第三話 会えたら
ウィンターカップ準々決勝で、豊崎に勝利したその日。
「……灯センパイは、本当に失望したのだ?」
豊崎に進学した元後輩の橙乃唯と紺野うさぎに、灯センパイはそう言っていた。中学の頃試合をしたことがある私は、その台詞が信じられなくて。
「……したよ?」
くるりと振り向いた灯センパイは、真顔だった。威圧的なその瞳は、試合後だから見れるケモノの瞳だ。
「どうし……」
「〝最後の試合〟だったから」
その台詞は、橙乃でも紺野でもない私にも刺さっていた。
「まぁ、琴ちゃんか凜ちゃんに期待しとくよ」
灯センパイはそう言って去っていくけれど、その二人とは決勝でしか戦えない。決勝に行くにはまだ一戦残っている。
「……最後」
その単語が重たかった。
「緑川さん!」
唐突に名前を呼ばれて、振り返る。そこには先ほど話していた橙乃と紺野、そして小暮芽衣が立っていた。
「何」
「自分らの次の対戦相手、朱玲なんやろ?」
「…………」
「か、勝ってね! 茶野先輩のこと、よろしくお願いします!」
紺野が頭を下げて、橙乃も慌てて紺野に続いた。元チームメイトだからって、なんでセンパイを任されなきゃいけないのだ。
「私たち、初めて茶野先輩のあの顔を見たの。でもね、薄々気づいてた。放っておいたら危ないなって思ってた」
「うん。茶野先輩って、意外と寂しがりやだし……」
「ま、そういうことらしいねん。ウチはその人のことあんま知らへんけどなぁ」
――そんなの、ずっと前から知ってるのだ。私はそれを飲み込んで、ただただ頷いた。
*
家に帰ると既にお父さんも帰っていて、リビングで眠っていた。隣の和室に行き電気をつけると、お母さんの写真が真っ先に視界に入る。私は視線を逸らすように畳に寝そべった。
刹那、ジャージのポケットに入れていたスマホが鳴る。手探りで取り出すと知らない番号からだった。いつもなら無視していたけれど、あまりにもつまらない状況の今、指が滑る。そのままスマホを耳に当てた。
『もしもーし』
「広岡……?」
予想外過ぎて、口に出てきたのは名前だけだった。
『そうそう俺です。先に言っとくけど、茶野先輩が教えてくれたんだぜ? あの人、聞いてもいないのに欲しい情報をくれるとかバケモノっしょ』
「あの人は昔から人の考えてることとかわかる人だったのだ。広岡の言う通り、〝妖怪サトリ〟なのだ」
『ふーん、俺に同意するとか今日は珍しいのな』
「…………」
一瞬黙る。
「……そうかもしれないのだ」
じっとしていられなくて寝返りを打った。
『なんかあった?』
「別に。あるとしても、豊崎に勝ったから明日が準決勝だってことくらいなのだ」
相手は実力がまだ未知数な三千院マヒロ率いる朱玲高校。そんな朱玲には、私でさえ不安を覚える。
『あー、そうそう。俺たちも明日準決勝で朱玲とやるんだよなぁ。だからお揃いだなーっていう報告を……』
「いらないのだ。そもそもお揃いでもなんでもないのだ」
それをわざわざ言う為に電話してきたのだ? バカなのか? あぁそうか、バカだったのだ。
広岡の返事を待つ。そういえば、広岡からの返事を待つのは初めて――そもそもこんなに黙った日があっただろうか。
『ぷくっ……! やっぱり拓磨くんそっくりだなぁー、その突っ込み!』
笑いを堪える声が聞こえてきて、心配して損したのだと思いつつ――何故か安心した。
*
翌日、会場に着くと真っ先にエマが駆け出した。
「あ、こら!」
幹先輩が腰に手を当てる。けれど、エマの進む先に常花がいたからそれ以上を言葉にしなかった。
「……どうせ後で合流できる。先に行こう」
「そだね」
私はエマを視線で追う。ほんの少し前にエマは「青春したい」と言っていた。それは青春と言う名の恋で、何故かモヤモヤする。
「何を呆けているんだ」
振り向くと、拓磨が立っていた。つい広岡を警戒するが、広岡はどこにもいなかった。
「拓磨か。広岡はどうしたのだ?」
「飲み物を買いに行かせている。……珍しいな、お前が広岡を気にかけるのは」
「バカか。いなくて安心したのだ」
本音を言えば少し不安だった。いつも通りじゃないと私はこんなにも不安になる。それは、覚悟をしていても失った人が私にはいるからだろう――そう思った。
「……そうか」
拓磨はわずかに視線を落として、灯センパイに後ろからわき腹を擽られた。あまりの擽ったさに「止めろ!」と身を捩りながら抵抗している。
「拓磨くん買ってきたよー!」
そんな拓磨にとどめを刺したのは、頬に当てられた麦茶だった。
「広岡!」
「げっ! なんで怒ってんの?!」
ずさっ、と広岡が後退る。お前のようなテンションの奴(灯センパイ)がいるから怒ってるのだ。タイミングが悪かったな。
「緑ちゃん!」
「んなっ?!」
会って早々広岡に盾にされ、じりじり近寄ってくる拓磨に睨まれる。り、理不尽なのだ!
