第四話 朱玲VS貝夏
『これより準決勝、朱玲高校対貝夏高校の試合を始めます』
アナウンスが入り一斉に礼をした後、ジャンプボールの為に茎津先輩が前に出る。何か三年生たちが目配せをしているのが気になった。
いや、それよりもエマなのだ。エマはいつも通りに振る舞っていたが、本当に大丈夫なのだ? 振り向くと目が合って、エマは笑顔で私の無言の問いに答えた。……その余裕が、何故か悔しかった。
『試合開始!』
勢いよく飛ぶ茎津先輩は惜しくもボールを取れなかったけれど、三千院マヒロに回ったボールをカットすればいいだけの話だった。
キュッとバッシュの音が鳴る。エマと三千院のワンマンを確認しながら、私は走り出した。
「…………」
「本場仕込みです!」
――バンッ!
ボールはワンバンして私の手中に収まった。どうでもいいけれど、『本場仕込みです』って言って何になるのだ?
――キュッキュッ
音が心地よい。今日の自分は絶好調だとすぐにわかる。それに加えて手を抜くつもりなんて一切ない。――だからこそ私は、最初から。
「いっけ〜!」
腰を少し落とす。入ったシュート体勢を途中で止めるつもりなんてない。放ったボールは弧を描いて――止められた。
「チッ!」
つい舌打ちが漏れる。
「ドンマイ!」
幹先輩は私の背中を軽く叩いた。主将はこういうことをしなきゃいけないのがめんどくさいな、なんて思う。
ボールを目で追うと、今度は灯センパイがワンマンをしていた。エースの灯センパイは、さっきは呑気な声を出していたくせに表情は早くも真剣そのものだった。
エースもここで抜かれたら、今後に悪影響が出る。責任重大で、どれも私には向いてないって理解した。
「ッ! 栞ちゃん!」
灯センパイが取ったボールは幹先輩に回っている。
幹先輩はさすが〝五強〟――いや元〝五強〟と言うべきか、驚異の速度で方向転換してゴールまでドリブルした。
シューターの幹先輩はマークを振り払う為かゴールの真下まで来てしまって、センターラインまで来ていたエマにギリギリで繋いだ。
エマは一瞬で私と目配せをして、ボールを繋げる。私は目配せで受け取ったメッセージに驚きはしたものの、信じる道へと選んでいった。
「――幹先輩!」
ゴールから離れた位置にいた幹先輩にボールを回して、幹先輩はマークを上手く避けてシュートした。
「ッ!」
それでも朱玲の指がボールに触れて軌道が歪む。幹先輩は焦ることなく着地して、私もエマもマークに阻まれながらそれを見た。
「ッ!」
「……ッ!」
CとPFである二人の先輩がリバウンドを取りに飛んで……そして二人揃ってボールを押し込んだ。
――キュッ
「なっ!」
けれど、先制点を取って喜ぶ暇もないまま朱玲は次の攻撃の為に早くも行動に移していた。
『さすが緑川の従妹だな!』
『ポジション違えど流れる血は緑川と一緒ってか? とんでもねぇバケモンだぜ、あれ』
こんなにも集中しているのに、そんな台詞だけは聞こえてくる。いつの間にか第4Qとなっていたこの場面で、聞きたくはなかったのに。
――あぁ、あぁ、あぁ、あぁっ!
