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黒天使と僕。  作者: 書の猫
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第三話 もう一つの黒

 どうやらこの世界、天界にも夜はあるらしく、青い空が暗闇に変わり果ててから随分と時間が経った頃。

 僕は茶色の丸いテーブルに体重を預けて本を読んでいた。

 ……と言っても、この部屋には小説や、図鑑などといった書物は無く、子供向けの絵本やおとぎ話、童話の類いが小さな本棚に隙間を作る程しか取り揃えられていない。その中から、微かでも興味を持ったものからパラパラとページをめくっていった。

 まあ、ただの暇つぶしである。

 そんな、ファルさんの家にお邪魔していた僕に、外で誰かと通話をしていたその家の主が近づく。


「なー。渡さなきゃいけねーもんがあるんだけどよ」

「はぇ?」


 大きな茶色いテーブルに皿が置かれ、僕は思わず気の抜けた返事をして本を読んでいた手を止めた。

 皿の上に乗っていたのは一つの果実。

 見た目は林檎によく似ているが、表面はパプリカのように滑らかで、苺のような瑞々しさを放っている。


「わあ……! 何ですか? これ」

「んあ? あー、なんて言うんだっけか……ザクロ? だっけかな……まあそんな名前だったよーな……」

「ザクロ……ですか……?」


 名前合ってたっけなー……、と唸るファルさんと同時に僕は首を傾げた。

 ザクロ……聞いた事はあるけれど、見たことも食べた事も無い。……多分。

 真っ赤な皮も固く、振っても音は鳴らなかった。

 ザクロという果物の名前を使うより、まるで野菜のような。そんな不思議な食材に見える。


「エンマからの届け物だ。食べる時は、覚悟してからっていう伝言と一緒にな」

「覚悟……? 一体何のでしょう?」

「俺も知らねー。アイツ前々からよくわかんねーんだよなー。まあでも、今食っちまうのは違うと思うぜ。とりあえず持っとくなり仕舞うなり自分で管理しろよ」

「はい」


 幸い、中を包む皮は硬そうだし少し乱暴に扱っても割れてしまう可能性は低いかもしれない。

 そう思いながらザクロという果物を目の中に映していると、ファルさんがいつもより少し明るいトーンで僕の顔にもう一つの果物を近づけた。

 それは、見慣れた紫色の果実だった。


「っつーわけで、ガキ。腹減ってるか? 葡萄を取ってきたんだ」

「あ、そういえば僕、何も食べてませんでしたね。少しいただきます」

「おー。食え食え」


 食事を楽しみにしていたのだろうか。出会った時には想像も出来ない純粋な笑顔で──天使の笑顔で両手に持っていた葡萄の内一つを、僕に分け与えてくれた。

 さっきまでザクロを乗せていた皿に、粒が大きい綺麗な一房の葡萄が新しく乗せられる。


「いただきます」

「い、いただきます」


 照明の光を反射する深い紫色に見惚れた僕は、その一粒を手に取り、撫で、眺め、そしてようやく口に入れる。


「──────〜〜〜〜っ!!」


 途端、柔らかく甘い果汁が口いっぱいに広がった。


「おいどうした? そんな物珍しい食い物じゃねーだろ」

「しゅごくもいひいれふ!」

「あー……食ってる時に話しかけた俺が悪かった。食ってから話そーな……」


 あまりの美味しさに興奮して思わず開いてしまった口をむぐ、と慌てて閉じて、ファルさんの様子を伺う。

 向かい合う形で座った美麗な黒は一房の葡萄を持ち上げ、慣れた手つきで口の中を果汁で満たしていた。


 あれ……。

 この感じ……どこかで。

 …………どこかで……………………。

 …………………………。


「はしゃいでると思えば今度はボーッとしやがって。俺知ってるぞ。そういう奴って『ジョーチョフアンテー』って言うんだろ」

「…………」

「おーい、ガキー。お前の分の葡萄、食っちまーうぞー」

「へ……うわ!?」


 ふと意識を戻すと、ファルさんがテーブルに身を乗り出して僕の顔の前で手を振っていた。

 「お、戻った」と呟いて姿勢を戻す目の前の赤いメッシュ。赤黒い目を装飾する長いまつ毛につい視線を奪われそうになり、慌てて首を横に振った。


 ……なんだろう、さっきの。

 …………どこか懐かしいような。そんな感じがしたんだけれど。

 気の……せいかな……。


「あむ」

「あ゛っ!? 僕の葡萄!!」

「食っちまうって言ったろー?」


 ケラケラと意地悪に笑う黒。

 頬を膨らませていると、その唇にファルさんの分の葡萄が一粒押し当てられた。

 反射的に口の中に入れてしまい、また僕の舌は甘い液体に浸される。


「んぐ……むぐむぐ……」

「とっかえっこってやつだ。美味いだろ?」

「ん……んう」


 また考え込むのを邪魔したかったのだろうか。同じ葡萄だから味は変わらないのだが、眩しい笑顔と子供の様な純粋な行動に圧倒され頷いた。

 もう残り少ない葡萄の粒を美味しそうに口に運ぶファルさんを見ていると、なんだかこちらまで和んでしまう。


 優しいな、ファルさん。

 仕事じゃない時って……いつもこんな感じなんだろうか。

 だったら、ちょっと可愛い……かも。


 口から溢れそうな戯れの恵みを、下を向きながら小刻みに喉を動かし飲み込んでいく。

 数秒かかって口の中を空っぽにしてファルさんを見ると、


「わ゛あああああ!?!?」

「ぅお!? 敵か!?」

「な、なな何で脱いでるんですかー!!」


 いつの間にか食事を終え、パーカーと下に着ていたノースリーブを床に置き、しまいにはブラまで外そうとしていた。下半身を包むスキニージーンズのせいでお尻から太ももにかかる女性らしい曲線を何の心の準備も無く視界に入れてしまい……。

