9_絶望と希望
「世界に災厄をもたらしたあの男について聞きたいのか?残念ながら、俺にも、あいつのことはよく分からない。ただ、一つだけ言えるとしたら、あいつは悪魔だということだ。己の欲を満たすためなら、いかなる手段も選ばない。それが限りなく非人道的なものであったとしても」
老人が静かな部屋で、目の前にいる取材陣に向かって、淡々と答えます。
「今、世界では今までに類もないくらいの惨事が起きています。瘴気と呼ばれる感染症で、人や動物が、異形の姿へと変貌を遂げ、人々を襲いかかるようになりました。その姿は、まるでファンタジー小説に出てくる魔物そのものです。流行っている災厄をもたらしたのは、その男性だと以前からおっしゃっていますが、何を根拠にそんなことをおっしゃっているのですか?」
押し掛ける報道陣の問いかけに、しわくしゃになった口で老人は言います。
「実際に、俺は見た。高くそびえ立つ塔の中で、奴が、箱を開け、災厄を解き放つところを!!!」
老人は、興奮ぎみに前のめりに話した結果、椅子から崩れ落ちます。
その直後。
部屋の壁が壊れ、魔物の大きな眼球が、部屋の中を覗き込みます。
「魔物だ!!!逃げろ!!!」
「く、くわれるぞ!!!」
報道陣が、老人を置いて、一目散に逃げ出します。老人は、魔物を前にしても、恐怖することなく、落ち着いて立ち上がると、椅子に座ります。すると、涙をこぼし、昔を振り返ります。
クリアさん、あなたがいてくれたら、こんな世界も変わって見えたのかもしれませんね。
◇◇◇◇
あれがエルピスの箱なのか......。
箱が置かれた台には、意味深な言葉が刻まれています。
心の清き者には希望を。
心の穢れし者には、絶望を。
箱の中身は気になりますが、思わず、中を開けるのを躊躇ってしまう文言です。
クリアが、台に置かれたエルピスの箱を手に取ると、塔の閉ざされた扉が開きます。塔の外は、すっかり日が沈み、真っ暗になっています。
「この箱を開けるのは、あまり良くない気がする」
「直感ってやつですか」
「この箱には、世界の在りかたを大きく変えてしまうほどの力みたいなのを感じるんだ。平穏な日々を望む俺たちにとって、これは、不要なものだろう」
「扉も開いたことですし、箱を開ける必要もなさそうですね。また、塔の試練のような出来事に巻き込まれるのも、嫌ですし、箱を開けずに帰りましょう」
「ああ、帰ろう。俺たちの街へ」
そう言って、ゼノアが塔の扉から、外に出ようとした時でした。
バンッ。
突如、銃声が、響き渡ったと思うと、ゼノアが血を流して、地面に倒れこみます。
「ゼノア......」
クリアは、あまりに一瞬の出来事に、一体、何が起こったのか理解できませんでした。すると、再び、銃声が轟き、右肩の辺りに、強烈な痛みが走り、クリアも地面に倒れ込んでしまいます。その拍子に、持っていた、エルピスの箱も、地面に落ちます。
体が痺れて、力が入らない。
誰だ、誰が、俺たちを撃ったんだ。
「よくぞ、塔を見つけ、試練をクリアしてくれた。思わぬ収穫だ。ずっと、私が探していたエルピスの箱を手に入れてくれるとはな」
塔の中に、何者かの足音が響き渡ります。クリアは、なんとか顔を上げて、自分たちを撃った男が誰なのか確認します。
「お、お前は」
男の正体を知り、クリアの中に止めどない怒りの感情が沸き上がります。
クリアは、男のことを知っていました。頭の中に、深く刻まれ、男の顔を忘れることはありませんでした。
こいつだ、しっかり覚えている。
こいつが、息子を殺したんだ。
男の顔。それは、かつて、クリアの息子を車をひいて、笑みを浮かべていた男の顔でした。
「その顔、私のことを知っているようだな。だが、私は、お前のことなど覚えていない。どうせ、些末なことだ」
男は、倒れ込むクリアを、冷酷な目で見ながら言いました。
些末なこと。
息子を殺したことが些末なことだっていうのか。
「覚えてないなら、思い出させてやるよ!!!お前は、俺の目の前で息子を車でひいて殺したんだよ」
クリアは、地面に倒れ込みながらも男を敵意のこもった目で睨み付けます。
「ああ、そんなこともあったな。邪魔だったんだ。私の目の前に、立っていて邪魔だったから、ひいた。ただそれだけのことだ」
男は、自ら行った過去の非道に何の罪の意識も持っていません。
