例外は置いておくとして――
同じ学年に異性のいとこがいるだとか、生まれた頃から近所に住んでいる気の置けない幼馴染がいるだとか……そういった前提がない限りは、上記の疑問には「きっと少ないのだろう」という答えが適切なように思う。
「………」
――と、ここまで長々と語ってしまったわけだが、以上の事を念頭に置いた時に。
では、この世界において異性を家に招くということがどれほどに異常なことなのか……それはきっと、現在、私の目の前に紅茶を置こうとしている大槻さんの振る舞いで容易に想像できることだろう。
「どっ……どどどどどっ…どうじぞ!」
「……」
私がこの家に上がってからというもの、凄まじく挙動が不審なことになっている大槻さん。今も身体の震えは止まらないようで、紅茶の入っているティーカップをカタカタと震わせている。
緊張でまともに脳が働いていないのであろう彼女は、きっと今もカップから紅茶をこぼしていることにも気づいていないに違いない。……というかどうじぞってなんなんだ。
「――っあ、お菓子も用意しないとっ」
「……」
――お構いなく
じっとしていられないのか……慌ただしく動き回る大槻さんを横目に見ながら、私は未だ地下への鍵を探しているのであろう才原さんを大人しく待つことにする。
地下の鍵、それは私がこの家にお邪魔することになったきっかけ。
――なんでも、この家の一つ前の持ち主がかなりの読書家であったらしく、その人物が亡くなった際に行き場を失った数多の蔵書をまとめて地下室に押し込んでいたらしい。
彼女達はそれまで本になんて興味がなかったのか、才原さんも私を引き留めるまではほとんどその存在自体を忘れていたということで、今はこの家のどこにあるのかも分からない地下へと通じる扉を開ける鍵を探し回っている。
折角たくさんの本があるのだから読んでみればいいのに……もったいないことだ。
もしこれからも読まないようなら、どうにかもらえるように交渉してみようかな。
「………」
「……? 確かこの辺りにあったはずなのですが……」
大槻さんは先程から四つん這いになりながら台所にある食器棚や上段に調味料などが置かれている棚の下段を開けたり閉じたりしてる。
そんなに一生懸命探してもらわなくても、私は紅茶だけでいいのだけれど。
「おかしいですね、先生ならいつもこの棚の奥に……」
「………」
――先生
「………?」
――なんでそこで先生という単語が出てくるのだろうか?
「……へ? 何でと言われましても、先生は先生ですし……」
「……ん?」
私の抱いた疑問に対して、逆に不思議そうな顔で返す大槻さん。相変わらず姿勢は四つん這いのまま、少しだけ頬を赤く染めながらも、私を見つめ返す表情からは、からかっている雰囲気は感じない。
「「……」」
そのまま、お互いに頭に?を浮かべながら沈黙してしまう。
「えぇと……あの…」
「ふむ」
――でも、そうだな。
思い返せば、彼女の先生という発言の他にも、この家に入ってから違和感を感じることは多々あった。
まず才原さんと大槻さん。ここがどちらの家なのかは知らないが、2人ともこの家に入った瞬間から、まるで我が家のように自由に振舞っていた。
それに、先程玄関先で出会った女性……彼女は才原さんとも大槻さんとも似ていない。外見年齢的にはどちらかの母親なのかもと思うのだが、ひょっとして彼女が件の先生なのだろうか。
「………っ!」
――と、そこで唐突に驚いた表情を浮かべた大槻さん。
一瞬、何やら般若のような様相を浮かべたかと思ったら……今度は私を見るなり、恐る恐る質問してきた。
「あの、ひょっとして――」
「………」
「あかねからは何も……聞いていないのですか?」
「………」
――何の事だろう?
「……その、この家のことについて…」
「…む」
家のこと?
