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青年期

(四コマ漫画的に読み進められる事をお勧めします。)

西暦1644年スペイン領ミラノ公国のどこかの街で後世にまで名を残す男の子が産まれる。その者の名はアントニオ・ストラディバリウスと言う。


当時ヨーロッパの国々は大航海時代後期。大陸上では神聖ローマ帝国とイギリス、ポルトガル、スペイン、フランス王国、オスマン帝国にロシア帝国が領土と継承権の攻防で対立し、一部の国は羅針盤を手に海の外へと進出を推し進めていた。


著者は思うに。ストラディバリウスの幼少期は刃物の扱い方が習得できる環境で かつ、多くの木材に精通する職人が身近に存在したと考える。

つまりは、木工船工や木工建具職人集団の下で育った子どもであったのではないか。と。





西暦1650年 ーアントニオ 6歳ー


シュッ、シュッと軽やかな音を立てる大人の隣に小児一人。

「テオロ叔父さん、これでいい?」

商売の材料にもならない木端材で刃物の扱い方を教える叔父、テオロ。見よう見まねもなかなか姿となり、週末前の日の暮れる頃にはカンナ屑も途切れる事の無い一枚物になっていた。

「なかなか上手になってきたのではないか」

今月の内容はカンナ掛けである。


ストラディバリウスは建築骨組みから家具に至るまでを製作する職人一族だ。優秀な職人の手はどれだけ有っても足りない。二人引きのノコギリ、背丈程ある木槌、弓で動かす穴開け具。適度に広い工作台のある広い工房はアントニオにとって飽きる事のない遊び場でもあった。


ある日の事。苦い顔をする会計士の父と平謝りする頭領トマスの姿があった。

なんでも、渡来品の工具をまとめて買ったは良いが値段が値段だけにもめていた。作者と産地の異なる鋸、木製鉋、小刀、手斧や木彫ノミ、用途不明の刃物道具数種類と砥石数点が売れ残りだからと半額。でも、家二軒分相当。

「変な品質ならこんな値段にはなるまい、先ずは使ってみてからでも遅くは無い。」

とトマスは引き下がらず父に頼み込んでいる。凄む父から出た言葉は、

「支払いはいつまでだ?」

だった。

「に、2年後の今日。分割でも一括でも構わんと書面に」

その契約書をひったくる様に手に取る父は大きなため息をついた。

「手付金。どうするんだ?今週末には渡さないといけないのだがね。」

トイレに、と席を外すトマス。待てど帰ってこない。歓喜に包まれる声が作業場から聞こえた。


「おぉ頭領、このノコ良く切れます!」

「硬材でもこの刃物は食い込みます!」

「頭領!刃研ぎ石が今までと段違いです!」

「そこまで違うのか?」

「トマス、どういう事だ?馬鹿なのかてめぇら!一本でも刃が欠けちまったら返品できず払わざるをえないだろーが!」

その多くには見慣れぬ記号が彫られており、アントニオには工具の質を引き上げる古代ルーンの様に思えてならなかった。


歳を重ねるにつれ、教わる内容も広く深くなっていく。木工に必要な算術、測量、勾配、木釘等の技法、目止め、配色、仕上げ、刃磨ぎ。

一人前と扱われるには10年と少しの年月を費やした。

なお職人達が使っていた日本の刃物工具は毎日丁寧に研ぎ、工房になくてはならない物となっていった。


1662年アントニオが18歳の頃、週末のいつもの教会。オルガンの無い各地の小さなカトリック教会を巡礼してまわる牧師が器楽師と讃美歌隊を携えて遣わされたのだ。

讃美歌を歌うその前に演奏された腕の長さほどしか無い木製の物が憂いを帯びた悲しげな音を出す事にアントニオは衝撃を受けた。


「あれが木工で出来ているなんて不思議だ。」


まだ新しい物と思われる白木色のバイオリン。週末は熱心に教会に通ってはバイオリンを眺め、仕事の後の合間時間に木を削り模造する。器楽師に仕組みを聞き本物と比べて。木をくり抜き、木釘で留める。遠くから見た外見はかなり特徴を押さえていた。