「どいつもこいつもうるさいのだぁ!」
ボールを床に叩きつける。跳ね返ってきたそれは思いきり手のひらにぶつかった。自分の怒りで自分を傷つけても、私は譲れなかった。
「私が拓磨の従妹なんかじゃない! 拓磨が私の従兄なのだっ!」
たいして変わっていないようで、違うこと。それは、〝誰〟を主軸に置くかということだった。
三秒経つ前に私はシュート体勢に入る。射程圏外、それでも絶対に入れるという自信があった。
――スパァンッ
リバウンドさせないほどに、狂いなくリングを潜ったその音が心地よい。刹那の大歓声に目を細めて、小さくガッツポーズをした。
「ナイシュー!」
「絶好調の波来たんじゃな〜い?」
「……やるしかない」
三人は同時に頷いて、「やりますかっ?!」とエマが声を弾けさせた。……本当にやるのだな。
「今しかない。流れを取るのだ!」
「おー!」
キュッキュッとバッシュの音が鳴って、朱玲のボールから試合が始まる。
「……絶対取る! 灯!」
「はいよー!」
二人が一斉に走り出す。私たち残りの三人は、上手くディフェンスをして相手の足を止めていた。
「っし!」
灯センパイがにっと笑って、手中のボールをエマに回した。あの〝東雲の幻〟のカントクをしていたのだから、そのパスは藍沢凜音を彷彿とさせていた。
「行きます!」
エマの合図で私たち四人はそれぞれ別の方向へと走る。ゴールを目指して、ずっとずっと、足を止めずに。
「……ッ?!」
三千院が目を見開く。それは、私たち四人がボールも持たずにシュート体勢に入ったからだろう。
「――Go!」
〝Go〟、それは――。
「……ッ!」
茎津先輩にボールが回った。ズレはあったけれど、茎津先輩はそんなズレが存在しなかったかのようにシュートを放った。
放ったボールは弧を描いて、危なげな音を立てながらリングを潜り抜けていく。再びの歓声が私たちのハイタッチを掻き消した。
「……悪かった。今のは……」
「な〜んで謝るの。ナイシューだよ」
「そうだよ。PFの春が入れたことに意味があるんだから」
「もう一回! もう一回です!」
「もう一回……!」
私は呟くように声に出した。みんなが私を驚くような表情で見て、そして笑った。
107対101。まだ射程圏内なのだ。流れを取った私たちはもう一度別々の方向に走り、マークを緩めさせる。
「Back!」
エマの声をよく聞いて、そして、来た。手のひらにボールが掠めるように届く。茎津先輩のように上手くはできないけれど、なんとか掴んでそれを放った。
滑らかに手から離れたボールは上手くリングを潜り抜ける。これで三回連続得点なのだ。
『またスリー! あの二人シューターじゃねぇのに!』
『シューターっつーか司令塔もしっかりしてるよな。さすが本場だぜ』
「……チッ!」
三千院が苛立たしげに舌打ちをした。
まだいける。あと少し頑張れば勝てる。そのあと少しの一歩を歩く。刹那、ピキッと足が悲鳴を上げた。
「ッ!?」
残されたわずかな時間に気力をすべて使ったようだった。
「……緑川?」
私はなんでもないと首を横に振って、自分にそう言い聞かせた。
「――あと少しなのだ!」
それは声に出ていたが、気にすることはなかった。あと一回スリーを決めたら同点だ。残り時間は二分を切っている。せめて同点までいかせなければならないのだ。
コートの上を全力で走る。時間短縮の為にエマが主体となってボールを取りに行った。
「パス!」
向こうの司令塔、実力が未知数の三千院にパスが回った。回ってしまった。よりによってこんな時に――いや、こんな時だからこそだろう。
「私は負けない。背負ってる物が違う……貴方たちには……!」
切実な声色で三千院はゴールへと走った。三千院の言葉の意味を考える余裕なんてなく、私たちはやむを得なく全員で後を追う。
――スパァンッ
スリーではなかったけれど、三千院はシュートを決めてしまった。109対104。差が、開いていく――。刹那、タイムアウトが入った。
タイムアウトをとったのは、貝夏だった。
「みんな、あと五点差だ。わかっていると思うけれど、お得意のスリーを二回入れたら勝ちは決定よ」
朱玲に点を取られて揺らぎかけた心が固まる。それぞれが何かを言っていたけど、私は聞いていなかった。
「緑川、残り一分半……行ける?」
「ッ! ……はい」
監督は、私の足に気づいていた。私は頷いてコートへと戻る。残り一分半。スリー二本。それでも、タイムアップのブザーは耳障りだった。
「112対104で、朱玲高校の勝ち!」
私たちがシュートを決めることは許されず、朱玲の誰かがシュートを入れて試合は終わった。
機械的に礼をしてベンチへと戻る。魂が抜けたようだった。