なんだろう……なんだか家にしてはやけに広いなとか、隣の和室に見える洗い終わった洗濯物の山は明らかに一家族分のものじゃないだろうとか――もしかしてそういうことだろうか。
「――ふぅぅぅ」
「………」
私の返答に対してこめかみを抑える仕草をする大槻さん。……なにやら相当に怒っているようだが。
「…いえ、大丈夫です。怒っているのはあかねに対してだけですから」
そうか、なら大丈夫だな。
「えぇ、ですがその前に。……あかねに代わって私の方から説明しておくべきことがあります」
◇◆◆
「――以上が、私から話せるこの家のすべてになります」
「……」
それから数分後、大槻さんから極めて簡潔に伝えられたこの家の――いや、この施設の内容に、私はわずかながらも衝撃を受けていた。
児童養護施設ひまわり園
幼い頃に親から捨てられた子供達を保護するための場所。
それが才原さんや大槻さんが住む、この施設の名前。
そして先生というのはやはり、先程玄関先で出会ったお団子頭の女性に間違いないらしい。
「………」
普段から騒がしく漫才を繰り広げていた彼女達に、まさかそんな暗い過去があったとは。
そうか、であれば私と初めて出会った頃の才原さんの挙動にも納得ができる。
――あの時、明らかに彼女の心が疲弊していたのも、そういった過去が原因だったからなのかもしれない。やはり話に付き合ってあげたのは正解だったな。返答を誤って自棄になられては後味が悪い。
「ですが、私は大丈夫ですよ。そんな過去、とっくの昔に乗り越えましたから! ……今はそんなことよりも重要なことがありますし」
その言葉の通り、大槻さんは本当に大丈夫なんだろう。嘘をついている感じもしない。であれば私も変に同情せず、これまで通りの態度で接していくべきか。
「……あっ。そういえばクッキーを探している最中でした! 待っていてください、直ぐに探してきますから!」
「………」
伝えたいことは全部言えたのか、再びお菓子を探しに台所へと向かった大槻さんを見送る。
「……さて」
そして、彼女が完璧に死角へ移動したのを確認すると、今度は私の斜め左方向。先程チラッと確認した和室の方へと再び目を向ける。
「今のうち」
「………っ! ……はぐはぐっ」
言葉の意図を理解したのか、視線の先、小さな腕に抱えていたそこそこ高そうなクッキー缶を開けて勢いよく頬張りはじめる幼女。
年の頃は3歳くらいだろうか……大槻さんが説明をしていた途中で洗濯物の山の背後からひょっこりと顔を出していたのを見つけた。
その時の幼女の表情が完全に母親に叱られる前の子供のようで、なんだか微笑ましくなってつい見逃してしまったのだが――まあこのくらいはいいだろう。
「むぐむぐ」
今も頬をぱんぱんに膨らませてクッキーを詰め込む幼女を見つめながら……先程の話を思い出し、なんとなく悲しい気持ちになってしまう。
――経済的な理由か、はたまた不慮の事故があったからなのか、それ以外の理由か…この施設に至る経緯までは分からないけれど……でも、それにしたって、この子はあまりにも幼過ぎる。
「………」
――と、そんな私の気持ちなど知るわけもなく。
やがて缶一杯のクッキーを食べ終わった幼女は私のそばに誰もいないことを確認すると、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
知らない人物が家にいることに若干の警戒をしているのか、私と目が合うと物陰に隠れてしまう幼女は、それでも途中で拾ったくまのぬいぐるみを抱きしめて……気付けば私のすぐそばにいた。
じ―――――――‥‥‥
「………」
ものすごい至近距離で見つめてくるこの子にどう反応を返すべきか迷うのだが、また目が合うと何処かへ隠れてしまうとも限らない。
ここは敢えて無反応でいることで、一先ずは彼女の自由にさせてみようか。
「………」
「……」
――まあ、そのせいで気まずくはなるのだが。
「……つんつん」
しかし確実に警戒は薄れてきている。
今も恐る恐るといった様子で私の腕を人差し指でつついてきた。そして、それにも反応を返さず目を閉じた私を見て、やがてようやく安心できたのだろうか。先程食べたクッキーの食べかすを口元につけたまま、幼女はその小さな口をゆっくりと開いた。
