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黒天使と僕。  作者: 書の猫
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第二十一話 死神の苦悩

「該当しなかった……って……はい!?」

「……えっと、情報が上手く整理できないんだけど」

「まァまァ、人間サマ。最後まで聞いてあげて? おれさまもこれ超びっくりしたのよ」


 前のめりで声を出した僕達はトイフェルさんに宥められ、慌てて死神の次の言葉を待った。空白を挟んでモルテさんは滑らかな緑色の髪を揺らしている。視線はどこか決まりが悪く、小さく唸ってから短い息で肩を落とした。


「該当しなかった、というより、該当する一歩手前だったようなのじゃ。小僧。お主生前、表に出た経験が無いじゃろう。作りかけの人格が完成する前に、儂が無理矢理引き離してしまったらしい」

「生前に表に出た経験……確かにありませんね」


 言われて初めて気付く、僕自身の実体験の乏しさ。僕が地上でしていた行動といえば、主人格である彼岸への、盗みの提案だけだ。

 当時は相手に提案を受け入れてもらうのは疎か、僕の存在すら認識してもらえないまま肉体を手放され、僕が肉体の主導権を握った時間は全く無い。


「もちろん表に出たことが無いなら全て未完成の人格なのかと言われれば、それもまた違うのじゃが……まあそれはまた別の機会に話そう。

 結論、儂はお主らに間違った対応をしたということじゃ。賞賛を受けるべき物事では到底ない。この場を借りて詫びよう」

「要らない。今回のことについて謝らないといけないのオレだし、何ならまだ謝ることあるから。モルテ、この制服にある校章が一致するような学校は見つかった?」


 彼岸によって生まれた突然の話題の流れに少々困惑を見せながらも、首を横に振るモルテさん。トイフェルさんも頭をもたげて、フラスコに不思議そうな眼差しを向けている。

 その傍ら、次に彼岸が明かそうとしている事実に心当たりがある僕は、眉を下げながら乾いた笑いしか出て来ない。


「だよね、ある訳ない。なんちゃって制服だから、これ」


 空気が固まった。

 一泊の空白はトイフェルさんの理解と同時に起こった笑い声に吹き飛ばされるものの、モルテさんはこちらを見たまま静止。一秒程度床を見て何かを考えた末、下半身は天使の頭を乗せたまま、上半身だけソファに突っ伏す形で倒れ込んだ。

