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後編

 深月が許婚でもある朔尋の元へ向かってから、数日が経った。

 由菜との約束もあって何度も家と央雅の屋敷を往復していたのにも関わらず、葉月は深月の姿を見ることは無かった。


 不安になった葉月は、父や朔尋たちに深月が行方不明になっていることを告げ、家から央雅までの道程を詳しく探すことになった。




「深月……一体どこに行っちゃったんだろう?」

 葉月が無意識のうちに出していた言葉に、緋央は軽く葉月の頭に手を載せた。

「大丈夫、深月は頼まれたことを放り出すような人ではないだろう……少し迷ったか、眠くなってそのあたりで寝こけているのかもしれない」

 限りなく薄い可能性でありながら、あくまで葉月を元気付けようとしている緋央の言葉に葉月も自然と微笑みを浮べた。

「そう……だね。ありがとう、緋央」

「緋央! 葉月!」

 微笑みながら告げた葉月の声に重なるようにして、深月を探していた内の一人の声が背後から二人に届いた。

「どうした?」

 訝しげな表情で振り返ると、二人を呼んだ人物は硬い表情で二人に告げた。


――深月が見つかった、と。


「深月ーっ!!」

 葉月と緋央を呼びにきた人物に先導されながら葉月がその場に着くと、いつか見たことのある光景が繰り返されていた。


『弥生!!』


「……深月は、なんで」

 思い出したくもない記憶から無理やり目を背けて、葉月は震える声で訊いた。

「……瘴気に、引きずり込まれたんだ」

 押し殺したような声音で告げられた言葉は、葉月が予想した中で最も有りえて欲しくないと思っていた答えだった。


『弥生様は瘴気に……呑まれたのです』


 記憶の中で繰り返される誰かの言葉。

 幼いころ聞いた、母が死んだころの風景が頭の中で再生される。


「深月! 深月……どうしてお前が」


 全てを失ったかのような絶望に満ちた父の声に、葉月は無意識のうちに両腕を握り締めた。

「深月ぃっ!!」

 狂ったかのような慟哭。


 そして葉月は、頬から一筋涙を流した。

「……深月」

 囁くように震える声で紡がれた言葉は、父の声に掻き消されて誰に聞こえることなく落ちて消えた。




――深月を憎むわけはない。だって深月は、ただ一人の私の半身。




「深月ーっ!!」

 血を吐くような叫び声にも似た父親の慟哭に、葉月は父親が静かに狂気の世界に落ちていくのを感じた。



××××



 水無鬼の村には村を治める「央雅」という一族が古くから存在した。

 彼らは水無鬼の民の誰よりも強い力を保有し、水無鬼の民を護りながら央雅を護る守人たちと共に生きていた。


 記録にすら残らない遙か昔、央雅一族の中に「カレン」と名のつく少女が生まれた。

 カレンと呼ばれる少女はこの村に災いを呼び起こし、村人たちを殺そうとしたことから姉である「カリン」に封じられた。

 だから水無鬼では央雅一族の特に姫は大事にされる。

 今まで続く央雅一族の血は、その「カリン」の血を継いでいるとも言われているが、真実のほどは定かではない。


 とにかくその後、カレンは何度も央雅の血に生まれ、双子の姉であるカリンに封じられ続けてきた。

 人を引きずり呑み込む「瘴気」はそのカレンの力の源であり、カレン復活のために瘴気は人の命を啜る。

 瘴気を消失させることができるのは、特異な力を持った央雅の姫のみと言われている。



××××



 結婚を間近に控えていた深月がカレンの瘴気に引きずられ“殺され”た。

 父が感じたその衝撃と悲しみは計り知れなく、葉月も突然の出来事に、ただ呆然と日々をすごすことしかできなかった。



ガタン



 呆然としながら台所に佇んでいた葉月の耳に、父がいるはずの仕事場から響いてくる音に気づいて体を震わせた。

「……お父さん?」

 訝しげな表情を浮べた葉月は、僅かに躊躇いながらも工房を覗き込んだ。

「……弥生も、深月も……」

「お父さん……?」

 無意識のうちに呟いているのか、父は葉月にも聞こえないくらいの声音で何事かを呟いていた。

「お父、さん……」

「……災姫サイヒは、私の家族を奪う……」

 絶望に苛まれながらも静かに言葉を紡ぐと、父は何かに取り憑かれたかのように刀を鍛え始めた。

「……なぜ私の家族だけが……どうして私の大切なものばかり、災姫は……」

「お父さん……」

「絶望だ……絶望しかない……弥生を失って、深月を失って、私にはもう大切なものなど……」

「っ……」

 深い慟哭だけが父を包んでいるのと同時に、父の世界に自分がいないことを突きつけられた葉月は、顔を伏せて胸元を握り締めた。


 じわり、と瘴気にも似た狂気が父と工房を包んでいるのを感じた。


「っ! お父さん!」

 瘴気にも似た気配に葉月は父に向かって制止の声を上げるが、葉月の声は届かない。

「お父さんっ!!」

 その気配にあせりを感じた葉月は慌てて、父の手を止めようと父の腕に触れたところで弾き飛ばされた。



バンッ



