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モノクロ*カラフル  作者: 朝日菜
裏切りの烙印
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第一話 裏切り者

『この……っ! 〝裏切り者〟がぁっ!』


「ッ!?」


 勢いよく飛び起きた。近くに座っていたクラスメイトがこちらを向き、訝しげに目を細めて視線を戻す。

 温かい春の日差しに負けて居眠りをしたのが間違いだった。私はぐっしょりと掻いた汗をハンカチで拭き、恥ずかしくなって視線を落とす。すると、目の前で艶やかな黒髪が揺れた。


「大丈夫?」


「あ……」


 磐見いわみ高等の制服をきちんと着こなしている奏歌そうかちゃんは、心配そうに私を見下ろしている。


「……う、うん……」


 曖昧に返事をする私を見て、奏歌ちゃんは視線をさ迷わせた。「どうしたの?」と尋ねれば、奏歌ちゃんは腰を下ろして椅子に座る私と同じ目線になる。


「あのね、お願いがあるんだけど……」


 そこまで言ってもなおも渋る奏歌ちゃんを、私は急かした。彼女は意を決した表情で


「……助っ人に来てくれない!?」


 そう、無意識に瞳を潤ませた。


「す、助っ人……?!」


 思わず目を見開く。奏歌ちゃんが言う助っ人ってなんだろう。純粋に気になるな。


「男バスのマネを一日だけお願いしたいの! その日豊崎とよさき高校との練習試合があるんだけど、私、病院に行かなくちゃいけなくなって……!」


 徐々に声が小さくなり、最後の方はまったく聞こえなかった。けれど、聞こえたのは冒頭だけで充分だった。


「な、なんで私に……? ほら、奏歌ちゃん他にも友達いるじゃない」


 自然と自分の声が震えているのがわかった。先ほど見た夢の台詞――過去に聞いたあの台詞が、頭の中で残響する。


もも君が南田みなみださんはバスケをやってたからって……あれ、違ったかな?」


「ッ!」


 猫宮こみやくんなら納得がいった。中二の頃に転校してきた奏歌ちゃんと、私がバスケをしていた時期は少しだけ重なっている。けれど、彼女はそのことを知らないだろう。


「……ごめんね」


 私が〝四天王〟の〝裏切り者〟だって。





 放課後になった。私は自販機の前で首を傾げた。無難にお茶か水にするか、ジュース類にするか。……あの頃は迷わずにスポドリを買っていたな、と、私は当時の自分のまっすぐさを笑った。


