第四話 独立と解放
信じられなかった。あの青原直也がエースで、あの佐竹大和先輩が率いるアタシの憧れのチームが準々決勝で敗退なんて。
ほぼ部外者のアタシでさえ受け入れることが難しかったのに。なのに。
『東藤は、優勝しろよ』
佐竹先輩はどんな気持ちでそれを言ってくれたのだろう。今まで相談に乗ってもらった分、その恩返しとして。そして何より、アタシ自身を認めてもらう為に――
「優勝するのは、アタシたちだから!」
――吠えて、ゴールに放たれたボールを押し込んだ。ダンッとCの千恵と笹倉先輩が着地する。二人ともアタシの叫び声が信じられないとでも言いたげな表情をしていた。
アタシだってらしくないと思うし、信じられない。けれど、やるしかない。
「笹倉先輩、その程度だったら失望しますよ」
「んなわけあるか」
笹倉先輩は頬をひきつらせてアタシを睨んだ。それがとてつもなく心強かった。
*
コートを見据える。癖のある十人がボールに視線を寄せているのがわかった。瞬間、あたしはちらっと鬱陶しそうに相手の選手の顔を見つめる。
「凜音……。あんたまさかわざと?」
「まさか。中学の頃と相手は一緒ですよ?」
あたしのマークをしているのは、〝双子の片割れ〟だった。凜音の言う通り、全中の時に試合した記憶はあるけれど――まさかあたしが認める唯一の弱点がこの試合にいるなんて。
「余所見する暇はないんじゃね?」
「ッ!」
〝双子の片割れ〟が凜音からボールを受け取って、あたしからすり抜けて行く。ドリブルをしながら遠ざかって行く〝双子の片割れ〟を追ったのは先輩たちだった。それでも、振り向いた瞬間に聞こえたシュートの音に――あたしは思わず唇を噛んだ。
あの直也が敗退した。だからあたしは、シンガーソングライターを引退することになったとしても優勝しか見ていなかった。なのに、なのに。なのになんで――あたしはこんなにダメなんだろう。
*
試合は五分五分のままインターバルに入った。琴梨の悔しそうな表情が、今も私の目に焼きついている。
「元チームメイトに同情でもした?」
「……いえ」
私は前髪をいじりながら答えた。夢先輩は音を立てながらベンチに座って、「それにしても」と大口を開ける。
「凜音の言う通り、水樹は僕らのこと全然見分けられてなかったなっ!」
中学の頃、〝鎌ヶ谷の双子星〟と呼ばれていた星宮先輩たちに琴梨はかなり苦戦していた。その時は私がいてようやく勝利できたのだけれど……。
「西宮。他の〝四天王〟……東藤と北浜はどうなの?」
「やっぱり、二人とも全力を出せてませんね」
「水樹も東藤も北浜も、〝頭脳〟がなければただの〝手足〟ってことか」
「……逆に言えば、私たちは〝手足〟がなければただの〝頭脳〟ですよ」
高校に入学して、初めて不完全になって。でも、人生で一番ワクワクする試合なのは間違いなかった。
*
悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい。
インターバルに入って、アタシはずっとそのことばかりを考えていた。中学の頃一緒に戦っていた千恵が敵になって、初めて気づく。
「アタシ、自分のすべてを出しきれてない……」
「どういうこと?」
小さな呟きだったのに、すぐさま笹倉先輩が詰め寄ってきた。
「元チームメイトだから全力を出せないんじゃないんですよ?! 先輩!」
沙織が慌ててアタシの台詞の補足をする。沙織に同調したのは、意外にも暁先輩だった。
「怒らないで、柚ちゃん。二人……ううん、三人の力を引き出せていない司令塔の私の責任だから。主将なのに、ダメダメでごめんね」
「……香」
笹倉先輩は目くじらを立てるのを止め、俯いた。
「ほらほら、暗いぞー」
そしてそんなアタシたちを引きずり出したのが、梅咲監督だった。
「前に私が言った台詞、覚えてる?」
「……『無敵であれ』」
「そう。このチームは無敵になれる力を持ってる。チームメイトを信じろとは言わないから、まずは自分自身を信じて」
梅咲監督は、最後に「それができない人間はこのチームにはいない」とつけ加えてにやっと笑った。
インターバルが終わり、アタシたちはコートへと戻る。息を吸い込んだ。熱気がすごい。
「自分を信じられない人間は、絶対に他人を信じることなんてできない」
不意に、隣にいた沙織が呟いた。
アタシに聞かせるようなそれは、アタシのことを奮い立たせる。
「信じてもらえなかった。だからせめて、アタシたちは信じたいと思っていた。それじゃあ……ダメだったんだね」
〝四天王〟のことを口に出す。あの件の元凶は松岡さんだって知っているけれど、世間は知らないから汚名は消えない。
「信じる。それ以外の感情は闘志だけでいい」
もうそれだけでいいじゃないか。そう思えるようになったアタシは走る。
