2:街へ
「(うっ、人だらけ)」
また体の感覚が薄くなり、再び目を覚ますと、そこは大きな聖堂のような場所でした。まるで歴史的な教会のような綺麗な場所です。
ただ、本来は神秘的なはずの空間はあまりに人が多いせいで神秘さはかなり薄まってしまっていました。寝転がっていたようで体を起こすと同じようにキョロキョロしている人たちが何人もいます。目があって、なんともなしに愛想笑いをしあいました。
これが、スポーンってものなのでしょうか。
義兄さんの話では、私は東京在住なので日本サーバーの中の12の小サーバーの内の『ファストシティ』(ファーストシティとも)に割り当てられると聞いています。ここがファストシティなのでしょうか。だだっ広い聖堂の壁際では白い服を着た人たちが目を覚ましたら直ぐに聖堂を出るように勧告していました。そうだ、でなきゃ。見れば聖堂の奥が発光していて、そこから続々と人が運ばれてはこの何もない空間に横たえられています。私もああして運ばれ来たのでしょうか。
意識ははっきりしている。手も足もしっかりとした感覚がある。ヘッドギアを被る前のリアルの感覚と何一つ違いがありません。ゲームの中にいるというよりは、まるで違う世界にいつの間にか移動させられたかのよう。立ち上がって、歩き出す。この聖堂の関係者と思われる人たちの案内に従ってとりあえず外へ。
人、人、人。まるで長期休暇の観光地のような有様。私と同じようにコスプレをしているような人が沢山います。これではナオちゃんや夏恵ちゃんと合流するのは本当に大変そうです。
まだ約束の時間までにはそこそこ時間があります。教会を、初期リスポーンを出た場所で待っててって話だったけれど、考えている事は皆同じなのか凄い混雑で、更には「ウチのパーティーにはいりませんか!?」「クランメンバー募集中です!」などと何かの看板を持ちながら叫んでいる人もいます。まるで大学のサークル勧誘のようです。広場の大きさはかなり大きめの公園ほどありますけれど、人だらけです。
このままだと人酔いしそうなので、私は人の流れに逆らわずにそのまま教会から出て更に大通りにそって歩いてみます。
凄い。まるで本当にファンタジーの世界に迷い込んだ感じです。
西洋チックな街並み、けれどどこかに魔法的なモノをうかがわせるものが見受けられて、これで人さえもっと少なければゆっくりと見られるのに。
けど、この人の流れはいつ途切れるんだろう。流れにのって歩き始めたはいいけれど、止まる様子がない。このままではそのまま街の外へ出てしまいそうな気がしかす。
ああ、どうしようかな。どこかで流れから逸れなくちゃいけないんだけど、前も後ろもお友達の一団なのか横に広がって歩いていて避けられない。あ、あの屋台気になる。魔法の杖――――いけないいけない。また目移りしそうになってしまいました。こんなところで寄り道し始めたらきっと待ち合わせに遅れてしまいます。
どこかに突破口はないかな。そんな事を考えながら歩いてキョロキョロしていると、ふいに小さな鳴き声が聞こえました。悲鳴をあげる様な小さな甲高い声。
「猫―――――?」
義兄さんは言っていました。街には何故か猫がいっぱいいるらしい、と。基本的にリアルの生物からは乖離した生物が多いALLFOの世界の中で、猫は明らかに猫のままらしいです。同時に、猫には優しくした方がいい、とも言っていました。言われなくても、そうします。私は猫が大好きだ。プレイヤーネームの中にいれるくらいには。けど、ユズ・ペルシャも、ユズ・スコティッシュフォールドもユズ・ベンガルもユズ・マンチカンもダメだったのはちょっと意外でした。みんなプレイヤーネームを考えるときは似たような事を考えるのかも。
ともかく、今私が聞いたのは子猫の鳴き声です。まるで母親を見失った子のようなか細い声。
「ごめんなさい!通して下さい!」
体は自然と動いていた。躊躇いが消えていた。人の流れに逆らって動く事で周囲に迷惑をかけたりしてしまうことは嫌な事だ。けど、それは私が頭を下げればいい話です。助けなきゃ。そう強く思いました。
聞き間違いなのか私以外に気にしている様子もない。無理もないです。ここは多くの人の声が集まっている。音の隙が無い。子猫のか細い声なんて聞こえるような状態とは程遠い。
けど確かに聞こえました。聞き間違いなら私が悪いで済む話。けどそうでないのなら、この声が聞こえた私が手を差し伸べなきゃ。
鳴き声の聞こえた方に少し逆流しつつも向かいます。通りの脇へ逸れる。先ほどはまるで動けなかったのに今は動けます。
人の流れを縫って通りの脇に完全に出ると、そこには薄暗い小道があった。
『mii……』
聞こえた。やはりいる。
何処に。
