表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒天使と僕。  作者: 書の猫
1/21

第一話 天使と悪魔の加護

 こうなった理由も、今のこの状況も分からぬまま、僕の身長の何倍もある木が群れる森の中を走っていた。

 時々バランスを崩してよろけながらも、必死に足を動かす。


 逃げないと。

 逃げないと!


 そう思う度に、早い心拍数と緊張に筋肉が強張り思うように動かない。


「はぁ……! はぁ……!」


 風になびく銀色の髪。

 精一杯振る細い腕。

 空気が当たる白い頬。


「はぁ……! はぁ……!」


 切れる息。

 痛くなる脇腹。

 流れる汗。


「はぁ……! …………っ!?」


 そして。

 逃げていた先は崖。

 下を見ればまた、今まで逃げてきたのと同じような森が広がっていて。

 僕の視界を絶望に染める。


「グアァァ……」

「あ、ああ……!!」


 後ろを振り向けば、僕を追いかけていた化け物が目に映る。

 僕の胸の高さ程の大きさがあるどす黒いそれは、スライムのようにドロドロとした小さな手と、無数の目玉。そんな、化け物のおぞましい見た目が視界に入り、僕の動きを止める。



 ああ、僕は()()死ぬのか……?



 そう思った時。


「みーっけた」


 一人の声。翼が風を切る音と、地面との重い衝突音が聞こえた。

 突如巻き上がる突風に足がもつれ僕は無様に尻もちをつく。

 僕を追いかけていたそれを踏みつけると共に、ざくりと刃を貫いたその人は──黒い翼と、もう一つ。二刀流なのか、悲鳴をあげて塵と化した敵を倒したのと、同じ大きな刃で背中を飾っていた。

 そして驚くことに、僕はその刃の形を、日常的によく目にしていた気がする。


「あー? もう終わりかよ、鬼ごっこ」


 つまんねーの。と呟く黒髪は、刃を。要の外れた鋏のようなその刃を、今度は僕に向けた。


 黒い翼が僕をギロリと見下ろしている。


 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 怖い。怖い。

 お願いだから、その武器を下ろして欲しい。

 僕を見逃して。


「あー……そんなに震えんな。俺は……」


 ガァン!

 僕のすぐそばの地面に大きな刃を刺し、心底面倒くさそうに黒い翼は言う。


「お前を捕まえに来ただけなんだからよ」




◇◆◇




「天界へようこそ〜!」

「へ…………?」


 はじまりはー時間前に遡る。

 僕の後ろに続く、青白い炎の長い列。

 僕はどうやら、死んでしまったらしい。

 赤い垂れ幕が壁にぶら下がり、絢爛豪華な金色の装飾が気品を放つこの空間。

 「王」と書かれた藍色の冠を被って、目の前の大きなテーブルの上に座る行儀の悪い青年の言葉にただ固まった。


「じゃあ、君の『データ』を見せてもらうよ」


 一重、切れ長のタレ目。左の泣き黒子の上を長い目尻が通る。そんな一昔前の美人を象ったような。けれど不思議と、人間味を感じられない。

 僕のような人間達と話すから、仕方なく人間に近い形をとっているのでは、と。そんな風に思ってしまうくらい、人間とは相容れない何かを直感してしまう。

 そんな眠たそうな青年が長い人差し指をくいっと天井に上げると、僕の足元から光の風が舞い上がる。

 驚いて目をつぶったが、数秒後に目を開いてもこれといって外傷は無かった。


「え……あ……あれ?」


 青年の声にそっちを向くと、人差し指は天井を指したまま動かない。

 その表情には戸惑いが表れている。


「君、生前の事覚えているかい?」

「へ? ……そ、そりゃあ……」


 あれ?

 思い出せない。

 思い出そうとするとぼやけて、歪んで、見えなくなる。

 うっすら思い出せるのは、「自分は自殺した」ということ。

 けれど、自殺の方法すら揺らんで霞む。


 僕は……僕はどうして自殺を……?