 左手がジクジクと痛みを訴えていたが、それ以上に胸が痛かった。

 制止をかけた手は、父によって勢い良く振りほどかれた。

「……お父さん」

 掻き消されそうな涙声で呟く葉月に視線も向けず、父はただ刀を鍛え上げようとしている。


 父の世界にとって「家族」は、弥生と深月がいれば形成されるのだと否応にも葉月は痛いほど身をもって理解した。

「……お父さん」

 一欠片の希望に縋り付くように発せられた葉月の声は、父の心に届くことなく切り捨てられた。



××××



 けれど、葉月は毎日毎食父のために食事を作り、運び続けた。

 まるでそれしかできることが無いとでも言うかのように。


 葉月の運んだ食事に手を付けられることは決してなかったが。



××××



 そして数日の後、その刀は男の恨みを一身に浴び、少女の悲しみを感じながら男の手によって完成した。



「完成した……弥生と深月を奪った瘴気を……災いを、この剣で消滅させてやる」

「……」

 呪いの言葉と共に、一振りの黒光りする刃は完成した。


 葉月の言葉は届かない。狂気の世界に身を落とした男を止めることができるのは、すでに失われた弥生と深月の言葉だけ。

「お父さん、完成したなら少し寝て、そのままじゃ……」

 不眠不休で刀を鍛え続けていた父に無駄と思いつつも声をかけた葉月だが、そこまで言って言葉が途切れた。

 正確には言葉を発することができなくなった。


 なぜ、気づかなかったのだろう。


 工房の周りを包む尋常ではないほどの量の瘴気に。

 男は狂気に身を落とし、恨みと憎しみを捨てられないままで一心に刀を鍛え続けていたのだ。


 瘴気は世界の恨みや苦しみ、妬みや憎悪を糧にして、僅かな量でも強大に成長するということを、葉月は失念していた。

「っぅ……ぉ、父さん!!」

 あまりの憎悪の瘴気に体を硬直させながらも、葉月は必死になって父を呼び戻そうと声を上げるが、父の耳には届かない。

 それどころか父は、どこか壊れたような微笑を浮べた。

「瘴気……カレンか……やはり来たか。弥生と深月の仇、ここでとらせてもらう」

 その圧倒的な瘴気の量に、央雅の血筋とはいえたかが「依代よりしろ」が作り上げた刀。

 敵わないことにすら気づけないのか、父は瘴気を切り裂き始めた。

「お父さんっ!!」

 正気を保っている葉月の目には、父は空気を切り裂いているようにしか見えなかった。


 事実、切り裂かれていながらも消失していない瘴気――


 その光景を見て、葉月は絶望に涙を流した。

「おとうさんっ!!」

 葉月の見ている目の前で瘴気は父の体を取り込もうと、体を侵食し始めていた。

「お父さん!!」

「私を取り込もうというのか、カレンよ……死ぬことは怖くない。が、お前の元に下る気も私は無い!!」

 葉月の声にこたえることも無く父は楽しげに告げると、鍛え上げたばかりの刀を自分に向けて振り下ろした。



ドンッ



 その瞬間、葉月の視界は真紅に染まった。

「お、父……さん?」

 生暖かい雫が顔にかかり、葉月は呆然としながらゆっくりと手を自分の顔に沿わせた。


「くぅ……っが」


 父の声をどこか遠くに聞きながら、葉月は自分の手についた雫を見て、どこか現実離れしたその光景を目にした。

「お父さんっ!!」

 絶叫ともいえるような葉月の声に、父はどこか満足げな笑みを浮かべた。

「黒白、の……刃よ……我、依代の血を啜るがいい……その血を持ちて……我魂を糧とし……瘴気を黄泉へと消失せん……」

「お父さん!!」

 呪詛にも似た呪いの言葉。

 その言葉のもつ意味に気づいた葉月は、愕然としながらも父のを呼ぶ。たとえその声が届かないことを知っていながらも。

「お父さん!!」

 涙を流しながら叫ぶ葉月の頬に、暖かい何かが触れた。

「……月……」

「っぇ……」

 自分の名前が呼ばれたような気がして視線を上げると、今まで葉月に見向きもしなかった父の手が頬に触れていた。

「おとう……さん?」

「葉月……この刀を、お前に……それは瘴気を消滅させることのできる唯一の……」



ぱたり



 触れている指から、頬から、血が流れ落ちる。


 触れている血は自らの命と共に瘴気を滅すことのできる「依代」の血。

 瘴気を阻む結界にもなるその血は、同時に瘴気をこの世から消し去ることもできる「央雅の姫」の能力以外でも唯一、対抗できる力。


「おとうさん……」

 ただ、父を呼ぶことしかできない葉月に、父は優しく微笑を浮かべた。

「……この刀、一族の力に……」



ザッ-



 最期の最期まで葉月の言葉は届かず、父は跡形も無く、瘴気諸共姿を消した。

「お父さん――!」

 ただ一つ葉月に残されたのは、父の死の直前に完成した一振りの黒光りする刃。



 これが、後に破邪の剣と呼ばれる刀となる。



 只人であっても瘴気を滅ぼすほどの力を有した刀。

 その最初の使い手は、漆黒の長い髪を靡かせた、深い緑の瞳を悲しみに染めた少女だったという。

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