 肘掛けに項垂れた小さな上半身。ソファからはみ出し力無く垂れ下がる両腕がぷらぷらと少しだけ遊ぶ。


「なァもう待って、本当に……、それ、超面白過ぎ……、最っ高なんだけど……っ」

「返せ……儂の……睡眠時間…………」

「あ〜今喋んないでモルテっ、も、もうだめお腹痛い……っ、追い討ちかけて来ないでェ……っ!?」

「えっと、これに関してはオレ達が悪い。完全に」

「あの……本っ当にすみませんでした」


 後ろの壁に額と両肘と両手を預けて笑いを堪えようとはしているトイフェルさんが、モルテさんの追撃に肩を揺らして僕の身長くらいまでずり落ちた。

 モルテさんの目には呆れと疲れ。僕達はモルテさんに何て無理難題の調査を続けさせていたのだろう……。

 謝罪の意をありったけ込めて頭を下げた。……が、


「しらん。たわけ。ばか」


 ……想像以上に拗ねている。

 突っ伏したまま視線だけこちらに向け、今回何もかも上手くいかなかった不憫な死神に膨れた頬を見せつけられた。

 わあ、もちもちしてみたい。


「────しかし分からん。小僧、何故お主は人間がグロル化する領域であるこの森で人体を維持できておるのじゃ?」

「ああ、それに関しては大方予想がついています」


 モルテさんの眉頭がぴくりと沈んで疑問符を視線で投げる。今度はフラスコの中で彼岸がため息を漏らす番だった。


「僕──というか、この人、学校に行ってないんです」

「学校に行ってない? 人間サマ、不登校だったの?」

「今時珍しくもないのう」

「いいえ。不登校とかではなく、そもそも戸籍がありませんでした」


 僕の言葉が、鋭い三白眼と眼鏡の奥のタレ目に驚愕の眼差しを混ぜたようだ。天使の寝息だけが空間に響いている。

 トイフェルさんが顎に手を添えつつ、モルテさんに視線を向けるのが視界の端に映った。


「モルテ。おれさま地上に詳しくないからイメージで喋るけど、日本で、これは──結構珍しくない?」

「……そうじゃの、あの豊かな島国でとなると儂は初めてのケースじゃ。つまり小僧。その片割れは学校という人間の群れに入りすらできなかった、ということか」

「はい。言葉を交わしたのも、制服をプレゼントしてきたのも、あの女性だけでした。学校に通わせていない状況に、あの人も思うところはあったのでしょう。

 これで全てに合点がいきます。僕達には恨まれたり呪われたりする程、深く関われた人が地上に存在しないんですよ」


 そう。順風満帆には程遠い、日陰に満ちた孤独。それが僕達にとっての日常。それだけだった。

 難しいことは、最初から何一つ無かったのだ。


 窓の外で、葉が夕日を乱反射させてざわめく。

 花に胸を貫かれ記憶を覗き見た時の僕がそうだったように、納得の表情が二人に現れると思っていたのだが、現実は違った。

 僕の右後ろに立っているトイフェルさんが息を詰まらせながら呟く。


「なんで……なんでそれを、そんな普通の顔で言えんの……?」


 つい先程まで笑っていた表情とは打って変わって。トパーズの瞳を揺らし涙目で訴えてくるトイフェルさんに、僕は息を吸い込む変な音を出しながら固まってしまった。


「え、泣……っ!? なんであなたが泣いてるんですか!?」

「人間サマが泣かねェからじゃん! 働き者なのよおれさまの涙腺は!」

「今のどこに泣くところがあったんですか!」

「そういうとこォ!!」


 ファルさんを起こさないように小声で変な言い争いをしながら袖で目を拭うトイフェルさんの背中を勢い任せにさすってみる。

 彼岸も想定外だったようで、瞬きが話していた時より多くなっていた。


「お主、他人と関わりが薄いせいか少々共感に疎い部分があるのう……これからしっかり学ぶと良い。……しかし……はあ…………」


 溜息を逃がして、モルテさんは視線すら僕から外し、腕を組んでそこに顔を伏せた。小さな手が震える程に力んでいる。


「すまんの。儂はお主らの親を嫌悪しておる」

「いいよ別に。そっちに無理して擁護されるよりよっぽど清々しい」

「くはは、張り合いが無いのうここでのお主は。……聞きたいことはまだあるが、今は整理と休息の為の時間が欲しい。良いな?」

「構いませんよ」


 表情を見せないままの体勢で短いやり取り。その最中に本人の中で一区切りついたのか、一呼吸置いた次には、眼差しと姿勢を元に戻し「小僧」と一言呼び掛けてきた。返事をするとモルテさんは僕に右腕を、手の平を上にした状態で僕に伸ばす。


「手を」

「手……?」


 相手の心境が分からないまま近づいて、言われた通りに右手を伸ば──そうとした瞬間に手を取られる。彼女に手相を見せるような形。甲を触れる女児の手は柔らかく、暖かだった。

 モルテさんとの初めての触れ合い。少しの力で細く小柄な身体を壊してしまいそうで、思わず息を呑む。

 

「……モルテさん……?」

「………………」


 しんと静まり返る空気が床を這う。けれどモルテさんの真剣な視線に抵抗する気にもなれない僕は、じっと次の行動を待ってみた。 

 下睫毛の長い三白眼が少し伏せて細くなり、揺れる前髪に目を奪われてしまいそうになる。とても綺麗だ。とても綺麗なのに、毒されそうになる程に繊細に思えて、尚更手に力が入らなくなった。


「────この手が、武器を握るのか」


 小さく吐いた言葉が耳に残る。

 橙色の光を受けて柔らかく輝く緑色の髪が、死神の顔を撫でた。


「……案外、複雑そうな顔をするんですね」

「当然じゃ。子供が戦地に立つことを、手放しに喜ぶ大人なんぞ居らんよ」


 モルテさんはそう言って僕の手を放し、次に膝枕を堪能している天使を揺り動かした。


「…………んん……」


 小さく唸って眉間を寄せる黒翼がぽやぽやしながら薄目を開ける。眩しそうに目を擦り、長い足を少しだけばたつかせたかと思うと、今度はモルテさんの背中に手を回して腹部に顔をうずめ始めた。

 あまりにもあどけない行動に僕とモルテさんの頬が自然と緩んでしまう。トイフェルさんはというと、涙を拭い終えても目元の赤さは気になるようで、細い指で目尻を触れていた。