「邪魔だったから、ひいた......ふざけるな!!!そんなことで、息子を殺したって言うのか!!!失わった命は、二度と戻って来ないんだぞ!!!」
「それがどうしたというんだ。私に何の関係がある。勝手に、お前が悲しんでいればいい」
「お前は、人の悲しみや痛みが分からないのか?」
クリアは、沸き上がる怒りで拳を強く握りしめます。
「痛み、何を言っているのか分からない。むしろ、私は、お前の子供をひいた時、えもいわれぬ快感を感じたよ。邪魔者が消えたとね」
男の一言に、クリアは生まれて初めて人に対して殺意を抱きました。体が、痺れて、思った通りにうまく動かせない状態ですが、なんとか立ち上がると拳を握り、男の顔面に向かって、殴りかかります。
「痛みが分からないなら、教えてやるよ!!!これでもくらえ!!!」
クリアの拳は、まっすぐ男に、突き進みましたが、到達する直前に、片手で受け止められてしまいます。
「いい拳だ。だが、届かない。痛みを知るのは、強者ではない。弱者の役目だ」
男は、拳を握り、クリアの顔面に向かって、強烈な一撃を食らわせます。
男に、顔面を殴られたクリアは、再び地面に倒れこみます。
「地面に這いずりながら、これから、私が行う偉業を見物するがいい」
男は、転がっていたエルピスの箱を手に取ります。
まさか、その箱を開けるのか。
クリアは、箱から放たれる歪な魔力のようなものを感じていました。男が箱を開ければ、とんでもなく恐ろしいことが起きるのではないか。そんな嫌な予感がしてなりません。
そして、予感は、的中してしまいます。
男が、箱を開けた瞬間、この世の絶望を具現化したような、禍禍しいオーラを纏った黒い光が解き放たれます。ものすごい量の光です。
「素晴らしい。伝承の通りだ。やはり、箱には、人智を超えた力が眠っていた」
男は、箱から放たれた力を見て思わず笑みを浮かべています。
「う、うぅうううううううう!!!」
クリアは、禍禍しい黒い瘴気に包まれていき、男に対する負の感情が、膨大していきます。みるみるうちに、異形の姿へと変貌を遂げ、額の辺りから、角が生え、目は、紅色に輝きます。
なんだ。これは......。
怒りが湧いて仕方がない。
男が憎くて憎くて仕方がない。
俺から、幸せを奪った男がなんで、俺を見下して立っているんだ。
俺はなんで、降伏するかのように地面を這っているんだ。
なんで、なんで、なんで。
そんなの許されるはずがない。
「クリアさん!!!」
負の感情に、飲まれて自我を失いそうになっていたクリアにゼノアが、叫びます。
ゼノア、まだ、生きていたのか。良かった。
「せっかく、良いものが見られそうなんだ。邪魔をするな」
男は、拳銃を取り出し、ゼノアに、向かって、躊躇なく引き金を引きます。
「やめろぉおおおお!!!」
クリアの叫びも虚しく、銃弾は、ゼノアの身体に命中し、ゼノアは意識を失います。
殺した。
この男が。
俺から大切な人を奪っていく。
「うぅああああああああ!!!」
クリアは、悲しみの渦に飲まれて、涙を流し叫び声を上げます。クリアの体は、悲しみが染み渡り、完全に魔物へと姿が変わってしまいました。
「哀れだな。悲しみの果てに、人ではない異形の姿になるとは。まるで、ファンタジー小説の中に出てくる魔王のようだ。だが、滑稽だ。日常では味わえないこの肌を這うようなスリルこそが、私に生きていると実感させてくれるのだ」
男は、真ん中に刺さった聖剣を引抜きます。その瞬間、塔の中の明かりが消えて真っ暗になります。扉からは、月光が仄かに差しこみクリアたちを照らしています。
「う、うううううう!!!」
クリアは、瘴気に苛まれ、沸き上がる怒りと憎しみで、叫び声を上げながら、男を殺意のこもった目で睨み付けます。
「聖剣とともに眠れ」
男は、手に持った聖剣の剣先をクリアの背中に、向かって思いっきり突き刺し貫きます。
「ぐぁああああああああ!!!」
あまりの強烈な痛みに、クリアは意識がもぎ取られそうになります。心臓は荒ぶり、呼吸は乱れて、視界が徐々に暗くなっていきます。
クリアが襲い来る痛みに耐え、意識をなんとか保っているところに、塔の外から、ヘリコプターの飛行音が、突然、響き渡り、扉の外から、ライトの光が入ってきます。
「そろそろ時間のようだな。箱も手に入れたし、もう、ここには用はない」