 心底いたたまれない上に、雪のように白く綺麗な背中が心臓に悪い。


「あ? あー、これか。動く時邪魔だから巻いてんだ。サラシってやつ」

「いやいやそういう問題じゃなく! そこじゃなく!!」

「お、外れた」

「ちょっ!?」


 ブラのホックが外れると同時に視線を他の場所に移し、早くファルさんの身支度が終わるのを切に願う。


 ……あ、そういえば。


「あの……」

「んあ?」

「その……すみませんでした。会った時、翼の機械部分をじろじろ見るような事して……」


 床に目を向けながら。

 ファルさんの過去を知る前の僕がとった行動を謝罪した。

 ラモールさんの言っている事が正しければ、全て黒に染まり、左の翼が腐敗しているってことは、人間の悪意に、そして殺意に触れたという事。

 きっと、僕が想像出来ないくらいに辛い事を乗り越えてきたんだと思う。

 ……否。

 自分の身体の一部が腐っていくのを目の当たりにするなんて、「辛い」の一言で済ませられるものでは──決してないのだけれど。


「あー、そんな事か。気にすんなよ、俺にとっちゃそんな大層なものじゃねーし」


 ファルさんはそう言って身支度を済まし、もう一度あの赤黒いパーカーを羽織ると、


「よ……っと」


 今度は押し入れから布団を引っ張り出していた。

 いきなり引き戸の音がして目線を向けた僕は、ファルさんの行動にこてんと首を傾げる。

 ああ。もう夜だから、眠りたいのだろうか。


「おい、寝ないのか?」

「え、僕……どこで寝たらいいんですか?」

「お前……俺が何の為に布団出したと思ってんだよ。ここで寝ればいいだろー?」


 ぽふぽふ、と柔らかそうな掛け布団を叩いて僕を急かすが、僕は慌てて首を振る。


「え、いやいや! それファルさんの布団ですよね? ファルさんはどこで寝るんですか?」

「俺? ああ無理。俺今日寝れねーし」

「寝れない?」

「そ。だから使え」


 シングルサイズの布団。ファルさんが空気をたっぷり含んだ紅い掛け布団を捲れば、落ち着いた茶色の敷布団が心地良い眠りを手招いていた。

 貸してくれるというのはもう、それはもう願ってもない申し出なのだが、それはそれですごく申し訳ない気がする。


「で、でも……」

「あ゛ー! あーだこーだうるせー! いいか? 『キヅカイ』ってやつなんだから、ちゃんと受け取れ! こっちが困る!」

「あ、ありがとうございます……??」


 押し切られそう……。

 「ったく……」とため息を逃がしてファルさんは僕に背を向けた。


「どこかに行くんですか?」

「仕事だよ仕事。言ったろ? 今日は寝れねーって」

「こんな夜から? 大変ですね……」

「そうか?」


 背伸びと同時に背中の翼を軽くはためかせ、ぶら下がった鞘をかしゃりと歌わせた。

 ふあぁ……と欠伸の声が僕の耳に届く。


「どんなお仕事なんですか?」

「あー……まあ、簡単に言うなら見張りだな。グロルが来ないか見て、見つけたら塵に還すってだけ」


 最初に出会った時と同じような無表情で、ファルさんは外に繋がるドアを開き……。


