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黒天使と僕。  作者: 書の猫
6/21

第六話 球体の戯れ



 晴天。

 小鳥達が囀り空を舞う窓の外。

 早朝の日光が斜めに佇む床には数名が小走りをして移動したためか、目を凝らさなければ見えないほどの微かな埃がふよふよと浮遊している。

 壁の前に佇む数々の骨董品は忙しなく働いている人物を他人事に見つめ、登ってきたばかりの太陽が沈むのを待っていた。


「ふぅ……」


 床に時折映りこんだ青白い光も段々と減り、隣に居る記録係がその光を閉じ込めた瓶にコルクの蓋をした時、無駄に高い天井へと藍色の冠は溜息を吐いた。


「……とりあえず今ある分は完了……かな」

「死神ナンバー、千三百八十三番と同行した魂。『天国行き』二十五名、『地獄行き』六十八名、『消滅志願』十二名、『その他』五名。合計百十名の判決を終了したのですよ」


 申告の間。

 死神ちゃんがここを去った後、立て続けに帰還してきた他の死神が渡してくれた瓶を片っ端から開けては裁き開けては裁き……。

 一人一人の記憶を呼び覚ましているから労力は使うしなんなら眠い。

 というかもう寝たい。今すぐ。

 でもそれを横にいる女の子は許してくれないだろうから、目を擦って伸びをした。

 はうっ……。今腰からえげつない音が。まあいいや。


「お疲れ様、オルコちゃん。記録ありがとう。立ちっぱなしで疲れただろう? 君の後ろにある椅子、使ってくれて構わないからね」

「いやー。お恥ずかしい話、今座ったら動きたくなくなってしまうので御遠慮するのですよ」


 オルコと呼ばれた女性が眉を下げるのと同時に、ピンク色の長い髪が揺れた。

 両手を飾る尖った長い爪と額の右側にある小さな角が、僅かに人外であることを知らせている。

 近くの壁にもたれている折りたたみの椅子を指差し気を利かせたつもりだったのだが、どうやら要らぬ世話だったらしい。

 そっか、と一言だけ呟いて、自分は椅子の背もたれに背中を預けた。

 不意に横に居たオルコちゃんが小さく口を開く。


「…………先程の人間様のお話。本当なのですよ? エンマ様」


 仕事中、合間合間に話していた、あの死神が送り付けてきた銀髪の人間の事だ。


「んん〜? ああ、データを破壊された金色のネックレスの子?」

「はい……その話が本当なら、これは結構大きな賭けだと思うのですよ。いつも安全策を取ろうとするエンマ様らしくありません。何がきっかけになったのかお聞きしたいのですよ」

「ああ、成程」


 うーん……どこか他人事に唸って天井を見上げる。いくつもの魂の仕分けを終え、少々気が緩んでいるとはいえ、このタイミングで聞いてくるとは。少し意外だ。


「別に? きっかけなんてもの無いよ。ただ面白いものを見つけたから、実験したくなっただけ」

「エンマ様は今日も気まぐれなのですよ〜……」

「あははっ」


 プクッと頬を膨らませて可愛らしく拗ねてみせるオルコちゃん。

 そんな優秀すぎる鬼を後目に自分は台の上に置いてもらったお茶を飲み干し、ぬるくなってしまったその温度に、もっと美味しくゆっくり飲めればな、と少し口角を下げた。顔を上げれば見慣れた無駄に長く広い室内。退屈しないよう、今度は自分から話題を出す。


「それにしても、以前より消滅志願者が増えているね。百年前まで判決の段階での消滅志願者なんて無に等しかったのに」

「この五十年で一気に一人一人のメンタル強度の低下を確認しているのですよ。今が良くなければ即座に改善の可能性すらも捨てる。お言葉ですが私には、消滅志願者達の言い分がヤケになっているだけに聞こえて不愉快なのですよ」