「面倒な事になったなぁ……自殺をした時点で地獄行きは確定だけど……」

「えっ!? じじじ地獄!?」

「そー地獄。命はだーいじにしなきゃね」


 でも……うーん……。と泣き黒子の青年は唸る。


「地獄にも色々種類があってね。君の記憶、つまり『データ』が無いと、地獄の中でも君がどこ行きなのか……部下である鬼達では判別が付けられないんだ」

「その、あなたが行先を決めることはないんですか?」


 あくまで勝手な想像だけれど、「お前は○○行きだ!」みたいな感じのイメージが……。


「え、死後の世界のイメージってまだそんなに古めかしいのかい? 期待に応えられず申し訳ないね。自分は人間が天国行きか地獄行きかを判断するだけだ。地獄行きでも、その中でどの罰が必要なのかは鬼達の判断に任せているよ」

「そ、そうなんですか」

「なのに君は記憶……『データ』を持っていない。このままでは自分は部下に無理難題を押し付ける最低な上司になってしまう」

「……なんかすみません…………」


 話しているうちにどんどん丸くなる僕の背中。大きなため息に脅されているような気分になりいたたまれない。


 というか僕が悪いのかこれ……!? 記憶喪失なんてなりたくてなってるわけじゃないのに……!

 自殺した時の僕に言って欲しい!


 書類の積まれたテーブルから「よっ」という声と共に下りて、王の冠は僕の前に立った。

 ──少し、にやけているように思えた。


「だから君には、とある場所でとある子と待ち合わせをしてもらうことにしよう」

「待ち合わせ……?」

「うん! 君の記憶が戻るまで、君はあの子の所で預かってもらいたいんだ。申し訳ないけれど、君に拒否権というものはないよ」

「ま、待って下さい! 『あの子』って一体……」


 僕の言葉は、最後まで声に出すことを許されなかった。

 パチン。青年が指を鳴らすとさっきとは違う色、紫色の光が僕を包み、閉じ込める。

 パシュン、という音と共にその光は一瞬で消え、そこに僕の姿も──無くなっていた。


「面白い子だよ。とぉっても」


 あはははは!

 青年は、楽しそうに笑った。



◇◆◇



 そして現在。

 黒い翼が僕を見る。

 翼と同じ色の髪に浮き出るような赤のメッシュ、赤黒いパーカーが風になびいて、鋭い目が僕を見下ろす。

 僕の身体は上がる息と鳴り止まない心音が支配していた。


「ご……ごめんなさい。命だけは……」

「あ? 別にお前の命なんざ欲しくねーよ。死んだくせに何言ってんだ? 変な奴だな」


 足音を立てず、僕の方を向く細い足。

 へなへなと力の抜ける僕を見下ろしてこちらに歩を進めた。


「細身、明るい髪色、同色の眼、学生服、首に下げたアクセサリー。間違いねーな」

「……ふぇ?」

「俺はお前を八つ裂くつもりはねーって事だよ。アイツから話、聞いてないのか?」

「えっと、アイツって……?」


 縮こまりながら絞り出した僕の質問に、「これ以上どう説明しろと言うんだ」みたいな眼差しを返される。


「あー……だから……あれだ。エンマが言ってた奴だろ? お前」

「え……エンマ?」

「…………チッ。またアイツ、ロクに名乗りもしなかったな」


 一瞬僕から目を逸らし、黒は大きなため息をついた。


「もういいや。そいつからお前を保護しろっつー命令が来たんだよ。お前みたいなヒョロっこいの、さっきみてーにグロルに襲われて、食い尽くされて終わりだからな」

「保護? じゃ、じゃあなんで武器を……」

「あー? 俺がグロルに食われるわけにはいかねーんだよ」


 ………………………………。

 …………僕が聞きたかったのはなぜ武器を持ってきたのかではなく、なぜ僕に武器を向けたのかなのだが。

 あんなの、殺されると思うのが正常な反応だと思うのだけれど。

 誰もが脱兎の如く逃げたいと思うのだけれど。


 「いいから立てよガキ」と言われて手を掴まれたが、僕の身体は動かない。

 というか身体に力が入らない。

 え、もしかしてこれ……腰抜けた!?