「……早く寝ろよ。アルゴルが来ても知らねーぞ」


 そんなグロルより恐ろしい忠告と微かな足音を残して、黒い翼は夜空へと浮かんでいった。



◇◆◇




「……………………」


 風が閉めたドアに静かに鍵をかけて……。


 次の瞬間布団に猛ダッシュ。

 スライディングで掛け布団と敷布団の間に自分の身体を挟み込む。


 トラウマは作りたくないですもん。


「……あ、電気……」


 布団に潜った瞬間に気づく、やり残した後始末。

 仕方なく柔らかい掛け布団を退かし、部屋の電気を消した。

 …………暗い……なぁ……。

 家の中に住まう暗闇達が、自分自身を孤独だと再確認させてしまう。

 手の感触を頼りに再び布団の中で寝転がると、その時。ちゃり、と鎖の音が耳元に絡みついた。

 ………………鎖?

 不思議に思って音が鳴った首元をまさぐると、小判型の小さな硬いものが細い鎖に繋がれている。

 しかもその鎖は、僕の首を囲むようにぐるりと輪になっていた。


 ネックレスだ。


 そういえば僕、いつからこんなものを持っていたんだっけ。

 まだ暗闇に慣れていない目では観察することもままならないから、とりあえず慣れるまで、考えながら首にぶら下がっている物を弄んだ。

 ……。

 …………。

 ……………………ああ。

 そこで思い出したのは、初めてファルさんに出会った時の事。

 その時ファルさんはこう言っていたはずだ。


《細身、明るい髪色、同色の眼、学生服、首に下げたアクセサリー……》


《……間違いねーな》


 ────ということは。

 少なくとももうその時にはコレはあったということになる。

 …………エンマさんの物……かな?

 エンマさんが僕をここに飛ばした時についた……とか。

 もしくは最初からか。

 どうだったっけ……。

 ……………………。

 …………。


「はああ〜……こんな時に生前の記憶があれば……」


 暗闇の中に僕の盛大なため息と嘆きが響く。

 言わずもがな、返事なんて無いけれど。

 もし。

 もし最初から持っていたのなら、このネックレスは僕自身にとって重要な物のはず。

 エンマさんからの貰い物だったならお守り……とかだと思うし……。多分。

 あれ。じゃあどっちにしろ肌身離さず持っていた方がいいのかな。


「……ん?」


 そんな事をぼんやり考えていると、滑らかなペンダントトップを撫でる僕の指が一箇所の違和感を伝達した。

 爪で軽く引っ掻いてみるとカチッという音と共に、一部を飛ばしてまた表面の滑らかな感触に戻る。


 どうやら、一つの小さな穴が空いているらしい。

 僕の小指の爪も入らないそれを調べようと、やっと暗闇に慣れてきた視界に入れた。

 デザインも無くシンプルな、三センチくらいの縦に伸びた小判型。

 厚みはそれほど無い。

 そして……。


「…………鍵穴……?」


 下の方に鍵穴がついていた。

 よく見てみると、ペンダントトップには横にこぢんまりとした蝶番があり、そこから小判型を二つにスライスするように切れ込みが入っている。

 もしかして、開く仕組みなのだろうか?

