↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒天使と僕。  作者: 書の猫
13/24

第十三話 暗闇の彼岸花

 何も見えない闇を背景に、「分離」について彼岸花に知っていることを話した。


「二重人格、多重人格……? オレ、そんな大層なもの無かった気がする」

「え、そうなんですか? すみません、僕てっきりあなたが元々そういったものを患っていたのだと勘違いしてました」

「んん……でも完璧には否定できない……かも。そういうのって主人格が無自覚のケースもあった筈」

「あくまで『予想できることの一つ』として考えた方が良さそうですね」


 そう話し合う二人の間で、床を濡らす赤に波紋が飛び交う。

 そこで浮かんだのは、分離の工程を受ける前提条件すら満たしていない状態だった可能性。しかし彼の言う通り、全否定できる程の証拠が無い。不可思議さに二人揃って無言になり考えを巡らせてみるが、僕も相手も真相に辿り着けることは無かった。

 彼岸花は僕より早く切り替えて簡潔に話題を纏め上げる。


「……とどのつまり、というか、兎に角、というか。オレとそっちが同じ目的を持てば解除されるってことで合ってる?」

「はい。モルテさんが言っていたお話と本の内容がほぼ一致しましたので、今のところ信用しても良いかと」


 僕の話に片目の彼は、無表情に対応している。僕が分離について説明している最中も、特に大きいリアクションも無く「うん、うん」とだけ頷くものだから、途中からちゃんと聞いてくれているのか一抹の不安を抱いてしまったが、どうやらそれを過度に心配する必要は無さそうだ。


「誰モルテって」

「あなたが地上で戦ったと言っていた緑髪の死神さんです」

「ああ、へえ。モルテって名前なんだあの死神」


 などという会話から、この世界で僕が積んだ経験が彼岸花に共有されていないことも分かった。

 そうなると、ファルさんの頼み事を叶えるにはこの目の前に居る彼岸花の協力は、やはり必要不可欠なものに見える。どうか、どうかこの考えが見当違いではないことを祈りたい。


「それが本当だと仮定するなら、オレたちは未だに共通の目的を持った時間は一秒たりとも無いってことか」

「それについては僕の『記憶を思い出したい』という目標が邪魔をしてしまったんだと思います」

「……そう。今は? 今も思い出したい?」

「はい。僕の思いは変わっていません。それに僕の、いえ。あなたの持っている記憶を、ある人に伝えたいんです」

「伝える、ね……。そういうことなら協力は難しい。第一、オレと同じ記憶を持つ奴なんて居なくていいし、居ない方がいい。思い出したところでまたどうせ、その記憶のせいで自身を粗末に扱う人が一人増えるだけ」


 赤い水たまりの上で更に身体を縮こめる。抱えた足から、左手は右の、右手は左の二の腕に移動し、自身を抱きしめるような形で止まった。


「死にたかった」


 ぽつり、と。


「でもずっと、身体を傷つけたい訳じゃなかったんだ」


 無言で見守り次の言葉を待つ僕の視界に映るのは、特別な点など何一つ無い、矛盾に苦しむただの一人の人間だった。

 何も無い僕にとってその姿は、眩しくすら思う。


「オレが身体の所有権を失ってほっとしてるのに、同じ目的を持つだけで元に戻る? 最悪。戻ればまたオレは繰り返すに決まってる」

「自傷行為を、ですか」


 僕の声にハッと顔を上げ、目が合った。

 初めて目撃したと言える表情の変化。

 驚いたように見開かれた黒い目はすぐに伏し目になり、髪の毛先が小さく上下に揺れた。頷いたのかも知れない。


「悪趣味。調べたの」

「違和感を抱える時間は短いに越したことはありませんので。まあその違和感のきっかけも偶然でしたけれど──ともかく、あの身体は覚えていましたよ。その自傷行為であなたがどれ程の安堵を得ていたかを」