 やはり悪魔向いてませんね、あなた。


「ふあ……あ……」


 大きな欠伸と共に寝転がったまま伸びをするファルさん。また眠たそうに呻いた後、やっと顔を上げて僕を見てくれた。


「愛弟子よ、よく眠れたかの」

「おはようございます。ファルさん」

「んう。おあよ……、んあ……? お前、起きて……うおあっ!?」


 体勢を変えようとしてソファから落ちる。ソファで眠っていたのが災いして身体を起こす際の腕の置き場を誤ったようだ。

 衝突音こそ鳴らなかったが、それもあの緑色の大きなシャボン玉が瞬時に生成され、彼女の身体を受け止めたから。こんな和やかな場面でもモルテさんの強さを垣間見るとは。


「お前っ、お前もう大丈夫か!? 頭痛くなってねーか!?」

「はい、大丈夫ですよ。ファルさんこそ怪我してないですか?」

「俺? 何も怪我してねーぞ」


 即座に立ち上がって師に礼を言い、僕に近寄るファルさんから純粋な気遣いが伝わった。

 この人にも心配をかけてしまった申し訳なさと、気にかけてくれた嬉しさが心の中で渦巻いてしまう。


「んん? あいつは? 黒髪だった時の」

「こちらに居ますよ」

「黒髪だった時、って……間違ってはいないけどさ」


 キョロキョロと周りを見渡し、可愛らしく首を傾げた天使にフラスコを見せた。最初こそパチクリと瞬きを繰り返すが、次第に好奇心が視線に混じっていくのが傍から見ても面白いくらいに分かる。


「こん中の黒いやつか? すげー、あの時首から出てたのと似てるなー」


 水槽の中の熱帯魚を見るような無邪気さ。小さくはためかせる背中の翼が、犬の尻尾みたいに興奮を伝えてきて微笑ましい。


「僕の血液が主成分らしいですからね。この中から声がするの面白いですよ」

「血液? やっぱあの時の黒いの血だったのかよ。玉ねぎ食うか玉ねぎ」


 玉ねぎには荷が重すぎるのではというツッコミはさておき、変わり無さそうなファルさんの様子。

 胸を撫で下ろすのと同時に、もっと寝かせてあげたかった気持ちも湧いてきてしまって、人知れず口を結んでしまう。……と、そこでフラスコの中の水面が揺れ、水音と共に静かな声が会話に続いた。


「オレ別に面白がらないで欲しいけど?」

「おー、本当に声がするのおもしれーな。目ん玉一個なのか? 花が浮いてんの洒落てんなー」

「フラスコに触ってみますか?」

「いーのか!?」


 明るい返答は彼岸の位置まで腰を落とし、長い指でフラスコに触れた。指先、指の腹、手の平と順序よく面積を増やしてガラス細工の上をなぞっていく。

 モルテさんの軽い咳払いが聞こえ、ファルさんは一瞬で手を引っ込めて上半身を起こした。


「小僧、それと愛弟子よ。儂は暫し休息を取ろうと思う。二人積もる話もあるじゃろうから、これを小僧に預けておこう」


 緑髪が右手の人差し指を立て、その指に何か、小さな桜色を先頭に白く細長いものが巻き付く。ちろりと舌を出しては引っこめを繰り返すそれは、僕を見ても以前のように鎌首を持ち上げはしなかった。

 飛びかかられるかと驚いて一歩だけ後ずさるが、敵意の無さに撤退は取り止めて姿勢を正す。


「あの蛇騎士様からの餞別じゃ。ラモールが採取していたお主の血を教育材料に、お主に牙を向けぬよう躾ておいたらしくての。現段階、お主以外のグロルの体液には牙を剥くことが確認されておる。センサー代わりとして手首にでも巻き付けておくが良い」

「わ、分かりました」


 モルテさんの手を離れ近寄ってくる白蛇を、恐る恐る両手で迎え入れ、背中を撫でてみる。警戒する様子もなく、こちらの指の間をすり抜けて右手首に巻き付く……だけでは飽き足らず、服の中に入ろうとするのを慌てて止めた。蛇が身を捩り、白い鱗が革細工のように上品な光を振り撒いている。ひんやりと冷たい体温が擽ったい。

 指示通り手首に巻き付ける横で、ファルさんが羨ましそうに声を漏らすのが聞こえた。


「さて、話は以上じゃ。儂は寝る」

「モルテ、寝るならベットで寝て欲しいって死神サマが言ってたけど……」

「もう動く気力も湧かん。三十分程度に留めるからこの場で仮眠を──」

「やめとけししょー。前もこれで結局八時間寝たことあったじゃねーか」

「そォそォ。後で身体痛めるのモルテなんだからちゃんとベットで寝なきゃだめよ? ……よいしょっ」


 両脇に手を差し込まれ容易く抱えられたモルテさん。疲れが押し寄せているのだろう。せめてもの抵抗としてトイフェルさんの頭をはたきはするものの、ぺしっと軽い衝突音が一回鳴っただけで腕の中に収まってしまう。何か言っているが聞き取れず、眠気と疲労の中もにょもにょ動く口元はまさしく幼女のそれだ。