「確かに、言いたいことはわかるよ。けれど、それはきっと、自分達の物差しで測ってはいけないことだ。人間達には人間達の苦労があるからね」

「……理解してはいますが納得は出来ないのですよ」


 沈黙。

 暗く俯くオルコちゃんを横目で見て、彼女も彼女なりの苦労があるのを察した。

 丸くパッチリした瞳が床を映している。桃色の髪が下を向くと同時に重力に逆らわず垂れ下がり、その瞳に影の装飾を施していた。

 カタン。鬼は机の上にある人間の魂が入った瓶を、乱暴に掴み蓋を開ける。

 一気に複数の死神が連続で帰還したためいつもより多く入った青白い炎達の一つを手に取り、ピンポン玉程の大きさのそれに対して口を開け……。


 ぱくん。

 もぐもぐ。

 ────ごくんっ。


 数回咀嚼した後に飲み込んだ。

 消滅志願をした魂の処理をした。

 そう、これがオルコちゃんを含む人喰い鬼の仕事。

 ここ、天界では既に死んでいるため、自害ができない。そこで、人間がこの世界で消える手段の一つ──それが先程目の前で起こった捕食だ。当然食べられた魂は輪廻転生から外れるが、この人間の魂はその説明を聞いた後も消滅志願を取り消さなかった。

 人間の選別も勿論仕事。しかし、人間の要望に寄り添うのだって人間と関わる身である自分の仕事の一つだ。本人が望むのならば仕方がない。

 だが、実を言うと消滅志願のシステムは結構前からあったが、最近になるまであまり使われていなかった。

 それが現在、こちらのちょっとした社会問題となるくらいには消滅志願者が増加の一途を辿っている。

 そのくらい今の人間は脆い──という事なのだろう。

 冥界に住まう自分達にはどうしようもない問題ではあるけれど、数十年前、地獄で人間達のカウンセリングを仕事とする鬼と悪魔から、せめて原因を突き止めてほしい、と懇願されたくらいだ。


 その脆さは人喰い鬼の食事にだって影響している。

 人喰い鬼達だって魂を食べないとひもじい訳ではなく、普通の料理だって摂取出来る。ただ食べれる物の一つに、魂があっただけなのだ。

 なのにここまで多量に魂が手に入るこの状況を喜ぶべきか憐れむべきか、複雑な心境を抱える人喰い鬼も多い。


「時々、考えてしまうのですよ」


 また一つ瓶から青白い蛍を手にとって、人喰い鬼の一人、オルコちゃんが口を開いた。


「もっと美味しい魂が食べたいなあ〜! って!」

「………………」


 ……オルコちゃんの呑気さにはいつも驚きを通り越して呆れさせてもらっている。

 先程瓶に対して少し動作が荒くなったのも、おそらく余程お腹がすいていたのだろう。足りないのかもう一つ取り出し、手のひらの上を動こうとしない炎の玉にあどけない笑顔を見せていた。


「命を頂いている身でありながら身勝手な物言いなのは理解しているのですよ。でもでも、食べるなら抵抗するところを無理矢理食べた方が捕食した満足感があって私は好きなのですよ!」

