第三話 成清VS朱玲
『せっかくだしさぁ――……』
そこまで思い出して、私は固まってしまった。せっかくだから、何? そう自問自答をした。
「ぼーっとしてどうしたの?」
「……葉月。ちょっと昔のことを思い出してたの」
「ふぅん……。それよりもさ、沙織。だいぶ前から三決始まってるの、気づいてる?」
「えっ?」
座席に座っていた私は、コートに視線を向ける。長距離のシュートに特化した貝夏と、パス回しに特化した常花が張り合っている。
優勢していたのは常花だった。
「パスでボールを触らせてくれないから、当然の結果か……」
「貝夏はパワー系の選手が少ないし、取りにくいんだよ」
「凜音ー! 茶野先輩ぶっとばさないと握り潰すぞー!」
「物騒なこと言わないの、琴梨」
不意に後ろの方から声がして、振り向くと見覚えのある子が三人立っていた。
「唯……それにちぃ!」
「久しぶり、琴梨ちゃん」
「琴梨も葉月たちも相変わらずね」
「うん、久しぶり」
三人は、豊崎の唯ちゃんと紺野さん――それと、小暮芽衣さんだった。少しだけ同じチームだった唯ちゃんは身長こそ伸びてないけれど、大人っぽくなっている。
「豊崎の先輩たちは一緒じゃないの?」
「一緒なんですけど、唯やんとちぃやんがどーしても自分らに言いたいことがあるらしいんです」
葉月の隣に座っていた暁先輩は、「そうなんだ」と言ってさらに隣に座っている笹倉先輩に視線を送った。
「言いたいことって?」
三人を観察しながら尋ねた笹倉先輩に、唯ちゃんはちょっとビビりながら咳払いをした。
「私たちも成清を応援しますから。私たちの分も全力で戦ってね!」
唯ちゃんたちは私たちを激励する。そして、元いた席に戻っていった。
「さっきもそんなことを言われたなぁ」
すると、前に座っていた梅咲監督が振り向いて、ベンチやコートに立てないチームメイトを含む私たちを全員を見回した。
「誰からですか?」
「磐見高校。廊下ですれ違った時、南田監督から直々に」
梅咲監督は、私と葉月に視線を向けて微笑んだ。多分その中には、かつてのチームメイトの奈々もいたんだろう。
「三決は気になるけど、そろそろ行こう。出番だ」
レギュラーの私たちだけが立ち上がり、控え室へと向かう。すると、途中でポケットに入れていたスマホが震えた。それは、以前交換していた窪田君のメッセージのが原因だった。
《頑張って。応援してるから》
たったそれだけの短いメッセージ。それだけなのに勇気を貰える。すると、また別のメッセージを受信した。
《もしかして今『敗退した奴が何言ってんだ』とか思った? いや俺も思ったけどごめん言いたくなって……できれば忘れて!》
急に感情が入った文章になる。
「ぷ……! ふふっ……!」
「い、いきなり何。どうしたの」
「ごめん。ちょっと笑っちゃって……」
「はぁ?」
葉月は勝手に私のスマホを覗いて吹き出した。葉月まで吹き出させるなんて、窪田君の文才は凄いなぁ。
もう一度画面を見ると、続きがあることに気がついた。
《約束、守れなくてごめん》
いつもと違う雰囲気の謝り方に、私は驚き過ぎて笑みを途絶えさせてしまった。
「……約束?」
そんなの、あったっけ。――いや、あった。
『せっかくだからさぁ、約束しようよ』
『や、約束……?』
『高校生になったら、私たち二人ともウィンターカップの決勝戦に残るの!』
『えぇっ?!』
窪田君は無理ですって言うかな。私はあの時ちょっとだけそう思ったけれど
『約束する』
負けず嫌いの窪田君は、真剣に私のふざけた約束に頷いた。
先輩たちの優勝に対する三年間の努力と、琴梨の勝利に対する飢えと、純粋な才能と。葉月の誰かに認められたいという渇望と努力。私には何があるのかと思っていた。けれど、忘れていただけでちゃんとあった。
――私の〝秋雪君〟との〝約束の最果て〟を、この決勝戦に。
私は指を動かした。
《秋雪君、ありがとう。私、他の誰よりも秋雪君の応援が一番嬉しい。秋雪君の言葉、試合中は絶対に忘れないから――葉月と琴梨の彼氏さんと一緒に見ててね》
