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モノクロ*カラフル  作者: 朝日菜
不安定電波
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第二話 一週間

「――じゃ、後は頼んだ」


 そう言って、センセイは職員室へと戻っていった。日直のウチはクラスメイト全員分のノートを前にして顔を顰める。


「……あかんてコレ。絶対重いヤツやん」


 せやけど、頼る人なんてどこにもおらん。ウチは腹を括ってノートを抱えるように持った。


 ……そういや、昨日はセンパイに世話なったなぁ。こういうのは後で改めて礼を言わんと。


 にや、ウチは頬を緩めた。あかん、昨日からコレや。中崎なかさきセンパイのあの台詞を考えると、とてもやないけど頬が緩む。

 山積みにされたノートで顔を隠しながら、表情が元に戻るのを待った。……はよ戻らへんかなぁ。瞬間肩に何かがぶつかった。


「…………ん?」


 なんやろ、何にぶつかったん? いや、この感触は明らかに人のそれや。


「すみません、大丈夫で……」


「…………お前」


「……すか、って、中崎センパイ?!」


「…………」


 そこには、大丈夫そうに見えへん表情の中崎センパイがおった。


「なななななんでセンパイがここに?! うっわぁ、すみません! ウチ触って……!」


 予想外の出逢いにウチまで大丈夫やなくなった。


「すみません! すみませ……ぎゃん?!」


 ドサッと、挙げ句の果てには盛大に転んでしもうた。たくさんのノートが床に落ち、ウチの体の上に落ち、中崎センパイに当たり――散々だ。


「わぁああぁ?! センパイ?!」


 ……終わった、ウチの初恋。なんでなん? こんなん酷すぎるやろ、神様。昨日まで幸せやったのに、今日になってこんな……こんな……。

 ウチが沈黙したのを見て、中崎センパイも少しは落ち着いたようだった。職員室の前とあって、叫び声を聞いたセンセイ方が様子を見に来る。


「だっ、大丈夫?」


「……大丈夫です。すみません」


 優しいセンセイ方は、落としたノートを拾ってくれた。ウチと中崎センパイは、ショックでまともに動けへん。改めて礼を言ったウチは、中崎センパイに謝ってノートを教室に持って行こうとした。


「…………待て」


 せやけど、唐突に中崎センパイが呟いた。


「……なか、さきセンパイ?」


「貸せ」


 短く、中崎センパイはそう言ってウチからノートを奪い取った。狙っていたわけやないけれど、手と手が触れて――それでも中崎センパイはノートを持ってくれていた。


「……む、無理せんといてください」


「……お前の方が無理してるだろ」


 中崎センパイはため息混じりにそう言って、職員室の前から立ち去っていった。悪いとは思うても、むやみにセンパイに近づいて嫌な思いをされるのは嫌や。


「おお…………あぁいや、ありがとうございます」


 〝おおきに〟を飲み込んで、標準語で礼を言った。中崎センパイの背中は、何も語らんかった。


 ……センパイ。人が苦手やのに、なんでウチに優しくしてくれるんですか? 期待してもええんですか?