「うんうん、そうだね。けれど君にはいざという時に動ける状態で居てもらえないと困ってしまうんだ」


 自分が眉を下げて笑うと、ピンクの髪は不満げに眉間に皺を寄せる。

 唇を尖らせて子供のように眉間に皺を寄せる姿は二十代くらいの若い見た目年齢にちょっぴりだけマッチした。

 おかしいな。この子ももう何百年もここにいるはずなのに。


「むう〜……。記録なら他の鬼にもできるのですよ」

「違う違う。知っているだろう? 自分はこの天界で一、二を争う弱さなんだ。強い君が居てくれないと自分は不安で夜も眠れなくなってしまうよ」

「私は長い間エンマ様に仕えていますが、エンマ様が攻撃を受けた所を見たことが無いのですよ。実は私よりお強いのでは……と勘ぐってしまうのですよ」

「あはははは! まさか! そんなことは天地がひっくり返ってもありえない」


 むくれる頬にとっておきのギャグでも聞いたかのような爆笑を見せてしまい、相手の眉間の皺を更に深く刻んでしまった。

 またいつもの笑顔でやり過ごすとしよう。

 と、その時。

 オルコちゃんが掌に乗せていた一つの魂が急にふわりと浮かび、その鬼から距離を取り始めた。


「あれ? どうしたのですよ人間様。消滅志願を叶えるには私を含めた人喰い鬼のお腹に収まるのが条件なのですよ」

「君の選んだ道を自分達は邪魔したりしない。困った事があるなら力になろう。一体どうしたんだい?」


 炎は焦ったように不安定に揺らめく。


「人間様がその気なら……私も……」


 オルコちゃんは肩幅より広く足を開き、捉える体制をとった。その横顔は心做しかニヤけている。

 ああ、全くもう……。


「待て」


 飛びかかろうとした人喰い鬼に制止の言葉をかけた。鬼は機械のように命令通り、しかし炎から目を逸らさずに停止する。

 僅かな沈黙。

 戸惑ってゆらゆらと空中を浮遊する魂に、自分は座ったまま手を伸ばした。


「消えるのが怖くなってしまったのかい?」


 魂は上下に小さく動く。


「こっちへおいで」


 掌を上にして招くと、言われるまま魂は近づき、手に収まる。


「これを持って、鬼達の所に行ってくるといい。きっと君の勉強になるものがたくさんある。オルコちゃん。道案内を頼めるかい?」

「……よろしいのですよ?」


 不思議そうに、不可解そうにピンクの瞳が自分を映した。

 いいんだよ。これでいい。

 これでこの子が自分自身の愚かさに気づけなければ次の転生が無くなるだけだし。


「承りましたのですよ」


 瓶にコルクの蓋をきつく閉めて机の上に元通り置いたオルコちゃんは、一つのドアを開き、魂に移動を促す。

 魂は抵抗もせず指示に従い、オルコちゃんと一緒にドアの向こうへ姿を消した。

 持たせた、というか巻き付けたのは、日光に光る細い蜘蛛の糸だった。

 あれを持っていれば少しはこの魂の精神状態を考慮した地獄へ上位の鬼達が導いてくれるはずだ。


 被害者面の甘ったれた精神状態をあらゆる手法で訂正していく獄卒達のもとへ。


 地獄とは自分の過ちと向き合う所。そういう意味では、昔の地獄のイメージとはあまり変わっていないのかもしれない。

 まあ、人間達のイメージで描かれる地獄なんて、たかが知れているけれど。

 そんなことは置いておいて、キョロキョロ、周りを見渡し伸びをする。


「…………よし」


 一眠りしちゃおうっと。



◇◆◇



 いい天気だなあ今日も。

 日光が暖かい。

 ぽかぽかと温もりを感じ取ってしまう皮膚が脳の緊張を解し、眠気が気怠くのしかかる。

 昨日と変わらない空模様だ。


 ……というか…………僕昨日と今日の記憶しかないんだけれど。


 森の中。ファルさんのご自宅の目の前。

 嘔吐シーンが終わりやけにスッキリした顔の三白眼……その子供の姿を象った死神に面倒事増やしやがってと言いたげな顔を向ける、腰に小さな蝙蝠の羽と先に針がある長い尻尾が生えた成人男性。そしてそれに穏やかな笑顔を浮かべながら黒い布で隠れた目を向ける角の生えた白い美少年。

 うん。自分で言っててもなんだかよくわからない状況だ。

 考えるの放棄したい。


「今回も盛大だねぇ。食べる量を抑えたらぁ?」

「最近は量を控えても五回に一回程の頻度でこれじゃ。恐らく今回は乗り物酔いもあるのかもしれんが……いやはや、臓器が騒がしくて嫌になるのう」

「点滴打たれるぜきっと」


 トイフェルさんの発言にモルテさんが不機嫌そうに口角を下げたのを感じ取ったのか、レイピアを握って地面をつつくディアさんがクスクスと笑う。


「てかディア、お前肌大丈夫なの?」

「かなり強めの日焼け止め塗ってるから大丈夫ぅ。コンタクトがないだけぇ」

「ん〜……なら大丈夫か〜」


 コンタクト……ああ、だから目の色が少し違って見えたのか。でも、カラーコンタクトって眩しさの緩和までしていたっけ。


「小僧」

「あ、はい」

「ザクロという果物を受け取らなかったかの? さっさと下処理をするから早く寄越せ」


 ………………??