男は、そう言うと、クリアたちを放置し、塔の外へ、歩き出しました。クリアは、去り行く男の背中を見て、何もなすことができない自分に悔しさを感じます。
悔しい。
俺は、こんな男にやられたまま終わるのか......。
たまらず、手を強く握り、男に向かって、言い放ちます。
「お前の名前を教えろぉおおお!!!」
男は、立ち止まると、クリアを嘲笑うかのような笑みを浮かべて、答えます。
「私の名前か。私の名前は、カオス。今さら、お前に名乗ったところで、何の意味もないがな」
カオスは、そう言って、扉の先へ、視線を移し、再び歩き始めます。クリアは、怒りで震える右手をカオスに向けて伸ばし、言います。
「絶対にお前を許さない!!!いつか必ずお前を、殴り飛ばしてやる!!!この屈辱は一生、忘れやしない!!!覚えていろ、カオス!!!」
クリアの言葉に、カオスは、振り返ることなく、右手の親指を下にして、クリアを挑発すると、ゆっくり歩いて、塔の外へと、出ていってしまいます。
ガタン。
カオスが、塔を出た瞬間、塔の扉が閉じられました。塔の中は、完全に光を失い、真っ暗闇になります。何も見えません。
クリアは、背中に刺さった聖剣を抜き、ゼノアを手探りで探します。
どこだ。
どこにいる。
探していると、指先に冷たいものが触れます。手のひら全体で触れると、それは、ゼノアの手だということが分かりました。
「ゼノア」
クリアは、ゼノアに呼び掛けます。ですが、ゼノアからは、何の返事も返ってきません。
ま、まさか。
もう、ゼノアは......。
全身の力が抜け、涙がクリアの頬を伝います。
一緒に街に帰れると思っていた。
楽しかったんだ。お前といると。
お前がいたから、今まで幾度もの困難を乗り越えて来れた。
そばにいるのが当たり前だった。
なのに、どうしてなんだ。
こうもあっさり、失ってしまった。
俺は、この溢れる感情をどう処理したらいいのか分からない......。
クリアが行き場のない悲しみに沈んでいると、聖剣が光輝き、あの声がします。
《塔の試練を乗り越えし勇気あるものよ。聖剣の力を使用すれば、友の命、救われる。されど、汝の魂、輪廻転生の輪から外れ、聖剣に宿る》
「聖剣の力を使えば、ゼノアを救い出すことができるのか。ゼノアを救いたい。何がなんでも」
石像のひとつに、相手の体力を回復させる技が刻まれたものがありました。
《グラムの祝福ー光》相手を回復させる代わりに、回復量に相当する自らの魂の英気をささげる。
クリアは、聖剣を両手で、高く掲げると、聖剣からまばゆい光が煌めき、ゼノアを癒していきます。
もし、生まれ変われたなら、もっと平和な世界がいいな。
聖剣の光が消えた瞬間、クリアは、聖剣を落とし、力を失って地面に倒れこみます。彼は、ありったけの力を使って、ゼノアの命を救い出すことに成功したのでした。
それから、しばらくして。
ゼノアが目を覚ますと、塔の扉が、開いており、あたたかな朝日が差しこんでいました。横には、安らかに眠ったクリアがいました。
「クリアさん!!!クリアさん!!!」
災厄が解き放たれた翌日の朝。
静かな塔のなかで、ただ、ゼノアの叫び声だけが、響き渡ります。
彼らの物語は終わりを迎え、時を越えて、一人の少年へと、託されます。
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ウギャーウギャーウギャー。
元気な産声が、病院の一室で響き渡ります。
ベッドの上の女性が、両手で赤ん坊を抱き抱えています。
「君に似てかわいい子だ。この子の名前、どうしようか」
近くにいた赤ん坊の父親が、尋ねました。ベッドの上にいる母親は、赤ん坊の可愛い気な様子を見ながら、答えます。
「私、この子の名前もう決めているの。最近、なにかと暗い出来事が続いているじゃない。だから、この子の将来が明るくなりますように、将来を明るく照らしてくれる元気ある子に育ちますようにと願いをこめて、将明っていう名前どうかしら」
「将明か。いい名前だね。きっと、この子なら、僕たちの未来を明るく照らしてくれるよ」
「そうね」
病室の窓から、ふと、外を眺めると、どこまでも続く青空が、広がっていました。
雲ひとつない、とても澄んだ空でした。
次回より、カラドとクスカの話の続きが再開します!カラドとクスカが戦いが終わり、カラドの過去が明らかになった後の話です。




