第四話 仁科と米山
一つだけわかったことがある。
今日一日女バスの練習を続けていて、初めてその辛さと自分の無力さを思い知った。早くも挫折しそうな心を奮い立たせて、帰り際に明かりがついた体育館の中を眺める。するとそこには、男バスがまだ練習をしていた。
「……嘘、なんでまだ……」
しかも、数えてみるとマネージャーを含めた全員が揃っていた。呆然とその光景を眺めていると、とんっと背中を叩かれる。振り返ると、都樹と佳乃――そして奏歌と奈々がいた。
「みんな……」
私の仲間は、疲れてはいるもののまだまだやれそうな雰囲気だった。対する私は、未だに息切れをしている。
「ごめん。私、役立たずかもしれない」
「え、なんで?」
「違うでしょ。体力とか技術とか……」
「……彩芽」
唇を噛んだ。どうして人とのつき合いって、こうも上手くいかないんだろう。悔しくて情けなかった。
「仕方ないですよ。仁科先輩、まだ始めたばかりじゃないですか」
「それはみんなも同じでしょ? だから……」
「それは違うよ?」
「……同情なんてしな……え?」
口が凍りついたように動かなくなった。違うって? 何? どういうこと?
「言ってなかったっけ? みんなバスケ経験者だって」
思わず首を横に振る。そうか、その発想はなかった。
しばらく呆気にとられていると、体育館の中から米山が私の名前を呼んだ。
「帰るの?」
「うん」
「あ、じゃあちょっと待って! なぁ都樹、ちょっと仁科さん借りていい?」
「好きなだけどうぞ。あ、お持ち帰りはご遠慮くださいね?」
瞬間、「しないって!」と顔を真っ赤にさせた米山が言う。そして私の手を軽く引いて、体育館の中へと連れてきた。
振り返ると、都樹が佳乃にチョップされているのが見える。次に米山を見ると、意外にも顔が近いことに気がついた。
透き通るような白い肌が、体育館から漏れる光によって照らされる。思わずまじまじと見てしまうと、米山が「な、何?」と照れるようにそう言った。
「……ッ! な、なんでもないバカ!」
米山の頬をぐいぐいと押して、米山の顔を遠ざけようとする。突然のことにバランスを崩してしまった米山は、床に背中を強打する直前だった。すると何故か、私の体におもりがついたように米山の方へと引かれていく。いや、実際米山が私のセーターをがっつりと掴んでいた。
「なっ?!」
「うわっ!」
どんっという鈍い音がして、〝下に〟いた米山が呻く。一方の私は、冷たい床ではなく温かい体に抱き止められていた。だから、怪我はなかった。怪我はなかったのだけれど――どくんどくんという心臓の音がして、それが左側を向いていた私の耳にばっちりと聞こえていた。
何もかもを忘れ去って、つい聞き込んでしまう。次第に早鐘を打つその音は、「大丈夫っ?!」誰かの声に掻き消された。
名残惜しむように起き上がると、米山は何故か顔を手で覆っていた。何故?
「ちょ、大丈夫……?!」
もしかして、怪我した?
「ごめ……ッ! 米山! ねぇ! ねぇってば!」
ゆさゆさと米山を掴んで揺さぶる。自分の体が恐怖で強張っていくのがわかった。
「ちょっ、大丈夫! 大丈夫だからストップ!」
焦った米山の声が聞こえてきて、私は体中の力が抜けていくのがわかった。そんな私を支えてくれたのが都樹で――彼女はニヤニヤしそうになるのを堪えていた。
「都樹?」
鋭い声で名前を呼ぶけれど、それはこの場にいたメンバー全員がそうだと気づいて私は止める。
「もしかして、米山くんてう……」
「佳乃、それ以上言ったら米山が可哀想だろ……ぶハッ!」
佳乃と小森も。
「お腹いったい……! あははっ!」
「あららぁ、なるほどねぇ」
都樹と三峰も。
「〜ッ!」
「うわぁ、珍しいですね! 奏歌さんが声が出なくなるまで笑うなんて……!」
奏歌と猫宮も。
「ふっ……ふふふっ!」
「おい、コミヤ……! 珍しいって、言ったら、ナナもだろ……!」
奈々とハーフの男子も。
本当に全員がニヤニヤと笑って私たちを見ていたのだ。当の米山に視線を移すと、さっきからまったく動かずに全身を真っ赤にさせてる。
「米山?! やっぱりどっかぶつけた?!」
「放っておいてあげたら? 違う意味でしばらく動けないみたいだし」
そして、笑いを噛み殺した監督がそう言った。
私が黙って頷いたままでいると、米山がようやく起き上がる。
「米山?」
「ッ……ごめん」
前髪をわしゃわしゃと掻き上げて、米山はぎこちない笑みを浮かべた。笑って返すけれど、私もぎこちなかったと思う。
その頃には他のメンバーは、体育館のステージで休憩をとっていて――私たちとは距離があった。
「……で、私を借りてどうしたかったの?」
「ちょっ、その言い方は誤解を生むから止めて!」
「あ、うん」
「すぅー……はぁー……」
米山は深呼吸を繰り返して、そうしてこう言った。
「ポジションのことなんだけどさ」
「ポジション? あぁ、あれね。確か都樹は私がPGになってくれたら嬉しいって言ってたけど……」
「そう、それ。で、実は俺もそのポジションなんだ」
同じポジション――。どうしよう、ちょっと嬉しいと思うのは私だけかな。
「で、ポジションについてのアドバイスをしようと思って」
「本当?」
米山は無言で頷く。私は脳内に浮かんだ言葉を米山に伝えた。
「嬉しい」
「そう思ってくれたら、俺も嬉しいよ」
米山はステージの方へと視線を向ける。そこには、男女関係なくバスケ部たちが和気あいあいと和んでいた。
「仁科さんは自分の仲間をどう思う?」
誰かに――他でもない米山に聞かれて、私はじっと仲間を見つめる。
バスケなんて《バスチカ》で得た知識しかないし、仲間なんて初めてできたに等しいのだけど。
「――私の中では、もう二度と出逢えない最高の仲間……かな」
「どうして?」
「共感できた気がした。何に対して共感できたのかはわからないけど」
即答する。これが真実だった。
「なら良かった。PGは、特に仲間のことを理解してないといけないから」
「司令塔でしょ? 佳乃が言ってた」
「そう。……そろそろ俺らも行こっか」
「そうだね。待たせたる」
頷いて、二人でステージまで走った。
楽しそうに雑談していた女バスのみんなは、私が来るのを見て都樹の元へと集まっていく。
「私、今まで仲間どころか友達さえいなかった」
突然の告白に、みんなが目を見開いた。けれども〝勝手に〟、私は言葉を紡いでいった。