貝夏高校女子バスケットボール部
「よしっ! できた!」
白いリボンを結び、家を出る。勿論占いを見ることは忘れていない。ちゃんとラッキーアイテムであるミサンガを結んで外の空気を吸い――
「あ、初めまして! 俺、広岡大輝です!」
「ッ?!」
――家の目の前にいる男の子に驚いた。
澄みきった青空の下、自転車に跨った男の子が茶野家と緑川家の間の道を占めている。着ている制服は貝夏高校のものだけれど、私は彼のことを知らなかった。
「俺、拓磨くんの友達になったんです! 茶野先輩のことは拓磨くんと国島先輩から聞いてますよー! めちゃくちゃバスケ強いんですよね?!」
「え、えぇ……?」
あまりにも勢いが強すぎて、ついつい押されてしまう。けれど、拓ちゃんの友達っていう単語は聞き取れて――私は思わず背筋を伸ばした。
「拓ちゃんの?!」
「拓ちゃん?! あいつ拓ちゃんって呼ばれてるんですか?!」
刹那、隣の扉が開き拓ちゃんが不機嫌そうに顔を出した。
「灯、何余計なことを話してるんだ」
「灯?! お前茶野先輩のこと名前で呼んでんの?!」
「えぇ〜、拓ちゃんは拓ちゃんじゃん? 別に拓ちゃんのお友達なんだしいつかは知られるこ……」
「違う。ストーカーだ」
「ストーカー?! 俺ってストーカーだったの?! 友達だと思ってたのは俺だけ?!」
「うるさい。早朝からこんなところまで来るお前は立派なストーカーだ」
拓ちゃんは黙って自分の自転車に跨り、私に視線を向ける。……これは、私と一緒に行く気なんだろうか。大ちゃんを無視して。
「拓ちゃん、意地悪は駄目だよ〜?」
「意地悪じゃない。俺はそんな約束をした覚えはない」
「行くって言ったじゃん!」
「うるさい。許可してない」
叫び続けて息切れしたのか、しばらく大ちゃんはぜいぜいと空気を吸っていた。
*
「すっご〜い、もう着いたの〜?」
「何を言っている。いつもと同じ時間だぞ?」
「マジで置いていきやがった! 拓磨くん酷い!」
「うるさいストーカー」
貝夏高校に着いた瞬間、三人それぞれが違う感想を述べる。すると、登校中の生徒の中から英ちゃんがこっちに近づいてきた。
「あ、国島先輩」
「……お前ら、朝からギャーギャー騒いで恥ずかしくないのか」
呆れたような感じを残すその目は、私たちを隅々まで観察する。
「え、なんで?」
「茶野には聞いてねぇんだよ。聞いたところでまともな返事しねぇだろ?」
「英ちゃん酷い!」
「なんでだよ」
私は頬を膨らませ、ぽかぽかと英ちゃんのお腹辺りを叩いた。
「随分と大人数な登校だね、灯」
「……あり得ない」
「あ、おはよ〜。栞ちゃん、春ちゃん」
二人に向かって手を振ると、今度は英ちゃんが私の頭を下に押す。
「も〜、国島。女の子をいじめちゃ駄目でしょ?」
「……う」
「……DV」
「配偶者でも恋人でもねぇよ!」
配偶者や恋人という単語に反応し、拓ちゃんを見れば目が合った。拓ちゃんは耳をほんの少しだけ赤くして、気難しそうにさっと顔を伏せる。
「……ッ!」
釣られて私も顔を伏せてしまった。
「そろそろ駐輪場行きませ〜ん? めっちゃ注目されてるじゃないですか〜!」
「うんうん、そうだね〜。みんなで行こ〜」
拓ちゃんにも声をかけ、大ちゃんと一緒に駐輪場へとそのまま走る。ついてきた栞ちゃんは
「灯さ、今日女バスに来るよね?」
そう声をかけてきた。
「えっ? うん、行くよ〜?」
「わかった! じゃ、また後でね!」
「……国島、さっさと行こう」
「ん? おう」
三人まで校舎に入れば、必然的に三人になってしまった。それを避ける為か、拓ちゃんもさっさと校舎の中へと歩いていく。
「あっ、待ってよ〜!」
