第三話 豊崎VS貝夏
第一印象、迷惑な奴。
俺を見つける度に追いかけて来て、俺が逃げると諦めて。……いや、諦めるというよりも俺が嫌がることはしない、の方が正しいのかもしれない。そうやっていつも途中で足を止めて、あいつは俺だけを見つめていた。
どんな奴なのかと思ってたまに女バスの方に視線を向けると、ポジションがPGらしく、チームメイトのことをよく見ていた。
関西弁で指示を出して、その躊躇いもない行動力と冷静な判断力のおかげであっという間にレギュラーになって。
あの変わり者の大津や中原にも一目置かれて。男勝りな部分が橙乃と紺野の隣にいるせいで際立っていて。とにかく小暮は、あまり女っぽくないバスケに真剣な奴だった。
『一週間だけつき合ってください』
だから、俺は――。
*
ウィンターカップ四日目。三回戦。
会場についたウチらは、控え室に向かおうとしとった。
「唯やんちぃやん。調子はどうや?」
「絶好調よ」
「バッチリかな」
二人は案外普通にそう答えて、ウチの前を歩いていく。大津センパイと中原センパイにも特に変わった様子はなく。
……勝てるんかな。ウチはそう思った。唐突やなくて、昨日からずっと思うとることで――ウチは深呼吸を繰り返して落ち着こうとした。
キコ……。不意に機械じみた音がして、振り向くとそこには車イスに座った同い年くらいの少女がおった。
〝誓い〟がウチの記憶を殴る。ウチは真知の名前を呟き、真知はウチの名前を呟いた。
「……なんで、ここに」
「旅行でちょっとなぁ。そしたらここでウィンターカップがあるっちゅーのを聞いて来たんや」
にかっと変わらん真知の笑顔。ウチは無意識の内に親友の元に駆け寄った。
「今のちぃちゃい子らがチームメイトなん?」
「……せやで。唯やんとちぃやんや」
「〝東雲の幻〟とようバスケしよう思うたなぁ」
「二人はええ子やで。ウチ、真知と同じくらい二人が好きや」
すると、真知は驚いた表情を見せて
「あんた変わったなぁ。うちは見ての通り何も変わらんけど」
車イスに座る自分のことを自嘲する。
ウチは思い切り首を横に振った。確かにウチは変わった。せやけど、真知が変わってへんと笑うのは認めへん。
「人は変われるて。信じろや」
真知は何も答えず、ただ「応援しとる」とだけ言って車イスで去っていった。
一歩、試合をするコートへと足を進める。刹那、歓声がウチの耳に届いた。ベンチにつくと、黙っとった唯やんがぽつりと寂しそうに口を開く。
「……さっきの子、元チームメイト?」
「せやで」
唯やんはちぃやんと目を合わせて、俯いた。……真知の足のことを気にしとるんやろうか。二人は気にせんでええのに。悪いのは全部、《死神》なんやから。
「聞いて」
短く、冷静な声を出した大津センパイの方へと視線を向ける。監督はベンチに座って腕を組んどった。ウチのチームはこういう時、監督やのうて主将がよく発言をする。
「相手、手強い。けど、平気。いつも通りなら勝てる」
その目は本気やった。この人は嘘をつかない。せやから信じられる。せやから慕われる。……せやから、ウチらは〝強い〟。それは揺るぎない自信やった。
合図でウチらは整列する。目の前には貝夏のメンバーがおって、隣の唯やんが息を呑んだ。
「久しぶり。唯ちゃん、ちぃちゃん」
「……お久しぶりです、茶野先輩」
「二人とも、身長全然変わってないけどちゃんと強くなったの〜?」
……嘘やろ。自分ら、中学の頃から成長止まっとったん?
「な、なりましたよ! 身長は余計なお世話です!」
「身長は、こ、これから伸びます! 今日は勝ちますから!」
「ふふ。負けず嫌いは相変わらずだね〜」
『それではこれより、ウィンターカップ準々決勝第一試合。豊崎高校対貝夏高校の試合を始めます』
「「――よろしくお願いします!」」
……試合開始や。
ウチは無意識に舌で唇を舐めた。大津センパイと茶野サンがジャンプボールで出てくる。ジャンプボールをとったんは、貝夏やった。
落ちてきたボールはエマサンに回る。ボールが茶野サンに戻った後、何故か茶野サンがシュート体勢に入った。
大津センパイは眉を顰め、ブロックをしようとしたんやけど一歩遅かった。放たれたボールは弧を描いて――その場の誰もが予想もしていなかったゴールを決めた。
『……き、決まったー?!』
観客が湧く中、コート内は異様に静かやった。
豊崎の誰もが、呆然と茶野サンが立っとる場所を見つめとる。そこは、センターラインから一歩前に出た場所やった。
「別に驚くことじゃないよ〜。ね? 唯ちゃんちぃちゃん?」
くすくすと茶野サンが笑う。せやけど、茶野サンのポジションはCであってシューターやない。
……嘘やろ。ウチは唯やんとちぃやんの身長の件よりも、本気でそう思った。
「……う、嘘。先輩は中学の頃、そんなプレーなんて……しなかった」
茶野サンはちらっと唯やんを見下ろす。そして……どこまでも冷たい笑みを浮かべた。
「誰が中学の頃と同じプレーをするって言ったの? だから言ったじゃない……強くなったの? って」
「そ、そんな……こんなのって……」
ちぃやんも唯やんも、限界まで目を見開く。それはウチやって同じやった。この人は――こんなに冷たく笑えるんか? 優しそうに見えてたのに、あの顔は嘘やったんか? この人はどんなバケモノなん?