本物を造りたい。アントニオの中で願望へと次第に変わってゆく。


転機は突然だった。

家具の買い付けに工房へ来ていた商人ルドルフはアントニオのバイオリン風木工品に値をつけ引き取っていった。そのひと月後、ルドルフと共に馬車で乗り付けた男二人。

「入るぞ。この作者は居るか?」

男の手にはバイオリン風木工品が握られ、父とトマスが相対していた。

「見たところ買い付けでも無い。何用だ?」

白髪の一人はニコロと名乗り、丹精なもう一人はジローラモと言う。

「この者を雇いたい。金は出す。」

「残念ながらここの稼ぎ頭だ。おいそれと渡せん。」

「優秀な職人の手はどれだけ有っても足りない。それが何故わからない。」

「それは同感する。が、渡す事は話が違う。」

徐々に熱を帯びる会話へジローラモと言う男が間に入り、

「本人はどう考えているかだよね?」

そんな状況で呼ばれた訳だ。

「で、どうなんだ?」

気まずい沈黙、かすかに加工途中の音が聞こえる。

「直ぐに来てくれとは言わん。が、見真似だけでここまで出来る木工師はそうは居ない。」

更に沈黙が続き、

「父さん、俺、試してみたい。同じ木工でここまで出来るのかって。」



抱えていた製作物を全て終わらすには一年掛かった。いつでも来いとの言質から手荷物を整えたアントニオは地図にあるニコロの工房へ向かう。適性を見る試用雇用らしい。

乗り合いの馬車で二日。クレモナの郊外にある広い工房に到着する。案内を受けて周囲を見まわすといくつかの建物に分かれ湯気を上げる釜、陰干しされる木材が見えた。

通された部屋は弦の張られたバイオリンが何挺も飾られた商談に使われる部屋で、待っていたのはジローラモさんだった。

「お久しぶり。なかなか来ないものだから迎えに行こうかなんて家族会議してたんだよ。」

八十人程の弟徒の手で分業製作したある程度形になっている板から削り出してもらう事、完成迄の間は宿舎を使って良い事、賃金は他弟徒と同額をストラディバリウス工房に支払う事、細かな指導にはニコロ直々になる事等の説明があった。

その後は建物を案内され部屋毎でしている分業の主な工程内容を見せてもらい今日を終えた。ストラディバリウス一族の工房も広いと思っていたがそれ以上の広さだ。


翌日。食堂に工房で働く旨の張り紙があった。

客として迎える。との内容は特別扱いらしい。

ジローラモさんはニシシと笑って、

「教え方は簡単。出来上がった楽器を見せる、分業をしっかり見せる、後は実践だよ。」

作業台に工具が置かれている。空かしてみた刃の仕上がりはストラディバリウス工房より一段落ちたものだった。

「工具は鍛冶屋に出して研ぎ直したばかりと聞いたのだけど、その顔だとまだまだ良い仕上げがあるみたいだね。」

どうやら顔に出ていたらしく、この通りだ。

「ともかく材料から揃えよう。こっちに来てよ。」

百枚ではきかない量の木版と竿状の木が風通しの良い納屋で丁寧に置かれている。

「僕がお勧めするなら、この列のローマ帝国領のスプルスとこっちのメイプル。竿はまだ後でも大丈夫だよ。乾燥状態や反り具合を見て選んでね。」

どの板も微小なヒビ程度で乾燥している様に見える。でも端に木の節を含んだスプルスはダメだろう。

ジローラモは選んだ二枚の板を手に取ると

「うん、やっぱりよく見ているよ。素材選択のセンスは有り、と。」

部屋に戻ると板を作業台に置き、

「さて、と。そういや刃の手入れが先に必要そうだし砥石を取ってくるよ。」

用意された砥石の目の一番細かい物でこれなのかと驚いたが砥石に油を垂らし擦り磨く。同じ内容なのにストラディバリウス工房であれば、渡来品のより細かい砥石で仕上げていたのに。と。

良い仕事には準備の出来た人と道具が要る。最良になる道を考えろ。トマスさんの口癖を思い出す。

全ての刃物を納得のいく品質にするには初日では終われなかった。


その日の夜のアマティ家食卓にて。

「初日だけでこんなにもくたびれるなんて、思いもしなかった。」

ジローラモはワインを片手に父のニコロに漏らした。

「ダメな方でか?」

「逆だよ。刃の仕上がり一つで不満を漏らす偏屈者だよ?丁寧な仕事はするだろうけど、父さんの言う稼業としての職人ならどうなんだろうね。」

「当分の間は頼むぞ?お前はまだ未熟だし、本当に優秀な職人は直ぐには育たない。だから分業にて鍛えているんだ。全工程できるのはたった数人で良いんだよ。」


翌朝。ジローラモは悪戯した子どもの様に笑い砥石を用意した。

「しっかり眠れた?ここまで刃にこだわるんだからストラディバリウスの木工職人達ってどんな工具を使っているんだい?」

唯の刃物では納得しないアントニオを見て何気なく聞いた。

「トマス頭領が言うには、渡来品の売れ残りとしか知らないんだ。」

「渡来品ねぇ。それってお茶の国の物かい?」

「判らない。何も知らないんだ。ただ一つ解っているのはルーンが彫られ、大抵の木材でも刃が欠けず、鋸も目が詰まらず、カンナは思った通りの形が出せ、砥石も塊でキメが細かいって事だけだよ。」