「だぁれ?」
「……」
――まぁ、そこからになるのか。
返答に困る問いでもないため、簡単に名前だけ伝える。
「のじょみ」
「……若干違う」
まあセイギとか呼んでくる小鹿よりは100倍ましなためスルーする。
「ふーちゃんはふーちゃんっていうよ」
「……」
――スルーする
「あしょぼ」
それまでの警戒心はどこへいったのか……自己紹介を済ませると直ぐに私の腕を引っ張る幼女。
彼女が向かおうとするのはこのリビングから見える廊下の先のようで……しかし私は才原さんが帰ってくるのを待っている身。今も台所で見つかるはずのないクッキーを探している大槻さんのこともある。
幼女には悪いけど、ここは大人しく待たせて「……ぅ゛ぅ゛っ」――あ、マズい。
「……ひぐっ…う゛あっ―――」
私が断る素振りをみせた途端に泣き出す準備を整える幼女。それ以上言葉を続けるのなら大声で泣くぞと言わんばかりの用意周到さには舌を巻く。
「………」
相手が山城さんの場合も然り、もうこの時点で私が取るべき行動は一つに絞られる。
「……遊ぼうか」
「……う゛んっ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「………はぁ」
朝を迎えるたび、不意にため息がこぼれてしまうのは、いつの頃からだっただろう。
幼い頃は、同い年の2人と一緒に、お部屋が明るく照らされるのを、今か今かと待っていたというのに。――あぁ、あの時は本当に楽しかった。おままごとや、積み木に、絵本。私達の"楽しい"を満たすものは、この広い家の中に沢山あった。………毎日が、満たされていた。
ガラスに映る自分を見るたび、吐き気を催すようになったのは、いつの頃からだっただろう。
ずっと憧れていた小学校への入学前、先生から伝えられたのは残酷な現実。私達は不細工で、実の親からも捨てられて……男の子とは、話せないんだって。……それでも、一度だけ。どうしても諦めきれなった私は、同級生の男の子に声をかけようとして――その日のことは、悲しすぎて思い出したくない。
学校へ行こうと靴をはいている途中で、体が動かなくなったのは、いつの頃からだっただろう。
クラスの皆、私のことなんてまるで見えていないみたいに振舞って……一時期、私は本当に透明人間になってしまったのではないかと、怖くて泣いてしまったことがあった。それでも、1年生、2年生と、頑張って学校へ通おうとして……気付けば、食欲がなくなって…ふとした時に、涙がこぼれて。
こんなに弱い私を抱きしめてくれた先生は、とても暖かかった。
私のことを愛していると、そう言ってくれた。
胡桃お姉ちゃんも、秋お姉ちゃんも、雪音お姉ちゃんも。
あかねちゃんも、しずくちゃんも。
りなも、まいも。
この場所は……この家だけは、私を許してくれるから。
私は透明人間ではないのだと、安堵して眠りにつくことができる。
だから、叶うのならば……このままで。
ゆっくりと、穏やかに、誰にも迷惑をかけることがないように、静かに。
ただ、息をして……生きていきたい。
「……もうお昼、起きなきゃ」
それでも、変わらず日々は過ぎていく。
いつまでも、立ち止まったままではいられない。
この家に、ずっといることはできない。
――猶予は、私が高校を卒業するまで。
「強くならなきゃ」
いい加減、前に進もう。
来週こそは、学校に行こう。
あかねちゃんと、しずくちゃんと一緒に。
あの頃のように、3人で。
「よし」
――――くぅぅぅ
「……うっ、うぅぅぅ」
起き上がった途端、それまでは静かだっお腹が急に鳴りだす。……恥ずかしい。
「まずはごはん、食べよう」
寝巻のままだけど、どうせ家には知っている人しかいないのだ。このままでいいや。
――――ギィィ
不安になる音を出す扉を開けて廊下に出る。
優しい先生は私の為にいつもご飯を置いておいてくれる。今日もきっとリビングにいけばあるだろう。
「その前に、歯磨きだけは――」
……って
「「「「「ジ―――‥‥‥‥」」」」」
「……みんな、なにしてるの?」
廊下に出てすぐ、2つ隣のお部屋の前には、なぜだかみんなが集まっていて――
