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モノクロ*カラフル  作者: 朝日菜
裏切りの烙印
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第二話 弱さ

 久しぶりに見る試合に私は圧倒されていた。女子ではできないような力強いプレイが、目の前のコートで繰り広げられている。私はスカートの裾を強く強く握り締めた。


『ナイス!』


 ハイタッチは、歓声に負けないくらいに聞こえていた。ゆいちゃんが退部してすぐに始まった全中の予選で、私は初めてコートに立っていた。

 今までが練習試合だったせいで公には知られてなかったけれど、私たちの〝ラフプレー〟が有名になったのもその日からだった。


 歓声は次第にどよめきに。どよめきは次第に罵声へと。当時の私は、これが故意のラフプレーだったらどんなに良かっただろうかと何度も何度も思っていた。


『……本当にラフプレーはしてないんですか?』


 誰も信じてくれなかったことをよく覚えている。私たちは何度も何度も挫けそうになっていた。その度に思い出したのが、松岡まつおかさんとした〝約束〟だった。


 何があっても、ほたるちゃんとバスケを――。


 私はそれを、自分の頭に焼きつけた。


『……みんな、ごめん……』


『なんで主将が謝んのさ』


『そうだよ、誰も悪くないのに』


『私たちは私たちらしくやろう? ね?』


『だっ、大丈夫だよっ!』


 泣き崩れる蛍ちゃんを支える仲間。それが私たちなりのキズナだった。


『皆様、全中は始まったばかりです。周りを気にしないでください』


 そして、松岡さんの励ましで成り立っていた。


 みんななんでもないような表情で

 みんな心で泣いていて。


 それを知ってか知らずか、いち早く退部した唯ちゃんはある意味幸せだろうなと思った。


「唯ちゃん……」


 そう。唯ちゃんは、退部したのだ。なのにさっき見かけた唯ちゃんは、ジャージを着て、すれ違っていたはずの紺野こんのさんと一緒に歩いていた。


「……なんで?」


 自然と頭が下がり俯いていると、猫宮こみやくんが心配そうに声をかけてきてくれた。それが申し訳なくて、もうこれ以上誰かに迷惑をかけたくなくて、私は大きく息を吸い込む。


「頑張ってくださいっ!」


 久しぶりに出した大声。久しぶりすぎて少し掠れていたけれど、コートから返事が聞こえてきた。


「……ッ!」


 それは、今の私にとってたまらなく嬉しい出来事だった。そして、久しぶりにわくわくしていることに気づいた。

 必然的に忘れていたバスケの楽しさを思い出す。ブザービーターがなる頃には、感情が高まりすぎて涙を流していた。


 勝利を噛み締めたのは磐見いわみ高校。私は周りが落ち着きはじめてようやく、目的の人物に声をかけた。


「猫宮くん!」


「はい? どうしたんですか? 南田みなみださん」


 くるっと振り返った猫宮くんは、不思議そうにまばたきを繰り返す。私は、何度も何度も脳内で思い描いていた台詞を彼に告げた。


「ありがとう……! 私もね、バスケ好きだよ!」


「ッ!」


 猫宮くんが驚く。意識してなくても聞こえてしまったのであろう先輩たちが私に視線を移す。猫宮くんは、「はいっ! 南田さんがそう言ってくれて良かったです!」と柔らかく笑っていた。