「なんだよ、その工具。この国で手に入る以上の品があるって言うのかい?」

「あぁ。それは手に取って加工していたから忘れられるものじゃぁ無い。」

なるほど。むやみやたらと無理難題をふっかけていたんじゃないのか。

「研ぎ終わったら声を掛けてよ。僕も自分の刃物を見たくなったし。」


昼になる少し前にアントニオの刃研ぎは終わる。

ジローラモも刃を見比べうーん、うーんと唸っていた。

刃の仕上げ方は父の刃を見て同じと思っていた。だが、丸ノミの仕上がりをアントニオの研ぎ終わり品と比べると力技で削っているのが良く解る。

「これは渡来品と同等なのかい?」

「同等になんて程遠いさ。快適に製作する為の最低限で、自身の最良だよ。」

そこまで違うのか。最低限にすら届いていない自身をそっと嘲笑うと、

「次は形状決めと荒削り、整形さ。もっとも、君が得意としている事かもしれないけれどね。」

参考にと置かれているニコロ・アマティのモデルが四つ。違いを丁寧にアントニオに伝えた。

「父さんはもっと音が良くなるって言うんだけど、多少の事では変化が見えなくてさぁ。」

そう言い席隣の人が彫っている板を借りてくると、

「既に真ん中を継いであるから、だいたいの形を描いて後は表も裏も削る。出来る限りシンメトリーを目指して削るんだ。駄目なのはもう少しを繰り返し過ぎて薄くし過ぎる事。壊れてしまうからね。でも厚くて丈夫でも駄目みたいなんだ。」

アントニオはジローラモが用意したバイオリンを参考に木材へと写し描いた。


彫り始めるとアントニオの集中力は凄まじかった。休憩だと声を貰うまではひたすらに刃を入れ、刃に違和感を覚えると都度研ぎ直し、出来上がる二枚の板は他の弟徒の削りより丁寧で、処女作にしては光る何かがあった。



1666年、春。 -アントニオ 22歳-

ニコロ監修の下、アントニオ・ストラディバリウス作のバイオリンが誕生する。

高価なニスではなくアマニ油で表面を磨いたやや黄色味を帯びた白木物である。アマティ家で品評会を開き、アントニオ・ストラディバリウスが所有する事を確認して閉会した。ニコロは初物でここまでとはと感心しきりで、ジローラモは閉会後直ぐに部屋を出ていった。