 あれ? 敵意を感じるけれど……渡していいのかな……。

 僕がどうしたらいいか迷っていると、モルテさんのすぐ横に居たトイフェルさんがニヤニヤといたずらっぽく笑う。


「こいつ王サマから依頼されてるんだぜ、ザクロの下処理。できる限り人間サマと一緒に居たくないから早く済ませておきたいんだろうな〜」

「お主……、存在を消して欲しいなら早く言ってくれれば良かったものを」

「やっだ〜冗談じゃ〜ん待って怖い睨まないで」

「ふん」


 そっぽを向くモルテさん。

 そんな二人の会話を聞いて、白は「わぁ、そうだったのぉ?」とまた笑っている。

 おそらくこれが、この二人の普段の会話なのだろう。ディアさんは少し息を整えて、僕の背中をぽんぽんっと叩いた。


「任せて大丈夫だよぉ。早くザクロ取っておいでぇ」

「わ、わかりました」


 小さく返事をしてファルさんの家に入る。

 昨日見たのと同じ、物が少ない内装を見て、僕は布団が敷きっぱなしだったのを思い出した。


「あ……仕舞わないと……」


 独り言を呟いて掛け布団と敷布団を畳み、昨日ファルさんがこれを引っ張り出していた押し入れを開ける。


「わあ……」


 少し大きめのその押し入れの中には、布団が入るスペースを空けて二十センチ程の犬のぬいぐるみが置かれていた。触れてみるとふわりと柔らかく、また眠気を誘う。

 こういうの抱えたりするのかなファルさん。

 ……ちょっと見たい。


 布団を仕舞ってから、ファルさんから手渡されたザクロを手に取り、少し残っているディアさんから貰った林檎を急いで食べ終えてまた外へ出た。


「これですよね?」

「そうじゃ。トイフェル、受け取って来てくれんかの」

「えっ、なんで。お前が直接行けば良いじゃん?」

「だって儂、か弱い女の子じゃしのー」

「嘘つけ!? モルテおれさまより強いじゃんよ!」


 寧ろか弱いのこっちだわ!! とぷりぷり怒る黄色の目。左耳に掛けている細い三つ編みが揺れている。


「ああもうはいはぁい。モルテぇ、人間くんを敵視しすぎて話進まないよぉ? 人間くんこぉんなに可愛いのにぃ」


 まだ鉄の香りが微かに残る小さな手に軽く頬を撫でられたかと思ったら、その隙にザクロを盗られ緑の髪に手渡す。

 ……慣れてるなあディアさん。

 ザクロがさっきまで乗っていた左手に目線を落としながら苦笑した。


「というかトイフェルぅ。コンタクト持ってなぁい? 目隠し状態久々過ぎてぇ……」

「おれさま持ってないな。眼鏡だから」

「あ、そっかぁ」


 そんな会話をしている横で、モルテさんは少し困ったような。幼い背丈に見合った顰めっ面でザクロとにらめっこをしている。

 どうしたんだろうと様子を見ていると、小さい足でトイフェルさんに駆け寄り、女児の手が男性の白い上着を引っ張った。


「ん? どうしたモルテ」

「すまん。袋を持っておらんかの」

「袋? 今無いけど」

「そ、そうか……困った……」


 唸るモルテさんにトイフェルさんが膝を曲げて中腰になり目線を合わせる。数秒首を傾げたかと思うとすぐに「あっ」と声を上げ、その声のせいで緑は肩を上げた。


「ザクロの実を入れる袋が無いのかァ。今下処理してボロボロ落とす訳にはいかないもんな」

「う……うむ……」


 図星。そう眉間の皺が教えていた。短い茶髪が肩を震わせて笑いだす。

 おかっぱ頭が睨んでも今は、幼子の頬に弾力が増すだけで威圧など微塵もなかった。恐らく、少々拗ねてしまっているだけなのだろう。


「ん〜。じゃあしょうがないな。黒天使サマの物を勝手に使うのは気が引けるし、一旦モルテの家に向かうか」


 そう言って地面から十センチ程宙に浮かぶバイクに跨り、片手でモルテさんの首根っこを持ち上げ後部座席に座らせるトイフェルさん。


「ディア。おれさま達が戻るまでもうちょい人間サマと一緒に居てくれない?」

「あぁ……ごめんねぇ。ボクこの後すぐ用事があって難しいかもぉ……」

「あっちゃあ……じゃあ人間サマも一緒に徒歩で移動するか」


 突然の提案に僕とモルテさんが動きを止めた。僕はただいきなり誘われてびっくりしただけだったが、緑の髪は傍から見てもわかるほどに焦りを顕にしている。


「な!? 何を言っておるのじゃお主! 儂は嫌じゃぞ!」


 生前の……否。死んで間も無い時の僕に出会っているモルテさんは、話を聞く限りとても強い人だと認識しているのだけれど、どうしてそこまで警戒心を剥き出しにするのだろう。

 今の僕が立ち向かったって、全く勝ち目が無さそうなのに。

 黒い方の僕、もしかして嘘ついてたり……?