――いや、《暴君》や。
《暴君》やったはずなのに、それを上回る人間になっとった。
「――さぁ、Tip-offだよ。二人の煌めくような可能性、私にもう一回だけ見せてよ」
豊崎ボールで試合は再開する。豊崎の十八番、唯やんとちぃやんの連携で繋いだパスはゴール下まですぐに届く。ウチはそう思うとった。
――バシッ
それを、茶野サンが楽々とカットするまでは。
「うぐっ……!」
「きゃあっ!」
二人が転ぶ。茶野サンは向こうの主将――幹サンにパスを出して二人が起き上がるのを待った。
「どうしてって顔をしているね?」
中原センパイが幹サンを止めとる間、起き上がった二人は茶野サンだけを見上げとった。
「確かに二人の連携パスは、どんなディフェンスでも防げない。今でもこれは事実だよ」
「じゃあ、なんで……! なんで茶野先輩は……!」
「いい加減にしないと失望するよ? 誰が二人にそれを教えたと思ってるの」
くすっと口角を上げた茶野サンの、冷たい瞳が二人を刺した。二人は何も言えずに、せやけど茶野サンから目を逸らすこともせえへん。
――スパァンッ
気持ちのええその音は、幹サンがシュートを決めた音やった。
『貝夏が連続得点! 豊崎、早くもピンチか?!』
流れを切らなあかん。豊崎のエースらが動けん今、ウチが足掻くしか道はあらへんかった。
*
歓声が廊下からでも聞こえてきた。もう試合は始まっているんだ、そう思うと焦りが生まれる。
「みなさん、急ぎますよ!」
「我に命令するな、凜音! そもそもなんでそんなに急ぐのよー!」
私は焦れったくてスピードを上げた。会場に入ると、豊崎と貝夏の試合が目の前で繰り広げられている。そして、得点差に戦慄した。
「も、もう六点差っ……?!」
そうして次に見えたのは、茶野先輩の冷酷な笑顔だった。その前には唯とちぃがいて、茶野先輩を見上げている。
いつか。いつか、この時が来るんじゃないかって思ってた。
茶野先輩の裏の顔を知らずに慕っていた可愛い二人が、その本性を知る時が。私は、中一の頃からそんな予感がしていた。
――それでも二人は、絶望だけはしないだろう。
私の願いとも捉えられる予感は当たっていた。挫けずに前を向いた二人が走る。その姿を見て何故か目頭が熱くなった。けれど、すぐに二人のマークがつく。
唯とちぃはマークに捕まることに慣れていないせいか、なかなか抜け出すことができずにいた。それでも、コートを突き抜ける一人の少女がいた。
少女はボールに精一杯手を伸ばして手中に収める。見たところ、少女のポジションは私と同じPGで――多分私たちと同じ一年生だろう。
PG――司令塔の役目の一つ。それは、試合の流れを変えること。少女にこの流れを変えるほどの技量があるのかは定かではないけれど、オーラはあった。
『……一本! 決める!』
『はいっ!』
主将の声かけで、貝夏側は主将に注意を向ける。刹那、ボールが行きついた先は別の人の手中だった。
『中原センパイ!』
『……ッ!』
ぐっとシュートの体勢に入る。中原さんのマークの人はと視線を移すと、唯がちゃんと止めていた。
――スパァンッ
スリーが入って三点差に縮まる。その時になって、ようやく私のチームメイトが来た。
「凜音、試合は……!」
「貝夏が優勢ですが、豊崎も粘っている状況ですね」
「あ、愛! あいつ譲の幼馴染みじゃね?!」
身を乗り出す夢先輩の服を引きながら、愛先輩もコートに視線を落とす。
「エマ・ブラウン。確かに、例の幼馴染みね」
「え、あの人ロドリゲス先輩の幼馴染みなんですか……?」
隣を見ると、千恵が戸惑ったような瞳をしていた。最近、ロドリゲス先輩ロドリゲス先輩って言っているけれど……まさか……。
『もう一本いったるでー!』
瞬間関西弁が響いて、私はコートに注意を向けた。