 うわぁ……最悪だ……。


「あー!? まさかお前、自分の身体すら持ち上げらんねー程ヒョロっこいのかよ!?」

「す、すみません……今はそうみたいです」

「……ったく」


 情けなさと羞恥心。

 何かを言おうとして開いた口は黒の行動によって遮られた。

 またため息を吐きながら首元を引っ掻いたその手は僕の肩に。

 地面から抜いた武器を背中の鞘に仕舞った手は僕の膝の裏に。


「しょーがねーな」

「わっわわっ!?」


 次の瞬間、僕は黒い翼に横抱きにされていた。

 割れ物を扱うような丁寧な行動にぽかんとする僕。そんな僕の肩を黒は抱き寄せた。

 僕を支える細い身体に僕の身体が密着して……。


「飛ぶぞ。しっかり掴まれ」

「は……はいぃ!」


 その言葉が言い終わったかどうかわからない。

 すぐそばで動く翼の音と、体感した事の無い浮遊感に不安を煽られて、僕はただ言われた通りに黒にしがみついた。



◇◆◇




「着いたぞ」

「……………………」

「……おい、腕どけろ。苦しーんだよ」

「…………もう……で………よね……?」

「あ? 悪ぃ。もっかい」

「……もう……飛んでませんよね?」

「………………………………」


 ぎゅうと閉じた瞼。

 真っ暗で何も見えないから、僕はまだ細い身体に抱きついていた。

 翼の音は止んだけれど、あの高度のある景色がこびりついて離れない。

 落ちたらどうしようという不安しか無かった。もしかして生前の僕は高所恐怖症だったのかな。


「…………………………」


 はあぁ……、と。

 息の音が聞こえたと思ったら、吹いていた風がいきなり止み、


「ほらよ。愛しの床だぜお姫様」

「わあ!?」


 途端に僕を持ち上げていた腕の力が抜けた。

 まぁ当然、落下する。

 驚いて目を開けると、そこは見覚えのない部屋の中だった。


「え……と。ここは?」

「俺の家だ。お前にとって不便でも文句は受け付けねーからな」

「は……はい」


 黒は気だるげに開いていたドアを閉める。

 僕は周りを見渡す。

 落ち着いた茶色をベースに、一人用の小さなソファーと、本が中で倒れている本棚。そしてコンロとシンクがついたシンプルなキッチン。部屋の中心には木で作られたテーブルが堂々と主人の帰りを待っている。