「ええ、我儘言うなよモルテ。人間が今この姿してるのだってモルテのせいなんだぜ? おれさまと人間サマをグロルから守ってくれよ」

「あ、そこは守ってもらう前提なんですね」

「だっておれさま戦闘向きじゃねぇも〜ん」


 ヘラヘラと笑う小さな蝙蝠の翼。また首根っこを捕まれバイクから下ろされた茶色のポンチョは、不服だと言わんばかりに眉尻を下げていた。


「い、嫌じゃ……」

「てか今そっちに決定権も拒否権も無いからなデータ破損者」

「わー。儂どう逃げようかのー」


 諦めが少しと、怒りが半分以上混ざった清々しい笑顔で拳を握っている緑髪に、白が、

「まあまあ落ち着いてぇ」

 と宥めているが……。既に顔に青筋が二箇所くらい浮き出ているモルテさんは今にもトイフェルさんをぶん殴ってでも逃げ出しそうである。

 ……怖っ。


「おれさまが一緒に居る間は、モルテは手を出してこないから安心していいぜ」


 ひそり。バイクを降りたトイフェルさんが僕に小さく耳打ちをして、突然近づいていた距離に呆気に取られているところに、月の瞳は手馴れたウインクをした。

 ……トイフェルさんが男で良かった……。女性だったら僕絶対ときめいていたと思う。

 みんなで歩くならバイクはいらないよな、と。そう言いながら宙に浮く鉄の塊を優しく撫でると瞬く間にバイクは形を変えてトイフェルさんの右手首に巻きついた。

 少し大きめの、ゴツゴツと重そうなブレスレットだった。


「さっ。行こうか? おれさまお腹すいたわ。じゃあな、ディア」

「うん。またねぇ」


 茶髪は軽く伸びをして。

 緑は眉間に皺を寄せて。

 僕は視線を泳がせて。

 手を振る白を置き去りに、僕を含めた三人はファルさんの家を離れていく。

 やがて森の中に僕達の姿が消えた頃。ディアさんが口の端を下げ、険しい表情を浮かべていたのを……僕は知る由もなかった。



◇◆◇



「トイフェルさん。これは……?」

「お。これを見るのは初めて? 人間サマ」


 針の尻尾に着いて行った先。歩けど歩けど変わらない森の中に突如現れた、僕の身長よりも大きい深紫色の穴に驚いて足を止めた。

 空中にぽっかりと空いていて、その周り五センチ程の背景が陽炎に浮かされたように歪んでいる。

 その空間をこれまた大きなガラスが囲み、なんだかその穴自体が芸術品で、それを綺麗に展示しているだけかのような景色だ。


「『ポータル』じゃ。これを潜れば遠く離れた場所へも移動可能の、今となっては一部の天の民に欠かせない移動手段じゃの」

「悪魔化学の大発見ア〜ンド大発明だぜこれ。人間サマ達じゃあこれを作れるのはまだまだ先だろうな」

「あ、悪魔化学……?」


 急に出てきた単語にクエスチョンマークが浮かぶ。

 そんな僕の頭の中を瞬時に理解したのか、トイフェルさんがまた人懐っこく笑った。


「物騒な言葉にびっくりしたか? でもそこまで身構えるものでもないんだなこれが」

「ふん。したり顔をするでないわ煩わしい。物騒も何も、心霊現象やオカルト現象の真似事であろう」

「はあ!? 馬っ鹿モルテわかってないな! その心霊現象、オカルト現象を研究しまくって確実に再現できるようになったんだぜ。すごい事じゃん? なっ人間サマ。そう思うよなっ」