 だからウチは、ますますセンパイが好きになる。センパイはそれでもええんですか? ウチ、本気やで? せやけど、ウチは何も言えへんままセンパイについていった。

 中崎センパイはウチの教室を知っていたらしく、ウチが何も言わんままウチの教室についてしまった。


 中崎センパイは人気者なのか、クラスの子らが騒いどる。それがなんやろ、ウチはめっちゃ嫌やった。


「あっれー? 中崎先輩じゃないですかぁ」


 空気読むことができひんのか、黄田きだクンが手を振りながらウチらの方に近づいてくる。


「黄田か。そういえばここ、黄田のクラスでもあったんだな」


「えぇ? 先輩、俺に会いに来たんじゃないんだ」


「誰がお前なんかに会いに来るか」


「うっそ!」


 中崎センパイが面倒そうに黄田クンを遇う。

 黄田クンが来たのも嫌やったけど、中崎センパイが中崎センパイらしくいてくれてウチは心から良かったと思った。


「酷い!」


 黄田クンは中崎センパイを見ようとして、先にウチを視界に入れる。黄田クンの動きが急に止まって、何故かぱちくりとまばたきをした。

 黄田クンはそのまま中崎センパイとノートを見て、次にウチに視線を移して。


「中崎せんぱ……」


伊澄いすみに練習量を増やすように言っておくな」


「えっ、なんで?!」


「お前が嫌いになりそうだからだ」


 黄田クンは慌ててウチらから距離を取って、そのまま警戒心を顕にしながら後退していく。中崎センパイは満足そうにそれを見届けて、勝手に踵を返そうとした。


「あっ、待ってください!」


 ぴたっと中崎センパイが足を止める。振り返りもせえへん。何も言わへん。せやけど――


「――ありがとうございます!」


 ぎこちない標準語やったかもしれへん。せやけど、ウチは自分の思いを全部ぶつけた。それでも中崎センパイは何も言わへん。そして、本当に行ってしもうた。





 部室に行くと、ゆいやんとちぃやんがウィンターカップのトーナメント表を眺めとった。ウチが二人の頭越しにそれを見ると、次の対戦相手が決まったらしく線が引いてある。


「……貝夏かいか高校、なぁ」


 ウチはその高校名を口に出した。ウチの声に驚いたのか、二人が肩をびっくんとさせて慌てて振り向く。


「いっ、いたの?!」


「おったよ。ウチ、ちぃやんほど影薄くないねんけど」


「わ、私は影なんて薄くないかな!」


「嘘つくなやぁ。《隠者》やったっけ? ちぃやんの通り名」


 うぐぐ、とちぃやんは頬を膨らました。リスや。神奈川にリスがおった。


「スタメンはアメリカの留学生と〝五強〟、〝東雲しののめの幻〟に〝東雲の五星〟の従妹やったか?」


「……ん」


 唯やんが珍しく、短く答えた。


「なんや唯やん。怖いんか?」


「ちっ、違うわよバカ!」


 噛みつくような勢いで否定された。神奈川には子ライオンもおるんかい。


「……怖くない、けど」


 消えた唯やんの声は何も聞き取れへんかった。せやけど、ウチは思う。

 同じ〝東雲の幻〟の茶野灯さのあかりは、唯やんとちぃやんのセンパイや。二人は三年前、誰よりもこの人を慕っとった。


「……戦いとうないんか?」


「…………そう、でもないかな」


「じゃあなんや?」


「――〝最後〟なのよ。最初で最後。茶野先輩は三年生だから、勝っても負けてもこれで終わり。叶うならもっと試合をしたいって思うわよ」


 啜り泣くような声の唯やんは、今にも泣きそうで。ちぃやんは俯いて肩を震わせとった。


「ゆ――」


「バカ」


 ぽかっと、唐突に二人の頭が叩かれた。その流れでウチの後頭部にも一撃入る。なんでやねん。


「最初で最後ならさ、泣く前にすることあるでしょう?」


 振り向くと、中原なかはらセンパイが指先でボールを回しとった。

 そういや、中原センパイも――隣で仏頂面をしとる大津おおつセンパイも――ウチの好きな人、中崎センパイも――今年で最後なんや。


「えぇっ?! ちょ、なんで泣くの?!」


「……え、と」


 頬に手をやると、温かいものが指先に触れた。……あれ、なんでウチが泣いとるんや? さっきまで他人事やったのに。なんで。――……なんで、止まらんの?





 いつも通りの体育館。いつも通りのメンバー。いつも通りのメニュー。気づけばいつも通りに部活が終わって――唯やんとちぃやん、黄田クンが目の前を歩いとる中、ウチは一人後ろの方を歩いとった。

 星空は昨日よりも色をつけて、夜空にきらきらと輝いとる。いつも通りやなくて、そこだけは変わっとった。たった一日過ぎただけで、こんなにも変わってしまう。変わってしまうことがどうしようもなく悲しくて、気づけば足を止めて星空を眺めとった。