 刹那、後ろから足音が聞こえてきた。磐見のみんなは目の前にいるわけで、後ろに誰かなんているわけがない。

 なのに、背中には誰かの気配があった。


「……私も、その言葉が聞けて良かった」


 それは聞き覚えのある声だった。


「ッ!」


 振り返ると、あの頃と何一つ変わらない橙色のくせっ毛を持つ唯ちゃんが立っていた。


「ゆ、唯ちゃん……」


 後ろには、一度も話したことがない紺野さんや黒髪のポニーテールの少女がいる。


「久しぶり、なな々」


 唯ちゃんはにっと笑って、私の髪をくしゃっと撫でた。


「うん……久しぶり……!」


 すると、彼女たちの後ろを月岡つきおか高校の人たちが通っていった。すぐに視線を唯ちゃんに戻すと、彼女は右手をチョキにして


「勝ったよ!」


 そう、明るく声を弾けさせて言った。それでも私の表情を見ると、少しだけ表情を曇らせた。


「……まぁ、その。蛍はいなかったんだけどさ」


 苦笑いをしている唯ちゃんを見て、私は違うと思った。今大事なのは、そんなことじゃない。


「おめでとう!」


 大事なのは、過去じゃなくて今だ。

 唯ちゃんは、元から大きかった目を見開いて不可解そうな表情をする。けれど、私の言葉を理解した途端にくしゃっと表情筋を動かした。


「……ありがとう……」


 ぼろっと溢れた自分の涙を、唯ちゃんは困惑しながら拭っていく。偶然の再会は、私と唯ちゃんに微笑んだような気がした。


「……蛍ちゃんのことは気になるけど、きっと大丈夫だと思う」


 裏切った私にこんなことを言う資格なんてないかもしれない。けど


「蛍ちゃんは、一人じゃないから」


「そうね」


 くすっと唯ちゃんが初めて笑った。彼女の笑顔は、太陽のように輝いていた。それを見たらなんだか明るい気持ちになれて、あぁ、唯ちゃんだな。唯ちゃんがここにいるなって実感が湧いてくる。


「ありがとう。今日……ううん、あの日、唯ちゃんに会えて本当に良かった……!」


 あの日唯ちゃんに会えてなかったら、私は今どんな人生を歩んでいただろう。絶対バスケを知らなかっただろう。磐見にも進学しなかっただろう。つまらない人生だっただろう。

 一期一会とはこのことを言うのだと本気で思った。


「一年ー!」


 磐見が試合をした体育館とは別の体育館から、茶髪の人が顔を出す。三人の表情を見るに、きっと先輩なのだろう。


「ごめん、行かなきゃ……!」


 唯ちゃんは小走りに走り、ぴたっと急に足を止める。そして振り返って


「こっちこそありがとー!」


 大きく手を振った。

 私も手を振り返す。唯ちゃんが見えなくなった時、随分と長い間先輩たちを待たせていたことに気づいて慌てて振り返った。


「もういいのか?」


「はっ、はい! すみませんでした!」


 誠意を伝える為に頭を下げる。ぽんぽんと頭を軽く叩かれた。それを上げると、みんなは既に歩き始めていた。

 置いていかれないように小走りをしながら、誰が頭を叩いたのだろうと首を傾げる。


「あの、三峰みつみね先輩……」


「ん?」


「……入部届け、まだ受けつけていますか?」





 中学生の頃に着ていた部活着を取り出して、自分の体に当ててみる。サイズがぴったりだったことに複雑な心境を抱きながら、それを鞄に詰め込んだ。


『ご飯よー!』


「はーい!」


 リビングに行くと、お母さんと大学生のお姉ちゃんが食卓を囲んでいる。お姉ちゃんはスマホから顔を上げ、じぃっと私の顔を見た。


「な、何?」


「んー……。あんたさぁ、何かいいことあった?」


「へっ?」


 ばっと、それになんの意味があるのか自分でもわからないけれど顔を触る。お姉ちゃんはクスッと笑って「そっかぁ」とスマホを顎に当てた。


「えっ、ちょ……! どういう意味?!」


 お姉ちゃんの隣に座って問いただすけれど、お姉ちゃんは黙々と箸を動かす。私がごねていると、痺れを切らしたお母さんに怒られてしまった。


(いいこと、か……)


 前髪を弄りながら俯く。「良かったね」と、お姉ちゃんが呟いたような気がした。





東雲しののめ中女バスOG(10)》


《お久しぶりです。突然のメッセージ失礼致します》


《今週末に東雲中の校庭に来てください。皆様にとても大切なことを話したいんです》


(……皆様?)


 そう思って、グループに招待されたメンバー表を好奇心で押してしまった。私が入っていること。その人数。それだけで明らかだったのに。


橙乃とうの唯、紺野うさぎ、水樹琴梨みずきことり藍沢凜音あいざわりんね茶野灯さのあかり――》


「ッ?!」


 私は慌ててスマホの画面を消した。ただでさえ蛍ちゃんからのメッセージで心が揺らいでいるというのに。


《――東藤葉月とうどうはづき北浜沙織きたはまさおり西宮千恵にしみやちえ、南田奈々》


 ……そこにあった名前は、かつての仲間たちの名前だった。


「…………」


 〝裏切り者〟。そう呼ばれていた私は見なかったことにして廊下を歩く。


「奈々? 何かあったの?」


 すれ違った奏歌そうかちゃんに「なんでもない」と答えて誤魔化した。奏歌ちゃんは、「本当に……?」と訝しそうに私を見据えた。

 彼女は生まれつき全色盲という病気のようなものを持っているらしく、観察眼には長けている。


 男バスに入部して約一ヶ月。六月の中旬の出来事だった。


 私は逃げるように廊下を走る。すると、教室から特徴的な茶髪が視界に入った。


「ッ!」


 そのまま走り抜けようとしたのに、ロドリゲスくんは私の名前を呼ぶ。仕方なく立ち止まって視線を上げた私にロドリゲスくんが言ったのは、「今日も部活来るよな」というなんでもない日常会話だった。


