第二話 ウィンターカップ
ふぅ、と安堵の息を吐いた。
お姉ちゃんに電話しようとしたら、間違えて緑川さんにかけてしまったのだ。緑川と南田はややこしい。
「気を取り直して、ねっ?」
「……あ、ありがとう」
「え、今の七海さんじゃなかったの?」
きょとんと種島先輩が首を傾げた。彼女は怖いくらい三峰先輩に似ている。
「え、と、さっき奈々が『間違えてごめんね』って言いましたよね……?」
けれど私たちは、小森先輩みたいなキレのある突っ込みはできなかった。
「もう一回かけてみますね!」
お姉ちゃんは大学生だから、きっと今頃は昼休みで暇なはずだ。私は慎重にスクロールし、お姉ちゃんの名前を押した。
数回のコール音の後、弾けたお姉ちゃんの声が耳元から聞こえてきた。
『奈々? あんたから連絡来るなんて珍しいじゃない。どうしたの?』
「お姉ちゃん、最近暇だって言ってたよね?」
『まぁね。文系の大学生はニートの次に暇だと思う』
そんなになのか。なら、好都合なのかな?
「あのね、えっと、その。お願いがあるんだけど、えっと……」
なかなか言いたいことが切り出せなくて、遂には種島先輩にスマホを奪われてしまった。
「もしもし。私、妹さんの先輩の種島といいます」
行動力がありすぎるけれど、逆にそれが頼もしい。それが種島都樹という先輩だった。
「いえ。こちらこそ、奈々さんにはお世話になってます」
一体何を話しているんだろう。奏歌ちゃんを見ると、苦笑された。
「お願いというのは、七海さんに磐見高校女子バスケットボール部の監督をしていただきたいということなんです」
淡々と用件を告げる種島先輩のしばしの沈黙。すると、じゃり、と後ろから足音が聞こえてきた。
振り返ると、黒い髪を肩の辺りまで伸ばしている女子生徒がいた。紺色のセーターの袖をいじるのを止め、種島先輩の後ろ姿を見て驚いている。
「ありがとうございます。はい、はい、お願いします」
そしてちょうど、種島先輩が通話を切った。種島先輩も振り返って、首を傾げる。
その女子生徒は、次に私を見て唇を震わせていた。
*
中庭の、私の目の前のベンチに座っている三人。その内の二人はバスケをしていたら誰でも知っている〝五強〟の種島さんと〝四天王〟の南田さんだった。
(種島って、〝五強〟の種島さんじゃない……それに、南田って……!)
気のせいか、右足が疼いた。彼女は、私が右足を骨折する原因となった《死神》のかつての仲間の《悪魔》だった。
「あの、私たちに何か……?」
「あ、えっと……」
口篭る。確かに私は、小森くんに教えてもらった通りに彼女たちを探していた。私の場合、嘘なんてすぐにバレるし――
「――小森くんから、女バスのことを聞いて……」
「本当にっ?!」
ぱぁ、と種島さんの表情が輝いた。そして、勢いよく両手を握り締められる。
「来てくれてありがとう!」
「え、えっ?」
何故か一気に距離を詰められて、否定する暇がなくなった。ぶんぶんと腕を上下に振られ、彼女の大歓迎を一人で受ける。
三人の表情が想像以上に輝いているし、本当に断りきれなくなってきた……。
「よし、これであと一人! 監督も決まったことだし、私たち順調だね!」
「はいっ、そうですね!」
(……この子、まだバスケする気なんだ)
南田さんを見てそう思った。私の右足は東雲との試合で骨折したのだけれど、あの時南田奈々は裏切って――いや、退部していて試合には出ていなかった。
個人的な恨みはこの子にはないし、この子だってラフプレーが嫌で退部したはずだ。だからこの子は大丈夫。そんなことを考えて無理矢理納得しようとしていると
「目標は数ヵ月後の〝ウィンターカップ〟だね!」
種島都樹がぶっ飛んだ発言をした。
「いや、不可能だからね?!」
すると、「そんなことないよ」と真顔で返された。けれど、問題はそこじゃない。
「だから、ウィンターカップはインターハイから予選が始まってるんだって! 私たちはインターハイ出てないでしょ?!」
「え、そうなの?!」
「そうなの!」
「本当に?!」
困惑する種島さんは、残りの二人に視線を向ける。二人は苦笑しているので、知っていたのだろう。
「凄いカッコいい突っ込みですね!」
「まるで三峰先輩と小森先輩を見ているようでした!」
「え?」
それ、どういう意味だろう。口にする前に
「じゃあ、来年だね。公式試合」
種島さんが少しだけ寂しそうに笑った。
小森くんが転校生と言っていたし、転校前の学校でもうしばらくいたら良かったのに。
私は、さっき〝私たち〟と口走っていたことにようやく気がついた。
「ところで名前は?」
「……あ、名瀬佳乃です」
「そっか。よろしくね!」
「よろしくお願いします!」
もう、引き返せない。乗りかかった船は危なっかしいから、私が頑張って引っ張らなければ――そう思った。
*
放課後になって、私は思い切って小森くんに声をかけた。教室から出ていこうとした彼は、振り返って微笑みを浮かべる。
私は昼休みから何度も何度も脳内で繰り返していた台詞を言った。
「あのね、実は女バスに入部することになったの。昼休みに考えとくって言っていきなりだけど……」
「本当か!? すげー喜んでただろ、種島」
「うん。すぐに握手された」
「あぁー、やりそうだな。あいつの馴れ馴れしさは三峰そっくりだし」
二人並んで廊下を歩く。三峰と聞いて、私は南田さんが言っていた台詞を思い出した。
「――小森」