 しかし、あとは目立ったものは見つからなかった。

 驚くくらい物が少ない。

 けれどどうしてだろう。どこか寂しさを感じる生活感に、少し親近感が湧いた。


「よし、アイツに連絡だな」


 ポケットからスマホを取り出したこの家の主は素早く数字を打ち込むと、それを口に近づける。

 プルルルル……プルルルル……。

 ………………………………………………。


『やぁ黒天使君! 保護出来たかい?』

「てめぇやりやがったなクソエンマぁぁ!」

「ひぇ!?」


 一時間程前に会ったあの青年の声が聞こえてきたと思ったら、スマホの向こう側に怒鳴り声を散らす黒。

 まさかの行動に状況が掴めない。


『その様子だと、第一任務は達成したみたいだね。いやぁ何より何より』

「ふざけんな。何も説明せずにここに放り込むたぁいい度胸してんな。塵に還されてーか」

『こっちも忙しいんだ、ごめんね。君ならちゃんとこなせると思って、勝手ながら頼らせてもらったよ』

「あ? 冥界の王が他力本願か? 笑えねーんだよ。俺が来るより先にグロルに食われてたらどうする気だったんだ。お前の事だ、他にやり方はあったはずだろーが」


 不愉快だと言わんばかりに眉間のしわが濃くなって、血を零したような赤黒い目に怒りが浮き彫りになる。

 スマホからの声は黒の発言に少しだけ言葉を詰めた。


『────これが……最善だよ』


 ひどく真剣で、相手が思わず怯んでしまいそうな威圧感。

 黒もそれを感じ取ったのか、目を少し見開く。



「……それは……どういう意味だ?」

『まぁまぁ、近いうちに答え合わせ出来るよ。あはははは!』


 プツッ ツーーッ ツーーッ …………。


「おい! エンマ!? エンマ!! ………………チッ」


 舌打ちをして黒は荒々しくスマホをポケットに仕舞った。


「おい」

「はいぃ!?」


 投げかけられた言葉に裏返った返事。

 黒は一瞬きょとんとした後またすぐに目付きを戻した。


「あー……お前もエンマにクレーム付けさせようと思ってここで連絡したんだけどよ」


 面倒くさそうに首を引っ掻いて、僕に目を向ける。


「まさかそんなに怖がるとはなー」

「怖い以外どう思えと……ぐすっ」


 部屋の隅にうずくまる僕。

 怒鳴り声に怖くなって、会話の中にある物騒な単語に怖くなって、こんな状態に。


「悪かったって。とりあえず……まー……あれだ。泣きやめ」

「無茶言わないで下さい……」


 隅で丸くなったターゲットに近づき、前に座る黒。

 僕の泣きべそを見てむすっとした表情を見せた時、この家のドアが再び開いた。


「ファルぅ。こっちの方には居なかったよぉ……お?」


 顔を出したのは右目にハート型の眼帯をした真っ白な美少年。細く脆そうな身体に袖の余るカーディガンを纏い、耳の上の髪からは緩やかなカーブを描きながら後頭部へと向かう角が二つ生えていた。

 カーディガンの裾から伸びる長い尻尾がふよふよと頭の後ろを横切り、ルビーのように赤い目が僕を捉える。


「わぁ〜! ファルが人間襲ってるぅ。そういう趣味があるなら最初に言ってよぉ。協力するよぉ?」


 うん。

 これだけは言える。

 なんかやばい。

 この人なんかもうやばい。


「うるせーなそんなんじゃねーよ。このガキだ。エンマが言ってたの」

「なぁんだぁ〜……つまんないのぉ。ボクが見つけたらとりあえず性的に襲おうと思ってたのにぃ」

「ひぇ……」


 ほらね。


「トラウマを作んな」

「あ痛っ」


 サラッと爆弾発言する少年に黒がチョップをお見舞いした。


「はじめましてぇ人間くぅん。ボクはアルビノ悪魔のディアボロス。覚えにくかったらディアでいいよぉ」

「あー、自己紹介が遅れちまったな。俺はファルシュター。ファルって呼ばれてるからお前もそう呼べ」

「あ! ……ぼ、僕は……」



 ………………。


 …………………………。


 ………………………………………………。


 忘れてるんだった…………!!