 トイフェルさんが笑いながらモルテさんを抱え直し、僕達の方を振り返る。


「あ、そうだ。外に出るなら夕食までには戻って来て。死神サマの手料理美味しいのよ、人間サマも食べたいでしょ」

「え、良いんですか……!」

「いいのいいのっ! 人数多い方が死神サマも喜ぶと思うからさ、遠慮しないで?」


 ラモールさんの器用さで作り出される料理……興味が湧かない筈がない。願ってもない申し出に頷いた。ファルさんが僕の反応を一瞬だけ見て、「おー」とだけトイフェルさん達に返事を送り手を振っている。

 互いに笑い合ってからトイフェルさんの針の尻尾がドアの隙間を滑り込んだ。

 ぱたん。

 騒音防止のクッション材を挟んだ微かな音が床に落ちて、窓の外から覗き込む葉が見つめるのは、母を亡くした三人の子供だけだった。



◇◆◇



 夕暮れの差す床を、できる限り足音を潜めて。腕の中でうつらうつらとうたた寝をしそうな監視対象を病室まで運ぶ。無防備に頬を預けてくるぬくもりにつられて安心してしまいそうになるところを、何とか抑えながらの運搬作業……。正直、毎日このくらい平和だったらいいのにと思わなくはなかったりする。

 廊下は長いけれど、病室まではそう遠くない。調べもの、戦闘、おれさまも協力したとはいえ黒天使サマの寝かしつけまで手際よくこなしたこの頑張り屋さんを、早く寝かせてあげないと。


「む……自分で歩ける……」

「だめよ。前それでコケて頭打ってたんだから」

「あの時は……ぬう……兎に角今回は歩ける……と思う……」

「モルテ自身も不安になってんじゃん。もう大人しくしてて」


 睡魔と闘いながら小さな足をぱたぱた。抵抗のつもりみたいだけれど、抱え直したら諦めたのか、それ以上は暴れなかった。それどころか縮こまり、上着を小さな手できゅうと掴んでくる。目元が前髪で隠れてしまって、不機嫌に下がった口角だけ確認できた。

 どうしたの、なんて問うのもナンセンスな気がして、背中を支える右手で彼女の二の腕をあやすように二回触れる。一度上着を掴む手が緩んだと思ったらまた力んだのが分かった。


「…………普通の手じゃった」

「ん?」

「ごく普通の、子供の手じゃった」

「……うん」


 どこか沈んだ、小さな声。独り言みたいに途切れ途切れに言葉が続いていく。


「……あの小僧は審判を受け、地獄に送られ、罪を知り、己と向き合い、転生の後は新たな生命として地上で愛され……」

「…………うん」

「……弱ったのう。目に浮かぶのはそんなたらればばかりじゃ」

「…………」

「“恩人様”よ。儂は、……儂の理想は高望みなのかの。子供に安全な場所で笑っていてほしいと思うのは、どの世でも絵空事なのかの……」


 恩人様。

 モルテがおれさまのことをそう呼ぶ時は、大体気が弱っている。

 今でこそ仲良しだけれど、黒天使サマが加入する際も真っ先に反対してたもんなァ、モルテ。そりゃ今回の人間サマの加入も相当こたえるか……。

 正直、人間サマがこの場所に残ることはほぼ確実だと思う。それが王サマの計画だったし、何より人間サマ本人が果実を食べている。黒天使サマと人間サマの関係を考えたら、仲がいいのに離すのは個人的には酷に思えるし、それに……今からあの黒い血を持った状態で地獄へ行ったところで、他の人間サマ達から何らかの形で迫害を受けるのは確実だ。血を操れてしまうから一歩間違えば獄卒達にだって被害が及びかねない。

 客観視すれば、王サマはすごく良い案を提示している。最適とも呼べるくらいに。


「絵空事とは思わないけど、実現にはまだ問題が多いってのが現状じゃない?」


 病室に入り、白いベッドの上に死神を寝かせる。目はもう閉じられ、乱れた前髪を整える様子もなく、手足は既に脱力。安定した寝息が愛らしい口元から漏れていた。

 肌触りの良い掛け布団をふんわり掛けて、ベッドの端に頬杖をつく。


「でもおれさまね」


 この世の癒しを詰め込んだような綺麗な寝顔。額に乗る前髪を少しだけ触れて、呟いた。


「王サマの救いより、モルテの理想の方があったかくて好きよ」

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