「うん、行くよ」


「そっか、わかった」


 そして教室に顔を引っ込めさせる。けれど、ロドリゲスくんは再び素早く顔を出した。ロドリゲスくんの青みがかった瞳に見つめられると、どうしてだか緊張する。何を言うの? 早く終わらないかな――。


「どこ行くんだ? もう授業始まるぞ?」


 それは、やっぱりなんでもない日常会話だった。何故か落胆してしまった私は、苦笑いをして教室に入る。刹那、ぽんぽんと軽く頭を叩かれた。


「ッ?!」


 思わず右手を頭に乗せる。


「……あ、わりぃ。嫌だったか?」


 ロドリゲスくんは、申し訳なさそうに眉を下げて手を退かした。


「……え、その……」


 なんて言ったらいいのかわからない。今のは約一ヶ月前にされたあれとほとんど同じで、あれはロドリゲスくんだったんだなと思っていたら予鈴が鳴った。


「お」


 席へと戻ろうとするロドリゲスくんの背中を見て、私は思わず手を伸ばす。掴んだのは、ロドリゲスくんの二の腕だった。


「うぉ……?!」


 驚いているロドリゲスくんは、振り返って私を見下ろす。


「…………た」


「え、なんつった?」


「い、嫌じゃ、なかった……!」


 すると、ロドリゲスくんはにっと笑った。私は、掴んでいた手を下ろした。





 女子の更衣室で部活着に着替え、いつもの体育館へと向かう。すると、既にステージの付近で奏歌ちゃんが準備に取りかかっていた。


(……どうしよう)


 彼女にすべてを見透かされているような気がして、これ以上足を踏み込むべきかと悩む。裏切りから始まり、メッセージの件も、今この状況だって


(……私は、弱い)


 弱すぎて、死にたいくらい。

 男バスに入部して、少しだけ強くなったと思っていたのは驕りだった。無意識に唇を噛み締めていると


「ミナミダ、入らないのか?」


「ッ!?」


 ロドリゲスくんの声で我に返る。その声で奏歌ちゃんも私に気づいた。

 私は考えることを放棄して、「ボーッとしてた」「ごめんね」とその場を凌ぐ。けれど、ロドリゲスくんが見ていたのは私じゃなくて奏歌ちゃんだった。ずきん、と心に棘のようなものが刺さった。その意味を考えることさえせず、私は俯く。


「どうかしたんですか?」


「うひゃあ?!」


「お、コミヤ」


 ロドリゲスくんと同じタイミングで振り返ると、きょとんと私たちを見比べる猫宮くんがいた。同じタイミングというのがなんだか嬉しくて、どうしてだか頬が緩む。そして、私とロドリゲスくんが入り口を塞いでいることに気がついた。

 慌てて避けると、猫宮くんは「ありがとうございます」と言って中へと入る。そのまま奏歌ちゃんの元へと歩いていった。


「…………」


「……ロドリゲスくん?」


 どうしたの、という意味を込めて彼を見上げる。あまり長く見ていられなくて少し視線を逸らしたけれど。


「いや、別に」


 呟くように吐かれたその台詞と、彼が出す雰囲気はどうしてだか切なかった。それが、私とロドリゲスくんとの間にとてつもない距離があることを教えていた。


「あの二人、仲良いよね」


 会話が続かなくて思ったことを口にする。ロドリゲスくんは、「つき合ってるからな」と答えた。


「……え?」


 ロドリゲスくんの言葉が、どうしても日本語に聞こえなかった。一瞬だけ、本当に思考が停止する。

 私は、恐る恐る――今度こそ逸らさずにロドリゲスくんを見上げる。ロドリゲスくんはちらっと私を見下ろし、固まった。


「ぷ……くっ……!」


「え」


「はははははっ! オマッ、なんだよその顔……!」


「えぇっ?!」


 出逢った時のように大笑いをするロドリゲスくん。そんな彼に今こそ私は怒る。けれど、ロドリゲスくんは何かを吹き飛ばすようにさらに笑った。

 ロドリゲスくんのそんな表情を見ていると、次第に怒っているのがバカバカしくなる。むしろ、暗い表情をしていた彼を笑わせることができて嬉しいと思ってしまった。


「あ、笑った」


「ッ?!」


 ロドリゲスくんは私を指差し、嬉しそうに目を細める。


「……ッ!」


 私は、また見ていられずに視線を逸らした。急に温度が高くなって、部活着をつまんで風を入れる。そうしている間にも、私とロドリゲスくんの間を先輩たちが通り過ぎていった。

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