「は……はあ」


 満月の瞳はモルテさんの顬を拳でぐりぐりと押しながらこっちを見るものだから曖昧な返事しか出来なかった。

 緑髪が「おああああいだだだだだ」と女性とは思えない悲鳴をあげているが茶髪はすごく楽しそうだ。仲が良いんだろうな。


「はうぅ……」


 数秒後解放されたモルテさんはその場で蹲って顬を抑えているが、トイフェルさんは気にする様子も無く穴を囲むガラスへ近づいた。

 ピコン。と、機械音がする。

 SF映画によく出てきそうな、半透明で紙程の薄さしかないキーボードがトイフェルさんの手元に出現して、腰から伸びる蝙蝠の翼と針の尻尾を揺らしながら鼻歌交じりにその上で指先を踊らせた。


「よし、行き先確定っと」


 最後のキーを打った後、ポータルという名前の穴が眩く光る。


「うわっ!?」

「ぬー……?」


 僕が突然の光に驚いているとさっきまで小さい身体をさらに小さく折りたたんでいたモルテさんが顔を上げた。

 眩しいのだろう。三白眼の目はさらに目つきが悪くなっている。


「ほらほら行くぞ、ポータルとポータルを繋げられる時間は短いんだから。おっとモルテ、か弱い人間サマが先な」

「本当に連れて行くんじゃな……。元は儂のしでかした事とはいえ、地上で出会った魂を気遣う事になるとは。少し変な感じじゃのう。ほれ、先を歩け。小僧」

「あ、ありがとうございます」


 服に付着した土を軽く叩いて一歩下がる緑色。

 トイフェルさんに急かされて、僕は言われるがままポータルを潜った。



◇◆◇



 瞼を突き抜けてくる白い光が僕の後ろに通り過ぎ、目を開ける。

 その景色はまたもや森。

 ワープが失敗してはぐれてしまったのかと思い一瞬焦ったが、トイフェルさんも僕の後ろに居てほっとした。


 ……のも束の間。

 トイフェルさんは先程までの意気揚々とした表情とは打って変わって、青ざめている。

 その瞳が映す先を辿れば、僕も恐怖に血の気が引いた。


 高さ二メートル超え。黒い半固体。空を掻く手。触れた所から腐敗していく植物を足跡に、それが目の前に立っている。

 そう。グロルだ。

 しかも三体。

 最悪なことに今二人が通ったポータルはガラスに囲まれておらず、剥き出しになっている。


 つまり僕らは、ワープには成功したが、ワープのタイミングにはこれ以上ない程に失敗していた。

 グロルの無数の目が────僕らを映す。


「はあああああいおれさまこの展開聞いてなああああい!! 助けてモルテええええええ!?」

「僕の人生二日で終わったああああああ!!」

「何なのじゃ騒々しい……。ああなんだ、グロルではないか。共食い寸前だったのかもしれんの」


 情けない二人の声がこだました……と同時にまた後ろからモルテさんの落ち着いた声が聞こえた。

 どうやらはぐれないように、というか逃げられないようにトイフェルさんに手を握られていたらしく、その手を振り払いながら心底面倒くさそうにため息をつく。

 ちょっと待ってください共食いするんですかグロルって。初耳。


「日が出ている時間帯のグロルは基本雑魚じゃぞ。狼狽える程の事では無かろう」

「だから言ったじゃんてかモルテ知ってんじゃんおれさま戦闘向きじゃないのよ! 朝だろうが昼だろうが夜だろうがおれさまを敵と遭遇させちゃダメなのよわかる!?」

「五月蝿いのう本当に……」

「二人とも! 危ないです!」

「え、うおわ!?」


 一体のグロルは上空に手を伸ばして、僕達の居る地面に勢い良く叩きつける。

 僕が走って避けた瞬間、モルテさんは僕が声をかける前に既にその攻撃範囲からスタスタと歩いて回避しており、トイフェルさんはどこからか現れた浮遊する透き通った緑色の玉に胸を押されよろけるように攻撃から逃れた。

 まずい……三人ともポータルから距離ができた……!


