取り扱い説明書
「なあなあ、人間にも取り扱い説明書ってあったら便利じゃね?」
と渡辺 侑は分厚いコミック誌を読みながら、堂々と他人のベッドの上で、さも自分のかのように寛いでいる。
「漫画にそんなもんが描いてあるのか?」
一方、そんな話は片耳に俺は小遣い稼ぎにと始めたバイトでプログラムコードをパソコンに打ちまくって、ウェブサイトを作成をしていた。
「いいや、リアルの話よぉ、機嫌の直し方とかやる気の出し方とか教えてくれる本があったら便利じゃないかって聞いてんの」
侑は俺に質問に真面目に向き合っていないと指摘するように言った。漫画を閉じて、起き上がって、俺がパソコンから目を逸らさないことに腹を立てたのか、両肩を掴んで揺さぶってくる。やめろって言っても侑は聞かないし、寧ろ、そう言われて喜んで行為をエスカレートさせるイタズラ好きな奴だ。だから、俺はいっつも「やめろ」って笑って言うんだ。
その結果、後ろから全身を使って引っ付かれた。正直、柔道の絞め技よりも酷い。でも、もっと酷いのは俺の方で、親友として接してくれている侑を欺いている。俺は侑のことが好きなのだ。
「そりゃあ、便利だろうな、こんなことされずに済むだろうし」
なんて、この関係性を利用している俺は嘘でもついて、身の潔白を知らせるために強がった。もちろん、フィクションの中で嘘を付いてもそれもフィクションだろう。
「ああ?まじで首絞めんぞ」
と侑も悪ふざけで笑って、俺の背後から首に手をかける。触れられた瞬間、生唾を飲み込んでしまい、それがバレてないかが不安になる。体温も、口調も、表情も、何か普段とは違うと悟られないだろうか。
「やめろ、離せって」
不安が募りに募って、前に出た。少し強めの口調とともに、首に触れているだけの手を掴んで、無理やりに引き離そうとして痛めつけてしまった。侑は俺の違和感に気づいて、すぐに手を引き、少し困惑したような表情を見せたかと思えば
「あははっ、冗談冗談。本気にした?俺が親友のこと殺すわけないじゃん」
って笑い飛ばす。
ああああ、本当。勘弁してくれ。どれほど俺を揺さぶれば気が済むんだ。もうやめてくれ。そうやって、俺が付けた跡を気にさせないように軽口を叩いて、自分は大丈夫だと装うのは。俺のことを親友だと言うのは。
「侑」
「それに、あるんだよ。俺の取り扱い説明書が」
とスクールバッグの中から、広辞苑並の分厚い本を取り出してきた。
「え?」
「それで、寺本 翔真よ。お願いがある。この取り扱い説明書をデジタル化してくんね?」
それ肩に重そうに乗せて、ドラクエの勇者に神が語りかけるような威厳を保ったまま、無茶なお願いをしてきた。
「は?」
と言いつつも好奇心から受け取ったその分厚い本の表紙には"渡辺 侑 取り扱い説明書"とはっきりと印字してあり、中には、侑の記憶や経験、感情を分析してカテゴリー別に書かれてあった。
「ああ、そこは見んな!俺の黒歴史!」
本には白紙に黒字で書かれたページと黒紙に白字で書かれたページがあり、侑が言う黒歴史というのは黒紙に白字で書かれたページを指しているのだろう。見ようとしたらすぐさま慌てて両手で隠された。ここは絶対に見んなよ、と釘を刺され、白紙ページだけで良いからと、デジタル化を頼まれて、その取り扱い説明書を俺の家に置いて帰った。
そんなに釘を刺されたら、見たくなるに決まっているじゃないか。カリギュラ効果って奴だ。しかも、今は家の中の自室に一人、見てもバレないだろうし、侑にはわからないだろう。でも、良心の呵責が生じる。侑は俺のことを信頼してこの本を俺の家に置いていった。そのことを考えると、俺がいかに自分の欲望に弱いかが見えてくる。
数ヶ月後。
「侑、これ返すわ。サイトが完成したから」
