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神と怪物  作者: 観月
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 地の果てまで広がる砂漠と、その先から始まる銀河。小さなオアシスには緑の草木に囲まれた水辺があり、星々を映して青く煌めいている。

 オアシスの端の砂丘が始まるあたりに、砂漠を渡る民が一夜の宿をとっていた。テントが円を描くように張られ、中心では彼らの旅の友である甲羅象が数頭、眠りについている。

 夜明け前の静けさに支配された景色はまるで一枚の絵のようであったが、思い出したように響く甲羅象の大きな寝息が、この景色を現実にひきとめているのだった。


 テントの中で、少女はたらいに張った水に布を浸した。

 音をたてないようにそっと手を翻したのに、水面は波紋を広げ、思いがけない水音をたてる。

 その音にテントの隅に寝ていた女が抗議めいたうめき声をあげ、寝返りを打った。

 リズは手を止めて様子をうかがう。すると、寝起きを共にする師匠のユリナが、ため息とともに身を起こす気配がした。

「ごめんなさい」

 ユリナが起きるまでに、弟子のリズは身支度を終えていなければいけない。ユリナを起こしてしまったこと、そしてまだ身支度が整っていないこと、二つの意味を込めてリズは詫びた。

「いいよ」と答え、ユリナは大きく伸びをして起き上がる。

「今日は早めに起きるつもりだったからね」

 眠たげに目をこすりながら、炉に設置された甕の中を覗き込んでいる。甕の中では、リズが夕べのうちに調合し、一晩かけて煎じた薬が出来上がっていた。

「アンタが初めて、一人で作った薬の出来具合をみなくちゃいけないからね。どれどれ?」

 ユリナが甕の中身をかき混ぜる。

 確かに一人で作るのは初めてだが、リズには自信があった。いつもユリナのすぐそばで、薬を作る手伝いをしてきたのだ。十年、正確には十一年も生きていれば、その回数は何百回いや、千回だって超えている。

 匂いも、とろみの具合も、味も、いつもユリナが作ってくれるものと寸分違わないものが出来上がったと思っている。煮詰まり具合も上出来で、何も問題はないはずだ。

 とはいえユリナがどう判断するのか? リズの気が付かないような不手際はなかったか? ユリナが検分する間に、リズの拳には、知らず知らずに力が入った。

「うん。いいんじゃない? リズ、さっさと体を拭きなさい。今日はアタシが薬を塗ってやるから」

 ユリナの明るい声に、握りしめていた拳が緩む。

「はいっ!」

 リズは大きな声で返事をすると、いきおいよく布を揉みだし始めた。


 砂漠を渡る民はたいてい、褐色の肌と暗い色合いの髪を持っている。

 その中にあって、リズの肌は異様なほどに白かった。髪色も薄く、寝ぼけたような色合いだ。

 そのためリズは太陽に弱い。ユリナが作ってくれる煎じ薬を毎朝塗り込まなければ「死」の可能性すらある。リズの肌は、いくら太陽にさらそうとも褐色になることはなく、ただただ赤く焼けただれるだけなのだ。

 砂漠を渡る民の中では出来損ないの異端児だった。そのうえ、肌を守るための煎じ薬は深緑色で独特な匂いを発した。 

『おまえ臭い』『近寄んな』『緑カエル』

 同じ一族の子ども達に、いじめられるにはじゅうぶんな理由だ。

 過去に一度だけ、リズは薬を塗らずにテントを飛び出したことがある。

 ユリナの手をすり抜け薬師のテントを飛び出したリズは、朝日に数分晒されただけで肌が真っ赤に膨れ上がり、三日三晩寝込むこととなった。しかし、砂漠を渡り、各地の種族と交易をして暮らす一族は、リズのために出発を先延ばしにはしてくれなかった。

 その時、死の恐怖と痛みに絶望するリズを、ユリナは見放さないでいてくれた。オアシスにリズとともに残り、看病を続けてくれたのだ。

 薬師というのは一族の中でも独特の立ち位置にある。族長と言えども、薬師に命令を下すことはできない。一族を離れ薬師たちの集会に参加することもある。砂漠を渡る民の一員でもあり、薬師という組織の一員でもある。二つの顔を持ち、たった一人で立つこともできる、そんな存在であった。

 一族が見放したリズのためにたった一人で残るなど、ユリナ以外にできるものはいなかった。

 それでも。一族と袂を分かち、リズのそばに残ることは、ユリナにとっても大変な決意だったに違いない。

『気にすることは無いわ。薬師っていうのは何かしら欠陥があって、一族から一度は見放されたものがなるの。アタシには右の指が四本しかないのよ。師匠に拾われなかったらきっと今頃生きてないわ。薬師っていうのは多かれ少なかれそういう経験をしている者よ。アンタもこれで一人前ね』