 思い出そうとしても全然ダメだ。


「そんな顔すんなガキ。事情は聞いてる」

「す、すみません……」


 赤黒い眼に見つめられて、気まずさと恥ずかしさが増す。

 視線を落とした僕にテンションの高い声が「まぁまぁ」と話しかけた。


「それにしても人間くん、キミ可愛いねぇ。ボク……結構好みだよぉ?」

「え……うわぁ!?」


 身体と身体が触れるくらい近づいて。


「筋肉は必要最低限。水分は標準。痛めた筋も無いしなやかな身体……。あぁ……たまんないよぉ……っ」

「ちょっ、ディアさん!? 待ってどこ触って……ひゃあ!? 首舐めないでください〜!」

「おいアルゴル! トラウマ作んなって言ったばっかだろーが!」

「あぁんっ」


 身体中を艶めかしく撫で回しながら息も荒く密着してくるディアさん。それをファルさんがものすごい勢いで蹴飛ばしてなんとか離れてくれた。


「お前はいっつも他人を口説きやがって! この前苦情が殺到したのもお前のせいなの知ってんだかんな仕事に集中しろこのバカ!!」

「あっさっきの蹴り結構イイ……っ! 顔面にもちょうだい!」

「うーわ、こいつにとってはご褒美だった。やーめた」

「ええぇ、そんなぁ!」


 どうしよう。

 もしかして僕……とんでもない人達の所に預けられたんじゃ…………。

 よし、ちょっと僕だけでも場所を移動しよう……。


「おーっと、どこ行く気だ?」

「わぷっ」


 壁沿いに逃げようとしたところを、翼を広げて塞がれた。

 今ファルさんの表情を見るのは怖いから、顔面が翼に埋もれたままくぐもった声で返答を返す。


「少しだけ外を見に……」

「行かせるわけねーだろ。お前をグロルから守るのが今の俺の仕事なんだからよ」


 ですよねー……、と。そう呟きながら翼から頭を離した。

 というか、ずっと気になっていたけれど……。


「あ、あの……つかぬ事をお聞きしますが」

「あ?」



「その……『グロル』ってなんですか?」



◇◆◇



 沈黙。

 無言の世界。

 ファルさんディアさんも固まって動かない。


 時が止まったかのような錯覚を覚えるくらい何も動作が無かった。



「……は〜……。マジかー」


 数秒後、ファルさんの大きなため息が無言を破る。


「へ? ファルさん?」

「そっかぁ……そうだよねぇ……そりゃあ保護の依頼来るよねぇ……」

「え、あの……ディアさん」

「それも教えてねーとかマジであのクソ王塵に還そ」

「ファルさん!?」


 頭を抱えるファルさん。

 動作と合わない物騒な事を小声でブツブツとお経のように一息で呟く。


 怖っ。


 袖の伸びたカーディガンが苦笑いをした後、わざとらしく咳払いをして説明に切り替えた。


「人間たちがやってる『げぇむ』ってやつで言えばぁ、モンスターみたいな感じってのはニュアンスでわかるかなぁ?」

「……はい。それは会話でなんとなく」

「つーか、お前を最初に追ってた奴だよ。そいつらはどす黒い人間達の恨みとかがいっぱいくっついたやつだ。とにかくドロドロしてて気持ちわりー。

 んで、グロルは俺とかお前らが持つ魂や霊力が食料なんだが、お前はグロルと戦えるだけの武器も体術もねーだろ? だからお前を守れと連絡が来たんだよ」

「その、もし……もし食べられてしまったらどうなるんですか」

「ん〜……。晴れてグロルの身体の仲間入りだねぇ」


 なんだ、食われてーか? という問いに、勢いよく首を横に振る。


「だろうな」


 そう言うファルさんの表情に、笑顔は無かった。


 ファルさんはいくつもの……その……グロルと戦ったのかな。

 翼の傷を見ながらそんなことを考えていると、ファルさんは少し眉を顰める。


「最初はみんな見るんだよな。そんなに気になるか? これ」

「あ、すみません。嫌でしたか?」

「んや、いつもの事。もう慣れたけどよ」


 そう。

 この人の翼は、左翼が途中で切断されていた。

 翼の折れた鳥とかとは違い、途中でスパッと切れているのを見るのは初めてだ。

 傷を隠す包帯が、黒い翼によく映える。

 飛んでいる時に見えた、アニメに出てきそうな緑色の半透明の翼が、切断されている部分を補っていたのは一目でわかった。

 その証拠に、地上にいる今は半透明の翼は消えている。


「包帯は解くなよ。装置が入ってんだ」

「ああ、あの翼の」

「これ無かったら俺飛べねーから勘弁な」

「あぅっ……はい」


 近づいたら額を小突いて拒否された。

 翼の触り心地がとても良かったから触れたかっただけなのだけれど、本人が嫌なら仕方ない。


「ねぇねぇファルぅ〜。この子、別に外に出しても大丈夫じゃなぁい?」

「んあ?」

「ほらぁ、久々の客人だよぉ? ボクはここの危険性、知ってた方がいいと思うなぁ」

「…………あー」

「キミもぉ、お外行きたいでしょぉ?」

「へ? あ、はい」

「ふふっ。人間くんはこう言ってるよぉ」


 ヤギのように横に伸びた瞳孔が嬉しそうに微笑んだ。

 こう見ると、とても綺麗な子だな。

 僕より見た目が若くて背も小さい。

 外見だけ見たら、小学六年生くらい……かな?


 中身に難しかないけれど。


「…………わーったよ、好きにしろ」

「やったぁ! 人間くぅん。いっぱいデェトしよぉねぇ?」

「へ!? で、で、デェト!?」


 胸元に顔を寄せて僕の頬を捕まえるディアさん。

 当然ファルさんの膝蹴りが炸裂。

 本当に大丈夫なんだろうかこの人達。


「じゃあアルゴル、少しの間そいつを預けるからな」

「え? ファルさんは?」

「風呂ー。汗気持ちわりー」


 え?

 は?

 ということは……?