どうやら、その部屋の様子が気になるようで……薄く開かれた扉の隙間から、中の様子を静かに観察している所だった。
「……っうわ! ってなんだ奏か」
「ちょっと、静かにしてよ! 気付かれちゃうじゃない!」
「雪音も、その……声が大きい気が…」
「うるさい」
「かなでお姉ちゃん、おはよっ!」
「……おはよう。それで、みんなはさっきから何を見てるの?」
私の声にものすごく驚いた様子の秋お姉ちゃん。それを諫める雪音お姉ちゃんも一瞬肩がびくっとなって……みんなしてそんなに真剣に、一体何を。
「……奏、こっちへおいで」
疑問を浮かべる私を見て、小声で説明してくれたのは最年長の胡桃お姉ちゃんだった。
「……あのね、多分実際に自分の目で見ないと信じられないかもしれないんだけど」
「そうなの?」
「…うん。でも……一応先に伝えておくね」
「……わ、わかった」
隣の扉をしきりに気にしながらも、真剣な表情で私に話してくれる胡桃お姉ちゃんの様子に、思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「いい、落ち着いて聞いてね」
「……うん」
いつになく緊張した様子の胡桃お姉ちゃん。ひょっとして悪いことでもあったんじゃ――
「――が、いるの!」
「……へ」
あまりにも小声過ぎて、全く聞き取れなかった。
「だから、―――が、いるのよ!」
「声が小さくてわかんないよ」
一生懸命に私に何かを伝えようとしてくれているのは分かるんだけど……肝心のその"何か"の部分でもっと小声になってしまう胡桃お姉ちゃん。気付けば顔が真っ赤になっている。風邪かな。
「うぅぅぅぅぅ……奏、ひょっとしてわざとやってるの?」
「ちがうよ、ほんとに聞こえなくて」
もう直接お部屋の中を覗いた方が早い気がしてきた。
――でも
「わ、分かったわ……それなら、今度はちゃんと言うね」
意を決した表情をする胡桃お姉ちゃんの様子に、動かしかけた足を止める。
「……ふぅぅ…それじゃあ、もう一回」
「………」
なんだろう、急に、胸がどきどきしてきたような。
「このお部屋の、先にはね」
気付けば、地面におろした手を強く握りしめていて――
「男の子がいるの!」
頭をガツンと殴られたような衝撃に、私は呼吸をするのも忘れていた。
◇◇◇◇◇
『――――』『―――』『―――――!』
「………」
扉の向こうが騒がしい。
私がこの部屋に連れてこられてから10分と少し、背中に感じる視線の数もだいぶ増えてきたように感じる。
大体、あれで本人たちは私にバレていないとでも思っているのだろうか。
隠れたいのならもう少し静かに、あと扉はもう少し閉めるべきだろうに。
「……はぁ」
「むぅ……おままごとにしゅーちゅう!」
「……」
やる気のなさを見抜かれたのか、この部屋に入ってから続いているおままごとの役になりきっているふーさん(ぷーさんみたいだな)に怒られてしまった。
ちなみにおままごとの役は私が夫でふーさんが妻ということになっている。
強制的にこの配役を決められた時には激しく嫌悪感を抱き、普通に嫌だと拒否しようとしたのだが、ふーさんが……もう言わなくても分かるだろう。
「はい、あなちゃ。ごはんよ」
「……はぁ」
どのみち才原さんが鍵を見つけてくれるまでのことだと割り切り、今に至る。
「ふーちゃんもたべゆよ」
「そうですか」
「にんじんしゃん、あげゆ」
「……」
こんなことで平常心を失ってはダメだ。相手は子供、相手は幼女。よし。
「……む」
――と、そんなことを考えていた時、
それまではおままごとに集中していたふーさんが、唐突に私の背後を睨んでいることに気が付いた。
「ふーちゃんのおへや! はいっちゃめっ!」
「……?」
どうしたのだろうかと、つられて背後を振り返った私の目には――
「……夢じゃなかった」
いつの間にそこにいたのだろうか。
「なんで」
そんなことを呟いて、呆然と佇む先生が映っていた。
◇◆◆◆◆
「……」
玄関の扉を開けて、最初に目に映ったのはリビングで言い争っている茜と雫の姿だった。
「やっぱりあかねが食べたんでしょう?! 誤魔化さないで本当のことを言ってください!」
「だからクッキーなんて知らないってば! そういうしずくだって―――」
