第三話 誕生日
男バスの先輩たちを招待した後で星宮先輩たちの部屋に行くと、部屋は早くも誕生日会っぽくなっていた。手作りのそれらは、青森にいた時に作ったんだろう。
新幹線のホームで会った時、他の人よりも荷物が多かったのはこれのせいか。私は納得して手伝いを申し出た。
「あんたらさぁ、実家こっちなんでしょ? なんか仮装できるモンあったりする?」
「……ないです。すみません」
何故仮装なのかはとりあえず無視。いちいち気にしていたらキリがない。
凜音は顎に手を当てて、ぽつりと呟いた。
「仮装かどうかはわかりませんが、メイド服なら余っているはずですよ」
「めっ、メイド服ぅっ?!」
瞬間、手を止めた夢先輩も愛先輩も目を見開いて凜音を見た。それは私も同じで、だけど凜音は平然としている。
「少し叔父に聞いてみますね」
「えっ?! あ、藍沢?!」
愛先輩の静止に気づかないまま、凜音はスマホを持って部屋から出ていった。
約一時間後、私たちが宿泊する都内のホテルのロビーに本物のメイドさんたちが姿を現す。そうして持ってきた荷物を凜音に手渡した。
「凜音お嬢様ですね? 頼まれていた物をお持ちいたしました」
「ありがとうございます。ご苦労様でした」
「いえ。旦那様……叔父上様がたまには顔を出すようにとおっしゃっていましたよ」
「……そうですか。わかりました、いつか必ず伺います」
メイドさんは凜音に一礼して、ロビーから去っていく。その後ろ姿が見えなくなった途端、夢先輩が凜音に好奇の目を向けた。
「名家だって聞いてたけど、あんたってすげぇな!」
「……私は別に。凄いのは亡くなった父です」
凜音はいつも以上に淡々と答えて段ボールを持ち上げる。
「あ、私も持つよ」
凜音にとって家族のことはデリケートな問題だって知っているから、私は何も言わない。夢先輩は愛先輩に睨まれて縮まった。
部屋に運び、四着――しかもサイズがピッタリのメイド服を着て私たちは顔を見合わす。
「まさかこれを着る日が来るとは……。人生とはやはり不思議ですね」
凜音だけは恥じらいもなく鏡に映る自分を物珍しげに眺めていた。
「この姿じゃ厨二を呼びになんて行けない……!」
顔を覆ってしゃがむ愛先輩に、夢先輩はいいことを思いついたと言わんばかりの表情で電話をかける。
誕生日会まであと数十分。私は服のしわを伸ばして恥を消そうとした。
「あ、先輩。今どこにいます? 一人ですか? あのですねぇ、茅野先輩を上手いこと誤魔化して連れてきてください! じゃっ!」
一方的に切った電話の相手は高崎先輩だろう。高崎先輩がキレてる様子を鮮明に想像することができた。
「よし。二人ともこれ持って!」
渡された水鉄砲は、なんとなくだけど二人の先輩の照れ隠しのように思えてならない。瞬間に扉が開いて、私は思わずその方向を見――そして、彼と目が合ってしまった。
「…………」
目を見開いて、呆然と立ち尽くすロドリゲス先輩と。
「何してんの? リン」
そんなロドリゲス先輩を押し退けた洸くんが、棒つきキャンディーを食べながら首を傾げた。
「何って、別に何もしてませんよ?」
「ちーがーう。なんでメイド服着てんのって聞いてんの」
「あぁ。……あれ、何故でしょう?」
「凜音のせいだよっ!」
全身熱くなるのを感じながら、私はカーテンの中に隠れた。こんな格好でロドリゲス先輩と目が合うなんて恥ずかしすぎる。
隙間から部屋の中を覗くと、愛先輩と夢先輩がロドリゲス先輩を涙目で睨んでいた。
「二人とも、似合ってるよ」
「うっさい! ばーか! ばーか!」
「その口を閉ざせ、天然ハーフ野郎」
にこやかに微笑むロドリゲス先輩に対し、星宮先輩たちは辛辣な言葉を次々に浴びせる。ロドリゲス先輩が動じたのは最初だけで、次第に星宮先輩たちも落ち着いてきた。
それを見届けたロドリゲス先輩は、部屋の奥のベランダ……私が隠れているカーテンまで歩いてくる。
「ッ!?」
慌ててカーテンの隙間を閉めると、意外にもロドリゲス先輩がカーテンを開けようとしていた。
「え、えええっ! ちょ、嫌です!」
「嫌って何が?」
「……ッ! め、メイド服姿を見られ……」
「もう見てるけど?」
「〜ッ!」
恥ずかしさを押し殺して答えたのに、すぐさまロドリゲス先輩に一蹴されてしまった。瞬間に光が差し、私は慌てて顔を上げる。
「あっ……!」
再びロドリゲス先輩と目が合った。ロドリゲス先輩は私を見下ろしていつものように微笑んでいる。
「……ッ!」
私は咄嗟に持っていた水鉄砲を向けた。星宮先輩たちの照れ隠しが役に立ったような。すると何故か、ロドリゲス先輩が口元を手で覆って顔を逸らした。
ここにいたら私の心臓が持たない。そう判断してカーテンから逃げようとすると、押し殺したような笑い声が頭上から漏れた。
「……ふ、ふっ……!」
ロドリゲス先輩がぴくぴくと肩を震わせる。すると、細くてきれいな指の隙間から優美な唇が覗くのが見えた。