 カラッとしたユリナの声に、リズの不安もしだいに薄くなっていった。

 リズが薬を塗らなかったのは、後にも先にもあの時だけだ。それからというもの、来る日も来る日も朝一番に煎じ薬を体に塗り込んでいる。ユリナとロタ族(ユリナとリズが属する砂漠を渡る民の一族)の長と、その後どんな話し合いがされたのかはわからないが、ユリナはまた同じロタ族の薬師となって、旅を共にしている。

 今日十一歳になるリズは、初めて自分一人で薬を煎じるようにユリナに言いつけられた。

 テラでは、十一歳は子どもから大人になる年と考えられている。不思議なもので、十一歳で大人になるという考え方はかなりの種族で共通している。長命な種族では11歳で半人前、二十歳で大人という種族もあるらしいが、それでも十一歳は、ひとつの区切りであった。

 

 リズは、身に着けていた下着を脱ぎ捨てると、濡れた手ぬぐいで身体をくまなく拭きあげる。

 寝る前にも一度清めているが、薬を塗る前にもう一度、よく身体を拭いた方がいい。

『汚れていると、薬が落ちやすくなるのよ。ちゃんとひとりできれいにできるようになるのよ』

 ようやく言葉が話せるようになるかならないかの頃から、ユリナにそう言い聞かされていた。

 拭き残しなどないようにていねいに拭うと、薄い下着を一枚だけ纏ってユリナの前に立つ。これから日光に照らされる部分に薬をくまなく塗り込んでいく。顔や耳も例外ではない。ただ、目の周りは薬を塗らずに包帯を巻いている。

 リズは生まれつき目がよく見えないので、包帯を巻くことで不便を感じることはない。

 ユリナは薬の入った甕の前に腰を下ろし、リズの手を取った。甕から出来上がったばかりの、どろりとした液体を手に取る。

 すうっと滑らかにユリナの手のひらがリズの腕を滑り、まだほんのりと暖かい薬をひと塗りした。

「あ」

 ふっと違和感を覚えて、リズが思わず声を漏らした。

 ユリナの手もとまる。

「どうしたの?」

「なにか、近づいてきてる」

 音をよく拾おうと、リズは知らず知らずに声を潜めた。

 目が使いものにならないからなのか、視力以外のリズの感覚はきわめて鋭敏だ。

 どうやって感じ取ることができているのか本人ですらわからないのだが、人間や、動物、建物がどの程度離れた場所に、何人、何匹、何棟あるのか感じ取ることができる。その形もはっきりと感知することができる。だから目が不自由でも、リズが困ることはほとんどない。他の人たちと明らかに劣っていることといえば、色を見分けるという能力がないくらいのものだ。

 リズが感じ取った何者かの気配はまだ遠い。しかし、確実にオアシスに向かって進んできている。

「なにか? なにかはわからないの?」

「多分、車」

 首を巡らし、方角を確かめる。

「あっちから来る」

 リズの指さした先へ、ユリナも顔を向けた。

「あちらには、10キロほど先に、古い遺跡があるわね」

 ユリナも声を ひそめている。

「一台じゃないわ。車が二台。それと多分モーターバイク。これは1台だと思う」

 砂漠を渡る民は、交易をするために町へ立ち寄ることがある。

 特に神々の住むエデンの周辺には、衛星都市と呼ばれる大きな都市があり、そこでは車やエアカーも走っている。リズはたいてい一度聞いたことのある音は忘れることがない。

 ただ、こんな砂漠の真ん中で、こんなに朝早くに車が走ることがあるだろうか。

「ブルータルビースト」

 ユリナの疑問に答えるかのように、ユリナの声が聞こえた。

「神々が何の前触れもなくこんな辺鄙なオアシスにお出ましになることは無いわ。大きな商家も、砂漠を渡るのに車二台とモーターバイクが1台なんてことはない。だとしたら」

「ブルータルビースト?」

 リズはユリナの言葉を繰り返した。

 ブルータルビースト。

 言葉は知っている。けれども見たことも遭遇したこともない。

「きっとあいつら、遺跡に巣穴を作ってるのよ。このオアシスを監視していたのかもしれないわ。車も、下手したらカメラも通信機器もあいつらは持ってるからね。でも、ブルータルにしては小さな集団だと思うわ」

 ブルータルビーストは、もともとは神だったといわれている。エデンから零れ落ちた者たち。追放されし獣。血を好み、残虐の限りを尽くす堕神。

 茫然とするリズを残し、ユリナは隅に掛けてあった上着をつかみ取り肩にかけながら、小さなテントを出て行った。


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