「そう。可哀想だよね、元の持ち主がこんな奴のせいで長く残るような傷痕まで付けられて」


 そう言って、否。そう吐き捨てて、彼岸花は赤い液体に映る自分自身を覗き込んだ。


「そっちを見る限り、今お前の側には面倒見の良い奴が居る。それならもう記憶なんて……オレのことなんて忘れた方が良い」


 突き放すような言葉に、僕は佇んだまま。

 返事が無いのが気になったのか、彼岸花はまた僕の顔を見てくれた。二回瞬きをした後に僕の身体に視線を向ける。


「ブカブカ過ぎるその服、借り物なんじゃないの」

「ああ、ご明察です。似合います?」

「服に着られてるって感じ」

「あなたのそういう正直なところ僕結構好きですよ……」


 くるくるその場で回ってみたがいつも通り無表情。映像化するなら、この会話だけお互いミニキャラで描かれそうだ。

 そんなやり取りも一瞬で終わり、僕は息を吸い込んだ。


「僕、少しですが知っているんです。あなたが生前、何を見たか」


 彼岸花の動きが止まる。


「そろそろ、教えてくれませんか。生前何があったのかを」

「………………」


 僕はこの暗闇に腰を下ろし、話を聞く体制を作った。二人の顔の高さは、正座か体育座りかの違いしかない。ただ志が違うだけの双子を模した、赤の他人同士が向き合う。

 闇はまた穏やかな風を運んできてくれていた。

 虚無の目は、しかし揺るがない。


「協力は難しい」

「そんなに僕の覚悟が軽いものに見えますか」

「違う。原因はそっちじゃない」


 体育座りを解いて、続ける。


「同じ目的で『分離』っていう今の状態が解かれるなら、オレはもうお前の考え全部に反対しなきゃいけないってだけ。あの身体に戻りたくない。身体を持っちゃいけないんだオレは。だからこのまま、オレが消えれるなら消えた方がいい」

「そんな……! 僕そんなつもりじゃ──」

「分かってる。そんなつもりじゃないって。目的の為に頑張ってるだけだし、その目的だって周りに迷惑をかけるものじゃないって。悪いのはオレの方だ、ごめん。……安心してるんだ。オレの身体を、オレより大事にしてくれそうな奴に譲れて……」


 この時、紅く咲いた彼岸花が。




「────お前が来てくれて良かった」



 ……初めて、笑った。

 胸が痛くなるくらい、綺麗な笑顔だった。

 喉元まで出そうになっていた反論は跡形もなく消え去って、涙腺への小さな刺激と、心に纏わりつく靄へと変化を遂げ、僕の息は勝手に飲み込まれる。


「あの死神にも言っておいて。感謝してるって」


 そう伝言を呟き無表情に戻った。また、沈黙が赤い水面を滑っていく。

 どうしてもこのまま立ち去る気持ちにはなれなくて、僕は彼岸花の前で思考を巡らせた。

 この人の望みは今僕が動かしている身体の所有権を再び握らないこと。それのみを叶えるだけならば、まだ方法はある。


「待ってください」

「何?」

「その感謝の言葉は、あなたが直接伝えるべきです」

「……話聞いてた? オレはもう、あの身体に戻るつもりはない」


 彼の足元。敷かれていた赤い液体が、一部持ち上がる。


「本当にごめん。もう放っておいて」


 彼岸花が立ち上がる間も宙に浮かぶ液体は数と大きさを増し、彼の背後でうぞうぞと何を真似るでもなく随時形を変えている。

 下から見上げた彼の顔からは、不思議と怒りは感じられなかった。

 無感情? いや、きっと違う。

 罪悪感だ。

 彼は僕の意見なく、否応なく、僕に全てを丸投げして逃げようとしているだけなのだと。そしてその自分の行動がどれ程浅ましいかを。持ち前の賢さと有り余る孤独の時間の中で、既に考え尽くしていたのだと思う。