「そうだよ拓磨くん!」
ぴたりと足を止めた拓ちゃんは、「お前、女バスに行くんだろ?」と私に尋ねた。私が頷く姿を横目で確認していた拓ちゃんは、ぽつりと呟く。
「――先に言っておく。〝あいつ〟が来るぞ」
あいつ? そう尋ねる私を拓ちゃんが無視した。
*
「おぉ〜、ここで練習してるのか〜」
女バスが練習している体育館に足を踏み入れると、同級生たちや後輩たちが準備をしていた。
「うん。あ、ちなみに部長は私だからね」
「了解〜」
「……で、エースは灯」
「はいはい…………って、え?!」
春ちゃんの日本語が聞き取れなかった私は、真顔で聞き返す。
「エースは灯」
何故か栞ちゃんの日本語も聞き取れなかった。
「灯はエース」
「えっ?! いやいやいや、図々しすぎるでしょエースって!」
約二年半もまともなバスケをしていない私をエースにする。二人は本気でそう言った。
「……そんなことない。全員合意したことだから」
「そういう問題?!」
「そういう問題」
見れば、準備中の同級生たちも笑顔で頷く。……怖いよ、なんかそれってすっごく怖いよ。
「……大丈夫、私たちがフォローするから」
「そういう問題でもないよ!?」
……あぁ、まさか私がツッコミ役になるとはなぁ。頭を抱えて唸っていると、体育館の外から声が聞こえてきた。それは複数で、少し強ばっている。
「ん?」
「……あ、もしかして新入生かも」
栞ちゃんは笑顔で体育館の扉を開け、新入生たちを迎え入れた。
「あ、そういえば……」
『――先に言っておく。〝あいつ〟が来るぞ』
「……〝あいつ〟って、誰なんだろ」
私に言うということは、私の知り合いであることに間違いはないだろう。新入生の列を眺めていると、一際目立つ緑色が視界に入った。
「え、拓ちゃ……っ?!」
いや、違う。あれは――拓ちゃんの従妹の凪沙ちゃんだ。
「あっ……!」
向こうも私を認識したのか、軽く頭を下げてきた。
「……灯の知り合い?」
首を傾げた春ちゃんに
「うん。幼馴染みの従妹なの」
そう答えると、眉を顰めて「……それって知り合い?」と返される。
「ん〜……、小さい頃よく幼馴染みの家に来てて、面倒を見てたっていうか……」
「……面倒? 灯が? あの子の?」
「えっ?! その反応ちょっと失礼だよ!?」
心底驚いたという表情をした春ちゃんは、耳を押さえて栞ちゃんの下へと逃げてしまった。
「もぉ〜!」
唇を尖らせ、ステージにもたれかかっていると
「久しぶり、灯センパイ」
「ッ?!」
気づけば、近くに凪ちゃんがいた。
「びっくりしたぁ……。久しぶり〜、凪ちゃん。前みたいに灯ちゃんでいいのに〜」
「……いや、さすがにそれは」
相変わらず読めない表情――無表情で手を横に振る凪ちゃんは、最後に見た時よりも――いや、童顔も変わってない。
(……真子ちゃんにちょっと似てるかも)
「いつ以来だっけ?」
「私が転校してからだから……六年以来なのだ」
「ぶぶっ……!」
不服そうに私を見上げる凪ちゃんの口癖、〝なのだ〟も全然変わっていなかった。笑いを堪えていると、視界にテニスボールが入ってくる。
「それは……まさか……!」
「今日の私のラッキーアイテムなのだ」
「そんなとこも変わってないね〜!」
「……そこは全然つっこまないんだ」
「当然! これが私たちのアイデンティティなんだから!」
春ちゃんの隣には、栞ちゃんもいた。新入生を整列させていたらしく、「二人も集合してね〜」と呼びかけてくる。
「は〜い」
凪ちゃんに先に行かせると、春ちゃんが栞ちゃんの耳元でこう囁いた。
「……そういえば、監督は?」
「え? なんか、『遅れるから勝手にやってろ』だって」
あっさりと言ったけれど、内容は衝撃的だった。