他人の目を気にして何になる? 何にもならない。ただ〝アタシ〟が埋もれるだけだ。
アタシと同じポジションの星宮愛が駆け出していく。星宮夢は今も琴梨と当たっていた。
ボールを持っている藍沢は愛へと回して、愛はゴールへ走っていく。ゴールまで走り切ると予想していたアタシは、スリーの体勢に入った愛に怯んだ。
――スパンッと華麗にスリーが決まる。勝ち誇ったように笑ってガッツポーズをした少女は――星宮愛ではなかった。
「星宮……夢?」
「……あり? もう僕だってバレた?」
まさか。そう思って振り返ると、琴梨に張りついていたのは愛の方だった。
「入れ替わって……?!」
どうやら琴梨は気づいていないらしい。
「こと……」
「笹倉先輩!」
アタシの声を掻き消した沙織が笹倉先輩にボールを託す。笹倉先輩はすぐさま反撃に入って自分できちんと決めてくれた。
アタシは琴梨に近づこうとするけれど、夢がアタシの邪魔をする。その間にも藍沢と千恵の〝頭脳〟によるゲームメイクが始まっていた。
「ッ!」
そのゲームメイクに双子が加わり、巧妙なパスが繰り広げられる。まるで司令塔が四人もいるような狂気さだ。
――流れを切らなきゃ。
タイムアウトで切ればもう一度同じことが起こる。必要なのは攻略法だ。誰がやれる? 誰が必要? そんなの、決まってる。
――キュッ
アタシは自分のすべてを使って足を素早く動かした。
手のひらに当たる感触は馴染みのあるそれで、アタシは思わず口角を上げる。放ったシュートは弧を描いて精密に入り、アタシは「っしゃあ!」とできるだけ大きく叫んだ。
この叫びでチームメイトにいい影響を与えたらと、そう思って。アタシは立ち止まることなく自分の作った波に乗った。
「〝独立〟……」
藍沢が呟く。アタシは気にすることなく千恵からボールを奪い取った。
「こっちだ葉月!」
反射的に琴梨にパスを出したアタシは、しまったと思いつつも琴梨のプレーに視線を奪われる。
「〝解放〟……?」
千恵が呟く。琴梨のプレーはキレが増していて、星宮愛を一切寄せつけなかった。
――スパァンッ!
そして、琴梨お得意のスリーが鮮やかな音を立ててリングを潜る。その瞬間の大歓声の意味は、アタシたちが常花に逆転したという意味だった。
「…………」
「私たちも負けてられないよね、柚ちゃん」
「……そうだね」
「おっ、珍しく素直だね」
まだ戦いは終わっていない。振り返り、アタシは二人の先輩に親指を立てた。
試合は最終Qに突入し、得点はアタシたちが少しだけ優勢のまま進んでいく。
双子の違いがわかってきた琴梨はいつも以上に動きにキレが加わって、沙織はいつも通り自由にプレーをしていた。笹倉先輩はアタシたちに負けたくない一心で本来の力以上を出し、暁先輩は主将という自信を取り戻しつつあった。
「琴梨!」
沙織が藍沢を力で振り切り、琴梨にパスを回す。下手したらファウルだったそのプレーに沙織の愚かさを感じて――だけど嬉しくなった。
「任せろ!」
藍沢がぴくっとその言葉に反応する。琴梨はマークを元通りにした星宮夢を振り切る為にパスを出した。
「りん――ッ!」
嫌な予感がした。ボールは一直線に藍沢の元へと飛び、彼女の手中にきれいに収まる。藍沢は手のひらの感触に驚き、そしてはらりと涙を流した。
「――ばか」
ドリブルをして藍沢が駆け出す。琴梨は呆然とその後ろ姿を見つめていた。
残りはあと二分。アタシは目を見開きながらも藍沢を追い、けれど常花の逆転を許してしまった。
「ごめ……」
「次!」
声が喉に張りつく。アタシは暁先輩から始まったボールを受け取って沙織に繋いだ。成清が逆転する為に必要な点数は、最低三点――。それでも何故か、沙織は笹倉先輩にパスをした。スリーを得意とする琴梨ではなく、笹倉先輩にパスをした。
「……ッ!」
暁先輩が息を呑む。それもそうだろう。笹倉先輩がスリーに失敗したら、アタシらの負けなのだから。
「――――」
笹倉先輩がドリブルを始めてゴールへと突き進む。そしてシュート体勢に入った。スリーをしようとする先輩の気配に、アタシは気づいた。何かが違うと本能が叫んでいる。
追いついた常花の双子と茅野さんがジャンプをして、笹倉先輩はボールを手離して。
「……は?」
「ッ! 水樹!」
ボールはまっすぐに――琴梨の手中に収まった。瞬間、笹倉先輩がしたのはシュートではなくパスだったことに気づく。琴梨は予想していたのか、動揺することもなくスリーを放った。
――スパァンッ!
琴梨のシュートが華麗に決まる。逆転したことがわかる。
「……柚」
残り時間はあとわずか。そのわずかの時間で、あの笹倉先輩が琴梨にボールを託したことにアタシも暁先輩も驚いていた。
再開した試合は常花が逆転する時間を許さずにブザーが鳴らす。
『試合終了ー! 成清の勝利ー!』
その声が耳に残響した。