このままの文章のまま、送信する。
「ちょっ……! アタシの彼氏って!」
「ついさっき先輩と結ばれたんじゃないの?」
「なんでアンタが知ってんのよ!」
「えっ! だれだれ?!」
「琴梨の知ってる人」
「何それ! 気になるから詳しく教え……」
「絶対に教えないから!」
「えぇっ、なんだよケチ!」
顔を真っ赤にさせる葉月。佐竹先輩のおかげで、少しは人間らしい感情を持てるようになったのかなぁ。
「……よぉ、梅咲センパイ」
正面を見ると、綺麗な顔立ちをした男性が立っていた。
「……ふ、二人とも」
それは、紛れもなく私と葉月の中学の頃の主将――〝四天王〟のリーダー銀之丞蛍と、その執事の松岡一真さんだった。
「アンタら何しに……」
「どうしてもいいたいことがあるの。聞いてくれるかな?」
「……なるほど。ちょっとだけなら時間をあげる。私に感謝しなさい、一真」
「…………」
控えめに尋ねた蛍の申し出を快諾した監督は、迷惑そうな松岡さんの肩を組む。蛍も松岡さんも、初めて会った時より人間味溢れる人になっていた。
「二人にはもう、〝ごめんなさい〟とは言わない。だから、〝ありがとう〟と……〝負けないで〟って言いたいの」
蛍は視線を別の場所に向ける。そこには、枝松さんや楠木さんという月岡の精鋭が揃っていた。
「みんな、気持ちは同じだよ」
蛍と葉月、私とで重ねた手は〝四天王〟の過去を温めていた。
*
私たち成清は、控え室に辿り着いた。軽くストレッチをして、インターバルに入るのを待つ。すると、不意に暁先輩が笹倉先輩に何かを囁いた。
「……ッ!」
「もう言う機会なんてないよ? バカ柚」
暁先輩が笹倉先輩のことを〝バカ柚〟だなんて呼んだことが信じられなくて、私だけじゃなく葉月も琴梨も動きを止める。
「…………何見てるの」
「違うでしょ」
デコピンされた笹倉先輩は、気恥ずかしそうに俯いた。
「今までごめん」
そして、消えるような儚さで呟いた。
「私、三人のこと……ほんとはだいぶ前から認めてたから」
「言うの遅すぎ。みんな、バカ柚のこと責めてもいいよ」
暁先輩の目は本気だった。私には暁先輩の気持ちがよくわかる。大事な友達だからこそ、時にはハッキリと言った方がいい時もあるから――私たちは、笑って首を横に振った。そんなことをする気にはなれなかった。
靴ひもをきちんと結ぶ。顔を上げると、葉月が私を見下ろしていた。
「きちんと結んだ?」
「当たり前でしょ。っていうか、葉月は私のお母さん?」
「違うけど」
ライトが眩しくて目を細める。視線をコートに移すと、視界いっぱいに仲間がいるのを感じた。
「さてさて。柚ちゃんと一年のゴタゴタも解決したところだし」
呼び名を〝バカ柚〟から〝柚ちゃん〟に戻した暁先輩は、立ち上がってコートに向かいながらみんなに聞こえるようにこう言った。
「――『一緒にやろう』。私たちのバスケ」
それは、桜散る入学式に私が葉月に言った台詞だった。私たちは成清の生徒。もう〝四天王〟じゃないから――
「『一緒にやろうって言ってくれる人がいるよ』」
――もう一度顔を上げると、同じことを思い出していたのか葉月が微笑んでいた。……あの葉月が、微笑んでいた。
コートに立つ。私と秋雪君が夢見た場所。夢のままでは終わらせたくはなくて、私たちは全員この場所に立っていた。
対戦相手の朱玲が視界に映る。主将の三千院マヒロは、据えた目で暁先輩を見つめていた。
『これよりウィンターカップ決勝戦、成清高校対朱玲高校の試合を始めます』
「「よろしくお願いします!」」
今日はやけに落ち着いているのがわかる。大切な音がクリアに聞こえる。
「〝今日も〟信じてるよ、柚ちゃん」
「……知ってるよ」
ジャンプボールの為に笹倉先輩が出ていった。今まで味方にさえ敵意を放っていたその背中が、頼もしく見える。
バラバラだったチームが、やっとここまで来れたんだ。あの葉月でさえ纏めようとしていた、このチームが。
「――試合開始!」
ティップオフの合図が鳴った。