ロドリゲス先輩の息づかいが間近で聞こえきて、私は今までになく心臓が高鳴るのを感じる。今の私は多分、世界で一番幸せなんじゃないだろうか。そう勘違いできるほどの威力がその笑いにはあった。
『学! あんたさっきから私をどこに連れてこうとしてんの?!』
近くから茅野先輩の声が聞こえて、ロドリゲス先輩が笑うのを止める。
私はカーテンの外に脱出して、私という茅野先輩の一人称に勝手に驚いていた。口調もいつもの厨二口調じゃなく、高崎先輩に見せる彼女の本当の姿が垣間見える。
「あんたら! こっちこっち!」
すると、夢先輩に手招きされて――何故か凜音と一緒に扉へと続く短い廊下に立たされた。夢先輩のいたずらっぽく輝く瞳にこの意味を見出だして、凜音と一緒に中身入りの水鉄砲を構える。
『入るぞ』
短い言葉には怒気が含まれていた。腹いせにか返事を聞く前に扉を開けて、高崎先輩は茅野先輩の背中を押す。
「――はっ?!」
茅野先輩は構えられた四つの水鉄砲を前にして、いつものカラコンが入っていないグレーの瞳を見開かせた。
「せーのっ!」
「「ハッピーバースデー!」」
ぴゅっと、夢先輩の合図でそれを発射したのは本人と愛先輩だけだった。
わなわなと茅野先輩が肩を震わせ、濡れた金髪を絞っていく。濡れた量から察するに、引き金をほんの少しだけ押したようだった。
「……ハッピー、バースデー?」
顔を上げた茅野先輩は私たちを見回して、盛大に笑った。
「あははっ! 何そのカッコ! 厨二乙ー!」
「なっ……なぁっ?!」
「厨二言うなぁっ!」
顔を真っ赤にさせた双子の先輩たちは、髪を下ろしている茅野先輩を黙らせようと奮闘する。こうして見ると三人は本当に仲良さそうで、茅野先輩はただの不良っぽかった。
「なんか完全に置いてかれた感があるな」
「……ですね」
「リン、何もないならもう帰っていー?」
「少し待っててください」
凜音が飴袋を開けると、洸くんがそれに誘われる。高崎先輩は芽野先輩と星宮先輩たちをからかいに行き、また――。
ちらっと振り返ると、ロドリゲス先輩と目が合った。
「――また取り残されちゃったね」
「ですね。先輩、立ってないで座ってください」
招待しておいて雑な扱いをされたのだから、今からでも楽しんでもらいたい。椅子に座らせたロドリゲス先輩に紙コップを渡して飲みたい物を聞くと
「じゃあ、コーヒーくれる?」
ロドリゲス先輩はそう答えた。
「はい」
缶コーヒーを持ってきて、紙コップに注ぐ。こうしていると、ロドリゲス先輩の専属メイドになったような……
「こうしていると、なんだか偉い人になった気分になるよ」
苦笑して紙コップに口をつけたロドリゲス先輩と同じ考えをしていたことに気づき、私は空き缶を落としそうになった。
「偉い人、ロドリゲス先輩なら似合うと思いますよ」
スーツ姿とか特に。
「メイド服、似合ってるよ」
「……それ先輩たちにも言ってましたよね」
「そうだね。けど、チエの方がピッタリだと思うよ」
「…………」
氷室先輩は暴れる星宮先輩たちと私を見比べて微笑した。
嬉しいような、恥ずかしいような。私は視線を逸らして、常識外れの誕生日会を傍観した。
「座りなよ」
ぐいっと腕を引かれて、いつの間にかロドリゲス先輩の隣にある椅子に座らされる。
「……ありがとうございます」
怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にさせた愛先輩は、鞄から出した箱を茅野先輩に投げつけた。茅野先輩は箱を顔面で受け止めて、高崎先輩に笑われていた。
「あの、すみませんなんか。誕生日会、招待したのに……」
夕食や入浴を終わらせた後、消灯時間ギリギリまで行われる誕生日会は最早ただのバカ騒ぎだ。
ロドリゲス先輩も呆れていると思って。クスッと笑い声を漏らしたロドリゲス先輩に驚いた。
「どうして? オレは結構楽しいよ?」
ついロドリゲス先輩を見ると、彼は本気で笑っていた。
「それにこれ、アイとユメがこっちに来る前からずっと企画していたんだ。チエだって半分招待されたようなものでしょう?」
「……知ってたんですか?」
「何度も相談されたからね」
と、ロドリゲス先輩は愛先輩と夢先輩を視界に入れて苦笑した。先輩たちが同じ二年生のロドリゲス先輩に真剣に相談している姿を思い浮かべて、私も笑う。
「チエは?」
「……え?」
「チエは、楽しくないの?」
真剣な眼差しが私を捉えた。私は端麗な顔立ちのロドリゲス先輩に見惚れながら、逡巡する。
「……楽しいです」
凸凹な私たちは何度も何度も衝突をして、何度も何度も傷を負って。その度に何度も立ち上がって同じことを繰り返す。
本当は認めたくなかった。
〝東雲の幻〟の凜音と同じチームだって。きっとそれは先輩たちも同じで。だから今が信じられなくて。だけど、楽しい。
「その気持ち、忘れたらダメだよ」
静かにロドリゲス先輩がそう言った。
「……いつか、消えてしまうからね」
聞き取れないほどに小さく、ロドリゲス先輩が呟いた。私は耳を疑って、だけど何も聞き返せなかった。