懐かしき我が故郷。

半年ぶりの家は従兄弟のダルボ、ロージー、ハンソンが工房に入って手伝っていた。

「お?懐かしき顔かな。」

トマスに木箱を見せる。

「俺は教会みたいに鳴らせないぞ?だが、美しさはあるな。ジョルジュに見せたか?」

首を横に振ると

「ジョルジュ、ちょっと来れるか?息子だ。」

と、奥の部屋に呼びかけた。

なんとも言えない表情で父が出てくる。

「おい、アマティ家で何をした。」

無言でバイオリンを見せると、

「そうじゃない。製作を止める過料は支払うから渡来品の工具を見せてくれと何度も現れる。理由は頑なに言わないし、お前が何かやらかしたぐらいにしか判らないんだ。」

「刃の事だったら、ジローラモに用意してもらった刃の仕上がりが甘かったんだ。渡来品は刃が違うとも言ったかもしれない。」

ジョルジュはトマスを連れて少し離れ小声で詰める。

「相手さんは道具を譲れ。では無さそうだが真意が読めん。」

「純粋に工具を見たいだけじゃ無いのか。」

「仮にそうだとしても、今工房は誰にでも見せられる状態じゃないだろう?」

あれからトマスは刃の性能に惚れ込み、スネークウッドやアイアンウッドといったより堅い木材にも手を出している。

「アントニオにも見せるのか?」

「アントニオなら見る、触るぐらいならな。」

ジョルジュはアントニオに近づくと

「悪い。いや、悪気も無いのだがな。あー、なんだ。工房の代わり様を見ていったら良い。トマス 後は任せた。」


工房に大きな様変わりは無いものの、今までの木材とは違う珍しい木理の大きな丸板、装飾を施した支柱、親指程の太さの棒材等加工品が所狭しと置かれていた。

「こっちは木理の面白いスネークウッド、あれはアイアンウッドと呼んでいる。名の通り堅いぞ。」

作業屑の木片を拾うとポケットに入れた。


元々部屋の隅に纏められていた自分自身の色々な物を箱に詰め直して馬車を呼ぶ準備をしていると、ダルボが黒い物を小脇に抱えてやってきた。

「トマスさんから餞別だって。」

渡された物は、闇を塗り固めた様な黒は見事に光り絹紐で縛られた箱。赤く塗り固めた内面に布で包まれた物が五つと、紙にはナイフ、平ノミ、丸ノミ、中砥石、上砥石と書いてある。

箱を閉じるとダルボに御礼を伝えた。


雪の降る季節も直近となる頃、再びアマティの工房へと向かう。工房ではジローラモさんの歓迎を受けるが宿舎は埋まっているとの事。

近隣の貸宿の部屋で荷解きをしていると、数人の弟徒が押しかけてきた。

「おいお前!以前居た時にニコロさんに感心されたんだってな!俺達にも見せてくれよ!」

木材割りのロブス、テールピースを成形しているジュゼッペ、駒の成形をしているアントン、裏板の成形をしているアルテとハノス、組立職人のアンドレーア。

それぞれが順番に、いろんな角度から眺めたり、コンコンと叩いたり、紙片に殴り書きしたり。アンドレーアは自身の仕事と重ねたのか順番が回ってくる度にいろんな場所を叩いていた。

日が暮れる頃、面々は

「時々来るかもしれん。」

と笑みを浮かべて帰っていく。

荷解きが終わると、黒い箱の中身を手に取り眺めた。真新しいナイフには『関中一刀』、ノミには『与板』が彫られていた。


貸宿代は自分で稼ぐしかなかった。

アマティの工房で短期間手伝いとして入り、空いた時間はルドルフさんの伝手で壊れた木工家具の手直しをして食い繋いだ。

工房での手伝いは木材を茹でる事、茹でた木材を干す事、刃を研ぐ事で一泊と二食がなんとか続けられるのであった。


1667年、アマティ工房に正式な弟子として住み込みで働く。

日々の仕事は更に多岐に渡った。手伝いをしていた頃の内容に、ニカワをお湯で溶き木材の貼り合わせ、木材を薄く削いでパフリング材にする、松脂まつやにを焼きタール状の染料材をつくる、竿を削る、割材から魂柱を作る、サイズの大きな楽器用に木材を切り出す事もある。