と分厚い取り扱い説明書を渡しながら侑に言うと、目を輝かせて完成品が見たいと急かしてくる。寝る間も惜しんで完成させた自慢の力作をお披露目すると、「うわあ」という感嘆を動作一つする度にするから、可笑しい奴と思うと同時に「作って良かった」と今までの苦労が一気に報われた気がした。
「さらにここ押すと、アンケートができるようになってて、AIが侑の感情を分析して最適解を導いてくれるから」
俺のイチオシのこだわりポイントまで説明すると、
「翔真、ありがとう」
っていきなり侑が感動のあまり俺に抱きついてくるから、反応に困りながらも享楽に耽る俺は少し罪人になった気分だ。けど、黒いページは悪魔に囁きに打ち勝ち、一文字も見ていないからまだ罪は軽い。
きっと今後も見ることはもう無いだろう。
それからというもの、侑は自己コントロールを徹底していった。例えば、テストの結果が悪かったり、勉強のやる気が出なかったりしたときは、スマホで調べて、好きな音楽を聴きながらやったり、好きな漫画の名言に励まされたり、自分で自分の機嫌を取っていた。
そうなると何が不都合かと言うと、俺の役目が減るということだ。前までの侑ならば、俺に愚痴ってから、侑のやりたいことを俺がさりげなく聞き出して、それで機嫌を取っていた。時には、俺の好きなものを勧めて、侑の反応を見るのが好きだった。それがなくなってしまった今、俺は退屈でしかたない。あーあ、自分で自分の首絞めちゃったなあ、なんて嘆いても手遅れだ。
あ、今日の侑は少し疲れてる様子だ。机の上で怠そうに頭を突っ伏して寝ている。こういうときは、、、あ?モンスター飲んでる。コーラじゃなくて。取り扱い説明書のAIがそう言っていたのか?それとも、自分の現状況が見えてないとか?今の侑に必要なのは眠気覚ましじゃなくて、ちょっとした気分転換なのに。あぁ、わかったよ。俺から誘ってみるか。
「侑、今日さ、カラオケでも行かない?」
「翔真、誘ってくれてありがと。でも、ごめんね。俺さぁ、馬鹿だからさ、塾通うことになっちゃって」
なんて不甲斐なさそうに笑う侑は、何か、何となくだけど、俺の知っている侑から少し変わっていた。大人びた雰囲気で、俺と適度な距離を置いている感じ。
「は?まじで?」
信じられないけれど、とてつもなく悲しい。俺に相談なしでそんなこと決めて、俺に何も言わないで嫌いな勉強して、俺に、自虐的に笑う姿まで見せるなんて。ふざけんな、ふざけんな、俺が俺が、あんなサイト作ったから。面倒くさがりの侑なら、あんな分厚い説明書、読むはずがない。俺がその手間を省いてしまったから。
「うん、まじで、だから今日は───」
「あっそ」
吐き捨てるように侑に言ってから、自分の席に座って、腕に頭を埋めて、反省タイム。俺はなんて子供っぽいんだろう。侑は自分を高めるために一生懸命でいるのに、俺はそれを応援できなくて、自分の都合しか考えられていない。馬鹿なのは俺だ。
それからというもの、侑と話すことはなくなった。
その数日後。
ピコン、侑からメールが来た。
「もうどうしたらいいのか、わからないです。好きな子には振られるし、親友には避けられるし、勉強は頭に入ってこないし、親には怒られるし、毎日毎日楽しくない。何で、俺はお前が言った通りに過ごしてるのに、何でこんなにもうまくいかないんですか?取り扱い説明書じゃないのかよ」
スマホに登録しておいた捨てアドに、侑がメールを送ってきた、夜中の1時に。この捨てアドはあのサイトにしか、記載してない。侑の取り扱い説明書。ご意見はこちらへ、というボタンを付けておいた。おそらく侑は、これが俺のもとに送られているとは思っていない。妙な敬語に、取り扱い説明書をお前呼び、不満までぶつけているのが、何よりの証拠。きっとAIがこの意見も分析して、より正しい最適解へと導いてくれると思って、これを打ち込んだんだろう。侑はそうゆうところがあるからな、把握能力が乏しいというか。まあ、そこも可愛いんだけど。とその不満たっぷりの意見にニヤケながらも、さすがに返信しないと怪しまれると思い、ご意見ありがとうございます。という定型文もどきを作成した。