「おいお前ら、お遊びもいい加減にしろよ?」
けれど、さらなる理不尽によりこの場は収まった。
「あー……。今の国島先輩の表情はヤバかったわ」
試合前にも関わらず、冷や汗びっしょりの広岡は一息ついた。こっちは理不尽に怒られたんだけど?
「……バカ」
「なんで?!」
「バカはバカなのだ」
これはある意味、照れ隠しだった。なんでか知らないけれど寂しくて、会えたら――、……会えたら?
「……?」
「どうした……って、目赤くない? ゴミでも入ったか?」
「……みたいなのだ」
幸いにも涙は溢さなかったけれど、涙目にはなっていたらしい。
――会えたら、泣きたくなるほどに嬉しい。
もし仮にこれが広岡にも当てはまったら、この感情はなんと呼ぶのだ?
*
広岡に尋ねるのは屈辱的で、結局そのまま別れてしまった。エマが常花のロドリゲスって先輩にフラれて戻ってきてから、私たちは控え室へと入る。広岡のことは忘れて集中なのだ。
「三千院監督の娘だし、何度も言うけど実力は未知数ね」
「沖田監督は三千院監督の教え子なんでしたっけ?」
「……そう。けど、娘がいたなんて知らなかったし……中学の頃バスケ部じゃなかったらしいし……ほんと謎すぎ」
ため息をついて沖田監督が頭を抱える。
「多分、帰宅部で家で練習してたのだ。監督が帰ってからは二人きりで。それなら全部納得なのだ」
「なるほどね。そりゃ手強いわけだよ」
「……でも、朱玲は〝五強〟の種島を失ったから戦力は少しくらい落ちたはず。そこを叩けばいい」
「叩くですか?!」
「……言葉のあやなのだ」
「あや?」
あぁ、いつも通りなのだ。居心地が良くて安心したのだ。
「時間だからそろそろ」
他のメンバーも立ち上がって、私たちはコートへと向かう。
あの場所には全部ある。仲間も、相手も、想いも、全部。刹那、眩しいくらいの光と歓声が私を占拠した。昨日よりも、もっと激しいそれが――。
「さすが準決勝、かな」
灯センパイが呟いて私の肩を軽く叩く。灯センパイが指差した方向には、昨日勝った豊崎に磐見、そして月岡がいた。
「あっちも忘れたらダメだよ」
幹先輩が別の方向を指差すと、成清が少し離れた場所に常花がいた。
「……バカ。本命はあっち」
ぐいんと頭を回されると、朱玲が大歓声を浴びながら姿を現していた。
「……痛いのだ」
「ワオ! スゴいです! バケモノです!」
「エマは黙るのだ!」
ベンチまでエマを追いかけながら、私は豊崎の方に視線を向ける。灯センパイを私に任した一年トリオは手を振ってエールを送っていた。
「…………」
手首だけで本当に軽く手を上げて、アップに入る。その後で再び沖田監督から指示を受けるが、この人は基本放置主義なのであっさりと終わった。
「行ってこい」
夏頃からプリン頭となってしまった沖田監督は、言葉で背中を押す。私たちは背中で答えながら、コートに立った。