「オマエ、買わねぇの?」


「ッ?!」


 一人だと思っていたせいで驚きは大きく、私は反射的に飛び退いてしまう。体格のいい彼は、よく見たら同じクラスのロドリゲスくんだった。


「ごっ、ごめんなさい!」


 慌てて自販機の前から距離をとると、ロドリゲスくんは迷わずスポドリを購入する。私は黙ってその光景を見つめていた。

 ごくごくと中身を一気に飲み干す彼は、私の視線に気づいたようで気まずそうに視線を落とす。


「……な、なんだよ……」


 と、若干距離を置かれてしまった。


「えっ? あっ……! いや、その……スポドリ買うんですね!」


 咄嗟に出てきた意味不明な台詞に、当然だけど「はぁ?」とロドリゲスくんが返す。

 穴があったら入りたい――私は財布で顔を隠した。


「ぷっ……! くくっ……!」


「え……?」


 笑い声が聞こえてきて、恐る恐る財布を下ろす。すると、ロドリゲスくんが笑いを堪えている姿が見えた。


「え、えぇっ……?!」


 ロドリゲスくんはバシバシと自分の膝を思いっ切り叩いて、今度は声に出して笑い出す。そのせいでペットボトルが床に落ち、転がっていった。


「わ、笑わないでよぉー!」


 ベシッとロドリゲスくんの茶色っぽい頭を叩く。ロドリゲスくんは「いてっ」と声を上げ、笑うのを止めた。


「わりぃわりぃ」


「……ッ!」


 悪いのは自分だってわかっている。ただ、私にはロドリゲスくんを怒ることも――私が悪いと言うこともできなかった。


「……ん? どうした?」


 初対面に等しいロドリゲスくんが、同じく茶色がかった眉毛を下げて私を心配する。


「なんでも――」


「これ、ジュンの?」


 ――ないよ。言いかけた口を閉じて、ロドリゲスくんの後ろに目を向けた。

 そこには、さっきロドリゲスくんが落としたペットボトルを持った奏歌ちゃんがいた。


「ソウカっ!?」


 ぎょっとロドリゲスくんが振り返って、奏歌ちゃんからペットボトルを受け取る。その時のロドリゲスくんの頬が、少しだけ赤いような気がした。


「……さ、サンキュー」


「どういたしまし……って、あれ?」


 奏歌ちゃんはロドリゲスくん越しに私を見つけて、笑顔を浮かべる。ロドリゲスくんが「知り合いか?」と尋ねて、奏歌ちゃんが「中学が一緒なの」と答えた。


「あ、それでね。この子が前に言ってた助っ人だよ」


「えっ、オマエバスケできるのか?!」


「えぇっと……」


 私は口篭る。けれどこの二人は瞳を輝かせていて――答えなければいけない雰囲気だった。


「……一応、スタメンだったよ」


 一応といっても、ゆいちゃんがいない時に補欠で入った程度なんだけど。

 私をバスケの世界に誘ってくれた唯ちゃん。私よりも先に退部した唯ちゃん。私は、今でも彼女のことを友達だと思っている。


「マジかよ! じゃあ、助っ人頼むな!」


「え……」


「えっ、あの、ジュン?!」


 慌てて奏歌ちゃんが口を開くけれど、ロドリゲスくんは私の頭をくしゃくしゃと撫でてその気になっていた。髪と髪の間から見えたロドリゲスくんの表情は、笑っていた。


「……う、うん……」


「えぇっ?!」


 奏歌ちゃんが、目でいいの? と尋ねてくる。私はなるべく優しそうな微笑みを作って「うん」と答えた。

 ……ちゃんと、笑えてたかな。そしてまたロドリゲスくんを見た。


(……もう二度と、困っている友達を見捨てたくないから)


 それに、やるのはただのマネージャーだ。きっと平気。きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせて、私は財布から小銭を取り出し――思い切って〝スポドリ〟を買った。

 久しぶりに飲んだスポドリの味は、私の喉に染み込んでいった。





「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫……」


「には見えませんけど……」


「うわぁっ! 猫宮くん!?」


 猫宮くんは「急に声をかけてすみません」と眉を下げる。私はぶんぶんと首を横に振って、逆に「ありがとう」と答えた。彼がいなかったら、負の感情に押し潰されそうだった。


 今日は例の練習試合の日で、私たち磐見は豊崎高校の門を跨ぐ。途中、他校のジャージを着た女子生徒たちとすれ違った。


(何かあるのかな……)


 そんな私の表情を見てか、マネージャーの三峰みつみね先輩が


「女バスの方も練習試合があるらしいのよ〜」


 と言って教えてくれた。


「へぇ〜。どことですか?」


 何気なく尋ねたロドリゲスくん。三峰先輩は少し言いづらそうな表情で私を見てから口を開いた。


「――月岡つきおか高校とよ」


「ッ!?」


 どさっと、誤って持っていた鞄を落としてしまった。手が震える。どうして。そんな偶然ってあるのだろうか。


「おい、落としたぞ」


 ロドリゲスくんが片手で軽々と鞄を拾った。私は視線だけを動かして、先ほどすれ違った女の子たちを見た。

 ジャージには確かに《月岡高校》と書かれてある。……けれどそこに、見馴れた銀髪はなかった。


「…………」


「ん? ミナミダ?」


 ぽんっと肩に置かれた手に反応して、私はロドリゲスくんのことを見上げる。


「あ、ありがとう」


 掠れた声でお礼を告げた時、弾けるような声が聞こえてきた。


「唯やんっ! 月岡おったで!」


「そうね」


「……き、緊張する……」


「ッ!? う、うそ……」


 ……なんでここにいて、なんでジャージを着ているの?