目を動かす。耳を澄ます。雑踏の声が遠のく。脇道の中に少し足を踏み込むと通路を形作る家の下の方に何がをぶつけて壁がかけたようなクボミがあり、そこに小さくて真っ黒な毛玉が丸まっていました。
「見つけた。大丈夫?」
小さな猫だ。手のひらサイズの黒猫。本当に生まれてそう日が経っていない子猫。
私が近づいてしゃがむと子猫は顔を上げてこちらを見ました。すると驚いたように立ちあがり背を高く丸めてシャー!と小さく威嚇した。けどその体に力は無くて、ふらりとよろめいた。まるでその威嚇は恐怖と不安をなんとか抑え込もうとするような痛々しさがありました。土埃にまみれ、所々ケガをしているようにも見えます。私に威嚇しながらも、その意識は大通りの方にも向いているように見えます。まさか、この子はこの人通りの多すぎる道を渡ろうとしていたのでしょうか。
どうしよう。猫に人間の為の回復ポーションって使っていいのかな。ネフォリャタルトさんは全てを教えるわけではないと何度も言っていました。ALLFOの世界の中で調べればわかることはこれ以上教えないと。
とりあえず、水、かな。今すぐ死んでしまいそうなほど弱っている感じではない事は不幸中の幸いです。
えっと、インベントリ……わっ、やっぱり慣れないなぁ。
インベントリは私の持っているアイテムをしまっておける私だけの空間の事。念じれば取り出し口が空中に開きます。その真っ暗な穴に手を突っ込んで水筒と頭の中で念じると、固い何かが手に触れる感触。硬いものを握った手をインベントリから抜くと私の手には金属でできている水筒が握られている。
手は、きっと綺麗、たぶん。なにも触った記憶はない。蓋を開けて片手を器のようにして水をそそぐ。片手の手のひらで貯められる水などたかが知れてるけど、適当な小皿が無いからこれが一番手っ取り早い気がします。
「ほら、のんで」
水を乗せた手を差し出す。子猫はより後ずさり威嚇する。けど下がろうとしてももうそこは壁。それ以上下がれない。にっちもさっちもいかなくなった子猫は一か八かなのか私の手に噛みつきました。チクっとした痛み。紙で手を切ってしまった程度の浅い痛み。子猫と言えどもっと痛くても不思議ではないけど、これはゲームの世界だから痛くないのかな。痛みの代わりにジワリとした刺すような熱が噛まれている部分に或る。それと、思ったより遥かに嚙む力が強く感じます。普通の子猫じゃないのかな。
「怖くないよ、怖くない」
噛み付いて、睨んで。精一杯虚勢を張って。けど、猫はそんなところも可愛い。気ままでプライドが高い。こんな小さい猫にも気高さがあります。
子猫は震えながら私に噛みついていたけど、やがて私の手を噛む力が弱くなる。顎が疲れたのか口を離してまたちょっと後ずさり、ダメージを受けたことを表す小さくて薄い赤いガラス片のような物が子猫に噛まれていた場所から零れ落ちます。子猫は其れに構うことなく私の手の匂いを嗅ぎ、恐る恐る私の手の中の水を舐めるように飲み始めました。
逆立った毛は徐々に元に戻り、強張って丸まった背から力が抜けていく。小さくザラザラした舌が少しくすぐったいです。手の形を上手く調整して子猫にも飲みやすいように調整する。ああ、可愛い。子猫は水を2回お代わりすると、幾分か目に力が宿ったように見えました。
「よしよし」
少し怯えてるけど、これ以上怯えない様に優しく丁寧に土埃を子猫の身体から軽く払ってあげます。母猫とはぐれちゃったのでしょうか。だとしたら、会わせてあげたい。でもそれより先に餌を用意するべきかな。どうしよう。固形物、食べれますよね。それともAIチャットでポーションが猫にも使えるか聞いておくのが先でしょうか。
「あ、ちょっと、あぶない!」
と、ちょっと考え事をしていたら子猫が人の脚が行きかい続ける大通りにそのまま愚直に突撃しようとしたので慌てで手で掬い上げるように回収。危ない危ない。どおりでケガが多いわけですね。液体のように体をくねらせられる猫とはいえ流石に無茶です。
捕まえられた子猫はちょっと身を捩ったけど、本気で抵抗する気はないのでしょうか。両手に乗せたまま顔を覗き込むと、子猫が此方の目を見返してきました。その目には確かな知性があるように見えます。
「たぶん、ここを渡りたいんだよね…………」
本当に人が多い。夏恵ちゃんの提案で朝の6時って一番人が少なくなる時間をわざわざ選んだのに。あ、でも、海外とも連携しているALLFOだと関係ないのかな。日本が朝ならどこかは必ず昼で、あるいは夜なんですから。先入観を取り払って見てみると、聞こえてくるのは日本語だけど顔つきは日本人っぽくない人ばかり。翻訳ツールの精度があまりに高くて気づきませんでした。
ん~土地勘がないから回り込むのも難しいし……待ち合わせの時間に間に合わなくなっちゃうかも…………よし、覚悟を決めて、突撃です!