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プロローグ

蛇足。



 目を開けて最初に視界に映ったのは、横たわった状態の私をじっと見つめる老女の姿だった。



 年齢は70歳くらいだろうか。

 顔には深い皺こそ刻まれているものの、彼女の白髪にはハリがあり、その瞳は薄明るい深緑色に染まっていて……こんな状況でなければ思わず見惚れてしまう程に綺麗だった。


「「………」」


 そのまま一言も発さず私を見続ける彼女を前に、いまだ倒れたままの私はこの意味の分からない状況をなんとか理解しようと、ぼんやりとしている頭を必死に働かせる。


 私はたしか――


 そう、私が最後に思い出せる記憶は学校からの帰り道。


 季節は四月。その年に高校2年生へと進級した私は、今年から私と同じ高校に進学した弟と共に、家への帰路へと着いていた。


 私の隣を歩いていた弟は、物心がついた頃から人付き合いを大の苦手としている。


 何かきっかけがあったわけじゃない。幼い頃から家に籠って本を読んでいた私の隣で、何が面白いのか分からないが、じっと私が読んでいる本を眺めていた。


 本に興味があるかとも思ったのだが、違うらしい。


 ――私が小学校4年生くらいの頃だったか。弟のためにと思って学校の図書館から何冊かお薦めの本を借りてきたのだが、弟は首を小さく横に振って読もうとはしなかった。


 本人曰く私の隣が一番落ち着くから、とのこと。


 暇じゃないのかと疑問には感じたものの、そう言われて悪い気もしなかった私は、それからずっと隣にいる弟の事をやがて気にしなくなった。


 読書に没頭する兄と、それに引っ付く弟。幼い頃から家に籠っていた私達を見かねた両親が何度か外へと連れ出そうとしたものの、本を胸に抱いたまま蹲る私と真似をして一緒に蹲る弟は頑として部屋から出なかった。


 部屋に籠城する私達と両親とで争った日々は、今ではいい思い出になっている。


 そんな、親からすれば色々な意味で手のかかる私達だったのだが……そんな両親の影響か、生まれた時から顔は良かったみたいだ。


 私も弟もその中性的な見た目から幼い頃はよく女の子に間違われてしまうことがあったのだが、成長した私達はクラスメイト曰く「…かっこいいっていうか、綺麗系だな。ぶっちゃけ俺は性別なんて関係なくお前と付き合いた―――」らしい。