リビングに隣接している和室の前で、私がひそかに買っていたクッキー缶を胸に抱えている涙目の雫。対する茜のほうも既に瞳がうるんでいて、状況の整理はつかないが、止めるべきだと判断する。
「待ちなさい貴方達! なんでまた喧嘩なんてしてるの?!」
「……先生っ! だってあかねがっ―」
「違うって言ってるじゃん! しずくのばか!」
「ですがこの空になったクッキー缶を持っていました! 私は見たんです!」
「ここに戻って来た時には空だった! 私はそれをたまたま見つけただけ!」
「……なんで本当のことを言ってくれないのですか!」
「しずくこそっ! なんで私の言うことを信じてくれないの! ……のぞみくんのこともそう、そんなんだから親に捨てられたん―――」
「――っ、いい加減にしなさい!」
「「……っ」」
私の静止も虚しく、再びヒートアップしてしまった二人を叱る。
思えば、こんなに大きな声を出したのも久しぶりだ……そして、そんな私の怒鳴り声に驚いた表情の二人は、やがてどちらともなく泣き出してしまった。
「……っ、ちがっ――」
自身の短慮を後悔してももう遅い。
2人共、普段はあまり泣かない子達だから、つい油断してしまった。
「「う゛あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」
部屋に響き渡るほどの大声、私のせいでそうなってしまった事実に……私の方まで泣きたくなってしまう。
「……っ、でも」
それでも……彼女達には、変わらず仲良くしていてほしいのだ。
ただでさえ女性余りが激しいこの世界、この国で。
致命的なまでに不細工な顔で生まれてしまった私達には、お互いに頼れる友人が必要なのだから。
……でなければ、本当に生きるのが苦しくなった時に…誰も、助けてはくれないのだから。
これから先、今以上に泣きたくなることなんて…山ほどあるんだから。
「お願い、二人とも。分かって……」
頭に響く泣き声に、いつもなら彼女達を抱きしめてあげるのだけれど……今日はなんだか、疲れてしまった。
「お願いだから」
私だって、本当はこんなふうに思いっきり泣いてしまいたい。
でも……優しかったお母さんはもういない。
私には、安心して泣ける場所なんてない。
私が大学を卒業してすぐ、それで自分の役目は終わったのだと言わんばかりに、呆気なく死んでしまったから。
心の病気だった。
それまで、誰に対しても優しかったお母さん。
今の私だから分かる。
お母さんはきっと、優しくすることに疲れてしまったのだ。
だって、そんなことをしても……誰も見てくれない。
私達がどれだけ頑張っていたって、男の人は私達を選んではくれない。
――だって、不細工だから。
理不尽だと思う。
ふざけんなと、思いっきり叫んでやりたいとも思う。
――けれど
でも……例えば私が男であったとしても、きっと、私は私を選ばない。
きっと、私は私を見はしない。
私は――
「――」
「――――」
「……へ?」
「……先生」
「大丈夫?」
「あれ、貴方達…いつの間に泣き止んで……」
気付けば、それまで泣いていたはずの茜と雫が、項垂れる私を心配そうに見つめていた。
「先生、こっちに来て」
「はやく!」
「……っ、ちょっと、2人共!」
そして、なぜか私の手を引っ張っていく先は最近ここに入って来たばかりの女の子の部屋。
「……なんで急に」
朝原 双葉
1週間前にここに来たばかりの彼女は、ここがどこだかも、自分がどうしてここにいるのかも分からない様子だった。
身勝手な母親のせいで、ひどく心細い思いをしたのだろうに――
不安げな様子の彼女は、私の作る料理にはなかなか手を付けてはくれなくて……彼女のために用意した部屋の中で1人、ただじっとうずくまって泣いていた。
この家にいる他の子達も、気にはかけていたのだけれど。
『―――、――――!』
私が抱きしめても、愛していると伝えても、彼女は笑ってはくれなくて。
『――! ――――』
時間とともに、傷が癒えるのを待つしかないのだろうかと。
『―――――!』
……そう、思っていたのに
『――――おままごとにしゅーちゅう!』
「……嘘」
扉の先から聞こえてきたのは、確かに、あの子の元気な声だった。
いや、それよりも――