「急に押すなよモルテ!」

「すまんすまん」


 ギャースカと後ろで二人がやり取りしてる間、僕はグロルを睨みながら観察していた。

 月明かりの中グロルを見た事は無いから的確な比較は出来ないけれど、昨日ラモールさんの御屋敷に来ていたグロルよりは少し威圧感が無い……かもしれない。


「モルテさん。今、グロル達と戦えますか?」

「ほう? 二百年の記憶の中でそんな愚問を投げかけられたのは久々じゃの」

「そうですか」


 僕の問いに不愉快そうに顔を歪める緑色に目を向けると、目が合った瞬間モルテさんは刻まれた眉間の皺が消えて少し驚いた表情をした。


「────お主は、そういう風に笑うのじゃな」

「……え?」

「ああいや、ただの独り言じゃ。気にするな」

「あの──」


 分かりやすく目を逸らす茶色のポンチョに何かを話そうとしたが、その言葉は喧しいSOSに遮られた。


「あああああちょっとお話中ごめんね!? おれさまなんかヘイト買ってて死にそう! 助けて!?」

「そんな明るい髪色にしとるからじゃないかの」

「その理屈ならなんで緑髪のモルテとか銀髪の人間サマより茶髪のおれさまが狙われるの意味わかんない!」

「くははっ」


 全力疾走で三体のグロルから喚きながら逃げ回るトイフェルさん。

 三白眼は少し笑って風になびく髪を軽く手で梳いた後、左手を広げた。途端、大きな鎌のような形をした物体が緑の光を発して小さな両手に収まる。

 何故「鎌のような形をした物体」と表現したかというと、鎌の然るべき場所に刃が無く、その刃の形を空洞に、縁取るように針金を少し束ねただけのような細い線があるだけだったからである。

 刃の代わりにできたその輪に緑髪は、さっきトイフェルさんの胸を押した玉と同じ色の薄く透き通った膜────死神のみ使える魔法である、結界を張った。

 くるり。その鎌に似た武器をバトントワリングのように素早く二、三回転させると、張っていた膜が空気抵抗により押されて伸び、半透明の球体をモルテさんの周りに振り撒いていく。

 その結界の性質は、まるでシャボン玉の様だ。


「仕方ないのう」


 そう言ってグロルを見据えた緑色の瞳。右の細い人差し指の先に生まれたばかりの球体を捉え、その手を敵に向けた。

 次の瞬間少しの風圧が人差し指から発生し、弾丸のように高速で発射された球体はグロルの身体に向かってそのまま飲み込まれる。

 貫通した様子はない。


「よいしょおおお!」

「えっ、ちょっと!?」


 いつの間にか進行方向をこちらに変えていたトイフェルさんが僕の手を掴み、その手に引かれるままモルテさんから三メートル程後ろを二人で陣取ってしまった。


「トイフェルさん! どうしたんです!」

「モルテの前に出ない方がいいぜ! おれさま達戦力外だしな」

「そんなこと……!」


 分かってる。僕にこの場で役に立てる程の戦力は無い。でもあんなに小さな女の子を敵の前に置くなんて……。

 そんな僕の気持ちとは関係無く、モルテさんはシャボン玉を模した結界を引き連れながら敵に向かって歩いていく。


「それに、おれさま『アレ』には巻き込まれたくないし」

「『アレ』……?」


 茶髪の不可解な言葉に疑問を持ちつつも小柄な背丈の堂々とした歩みを見守っていると、途端、先程緑色の球を埋め込まれたグロルに異変が起こった。

 その目を覆いたくなるような異様な変化に、僕は息を飲む。


「なんですか……あれ……」


 内部からぶくぶくと膨らんでいく。明らかに急激な速度で肥大していく身体にグロルも一瞬、戸惑ったような唸り声を上げた。

 だが、その声が最後まで発される事は許されなかった。

 グロルの身体が四方八方に裂け、千切れていき、いくつもある目玉は二、三個ほど零れ落ち、内側から巨大化したあの透き通った緑色の球体が顔を出す。

 パチン。敵に伸ばした、僕よりも柔らかそうな女児の手が、音を鳴らした。その行動と重なるように大きくなったシャボン玉が破裂して、敵の黒い身体が爆破される。

 サラサラと風に乗って消えていく塵が、ある程度距離の離れた僕達にも降りかかった。

 残った二体のグロルを敵意を隠すことなく睨みつけ、モルテさんは低い身長に似合わぬ静かな覇気で、言う。


「道を開けよ」


 その姿は荒々しくも────気高く見えた。



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