「なげやりだねぇ〜」
「あははっ、もう慣れちゃったよ」
「うんうん。お疲れ様、栞ちゃん」
苦労した栞ちゃんの瞳を見て、私は思わず肩を優しく叩いて励ました。
しばらく新入生に説明していると、ガラッと遠慮なく扉が開かれた。見れば、逆光で目がやられてしまう。
「待たせたな!」
詫びている様子は特になく、むしろ堂々としているように見えた。
「沖田監督!」
栞ちゃんが声を上げ、その瞬間にようやく理解する。沖田監督が歩を進めると、逆光もなくなり全身がよく見えた。
その監督の後ろに、貝夏高校とはまた別の制服を着た――金髪の少女が立っていた。
「……監督、その子は?」
「ん? あぁ、ほら、挨拶しろ」
沖田監督はとんとんと背中を叩き、少女を前に押し出す。
「I'm Emma Brown! Nice to meet you!(エマ・ブラウンです! よろしくね!)」
刹那、流暢な英語が体育館に響いた。
「本場からの留学生だ! てめーら、仲良くしろよな!」
衝撃よりも、静寂が私たちを包み込んだ。
「……え?」
ふふんとドヤ顔で腕を組むエマちゃん。さすが部長と言うべきか、栞ちゃんが誰よりも早く反応した。
「沖田監督、留学生……ですか?」
「うんっ!」
「……いや、『うん』じゃなくて……」
「Nice to meet you!」
「灯は呑気だね!?」
「えぇ〜?」
ざわつき始めた空気をぶち壊そうと思ったんだけどなぁ。私は栞ちゃんに揺さぶられながら、体育館の全体を眺める。いきなりのことで不安がっている後輩たちが大勢いた。
「よしっ! で、どこまで説明したんだ?」
「沖田監督はマイペースですね!」
皮肉を込めたように叫ぶ栞ちゃんは、私に向かって崩れ落ちる。私が思っていたよりも苦労していた栞ちゃんに、私はとりあえず頭を撫でてあげた。
*
新入生たちが正式に部活に入部した頃、監督は体育館で一部の部員を呼び出した。呼ばれたのは、部長である栞ちゃんと春ちゃん、私に凪ちゃん。そして、留学生のエマちゃんだった。
「沖田監督、どうしたんですか?」
栞ちゃんは、どうしてこのメンバーなんだろうとでも言いたげな表情をする。
「ん?」
沖田監督は、不思議そうに首を傾げた。
「……いや、『ん?』じゃなくて……」
「あぁ、あのな、ここで決めとこうと思ってさぁ」
「決めるって何をですか〜?」
三年の面子でさえついていけない会話なら、一年も留学生も当然ついていけなかった。私が話を促すと
「だから、スタメン」
と沖田監督がそう言った。
「すためん? ラーメンのコトデスカ?」
「……違う」
「エマちゃん、最近日本語上手くなったね〜」
「……どこがなのだ?」
「あぁぁぁあ! みんな、脱線っ! 話が脱線しているよっ!」
「そうだぞ、レギュラー降ろすぞ?!」
「沖田監督は黙っててください!」
「こほんっ。で、話を戻すが……」
どうしても黙るのが嫌なのか、沖田監督は真面目に話を切り出す。
「……主将は、部長の幹だ」
「ッ?!」
一瞬だけ隣を見れば、栞ちゃんは酷く緊張した面持ちをしていた。……責任感とか強そうだし、相談とか乗ってあげなきゃね。
「副主将は茎津春」
「……はい」
春ちゃんは無表情で頷く。無気力そうに見えるけれど、堂々としているその姿は頼もしい先輩そのものだった。
「エースは茶野灯」
「だから、なんで私なんですか〜!」
思わず沖田監督に向かってぽかぽかと叩けば、強い力で引き剥がされた。
「で、その他」
「そのた……?」
「意味は〝それ以外のもの〟なのだ」
「おぉ〜! なるほどデス!」
納得したようにエマちゃんは頷くけれど、私は別の意味で納得できなかった。
*
