散り行く花は奇妙な時計に祈った
正月に実家に帰省した際に、懐かしい物を見つけた。
もともとはクッキーが入っていたであろう缶には、ミミズが這ったような字で『たからもの』と書かれている。
期待半分、怖いもの見たさ半分で、蓋を開ける。
一番上にあったのは奇妙な懐中時計だった。
通常の時計とは反対方向に針が動くそれは十年以上前に姉がくれたものだった。
その存在をはっきりと思い出した瞬間、私は居ても立ってもいられなくなり、その時計を握りしめ、家を飛び出した。
* * *
「お姉ちゃん! 桜きれいだね!」
姉がいる部屋からは一本の桜が見えた。
淡いピンク色の花びらが風に乗り、はらはらと舞う光景は、美しく――どこか儚かった。
もっとよく見たいと思った私は、確か窓際まで行き、窓に顔を近づけながら外を眺めた気がする。
だから私は、
「そうだね…………」
そう言ったときの姉の顔を見ていない。
* * *
家を飛び出した私は、一本の桜の木を見かけて思わず立ち止まる。
曇天模様の寒空の下、花も葉もつけず、幹と枝だけで佇む姿はまるで枯れているように見えた。
* * *
桜の葉が青々と茂る頃、姉のもとを訪ねたときに、
「桃、この時計あげる」
そう言われた。
この言葉を聞いた時、首を傾げたことを覚えている。
桜の花びらが散り、緑色に染まり始めた頃に、めったに我儘を言わなかった姉がフリマアプリに出品された懐中時計の画像を両親に見せながら、『この時計がどうしても欲しい』と強い口調で強請ったものだったのだ。
それを一ヶ月も経たないうちに私にくれるということが不思議で仕方なかった。
* * *
子供の頃には気が付かなかったことに、大人になってから気が付くというのはままあることだ。
そして、それは大抵、大人になったことへの感慨と大人になってしまったことへの侘しさの両方を伴う。
けれども、今日の気づきにはそんなものは一切なかった。あったのは胸を貫く鈍い痛みだけだった。
大人となった私には想像ができてしまう。
あのとき、姉は――すでに余命宣告を受けていたであろう姉は自身の名を冠する木の花が散り行くのを見て何を感じていたかも、それを見て喜ぶ妹に思ったことも、左回りの時計を強請った訳も、そして、それを投げ捨てるように妹に押し付けた理由も。
呆然と桜を前に立ち尽くす私は、手から滑り落ちた懐中時計を拾い上げることができなかった。