刹那、小森くんと同じくらいに聞いたことのある声が聞こえてきた。彼女の声は、嫌というほどに覚えている声だった。
振り返ると、私と対称的な髪型をした女子生徒がいた。黒髪の短髪。私とは違う。
「仁科」
仁科彩芽とも同じ中学出身だけれど、話したことはまったくない。彼女は私に視線を移して、ずばりと名前を言い当てた。
「は、はじめまして?」
「はじめまして? まぁ、同中出身でも話したことはないしね」
仁科さんは視線を落として自分で勝手に納得する。私は彼女に同意するように頷いた。
仁科さんと話す機会なんて、小森くん以上にあり得ないと思っていたから――。
「なんの用だよ、仁科」
「今日の部活の話がしたいって、三峰が探してた。ほら、男バスってマネージャーが三人辞めて忙しくなったんでしょ?」
「あぁ、そうだな」
親しそうに二人が話すのは、中学の頃から何も変わっていなかった。私は二人の姿を横目に、内心でため息をつく。
「二人はうちが大切に育てるからね」
すると、仁科さんと同じ教室から種島さんが顔を出してきた。そして私を見て、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「アホか。うちの部から大事なマネ二人も抜いたんだからな? ちゃんとやるのは当然だろーが」
「まぁね〜。それと敦也、この子もありがと」
先ほどとは打って変わった少しだけ冷めたような雰囲気で、淡々と彼女は小森くんに言う。仁科さんはそんな彼女の態度を気にすることもなく
「あぁ、小森が紹介したのって名瀬なんだ」
同じくらいの身長の私を見て、納得したように頷いた。
「……まぁ、バスケやってた奴って名瀬しか思いつかなかったからな」
どくんっ、と心臓が跳ねて。黙っていた私は思わず口を開いていた。
「こ、小森くん、それって本当?」
小森くんの瞳の中に私が映って、「あぁ。頑張ってたもんな」と笑う。その台詞はあの頃も私を見ていてくれた証のようで、すっごくすっごく嬉しかった。
「……ありがとう」
嬉しくて涙が出そうになる。ドキドキが聞こえてしまいそうなほどにうるさい。
「じゃ、俺はそろそろ部活に行くな」
小森くんは軽く手を上げて行ってしまった。その後ろを仁科さんが「三峰の居場所わかってるの?」とついていく。
二人の後ろ姿を呆然と眺めて、些細なことで喜んでいた自分がなんだか馬鹿らしくなった頃
「ねぇ、これから寄り道してかない?」
「……寄り道?」
「私たちもっと話そうよ。私のことは都樹って呼んでいいし、佳乃って呼ぶからさ」
柔らかくなった雰囲気で、都樹は微笑んだ。
天然っぽくて、冷たくて、優しそうな都樹。しかも、本当は一つ上の先輩で――って、わけがわからない。
「うん。いいね、それ」
恋で痛んだ心は友情で埋める。私は多分、ぎこちない笑顔を浮かべた。
*
部員不足でまだ部活を始められない私たちは、駅周辺のカフェに入った。お手頃な値段が評判で高校生も多く利用するカフェは、ある程度の静けさを保っている。
「あと一人はどうするの?」
席に座って尋ねたら、都樹は苦笑いをした。
「聡司が候補を見つけたらしいんだけど、断られたんだって。だからどうしよっかなぁって」
話したことはあるけれど、米山くんはただのクラスメイトだった人だ。あんまり親しくはない。
というか、今さらだけどなんで小森くんも含めて、女バスの部員を男バスが探しているんだろう。
「どうしよっかって……無計画にもほどがあるでしょ」
「でも、面白い子だからもうしばらく勧誘してみるとも言ってたよ」
「……頑張るね、米山くん」
メニュー表を開いて、私は米山くんの努力が報われることを祈った。
「そうだねぇ〜」
「他人事か」
私の突っ込みを華麗に無視して、都樹は「すみませ〜ん」と手を上げた。……今の都樹は天然キャラなんだなぁ。
デザートを注文する都樹を横目に、今この時間にも部活をしている小森くんのことを想う。
「…………はぁ」
無意識に出たため息に驚いて、慌てて口に手をやった。これは、世に言う〝恋煩い〟だろうか。
「――そんなに敦也のこと気になる?」
都樹がそう尋ねたのは、その直後だった。
「えっ」
一瞬の間があって。
「えぇっ?!」
カフェに不釣り合いな悲鳴を上げてしまった。他の客がじろっと私のことを睨んで、思わず身を縮めてしまう。
「あ、やっぱり?」
無邪気に笑って都樹は頬杖をついた。そんな仕種が私に都樹を年上だと再認識させて、顔を隠すように私は俯く。
「……どうして」
都樹は恋愛感情には疎いと思っていたのだけれど、勘違いだったのだろうか。
「私、昔から〝他人の〟そういう感情はわかるんだよね」
自嘲して、ちょうど運ばれてきたコーヒーに口をつけた。
「他人の、って……」
私は口を閉ざして、紅茶に砂糖を入れた。カップを置いた都樹は、じっと私の手元を見つめている。
「いつから好きなの?」
「…………小三」
つい答えてしまった。都樹は「じゃあ幼馴染み?」と首を傾げる。私は苦笑して首を横に振った。
「今まであまり話したことはなかったの」
「それでも好きなの? 一目惚れ?」
「ううん」
紅茶のカップに口をつける。ほのかな紅茶の甘い香りが鼻腔を擽り、そして口内に広がった。
「……ちゃんと理由はあるよ」
私は、自分より少し背の高い都樹を見上げた。
一目惚れではないはずなんだけれど、それにしても早いスピードで私は恋に落ちていた。
……人が人を好きになる瞬間は、よくわからないけれど。