 僕がこの申し出をこのまま受け入れてしまえば、彼岸花はその罪悪感で自らを苦しめてしまうだろう。

 そんなことさせたくない。

 僕は、あなたにも感謝しているんだから。


「あなたは昨日、僕に『もし助けてくれるなら』と言いました」

「覚えてない」


 浮いていた赤い液体が僕の両手に纏わり付く。痛みは無い。


「このまま消えてしまうのが、あなたの本当の望みではない筈です」

「知らない」


 一つの塊になった大きな水滴に包まれた両手に僅かに圧がかかる。痛みは無い。


「そして僕も、あなたに消えて欲しくない」

「しつこい」


 赤の水滴が中に入っている両手ごと、ゆっくりと上がっていく。痛みは無い。


「それに、口は一つしかありません。恥ずかしながら僕、不器用で。まだ自分の思いを他人に伝えるだけで精一杯なんです」

「うるさい……うるさい……」


 形状を変え続ける液体に両手を引っ張られ、その高さは僕の身長を超え、更に上がって足が浮く。痛みは──無い。


「だから、僕と一緒にモルテさんにお礼を言いに行きませんか?」


 両手の動きを塞ぐものとは別に、床から僕の首に振れるあと十センチまで伸ばした赤色が、僕の言葉に進行を止めた。

 今にも耳を塞ぎ拒絶を顕にしそうだった黒髪は息を呑んで僕を見る。虚無だったその目には、淡く──しかし確かに、光が宿っていた。

 僕がどうしてこんな提案が吊るされた状態でできたのかというと、彼が僕に対して敵意や悪意、殺意を持っていなかったのが大きい。空中を彩る赤も、水たまりから伸びた赤く細長い水柱も、一度も攻撃的な、尖った形になる事はなかった。脅しはしてもこちらを攻撃することを手段にできなかった彼岸花の人間性に、卑怯にも僕は付け込んだのである。


「そんな、こと」

「できるかも知れません。僕もまだ知識不足なので、確定した事が言えないのが悔やまれますが」

「オレがあの死神に直接会って何になるの」

「分かりません。ですが成功した場合あなたが僕のお礼参りの付き添いになることは確かですね。モルテさん怖いんですよ睨みが、もしここから出られたら間髪入れずに引き摺ってでも付き添い願いますからね」

「何それ、意味分からない」


 僕の首目掛けて伸びている赤い液体の背が縮んでいく。あまりに勝手な計画を立てる僕に戦意が削がれたのは明白だった。


「やっぱり僕、『隔離』についても今から調べて来ます。それならきっと、誰も呪わずにあなたはここから出ることができる」

「隔──離……? 分離と何が違うの」

「言葉のままです。人格──僕とあなたの距離を、物理的に離すこと……がこの世界では可能らしいです」

「…………よく、分からない」

「ですよね。僕もです」


 この会話の最中、僕の両手の動きを封じていた赤い液体が高度を下げて、浮いていた足が再び床に降り立った。

 途端、液体がパッと弾けた。手が拘束から解放され自由になる。そこには痛みも、痺れも無い。

 可動部を確認するように指を開き、閉じて、また開いた。異常なし。


「……返事、考えさせて。整理したいのもあるけれど、デメリットも知らないまま同意できない」

「分かりました」


 多分僕より数段も頭の回転の早い、この人が出した答えは「保留」。妥当な判断だと思う。僕も同じ立場ならきっとそうしただろう。

 今僕達を取り巻く不透明はできる限り取り除いてから道を決めるべきというのは同意しかできない。


「よし、目が覚めたらまた本とにらめっこですね。頑張らないと」

「身体の元持ち主として一言。調べ物は偉いと思うけれどできれば視力は落とさないで」

「ぜ、善処します」


 気合いを入れたは良いが彼岸花の言葉に早々に勢いを無くす。その反応に相手は瞼を下げ、半目の状態で呆れたようなため息を見せた。

 所謂、ジト目というやつである。


「……もしかして根詰めて一気に調べる予定だった?」

「……もしかしてあなた、生前名探偵でした?」

「そんな訳ないし何その顔張り倒したい」


 相変わらず上がらない口角で淡々と話す彼の姿に、初対面の時との類似点を垣間見て密かに安堵する。それに気付いているのか否か、また作り物のように小さい唇が動いて言葉を紡いだ。


「お前の身体が傷ついたら、少なくともオレは悲しくなる」


 忘れないで、と。深紅の花は静かにそう付け加えた。


 忘れないで。

 忘れないで……か。



 僕はその返事として、首を縦に振る選択ができなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。