「ご意見ありがとうございます。ただいま問題を分析・改善しておりますので、しばらくお待ちくださいませ」
我ながら、悪人なんだと思う。取り扱い説明書を役立たずだと思わせる。そのための嘘。俺の中では、この問題の最適解は見つかっているからさ。だから、侑にこんな時間なのに電話をかけた。プルルルル、と鳴って、ワン切りされた。しつこく二度目。次はワンコールで出てくれた。
「何?」
出た瞬間、「もしもし」も言わずに、無愛想にそう言うのが、本当に、侑だとわかった。
「侑、泣いてんの?」
「はあ?そんなわけないじゃん」
と鼻水を啜りながら言われても、何一つ説得力がなかった。侑がつらそうにしてるのに、胸がギュンとなって痛い。
「そっか。あのさ、ちょっと言いたいことがあって……」
「何?」
「俺、好きだよ。侑のこと」
深夜テンションに任せて、一世一代の告白、しかも電話越しに。侑の反応が見られないのが、とても恐怖で残念だ。侑からの返答があるまでの沈黙がかなり長くて、苦しくて、溺れてしまいそうだった。
「ふふっ、そっか。ありがと」
「慰めるためじゃないから。ずっと、想ってた。ごめん、隠してて」
友人同士の好きだと勘違いしそうな侑に釘を刺して、逃げ場を与えなかった。もし目の前にいたら、キスでもして、証明したいくらい。そんな勇気は無いけれど。
「はぁ、やっと楽になったわ」
沈黙に耐えきれず肩を落とす。達成感と喪失感でいっぱい。失恋をもちまして、俺の恋のプログラムは終了いたします。脳内の会場のサイレンがウーウーとうるさく鳴る。寺本 翔真、はやく退場しろぉ。いまだに諦めきれずに耳に当てたままのスマホを、指摘される。
「何で今そんなこと言うの?」
と怒ったような声で、責め立てるように言った。息を吸う音、鼻水を啜る音、嗚咽して号泣しているのが電話越しでもよく伝わる。思いっきり泣いて、電話を置いてたんだな、侑は。それに心からホッとした。
「好きなもんは好き、しょうがないだろ?」
「タイミング悪ぃよ、死ねなくなんじゃん」
「は?」
スウェットのまま、冬のせいで冷たくなったコンクリートの上を素足で走った。俺の足の裏が痛かろうが血が出ようがどうでも良かった。侑の家の玄関を開けて、鍵がかかってないなんて、何とも不用心だと思ったが、そんなのも構ってられずに、侑の部屋のドアを開けると、首にきつく締めたネクタイを巻いた侑が座り込んで、涙を流していた。けれど、俺を見た瞬間、笑った。
「勝手に入ってくんなよ」
そう言うと、暗くした部屋のベッドの横側を背もたれにしていた侑が枕を投げつけてきた。
「お前こそ、勝手にいなくなろうとすんな」
「……ごめん、俺、迷惑かけた」
侑は膝を抱え込んで、そこに頭を埋めて、殻にこもるように、またひとりの世界へと閉じこもろうとする。だから、そのドアを俺がこじ開けた。
「本当、でも侑からの迷惑なら嬉しい」
「何それ、翔真の黒歴史リストに書かれるよ」
と俺を指さして笑う侑は俺の知ってる、俺の好きな侑だ。思いっきり首絞めたら死ねると思ったけど、案外死ねないものだね、なんて軽口を叩いて笑うんだから。
「ところで、侑の黒歴史は何なの?」
「ん?それは秘密!」
取り扱い注意の彼の分厚い取り扱い説明書をまだまだこれからも俺は作り続けなければならないんだろう、秘密に。
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