 そう思って切れ込みに爪を引っ掛けて開けようと試みたが想像以上に頑丈でビクともしない。

 鍵穴にぴったり合う鍵も、制服のポケットにそう丁寧に用意されている訳もなく……。

 今は諦めるしかないらしい。

 ……後でまた開くかどうか試してみよう。

 ポケットを探ったついでに皺になりそうなワイシャツを脱いで、また布団に潜り込んだ。

 白い半袖Tシャツと制服のズボンだけ纏った僕の身体がふわりと包み込まれ、自分の身体は暗闇と同化する。

 僕はいつの間にか疲れ果てていたらしく、抗う間もなく瞼を閉ざされていた。

 暗い部屋に寝息が広がったのは、それから数分後の事。



◇◆◇



 ………………………………。

 …………………………。

 ………………?

 ……なんだろう……?

 真っ暗。

 ふわりふわりと安定しない世界で、音が聞こえる。

 いや……声……?

 こんな場所で……?

 主も不明の小さな声に向かって、黒に塗り潰された空間の中で歩を進めた。

 呟くように、けれど途切れることの無いその音声は一歩踏み出すごとに近づいてくる。

 吸い込まれてしまいそうな黒一色の景色に僕の銀髪が場違いに揺れ、浮遊感が身体に纏わりついてどうも落ち着かない。

 キョロキョロと周りに視線を泳がせてみるけれど、景色は一向に変わらなかった。

 人がいるのなら、とりあえず今の僕を取り巻いている孤独を紛らわすことが出来るかもしれない。

 ……急ごう。

 ファルさんもディアさんもラモールさんも居ない、僕の不安を煽るだけの黒。

 長くここに居たら狂ってしまいそうだ。

 そう思いながら歩を早める。

 しばらく歩くと、足元に別の色が現れてきた。


 赤だ。


 絵の具を原色のまま零した様な、小さな水たまり。

 指先で触れてみると、暖かくてぬめりのある赤が手のひらへうぞうぞと上っていった。


「ひ……っ!?」


 ぞわりと鳥肌と悪寒が身体中を走り、虫に襲われた女の子のように急いで赤を振り払う。

 一瞬の濃厚な恐怖に警報を鳴らす胸。

 その上に赤に触れなかった方の手を押し付けた。

 跳ねる呼吸を落ち着かせてもう一度足を踏み出す。

 黒の世界に異様な存在感を発するそれは、点々と声の方向へ続いている。

 ——どこまで……続いているんだろう。

 床に小さな群れを成す赤を踏まないよう避けながら、僕はまた銀髪を揺らした。



 この景色が見慣れてきた頃、いよいよ静寂の中に響いていた声の主の姿が僕の目の前に現れた。


 少しはねた、黒髪だった。


 僕と同じくらいの長さはあるその色はこちらに背を向けて座っていて、まだ言葉を唱えている。

 最初は何を言っているのかわからなかったその音声も、近づいたことで所々聞き取れるようになっていった。


「……かあ……さ……」


 迷子を連想させるくらい、弱々しい声。

 その黒髪の周りには床に零れた赤を根にした彼岸花が咲いており、葉もないそれは声に答えること無くただその子に寄り添っていた。


「あの……」


 踵を返そうか迷ってしまったが、これ以上この世界に何かがあるとは思えない。

 勇気を振り絞り声をかける。


 赤い液体に蹲るその人は、肩を少し震わせると同時に言葉を切り、こちらを振り返った。


「…………──っ!?」


 驚くことにその人は、顔の四分の一、右上が破損していた。

 右目が無いとか、そんなレベルじゃない。頭蓋骨がまるで陶器のように割れ、その中からは床に咲いているのと同じ花が花弁を覗かせている。

 お世辞にもくりくりしたとは言えない、疲労と不健康が垣間見える目付きに僕の姿を捉え……。


「お前は──ああ、なるほど。そういう事か」


 僕の姿を見た途端、急に納得したようにそう呟く黒髪。

 その人は立ち上がり、動けない僕に近づいてこう言った。


「やあ。キレイな方のオレ」


 黒髪の男の子は、僕と同じ制服と、



 あのペンダントを身につけていた。

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