私をここまで連れてきてくれた茜や雫の他にも、その場には、施設の子供達みんなが集まっていて……
視線の先、全員が共通して目に映すのは、そんな様子の彼女ではなくて……もう一人。
「驚いた? 先生、私が最初に知り合ったんだよ!」
「仲が良いのは私の方です!」
「私の方がいっぱい話したもん!」
「私だって!」
「………」
先程喧嘩をしていたはずの2人の仲の良さそうな声が、どこか遠くに聞こえる。
「どう、先生。元気出た?」
「先生に悲しそうな顔をされるのは、私も嫌ですから」
「………」
私の目には……私の世界には、もう彼しか映っていない。
「先生?」
「……どうされたのですか?」
不思議な顔で私を見つめる子供たちの横を通り過ぎ、扉のノブに手をかける。
今、目の前の光景が泡となって消えてしまわないように。
夢から、覚めてしまう前に。
――早く、彼の下へ
◆◆◇◇◇
「……なんで」
「……?」
私の背後、突如として現れたこの施設の先生。
彼女が発する言葉の意味は曖昧で――その瞳はただ、困惑に揺れているようだった。
「……」
ただ――震える腕で、私の方へと手をのばし
「………」
ゆっくりと近づいてくる、彼女はまるで
「………」
――まるで
「……いかないで」
迷子の子供、そのままで。
「――っめ!」
目の前、手を広げて私の事を守るように立っているふーさんに大丈夫だと伝える。
「いいの?」
「……」
――問題ない。
これは理屈とかじゃなくて、完全に私の直感なのだけれど。
私を見つめる先生の瞳からは、私に対する邪な感情なんて微塵も感じない。
本当に……ただひたすらに、心細そうで
「………」
こういう時、そんな彼女に対して私がしてあげられることは一つだ。
「…こっち」
私の方へと伸ばされた手を引いてあげる。
先生も、私の誘導に従うままに――そのまま私の前で膝をつくかたちで目線を合わせる。
「……さて」
これから、私のすることは至って単純。
この世界で時々情緒不安定になる母に、極たまにしていることを‥‥先生に対しても、同じように。
――ギュ
抱きしめてあげる。
ただ、それだけ。
◇◇◇◇◇
不意に私の醜い顔を包み込む優しい暖かさに……それまでの不安が嘘のようになくなって、心底安堵する。
あぁ、すごいな。
あったかいなぁ。
「……ふふ」
こんなに落ち着いた気持ちでいられたのは、ずっと昔、お母さんと一緒にお布団の中にいた時以来かもしれない。――いや、それ以上かも。
「あぁ、よかった」
クリアになった頭の中で考えるのは、この施設にいる子供たちのこと。
既に中学校へと進学している3人の年長のお姉さんに、今年から小学5年生の茜と雫。
今は少しだけ学校をお休みしている、同じく5年生の奏。
来年から小学校に入学することになる里奈と麻衣。
――そして、双葉。
この施設に暮らす子供達には、今まで、本当に寂しい思いをさせてきた。
私1人ではどうすることもできなかったとはいえ……それでも、そんな言い訳を免罪符に、彼女達の悲しそうな顔を見る日々はただただ辛かった。
「本当に、よかったぁ」
けれど、もう大丈夫。
「………」
この温もりがあれば、きっと大丈夫。
「………」
なんでこんな場所に男の子がいるのだとか、なんで私達を見ても平然としていられるのだろうかとか――もう、そんなことはどうでもいい。
――こんな私を、抱きしめてくれたのだから。
「………ぅ」
こんな、不細工な私を。
「………ぅぅ」
だからもう、いいのだ。
「………ひぐっ…」
これ以上は、望み過ぎだ。
「……………うぅぅぅ……」
私はもう、十分。
「………」
どうして私の時にはいてくれなかったの――なんて、絶対に口に出してはダメだ。
「…………お゛か゛し゛いなぁ……」
今はただ、この温もりを……幸せを…
『――――――』
――なのに
「………っ」
胸の内から溢れる悲しさが、消えてくれない。
「………う゛ぅ゛ぅぅ」
言葉を紡ごうとするたび、どうしようもなく涙が溢れてくる。
「………い゛や゛」
私の泣き顔なんて、子供達には絶対に見せたくないのに。
「………な゛んで…」
それでも
「………おねがい、どま゛って゛…」
どうしても
「……お゛があ゛さん」
涙が止まらない
泣き虫の貴方へ