そんな忙しい毎日が続き、ニコロさんからバイオリンを製作してくれと頼まれた。注文に対して任せられる組立職人の手が足りないそうだ。


「やぁ、久しぶりだね。父さんに頼んで僕も手に入れたんだよ、渡来品。」

ジローラモが休憩の合間にやってきては、満面の笑みで料理人が持つべきソレを見せてくれた。刻銘ルーンは『堺極』。

時にジローラモ・アマティ、御歳は十八歳。

アントニオは言うべきか迷い、言い切った。

「ジローラモさん、それは良く切れるとしても包丁ラージナイフです。ストラディバリウスの工房で使っているのはこれなんです。」

上等な箱を取り出し中のノミを見せた。

「そんな、そんな!せっかく使い慣れてきたと思ったのに。」

気の抜けた声を出すジローラモさんは項垂れたまま立ち去ってしまう。


バイオリンのニスの無い状態の物が五ヶ月程で三挺仕上がった。程度の形を削った状態で乾燥させてあるからこそ出来る事だと思う。

商品へのニス塗りはニコロさんに添削されながらとなった。

アマニ油を全体に塗り直ぐ油で濡れる研磨紙で目止めを行い、出た粉をボロ木綿布で拭き取る。半乾きの上からもう一度アマニ油を塗り完全に乾燥し、手が開けば次の楽器へ。

ニコロさんは木屑を極微粉末にした物を表面に振りかけて擦り込んでいた。


翌々日アマニ油を煮沸させ、温くなった物を濃度ムラが無いように刷毛で塗り広げる。

塗り終われば暖炉の炊かれた部屋で吊り干しし、乾燥が進めば再び加温したアマニ油をタンポで塗り重ね乾燥を繰り返す。


部屋の扉が開きアンドレーアがバイオリンとビオラの二挺持って作業台に置く。

「良いところに居る。あんたから見てこの二挺はどう見える?」

「グァルネリ、後にしろ。ニス掛けの邪魔だ。終わったら品評してやる。」

「ニコロさんにも見て欲しいけれど、アントニ」

「後だ!作品こそ優先されるべきだろう。」

「俺のだって立派な作品だ!」

ニコロさんは荒々しい刷毛跡の作品を乾燥室へと移す。作業台を手早く片付け、

「別室で見てやる、ついて来い。アントニオも終わったら来ると良い。」

アンドレーアのビオラ一挺を手に取り部屋を出ていくと、

「アンドレーアさん、もう少しで終わりますのでニコロさんを」

「皆まで言うな、わかってるさ。じゃ後で。」

残ったバイオリンを大きく振るとアンドレーアは扉を開けて部屋には一人。床の微粉が風で舞った。


アンドレーア・グァルネリの作品はよく出来ていた。並べられたニコロさんの作品より少し下方にf孔があるもののおかしくは見えない。実験なのだろうか裏板は別々の板を継いだものに見える。

アンドレーア曰く、女体を創り上げるのだとか、

f孔でコルセットで絞り上げたラインを彷彿させるんだ。とか、熱く説明してくれた。

ニコロさんはニコロさんで真にうけるんじゃ無いと言い出す。

「職人は楽器と言う天上の音楽を再現し調和するモノの探究者でなければならん。人の肩に座す天使で在ればなお良い。」

「それでも、真似だけでは先人を超えられないんだよな。」

まだ四挺しか作製していない私では意を述べるには浅すぎた。


季節は巡り、夏のある日の事。虫によって大きく穴の空いたアマティ工房作の弦楽器二挺が工房に運ばれてきた。

「これは酷いな。」

工房のラベルにルジェーリと小さく名の入ったバイオリンはニスのところにまで穴が空いている。

「他製作者の楽器もワームにやられているそうだ。」

「そうか。」

ニコロは弟子の造ったバイオリンニ挺を貸し出すと書面に記し世話人に預けると茹で釜へと向かう。

今朝に炊き上げ、もう冷めてしまった水に手を浸し感触を確かめる。

「ふむ。」

塩とホウ砂が溶ける水は何も語らない。

「試してみるなら木材側か。」


アンドレーアは修理を担当したデモウスとルジェーリと食事していた。

「虫なんだよなぁ。」

聞きたく無いとばかりにデモウスが玉ねぎを頬張り咀嚼する。

「木材を煮立てているのだから、外からだろう?」

ルジェーリはアンドレーアと会話を続ける。

「とは限らないんじゃないかい?干している時だってあり得る。」

「ならニコロさんは何故釜を見に行ったんだ?」

「そりゃあ、ゴキブリ殺しの砂を」

「そもそも木喰い虫にも効くのかい?」

「木材に残っていれば効くだろうよ。」

「木材に残っていなかったら?」

「そりゃあ、虫にとってのご馳走になるだろうよ。」

デモウスが口を挟む。

「それって僕たちが削り過ぎているとでも言うのかい?」

「そうかもな。だが俺たちはそれ以外を知らないんだ。どうすれば音が鳴るかしか知らないんだよ。」

嘆く様にアンドレーアは声のトーンを落とす。

「よせ。師を疑う事なかれだ。俺たちはまだ知らない。そう言う事なんだろ?」

「むしろ挑戦者たれ、なんじゃないかい?」

デモウスはそう言うとパンを齧った。マグカップにあるワインの水割りを口にしたアンドレーア。

「挑戦者は工房の外の者もだよ。まだニコロさんの楽器の値段には及ばない。」

ルジェーリは席を立つと手を振って離れていった。

「だから僕たちはニコロさんを超える何かを見つけないと駄目なんだ。」

デモウスの呟きにアンドレーアは頷くのだった。


作業場では修理すべく弟子達がニカワを湿らして分解をしていた。虫食い部分を丁寧に切り出すと木片を当てては微調整を繰り返す。

木片を貼り付けて一日、箱状にして一日。ニスを違和感のない様に補修して更に乾燥させる。


アントニオはニコロさんの祖父、アンドレア・アマティの1576年作を観察していた。

ニコロにあってアンドレアさんに無いもの、アンドレアさんにあってニコロさんが取り入れなかったもの。模写をし、気がついた事を紙に走り書きする。特に詳しく観察したのはf孔の位置と幅、横板の高さ、黄金と呼ぶべき明るい黄色。