 脈絡なく告白をかました彼がその後近くにいた友人から玉を潰されたことは――どうでもいいか。


 そういうわけで、男女関係なく何度も告白されていた私と同様に、弟も例に漏れず異性からの注目を集めているみたいだった。


 まあ、そういった人付き合いを苦手とする弟なので、間接的に告白を断る方法みたいなことを相談されたことも何度かある。


 たしかその日も――


『―――!』


 ――あぁ、そうだ。


「思い出した」


 そうだった。


 下校中、弟から同じクラスの女子の目が怖いと相談を受けていたのだった。


 なんでも、小学校の頃から何度も弟に告白してきた女の子の事で……その子の事は何回か相談を受けていたので私も知っていた。


 何度も弟に告白してくる彼女は今でも変わらず弟を諦めていないらしく、その日も昼休みに弟を屋上に呼び出していたらしい。


 いい加減にしつこすぎるとストレスを溜めていた弟は、今日初めて彼女からの呼び出しを無視した。


 それだけでも弟にとってはかなりのストレスだったことだろう。


 昼休みに私の前に来た時にはかなり疲れた様子だった。


 そうしていつも通りお昼休みを終えたのだが、教室に戻った弟曰く既に席に着いていた件の彼女は弟の事を能面のような無表情で見つめていたらしい。


 その瞳に背筋が凍るような恐怖を感じた弟は、午後最後の授業が終わるや否や教室から逃げるように私の下へと来たというわけだ。


 ぽつり、ぽつりと、何度か言葉に詰まりながらも必死に恐怖を訴える弟の話を黙って聞いていた私は、そのときふと、前方に小さな人影が佇んでいることに気が付いた。


「………」


「兄さん?」


 突然足を止めた私を不思議に思い、目線を下げていた弟も私が見つめる方向へと目を向ける。


「………ひっ」


 隣で小さな悲鳴が聞こえた。


 まあ、それも仕方がないだろう。


 なにせ、前方に立っていたのは件の彼女なのだから。


 ――いや、それだけではない。


 彼女の手には遠目からでも分かるくらいに鈍い光を反射している刃物が握られていた。


「……」


 私達が気付いたからなのか、その場からゆっくりとこちらに向かってくる彼女の表情はよく分からない。


 ――ただ、その雰囲気が、肌に感じる緊張感が、いやでも良くないことが起こると私達に確信させる。


 明らかにただ事ではない、私はすぐに弟とその場を離れようとしたのだが……


「……あ、ああっ」


 ああ、そうだった。


 昔から弟は極度の緊張状態に陥ると身体が固まって動けなくなってしまう。


 こんな状況では一緒に逃げるなんて酷か。


 そして、そんな私達に関係なく前方の彼女はだんだんと互いの距離を縮めてきている。


「………」


 弟は依然として固まったまま、私が弟を担いで走ってもすぐに追いつかれてしまうだろう。


 ――しょうがない。


「………」


 私は黙って弟の前に立つ。


 こういった場面であっても、私には少しの動揺もない。


 それは当然だろう。


 私はこれまでいくつもの小説を読んできた。


 ――そう。ただの日常では体験できないようなことも、読んできた本の数だけ経験してきたのだ。


 その経験の中には当然、こういった場面も何度かあった。


 大丈夫。その物語の主人公達はどうやって困難を乗り越えてきたのか、私には容易にイメージが出来る。


 頭の中ではいつかの日にテレビで放送されていた某アニメの戦闘曲が流れている。


「……」


 後ろには大切な家族、前方には不気味な雰囲気の彼女。


 男として、ここは絶対に引くわけにはいくまい。


 私は前方へと足を進める。


「……に、兄さん!」


 後ろからは弟の悲痛な声が聞こえる。


 だが、心配しないでほしい。


 私にはもう前方の彼女にドロップキックをかますところまでイメージが出来ている。


 死角にも注意を怠らない。


 故に、負けはない。


 互いの距離がいよいよなくなっていく。


 ―――そうして、私は




「回想は、それくらいでいいですか?」


「……」


 気が付けば、私を見つめていたおばあさんはいつの間にか近くの椅子に腰かけていた。


 というか椅子なんてあったのか、さっきまではただの真っ白な空間だったはずなのに。


 そして、おばあさんの対面にも同じ椅子がもう一脚。


 いつの間にかそこに鎮座していた真っ赤な椅子は、この真っ白な空間の中ではひどく場違いに見える。


 ――いや、それよりも


「とりあえず座ってください。……まあ、そういう私も貴方と同様に、年甲斐もなく動揺しているのですが」


「………」


 おばあさん曰く、どうやらここは死後の世界。


 現世にて生涯を終えた者の魂がはじめに訪れる場所で、彼女はその魂を次の場所へと送る窓口のようなことをしていると。


「分かりやすく神様みたいなものだと思ってくださって結構ですよ。その方が分かりやすいでしょう?」


 そう言って微笑む彼女を前に、私は無表情ながらもかなり興奮していた。


 これはあれだ、きっと異世界転生だ。


 進研ゼ〇で見たことある。


 そうか。こういったオカルトは基本的に物語中の事だけだと思っていたのだけれど、実際に体験できるとは。


 そんなことを考えていた私とは裏腹に、目の前のおばあさん改め神様は困惑した表情を浮かべて言った。


「まあ、そこまではいいのですけれど。問題は貴方が本来訪れる場所はここではないということです」


 どうやら彼女以外にも同じような役割の神様は一つの世界ごとに1人いて、私が本来送られるべき魂はここではないらしい。管轄違いだと。


「……こんなことは私も初めてです」


「………」


 そう言って再び黙り込む神様を前に、私は先程まで追憶していた記憶の続きを思い出していた。


 神様の言うことが本当なら、どうやら私は死んだらしい。


 ということは、私は戦いに敗れたということだろうか。


 彼女と対峙してからの記憶はなぜか途切れていて、そこから思い出そうとしても頭に靄がかかったみたいに中断される。


 ――弟は大丈夫だろうか。


 と、そんなことを考えている私を前に、神様はなんでもないことのように告げた。


「ああ、それなら先ほど貴方の記憶を拝見したのでお答えできますよ」


「……」


 なんだかサラッっとすごいことを言われた気がしたが――まあ神様だからいいか。


 それよりも私の死因が気になる。


「まあ、そうでしょうね。……けれど本当にいいのですか?」


 どうせ死んでしまったのだ、今更何を伝えられたところで動揺することもない。


「そうですか」


 よしこい。


「貴方の死因は自動車との衝突事故です」


 ――ん?


「ですから衝突事故です」


「………」


「どうやら貴方は目の前にいた女子生徒にドロップキックをしようとしたみたいですね」


「………」


「ですが…その拍子に背負っていたリュックから本が飛び出してしまい、その本を追って車道へと飛び出した貴方は近くを走っていた車に轢かれたようです」


「………」


「ちなみにその渾身の蹴りも相手には容易に避けられていますね」


「………」


「ああ、ですが貴方が轢かれたことで女子生徒も動揺してしまい、弟さんもかなり取り乱していたようで――結果的に弟さんは無事ですよ」


「………」


「というわけで、良かったですね」


「………」


「――それよりも、本来ここに来るはずのない貴方をどうしようかと悩んでいたのですが、良ければ私が管理している世界に転生してみませんか?」


「……」


「あの…」


 行きます。


「……え?」


 行きます。


「……即決、ですか」


 直ぐにお願いします。


「なにか質問などはないのですか?」


 ないです。


「そうですか――まあ、それならいいのです」


 早くお願いします。


「……ええと、ではいってらっしゃい?」


 そうして手を振る神様は光って……いや、光っているのは私か。


 視界は白に染まり、そうして――



 私は転生した。













ゆるくいきます。

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