 足まで震える。変な汗が全身から流れてくる。どうして。どうして。どうして。どうして――


「ッ!」


「ほら、行くぞ」


「ろ、ロドリゲス、くん……」


 ロドリゲスくんに繋がれた手は、私をまっすぐに目的地まで連れていってくれた。不安で不安で仕方がなかったけれど、ゴツゴツとした手が頼もしくって頑張って前を向いた。


 ……ロドリゲスくんの背中は、とにかく大きかった。





 バッシュが床に擦れる音。選手の掛け声に、汗の匂い。二階から吹き抜けてくる風。……何もかもが、懐かしい。


「……あ、あの、すみませんでした」


「え?」


 体育館に入ってから猫宮くんに話しかけられたけれど、今回は驚かなかった。私よりも少し背の高い猫宮くんは、じっと私を見つめていた。


「僕は南田さんに、バスケを続けてほしかったんです。……だから奏歌さんに教えたんです。もう一度バスケと向き合ってくれたらって思ったんですけど、逆に南田さんを傷つけてしまったみたいで……」


 苦しそうに顔を歪める猫宮くんと、数ヵ月前――卒業する前の彼が重なる。彼も苦しみの中で生きている人。だから私は彼のことを責めることができなかった。


「そう、なんだ……。私は大丈夫だよ? でも、ごめんね。もうバスケは……」


 ……したくないな。私はその言葉を飲み込んだ。


「……これは僕の我が儘ですけど、言わせてください」


 猫宮くんは、私の反応を見て何を思ったのか言葉を出す。


「何?」


「どうか、バスケを嫌いにならないでほしい」


 転がってきたバスケットボールを拾って、猫宮くんは瞳を閉じた。そして微笑み、瞳を開けた。


「……猫宮くんは、バスケが好きなの?」


 返事は容易に想像できた。けれど、彼の口から聞きたかった。俯く私に、猫宮くんがかけた言葉は


「好きです」


 熱の篭った熱い熱い言葉だった。その目は真剣そのものだった。


「そっか」


 猫宮くんは私にボールを手渡しする。ざらざらした表面は、あの春の日々によく触っていた。久しぶりに持ったボールの重さは、案外軽かった。

 それは、私が成長した証なのかもしれない。けれど心は、あの日から止まったままのような気がした。





 目はキダを追っていた。耳はコミヤの声を聞いていた。

 さっきから、助っ人のミナミダとコミヤの会話が気になって気になって仕方がない。ただ、会話に入ってはいけないような気がしてずっと立ち聞きするしかなかった。


(バスケを続けてほしかった……? コミヤのヤツ、何言ってんだ……?)


 聞けば聞くほどわけがわからず、俺は思わず持っていたボールを落としてしまった。最近物を落としてばかりだと思いながら拾おうとする。振り返れば、何故かボールはコミヤの手の中にあった。


「おい、コミ……」


「どうか、バスケを嫌いにならないでほしい」


 ミナミダは、その言葉に表情を曇らせた。オレは、その言葉に表情が固まった。……あいつにとって、バスケってなんだったんだ?

 不意にそう思った。





 右を見ても、左を見ても


「どこにもおらんやん! 《死神》!」


 《死神》という通り名を持つ銀之丞蛍ぎんのじょうほたるはいなかった。


「どうして……」


 私たち豊崎高校女バス一年には、蛍に対して説明すると長くなる因縁のようなものがある。にも関わらず、月岡へと進学したはずの蛍は練習試合に来なかった。つまり――


「……辞めちゃった、のかな」


「ッ!」


 ――そういうことになる。


なつめ、どうなの?」


「……わからない」


 棒つきキャンディーを舐める中原なかはら先輩にいつもの笑顔はない。情報通の大津おおつ先輩も、混乱していた。


「おたくに銀之丞蛍はおらんのか?!」


「……は? って、ちょっと! 何してんのよ!」


 声がした方を見れば、この中で一番対戦したがっていた芽衣めいが月岡高校の人たちに尋ね回っていた。


「あちゃー」


 と言いつつも、中原先輩は今日初めての笑顔を見せる。隣の大津先輩は、「馬鹿……」と呆れていた。


「入部してないからな」


 その声は遠くからでもよく聞こえた。


「はぁっ?! なんで……!」


夏希なつきが許可をしてないからだ」


 それが当然とでも言いたげに、月岡の人はにやりと笑う。芽衣はそれでも何かを言おうとするけれど、大津先輩に回収された。


「……ゆ、唯ちゃん!」


「ん?」


 慌てているちぃちゃんは、持っているスマホを私に差し出す。メッセージの差出人は黄田きだで、文章はない。画像だけが送付されていて、見れば男バスの対戦相手が写っていた。


「これがどうしたの?」


「よく見て、ここ……!」


 指先を画面に押しつけて、初めて私も理解する。茶色がかった髪に、変わらない顔。この画像が本当なら――そうしている間に、練習試合が始まろうとしていた。

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