そして一緒に収められている数々の弓。

インクによって意味のある紙となった枚数は十数枚もあった。


数日経ち、朝。ニコロさんは弟子を集め、火の通りをよくする為に木材の厚さを削ぐ事、厚さを変える事からアーチの高さも低くしていく事が伝えられる。

今までの事を守りながら新しいモノへと変える。弟子からは71歳にもなるニコロさんの挑戦を超えた無謀と見えた。

「これは一人での挑戦では無い。工房全体での革新なのだ。」

と。


作業は何も変わらない。新しいアーチへの挑戦は試作品を作っては分解し、削っては組み立てて変化を紙に書いていく。

探求は三年も続き、これならばと言える形状にたどり着く。ミドルアーチと言われるスタイルの始まりであった。以前の高いアーチ(ハイアーチ)より音量が増え、肩に構えた時の不安定さが減った。


工房では多数の弟子はハイアーチのバイオリンを作製し、ニコロさんを含む一部の弟子がミドルアーチの完成度を底上げしてゆく。



1671年。 -アントニオ 27歳-

夕食を食べに出かける準備をしているとアントニオの住む部屋に来客が表れる。扉の後ろにはアンドレーア・アマティである。

「こんな時間に悪いな。」

彼は悪びれる様子もなく続ける。

「俺も44といい歳だし、子どもたちも手伝える歳頃なんでニコロさんの工房から独立する事にした。まぁ、今日は挨拶回りみたいなもんだ。」

ひと呼吸置いて更に続く。

「ニコロさんには34年も学ばせて貰ったが、お前に追いつけるとも思えなくてな。しばらくはニコロさんがまわしてくれる調整や修理で食いつなぐさ。」

せっかくだからと夕食に誘うが彼は静かに首を横に振る。

「やるべき事がまだ残っているんだ。それが片づけば。な。」

アンドレーアはそう言うと自室へと戻ってゆく。


アンドレーアが去る日の昼。

多くの仲間と酒を飲んだ。もちろんジローラモさんやニコロさんも居る。

「大袈裟だけど工房の外に出るだけじゃないか。」

「いやいや。彼にとっての競争が始まるのだよ。今はアマティ工房の弟子だった男の一人だが、いずれはアマティ工房を凌ぐほど名を馳せるかも知れない事は覚えておくと良い。」

賑やか場でのこの言葉はどんな会話よりも耳に残った。


一挺の大型のビオラ・ダ・ガンバが工房に運ばれる。ムジカ(貴族邸宅で行われる室内音楽会の事)の編成として使われなくなった楽器を新しく再生して欲しいとの今までに無い依頼であり、これにはニコロも頭を抱えた。自身の50年前の作品であり、今様に変えろと持ち込まれる事など思いもしなかったからである。

「歳は取りたくないものだな。」

今、工房で任せられる程の職人は居ない。正確には居ても経験が大きく足りないのだ。

「無いものは無いのだ。強引ではあるが仕方あるまい。」

ニコロ自身の全てを素質と天性を合わせ持つあの者に。


紡がれる運命は静かに、かの者へと集う。


史実上の登場人物


アントニオ・ストラディバリウス(主人公)

1644-1737

現代でもバイオリンと言えば多くの人からこの人の名が飛び出る有名人。


ニコロ・アマティ

1596-1684

アントニオのバイオリン製作の師匠。現代でもバイオリンの形状モデルとして名を遺す名工。

余談ではありますがニコロ・アマティの父もジローラモ、アマティです。


ジローラモ・アマティ(息子)

1649-1740

アマティ工房(弦楽器スクール)の5代目工房長。


アンドレア・アマティ

1505-1580

アマティ工房の初代工房長。ギターやリュート等の弦楽器製作者で、当時の加工でCの型だった孔をfを型取った孔に変えたなどバイオリンの原型を作った職人の一人とされている。


アンドレーア・グァルネリ

1626-1698

バイオリンの形状モデルとして名を遺すグァルネリ・デル・ジェスの祖父。ストラディバリウスと同じくニコロ・アマティを師匠としている。


フランチェスコ・ルジェリ

1630-1698

ニコロ・アマティの一番弟子と言われている職人。

特にチェロに於いては現代でも形状モデルとして現存している名工。


改めて記しますが、ここに名の無き人物名は空想上の人物です。




創作者後記

一日200文字ペースのメモから産まれた作品です。

次話はいつになる事やら。。期待せずにお待ち下さい。m(_ _)m


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