「人間くぅん。行こぉ?」

「ちょっ待って下さい理解できないししたくないです……あっ凄い力何もできない助けてファルさぁぁぁぁん!?!?」


 ずるずると 危険人物と デェトなう。




 僕、絶望の一句。



◇◆◇



「ふふっ。この森を人間と歩くのは初めてだなぁ」


 家の外。

 木々に囲まれた道を右、左、また右に視線をうろつかせながら僕らは歩を進めていた。

 白の彼が動く度、スペードのような先端の尻尾がふわふわと宙を揺らめく。

 捕まえたい衝動を抑えて横を歩いていると、その尾の主が口を開いた。


「ボク、こっちに来てから長いけどぉ、人間が来るなんて今まで無かったもぉん」

「え、長いって……ディアさんはどのくらいここにいるんですか?」

「ん〜……ざっと四百年くらいかなぁ?」

「ざっと、って言うんですかそれ…………」


 僕より見た目は若いのに、とんでもない年月だ。


「ここの景色は季節でくらいしか変わんないし、人間くんにとっては退屈かもねぇ」

「本当に立派な木々……というか、森? ですかね」


 見渡す限り、木、木、木。

 茶色と緑色が頭上を覆い尽くす景色の中。

 特に話すことも見当たらないと思っていたけれど、僕はふと疑問が浮かんだ。


「あの、ファルさんが言ってた『アルゴル』っていうのは、ディアさんのあだ名みたいなものなんですか?」


 僕の問いにディアさんはルビーの瞳を瞬かせた後、袖で隠れた手を口元へ。

 ふふっ。可愛らしい声が漏れたかと思うと照れくさそうに身体をくねらせた。


「あだ名って言うよりは能力の称号みたいなものだよぉ? ボクはアルゴルなんて可愛くないって言ったんだけど、ファルはこっちで呼ぶようになっちゃってぇ」

「能力の称号?」

「ボクの特殊能力だよぉ。眼帯の下に隠してあるのぉ。かっこいぃでしょぉ」

「え、なにそれ凄く気になるじゃないですか」


 そんな桃色でハート形の眼帯にそんなカッコイイものがあったなんて……!

 ファルさんの翼と同じくらい気になる!


「そうそう。ファルがこの名前で呼ぶ理由がねぇ、『ディアって発音めんどくせー』ってぇ……酷くなぁい? そっちの方が文字数少ないのになぁ」

「あ〜……ファルさんと会ったばかりなのになんとなく想像できます」


 袖を胸元で上下させて嬉しそうに話すディアさん。

 そこだけ見てると、本当にただの愛らしい男の子って感じだ。

 ディアさんの笑顔につられて僕も自然と頬が緩んでしまう。


「そういえばディアさん。僕らは一体何処に向かっているんですか?」

「ふふっ。ごめんね人間くぅん。観光に連れていきたいのは山々なんだけれど、先にボクの用事を終わらせてもいいかなぁ?」

「えっ」


 ズササーとディアさんから距離をとった。

 だって。

 だって。

 トラウマは作りたくないですもん。


「すみません!! 僕を性的な意味で食べるのは勘弁してください!!」

「すごい勢い! これがジャパンという島国の『DOGEZA』なのぉ!?」


 僕の素早い行動に興味深そうな瞳を向けるディアさん。「なんというか……とても綺麗な手足の揃え方だねぇ……初めて見たぁ」みたいな事をぽそりと言った後、慌て気味で余った袖を横に振った。


「違う〜違うよ人間くぅん。ボクの用事はそんないつでも出来るようなものじゃなくってぇ」

「え? いつでも? え?」

「ボクのこの眼帯で隠してある目の治療だよぉ」

「い、いつでも出来るってどういう……」

「んん? そのままの意味だよぉ?」


 せっかく用事を教えてくれているのに、なんかそれ以上に僕のメンタルがズタボロになりそうな箇所があったのは気のせいだろうか。

 ────いや、うん。

 気のせいだ。

 ディアさんはそんなこと言ってない。

 そう思わせてください。


「ほぉらほら、立ってよ人間くぅん」

「は……はい」


 にっこり笑って伸ばす手を取って立ち上がる。

 じんわりと暖かい、人並み外れた体温に僕の手は優しく包み込まれて。

 えっと……なんというか……その……。


 振りほどく気にはなれなかった。





「ほら! 着いたよ人間くぅん」

「うわぁ……」


 手を繋いだまま歩を進めて約十分。

 ディアさんの目的地へ到着した。

 僕の目の前に現れたのは、立派なお屋敷。

 庭には様々な色の薔薇が咲いていて、綺麗に手入れされていた。

 深い紫色の壁に、繊細な装飾がとても映える。まるで御伽の国に迷い込んだような現実味の無さに僕は目を離せなかった。

 怪しさの中に美しさがあるその姿に、ただただ見惚れてしまったのだ。


「すごく……綺麗ですね」

「でしょぉ? ふふっ。さぁ、入ろ入ろぉ」

「はい!」


 ディアさんの手に引かれるまま。

 お屋敷の装飾に惹かれるまま。


 僕はその建物の中に足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