部活も終わり、部員たちはそれぞれ家に帰っていった。同級生たちは帰りがけに、私たち三人にエールを送って去っていく。
「……ほんと、なんで私がエースなのぉ〜?」
まだ明かりをつけたままの体育館に制服姿のまま寝そべり、私は文句を言う。周囲には沖田監督から〝スタメン(仮)〟だと任命された四人がいた。
「灯が〝東雲の幻〟だからじゃないかな……?」
(〝東雲の幻〟、か。あれ? でも……)
「そういえば、〝五強〟とはなんデスカ?」
すっかりセーラー服が馴染んだエマちゃんは、寝そべる私ではなく〝五強〟であった二人に尋ねた。
「……あぁ、エマは知らないよね」
春ちゃんはそれだけ言って、黙る。言葉だけでわかるけれど、自分の口からじゃとても言えなさそうだった。
「男バスで言うと東雲、女バスで言うと東雲が最強ってことくらいは知っているのだ?」
「Yes!」
「〝五強〟は、女バスで言う〝東雲の幻〟と渡り合うことができた唯一の逸材なのだ。……ただ、〝五強〟のほとんどは三年。幻も半年でほとんどが退部したから有名ではないだけなのだ」
「〝五強〟。それが、私たち……」
苦笑いで答える栞ちゃんに、三年前の決勝戦がフラッシュバックする。
「……そうなんデスカ。ワタシ、日本軽く見てマシタ。ごめんなさい」
エマちゃんは、日本人らしく頭を下げた。アメリカ人はしないと思っていた私にとって、それは少しだけ意外だった。
「では、茶野センパイは幻だから強いデス?」
「ッ!」
首を傾げるエマちゃんの青みがかった瞳に、私は目を離すことができない。肯定の意味で微笑む栞ちゃんを横目に、私は体を起こした。
「私は、〝幻〟でも……〝五強〟でも、ない気がする」
「……え? どういうこと、灯」
「だって、よく考えたらおかしいじゃない?」
「おかしいって、何がなのだ?」
困惑する三人と、必死で言語を理解しようと奮闘するエマちゃん。私は各々と目を合わせ、体育館の天井に引っ掛かっていたボールを眺めた。
「私は〝退部〟したんじゃなくて、〝引退〟したんだよ? 〝五強〟のほとんどと同じように」
「……ッ! でも、幻は全員で五人のはず……!」
「私と春が貝夏で、茅野空が常花。確か唯一の二年は月岡で……最後の一人は、朱玲」
栞ちゃんが右手の指を折って、〝五強〟の人数を全員数える。
「春ちゃん、幻は五人って言った?」
「……え? うん、だってそうでしょ?」
「じゃあ多分、あの子が最後の一人だよ」
「……あの子って、誰なのだ?」
「幻にさえなれなかった子。今の名前は、〝四天王〟を率いていた――《死神》」
マネージャーをしていると、自ずと入ってくる情報。当時は聞きたくもなかったけれど、知らなければならなかった。
「……〝幻〟って、なんだろうね」
瞬間、体育館の扉が開いた。
「お前ら、まだこんなところにいたのかよ」
「女子が夜遅くまでいるものじゃないぞ?」
見ると、英ちゃんと北原だった。体育館の扉の向こうは、漆黒の世界で染まっている。それを見て、「帰ろっか!」と、わざとらしく栞ちゃんが言った。私は顔を伏せて、何故か溢れそうになった涙を拭った。
「……電気消すよ?」
返事も聞かずに消すものだから、私は慌てて鞄を引き寄せ外に出る。
「灯、遅い」
「お、拓磨くんの従妹ちゃんもいるじゃん!」
すると、拓ちゃんと大ちゃんが自転車の前に立っていた。
「じゃ、鍵返しに行くね」
「え〜? みんなで行こうよ〜!」
春ちゃんとエマちゃんと凪ちゃんの肩を引き寄せて、私は後を追う。
「最高で最強のチームなんだからさ!」
「……何ソレ。」
そう言いつつも、みんな嬉しそうな表情をしていた。
――貝夏高校女子バスケットボール部。始動ッ!