 中原センパイたちがウチを追い越してく中、たった一人だけが遅れてやってくる。

 誰や、と思うて。ウチは一瞬にしてたった一人を思い浮かべた。


「……中崎センパイ」


 暗闇に慣れたウチの目は、普通の顔の中崎センパイを捉えとった。


「……なんだ」


「今帰りですか?」


「見ればわかるだろ」


「……ですね」


 とても短い会話だった。関西におるウチの両親が見たら泣くような、短くてなんの飾り気もない会話。それでもこれがウチらの精一杯で。


 ……恋って、難しいなぁ。瞬間に目頭が熱くなった。

 なんで今、ウチらは会ってしまったんやろう。三年というだけでもこんなにも胸が締めつけられんのに。


「お前は帰らないのか?」


「……帰ります。帰りますよ、そりゃ」


 耐えられなくなって、とことこと歩き出す。後ろから中崎センパイが歩いてくるのがわかった。


 この距離はいつ縮まるんやろ。中崎センパイは、どの距離まで縮めてくれるんやろ。

 中原センパイたちは唯やんたちと合流して笑っとった。まるで、ウチと中崎センパイだけが別世界にいるようやった。


「センパイ、途中まで一緒に帰りませんか?」


 ありったけの勇気をこの一言に込めた。別世界なら、これくらいしてもええんやないかって思うて。ウチはいつものウチらしく振る舞った。

 センパイは


「……途中までだぞ」


 そうウチに釘を刺して、今までで一番距離が短くなる。

 言ってみるもんやな、夢やないかな。様々な思考が一気に溢れてウチのことを支配した。


(……す、き)


 声には出さずに、口をそう動かして。当然やけど、中崎センパイは何も言わんかった。

 冷たい風が吹いて、ウチの頬を掠めていく。この風はウチだけでなく中崎センパイのことも掠めたんやろうか。


「……センパイは……大学、どこ受けるんです?」


 恐る恐る振り向くと、中崎センパイはマフラーに沈めていた顔をウチに向けて、その瞳を見開いた。


「……普通に、私立の大学だな」


 違う。一番聞きたいことはそんなことやない。もっと、大事なことがあるのに。


「私立ですかー。私立ならウチでも受けれますね。おんなじとこ受けてええですか? なんちゃって」


 文法がめちゃくちゃや。そもそもが怪しい標準語やのに、関西弁混じっとるし。自分の焦りが集中した長台詞やった。


「お前の好きにしろ」


 ウチの吐息が口元から漏れる。思わず出てもうた吐息は、白やった。


「……いいんですか?」


 一息ついて聞いてみる。本当に、いいんですか? と。


「お前の将来だろ」


 思わず笑った。自分の将来なんやから好きにしろ、か。センパイらしいというか、なんというかやな。


「じゃ、好きにしますー」


 この台詞にぎょうさんの想いを込めて。

 中崎センパイは嫌な予感がしたのか、失敗したとでもいうような表情をした。せやけどもう遅いし、センパイは訂正さえせえへん。それが妙に嬉しかった。


 正門に着けば、おったはずのみんながおらんかった。センパイと顔を見合わせると、センパイは困ったような照れくさいような苦笑いをウチに見せる。


「あと少しだけ一緒だな」


「ですね」


 大津センパイ辺りが気を効かせてくれたんやろうか。少なくともウチらは、まだ一緒にいてええってことやった。


 ほんの少し。あともう少しだけ勇気を振り絞って。あんだけアピールしたんや。気づかん方がおかしいから、中崎センパイはウチに好かれとるって自覚があるはずやから。今さら恥ずかしいもあらへん。


「ウチ、センパイが好きです」


 静寂は永遠のような長さやった。


「……お前の気持ちは素直に嬉しいけど」


 台詞の途中で、やっぱりと思うて。口が走った。


「ウチが三回戦……貝夏に勝ったら、一週間だけつき合ってください」


 中崎センパイは何かを言おうとして。ウチは拒まれるんが怖くて、「絶対ですよ!」と釘を刺して。そして最後は中崎センパイが折れた。ウィンターカップ三回戦は明日やと、ずっと自分に言い聞かせながら。

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